short story
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俺はジョン。しがない新聞配達員だ。
今日も今日とて新聞を各家の玄関に向かって投げていく。
最近、品のないネオンを掲げた古めかしい家にも配達するようになった。
そう。それはまるで運命のようだった。
その家の前に差し掛かった時だった。
重たそうな両開きのドアからひょこりと顔を覗かせる女の子。
アジア系の顔つきでショートボブの髪型が印象的だった。
くるりと大きな黒い瞳が朝日に照らされて、一瞬青色のようにも見えたのは気のせいだろうか。
いつもは新聞を投げ入れるのだが、人が立っているなら仕方ない。
ゆるゆると速度を落とし、Devil May Cryと看板を掲げた事務所の前で車を一時停止させた。
「新聞です」
ややぶっきらぼうに車の窓から手渡せば、この辺りの治安の悪さが吹き飛んでしまうような、眩い笑顔を返された。
例えるなら、花が咲いた瞬間のような。
「おはようございます!いつも新聞、ありがとうございます」
もう、運命かと。
金髪ブロンドの美女が好みだと豪語していたが、撤回だ。
くさい言い方かもしれないが、見事にハートを射抜かれてしまった。
彼と彼女と新聞配達員
「ジョン、えらい機嫌がいいな」
「そう見えるか?」
大学の友人に気づかれるくらい、機嫌がよかったらしい。
それもそのはず。一週間に一度会うか会わないかの彼女に、今週は二回も会っているのだから。
「なんだよ、この間言ってた日本人の子か?」
「そうなんだよ、今週二回も会っちゃってさ。いつもにこにこしてて、笑顔がチャーミングなんだよ!」
思い出すだけで大学のレポートも頑張れる気がした。
学費の足しに・と始めた新聞配達の仕事だが、いい事もあるもんだ。
「お前とは幼馴染だけどよ、そんなに女の子に熱を上げるの初めて見たな。一度会ってみたいなぁ」
「駄目だ駄目だ。お前すぐ口説きそうだし」
そう言うと目の前の親友は「呆れた、」と肩を竦めて苦笑いした。
なんだよ、別にいいじゃないか。
「今晩のゼミ内でのパーティー、お前も来るんだろ?」
「うーん…」
どうしよう。
実は少し前まで気になっていた、金髪ブロンドの女の子も来るという。
気にはなる。けれど彼女の好みは『いつも明るい男』だと言っていたので、奥手な俺は告白する前に振られたも同然だった。
「…まぁ、そうだな。行くことにするよ」
「そうこなくちゃな」
***
その日の夜。
ゼミのパーティーが貸し切ったゲストハウスで行われた。
あまりこういう賑やかな場に今まで出ていなかったツケなのか、顔見知った男連中としか話ができなかった。
金髪ブロンドの気になる彼女は、ガールズトークで盛り上がっているようで、とてもじゃないが俺が話しかけにいける雰囲気じゃなかった。
「最近お前、前より明るくなったな。いいことでもあったのか?」
「まぁ、ちょっとね」
ゼミで知り合った友人にも、親友と同じことを聞かれた。そんなに露骨に雰囲気が変わっただろうか?
「お。お前の親友がゼミのマドンナちゃんに話しかけられているぞ」
何話してるんだろうな?
