1話

「と、その手の出せなかった容疑者ですが、そちらにいる調査員さんのお陰でこの有様なのですが」
「申し訳ない」
にっこりと微笑む屋敷の執事に、ルカはテーブルに額を擦り付ける勢いで頭を下げた。
一夜明け、イライとルカは司祭が約束を取り付けておいてくれた「容疑者様」のいるレディ・レーゲルと呼ばれる老婦人、パウラ・レーゲルの屋敷へとやって来た。しかし、その目的は話を聞く為ではなく謝罪がメインになってしまっていた。
ルカの向かいに座って紅茶を啜っているトレイシーは首に包帯、顎と頬にガーゼを貼り付けている。
庭園での追いかけっこやルカの爪で切れてしまった傷と、シャツを掴まれた事によってできた擦過傷の数々を手当てされた結果、こうなった。大した怪我でもないのに大袈裟だとトレイシー自身思っていたが、治療してもらった身としては文句が言えるはずもなかった。
昨夜帰宅したトレイシーは着衣は乱れているわ、あちこち汚れているわ、シャツのボタンは飛んでいるわで更に顔に傷まで出来ていたので、最初に彼女を発見したメイドに悲鳴を上げられてしまった。「お嬢様のお顔に傷が!」と騒がれてしまえば、もう隠しようが無かった。上を下への大騒ぎとなってしまい、最終的に「誰にやられたの!」と女主人が震える手で杖を片手に現れる始末だった。
トレイシーは遠い目で客間の壁の絵画を見やる。
――本物のお嬢様でもないのに、みんなここの人たちはどうにも過保護が過ぎる。
「アルフレッドさん、その辺でそろそろ。話が進まないんで」
「トレイシーさんがそうおっしゃるなら」
ネチネチとルカに言葉による攻撃を仕掛けていた執事だったが、トレイシーの言葉で引き下がる。しかし無言の圧力を来客の二人に向けていることには変わりはなかった。
本来ならばこの場に女主人が付き添う予定だったのだが、怒りで体調を悪くしてしまい、寝込んでしまっている。なので代わりを頼まれた執事が目を光らせているのだ。
トレイシーはカップをソーサーに戻すと、「で?」と鋭い目を斜向かいにいるイライに向けた。
「聖なる都から来た、聖匙の使徒たる司祭見習いが、どういった経緯で吸血鬼なんかと連れ立って動いてるのか説明してもらえる?」
「うーん、どこから説明すればいいかなぁ……?彼は確かに吸血鬼ではあるんだが、半分はそうじゃないんだ」
「確かに今は人間にしか見えないけど、これは擬態でしょう」
トレイシーがルカを見やる。今朝になって気づいたが、この男は昨日図書館で会った、あの調査員だった。吸血鬼の特徴である赤い眼と仰々しい雰囲気が無くなり、血色が良くなれば印象がガラリと変わる。こんな胡散臭い男に対して、あんなに怯えてしまったのかと思うと今更ながらとても悔しくなる。
「封神は、知っているかな」
「うん。精霊や霊獣、異国の神を新たに神格化して、グラール教に受け入れて守り神にする事でしょう」
「彼は、その封神の候補者なんだ」
「は……?」
トレイシーはイライの言葉に、ポカンと口を開けてしまう。そうしてルカの全身を見やり、再びイライに視線を戻す。
「こんな怪しいのが神様とか詐欺と思われるよ、やめた方がいいと思う」
「随分な言われ様だが君が思っているような、そんな大層な存在になるわけではないんだ。魔物の封神は彼らとは少し意味合いが違う。グラール教徒限定で無害化するその代わりに、保証と権限を得る事ができるんだ」
トレイシーの失礼な物言いに苦笑いを浮かべつつ、ルカがそう説明を付け加える。
人に害をなす可能性のある存在は魔物、益をもたらすもの、無害なものは精霊や霊獣と分類されるこの世の理において、魔物は当然ながら討伐対象となる。
しかし上位の魔物はプライドも高いが、同じくらいに個性が強いものも多い。その中から人と意思疎通を計り、交流を好んで持つものが現れる様になる。
