ちぇしゃネコ症候群(ナワトレ)
そうこうしているうちに、牡牛とナワーブは岸辺に辿り着いた。岸の上にはたくさんの動物たちがひしめき合っている。カメにキツネ、黒鳥にシロオリックス、シマリスに熊と種類もバラバラだ。彼らは漏れなくずぶ濡れになっていたので、涙の池から避難してきたのだろう。
「ああ、どうしよう!どうしよう!」
ナワーブが周囲を窺っていると、ぶつぶつとつぶやく声がした。そちらに目をやると、枝を咥えたキツネがおろおろと歩き回っている。キツネは枝を葉や木片が積まれた山に放り投げ、その脇でぐったりとしているアオサギを心配気に見下ろしている。
キツネが枯れ枝を集めて積み上げて、その向こうに弱ったアオサギがいるということは。
ナワーブはぽんと手を打ちつけて納得したように頷いた。
「ああ、焼き鳥の準備か」
「違う‼︎食べないよ!」
「違うのか?」
「どこの世に友達食べる奴がいるのさ!」
「どこの世にサギと友達になるキツネがいんだよ、捕食対象だろうが」
「ここにいるよ!」
「おー、イライどうしたー?」
体が大きいので遅れて岸に上がってきた牡牛が、のんびりとこちらに向かってくる。ナワーブとイライを見て、次に枝の山、最後にアオサギを見て慌てて走り寄ってくる。
「おい⁈おいおい!イソップどうしたんだ!」
「タイミング悪く波に巻き込まれたらしくて、濡れてしまったんだ」
「はあ?水被ったってことか⁈まずいじゃねえか!」
神経質そうなキツネだけでなく、さっきまでどっしりと構えていた牡牛まで慌て始めたのを見て、ナワーブは首を傾げた。
アオサギは水辺に生息する鳥だ。それがびしょ濡れになった程度で何をそんなに騒いでいるのだろう。よく事情は分からないが、しかし確かにアオサギはぐったりとしたまま動かない。
ナワーブとしてはやはり涙の池の件に責任を感じずにはいられないので、キツネに尋ねてみることにする。
「なあ、あんた。イライだったか。さっきから何を困ってるんだ?手を貸せるなら貸すが」
「何って……ああ、君は人間か!キウイかと思った!」
「キウイ?」
ナワーブが眉を顰めていると「鳥だよ」とイライが答える。キウイが何かは後で詳しく聞くとして、それより今は目の前のアオサギだ。
「アオサギって水辺の鳥じゃないのか?なんで死にかけてるんだ?」
「水?とんでもない!彼は水にとても弱いんだ!すぐにでも乾かしてやらないと死んでしまう!だけど火を熾そうにもこの前脚じゃ無理なんだ。だから困っているんだ」
「…………火がつけばいいんだな?」
「そうだけど、こんなずぶ濡れでは」
「いや、多分いける」
ナワーブは肌身離さず持ち歩いている火打金と火打石を取り出す。大雨でも濡れないように装備は常日頃から整えているので、その二つは涙の池の中でも大して濡れてはいなかった。もしかすると、夢だからなのかもしれないとナワーブは思う。
火打石と火打金で枯れ枝に火をつければ、じわじわと炎が大きくなっていく。それを見たイライだけでなく、他の動物たちも歓声を上げて、火の周りに集まってくる。濡れて寒かったのは他の連中も同じだったのだろう。
動物たちが各々枝を持ち寄っていくうちに、小さかった焚き火は全員を乾かすに充分な大きさになっていた。その火を囲む動物達が見守る中、ぱちりとアオサギが目を開いた。
「イソップ!」
「起きたか!」
イライと牡牛が心配そうに覗き込んでいるのを見て、アオサギはむくりと体を起こす。
「……………………」
「良かったよ、イソップ」
「人間が火を熾してくれたんだ。それで助かったんだぞ、お前」
アオサギは話を聞いているのかいないのか、じっとナワーブの顔を見つめた後、があと一声鳴く。そしてぼわりと青い炎がその体を包むと、一瞬で消え失せてしまった。
「…………は?」
一部始終を見ていたナワーブは、思わず間抜けな声を上げてしまう。
今、命を助けたはずのアオサギが、一瞬で燃え尽きて消えたんだが?