噂好きの他の友人が声を上げ、俺は反射的に顔を上げた。
…本当だ。
僅かに頬を染めた金髪ブロンドの彼女と、お手洗いに席を離れていた親友が、それはそれは楽しそうに話をしている。
親友はイイヤツだ。
性格も格別に明るいし、俺と違って友達も多い。
つまり、
「悪い、ちょっとお手洗い行ってくる」
「おー」
頭の中が、グルグルする。
親友はイイヤツだ。あの子ともお似合いだろう。
どうして。俺の好きな人だって知っていたはずなのに。
相反する考えが堂々巡りして、あまり飲んでもないのにアルコールが回ってしまった感覚になった。
とてもじゃないがあの場にいたくなくて、俺は荷物を持ってゲストハウスを出ていった。
逃げ出したんだ。臆病な、俺は。
***
なんだか疲れてしまってアパートに帰った後、着替えることなくベッドにダイブしてしまった。
そしたら次の日の新聞配達のバイトに遅刻してしまって、今慌てて配達してしまっている有様だ。
俺が悪いのは分かってるんだけど、散々な日になりそうな予感がした。
いつものルート。
最後の届け先は、デビルメイクライの事務所だ。きっと彼女はいないだろう。何せいつもより30分以上の遅刻配達だ。
車をなるべく早く、安全運転をしているとそこに彼女はいた。
眠そうに目を擦りながら、今日は氷のような色をした毛並みの大型犬と一緒に。
「すみません、遅くなりました。今日の新聞です」
「あ、おはようございます。よかった、事故でもしちゃったのかと心配しました」
安心したように彼女の表情が綻ぶ。
いつもの笑顔なのに、何だか目が眩むほど目映く感じた。
俺も、これくらい明るかったら振り向いてもらえたのだろうか。
「いえ、すみません。今日は…その、恥ずかしいんですけど、遅刻してしまいまして」
「大丈夫ですか?きっと疲れていたんですね」
そんなこともありますよね。
そう言って笑った彼女の顔を見ていたら、何だか
「…っく、ぅ…」
あぁ、泣くつもりなんて毛頭なかったのに。
何故だかこの子の顔を見ると、自分が情けなくなってしまって。
一度溢れてしまった涙は、ダムが壊れてしまったかのように止めることが出来なかった。
***
そして、どうしてこうなったのだろう。
俺は何故か事務所の中に通され、ソファに座っている。
冷やされたタオルを渡され、情けないほどに赤くなった目元を俺は押さえながら考えた。
『とりあえず、落ち着きましょう?このまま運転したら危ないですし、ウチがもし最後なら少し寄っていきませんか?』
ね?と小さな手で背中を擦られながら、俺は事務所の中に通されたんだった。
あぁ、彼女に迷惑をかけてしまった。情けない。
「よかったらコーヒーどうぞ。落ち着きますよ」
角砂糖と温められたミルクを添え、彼女が丁寧に応接用のテーブルに置いた。
「すみません」と本日何度目かの謝罪をすると「気にしないでください」と彼女は微笑んだ。
普段は入れないミルクと砂糖を少しずつ加えて水垢ひとつないスプーンで混ぜれば、黒々としたコーヒーがトロリとしたカフェオレに変わる。
そっと一口飲めば、それはとても優しい味だった。あぁ、また泣いてしまいそうだ。
「…美味しいです」
「それはよかったです。落ち着くまで、ゆっくりしてくださっていいですからね」
彼女は柔らかく微笑み、近くにいた大きな犬をそっと撫でた。
煌々と赤い目をした犬は見たことない犬種だったが、まるで主人を守るようにジッとこちらを見つめるだけだった。
吠えもしないし、噛み付いてくる雰囲気もない。きっと彼女の躾が行き届いているのだろう。
「あの…」
「はい?」
「少し、話を聞いて貰えませんか?」
***
話しきった後に後悔した。
あぁ、俺はなんて事を知人以下の人に話をしているんだ、と。
大学生の情けない痴話話を、彼女は嫌な顔ひとつせずに相槌を打ちながら聞いてくれた。
つい彼女の前だと話をしてしまう。不思議な、女の子だ。
「なるほど、それで元気がなかったんですね」
「笑っちゃうでしょう?こんな男が、こんなことで」
「笑いませんよ。誰だってショックなことはありますもん」
困ったように苦笑いしながら彼女が答えた。
彼女なりの世辞かもしれないが、心のどこかで俺はホッと安心してしまった。
「親友さんとは、そのあとお話したんですか?」
「…電話の着信履歴が残っていたんですけど、怖くて折り返せてないんです」
「大丈夫ですよ。きっとお兄さんが思われているようなことにはなりませんよ、きっと」
ふわりと彼女が微笑み、小さく肩を竦める。
これが他の人間なら『なんて無責任な物言いなんだ』と言い返してやるところなのだが、どうしてだろう。
トロリと笑う蒼碧の目元を見たら、なんだか本当に大丈夫のような気がしてきた。
「まずは親友さんと、きちんとお話してみましょう?途中で帰っちゃったなら、もしかしたら心配しているかもしれませんし」
「…そう、ですかね」
「きっとそうですよ。『イイヤツ』なんでしょう?」
クスクスと笑いながら首を小さく傾げる彼女。
俺の言い方を真似しながら微笑む彼女が何だかおかしくて、俺はつい「今日、アイツに会って話を聞いてきます」と答えてしまった。
***
休みであるにも関わらず大学に来た俺は、レポートの締切がマズいと言っていた親友を図書室で見つけた。
「お、ジョン!大丈夫か?昨日途中で帰ったみたいだからよ。飲みすぎたのか?体調は大丈夫か?」
過剰なくらい心配してくる親友。
いつもの茶化すような雰囲気は一切なく、本当に心の底から心配している様子だった。
「あ、あぁ。悪かったな、昨日黙って帰って…」
「全くだよ。折角あの子がお前をデートに誘おうと腹括ったって言うのによ」
……あの子?