やがて祭り上げられ神となるもの、契約して人との共存を望むものが現れるとそれを面白く思わない同族が、彼らを裏切り者と呼ぶようになる。そうして魔物同士での争いがあちらこちらで起きてしまう。
悪しき魔物は同族ではなく、彼らが守る弱い人間に狙いを定める様になる。自らの友らを守るために、人との交流を望む魔物たちはグラール教に協力を求めた。共存を望む声に否やがある訳もなく、彼らと協力することを教会は決定した。そうして出来たのが魔物の封神だった。
教会の協力要請に応える事と、教徒を害することはできないというルール以外はほぼ自由で、教会の属性になるので聖力にも耐性が出来、そのまま魔物として過ごす事も出来るが人としての姿を得て生活をする事もできる。中には魔物の生を捨てて人間と結ばれたものもいるという。
トレイシーはルカのその説明を退屈そうな顔で聞いていたが、それが終わるや否や、即座に疑問をぶつけてやる。
「それで、なんであんたは半分なの。その話ならさっさと吸血鬼なんて危険な生き物、封神した方がいいでしょう」
「彼の場合は、少しばかり事情が特殊なんだ」
「特殊ってのは?」
「私が死刑囚の元人間の転化型吸血鬼で、教会としては討伐するか封神すべきか悩んでいるという」
「なんでそんな物騒なのを、この物騒な事件現場に連れて来た」
「そんな目で見ないで欲しい……僕だって上からの命令には逆えないんだよー……」
ぎろりと睨むトレイシーに、イライは両手を振って身を縮こまらせる。イライが言葉を選んで説明しようとしているのに、何故全てをそのまま話してしまうんだこの吸血鬼はと憎くなる。もっと弁解のしようがあるだろうに。
吸血鬼は二つのタイプが存在する。ルカの様な人間から吸血鬼になった転化型、生まれながらに吸血鬼である純血種の血族と言われる者たちだ。
「死刑囚とは言っても、一応赦免されているんだよ。吸血鬼になってしまったけれど、彼は人間時代に世の為になる発明をした実績があるから、即討伐ではなく百年間の聖都での封印という扱いだったんだ。最近その封印期間が終わって、現在は猶予期間な訳なんだけど、色々と世間に貢献しているものだからこの頭脳をなくすのは惜しいという意見もあってね。それで封神へ昇格させる試験期間と言うことで、半封神状態で監視付きでその行動を試しているんだ」
イライはルカが省略した事情をきちんとそう説明する。トレイシーはそれに納得を示しつつも別の疑問を投げかける。
「事情は分かった。でも、なんであんなとこで吸血鬼の正体剥き出しにしてたのさ。追いかけられたのが勘違いだったのは聞いたけど、あの姿見て驚くなって方が無理でしょ……」
「今の私は魔力が完全に封じられているもので、最低限の魔力を外部から供給してもらっているんだ。昨日は不運も重なって魔力の配分を間違えてしまってな」
「あんな屋外で燃料切れ起こして隠れてたって事?馬鹿じゃん」
相変わらず遠慮のない物言いをするトレイシーに、ルカは楽しげに口角を持ち上げた。
「それは否定出来ない事実だな。だが私も尋ねたいんだが、君こそ何故、閉館した美術館になんていたんだい?」
「僕も気になっていたんだ。君、酒場からもっと早い時間に引き上げていたよね」
イライは昨夜、美術館に向かったルカを待つ為に酒場の端の席にいたので、トレイシーが酒場の営業時間中に帰って行ったのを見ている。だから遅い時間にルカを迎えに行き、その場にトレイシーが居たことに驚いたのだ。
問いかけに対してトレイシーはソーサーにカップを戻し、対面に座る二人に視線を向ける。
「またマルガレータみたいな被害者が出ない様に見回ってた。カリヨン時計の鐘の音はあそこまでは届かないから。ついでに犯人の手掛かりが得られないかと。痛くもない腹を探られるのは、もう私もうんざりなんだよね」