ところが、目の前で友人が焼失したはずのイライは、のんびりと座り直すと自身の毛繕いをし始める。牡牛も横になって楽しげに笑っている。
「いやあ、みんなが見てたから恥ずかしがって逃げちゃったみたいだね」
「照れ屋だなあ、あいつ」
「……燃えてたが」
「ああ。そりゃそうだよ。彼は不死鳥だから。火の鳥っていえばいいのかな?」
「あれって赤いんじゃないのか」
「そうなのか?俺たちが知ってるのは青いんだよ」
――俺が知ってるアオサギは火が出たり消えたりしないんだよ。
唖然としているナワーブの頭上に、青く輝く羽根がひらひらと落ちてくる。きらきらとしたそれは素晴らしく美しく見えた。ナワーブは惹かれるがままに、空中でそれを捕まえる。
「……綺麗だな」
「お?おお!すげえなあんた!それ不死鳥の尾羽だぜ!めちゃくちゃ珍しいんだ!」
ぼんやりとナワーブが青い羽根を眺めていると、肩を強く叩かれる。人間の手だった。
いつの間にやら、ナワーブの両隣には見たこともない男が二人、並んで座っている。片方は革の鎧に、雄々しい角のついた牛の兜を被っており、もう片方は黒いキツネの仮面に異民族の黒衣を纏っている。
ナワーブは誰に言われるでもなく、この二人がイライと牡牛であることを認識していた。周囲にいた動物達も、半数が人の形に変わっている。
信じられないような情景なのに、すんなりとそれを受け入れている自分がいる。トレイシーが言った通り、夢だからなにも疑問に思うことがないようだ。
「不死鳥の尾羽ってなんだ」
「助けてくれたお礼だと思う。持ってるといいことが起こるんだ。そのうちに分かるから、大事にするといいよ」
「へえ」
ナワーブは羽根ペンに出来そうだなと思いつつ、尾羽を陽に透かしてみる。お守りだとかそう言うものは信じない質だが、この羽根は気に入った。言われた通りに仕舞い込んでおく。
火にあたっていたお陰で、すっかりとナワーブの服も乾いた。見れば池の水も引いており、元の川の姿を取り戻している。トレイシーは泣き止んだのだろうか?
しかし困ったことに、大分流され泳いでしまったせいで、ナワーブには元いた方向が分からない。あのホールは一体どこにあったのだろうか。大きいままでしょんぼりしている猫又が容易に想像出来て、ナワーブは髪を掻き毟る。
「!」
ふさ、と視界の端で揺れたものに、ナワーブははっとする。もう一度ふさ、と揺れる尻尾。ナワーブが見る先にあるのは、イライの腰から生えたキツネの尻尾だ。
濡れている間は色が濃かったので気にしていなかったのだが、乾いてふさふさになったイライの尾は見事な金色をしている。
「………………」
「どうかしたかい?人間さん」
「イライ、つかぬことを聞くが、お前さっきまでもしかして扉がたくさんあるホールにいたか?」
「うん?ああ、僕の巣はあの白い林にあるからね!それがどうかしたかい?」
「いや、それならいいんだ」
ゆらりゆらりと目の前で揺れる尾に、ナワーブは大きなため息をつく。どうも自分はこの尻尾を泥棒猫のものと間違えて追いかけていたらしい。
――くそ、こっちも振り出しかよ。
ナワーブは顳顬 を抑えて、眉間に皺を寄せる。トレイシーの事も心配だが、元の世界へ帰る方法も大事だし、肘当ても取り返したい。どこから手をつけたものだろう。
頭を抱えて重苦しい雰囲気になったナワーブに、牡牛とイライは顔を見合わせた。
「おい、あんた。なんか悩みでもあるなら聞くぜ?」
「そうだね。僕らとしても、火を熾して貰ったお礼がしたいし」
「…………それならイライ、あんたあの神殿みたいなホールに住処があるって言ったよな?」
「え?うん、そうだね」
「そこで猫又が一匹、天井くらいでっかくなったせいで出れなくなってるんだが」
