今じゃないだろ

「ん……って、どわ!!」
ナワーブが目を覚ますと、目の前にウィリアム、ノートン、イライの三人が並んでしゃがんでいた。咄嗟に腕に抱えていたものに力を込める。
「んん……」
「は?!」
腕の中から呻く声がして、視線を向ければ寝入っているトレイシーがいた。
どう言う状況だ??!
ナワーブは混乱してトレイシーと三人を交互に見やる。森で昼寝してたのは覚えてる。そこから何故こんなことになっているのかが分からない。
トレイシーの格好から新衣装を見せに来たのであろうことは分かるが、何故靴やら髪飾りが散乱しているのか。なにかしたかと思うが、幸いにお互いの着衣に乱れはない。
一人ワタワタしてるナワーブを黙って見ていたノートンが、くつくつと耐えきれずに笑い出す。
「考えてることが全部顔に出てる」
「寝ぼけてる時の方が大胆とはとんだヘタレ」
「寝ながら撫で回してるあたりやっぱムッツリだろ」
「お、お前ら」
好き放題言っている三人に怒鳴り返したいが、腕の中ですやすやと眠っている存在を起こすのも忍びなく、ナワーブは呻くことしかできない。
よっこらせとイライは立ち上がる。なかなか帰ってこないトレイシーを探しに来たわけだが、この状況を面白がった二人に付き合って、ずっとナワーブが起きるのを待っていたのだ。
「そんで、どうなんだナワーブ」
「なにがだ?」
「トレイシーのその格好見て、なんかないの」
「あ?ああー……なんかちょっとこいつらしくない衣装だな」
「他には」
「……触り心地はいい」
「変態か」
「そう言う意味じゃねえ」
ウィリアムに胡乱な目を向けられて、慌てて否定をする。
まだ頭が完全に起きていないので、つい思ったことを言ってしまった。実際トレイシーの服は、高級そうな、手触りのいい生地で出来ている。サイズも手触りもいいとは抱き枕としては文句がない。
ノートンは指で自身の膝を叩く。ナワーブの態度にちょっとイラッとしてきた。
「そうじゃなくて、なんかさあ」
「可愛いとか綺麗とかそういう感想は無いのかい?」
「そう!」
「……こいつが可愛いのはいつものことだろ」
「っっあああああああ!」
何言ってんだとばかりにそう答えるナワーブに、ノートンはとうとう耐えきれずに叫んだ。ナワーブはぎょっとしてトレイシーの耳を抑えた。起こす気か。
すっくと立ち上がったノートンが、ナワーブに人差し指を突きつける。背が高いので圧が強い。もう下がれないのにナワーブは仰反ってしまう。
「なんっでそれを起きてる本人に言わないかなあ?!」
「い、言えるわけねえだろ!」
「本当だよ、寝てる時だけ惚気るな」
「惚気にもなってねえだろ、片思い」
「うるせー!」
イライとウィリアムの容赦ない畳み掛けに、ナワーブはたじたじになる。
なんで俺こんなに責められてんだ。そしてなんでノートンはこんなにキレてんだ。
「恥ずかしがるな野郎が、気持ち悪い!言えよ!嫉妬心だけ一丁前に剥き出しにしてくる癖に!」
「はあ?俺がいつ……」
「アンドルーから『最近サベダーによく睨まれてる気がする』って訴えが来てるぞー。ホセにも『彼は機嫌が悪いのか』ってよく聞かれる」
「最近ゲーム参加できてないもんねえ、ナワーブ」
「終わる度にすんごい顔してこっち見てくるのやめろ」
「………………すまん」
ぐうの音も出ない。身に覚えがありすぎる。ナワーブは謝ることしかできない。
最近ちょっとだけ動けるようになったトレイシーは、ゲームに前より積極的に参加するようになってきた。だから以前の様に、一緒に行動出来るとナワーブは思っていたのだ。
ところが新たなルールの追加、新しいメンバーの性能により、敵陣営から拒否されるのがイライではなく、最近は自分が選ばれる様になってしまった。
ゲームに出れてもトレイシーと重なることは稀で、どちらかといえばノートンの方が彼女といることが増えていた。
トレイシーがピンチになる度に、タイミングよく現れ援護するノートン。ゲームが終わった後に、人懐っこくお礼を言うトレイシーと、その頭を撫でるノートンの姿にもやもやしていた。そしてそれが態度に出ていたことは、否定出来ない。
ナワーブが素直に謝ったことで、少しは溜飲が下がったらしい。ノートンはふん、と鼻を鳴らして体を起こす。
「妬く前にとっととくっつくなり手を出すなりして欲しい」
「先に手を出したら処す」
「え、怖っ」