トレイシーの言葉に、ルカはエントランスの正面に飾られていた絵画を思い出す。金髪の一家が描かれた肖像だった。あれはここの主人の家族で間違いはないはずだ。ということはもう一人の容疑者というのはその主人なのだろう。
「ここのご主人であるレディ・レーゲルと君は、遺留品の金髪が見つかったのが原因で犯人と疑われていると聞いている」
「多分、あの人達から疑われてるのは私だけ。パウラさん、レディ・レーゲルはいろいろ事情があるのと、あとお年で脚も悪いから最初から犯行は不可能って思われてるんじゃないかな」
「………………」
「なに?」
じっとこちらの顔を見つめるイライとルカに、トレイシーは眉を顰める。
「君、さっきからなんだか、ここの主人に他人行儀というかなんと言うか……」
「もしかして本当に他人、とか?」
「ああ!そうか、そうだよねぇ。そこから話さないとか。髪の色で勘違いしてる人多いけどね、私はレディ・レーゲルの親族じゃないよ。ただの食客なの」
「トレイシーさんは時計塔巡りの旅をされているそうです。ご本人も時計職人をされているので、故障していた柱時計の修理をお願いしていただいたのが御縁で、こうしてお客様としてお迎えしました」
「もう、ただの居候みたいな感じだけどね……」
トレイシーはそう呟いて苦笑している。
言われてみれば、少年の腰のポーチには当たり前の様に工具が備えられている。あれは商売道具だったのかとイライは気付く。
「じゃあ、シュテルンの酒場にいたのは?」
「あれは路銀稼ぎで場所を間借りして、持ち込みの修理依頼を請け負ってるんだよ。でも大抵は店の手伝いしてる事の方が多いかなぁ」
「ご主人様はいくらでも援助するとお伝えしているのですが」
「ただで泊まらせてもらって、洋服もご飯もいただいてるのにこれ以上はちょっと」
「と、こう言ってトレイシーさんが断られるので」
「レディは相当、彼のことを気に入っている様だ」
ルカがそう笑って言えば、一瞬だけ執事が悲しげに微笑んだ。しかしそれは瞬きの間の出来事で、それに気付いたのはルカだけだった。彼は元の穏やかな笑みを浮かべる。
「旅をされてきたトレイシーさんのお話は、外出を好まないご主人様にはとても楽しいものですので。私共と致しましても、トレイシーさんがいらしてから屋敷の雰囲気が明るくなった様に感じられてとてもありがたく思っています」
「今はご迷惑をおかけする一方な気もしているんですけど……」
頬を掻いて困った表情になるトレイシーに、執事は否定するように首を横に振った。
「何やら捜査をしていた連中と揉め事があった、というのは聞いているのですが、なにがあったのか伺っても?」
「知り合いの巡査さんから聞いたんだけど、警察の内部でもなんか派閥があるらしくって。出世欲が強い人がとっても張り切って捜査しててね。仕事熱心なだけならいいんだけど、進展がない事に焦れたみたいでさ。例の証拠っていう髪の毛が出た時に手を組んだ魔払いを連れて、この屋敷を訪ねて来たんだよ」
「あの時の事は非常に悔いています。離れなければ良かったと」
執事が少し表情を曇らせてそう囁く。トレイシーは乾いた喉を紅茶で潤すと、続きを話し始めた。
「最初はね、警察の人も魔払いも捜査協力を求むって感じで普通の態度だったんだけど、段々と話を聞くと言うより、何か誘導するような話振りになっていって、語気も荒くなっていって、なんだか取り調べ、いや尋問みたいな雰囲気になってね。あれはもう完全に私を犯人って決めてかかってたよ……その時に室内にいたのは私とパウラさんと、給仕のメイドさん一人だけだったんだ。か弱そうな女性二人と私だけだから強引に供述を取ってそのまま身柄を拘束、みたいな流れにしたかったのかなーって」
