今じゃないだろ

階段の踊り場に立つ人物に気付いて、エマはぱちくりと目を瞬いた。赤と黒のドレスに、結い上げられた月白色の髪、冠を被った瑠璃色の瞳のその人は、じっとこちらを無表情に見下ろしている。
エマに倣って階段上を見上げたマーサがひそりと囁く。
「エマ、知ってる人?」
「う、ううん。分からないの」
仲間が増えるとは聞いてない。ハンターは新しい人が来るけど、男の人だった筈。踊り場の人物は、多分サバイバーの筈だ。短剣を腰に下げているけれど、その筈。
エマとマーサが見上げる先で、女性はゆったりとした動作で階段を降りてくる。さらさらと衣擦れの音をさせ、目の前まで降りてきた人物に、二人は既視感を覚える。でも近くで見ても、やはり誰かは分からない。
困惑した顔で黙り込んでいる二人に、冠の人物は「ぷっ」と噴き出した。
「あはははははは!!面白い顔ー!!」
「な!?」
「ええ?!トレイシーちゃんなの!?」
高慢そうな雰囲気が消えれば、あっさりと正体が分かる。だんだんと階段の手摺りを叩いて笑い転げる姿は、いつものトレイシー・レズニックだ。
すっかりと騙されていたマーサははくはくと口を動かすしかないし、エマは手を叩いて目を輝かせる。
「すごいすごーい!分からなかったの!」
「エダのメイク技術のお陰かな。ずっと無表情でいろって言われたのは難しかったけど」
「すぐ笑ってしまうからなぁ、君は」
すぐ上から降ってきた声に、マーサが顔を上げる。
ニタニタと笑うルキノと、手摺りに肘をつくルカが上階に立っていた。ご機嫌に尾を振るルキノとは対照的に、ルカはむすりとした顔をしている。
「はあ……また教授の勝ちか……」
「!!もしかして私達で賭けしてたわけ!?」
「賭けはしてないよ。ただこの格好の私に気付くかどうかを当てっこしてただけ」
トレイシーが、スカートを摘んで貴族のような挨拶をしてみせる。正体が分かっても、そう言う動作をされると別人に感じてしまう。
「トレイシーちゃん、お姫様みたいなの!新しい衣装、素敵!」
「えへへ、そうかな?」
「いつからやってたのよ、その当てっこ」
「えーと……」
「昼前?」
揃って首を傾げる男どもに、マーサは眦を吊り上げた。
「もうお茶の時間よ!なにやってんの!」
「おや、そんなに経っていたとは」
「つい面白くなってしまったからな」
よっこいしょと手摺りを飛び越えて着地したルキノに、エマは興味津々で問いかける。
「ねえねえ、トレイシーちゃんって分かった人は何人いたの?」
「そんなにはいないな。ジャックとアユソは普通に衣装褒め称えた上で口説いてたが」
「あの二人はそうでしょうね」
「ガラテア嬢とワルデン君も分かってたな。芸術組は強いな」
「フィリップさんの骨格でバレたのはびっくりしたよ……」
「他の連中は気付かなかったな」
うんうんと頷いている悪戯仕掛け人の三人に、マーサは呆れた目を向ける。一体何人に仕掛けたのやら。
ふと柱時計を見ると、3時を間もなく指そうとしている。マーサは慌ててエマの腕を引く。
「エマ、お茶に間に合わないわ」
「あ!本当なの!お手伝いに行かなきゃ!じゃあ後でね、ルキノさん、ルカくん、トレイシーちゃん」
「遊んでないで早く来なさいよ!」
ぱたぱたと走り去る二人を見送り、ルカも階段を降りていく。
注意されてしまったし、そろそろお開きにするしかないだろう。ちょっと全員の反応が見たかったのが本音だが。
「ふむ、じゃあそろそろ」
「待って!!」
終わりを告げようとするトカゲの尾を掴み、トレイシーがうきうきとした顔で叫ぶ。
「ナワーブがまだだよ!」
「……トレイシー、それはだな」
「結果が既に決まっているというか」
当てるまでもないのでは。ルカとルキノは顔を見合わせて肩を竦める。けれどトレイシーは自信満々な顔でスカートを摘んでくるりと回って見せる。
「女の人達も分かんなかったんだよ。鋭いマーサでも気付かなかったもん。ナワーブも気づかないかもしれないじゃん」
「……そうなのか?」
「…………………………」
ルキノがひそりと囁くのに対し、ルカは黙ったまま首の後ろを掻く。
勿論、そんな訳ない。そんな世迷いごとを思っているのはトレイシー本人だけだ。寧ろ相手は「気付かないかも」と疑われたことに、機嫌を損ねるのではないだろうか。
「先輩、それはやめておいた方が……」
「えー、いいじゃんいいじゃん、やろうぜ」
「!」
トレイシーを止めようとしていたルカの肩を、力強い手が掴んだ。振り返ればウィリアムがにっかり笑顔を浮かべている。その両隣にはいつの間にやらノートンとイライも揃っている。
この三人もそれぞれがトレイシーの姫演技に引っ掛かっていた。笑ったり悔しがったりしながら別れた筈なのに、なぜここにいるのか。
訝しんでいるルカを他所に、イライは人好きのする笑顔でトレイシーに歩み寄る。
「トレイシー、ナワーブなら森で昼寝してるよ」
「え、いつもの木のとこ?」
「そうそう」
「ありがとー!行ってくる!」
フィッシュテールドレスの裾を翻して、駆けていくトレイシー。それを手を振って見送り、「さて」とイライはこちらに向き直る。
「ウィリアムの予想は?」
「俺は尻、いや脚で気付く。ノートンどうする」
「僕は、匂いにしとこう」
「ドゥルギさんとルカ君はどうする?」
「どうするとは」
「なんの話をしてるんだ……」
ルカとルキノが困惑気味に首を傾げていると、イライは声をあげて笑い出す。
「やだなあ、当てっこだよ。君たちさっきまでやってたじゃないか」
「いや、そもそも何を当てるんだ」
「サベダーが先輩のことで分からないことなんて乙女心ぐらいだろ」
「おー!うまいこと言うな、ルカ!」
「あだっ!」
ウィリアムに背中を叩かれて、ルカがよろめいた。褒めたつもりなのだろうけど、こっちは体育会系ではないので加減してほしい。
「どこでトレイシーって気づくかっていう賭けだよ」
「賭けって言ってるが」
「やらない?」
「やめておく」
「私もだ」
「そっかぁ」
少し残念そうなノートンに、ルキノは降りて正解だったなと舌を揺らす。カモる気満々だったに違いない。
「クラークは賭けないのか」
「僕は今回は視えちゃってるからね」
「というか脚とか匂いとか、君らサベダーのことどう思ってるんだ……?」
「え、ムッツリ」
「ロリコン」
「ヘタレ犬」
ウィリアム、ノートン、イライが流れるように回答するのを聞いて、ルカは額を抑えた。酷いな、おい。なんだか本当に頭が痛くなってきたような気がする。
ルキノは自身の顎を撫でながら、ふむふむと頷いている。
「それはなかなか、いい趣味だな」
「……………………」
それはトレイシーとナワーブどっちのことを言っているんだ。
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