「ほら、気になってた金髪ブロンドの。」
嘘だろ。
「え。だって、お前と話をして…」
「お前をデートに誘うなら何処がいいか聞かれていたんだよ。…馬鹿だなぁ、お前は。俺は茶髪グラマラス美女が好きなの。まさか勘違いしたから帰ったんじゃないだろうな?」
「その…すまん」
「呆れた。全く、親友のキューピッドになんて言い草だ。ほら、彼女の番号聞いといてやったから、連絡入れろよ。すぐにだ、すぐ!」
ポケットに入れていたくしゃくしゃのメモを取り出して、親友が背中をバシバシ叩いてくる。少し、痛い。
「わ、分かったから。ここ、図書室だぞ?静かにしろよ…」
「お、悪い悪い」
「……その、なんだ。…ありがとうな」
***
次の日も彼女は事務所の前にいた。
今日はいい報告ができそうだ。
「おはようございます、新聞です」
「おはようございます!上手くいきました?」
にこにこと上機嫌で尋ねてくる彼女に「はい」とつい照れながら返事をした。
憧れのあの子にデートの申し込みをしたら色良い返事が返ってきたのだ。最初から諦めて逃げてしまっていた自分が、少しだけ恥ずかしかった。
「わぁ、それは良かったですね!」
「ありがとうございます。その、あなたのおかげですよ」
「いえいえ。お兄さんが勇気を出した結果ですから。」
私はコーヒーを出しただけです。
そう言って彼女は笑った。
「デート、楽しんできてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
車をゆっくり発進させると、彼女が後ろで小さく手を振ったのが見えた。
バックミラーでちらりと姿を確認すれば、彼女は『誰か』に気がついたようで逆方向を見ている。
それは俺が見た笑顔の中でも、最高峰のものだった。
その笑顔を向けられた先にいたのは、銀髪に赤いコートを来た派手な出で立ちの男。
啄むようなキスを彼女の額に落とし、彼女はというと頬を染めて照れたように笑っていた。
なんというか。
(彼女は、あの男の人の隣にいる時が一番可愛らしいな)
そう思ったら少しだけ可笑しくて、俺はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
決戦は来週の日曜日。さぁ、どんな手段で意中の彼女を笑顔にしようか。
***
仕事で数日間この街を空けていたダンテが帰ってきた。
開口一番、少し不機嫌な声。
「やけに新聞配達員の兄ちゃんと仲良く話してたな」
「ダンテさんが帰ってくるのを待っていたら、時々お話するようになったんですよ」
コーヒーを煎れながら答えると、至極面白くなさそうにダンテは「ふぅん」と返事をした。
「色々悩んでたみたいなので、ちょっとお話しただけですよ?」
「何だ。『使った』のか?」
トントン、とダンテが目元を指しながら尋ねてくる。
流石、彼は勘がいい。
「少しだけ。」
「で、上手くいってご報告、か。名無しもあの新聞配達員も律儀だな」
まだまだ不安定だからあまり使いたくはなかったのだけど、今回は致し方ないだろう。
いい方向に進んで本当によかった。
未来が視えるというのも、たまには悪くない。
「で、俺が帰ってくる日は視なかったのか?連日家の前で朝から待ってると風邪引くぞ。」