「いや無理だろ」
呆れた顔でルカは頬杖を突いた。あまりにお粗末で杜撰な方法だ。捜査に進展がないからと言って、犯人をでっち上げても事件が続いては意味はないだろう。
大体、警察の調書の写しをルカは見せてもらったが、遺留品の金髪というのも「らしきもの」なのだ。実物を見ている警部も「あれは人毛ではないのでは?」と言っていたと聞く。それに、目の前の少年の髪とするにはあの証拠の髪は長過ぎだった。
「そんな事が罷り通る訳がない」
「そうなんだけど、妙に確信を持っていたんだよね、あの二人。絶対に私が犯人だって。誘導が無理だと分かると突然掴みかかってきてさ……服脱がせようとしてきたんだ。吸血鬼なら体に模様があるはずだって」
「え?そんなのあるのかい?」
「私も初耳だが」
今初めて聞いたという反応をするイライに、ルカもそう答える。
魔女裁判が流行った時代に、魔女の体には刻印があるとかそんな嘘情報が出回ってたが、それと間違えているのではないだろうか。
「なんなら脱いで見せようか?」
「いらないから!あんたのひょろい体はいいんだよ!」
「む」
襟元に手をやるルカにトレイシーがそう言うと、「ひょろい」と言われた事にルカは不満気な顔になった。
イライは眉を顰め、不快感を顕にして呟いた。
「令状も無しに、そんな強硬手段に出るなんて」
「未遂で終わったから大丈夫だよ。シャツはちょっと破けちゃったけど、無礼者が!って叫んだパウラさんが持ってた杖であっという間に警察の人も魔払いも叩きのめしてて、メイドさんもせっせか倒れた二人を縛り上げてたし」
「ご主人様は杖術の心得がありますので」
「そ、それは公務執行妨害に問われるんじゃ……」
心なしか得意気な執事に、イライは恐る恐るそう尋ねる。
非公式な訪問で、トレイシーに対して手荒な行動に出たとはいえ、向こうの警察は未遂だがこちらの主人は相手を叩きのめしてしまっている。警察が職務中である事を主張すれば、レディが罪に問われるのではないかとイライは心配したのだ。
しかし執事は「問題ありません」とにっこり笑う。
「この屋敷内においては、我が主人、パウラ・レーゲル様が絶対なのです。警察の方々の権限は無意味です。もっと上の方の決定ですので。苦情があるのなら私共ではなく、王城へ直接訴えていただかなくては」
「おう、じょう?」
「はい。寧ろ、そんな事も知らないような人間を野放しにしたのかと、警察署には抗議させていただきました。大切なお客様に対する無礼ですので、お嬢様も大層お怒りで事件の調査には今後一切の協力はしないし、警察の屋敷への立ち入りも信頼をおけるお一人を除いて、何人たりとも許さない。そして客人に近づく事も許さないと」
「ふむ」
「…………なるほど」
イライもルカも、執事の顔になんなくだがピンと来てしまった。
――これはきっと、深く関わってはいけない話に違いない。
王城やら警察より上の方やら、政治的な何かに関わる案件なのだろう。屋敷の主人が何者かなど考えたくもない。用を済ませて早々にこの屋敷から退出すべきだ。
そう判断したイライはしれっとした顔で話を元に戻すことにする。トレイシーに向けて問いかける。
「つまり、その通りという事なら君には調査目的で近づいてはならない、という事になる訳だよね?」
「そうなるね」
「だったら、なんであんな不格好な帽子で正体を隠していたんだ?堂々としていれば誰も手出しできないのでは?」
「それは……んん……」
ルカが不思議そうに尋ねると、トレイシーは難しい顔で唸り始める。何かまだこの少年には隠している事がある様だ。考え込んだ状態でイライに目を向け、ルカを見やり、トレイシーは最後に天井を見上げた。
