俺の可愛い弟分がこんなに淫乱なはずはない!



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壁一面に取り付けられた大小様々なテレビモニターに桐生の姿が映し出されていた。すべて防犯カメラの録画映像である。神室町には街のそこかしこに隠しカメラが仕掛けられていて、真島はそれを自由に見る事ができる権利を有していた。
「……嘘やろ……桐生ちゃん」
メインモニターの真正面に座っていた真島は愕然とした表情で革張りのオフィスチェアに沈み込む。モニターの中でも一際巨大な画面に映った桐生の背後に見えるのは、また違う場所のラブホテルの駐車場だ。すぐ右隣にある別のモニターには三軒目も映っている。桐生は主に三つのホテルを使って『仕事』をしているらしかった。本当にそれを生業にしているかはわからないが、趣味でそんな事をやっているよりかは仕事の為と思っておきたかった。でなければ精神に異常をきたしてしまいそうだった。
「親父……大丈夫ですか?」
真島は西田が差し出したペットボトルの水を受け取り、封を開け、一気に喉へと流し込んだ。冷えた水が少しだけ失われた冷静さを取り戻してくれる。そうだ、そもそもラブホテルに出入りしているからと言って、桐生がヘルス嬢の真似事をしていると決めつけるのは早計ではないか。舎弟達の証言を裏付ける映像が出てきてしまった所為で危うく早とちりをするところだった。
「西田ぁ。お前、俺んとこ来て何年になる」
「はい。もう八年になりますね」
真島はパネルを操作しながら、そうか、と答えた。
「俺と桐生ちゃんは七年や。二十七ん時にムショ入ってもうたからなぁ。……その間も数えるなら十七年のつき合いや。十七年間、あいつはずっと俺の弟分やった」
西田は黙って聞いていた。いつになく真剣みのある真島の様子に口を挟めないようだった。
「俺は桐生ちゃんがどういう男かよお知っとる。曲がり間違っても身体売って銭稼ぐような奴やない。しかも女やのうて男相手に?あり得んわ」
事務所で西田を初めとした舎弟達から聞いた話を思い返す。
『桐生の叔父貴から誘われたって話も聞いてます』
『マジで誰とでも寝るらしいっすよ』
『東城会にも穴兄弟が仰山おるらしいですわ』
舎弟達の証言はどれも噂の範疇を出なかった。だから真島は西公園の地下へと潜った。
新たに建設会社を立ち上げた真島は西公園のすべてを手に入れていた。すべてというのは、つまり土地と地下にあるもう一つの歓楽街と、その下に隠されている街全体を監視するモニタールームの事である。そこに答えがあると真島は考えた。
その場所の存在は真島と西田しか知らない。街のありとあらゆる情報を得られるのだ。信用のおける人間以外の出入りは危険過ぎた。西田は抜けているが真島は一番の腹心の舎弟だと思っている。桐生をからかおうとした自分を止めた理由も「親父が桐生の叔父貴に食われちまうと思ってぇ……」だったので、やっぱり西田は真島からすると、どこまでも親に忠実な子だと言える。そういう理由で真島は西田を伴って地下までやって来たが、今回ばかりは真面目で心配性な彼の言葉を笑わなければならないようだ。
「見てみぃ、西田。どの映像にも桐生ちゃん一人しか映っとらん。これじゃあ証拠にはならんわ」
「で、でも!前後の映像には……」
「確かに、桐生ちゃんがホテル入る前も出た後も男が出入りしとる。知った顔も何人かおった。せやけどな、単なる偶然かもしれん。さすがにホテルの中までは映せんからな、現時点じゃあ桐生ちゃんが売りやっとるって話は憶測でしかないわ。単に他の客とタイミングが重なっただけや、きっと」
西田の眼差しは段々と憐れみの色を濃くしていったが、真島は気がつかない振りをした。ラブホテルに男一人で入る時もあるだろう。桐生を含めた全員が偶然、休憩なり何なりの理由があったに違いない。そう思い込む事にした。
「ま、お前らが俺の耳に妙な噂が入らんように止めっとった努力は認めたる。けど、もう変な気ぃ回さんでもええで」
「……はぁ」
納得したような、していないような返事をして、西田は黙った。真島は操作パネルのメインスイッチを押して壁面すべての画面を切ると、デスクに備え付けられている昇降用のボタンを押した。機械音が鳴り響き、足元が揺れる。モニタールームは地下から更に降りた場所にあり、ここへの行き来には特殊な方法が用いられていた。昇降ボタンによりデスク周りの床が円形に切り取られ、上層と下層を往復するエレベーターとして稼働する仕組みになっている。この経路以外では立ち入れないモニタールームは、いつか子供心に夢見た秘密基地のようだった。
真島と西田を乗せた簡易エレベーターがゆっくりと動き出し、二人を上へと運んでゆく。やがて行き着いた先は開放的な空間だった。広々とした室内にはローマ建築を思わせる太い柱が並び建ち、大理石のタイルが敷き詰められた床には二本の水路が走る。ちょうど真島達の背後にあたる壁面の一部は巨大な水槽になっており、水中をアロワナを始めとした熱帯魚が優美に泳いでいた。天井のシャンデリアと相まって、まるで豪奢な高級クラブと見紛うような内装だが、ここはかねてよりオフィスとして使われてきた場所だった。その証拠に以前の所有者が残していったデスクも、真島が丸ごと引き継いだまま置かれている。
「ともかく、これ以上の詮索は無用や。桐生ちゃんがしょっちゅうホテルに出入りしとるんは確かやけどな、アイツにもプライベートがある。俺らがそこに首突っ込む権利はないわ」
桐生もなかなか盛んなようだ。たった四つの歳の差だが、すっかり落ち着いてしまっている自分からすると羨ましい限りである。思うと同時に妙な安堵感にも包まれて、真島は西田からは見えない位置で密かに笑んだ。頻繁にラブホテルに出入りしている生活が健全かどうかはさておくとして、桐生が他者と関わりを持っている事が嬉しかった。
東城会を揺るがした大事件の後、桐生の生活は酷く荒れていた。原因は桐生の幼馴染の女が残した遥という少女との別離である。遥の為に桐生は東城会と決別して堅気の道を選んだ。けれども世間はそう簡単に極道のレッテルを剥がしてはくれない。桐生が遥と共に横浜に越して三ヶ月もしない内に、児相による介入があったとだけ真島は聞いている。それから一月も経たない間に桐生は神室町に戻ってきた。その時の桐生の様相は今でも鮮明に思い出せる。闘志も生気も失った桐生と街中で出会した時、無理矢理に絞り出した自分の笑い声までも。
今日、久しぶりに桐生を見かけた。以前は何を置いても桐生との喧嘩が一番だった真島も、経営する建設会社が軌道に乗り始めた現在では、桐生と遭遇する機会にもあまり恵まれない。西公園の広大な土地に、神室町の新しいランドマークとなる巨大商業施設を建てる一台計画を担っている故に、自由になる時間も滅多になかった。だから、できれば桐生に声をかけておきたかったのだ。真島がどれだけ揶揄っても冷めた反応を返すだけの桐生だが、それでも彼との繋がりを保ち続けていたい。細く頼りない繭糸のように、ふつりと切れてしまいそうな縁をどうにかして繋ぎ止めておかなければ、桐生が幻のように消えてしまう気がした。
「ほな、上で一服して帰るかぁ」
立てた親指で天井を指す。
今やホームレスの住処となってしまった西公園は、街の景観を守る為、ほとんどが目隠し壁によって覆われている。神室町に存在を許されているのは広大な敷地のごく一部だけだった。公衆便所と最低限の遊具だけがあるその場所は、真島が喫煙場所として立ち寄る憩いの場でもある。“上”とは、そこを示した言葉だった。