「ダンテさんなら予定より早く帰って来そうなので、あまりアテにならなさそうで。
それに見ない方がいつ帰ってくるのかワクワクするじゃないですか」
そう言うと「それもそうだな」とダンテが満足そうに笑った。
今日も今日とて新聞を各家の玄関に向かって投げていく。
最近、品のないネオンを掲げた古めかしい家にも配達するようになった。
そう。それはまるで運命のようだった。
その家の前に差し掛かった時だった。
重たそうな両開きのドアからひょこりと顔を覗かせる女の子。
アジア系の顔つきでショートボブの髪型が印象的だった。
くるりと大きな黒い瞳が朝日に照らされて、一瞬青色のようにも見えたのは気のせいだろうか。
いつもは新聞を投げ入れるのだが、人が立っているなら仕方ない。
ゆるゆると速度を落とし、Devil May Cryと看板を掲げた事務所の前で車を一時停止させた。
「新聞です」
ややぶっきらぼうに車の窓から手渡せば、この辺りの治安の悪さが吹き飛んでしまうような、眩い笑顔を返された。
例えるなら、花が咲いた瞬間のような。
「おはようございます!いつも新聞、ありがとうございます」
もう、運命かと。
金髪ブロンドの美女が好みだと豪語していたが、撤回だ。
くさい言い方かもしれないが、見事にハートを射抜かれてしまった。
彼と彼女と新聞配達員
「ジョン、えらい機嫌がいいな」
「そう見えるか?」
大学の友人に気づかれるくらい、機嫌がよかったらしい。
それもそのはず。一週間に一度会うか会わないかの彼女に、今週は二回も会っているのだから。
「なんだよ、この間言ってた日本人の子か?」
「そうなんだよ、今週二回も会っちゃってさ。いつもにこにこしてて、笑顔がチャーミングなんだよ!」
思い出すだけで大学のレポートも頑張れる気がした。
学費の足しに・と始めた新聞配達の仕事だが、いい事もあるもんだ。
「お前とは幼馴染だけどよ、そんなに女の子に熱を上げるの初めて見たな。一度会ってみたいなぁ」
「駄目だ駄目だ。お前すぐ口説きそうだし」
そう言うと目の前の親友は「呆れた、」と肩を竦めて苦笑いした。
なんだよ、別にいいじゃないか。
「今晩のゼミ内でのパーティー、お前も来るんだろ?」
「うーん…」
どうしよう。
実は少し前まで気になっていた、金髪ブロンドの女の子も来るという。
気にはなる。けれど彼女の好みは『いつも明るい男』だと言っていたので、奥手な俺は告白する前に振られたも同然だった。
「…まぁ、そうだな。行くことにするよ」
「そうこなくちゃな」
***
その日の夜。
ゼミのパーティーが貸し切ったゲストハウスで行われた。
あまりこういう賑やかな場に今まで出ていなかったツケなのか、顔見知った男連中としか話ができなかった。
金髪ブロンドの気になる彼女は、ガールズトークで盛り上がっているようで、とてもじゃないが俺が話しかけにいける雰囲気じゃなかった。
「最近お前、前より明るくなったな。いいことでもあったのか?」
「まぁ、ちょっとね」
ゼミで知り合った友人にも、親友と同じことを聞かれた。そんなに露骨に雰囲気が変わっただろうか?
「お。お前の親友がゼミのマドンナちゃんに話しかけられているぞ」
何話してるんだろうな?