「ううん……まあ、聖都教会の使徒さんだし、どうせこっちの吸血鬼には効いてないみたいだし、話してもいいか。あのね、使徒さん。私の名前はトレイシーだよ」
「?え、あ、うん」
改めて真剣な顔で名前を名乗るトレイシーに、イライは戸惑いながらも頷いた。それは知っている。直接名乗られたわけではないが、何度も彼の名前は聞かされているので知っている。最初にイライが自己紹介した際に、どたばたしていたせいで名乗れなかった事を気にしていたのだろうか。
イライがそう考えていると、トレイシーはもう一度「トレイシーだよ、トレイシー」としつこく繰り返す。じっとイライを見据えて何かを待っているトレイシーに、イライはこれはもしや復唱すべきなのかと漸く気付く。
「えーと、トレイシー?」
少年の思惑は分からないが、視線に促されるまま、その名前をイライは口にする。
途端にイライの視界に変化が起きる。今まで気付いていなかったが、トレイシーの顔にだけうっすらと靄のようなものが掛かっていたのだ。それがすっと消え失せる。
その変化にイライが驚いて目を見開いていると、トレイシーは「見えるようになった?」と笑う。
「ご覧の通り、私には喪失の呪いがかかってるんだよ。って言っても悪いものじゃなくて身を守るためのものだけど。私が自分で名乗って、名を呼ぶ許可をした人以外、私の姿は認識されにくくなるし、記憶に残らないの」
「ああ、それで」
イライは昨日、マルガレータとの会話中にトレイシーの姿を思い出すことができなかった理由を知った。もう一度、トレイシーの顔を見るまで本当に全く思い出せなかったのだ。
呪いと聞いて身構えてしまったが、身を守るためのものと聞けば、なるほどと頷くこともできる。
年若く見目の良い、希少な金髪をした少年の一人旅など犯罪に巻き込まれる可能性も高いだろう。姿を忘れる呪いならば、悪巧みをされてる間に行方を眩ませられる。人攫いに狙われても標的を見失う。そもそも認識されにくいなら、犯罪に巻き込まれる事自体を減らすことが出来る。
ルカは楽しげに頬を撫で、にやりと笑う。
「面白い発想じゃないか!」
「そのはずだったんだけどねぇ?」
トレイシーはじろりとルカを睨み、憎々しげに顔を歪ませる。
「なんでかこいつには効かなかったんだけど。呪いが有効なら私が視界からいなくなったら、三秒くらいで何を追いかけていたのか分からなくなる筈なのに」
「言われてみれば。全くそんな効果は感じなかったな。どうしてだろう?」
「多分だけど、喪失の呪いは隠士や賢者が好んで使う簡単なものだから、半封神のルカには軽い魔除け無効がついてる影響で効かないのかも。トレイシーはその呪いは誰にかけてもらったの?」
「…………………………おじさん」
イライの問いに、トレイシーはたっぷりと何か考えた後でそう答えた。その後で「前に牧師やってたことあるって言ってた」と付け加える。
「今は仕方なく街で仕事してるけど、隠遁者してたことあるって話も聞いた。その前は他のことしてたっぽい」
「なんだか、複雑な経歴の人なんだね……?」
「うん」
イライの言葉に、トレイシーは深く深く頷き、同意を示す。――複雑過ぎて今や鉄仮面みたいな顔になってるし。
ルカは眉間に皺を寄せて唸り声を上げる。
「牧師に隠遁……そんなにいろいろ経験している人なら結構な年齢になっていそうだが」
「うーん?そういえばすごーく年上だっててモウロが言ってたような」
そうなると、おじさんではなくおじいちゃんと言ってもいい年齢なのかもしれないとトレイシーは考える。
イライもルカも呪いの発想にただただ感心しきりだが、トレイシーは知っている。その「おじさん」がトレイシーにこの呪いをかけたのはただの親切心ではなく、面倒事に自分が巻き込まれない様にする為だ。
