オールキャラ短編小説
「はい、エミリー先生の負けー」
勝敗のついたトランプを頭上にばら撒いて、マイクが高らかに宣言する。マイクのその嬉しそうな声に、エミリーは穏やかな声でふふと笑う。
「あら、記憶力ならバルサーさんには勝てると思っていたのだけど」
「流石の私も今見たカードくらいは覚えているよ」
自分のトランプを纏めて、ルカが苦笑する。まさかチェスから神経衰弱をすることになるとは思っていなかったのだが、なかなか白熱したように思う。
最初はエミリーとルカでチェスをしていたのだけれど、そこに暇を持て余したマイクが混ぜてとやって来た。
複数人でやるならトランプか、ならばもう一人と捕まったのが通りがかったアンドルーだ。そしてどうせなら運が絡まない遊びがいいとなり、神経衰弱をやることになった。
一番取り札が少ないエミリーが敗者となったのだが、ずっとにこにこしていたところを見ると、手を抜いてくれたのかもしれない。チェスの対戦時はなかなかの強敵だったので、ルカの思い違いではない可能性がある。
きゃっきゃと喜んでいるマイクに、アンドルーは呆れた目を向ける。
「たかが遊びによくそこまで喜べるな。賭けているわけでもないのに」
冷めた態度のアンドルーに、マイクはふふんと得意気に指を振る。
「ただのゲームだからこそじゃん!負けたら当然罰ゲームだよ!」
「……聞いてないぞ」
「私もだが」
負けなくてよかったと胸を撫で下ろしながら、ルカはエミリーの方に視線を送る。
しかし二人とは対照的に、エミリーは穏やかな表情のままだ。全てわかっていたかのような態度で、余裕すらある。
この人負けたんだよな?とアンドルーも不安になってくる。なにか実は裏の手を使って逆転してたとかじゃないよな?
「エミリー先生にやってもらう罰ゲームはー……」
「なにかしら」
「…………うーん」
「ふふ」
「………………」
「……考えてなかったな?」
「思いつきか」
右手を突き上げたまま動かなくなったマイクにルカとアンドルーが指摘する。今考えてるな、罰ゲーム。
仕方がないとルカは助け舟を出してやることにする。
「だったら先生になにか面白い話を聞かせてもらうのはどうだ。この荘園の、私たち全員が知らない話がいいな」
「あー!それいい!」
ルカの提案に、マイクは手を叩く。みんなの白衣の天使におかしな罰ゲームは科せないので、丁度良い内容だ。
それにエミリーは最初にいたメンバーの一人だから、なかなかいい話を抱えていそうだ。ルカは最近来たばかりだし、アンドルーもようやく荘園に馴染んだばかりだ。
エミリーも楽しげに目を閉じてなにか考えている。
「面白い話……そうね、これがいいかしら」
私が荘園に来たばかりの頃ってね、今よりみんな遠慮がちでどこまでお互いに踏み込んでいいのかわからなかったの。
だから名前やゲームでの得意な分野はわかっても、プライベートなことなんかとても聞けなかった。みんな揃うのは食事の時くらいだった。
でも数日遅れでやってきたエリスさんのおかげで、空気が変わったのよね。彼はああいう人だから、ちょっとやそっとじゃめげないし、冷たい態度を取られても気にしないから人と打ち解けるのも早かったの。
エマも明るい子でしょ?だからあの二人が揃うともう場の雰囲気なんてあっという間に良くなってしまって。それで共有スペースに人が集まる様になって、今の感じに近くなったのよ。
そしてその頃にエリスさんのお節介攻撃の標的だったのがトレイシーだったの。
「なぜ、レズニック?」
アンドルーは思わずといった感じで尋ねる。
目を閉じていたから寝ているものとマイクは思っていたが、真面目に聞いていたらしい。
つい最近までお節介の対象にされていたのはアンドルーだった。
今はルカが来たので標的は分散されているけれど、それでもまだまだウィリアムは暑苦しい。悪い人間ではないのだろうが、本当に放っておいてほしいと思っている。
鬱陶し、ではなくお節介攻撃はやれトレーニングだ、飯を食えとにかく食えそして鍛えろ、一緒に風呂だと追い回される。とてもでないがあの小柄な少女に向けていいお節介とは思えない。
マイクとルカも体験者なので不思議に思っていると、くすくすとエミリーが笑いだす。
「あの時はね。殆どの人がトレイシーのことを男の子だと思っていたのよ」
ここに来たばかりのトレイシーは本当にもうガリガリに細くて、もっと小さく見えたの。