西公園内部と外とを繋ぐ出入り口である公衆便所を通り抜けると、夕刻の茜色に染まる街が現れた。少し長いをし過ぎたな、と思いながら山と積まれた廃品の横を通り過ぎる。そこで真島は、ぎくりと足を止めた。
「き、桐生ちゃん……」
冬場、狭い敷地ではホームレス達がドラム缶で焚き火をしている。擦り切れた服を着た彼らがドラム缶を囲う光景は神室町の冬の風物詩でもあった。真島も寒くなると風物詩の一員となって煙草を吸う。その場所に桐生が立って、紫煙の行く先を見上げていた。
まだこちらには気がついていない桐生から、どうやって悟られずに道へ出ようか。咄嗟にそう考えた。いつもなら桐生の姿があれば必ず追いかけて声をかける真島だが、今はあまりにもタイミングが悪い。なにせ、ついさっきまで彼のプライベートを覗き見ていたのだ。他人の頭を躊躇なく殴れる真島にも良心はある。それが今さらになってチクチクと胸を刺してくる。できれば気がつかれずに去りたい、と思った瞬間。
「あ!桐生の叔父貴!」
真島はその場で西田の足を靴ごと踏みつけたが遅かった。
天を見上げていた顔が、すいと動いて視線が合う。指に挟んでいた煙草を焚き火の中に放り入れた桐生は、真島を一瞥した後、興味もなさそうに通りの人波に紛れていった。
「うぅ……すみません親父。つい……」
しゃがんで痛む足を庇いながら謝る西田の声は、真島には届いていなかった。
――なんや、あの目。
桐生が興味を失う寸前に見せた眼差しを思い出す。冷めた瞳に熱が宿っていた。桐生相手に使う言葉ではない。けれど、そうとしか言い表せない、艶めかしい色を確かに見た。あれは男を誘う目だ。過去に数々の女達を扱ってきた真島にはわかる。
「……桐生ちゃん、何があったんや」
モニタールームの映像に映っていた男達と本当に関係を持っているのか。信じたくはない。しかし、信ずるに値する物を見てしまった。
認めたくない現実に耐えるように、ぎゅう、と握った拳に力を込め歩き出す。桐生が消えた通りとは逆の方向に向かって、足を動かした。






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