ラディールの日記

大変ご迷惑をおかけしています。

2021/06/09 18:17
 あたしの父の姉夫妻は三ツ矢サイダーが好きで、今三ツ矢サイダーと言えば、レの音のその話をしなきゃいけないので恐縮なんですけども(笑)、櫻井くんと相葉くんと、山田涼介くんがセットでしているあのコマーシャルね(爆)、がメジャーな状態だと思います。いつものスーパーへ行く度に、おいしい牛乳と三ツ矢サイダーのポスターに見舞われ、苦しい思いをするあたしラディールさん43歳です。こんばんはです。

 あたしはゼロカロリーのやつをよくそこへ着くと買います。なんか罪悪感の少ない感じが好きなんですよ。モノホンはあんまり飲まないですね(おばさんだからかな)。

 レの音事件について知りたくて来てくださりありがとうございます。

 なんか、嵐の国立競技場公演の最後の方で披露された「カイト」で、相葉雅紀がレの音が取れず、段々破綻が進んでいき、最後まで来るとキレた表情で二宮くんが頑張っていたという。そういうテイクがYouTubeで公開されているということをお伝えしています。

 なぜか。確認したいのはあたしも同じです(事務所さん)。でも、たぶん相葉はこの曲まで来るまではちゃんと全曲歌えていたんだろうと思うんです。でも、この後はきっとダメだったんだろうなあとも思うんです。ファンの皆さん、丁寧に配送日にあたしが観戦するまで答えはお預けです。辛いけど耐えていて下さい。宜しくお願いします。

 大体最後のところだったはずです。神宮球場へ飛んでいった風船とどっちが問題だったかはもしかしたら微妙な線だったりするのかもしれません。

 こんなことまで考えさせてくれる相葉さんが大好きになりすぎたあたしです。ブロガー冥利に尽きますよね。女冥利ではないですよ(笑)。なんでなんでしょうね。セクシーなポーズでのけぞったら外して。ずっと外していくんだし。キーを下げて歌い始めたり。

 あんまり濃い光景なので、目がハートマークになるという副反応までしていますね。

 一日3回ぐらいはまだ見ていると思う。たぶん60回ぐらい見たはずです。最後、懸命に音を探る二宮くんに本当に悲しいなという状況を思い知らされます(涙)。

 まあひとつのコンサートのそういう失敗はよくあることですが。されぞコンサート。だけどコンサート。たぶん、本当に、そこまでは大丈夫だったんだと思うんです。心臓と胃の間ですよね。あの音階だと、胃がレなんだ正直(チャクラムモーション的には)。

 書いてしまった…。

 あたしこないだ、この間で、実際にその時の櫻井くんのキーとコーラス。はたまた相葉くんのキーとコーラスでカイトをどっちも歌ってみたんです。あたしでも不安定な状況がもうちょっとあったら、落としちゃうな、というぐらい難しいことをしていたのは事実でした。けれども、あんなにあれよあれよと、機械反応的に落としているというのは、もう前代未聞、初めての新国立競技場、最大の黒歴史。かもしれません(風船のせいもあって)。

 たぶんはまって成功したら空間芸術的に、すっごく美しいハーモニーの「カイト」だったことでしょう。なのにああ、それなのに。何故かは推測はついています。

 ジャニーさんは、嵐の散り際を見ずに、幸福だったのかもしれないなと、ちょっと控えめに書いておきます。あたしがジャニーさんだったら、最後の道程、もう生きていられないほどのストーリーだったことでしょう。なぜそこでそんなことが起きたのか。人間の宿命律と、人間のコーディネートって何か。そこを一番知りたいのです、人間今回の件というのは。

 嵐の季節、美しいアイドル。スーパーヒーロー。晴れた6月9日。梅雨の晴れ。カラッととした夏の気温。これは、約束されたことです。そこまでの、嵐の季節を、乗り越えるための、お薬、嵐。

 ジャニーさんは、彼らをデビューさせるときに、この役割というものを、彼らの力強い眼差し故に、託し。そうして、いつかこの新しい梅雨晴れの空が広がる頃には、それが続いていないことをご存知だっただろうと思います。

 けれど、ジャニーさんは、運悪く、時間の神ではなかった。もし、彼が、後僅かに余韻を間引いていれば。きっと今、ワクチンへ向かいつつある、ウィズコロナの日本列島はもっと守られた、安全な、優しさに満たされていたことでしょう。