ノートンの言葉に、地を這うような声で返すイライにウィリアムが身を震わせる。
自分とノートンは煮え切らないナワーブに発破をかけてるが、イライはトレイシー側の人間だ。あんなにトレイシーからは好き好きオーラを出しているのに、全く動かないナワーブの背を蹴っ飛ばしたいだけで、『とにかく早くくっつけ』と思っているわけではない。
ナワーブが強硬手段に出ようものなら、容赦なく鈍器で殴って止めると思う。多分下手なことしたら、それを幇助した罪とかでこっちにもとばっちりが来る。
「合意があればいいだけだよ。合意があれば」
にこにこと笑っているイライの声はいつも通りだけど、さっきのは本気だった。あまり、面白がりすぎないようにしようとウィリアムはひっそり息を吐き出す。
「つーか、なんでお前らここいんだ?」
今更ながら、ナワーブは三人が昼寝してる自分を取り囲んでいたことについて尋ねる。わざわざ起きるまで待っていたようだし、なにか用事があったんじゃないのか。
ナワーブの問いに、ウィリアムは「そうだった」と手を打ちつける。
「ナワーブ、お前それトレイシーってどこで気づいた?」
「は?」
「別人にしか見えねえだろ。俺らすっかり騙されたんだぜ」
「髪型変わると分からないって言うけど、本当なんだなあって、ね」
ノートンに同意を求められて、イライも苦笑して頷いている。
階段からしゃなりしゃなりと降りてくる姿は、作業着の少女とは全く重ならなかった。女は化けると言うけれど、成る程と感心したものだ。
「どこって、なぁ」
ナワーブは、すよすよと眠っているトレイシーに視線を落とす。
いつもと違う髪色、髪型、強めの化粧に、華美な衣服。全てが見慣れないものではある。しかし、見慣れないだけだ。ナワーブは肩を竦めて、事も無げに告げる。
「どう見たってこいつはこいつだろ。間違えようがねぇよ」
「ちょっとでも誰だ、ってならなかったんか」
「なるかよ。ガリガリだった時から見てんだ。分からねえ筈ねぇだろ」
「っっ、はあああ〜……はいはい、どうせんな事だと思ったよ……」
自信満々で言い切るナワーブに、ウィリアムは頭を掻きながら立ち上がった。
同じく荘園に来たばかりの頃の、ガリガリだったトレイシーをウィリアムも知っているが、そんな事で分かるはずがない。ナワーブがトレイシーをよく見ているから、分かるのだ。
賭けにもならなかった賭けの正解を求めて、ウィリアムがイライを見る。イライはしたり顔で、自身の顎を撫でる。
「うん、まあつまり、愛だよね」
「なに、その答え……」
「イライが賭けとか言い出す時点で疑うべきだったわ」
「嫌だなぁ、当てっこって言ったじゃないか」
「??なんの話してんだ?」
「こっちの話だよ」
聞こえてきた賭けという言葉に、ナワーブが顰めっ面になる。それを受け流して、ノートンは全然起きる気配のないトレイシーに視線を向ける。
あれだけ騒いだから、ちょっとは起きるかと思ったのに。地面よりマシとはいえ野郎の体、寝心地がいいはずは無いのにトレイシーは完全にナワーブに体を預けて、穏やかな寝顔を浮かべている。もしかすると、また夜更かしでもしていたのかもしれない。
ーーすっかり安心しきっちゃって、まあ。
彼女にとってみれば、一番安全で信頼出来る場所だから当然か。
しかし、そんなトレイシーをしっかりがっしりと抱え込んでいるナワーブについては気に入らない。起きてる時は素っ気ない態度で、トレイシーが近づいて来るのを待つ態勢な癖に、なにをちゃっかり自分のもののように抱えているのか。
「やっぱなんかムカつくな」
「え、どうしたノートン。お前までやめろよ。イライは止められるがお前はきつい」
黙り込んでいると思ったら、突然腹の底からの低い声を出すノートンに、ウィリアムは慌ててしまう。なんかよく分からないけど、ナワーブに殴りかかりそうで怖い。
イライは最悪、暴れても羽交い締めにすれば止められるけど、体格も筋力もあるノートンはちょっとどうなるか分からない。
ウィリアムの心配を他所に、ノートンはジロリとナワーブを睨みつける。
「ナワーブ、余裕かましてるけどずっとそんな態度でトレイシーが他所に行くとか思わないわけ」
「!」
ナワーブが、びくりと肩を震わせる。その反応に、ほーうとイライは周りからは見えない目を細めた。視線を流せばノートンもこくりと頷いている。
こいつ、大丈夫だろうって高を括ってたな?