トレイシーは「おじさん」の鉄仮面のような顔を思い出し、苛立ちながらクッキーに齧り付いた。
ボリボリとクッキーを噛み砕くトレイシーに、ルカは紅茶のカップを手に「それで」と話しを続ける。
「その呪いが、君が帽子で正体を隠していたことにどう繋がるんだ?」
「この呪いがあれば安全と私も思ってたんだけど、違う問題があって。呪いで喪失するのは目で見た私の姿であって、人伝てに聞いた話はどうしようもないんだ。だから探偵もどきさん達が金髪の人間を知らないか、って聞いて回っちゃうとそれなら酒場にいたなって話になって、辿り着かれちゃうんだよねえ」
「トレイシーさんは容姿を忘れられてしまうので、この屋敷の客人と同一人物だという認識もされていないもので接近禁止が意味を成さないのです。なので印象に残ってしまう髪を隠してしまおうと」
「君が屋敷から出なきゃいいだけじゃないか?ここにいれば金銭がかからないのなら、路銀稼ぎは一旦諦めて」
「そんな事、出来る訳ない!」
「おわ……っ」
ルカの言葉に、トレイシーは荒々しくテーブルを叩き、立ちあがった。その勢いに、向かいに居たイライとルカは身を退け反らせる。
「ト、トレイシー?」
「私が引き篭もったら、被害が拡大するだけなんだから!そんな簡単なら苦労してないんだよ!」
「は……?それはどう言う事だ?」
「広場にあるカリヨン時計を整備してるのは私なんだよ。あれの音が止まったら、街中にも吸血の被害者が出ちゃう」
トレイシーの言葉に、そういえばあの時計に微弱な聖属性がついていた事をイライは思い出す。魔除けの音がするとルカも苦しんでいたので、効果は確実なものである。
しかし、そんな大事な時計であるならば、専門の管理者がいてもおかしくない筈だ。何故、余所者であるトレイシーが整備を担当しているのだろう。不確定とはいえ、容疑者のような扱いを受けたのだ。なのに時計の管理に旅の少年が責任を感じているのもおかしな話に聞こえる。
「あの時計が大事なものである事は分かるよ。でもそれこそ教会に相談して管理を任せた方が」
「それは無理」
「どうしてだい?」
首を振るトレイシーに、イライは眉を顰めた。この線の細い少年は、見た目に反して非常に頑な性質をしているらしい。
身を守る為に呪いをかけられているのに、仕事仲間の為にと夜間に不用心にも一人でパトロールをしているのもおかしな話だ。このか細く小柄な少年は、吸血鬼に怯えて震える至って普通の、いやそれよりも弱弱しい存在なのだ。何を持ってして、そんな蛮勇としか言えない行動をしでかすのだろう。
執事といい、屋敷の主人といい、呪いの主といい、なんだかトレイシーに対して過保護気味だなと感じていたのだが、もしかすると過保護なのではなく見張ってないと猪突猛進に何かしでかすタイプなのではないだろうか。イライはそう睨んでいる。
「昨日会っただけの僕が言うのもなんだけれど、君はもう少し自身の危険と言うものを顧みた方がいいと思うんだけど」
「傷をつけてしまった私が言うのもなんだが、絶対君が一人で行動しても事が悪い方向に行く予感しかしないんだが」
「その通りです」
「アルフレッドさんまで、そっちにつかないで欲しい……」
イライとルカの言動に、深く深く頷いた執事にトレイシーはがっくりと肩を落とした。
トレイシーは気を取り直してソファーに腰を下ろすと、真剣な顔になる。
「無茶をしてた事は認めるけどね、カリヨン時計に関してだけは絶対に譲れないの。というか、意味がないんだよ、私じゃないと。あの時計自体にはなんの力もないから」
「でも、あの広場の時計は聖属性を帯びていたよ?」
イライは自身の目で、カリヨン時計が金色のオーラを放っていたのを見ている。微弱ではあるが、それでも確かに聖なる力を纏っていた。
