今じゃないだろ

「んぅ?」
コンコンというノックの音で目が覚めたトレイシーは、目を擦りながら扉を開いた。
「おはようトレイシー」
「おはよーイライ」
鏡も確認せずに出たトレイシーは、昨日の格好のままだった。折角の新衣装がぐしゃぐしゃになっているがトレイシーだから仕方ない。朝に起きてくれたことの方が珍しいのだ。イライは気にせずに持ってきたブーツと髪飾りを手渡す。
「はい、落とし物届けにきたよ」
「ありがとー、って落としもの……??」
寝ぼけたまま差し出されたものを受け取り、トレイシーは顔を上げる。よく寝たお陰で覚醒は一瞬だった。
目を閉じて数秒のうちに昨日の記憶を掘り返す。といってもところどころうろ覚えなわけだが。それでも思い出せたことを繋ぎ合わせて、トレイシーはうんと頷く。
「ブーツで踏む予定はなくなったかな」
「なんの話?」
「こっちの話。イライ、ナワーブ見た?」
「朝ごはん食べた後は見てないなぁ。なんか機嫌は良くなさそうだったけど……」
「そっか」
機嫌悪いのか、とトレイシーは抱えたブーツに視線を落とす。
ぶつ切れの記憶の最後があれなので、ナワーブとどう顔を合わせたものかと思っていたのだけど。機嫌、悪いんだ。怒らせちゃったのかな、それとも嫌だったのかな。嬉しくてついやってしまったんだけど。
イライはブーツの留め具を弄り、考え込んでいるトレイシーの顔を覗き込んだ。
「トレイシー、着替えておいで。朝ごはんを食べよう」
「え」
「昨日の昼から食べてないよね。だから朝はしっかり食べないと。そしたらお話をしよう。……聞いて欲しいことが、あるんじゃないかい?」
「……うん」
こくりと頷き、トレイシーは「待ってて」と扉を閉じた。
どたんばたんとする音を聴きながら、イライは壁に寄りかかって、ふっと笑う。
「クルル……」
「うん。トレイシーは素直でいい子なのに、あっちは本当にダメだよねえ」
肩に止まった相棒が、返事をするように短く鳴く。指を差し出すと、フクロウは甘えるように顔を擦り付ける。
さっき食堂で会ったナワーブは目深にフードを被り、機嫌の悪さを隠そうともしていなかった。何かあったんだろうなと話しかけてみたけれど「お前には関係ない」の一言でどこかに消えてしまった。
――彼がそう答える前に、たっぷり20秒ぐらいの沈黙があったわけだけど。
「アドバイスした責任くらい取ってあげたんだけどなあ」
「ピュイ」
「ん?甘やかすなってこと?」
かじかじと指を弱く齧られ、イライは相棒の言わんとすることを感じ取り苦笑する。
ナワーブに親切にしたいわけじゃなくて、どっちかっていうとトレイシーが可哀想に思えてしまうから、ついつい口出ししたくなっちゃうんだよなあ。彼の、あのハンターに突っ込んでいく勇ましさはどこに行くんだ、本当に。
イライがうーんと唸る横で、フクロウは知らん顔で羽繕いを始める。そんなもの、悩むだけ無駄だといった態度だ。









「……って感じで甘えた仕草が可愛くてねえ」
「ふーん、やるねトレイシー」
頬に手を当ててしみじみと語るデミに、イライはふむふむと頷きながら温かいコーヒーを啜る。
トレイシーが朝食を食べている間、イライは恥ずかしがりのこの子からどう話を聞き出そうかと思っていたのだ。すると「おかわりはいかが?」とコーヒーのポットを手にしたデミが現れた。イライと目が合うとウインクをする。
あ、これはなにか知っていると思い、「いただくよ」と返し、今に至る。
「デ、デミっ……もういい……!」
自分が寝ぼけてしでかした事の全容を語られ、トレイシーはフォークを手にしたまま突っ伏してしまう。ふんわりとは覚えていたけれど、まじまじと語られると辛いし、あれをナワーブだけじゃなくデミにも見られていたのかと思うと恥ずかし過ぎる。
それに、自分がお姫様抱っこで如何に大事そうに運ばれたかを他人の目線で朗々と語られるのも耐え難い。むず痒さで逃げ出したい。ちょっぴり「大事そうにされてたのか」と嬉しくも思うけど!