噂好きの他の友人が声を上げ、俺は反射的に顔を上げた。
…本当だ。
僅かに頬を染めた金髪ブロンドの彼女と、お手洗いに席を離れていた親友が、それはそれは楽しそうに話をしている。
親友はイイヤツだ。
性格も格別に明るいし、俺と違って友達も多い。
つまり、
「悪い、ちょっとお手洗い行ってくる」
「おー」
頭の中が、グルグルする。
親友はイイヤツだ。あの子ともお似合いだろう。
どうして。俺の好きな人だって知っていたはずなのに。
相反する考えが堂々巡りして、あまり飲んでもないのにアルコールが回ってしまった感覚になった。
とてもじゃないがあの場にいたくなくて、俺は荷物を持ってゲストハウスを出ていった。
逃げ出したんだ。臆病な、俺は。
***
なんだか疲れてしまってアパートに帰った後、着替えることなくベッドにダイブしてしまった。
そしたら次の日の新聞配達のバイトに遅刻してしまって、今慌てて配達してしまっている有様だ。
俺が悪いのは分かってるんだけど、散々な日になりそうな予感がした。
いつものルート。
最後の届け先は、デビルメイクライの事務所だ。きっと彼女はいないだろう。何せいつもより30分以上の遅刻配達だ。
車をなるべく早く、安全運転をしているとそこに彼女はいた。
眠そうに目を擦りながら、今日は氷のような色をした毛並みの大型犬と一緒に。
「すみません、遅くなりました。今日の新聞です」
「あ、おはようございます。よかった、事故でもしちゃったのかと心配しました」
安心したように彼女の表情が綻ぶ。
いつもの笑顔なのに、何だか目が眩むほど目映く感じた。
俺も、これくらい明るかったら振り向いてもらえたのだろうか。
「いえ、すみません。今日は…その、恥ずかしいんですけど、遅刻してしまいまして」
「大丈夫ですか?きっと疲れていたんですね」
そんなこともありますよね。
そう言って笑った彼女の顔を見ていたら、何だか
「…っく、ぅ…」
あぁ、泣くつもりなんて毛頭なかったのに。
何故だかこの子の顔を見ると、自分が情けなくなってしまって。
一度溢れてしまった涙は、ダムが壊れてしまったかのように止めることが出来なかった。
***
そして、どうしてこうなったのだろう。
俺は何故か事務所の中に通され、ソファに座っている。
冷やされたタオルを渡され、情けないほどに赤くなった目元を俺は押さえながら考えた。
『とりあえず、落ち着きましょう?このまま運転したら危ないですし、ウチがもし最後なら少し寄っていきませんか?』
ね?と小さな手で背中を擦られながら、俺は事務所の中に通されたんだった。
あぁ、彼女に迷惑をかけてしまった。情けない。
「よかったらコーヒーどうぞ。落ち着きますよ」
角砂糖と温められたミルクを添え、彼女が丁寧に応接用のテーブルに置いた。
「すみません」と本日何度目かの謝罪をすると「気にしないでください」と彼女は微笑んだ。
普段は入れないミルクと砂糖を少しずつ加えて水垢ひとつないスプーンで混ぜれば、黒々としたコーヒーがトロリとしたカフェオレに変わる。
そっと一口飲めば、それはとても優しい味だった。あぁ、また泣いてしまいそうだ。
「…美味しいです」
「それはよかったです。落ち着くまで、ゆっくりしてくださっていいですからね」
彼女は柔らかく微笑み、近くにいた大きな犬をそっと撫でた。
煌々と赤い目をした犬は見たことない犬種だったが、まるで主人を守るようにジッとこちらを見つめるだけだった。
吠えもしないし、噛み付いてくる雰囲気もない。きっと彼女の躾が行き届いているのだろう。
「あの…」
「はい?」
「少し、話を聞いて貰えませんか?」
***
話しきった後に後悔した。
あぁ、俺はなんて事を知人以下の人に話をしているんだ、と。
大学生の情けない痴話話を、彼女は嫌な顔ひとつせずに相槌を打ちながら聞いてくれた。
つい彼女の前だと話をしてしまう。不思議な、女の子だ。
「なるほど、それで元気がなかったんですね」
「笑っちゃうでしょう?こんな男が、こんなことで」
「笑いませんよ。誰だってショックなことはありますもん」
困ったように苦笑いしながら彼女が答えた。
彼女なりの世辞かもしれないが、心のどこかで俺はホッと安心してしまった。
「親友さんとは、そのあとお話したんですか?」
「…電話の着信履歴が残っていたんですけど、怖くて折り返せてないんです」
「大丈夫ですよ。きっとお兄さんが思われているようなことにはなりませんよ、きっと」
ふわりと彼女が微笑み、小さく肩を竦める。
これが他の人間なら『なんて無責任な物言いなんだ』と言い返してやるところなのだが、どうしてだろう。
トロリと笑う蒼碧の目元を見たら、なんだか本当に大丈夫のような気がしてきた。
「まずは親友さんと、きちんとお話してみましょう?途中で帰っちゃったなら、もしかしたら心配しているかもしれませんし」
「…そう、ですかね」
「きっとそうですよ。『イイヤツ』なんでしょう?」
クスクスと笑いながら首を小さく傾げる彼女。
俺の言い方を真似しながら微笑む彼女が何だかおかしくて、俺はつい「今日、アイツに会って話を聞いてきます」と答えてしまった。
***
休みであるにも関わらず大学に来た俺は、レポートの締切がマズいと言っていた親友を図書室で見つけた。
「お、ジョン!大丈夫か?昨日途中で帰ったみたいだからよ。飲みすぎたのか?体調は大丈夫か?」
過剰なくらい心配してくる親友。
いつもの茶化すような雰囲気は一切なく、本当に心の底から心配している様子だった。
「あ、あぁ。悪かったな、昨日黙って帰って…」
「全くだよ。折角あの子がお前をデートに誘おうと腹括ったって言うのによ」
……あの子?