ちゃんと食事もしないし睡眠も取らないから、それはもうひどい有様で、髪も肌も傷んでいたし、骨と皮なんじゃないかってくらいだった。
ジャックさんには「風船いらない軽さ」って言われていたし、ジョーカーさんとゲームした後は何故かいつも棒付きキャンディーが服に刺さっていたわね。
そんなだから、エリスさんがもう張り切ってしまって。でももうトレイシーは鍛えるとかそれ以前の状態だから見兼ねたサベダーさんが止めに入って、最終的に二人に食堂に連行されていくって構図が出来上がっていたの。
あの子スープにパン浸して流し込む様なことしてたから、二人ともお肉をとにかく食べさせようと奮闘していたわね。
体力がついたらトレーニングだってエリスさんは張り切ってて、夜もちゃんと寝る様にサベダーさんが見張ってたりしてたかしら。今考えたらとんでもないことなんだけど。
そんな生活してたからだんだんトレイシーもふくふくツヤツヤして来て、その頃には女の子だなって見る人が見ればわかる様になってたのよ。
だからまさかあんな四六時中、一緒にいる二人がそのことに気づいてないとは思わなくて。
「嘘でしょ」
今度はマイクが思わず声を出す。話の腰を折る気はなかったけど、なんでそんな一緒にいて気付かないのか。
「確かに最初はちょっと、うん。僕も間違えたけど!」
「私はしばらく気づかなかったからなんとも言えない……」
マイクの横で、ルカは視線を落としてぼそりと呟く。2週間くらいは同性とすっかり思い込んでいた。
アンドルーは黙ってたが、実は一月くらいトレイシーの性別に気づいていなかった。
そもそも彼女は格好がややこしいのだ。作業着だし、体型が分かりづらい服を着ているし、どうにも小柄なせいか子供のように見える。自分が鈍感なせいでは決してない、とアンドルーは心の中で誰にともなく言い訳をする。
それぞれの反応を見て、エミリーはにこにこと楽しげだ。
あれは三月くらい過ぎた頃だった。
トレイシーに初めてのおめかし衣装が届いたの。ずっとあの子作業着しか着ていなかったから、どんな服が来るんだろうって話で盛り上がったことを覚えてる。
そう、その時にきたのが「赤ずきん」だったの。
可愛いでしょう、あの衣装。トレイシー、すっかりふくふくつやつやしてたから、女の子らしい服が本当によく似合ってたわ。
――ええ。そう、そうなのよ。ボディラインが映えるから、見間違えようがないの。もう誰がどう見ても男の子に勘違いしようがないのよ。
どっちの反応から知りたいかしら?ーーエリスさん?
エリスさんはね、トレイシーをまず認識できてなかったわ。
赤ずきんのあの子を見て「どちら様?」って本当に困惑した顔してたわ。トレイシーが「私だよ」「トレイシーだってば」って何回言っても脳が認識してなくて、ピアソンさんは呼吸ができないくらいに笑い転げてたわね。過呼吸起こさないか心配になるくらい。
やっとトレイシーと気付いた後は、よろよろと後退って、部屋の隅に向かって蹲ったまま動かなかったのよ、1日。あのエリスさんがね。後に先にもあんな姿を見たのはあの時だけね。
エリスさんに厳しいマーサも、なんて声をかけていいのか分からないって顔してたわ。そんな鈍感だとは思ってなかったから驚いたけど、それを指摘するのも気の毒すぎるって。
そうね、内緒だけど。私、本当はちょこっとだけ、笑ってしまったわ。多分エリスさん、トレイシーが女の子だって気付いていないんだろうなとはずっと思っていたから。
サベダーさんの反応?無反応だったと思う?――そうね、性別気にしなそうよね。
サベダーさんはトレイシーを凝視したまま、しばらく動かなかったわ。どうするかみんなで待ってたんだけど、「似合うんじゃないか」って。
普通でしょう?そう、私も拍子抜けしたんだけど。
サベダーさんたら、そのままスタスタ歩いて行って壁にがん、って頭打ちつけるのよ。突然の行動だから驚いちゃった。
で、私達が呆気に取られてる間に「用事思い出した」って言って、窓から外に飛び出して行っちゃったのよ。額から血が出てたんだけど、止める間もなかったわ。
そのまま三日くらい帰って来なかったわね。心配したんだけど、三日過ぎたらもう、サベダーさん本当にいつも通りだったの。何事もなかったみたいに。
それでも二人とも、暫く赤ずきんを着ているトレイシーに近づけなかったわね。
――ところで、不思議じゃない?