イライとデミはのんびりとした雰囲気だけど、トレイシーは食事が一切喉を通らない。
「あ、おかわりもらっていいかい?」
イライが差し出したカップに中身を注ごうとして、ポットが空な事にデミが気付く。
「あら、ちょっと取ってくるわね。トレイシーもおかわりいる?」
「いる……」
喉が干上がる気分だったトレイシーのグラスも、オレンジジュースは殆ど残っていなかった。
「オーケー」と席を立ったデミ。トレイシーはこの隙にと顔を上げ、ベーコンエッグの皿を抱えて残りを口に掻き込んだ。デミの語りがある限り、いつまで経っても食事が終わらない。ご飯が残っている限り席も立てないので、片付けるなら今しかない。
頬いっぱいに朝食を詰め込むトレイシーに、リスみたいだなとイライは思う。邪魔したら悪いので口にはしないが。
トレイシーがスープを皿から直接飲み干して口を拭ったところで、デミが「お待たせ」と戻ってきた。ーーなぜか人型のルキノを伴って。
「はーい、イライおかわりどうぞ」
「ありがとう」
「君のおかわりもあるぞ」
「あ、ありがとう……」
ジュースの入った水差しを差し出すルキノに、取り敢えずトレイシーはお礼を言う。しかしその後、隣の席に着いた男に無言でもの言いたげな視線を送る。
「………………」
「私の事は気にしないでいいぞ」
「気になるんだよ」
「困ったな。私はサベダーと違ってロリコンの気は無いんだが」
「ルーキーノー!」
真顔で戯けるルキノに、トレイシーはごんごんと空のグラスをテーブルに叩きつける。しかしルキノはトレイシーの怒りも気にせずに肘をついて寛いだ姿勢を取る。
「仕方ないだろう、耳がいいもので話が筒抜けなんだ。どうせなら盗み聞きではなく堂々と聞こうかと」
「聞こえないとこに行けばいいじゃん!」
「続きが気になる」
「もー!!」
この大人、ああいえばこう言う!!
食堂は荘園にいる全員が一度に揃っても食事ができるように、広く造られている。実際に揃うことは稀だが、朝食の後もそのままカフェスペースとして使うものもいる為、無人になることは滅多にない。
今も広い空間で過ごしているメンバーはそれなりにいた。トレイシー達は隅の方にいるし、周りには人がいないので大丈夫と思っていたのだが、トカゲの聴力を舐めていた。
「それで、その後ナワーブはどうしたのかな」
「もー、それがトレイシーに見惚れちゃって動かないの!思わずこう、がんって」
「容赦ないな」
「ううう……!」
聞き手が増えたことで、よりデミの語りは盛り上がっている。他者から語られる自分達のやりとりに、トレイシーの恥ずかしさも倍増だ。喉の乾きも酷くなり、トレイシーはグラスになみなみとジュースを注ぎ、一気に飲み干す。
そんな甘々な感じになってたのか自分。子供じゃないのに、本当になにをしているのか。その場に今の自分が居たら、起きろって全力で頬を叩いてやるのに。
悔やんでも悔やんでももうやってしまったことだ。本当に次にナワーブと顔を合わせる時、どうしたらいいんだろう。
「……で、アドバイスだけして部屋を出たんだけど」
「ということは続きは君が語るしかないようだ」
「…………なにが?」
トレイシーはルキノに肩を叩かれ、ぐるぐると沈んでいた思考の海から浮上する。途中から話を聞いていなかったので、トレイシーは何故3人が自分を見ているのか分からない。
ルキノは「聞いてなかったのか」と呆れ顔でため息をつく。
「その集中力は素晴らしいとは思うが、隣で君の色恋話で盛り上がっているのによく他のことが考えられるな」
「聞いてられないから他のこと考えてたんだよ、先生」
「主役がそれでは困るな。子供じゃないと男の腕を抱え込んで誘惑した後の話を頼む」