どうとっちめてやろうかとイライとノートンが考えていると、ウィリアムが「ああ」と声をあげる。
「確かに、刷り込みみたいなもんだもんな、トレイシーがお前に懐いたの。つってもマーサにも懐いてるし、マーサが年上で男だったら危なかったかもな。そう考えると今は頼りになるやつ多いし、お前みたいなムッツリじゃない奴も選り取り見取りだな。うかうかしてられねえんじゃね?」
はっはっはと笑うウィリアムに、イライはナイスと心の中で親指を上げる。自分たちが嫌味を言うより、こっちのほうが悪意がない分、切れ味は抜群だ。
現にナワーブは項垂れて動かない。思い当たる事ばかりで、ダメージを負ったと見える。
「だから早いとこくっつけって話なんだけど」
「おう、俺はずっと思ってる」
「そうだよ、乙女心はいつ変わっちゃうか分らないよ」
「っ、あああああああ、もう、うるせえうるせえ!分かってるっつの!」
吠える勢いでがなるナワーブに「怒った!」と距離をとるウィリアムと肩をすくめるノートン。
そんな最中でもちゃんとトレイシーの耳は抑えるナワーブに、イライは小さく笑う。トレイシーが一回寝入ったらなかなか起きないって教えてくれたのはナワーブの筈だけど、過保護だなあ。
ナワーブは息をつくと、ぼそりと呟く。
「お前らに言われなくても、分かってる。……時期が来たら俺から言う」
「…………失敗する方に賭けていい?」
「賭けんな!!」
指に挟んだコインを見せるノートンに、ナワーブは近くに落ちていたどんぐりを投げつける。それを一歩下がって避けて、ノートンは首を傾げる。
「分かってるならいいけどさ。言っとくけど、付き合ったら終わりじゃないからね。今のままの態度ならすぐ捨てられてもおかしくないから」
「うっ……ノートン、お前なんか今日、俺に厳しくねぇか?」
「アドバイスしてあげてるんじゃん、年上として」
「お前、「乙女心が分からない」ってみんなに認識されてるし」
「マジかよ」
乙女心という単語から、一番縁遠そうなウィリアムにそれを言われると、ちょっと凹む。確かに、疎いという自覚はあるけれど。
ノートンは、目に見えて沈んでいるナワーブをせせら笑う。んな事起きるわけないのに、本当にアホだ。
ナワーブの機嫌が悪くても、調子が悪くても、何をされても大好きオーラが強烈なトレイシーが、そんなことをするわけない。大体こいつ自身もそれは同じ筈だ。
周囲に互いの感情は筒抜けだし、なんなら付き合っていると認識されているかもしれない。だからこそもどかしいし、苛つく原因なんだが。
「そんじゃ、乙女心が分からない野郎に説法でも聞かせてやってくれ、先生」
「え?」
ノートンはぽん、とイライの肩をたたく。突然話を振られて驚いているイライに、ひらりと手を振りその場を後にする。言いたいことは言ったし、後は好きにして欲しい。
すたすたと立ち去っていくノートンの後姿に、イライは困ったように頬を掻く。
「あいつ、好き放題言って行きやがったな……」
「まあ、概ね僕も言いたいことだったけど」
「うん、同じく」
「分かったって言ってんだろ」
「本当かなぁ。言わなくても大丈夫って思い込みは危険だよ?女性は愛を確かめたい生き物なんだから」
「婚約経験者様のお言葉だぞ、聞いとけムッツリ」
「お前もメモしとけよ未経験者」
ナワーブはニヤニヤしてるウィリアムを鼻で笑う。同じ状況になったら覚えてろよ。絶対仕返ししてやる。
見苦しい男共の当て擦り合いを、イライは涼しい顔で聞き流す。
「服に装飾品、香水の変化、髪の長さの変化も気付いたら言わないとダメだよ。そしてちゃんと褒めるんだ。ナワーブ出来てる?」
「出来てると思うか、先生。これ多分邪魔だから毟ったんだと思うぜ」
ウィリアムが、くいと地面に転がる冠を親指で示す。眠るトレイシーは、ナワーブの首の下にすっぽりと頭が収まっている。冠があればナワーブの顎に刺さる。トレイシーが自分で取ったとは思えないから、犯人は一人だろう。
ナワーブはと言えば、明後日の方向に視線を泳がせている。そういえば顎に何かがチクチク当たるなと、思った覚えが、ある。
そんなナワーブの挙動を見て、両手を組んだウィリアムが深刻そうに唸る。
「イライ、こいつ駄目じゃね?」