しかしトレイシーはイライのその言葉に首を振る。自身の胸に手を当てて、トレイシーは誇らしげに口を開く。
「あの時計が聖属性を帯びていたんじゃないの、私が定着させたの」
「君が?」
「そんなことが出来るとは思えないが……」
「ふふん。それが出来るんだよねー。私はちょっとだけ特殊な能力があるんだ。あんたが昨日怯んだタイマー作ったのも私だし」
「……あの煩いおもちゃか」
「そう!」
訝しげな顔をしているルカに、トレイシーは少し得意げにそう告げる。
イライは、マルガレータを救った魔除けタイマーの製作者が、この少年であることを思い出した。
「私、生まれつきの魔力異常症なんだよ。体内にとんでもない量の魔力を溜め込んじゃう体質なの。魔術師になるんだったら最高の条件なんだけど、残念ながら魔力を使う才能はこれっぽっちも無いんだ」
「ああ、そういう人がいるっていう話は聞くよ。本当に珍しい症例だから、対処法が見つかってないんだよね」
魔力はどの生物も必ず所持しているものだ。許容量や蓄積速度は個体差があるのだが、魔力も呼吸や血液、細胞の様に、作り替えられたり循環したりするものなのだ。
しかし病や事故の後遺症、精神的なショックなどの要因で、極稀に魔力異常症を発症してしまう人間がいる。そうなると外部から魔力を必要以上に取り込む様になってしまう。
魔術師などは過酷な修行で、人為的に魔力異常症を起こす者もいるが、一般人では循環が追いつかず、蓄積する一方になる。
「なあ、その場合は溜め込んだ魔力はどうなるんだ?自然に放出されるのかい?」
「いいや。定期的に魔力を抜き取らないと許容量に限界が来て、体に異常が出てしまうんだ」
「そうらしいね。でも私は大量の魔力を微弱な聖力に変換して定着させる力があったんだ。私が赤ちゃんの時から気に入って遊んでた玩具や絵本が聖物化してた事で判明したんだけど、無意識にそうやって魔力を発散してたらしいんだ。ものすごおおおおく燃費が悪いから実用性はないんだけどね」
「そうなのか?」
「例えると、バスタブ一杯分の魔力で、小さじ一杯分の聖力になる感じなんだよ。物凄く、釣り合ってないでしょ。しかも聖力って香水みたいなもので、微々たる量を定着させてもすぐ薄らいじゃうんだよ。だから聖属性を帯びさせるには頑張って頑張って聖力を注ぎ続けないといけないの。絶対私がやるより本職の人がやった方が確実でしょう」
「ふむ……」
ルカは唇を撫でて考える。
トレイシーの言う通り、稀有な能力ではあるが実用向きでは無いようだ。だがそうなると、あの大きなカリヨン時計に聖属性を帯びさせるのにどれだけの魔力と労力をかけたのだろう。もっと言うなら、この子はどれだけの魔力の容量があるのだろうか。ルカとしてはそちらの方が気になってしまう。なんとか測る方法は無いだろうか。
「じゃあ、さっき言ってた引き篭もってられないって言うのは」
「毎日毎日、鐘を磨いたりして聖力を少しづつ定着させてたんだよ。あとは四日に一度、巻き上げ作業もしてる。それしないと時計が止まっちゃうからね。教会に任せてもどうにもならないでしょう?」
「それは、確かに……」
イライも、トレイシーの言い分を認めざるを得なかった。
未完成の聖物を管理出来る人間は、この街にはトレイシー以外は存在しない。司祭にもイライにも無理な事だ。
街中に響き渡る魔除けの音は、事件が解決していない今は被害を最小限に留めるのにも有効な手段だ。無責任に屋敷に籠っていろなどと言えるわけがない。容疑者どころか、警察としても感謝して表彰すべきなのではないだろうか。
トレイシーは新しいクッキーを手に、くすりと笑う。
「本当は疑われた時にすぐに街を出ていく事も考えたよ。でも乗りかかっちゃった船だから。知り合った人たちに何かあっても嫌だし、それにやっぱり犯人も気になるし。濡れ衣着せられた上に吸血鬼に襲われるし!」