「ええ?なんでそんなことに?」
「話すと長くなるんだ。それで、どうにか出来ねえか?」
「分かった、すぐ向かうよ」
イライはキツネに姿を変えると、火の玉を残して姿を消した。アオサギと似たような消え方に、だから燃えても誰も驚かなかったのかとナワーブは納得する。ここの奴らは火を残して消えるものなのかもしれない。
じっと牡牛を見ると、「俺はできねえよ」と苦笑を返された。
「人型には変わるのにか?」
「こっちじゃ普通のことだ。濡れたらみんな元の姿に戻るしな」
「ああ……だから火で困ってたのか」
「前脚じゃやれることは限られてるからなあ。んで、イライやイソップは動物とはちょっと違うから特別なんだ」
「さっきまで急に消えたり現れたりする猫と一緒にいたんだが」
「ああ!トレイシーな。あいつもチェシャ猫だからちょっと違うんだ」
「特別な割に大分、鈍臭かったんだが」
「あいつはそう言う意味でも特殊なんだ……猫として致命的って意味で」
「なるほど」
ナワーブは俺の世界の野良猫だったら、あいつ生きていけなさそうだな、と思う。あの肘当て泥棒の猫も鈍臭そうだったが。
牡牛の発言から、こちらの猫が全員そうと言うわけではなさそうだ。あの二匹が特別に鈍臭いのだろう。
ナワーブは周りの動物達をぐるりと見渡してみる。集まってきた動物の中に猫らしい生き物は見なかったが、せめて何か手がかりはないだろうか。
落ち着きなくきょろきょろとしているナワーブに、牡牛は手にした枝を折りながら話しかける。
「なんだ?誰か探してるのか?」
「ああ。尾が長い猫なんだが……あんた知ってるか?」
「ヒントがそれだけじゃあな。尾が長い猫ったって沢山いるしなあ。長靴履いてるとか、目が一つとか、そういう個性がねえと。なんか他に無いのか?」
「他……他と言われてもな。毛足が長い猫だったとしか。あとは、首にリボンをしてたような」
ナワーブは猫の種類に詳しいわけでは無いので、猫の種類までは分からない。とにかく尻尾が長かったことと、毛足が長い種類だった事以外は飼い猫だったくらいしかわからないのだ。
あまり意味をなさないヒントだなとナワーブが額を撫でていると、牡牛は「あー」と声を出す。
「そんなら一匹知ってる。あんたが探してる奴かは分からないけど、リボンしてる毛長の猫なら大公邸にいるぜ」
「本当か!」
「おー。けど気紛れな奴だから行っても会えるかどうかは保証できねえけど」
「それでもいい。確認だけでもしておきたい」
ナワーブの言葉に、牡牛は立ち上がると煉瓦が敷かれた小道を指差した。
「だったら、あれ辿っていきゃいい。そんな遠くないと思う。人間の足でもな」
「そうか、助かる」
「おー。あ、トレイシー来たらそっち行ったって伝えとく!」
話が終わる前に走り出してしまったナワーブの背に、牡牛がそう叫べば「頼んだ」と返ってくる。
人間ってのは随分と慌ただしい生き物なんだなと笑いながら、牡牛は焚き火の側に座り直した。まだ乾き切っていない動物達がいたので、気のいい牡牛は彼らが乾くまで火の番をしてやろうと思ったのだ。
そうして牡牛が暫くの間、新しい枝や木片を焚き火に投げ込んでいると、青い炎が空中に現れた。それはぐるぐると渦巻くと、青の衣服を纏った青年に変わる。彼は酷く不機嫌な顔で、手にずぶ濡れの小さな猫を一匹ぶら下げていた。
ふさふさとした自慢の毛並みも萎み、藍色のリボンも濡れてくちゃくちゃ。すっかり見窄らしくなった猫は、短い脚と長い尾のバランスがちぐはぐでちんちくりんさが際立つ。そんな猫をぎろりと睨み、青年は地を這う様な声で呟いた。
「今日という今日は許さない」
「ご、ごめんにゃさいいい!」
「おー。どうした、イソップ。そんな青筋立ててると血管切れんぞ」