「ナワーブはヘタレ野郎なだけで、駄目か駄目じゃないかで言えば駄目だけどまだ可能性はあると僕は思ってるよ」
「駄目なんじゃん」
「ガツガツいかれるよりはマシかなって。この子押しに弱そうだし、悪い男に引っ掛かるくらいならこのヘタレの方がいい」
「あー、なるほど。飴貰ったら着いていきそうだしな」
「おい、その相談、俺の耳に聞こえないところでやってくれ」
頭上でひそひそと交わされる失礼すぎる会話に、ナワーブが青筋を浮かべながら呻く。動けないと分かっているから好き放題だな、こいつら。
ふと、ナワーブは見上げた先の空の色の変化に気付く。さっきまでまだ明るかったが、向こうの空は濃い色に変わり始めている。雲も橙を帯びてすっかり夕方になっている。
ここに来たのは昼頃だったはずと、ナワーブは慌てて二人に尋ねる。
「今何時だ?」
「ん?あー、多分5時くらいか」
「そんなに経ってんのか?!」
寝ているトレイシーの体温は高く、春に変わりかけた気候だからか、抱えているナワーブは少し暑く感じるくらいだ。しかし、それでもまだ油断できるような季節じゃない。現に、日が傾いた今はひんやりとした気温になってきている。
新しい衣服は多少は厚手のようだが、それにしても屋外で長時間寝こけていい格好ではない。慣れている自分はともかくとして、だ。
「こいつ、いつからここにいたんだ?!」
「3時くらいからだね」
「っっ2時間も寝てんのか?!嘘だろ!」
「……」
「……」
5時間以上も寝こけてたやつがそれを言うか?とイライもウィリアムも思ったが、トレイシーの身を案じての発言なので黙っていることにした。イライは当然、ウィリアムも必要な空気は読める男だ。
ナワーブは、そんな二人の微妙な反応は意にも介さず、起きない少女の肩と膝裏を抱えて立ち上がる。日が落ちるのは時間がかかるとは言え、気温はどんどん下がっていくはずだ。
「こいつ部屋連れてく!」
「おう。え?あ、おい靴!」
「回収頼んだ!」
走り出したナワーブは、あっという間に梢の影に見えなくなってしまった。肘当てでも使ったのかと疑ってしまうレベルだ。
「……はっや」
「ああやってナワーブはヘタレっぷりを帳消しにするんだよねぇ、ずるい男だよ」
「なんであれで付き合うに至らねえの、あいつら」
ウィリアムが呆れながら、地面に転がる冠を拾い上げようとする。イライはそれを遮って、空を指差す。
「ウィル、夜のゲームあったよね。夕飯先に取らないと時間なくなっちゃうよ」
「イライは?」
「僕は今日も暇組だよ。だからそれ僕がやっとくよ」
「そうか?悪い、じゃ頼んだ」
ひらりと手を振って、走り去っていくウィリアム。イライは誰もいなくなった森の中でふっと息を吐き出して、トレイシーの装備品を拾い集める。
「ピュイ」という鳴き声に視線を落とせば、髪飾りの片割れを咥えた相棒の姿があり、イライはその嘴を撫でてやる。
「ありがとう、見つけてくれたんだね」
「キュルル……」
「うんうん、寝ぼけて物に当たるのは良くないよねぇ」
相棒が何を言っているかは、今は聞こえないけれど、なんとなく何が言いたいかはわかる。
イライは知っているのだ。トレイシーが新しい衣装で、ルキノとルカと一緒に楽しげにしているのを見て、森に引き返して行ったナワーブの事を。トレイシーが自分を探しに来ることを知った上で、ナワーブはわかりやすい場所で待ち構えていたのだ。
予想外にトレイシーの登場が遅れたせいで、本当に眠ってしまっていたのは彼には誤算だったろう。寝ぼけた結果があれだ。まあ起きていても素直に褒めたか怪しいところだけども。
可愛いと言いながら、髪を崩して台無しにしているあたりがヘタレだとイライは思う。同じ「主題」の衣装は、ナワーブとトレイシーは久しく来ていない。それが面白くないのだろう。直接言えばいいのに。きっとトレイシーは喜ぶ。
度が過ぎるのは良くないけれど、嫉妬するのは愛されてる証拠だ。ナワーブはわかりづらいんだから、こう言う時こそ主張するべきだとイライは思う。
「ピュー」
「うん、僕はああならないように気をつけるよ」
羽ばたく相棒に苦笑してそう返す。なんとなく、そう言われている気がした。
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