あの二人、細かいことには拘らなそうでしょう?トレイシーが男の子でも女の子でも、そんなに気にしなそうだと思わない?
好奇心に負けて、私聞いてしまったの。
え?違うわ。流石にそんな、傷を抉る様なこと出来ないわ。だからトレイシーに聞いたのよ。
そしたら、あの子なんて言ったと思う?
「勿体ぶらないでくれ、先生」
クイズより今は続きが聞きたい。
ルカが促せば、マイクとアンドルーも身を乗り出す。すっかり話に惹き込まれている3人にエミリーは楽しげな声で笑う。
「うふふ、ごめんなさい。『一緒にお風呂入ったのが悪かったのかなぁ』ですって」
「…………はあああああああ?!?!」
「え、え?!」
叫ぶマイクに困惑するルカ、顔色をなくして絶句するアンドルー。
確かにウィリアムはしつこく風呂に誘って来る。だが、強制はして来なかった。断れば「そっか」でウィリアムは引き下がるはずだ。
それが、何故混浴することになるんだ?というか何故彼女も了承するのか。いやそれ以前に何故それで気付かない!
「『最初だけ』とは言ってたわね」
「いくらガリガリの頃でもさぁ……!」
「ぺたんこだったのよね、その頃」
「感想言い辛い情報はいらないぞ、先生」
「『仲良くなるには風呂だ!』って言われて、そっかって思ったんですって」
「そっかじゃないだろ……!」
3人がそれぞれ引き攣った顔で固まっている中、エミリーはにこにこと楽しそうな顔で、ぱんと手を打ち付ける。
「どうかしら、私のとっておきの話。面白かったでしょ?」
「お、面白い、のか?」
アンドルーが困惑した顔でマイクを見れば、マイクは激しく首を横に振る。良かった、自分がおかしいわけではなかったとアンドルーは息を吐き出す。
どちらかといえば怖い話だ。相手が相手なら訴えられるかもしれない。人によっては羨ましいかもしれないが、自分達はここの女性陣の恐ろしさを知っている。この事実が知られれば、あの二人に何が起こるかは大体想像できる。
寧ろこの話、自分達が聞いていい話だったのだろうか?
ぞわぞわとする背筋に、恐る恐るエミリーの顔を窺う。その満足気な美しい笑みに、ルカは気付いた。
確かに先生はこの状況を面白がってるな、と。
「んー、困ったなぁ」
トレイシーは扉の前で、頬を掻く。自分の話で盛り上がられていて、どうにも部屋に入りづらくなってしまったのだ。
一緒に来たエマも部屋の前で肩を竦めるしかない。
「懐かしい話なの」
「みんな最初勘違いするんだよねー、なんでだろ」
「格好のせいなの。……ところでトレイシーちゃん、お風呂の話本当なの?」
少しエマの声が低くなる。
あ、これはお説教前の声音だと気付いたトレイシーが慌てて両手と首を振る。エミリーは生活習慣以外には寛容だが、エマはトレイシーの女性としての非常識さにとても厳しい。
「一回だけだよ!ちゃんと体隠してたし!」
「一回でも入るのは問題なの。でも、それでやめてくれて良かっ」
「ウィルとナワーブが私の事、男の子って思ってるなーって気付いたから次から断ることにしたの」
「……トレイシーちゃん、ちょおおおおおおっとお姉ちゃんとお話しする必要があるの」
にっこり笑顔を向けるエマはそれはもう可愛いけれど、目が笑ってない。トレイシーは項垂れて「はい」と返事をするしかなかった。
END
勝敗のついたトランプを頭上にばら撒いて、マイクが高らかに宣言する。マイクのその嬉しそうな声に、エミリーは穏やかな声でふふと笑う。
「あら、記憶力ならバルサーさんには勝てると思っていたのだけど」
「流石の私も今見たカードくらいは覚えているよ」
自分のトランプを纏めて、ルカが苦笑する。まさかチェスから神経衰弱をすることになるとは思っていなかったのだが、なかなか白熱したように思う。
最初はエミリーとルカでチェスをしていたのだけれど、そこに暇を持て余したマイクが混ぜてとやって来た。
複数人でやるならトランプか、ならばもう一人と捕まったのが通りがかったアンドルーだ。そしてどうせなら運が絡まない遊びがいいとなり、神経衰弱をやることになった。