「どうしたもこうしたもない!さっきの洪水の犯人この人だよ!」
不死鳥のイソップが突き出した猫に、牡牛は「あー」と苦笑いを浮かべる。あの人間が「天井くらいでっかくなった」と言っていた時に、十中八九そうなんだろうなとは思っていたのだ。
ぺしゃりとしてる猫又に、牡牛は呆れた溜息をつく。
「トレイシー……お前、ここいら池にすんの何回目だ」
「こ、今回は仕方にゃかったの!人助けしようと思って!」
「その結果僕が死にかけたわけだけど?」
「ごめんにゃさい、ごめんにゃさい!許してよー!棺桶マトリョーシカはやだー!」
「棺桶マトリョーシカ?」
聞き慣れない単語に牡牛が首を捻ると、イソップはじたばたと逃げようとする猫を焚き火の上にぶら下げて、なんでもないように答える。
「チェシャ猫の能力で逃げられないように、特注の棺桶作ったんだ。十五層仕様の棺桶。それで生き埋めにしたらトレイシーさんも流石に反省するかなって」
「イソップくん、それ本当に死人出ちゃうのでは」
「空気穴は空けてある」
「ぎゃー!熱い熱い!イソップ!熱い!」
くるりと尻尾を巻いて炎の熱から逃げようと震え出した猫を牡牛は救出してやる。多分イソップなりに乾かそうとしたのだろうが、あれではトレイシーがこんがりと焼ける方が早い。
トレイシーは牡牛の後ろに隠れると、尻尾を体の下に丸めて小さくなる。
「ううう、ごめんてばぁ」
「口ではなんとでも言える」
トレイシーが謝っても、イソップは不機嫌そうな顔を隠そうともしない。そろそろと顔を出した猫又が機嫌をとるように続ける。
「海老いっぱい獲ってくるよ?」
「…………」
「カニもいる?」
「っ…………」
イソップが少しそわそわとし出したの見て、しめたとトレイシーは思う。アオサギは水棲生物が好物なのに、イソップは水辺に近づけないので、それらを食べられる機会が少ないのだ。
もう一押しと思ったトレイシーは、短い後ろ脚で立ち上がり、前脚を上げて万歳をする。
「ザリガニもつけるよ!」
「今回だけは大目に見るけど次はないから」
イソップは早口でそう答えると、ぱっと姿を消した。ふうとトレイシーは猫の前脚で額を拭う。
「機嫌がにゃおって良かった……」
「お前、これに懲りたらもう池作んなよ。次は生き埋め確定だぞ」
「うう、気をつける」
牡牛の忠告にトレイシーは項垂れる。ここにいる動物達もトレイシーのせいで迷惑を被っているのだから、反省するしかない。助けに来てくれたイライも、水浸しのホールの片付けに追われていた。
そこまで思い出したところで、ハッとしてトレイシーは顔を上げる。そういえば、消えてしまったナワーブはどこに行ったんだろう?気付いたら姿がなかったので、流されてしまったのだとは思うけれど。
トレイシーはきょろきょろと辺りを見廻し、ナワーブの姿を探す。もしかするとここに流れ着いているのではと思ったのだ。しかし、あの草色のフードの姿はどこにも見当たらず、しょんぼりと首を垂れる。
どうしたものかと火の側で蹲ったトレイシーがうんうんと唸っていると、「そういえば」と牡牛が口を開いた。
「さっきここにいた人間なんだが、なんか探してるやつがいるってんで大公邸に向かってったぜ。お前も乾いたら行ってやれよ」
「!ニャワーブここに居たの⁉︎」
「ああ。イライにお前助けるように頼んだのもあいつだ」
「そうだったんだ……!」
トレイシーはひくりとヒゲを揺らした。ナワーブが自分を気にかけてくれていたことが嬉しい。トレイシーはすっくと立ち上がると、ぽてぽてと煉瓦の道に向かっていく。
「もう行くのか?まだ乾いてないだろ」
「走ってるうちに乾くと思うー!教えてくれてありがとウィル!」
「おー」
