ラディールの日記

みんなのかけがえのない人。

2021/03/01 18:56
 今晩もなんか春なのに、部屋が変に暑くて、ああそういう意味だったんだ、と、過去を振り返りながら過ごしていたりします。人の体温というのはややこしいもの。ベタッとした感じとか、暑いとか、あったかいとか、はたまたなんか普通と違うな、とか。最初の頃(この人生の)から、普通に自分の体感として感じていましたが、思い出せば、思い出せるもの。それが、ずっと生きてきた証、永遠への楔だと思います。

 結構色々思い出してみてね。ああ、彼はあれを歌っていたんだな、とか。年末からスケールのでかい危機で大変だな、とか。ワクチン大丈夫かな、とかね。色々なことを思ったりしていますが、それにしても、みんなの悲しみは大きく。あたしも責任を感じながら、ぼんやりとここまでの日々を思い返して、早く解除しないとな、と思いながら過ごしています。

 時々、あのときのことを思い出して、うなされるんだ、とか聞かされるたびに。ああきっと本当にそうなんだな、と。高校時代ぐらいのときのあたしの頭、脳内記憶ですね、を捉えながらね。自分が何を感じ、何を覚えていて、何をしたかったのか、を。思いつくような気がしています。本当に受けた傷というのは癒えないものだ、と。あたしも知っていますし、あたしもちょっとはトラウマがあってね。それはまあ一人で生きているとなかなか辛いところで、まあそれでもそれにしても嬉しいなあと。思いながら、まあ健気なところは健気なんだよねと。自分へ言ってあげたいな、とも思ったりしています。

 しかし、あたし結構美女な方なんですけど、自分で「耐えられるかな」と思うほど、この一件はハイパー女力が問われていますね(笑)。女らしくない方なのに(かつ)。もう43歳のおばさんなんだから、とか言いながらね。遺伝子ですね、うちの親のことを思い浮かべながら、あんまり変わらない自分を、鼓舞して。

 そう言えば、「マムシの娘でどこが悪いの」と、まだ『麒麟がくる』を思い返して、帰蝶様の台詞を繰り返し、反復横跳びの要領で思い返すのですが。昔さあ、マムシのことが凄く怖くて(斎藤道三でなしにね・笑)。噛まれたらぎゃーとか思い。父も蛇がハイパー苦手だったもんで。なんかよく切実に逃げることが多かったなと思い返します。

 ただあたしの小学校は山の中で、マムシもよくいました。教頭先生が戦いながら、デッキブラシで追い出すさまを今思い出しました(笑)。たぶんあたしなら耐えられても、本人なら耐えられないエピソードだろう、と。あの日の恐怖を思い返します(爆)。

 昔のイングランドの話だという、あの不思議なディテール。マムシの毒矢を撃たれた、ナイトの話ですね。そんとき、血を抜いてもらって、一命を取り留めたんだけど、それからも毒が残り、時に熱を出し、そんで夜な夜な婦人にしがみついて泣きながら耐える、という、懇切丁寧な説明ですね(笑)。を食らった瞬間のあたしの「なるほどなー」は笑えない話でした。

 ね、アンちゃんもきっとそう思うと思います。アイヌーブ・レインリバーというそのファルコンナイトの話と、アンちゃんという明るいペガサスナイトの話。ごっちゃになっていたんだよね。アンちゃんそんなに戦わない生き物だったね(笑)。いつも愉快なアンちゃんは、ラルの永遠のたからものです。

 にしても、まあアイヌーブさまの話、集団現実みたいに覚えている人多いそうだから、もし良ければ、どんな話か、誰かにせがんでみてくださいね。あたしでもいいですよ?(笑)

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