「ゆっ……言い方!」
むすっとした顔でルキノに怒るトレイシーを見て、イライは少し驚いている。
この手の話を聞き出す時、トレイシーが自分で言い出せるようになるまでイライは根気よく待つしか無かったのだ。それをルキノ相手だとトレイシーはムッとしながらもぽんぽんと言い返している。
次からドゥルギさんも協力してもらおう。そうしよう。イライがそう思っていると、同意するようにくるると相棒のフクロウも鳴く。
「まあまあトレイシー。それで?あのあとサベダーはちゃんと褒めてくれた?」
デミがトレイシーを宥めて、話の先を促す。優しい声と顔で尋ねるデミは、普段の元気な看板娘と打って変わって、安心できるお姉さんといった雰囲気だ。トレイシーは釣り上げていた眉毛をへにゃりと下げて、薄っすらと赤くなった顔を空のグラスに隠す。
「……き、綺麗だと思うって、言ってくれた……」
俯いてぽそぽそと喋るトレイシーの声は、向かいに座るイライの耳にギリギリ届いた。それを聞いてイライは目立たないように拳を握りガッツポーズをする。
よく言った、ナワーブ……!アドバイス受けるまで気付かないとこはやっぱダメだけど!それでもヘタレ返上は出来そうだ。
「それで、その……本当は着替えたとこ見てて……でも、ルカ達といたから、嫉妬したって……言われて……」
「おお……」
「ナワーブと同じ時の服って、最近あんまりなくて……イライとか何回も来てるのにって……えっと、で、その……そう思ったら、面白くなかったって……お揃いが、羨ましかったって……」
どんどん赤くなっていく顔に、小さくなっていく声。トレイシーは話すことに必死で気付いていないが、デミは前のめりになっているし、ルキノもいつも通りの表情ではあるが、ふむふむと楽しげに相槌を打っている。
イライはそこまで素直にナワーブが本音を話していたとは思っていなかったので、少し感動すら覚えている。だがそうなると、何故あんなにナワーブが不機嫌だったのかと疑問が残る。
「森にいたのは、その……私なら絶対に見せにくるって、思ってたからだって……そしたらひ、独り占め出来るって……」
「おわぁ……」
「ヘタレという割には独占欲が強いな」
「それを表に出さないからヘタレと」
「なるほど」
「しっ」
デミが見開いた目で人差し指を口に当てるので、ルキノとイライは口を噤んだ。デミの瞳孔が開いてて本当に怖い。
トレイシーは赤く染まった頬にグラスを押し当てた。熱すぎて火が出そうだ。少しでもこの熱がグラスに移ればいいのに。
寝ぼけてたから、あの時はただただ嬉しいなって気持ちしかなかったけど、改めてナワーブに言われた事を思い返すと、とんでもなく強烈な告白だったんだと思い知る。
今更ながら、喜びたい気持ちと恥ずかしさでのたうち回りたい気分だ。
「それで、その後はどうなったの?」
もじもじとしたまま、黙り込んでしまったトレイシーにデミは優しく続きを促す。声の調子は優しいけれど、やっぱり目は爛々としている。髪を弄る振りをして、真っ赤になった耳と頬を誤魔化そうとするトレイシーは気づいていなかったけれど。
「えっと…………」
「うん?」
「あの、その……うう……」
話そうと口を開くけど、恥ずかしがって俯くという行動を繰り返す。短気な相手ならイライラしただろうけど、ここにいるメンバーは全員待ちの構えでいる。デミは職業柄慣れているし、イライも相談慣れしている。ルキノは単にこれはこれで面白いと思っているので動じることはない。
だから、たっぷりと迷う時間をもらえたトレイシーは意を決して口を開いた。
「こ、子供じゃない?って聞いたの……そしたら、頷いてくれたから……」
「うん」
