ラディールの日記

変わらぬ愛と知っていたりする。

2021/05/27 18:02
 今日は木曜日ですね。こんばんは、ラディールです(笑)。いかがお過ごしですかー?

 雨が現実的にひどいので、あたしも気持ちが弱っていますが、なんとかしてこの雨季も乗り越えましょう、と書いておきます。

 今日の晩ごはんはカレーペンネ。玉ねぎとペンネを時間差で煮ちゃって、オリエンタルカレー(@名古屋名物)を加えたかんたんなやつですね(笑)。美味しかったですよ、いろいろ思うところもありますが、心は錦でいたいものです(爆)。

 ここではラディールと書きながら続けていきますが、まだあの去年の国立競技場と、最後の東京ドームの公演の映像の発売予定などが発表されない(笑)。いや、嵐のですよ。あたしはもともとから音楽の批評をしていた普通のブロガー(爆)、でして。で、若い頃(20年前ですね、若)。その当時の嵐(出始めですね・笑)を、どう思っていたかとかはちょっと書かないほうがいいと思うので書きませんが。

 早くなんとか最後のところ(堤幸彦さんのだけじゃなくてね、あの映画の)。問題になっているメルクマールに関してはまとめて出してほしいなあと、ジャニーズ事務所さんに熱くアピールしておきます。なんとかしてほしい。でも現状が現状なので(まいったね)、さすがジャニーズ事務所でもジャッジが難しいんだろうなあ、と思います。思うよな(笑)。

 ジャニーズ事務所の時間差攻撃。日頃からいろいろ見ていて、今日いつものようにその年末のダイジェストを見ていたら(2日一回ぐらい見ていますよね・涙)。なんかメンバーそれぞれでズボンの裾のデザインに一家言あることに注目してしまい。一般的な知識なんでしょうね、裾が細くなっている人、太くなっている人とあり。そんなんそこは好みで合わせて作っているんだなとか思っていたら、笑いがこみ上げて来そうになりました。

 あんまり果敢に踊ってないな、とか。開き直って大雑把になっているな、とかね(ごめんなさい)。どこもまあ40絡みの年長になったグループでしたから、寄る年波には勝てない(笑)、そう感じたりしながら、開き直ったりしながら、見ていたりします。

 ちなみに二宮くんのYouTubeはまだ見ていないです(評判いいですよね)。もうとてもそこにそんな余裕がなくて(意味わからないですよね・嬉しいなあ)。見ていられないです。みんなで待っていて下さい(意味わからないことを祈ります)。

 いや、あー、ファンのみなさん当たりだ! 今日は『VS魂』ですよね。うちも今夜も見ようと(相葉ちゃんびいきですね・笑)、思っていますが。今日は相葉ちゃんも空を舞う(んだったか?)みたいな予告が出ていたんで、ちょっとハラハラしながら(おじさんだから心配なのね・笑)。見ようと思っていますが。

 え、あたし? 実は20年前は、表現音楽の批評のサイトをしていたんですよ。ミスチルとかがお得意でした。で、アヴリル・ラヴィーンがデビューしたときから、応援していたりします。結構凄腕なんですよ(笑)。どれぐらいだったかな、と思いながら、嵐の音楽の内容とかを、精査させてもらっているんですけども、味わい深く、最後の伸び率が激しく。だから、今辛いよなと(休みというのがね)、思いながら、書かせてもらっていたりします。

 嵐は、歌が大変上手になった時期に、活動を休止したユニットです。いつも、宿命共同体であろう、彼らの美しい絆と、楽しげな光景に守られた日本列島であったなあ、と思い返してみたりしています。今、雨量の激しい、回避できていない嵐の季節ですが。これからは、太陽の時代に、なっていくと知っています。

 けれども、まだその道程には間があります。狭間な時間にも人は生きています。これは、約束された、運命的な狭間を、乗り越えられるようにストレスケアするために、選ばれた5人の男の子たちの、友情の活劇でした。太陽の時代がお似合いの、5人横並びの男の子の姿かたち。いつまでも一緒にあるであろう、その美しい写真の立ち姿に。映像美に。尊い気持ちになりながら、共に歌番組に歌い、アジテートを繰り返すたびに、ああ。とため息が漏れそうになるほど、あなたもあたしも、幸福な気持ちになったのを覚えています。

 あの悲しいお別れから、5ヶ月ですね。何回見返しても、相葉雅紀がキレて「バイバイ!」と歌いアジテートするさまに。どこか悲しげな二宮和也の儚い風情と表情に。そうして、その中でも、精一杯誠意を伝えようとするリーダー大野智に。さらに、終わったときまた険の強い表情に戻ってしまった櫻井翔に。

 そうして、必ずまたともに在りたい、と強く訴えてくる松本潤に。どうしてこれほど人の強さを欲求するシーンが世界にはあるのだろう、と。涙が今溢れてしまいました。

 あれから5ヶ月です。クリスマスの朝、起きた自分なりに迎えた日々に、感謝しながら、最後のカーブを曲がっているように思えています。信じたいのです。

 あんまり最近書いていませんが、あたしはミスチルの音楽やら人物像やらを、とてもとても、深く愛し、その一代前であった美しい旋律が、永遠になった様をどこまでも深く愛でています。

 珍しいのですが、当時の録音を聞きながら、小林武史プロデューサーを思いながら、何度も、何度も、立ち上がりたい一心で聞いた少女時代と、共に世界へ立ち向かった青春時代を思い返して。これからも共に在る喜びを噛み締めています。

 あたしにはこんな幸福なことがあるのに。なぜだろう。そう書いてしまいます。

 季節から時代へ、また世界は円環します。クリスマスの朝に気づいた、正直とんでもないにもほどのある時代のエレジー。この日は友人の誕生日でもありました。なんでそんなことを気づいていなかったんだろう、と、今、ふと思いました。

 永遠とは何か。いつまでも在るあたしたちです。人間は人間を信じる気持ちが一番大事だと、いつもあたしは思っています。<信じることがすべて 明けない夜はない> 次の未来が一番大事なのです。それが信じること。そうして、どんな愉快で楽しい夜、絆を確かめ合った夜も明けてしまい、過去になるのです。

 だからこそ。これからも生きていくために、当たり前の現実を、あたしにはサーバーしてもらいたいのです。

 なんかすっごく長くなっちゃったけど。音楽を聞いて、テレビを見て。明日はどっちなのか、待とうと思っています。

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