長い尾を揺らめかせて走っていくトレイシーに手を振りながら、牡牛のウィリアムは「あ」と声をあげる。
「そういや、人間が探してた猫って、トレイシーも当てはまるな?」
「ああ、どうしよう!どうしよう!」
ナワーブが周囲を窺っていると、ぶつぶつとつぶやく声がした。そちらに目をやると、枝を咥えたキツネがおろおろと歩き回っている。キツネは枝を葉や木片が積まれた山に放り投げ、その脇でぐったりとしているアオサギを心配気に見下ろしている。
キツネが枯れ枝を集めて積み上げて、その向こうに弱ったアオサギがいるということは。
ナワーブはぽんと手を打ちつけて納得したように頷いた。
「ああ、焼き鳥の準備か」
「違う‼︎食べないよ!」
「違うのか?」
「どこの世に友達食べる奴がいるのさ!」
「どこの世にサギと友達になるキツネがいんだよ、捕食対象だろうが」
「ここにいるよ!」
「おー、イライどうしたー?」
体が大きいので遅れて岸に上がってきた牡牛が、のんびりとこちらに向かってくる。ナワーブとイライを見て、次に枝の山、最後にアオサギを見て慌てて走り寄ってくる。
「おい⁈おいおい!イソップどうしたんだ!」
「タイミング悪く波に巻き込まれたらしくて、濡れてしまったんだ」
「はあ?水被ったってことか⁈まずいじゃねえか!」
神経質そうなキツネだけでなく、さっきまでどっしりと構えていた牡牛まで慌て始めたのを見て、ナワーブは首を傾げた。
アオサギは水辺に生息する鳥だ。それがびしょ濡れになった程度で何をそんなに騒いでいるのだろう。よく事情は分からないが、しかし確かにアオサギはぐったりとしたまま動かない。
ナワーブとしてはやはり涙の池の件に責任を感じずにはいられないので、キツネに尋ねてみることにする。
「なあ、あんた。イライだったか。さっきから何を困ってるんだ?手を貸せるなら貸すが」
「何って……ああ、君は人間か!キウイかと思った!」
「キウイ?」
ナワーブが眉を顰めていると「鳥だよ」とイライが答える。キウイが何かは後で詳しく聞くとして、それより今は目の前のアオサギだ。
「アオサギって水辺の鳥じゃないのか?なんで死にかけてるんだ?」
「水?とんでもない!彼は水にとても弱いんだ!すぐにでも乾かしてやらないと死んでしまう!だけど火を熾そうにもこの前脚じゃ無理なんだ。だから困っているんだ」
「…………火がつけばいいんだな?」
「そうだけど、こんなずぶ濡れでは」
「いや、多分いける」
ナワーブは肌身離さず持ち歩いている火打金と火打石を取り出す。大雨でも濡れないように装備は常日頃から整えているので、その二つは涙の池の中でも大して濡れてはいなかった。もしかすると、夢だからなのかもしれないとナワーブは思う。
火打石と火打金で枯れ枝に火をつければ、じわじわと炎が大きくなっていく。それを見たイライだけでなく、他の動物たちも歓声を上げて、火の周りに集まってくる。濡れて寒かったのは他の連中も同じだったのだろう。
動物たちが各々枝を持ち寄っていくうちに、小さかった焚き火は全員を乾かすに充分な大きさになっていた。その火を囲む動物達が見守る中、ぱちりとアオサギが目を開いた。
「イソップ!」
「起きたか!」
イライと牡牛が心配そうに覗き込んでいるのを見て、アオサギはむくりと体を起こす。
「……………………」
「良かったよ、イソップ」
「人間が火を熾してくれたんだ。それで助かったんだぞ、お前」
アオサギは話を聞いているのかいないのか、じっとナワーブの顔を見つめた後、があと一声鳴く。そしてぼわりと青い炎がその体を包むと、一瞬で消え失せてしまった。
「…………は?」
一部始終を見ていたナワーブは、思わず間抜けな声を上げてしまう。
今、命を助けたはずのアオサギが、一瞬で燃え尽きて消えたんだが?