「あの、それで……う、嬉しくなっちゃって……だから、な、ナワーブのほっぺに、キス、しちゃったの……で、その後、覚えてないから、多分寝ちゃった、かも……」
「……」
「……」
「……」
ぎゅううっと目を閉じて消え入る様な声でトレイシーはそう言うと顔を覆って俯いてしまった。耳は完全に赤くなっている。
ルキノはトレイシーのグラスにジュースを注いでやり、労うように肩を叩いた。揶揄う気が起きないくらい初心な内容で一層微笑ましい。
向かいのデミを見れば、肩を震わせて突っ伏しているので、恐らく笑いたいのを必死に堪えているのかもしれない。煮え切らない態度を取り続けていた男が奮闘した結末は、デミには喜劇にしかならない。
イライはというと、こちらは虚空を見上げて遠い目をしている。……目は見えないけど。
ルキノと目が合うと、イライはなんとも哀愁漂う笑顔を取り繕う。
「どうした、そんなに老け込んで」
「僕若いよ、まだ。いやその、ナワーブが不機嫌だった理由はっきりしたなって……」
普段は多くを語らないし、本音も見せない男がそれだけの事をぶちまけたのだ。覚悟を決めて、告白する流れだったんじゃないだろうか、それ。
いよいよというところで、トレイシーに先手で不意打ちされた上に、夢の世界に逃げられた訳だ。そりゃあ、不機嫌にもなる、仕方がない。今回ばかりは同情する。
イライの言葉に、おずおずとトレイシーは顔を上げる。
「ううう……ナワーブ怒ってるかなあ?」
「怒っては、いないと思うよ」
ただ機嫌が悪いだけで。あと照れ隠しもあるかもしれない。どちらにしろしばらくトレイシーの前には出てこないかもしれない。
「ふう、危なかった……」
トレイシーがグラスに手を伸ばす余裕が出来た頃、ようやく突っ伏していたデミが体を起こした。笑いの虫が収まったらしい。
「なにが危なかったの?」
「いやいや気にしないで、今夜もお酒が美味しいなって思って」
「??飲み過ぎない方がいいよ?」
「うんうん、気をつけるよ」
デミはにっこりと笑ってみせる。ナワーブに関しちゃいいおもちゃだと思ってるけど、トレイシーの可愛い恋は純粋に応援してやりたい。
ルキノは「ところで」と気になっていたことを尋ねる。
「トレイシー、君は寝ぼけていた割によく話の内容を覚えているな」
「あ、うん。お父さんにもよく驚かれてた。読み聞かせしてた本の内容最後まで覚えてたから、寝てたはずなのにって」
「耳からの情報を記憶しやすいタイプなのかもね」
「半分くらい寝てそうな感じだったから、私も覚えてるとは思ってなかったわ」
「えへへ」
照れたように笑うトレイシーだったが、ルキノは「ううむ」と唸る。なにか考え込んでいるようだ。
「?ルキノ?どうしたの?」
「彼女と同じことをサベダーも思っているんじゃないか?つまり君が昨夜のことを覚えてないと」
「…………多分、そう思ってる、はず」
イライは今朝見たナワーブの態度から、そう予想する。あの態度は行きどころのない感情を持て余してると感じた。トレイシー本人に八つ当たりするわけにもいかないし、だから誰にも会わない時間帯に朝食を取りに来ていたのだろう。
デミはそれを聞いて、眉を顰める。
「そうか、そうだよね。ただトレイシーが寝て終わっただけなら起きるまで待ってればいい話だもの」
「告白したことを流されたからじゃなくて、覚えてないと思ってるなら……あの彼の沈黙の意味も分かるな。話そうかどうしようか悩んでた訳だ」
「ということは、つまり今、君が語ったことは誰も知らない筈の内容なんだ」
ルキノにぴっと指さされたトレイシーは、ひくりと頬を引き攣らせる。
喋っちゃった、喋っちゃったよ私!二人しか知らないはずの事を!