「ほら、気になってた金髪ブロンドの。」
嘘だろ。
「え。だって、お前と話をして…」
「お前をデートに誘うなら何処がいいか聞かれていたんだよ。…馬鹿だなぁ、お前は。俺は茶髪グラマラス美女が好きなの。まさか勘違いしたから帰ったんじゃないだろうな?」
「その…すまん」
「呆れた。全く、親友のキューピッドになんて言い草だ。ほら、彼女の番号聞いといてやったから、連絡入れろよ。すぐにだ、すぐ!」
ポケットに入れていたくしゃくしゃのメモを取り出して、親友が背中をバシバシ叩いてくる。少し、痛い。
「わ、分かったから。ここ、図書室だぞ?静かにしろよ…」
「お、悪い悪い」
「……その、なんだ。…ありがとうな」
***
次の日も彼女は事務所の前にいた。
今日はいい報告ができそうだ。
「おはようございます、新聞です」
「おはようございます!上手くいきました?」
にこにこと上機嫌で尋ねてくる彼女に「はい」とつい照れながら返事をした。
憧れのあの子にデートの申し込みをしたら色良い返事が返ってきたのだ。最初から諦めて逃げてしまっていた自分が、少しだけ恥ずかしかった。
「わぁ、それは良かったですね!」
「ありがとうございます。その、あなたのおかげですよ」
「いえいえ。お兄さんが勇気を出した結果ですから。」
私はコーヒーを出しただけです。
そう言って彼女は笑った。
「デート、楽しんできてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
車をゆっくり発進させると、彼女が後ろで小さく手を振ったのが見えた。
バックミラーでちらりと姿を確認すれば、彼女は『誰か』に気がついたようで逆方向を見ている。
それは俺が見た笑顔の中でも、最高峰のものだった。
その笑顔を向けられた先にいたのは、銀髪に赤いコートを来た派手な出で立ちの男。
啄むようなキスを彼女の額に落とし、彼女はというと頬を染めて照れたように笑っていた。
なんというか。
(彼女は、あの男の人の隣にいる時が一番可愛らしいな)
そう思ったら少しだけ可笑しくて、俺はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
決戦は来週の日曜日。さぁ、どんな手段で意中の彼女を笑顔にしようか。
***
仕事で数日間この街を空けていたダンテが帰ってきた。
開口一番、少し不機嫌な声。
「やけに新聞配達員の兄ちゃんと仲良く話してたな」
「ダンテさんが帰ってくるのを待っていたら、時々お話するようになったんですよ」
コーヒーを煎れながら答えると、至極面白くなさそうにダンテは「ふぅん」と返事をした。
「色々悩んでたみたいなので、ちょっとお話しただけですよ?」
「何だ。『使った』のか?」
トントン、とダンテが目元を指しながら尋ねてくる。
流石、彼は勘がいい。
「少しだけ。」
「で、上手くいってご報告、か。名無しもあの新聞配達員も律儀だな」
まだまだ不安定だからあまり使いたくはなかったのだけど、今回は致し方ないだろう。
いい方向に進んで本当によかった。
未来が視えるというのも、たまには悪くない。
「で、俺が帰ってくる日は視なかったのか?連日家の前で朝から待ってると風邪引くぞ。」
「ダンテさんなら予定より早く帰って来そうなので、あまりアテにならなさそうで。
それに見ない方がいつ帰ってくるのかワクワクするじゃないですか」
そう言うと「それもそうだな」とダンテが満足そうに笑った。
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