ところが、目の前で友人が焼失したはずのイライは、のんびりと座り直すと自身の毛繕いをし始める。牡牛も横になって楽しげに笑っている。
「いやあ、みんなが見てたから恥ずかしがって逃げちゃったみたいだね」
「照れ屋だなあ、あいつ」
「……燃えてたが」
「ああ。そりゃそうだよ。彼は不死鳥だから。火の鳥っていえばいいのかな?」
「あれって赤いんじゃないのか」
「そうなのか?俺たちが知ってるのは青いんだよ」
――俺が知ってるアオサギは火が出たり消えたりしないんだよ。
唖然としているナワーブの頭上に、青く輝く羽根がひらひらと落ちてくる。きらきらとしたそれは素晴らしく美しく見えた。ナワーブは惹かれるがままに、空中でそれを捕まえる。
「……綺麗だな」
「お?おお!すげえなあんた!それ不死鳥の尾羽だぜ!めちゃくちゃ珍しいんだ!」
ぼんやりとナワーブが青い羽根を眺めていると、肩を強く叩かれる。人間の手だった。
いつの間にやら、ナワーブの両隣には見たこともない男が二人、並んで座っている。片方は革の鎧に、雄々しい角のついた牛の兜を被っており、もう片方は黒いキツネの仮面に異民族の黒衣を纏っている。
ナワーブは誰に言われるでもなく、この二人がイライと牡牛であることを認識していた。周囲にいた動物達も、半数が人の形に変わっている。
信じられないような情景なのに、すんなりとそれを受け入れている自分がいる。トレイシーが言った通り、夢だからなにも疑問に思うことがないようだ。
「不死鳥の尾羽ってなんだ」
「助けてくれたお礼だと思う。持ってるといいことが起こるんだ。そのうちに分かるから、大事にするといいよ」
「へえ」
ナワーブは羽根ペンに出来そうだなと思いつつ、尾羽を陽に透かしてみる。お守りだとかそう言うものは信じない質だが、この羽根は気に入った。言われた通りに仕舞い込んでおく。
火にあたっていたお陰で、すっかりとナワーブの服も乾いた。見れば池の水も引いており、元の川の姿を取り戻している。トレイシーは泣き止んだのだろうか?
しかし困ったことに、大分流され泳いでしまったせいで、ナワーブには元いた方向が分からない。あのホールは一体どこにあったのだろうか。大きいままでしょんぼりしている猫又が容易に想像出来て、ナワーブは髪を掻き毟る。
「!」
ふさ、と視界の端で揺れたものに、ナワーブははっとする。もう一度ふさ、と揺れる尻尾。ナワーブが見る先にあるのは、イライの腰から生えたキツネの尻尾だ。
濡れている間は色が濃かったので気にしていなかったのだが、乾いてふさふさになったイライの尾は見事な金色をしている。
「………………」
「どうかしたかい?人間さん」
「イライ、つかぬことを聞くが、お前さっきまでもしかして扉がたくさんあるホールにいたか?」
「うん?ああ、僕の巣はあの白い林にあるからね!それがどうかしたかい?」
「いや、それならいいんだ」
ゆらりゆらりと目の前で揺れる尾に、ナワーブは大きなため息をつく。どうも自分はこの尻尾を泥棒猫のものと間違えて追いかけていたらしい。
――くそ、こっちも振り出しかよ。
ナワーブは
頭を抱えて重苦しい雰囲気になったナワーブに、牡牛とイライは顔を見合わせた。
「おい、あんた。なんか悩みでもあるなら聞くぜ?」
「そうだね。僕らとしても、火を熾して貰ったお礼がしたいし」
「…………それならイライ、あんたあの神殿みたいなホールに住処があるって言ったよな?」
「え?うん、そうだね」
「そこで猫又が一匹、天井くらいでっかくなったせいで出れなくなってるんだが」
「ええ?なんでそんなことに?」
「話すと長くなるんだ。それで、どうにか出来ねえか?」
「分かった、すぐ向かうよ」