一番取り札が少ないエミリーが敗者となったのだが、ずっとにこにこしていたところを見ると、手を抜いてくれたのかもしれない。チェスの対戦時はなかなかの強敵だったので、ルカの思い違いではない可能性がある。
きゃっきゃと喜んでいるマイクに、アンドルーは呆れた目を向ける。
「たかが遊びによくそこまで喜べるな。賭けているわけでもないのに」
冷めた態度のアンドルーに、マイクはふふんと得意気に指を振る。
「ただのゲームだからこそじゃん!負けたら当然罰ゲームだよ!」
「……聞いてないぞ」
「私もだが」
負けなくてよかったと胸を撫で下ろしながら、ルカはエミリーの方に視線を送る。
しかし二人とは対照的に、エミリーは穏やかな表情のままだ。全てわかっていたかのような態度で、余裕すらある。
この人負けたんだよな?とアンドルーも不安になってくる。なにか実は裏の手を使って逆転してたとかじゃないよな?
「エミリー先生にやってもらう罰ゲームはー……」
「なにかしら」
「…………うーん」
「ふふ」
「………………」
「……考えてなかったな?」
「思いつきか」
右手を突き上げたまま動かなくなったマイクにルカとアンドルーが指摘する。今考えてるな、罰ゲーム。
仕方がないとルカは助け舟を出してやることにする。
「だったら先生になにか面白い話を聞かせてもらうのはどうだ。この荘園の、私たち全員が知らない話がいいな」
「あー!それいい!」
ルカの提案に、マイクは手を叩く。みんなの白衣の天使におかしな罰ゲームは科せないので、丁度良い内容だ。
それにエミリーは最初にいたメンバーの一人だから、なかなかいい話を抱えていそうだ。ルカは最近来たばかりだし、アンドルーもようやく荘園に馴染んだばかりだ。
エミリーも楽しげに目を閉じてなにか考えている。
「面白い話……そうね、これがいいかしら」
私が荘園に来たばかりの頃ってね、今よりみんな遠慮がちでどこまでお互いに踏み込んでいいのかわからなかったの。
だから名前やゲームでの得意な分野はわかっても、プライベートなことなんかとても聞けなかった。みんな揃うのは食事の時くらいだった。
でも数日遅れでやってきたエリスさんのおかげで、空気が変わったのよね。彼はああいう人だから、ちょっとやそっとじゃめげないし、冷たい態度を取られても気にしないから人と打ち解けるのも早かったの。
エマも明るい子でしょ?だからあの二人が揃うともう場の雰囲気なんてあっという間に良くなってしまって。それで共有スペースに人が集まる様になって、今の感じに近くなったのよ。
そしてその頃にエリスさんのお節介攻撃の標的だったのがトレイシーだったの。
「なぜ、レズニック?」
アンドルーは思わずといった感じで尋ねる。
目を閉じていたから寝ているものとマイクは思っていたが、真面目に聞いていたらしい。
つい最近までお節介の対象にされていたのはアンドルーだった。
今はルカが来たので標的は分散されているけれど、それでもまだまだウィリアムは暑苦しい。悪い人間ではないのだろうが、本当に放っておいてほしいと思っている。
鬱陶し、ではなくお節介攻撃はやれトレーニングだ、飯を食えとにかく食えそして鍛えろ、一緒に風呂だと追い回される。とてもでないがあの小柄な少女に向けていいお節介とは思えない。
マイクとルカも体験者なので不思議に思っていると、くすくすとエミリーが笑いだす。
「あの時はね。殆どの人がトレイシーのことを男の子だと思っていたのよ」
ここに来たばかりのトレイシーは本当にもうガリガリに細くて、もっと小さく見えたの。
ちゃんと食事もしないし睡眠も取らないから、それはもうひどい有様で、髪も肌も傷んでいたし、骨と皮なんじゃないかってくらいだった。
ジャックさんには「風船いらない軽さ」って言われていたし、ジョーカーさんとゲームした後は何故かいつも棒付きキャンディーが服に刺さっていたわね。