トレイシーは両手をぱんと打ち合わせて3人に頭を下げる。
「お願い!このことは言わないで!!本当に誰にも言わないで!!お願いお願い!!」
必死に拝んで頼み込むトレイシーに、ルキノは興味が無さそうに額を撫でる。
「ただ好奇心で聞きに来ただけで元より言いふらす趣味は私は無いよ」
「僕はそんなに信用ない?トレイシー」
「そんなことないけど……」
イライには毎回相談に乗ってもらってる。当然口が軽い人じゃないのは分かってるけど、自分よりもナワーブの側にいることが多いので不安なものは不安なのだ。
最後にちら、とデミに視線を送る。デミはというとよしよしとトレイシーの頭を撫でて、安心させるように笑う。
「可愛い女の子の相談話を言いふらす様なことはしないよ。ダメ男の恋愛失敗話なら面白おかしく広めちゃうけどね」
ウインクするデミにトレイシーは安堵した表情でこくりと頷く。
「でもトレイシー、君が覚えてることを彼に言うのか、覚えていないふりをするのかははっきりさせないといけないよ」
「う、うん」
「私としては拗らせない方がいいとは思うが、まあ知らぬ振りで焦らすのも恋愛のテクニックかもしれない」
「そんな上級なこと出来ないよ……」
惑わす様なことを言うルキノに、トレイシーは抱え込んだグラスの縁を噛む。
知らないふりをするならいつもと同じ態度でいればいいだけだ。でもそれならほっぺのキスのこともなかったことにしないといけない。赤くならずにナワーブの前で立ち回れるだろうか。
覚えてることを正直に言うなら……その場合はどうしたらいいんだろう。
その疑問をトレイシーは思い切って3人にぶつけてみる。ここまで話したんなら、相談に乗ってもらえるのはこのメンバーしかいない。
「ねえ、その、覚えてるって言ったらその時はどうしたらいいのかな」
「つまり、キスのお返しが欲しいと」
「ち、ちがっ!」
「違うのか?」
「うっ……」
ルキノが不思議そうな顔をするので、言葉に詰まる。本当にこの大人は痛いとこを突いてくる。そう言う訳じゃないけど、そうじゃないわけでもない。それを自分から言うのは、トレイシーには勇気がちょっと足りない。
「まあまあ。あんま苛めてやりなさんな。トレイシーは、サベダーのレアな告白を聞いちゃったことをどう伝えたらいいのか悩んでるんじゃないかい?」
「うん、そう」
「いつも通りでいいんじゃない?」
「い、いつも通り……って?」
あっけらかんと答えるデミに、トレイシーは何を言っているんだという顔を向ける。
「『ナワーブ私も大好き愛してる』って飛びつけば良くない?」
「そんな事言ってないよ?!!」
「そうだよ、バーボンさん。飛びついてはいたけど」
「飛びついてはいたな」
トレイシーも飛びついたことは認める。嬉しくなると飛びつきたくなるのだから仕方ない。
でもそれもナワーブがいっつも隙だらけの背中を向けているからで、怒らないと分かっているからやっていることだ。今回のはちょっと訳が違う。
悶々と悩んでいるトレイシーに、ルキノは呆れた顔で頬杖をつく。
「君、あれだな。追いかける恋愛は好きだけど正面切って向かってこられるの苦手なタイプだな?」
「ううう、そんなの分かんないよ、初めてだもん……」
「……へえ、初めて」
「初めてと、ほう」
「繰り返さないでよ!」
デミとルキノがにま、と笑うのを見てトレイシーはグラスをテーブルに叩きつける。これだからイライ以外に相談したくなかったんだ。面白がられるから!
「でも一番簡単な解決方法なのは本当よ?」
「まだるっこしい説明は一切いらないな、確かに」
「そうだけどお……!」
トレイシーは剥れた顔で片頬をテーブルに押し付ける。
そんなことできるなら最初に自分から告白してる。好きって思いは伝えられるけど、恋愛の感情を伝えるのは別なのだ。
下心がなかったとは言わないけれど、妹扱いなのにぬくぬく甘えていたことも確かなのだ。実際はそんな事なくて向こうもそういう感情だったわけだけど。
分かってしまった今、なかなかいつも通りとはいかない。
すっかり煮詰まった顔で唸り始めたトレイシーに、イライは仕方ないなと肩を竦める。
「トレイシー、そんなに悩むなら今日一日じっくり考えてみるといいよ。幸い今日はゲームもないよね?」
「うん、無い……」
「先延ばしにできる問題じゃないけど、急いでも仕方ないしね。あの様子だとしばらくナワーブ隠れてるだろうし。トレイシーの覚悟が決まったら捕まえてきてあげるから」
イライの言葉に答えるように、フクロウが一声鳴いてみせる。あ、サベダー側の事情はどうでもいいんだとルキノは思う。クラークは優しい顔して男の扱いが大分雑だ。
トレイシーは顔を上げないまま、目を閉じて「そうする……」とだけ答えた。
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