イライはキツネに姿を変えると、火の玉を残して姿を消した。アオサギと似たような消え方に、だから燃えても誰も驚かなかったのかとナワーブは納得する。ここの奴らは火を残して消えるものなのかもしれない。
じっと牡牛を見ると、「俺はできねえよ」と苦笑を返された。
「人型には変わるのにか?」
「こっちじゃ普通のことだ。濡れたらみんな元の姿に戻るしな」
「ああ……だから火で困ってたのか」
「前脚じゃやれることは限られてるからなあ。んで、イライやイソップは動物とはちょっと違うから特別なんだ」
「さっきまで急に消えたり現れたりする猫と一緒にいたんだが」
「ああ!トレイシーな。あいつもチェシャ猫だからちょっと違うんだ」
「特別な割に大分、鈍臭かったんだが」
「あいつはそう言う意味でも特殊なんだ……猫として致命的って意味で」
「なるほど」
ナワーブは俺の世界の野良猫だったら、あいつ生きていけなさそうだな、と思う。あの肘当て泥棒の猫も鈍臭そうだったが。
牡牛の発言から、こちらの猫が全員そうと言うわけではなさそうだ。あの二匹が特別に鈍臭いのだろう。
ナワーブは周りの動物達をぐるりと見渡してみる。集まってきた動物の中に猫らしい生き物は見なかったが、せめて何か手がかりはないだろうか。
落ち着きなくきょろきょろとしているナワーブに、牡牛は手にした枝を折りながら話しかける。
「なんだ?誰か探してるのか?」
「ああ。尾が長い猫なんだが……あんた知ってるか?」
「ヒントがそれだけじゃあな。尾が長い猫ったって沢山いるしなあ。長靴履いてるとか、目が一つとか、そういう個性がねえと。なんか他に無いのか?」
「他……他と言われてもな。毛足が長い猫だったとしか。あとは、首にリボンをしてたような」
ナワーブは猫の種類に詳しいわけでは無いので、猫の種類までは分からない。とにかく尻尾が長かったことと、毛足が長い種類だった事以外は飼い猫だったくらいしかわからないのだ。
あまり意味をなさないヒントだなとナワーブが額を撫でていると、牡牛は「あー」と声を出す。
「そんなら一匹知ってる。あんたが探してる奴かは分からないけど、リボンしてる毛長の猫なら大公邸にいるぜ」
「本当か!」
「おー。けど気紛れな奴だから行っても会えるかどうかは保証できねえけど」
「それでもいい。確認だけでもしておきたい」
ナワーブの言葉に、牡牛は立ち上がると煉瓦が敷かれた小道を指差した。
「だったら、あれ辿っていきゃいい。そんな遠くないと思う。人間の足でもな」
「そうか、助かる」
「おー。あ、トレイシー来たらそっち行ったって伝えとく!」
話が終わる前に走り出してしまったナワーブの背に、牡牛がそう叫べば「頼んだ」と返ってくる。
人間ってのは随分と慌ただしい生き物なんだなと笑いながら、牡牛は焚き火の側に座り直した。まだ乾き切っていない動物達がいたので、気のいい牡牛は彼らが乾くまで火の番をしてやろうと思ったのだ。
そうして牡牛が暫くの間、新しい枝や木片を焚き火に投げ込んでいると、青い炎が空中に現れた。それはぐるぐると渦巻くと、青の衣服を纏った青年に変わる。彼は酷く不機嫌な顔で、手にずぶ濡れの小さな猫を一匹ぶら下げていた。
ふさふさとした自慢の毛並みも萎み、藍色のリボンも濡れてくちゃくちゃ。すっかり見窄らしくなった猫は、短い脚と長い尾のバランスがちぐはぐでちんちくりんさが際立つ。そんな猫をぎろりと睨み、青年は地を這う様な声で呟いた。
「今日という今日は許さない」
「ご、ごめんにゃさいいい!」
「おー。どうした、イソップ。そんな青筋立ててると血管切れんぞ」
「どうしたもこうしたもない!さっきの洪水の犯人この人だよ!」