そんなだから、エリスさんがもう張り切ってしまって。でももうトレイシーは鍛えるとかそれ以前の状態だから見兼ねたサベダーさんが止めに入って、最終的に二人に食堂に連行されていくって構図が出来上がっていたの。
あの子スープにパン浸して流し込む様なことしてたから、二人ともお肉をとにかく食べさせようと奮闘していたわね。
体力がついたらトレーニングだってエリスさんは張り切ってて、夜もちゃんと寝る様にサベダーさんが見張ってたりしてたかしら。今考えたらとんでもないことなんだけど。
そんな生活してたからだんだんトレイシーもふくふくツヤツヤして来て、その頃には女の子だなって見る人が見ればわかる様になってたのよ。
だからまさかあんな四六時中、一緒にいる二人がそのことに気づいてないとは思わなくて。
「嘘でしょ」
今度はマイクが思わず声を出す。話の腰を折る気はなかったけど、なんでそんな一緒にいて気付かないのか。
「確かに最初はちょっと、うん。僕も間違えたけど!」
「私はしばらく気づかなかったからなんとも言えない……」
マイクの横で、ルカは視線を落としてぼそりと呟く。2週間くらいは同性とすっかり思い込んでいた。
アンドルーは黙ってたが、実は一月くらいトレイシーの性別に気づいていなかった。
そもそも彼女は格好がややこしいのだ。作業着だし、体型が分かりづらい服を着ているし、どうにも小柄なせいか子供のように見える。自分が鈍感なせいでは決してない、とアンドルーは心の中で誰にともなく言い訳をする。
それぞれの反応を見て、エミリーはにこにこと楽しげだ。
あれは三月くらい過ぎた頃だった。
トレイシーに初めてのおめかし衣装が届いたの。ずっとあの子作業着しか着ていなかったから、どんな服が来るんだろうって話で盛り上がったことを覚えてる。
そう、その時にきたのが「赤ずきん」だったの。
可愛いでしょう、あの衣装。トレイシー、すっかりふくふくつやつやしてたから、女の子らしい服が本当によく似合ってたわ。
――ええ。そう、そうなのよ。ボディラインが映えるから、見間違えようがないの。もう誰がどう見ても男の子に勘違いしようがないのよ。
どっちの反応から知りたいかしら?ーーエリスさん?
エリスさんはね、トレイシーをまず認識できてなかったわ。
赤ずきんのあの子を見て「どちら様?」って本当に困惑した顔してたわ。トレイシーが「私だよ」「トレイシーだってば」って何回言っても脳が認識してなくて、ピアソンさんは呼吸ができないくらいに笑い転げてたわね。過呼吸起こさないか心配になるくらい。
やっとトレイシーと気付いた後は、よろよろと後退って、部屋の隅に向かって蹲ったまま動かなかったのよ、1日。あのエリスさんがね。後に先にもあんな姿を見たのはあの時だけね。
エリスさんに厳しいマーサも、なんて声をかけていいのか分からないって顔してたわ。そんな鈍感だとは思ってなかったから驚いたけど、それを指摘するのも気の毒すぎるって。
そうね、内緒だけど。私、本当はちょこっとだけ、笑ってしまったわ。多分エリスさん、トレイシーが女の子だって気付いていないんだろうなとはずっと思っていたから。
サベダーさんの反応?無反応だったと思う?――そうね、性別気にしなそうよね。
サベダーさんはトレイシーを凝視したまま、しばらく動かなかったわ。どうするかみんなで待ってたんだけど、「似合うんじゃないか」って。
普通でしょう?そう、私も拍子抜けしたんだけど。
サベダーさんたら、そのままスタスタ歩いて行って壁にがん、って頭打ちつけるのよ。突然の行動だから驚いちゃった。
で、私達が呆気に取られてる間に「用事思い出した」って言って、窓から外に飛び出して行っちゃったのよ。額から血が出てたんだけど、止める間もなかったわ。
そのまま三日くらい帰って来なかったわね。心配したんだけど、三日過ぎたらもう、サベダーさん本当にいつも通りだったの。何事もなかったみたいに。
それでも二人とも、暫く赤ずきんを着ているトレイシーに近づけなかったわね。
――ところで、不思議じゃない?