 次の報道が怖い。今、日本はフェイクに満たされています。

 ジャニーさんは、彼らのうちの一人に、残りの4人とは違う、お願いをしてあったのだ、と、お聞きしたことがあります。5人、横並びの嵐。これをやり抜いてあげてほしいのだ、と。悲しい4人のために、と。

 それは、そのときの状況だけでなしに。なぜ、それが苦境になっているのか、の証明として。彼らに優しい記憶を、現実だった過去を、与えてあげてほしいから、だったと知っています。それを聞いて、快諾し、自分らしく、準じた物語が、本当のこの後の事実です。

 遠い過去から、きっと5人で一緒だった。夢物語のように。そう感じ。知らず貪り。最後の21年の季節を、分け合った彼らは、もう戻らない過去となった夢物語を、また生きた悲しみに包まれているだろう、と思います。

 あたしは、最近、人が錯乱するときの恐怖を知りました。もういないはずの人が、そこにいるように思える、その発狂しそうなサスペンスを。善業が善業なだけでないことを、強く噛み締めました。

 あたしは、嵐の5人の、この人生のレコードを、あまり知りません。どんな土地で、どんな場所で、どんな人と育った人なのかを。みなさまは、とってもよくご存知なのだろう、と、正直ちゃんと書いておきます。

 あの日、あの丘で、あの事件が起きたとき。優しい女性と不倫中だったあの男らしい男の子は、帰ってこなかった。<どんなに小さなつぼみでも 一つだけのHappiness>、その言葉は、女性への性を越えた労りに満ちた優しい言葉で。ああ、騎士の訓告だったなあと思い返せます。

 ずっと、今から、明るい梅雨晴れの太陽の時代が続き。そこを、まあ例えるなら、太陽戦隊サンバルカンとして(笑)、新しい商業ポップスの、ボーイズコーラスの仕方を考えるのが、彼ら、5人の宿命だったものです。けれども、残された4人は、生きるために、いや、けじめをするために、運命を生き、嵐となり、そうして今日は梅雨晴れの夕方。あまりに美しい、が広がっています。

 あたしは、目の前で微笑む悲しい婦人たちが、あたしと、同じ道を辿れないことに憤りは感じています。あの日、あの男の子がいなくなり。激情に駆られて、犠牲になりに行ったあの騎士団長を。これが本当でも、幻でも、どちらでもいいと思えるほど、世界は物語を、現状、限りなく深刻に欲しています。

 それは形のない何よりもの物語です。

 なぜ、ジャニーさんは、その日、もっと大きな時間を読み解けなかったのだろう。なぜ、彼らは、最後の最後、あの丘のときより、強く切ない、フィナーレを迎えなければならなかったのだろう。

 この経験を生かして、強く、あの男の子の分まで、生きていってほしい、と。ジャニーさんは、そう思ったであろうことは想像には固くありませんでした。あたしは、彼らがデビューした当時、そんな考えが、ありませんでした。価値観として、刹那だと、世界を信じていました。

 限りなく、個人的に、気配を、記憶の中通りの、匂いを嗅ぐと、もうあたしも駆け出さずにはいられないのだ、と、そのフィナーレを応援したい気持ちになるのです。

 そんな夢のようなことがあるのだ、と。見慣れた何かを見ながら今日も思いました。

 可憐な婦人は、ちょっと安定してきたように思います。きっとあの子とあたしの気配も似ているからだろうなあ、と思います。ジャニーさんは、彼女のために、凄くいいことをしたのだとあたしは思っていますし、信じています。

 泣いて笑ってではなく、ただ、一方的に謝りたいだろう、と。ジャニーさんはそうだろうと、彼女を思いました。ジャニーさん、あたしが勝手に謝るのでご安心下さい。いつも、彼女が(嵐の大ファンです)、打ち明けたい名前。よく知っています。ジャニーさん、人間とは、縁とは異なものですね。生きてきた16年を思いました。

 ジャニーさん。悲しい子たちの笑顔を、いっぱい作ってきた人生だったですね。ショービジネスの光は優しいものではありませんが。けれども、嵐の光は、やっぱサンバルカンだから優しかったですね(笑)。

 なんでそんなこと、示し合わせてくれたんですか。嬉しいなあ。

 後はあたしにお任せあれ。

 邪険にされようが、虚偽が多かろうが、あたしは嵐を愛していますよ。いつも、これからもそうだと思います。けれども、もう一つだけ。

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