不死鳥のイソップが突き出した猫に、牡牛は「あー」と苦笑いを浮かべる。あの人間が「天井くらいでっかくなった」と言っていた時に、十中八九そうなんだろうなとは思っていたのだ。
ぺしゃりとしてる猫又に、牡牛は呆れた溜息をつく。
「トレイシー……お前、ここいら池にすんの何回目だ」
「こ、今回は仕方にゃかったの!人助けしようと思って!」
「その結果僕が死にかけたわけだけど?」
「ごめんにゃさい、ごめんにゃさい!許してよー!棺桶マトリョーシカはやだー!」
「棺桶マトリョーシカ?」
聞き慣れない単語に牡牛が首を捻ると、イソップはじたばたと逃げようとする猫を焚き火の上にぶら下げて、なんでもないように答える。
「チェシャ猫の能力で逃げられないように、特注の棺桶作ったんだ。十五層仕様の棺桶。それで生き埋めにしたらトレイシーさんも流石に反省するかなって」
「イソップくん、それ本当に死人出ちゃうのでは」
「空気穴は空けてある」
「ぎゃー!熱い熱い!イソップ!熱い!」
くるりと尻尾を巻いて炎の熱から逃げようと震え出した猫を牡牛は救出してやる。多分イソップなりに乾かそうとしたのだろうが、あれではトレイシーがこんがりと焼ける方が早い。
トレイシーは牡牛の後ろに隠れると、尻尾を体の下に丸めて小さくなる。
「ううう、ごめんてばぁ」
「口ではなんとでも言える」
トレイシーが謝っても、イソップは不機嫌そうな顔を隠そうともしない。そろそろと顔を出した猫又が機嫌をとるように続ける。
「海老いっぱい獲ってくるよ?」
「…………」
「カニもいる?」
「っ…………」
イソップが少しそわそわとし出したの見て、しめたとトレイシーは思う。アオサギは水棲生物が好物なのに、イソップは水辺に近づけないので、それらを食べられる機会が少ないのだ。
もう一押しと思ったトレイシーは、短い後ろ脚で立ち上がり、前脚を上げて万歳をする。
「ザリガニもつけるよ!」
「今回だけは大目に見るけど次はないから」
イソップは早口でそう答えると、ぱっと姿を消した。ふうとトレイシーは猫の前脚で額を拭う。
「機嫌がにゃおって良かった……」
「お前、これに懲りたらもう池作んなよ。次は生き埋め確定だぞ」
「うう、気をつける」
牡牛の忠告にトレイシーは項垂れる。ここにいる動物達もトレイシーのせいで迷惑を被っているのだから、反省するしかない。助けに来てくれたイライも、水浸しのホールの片付けに追われていた。
そこまで思い出したところで、ハッとしてトレイシーは顔を上げる。そういえば、消えてしまったナワーブはどこに行ったんだろう?気付いたら姿がなかったので、流されてしまったのだとは思うけれど。
トレイシーはきょろきょろと辺りを見廻し、ナワーブの姿を探す。もしかするとここに流れ着いているのではと思ったのだ。しかし、あの草色のフードの姿はどこにも見当たらず、しょんぼりと首を垂れる。
どうしたものかと火の側で蹲ったトレイシーがうんうんと唸っていると、「そういえば」と牡牛が口を開いた。
「さっきここにいた人間なんだが、なんか探してるやつがいるってんで大公邸に向かってったぜ。お前も乾いたら行ってやれよ」
「!ニャワーブここに居たの⁉︎」
「ああ。イライにお前助けるように頼んだのもあいつだ」
「そうだったんだ……!」
トレイシーはひくりとヒゲを揺らした。ナワーブが自分を気にかけてくれていたことが嬉しい。トレイシーはすっくと立ち上がると、ぽてぽてと煉瓦の道に向かっていく。
「もう行くのか?まだ乾いてないだろ」
「走ってるうちに乾くと思うー!教えてくれてありがとウィル!」
「おー」
長い尾を揺らめかせて走っていくトレイシーに手を振りながら、牡牛のウィリアムは「あ」と声をあげる。
「そういや、人間が探してた猫って、トレイシーも当てはまるな?」