あの二人、細かいことには拘らなそうでしょう?トレイシーが男の子でも女の子でも、そんなに気にしなそうだと思わない?
好奇心に負けて、私聞いてしまったの。
え?違うわ。流石にそんな、傷を抉る様なこと出来ないわ。だからトレイシーに聞いたのよ。
そしたら、あの子なんて言ったと思う?
「勿体ぶらないでくれ、先生」
クイズより今は続きが聞きたい。
ルカが促せば、マイクとアンドルーも身を乗り出す。すっかり話に惹き込まれている3人にエミリーは楽しげな声で笑う。
「うふふ、ごめんなさい。『一緒にお風呂入ったのが悪かったのかなぁ』ですって」
「…………はあああああああ?!?!」
「え、え?!」
叫ぶマイクに困惑するルカ、顔色をなくして絶句するアンドルー。
確かにウィリアムはしつこく風呂に誘って来る。だが、強制はして来なかった。断れば「そっか」でウィリアムは引き下がるはずだ。
それが、何故混浴することになるんだ?というか何故彼女も了承するのか。いやそれ以前に何故それで気付かない!
「『最初だけ』とは言ってたわね」
「いくらガリガリの頃でもさぁ……!」
「ぺたんこだったのよね、その頃」
「感想言い辛い情報はいらないぞ、先生」
「『仲良くなるには風呂だ!』って言われて、そっかって思ったんですって」
「そっかじゃないだろ……!」
3人がそれぞれ引き攣った顔で固まっている中、エミリーはにこにこと楽しそうな顔で、ぱんと手を打ち付ける。
「どうかしら、私のとっておきの話。面白かったでしょ?」
「お、面白い、のか?」
アンドルーが困惑した顔でマイクを見れば、マイクは激しく首を横に振る。良かった、自分がおかしいわけではなかったとアンドルーは息を吐き出す。
どちらかといえば怖い話だ。相手が相手なら訴えられるかもしれない。人によっては羨ましいかもしれないが、自分達はここの女性陣の恐ろしさを知っている。この事実が知られれば、あの二人に何が起こるかは大体想像できる。
寧ろこの話、自分達が聞いていい話だったのだろうか?
ぞわぞわとする背筋に、恐る恐るエミリーの顔を窺う。その満足気な美しい笑みに、ルカは気付いた。
確かに先生はこの状況を面白がってるな、と。
「んー、困ったなぁ」
トレイシーは扉の前で、頬を掻く。自分の話で盛り上がられていて、どうにも部屋に入りづらくなってしまったのだ。
一緒に来たエマも部屋の前で肩を竦めるしかない。
「懐かしい話なの」
「みんな最初勘違いするんだよねー、なんでだろ」
「格好のせいなの。……ところでトレイシーちゃん、お風呂の話本当なの?」
少しエマの声が低くなる。
あ、これはお説教前の声音だと気付いたトレイシーが慌てて両手と首を振る。エミリーは生活習慣以外には寛容だが、エマはトレイシーの女性としての非常識さにとても厳しい。
「一回だけだよ!ちゃんと体隠してたし!」
「一回でも入るのは問題なの。でも、それでやめてくれて良かっ」
「ウィルとナワーブが私の事、男の子って思ってるなーって気付いたから次から断ることにしたの」
「……トレイシーちゃん、ちょおおおおおおっとお姉ちゃんとお話しする必要があるの」
にっこり笑顔を向けるエマはそれはもう可愛いけれど、目が笑ってない。トレイシーは項垂れて「はい」と返事をするしかなかった。
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