「それについてはすまなかったと言っているだろう」
「悪いと思ってるなら、早いところ犯人を捕まえて欲しいな、調査員さん」
「そのつもりで動いているんだよ。そうしたら君が現場にのこのことやって来るから……」
「のこのことはなにさ!でも、美術館で事件が起きてる事は知ってるんだ。優秀なのは本当みたい」
「……うん?」
もさもさとクッキーを食べているトレイシーを見つめ、イライとルカは目を瞬かせた。
ルカが美術館に行ったのは、霊視を得手とする祓魔師から被害者の霊魂の話を聞いていたからだ。その話は他の人間が知るはずが無い。しかし今のトレイシーの言い様は、まるでそんな事は疾うに知っていると言わんばかりだ。
「トレイシー、なんで君は美術館の事を知っているんだ?君がこの街に来るよりもかなり前に起きている事件のはずでは?」
「聖都から調査団が来てくれるとは思ってなかったから、自分で解決しなきゃと思って頑張って調べたんだよ。そうしたら、今の連続殺人事件よりもっと前にも行方不明になってる女の人がいるってのが分かってさ。その人たちの足取り追ってたら、何人か美術館に向かうって話した後に、そのまま誰にも会わずに旅立ってしまってるってのが不自然だなあと」
「なんだ。君の方が余程、探偵の才能があるじゃないか」
「そうかな?まあ、警察よりは事件解決に向いてるかもね。でもプロの人達が来たから、もう調査は任せるよ。魔除けの時計の整備はするから、だから早く解決してね」
ひらりと手を振り、トレイシーはすっかりと気の緩んだ顔で紅茶を啜る。
聖都から来た調査団とはいえ、信用できるかどうかを直に確認せねばと思っていたのだ。少し誤解が生じはしたものの、幸いにして調査力は本物であることは証明された。
教会本部公認の半封神の吸血鬼に、聖匙の使徒ならばきっと大丈夫だろう。トレイシーは大人しく事件の解決を待てばいいだけだ。問題がなくなったら心置きなく次の旅に出られる。
――あ、でも出来たらもう少しお金は蓄えておきたいんだよな。調査に充ててた時間が浮くし、バイト時間を増やして貰おうかな。
トレイシーは呑気にそんな事を考えていたのだが、向かいでひそひそと話し合っていたルカとイライが頷き合っているのを見て、何やら嫌な予感を覚える。
空になったカップを置くと、トレイシーはソファーから立ち上がり「じゃ、私はこれで」と早足でその場から立ち去ろうとする。ところが一歩進んだところで、ぐん、と垂れていたサスペンダーを引っ張られる。
昨日もこれやられたな、と思いつつトレイシーが振り返ると、いつの間にやら背後に立ち、にっこりと笑ったルカと目が合ってしまう。嫌そうに顔を歪めるトレイシーに構わず、ルカは親しげに肩を抱き、有無を言わせぬ力でソファーにトレイシーを連れ戻す。今度は隣にルカがいて、しっかりと肩を抑えられているので逃走は不可能だった。
「まあ、待ってくれ少年。まだこちらの話は終わっていないよ」
「私はもう話すことないけど」
「そう、つれないことを言わないでくれ。君と私の仲じゃないか」
「どんな仲だっていうのさ。加害者と被害者?」
「トレイシー、話をどうか聞いて欲しい。頼みがあるんだ。実は僕らには共通の悩みがあってね」
「悩み?なに?」
ルカには刺々しい物言いが多かったが、イライが相手になると途端に話を聞く体勢になるトレイシーに、ルカは苦笑を浮かべてしまう。随分と嫌われてしまったようだ。
「僕はご覧の通り、色素が薄いせいで陽の光に弱いんだ。そしてルカ、彼は半分は吸血鬼なせいで、陽の光に当たると供給した魔力を消耗してしまう。ドラクルは曇り空な事が多いって聞いていたから大丈夫かと思っていたんだけど、昨日も今日も快晴だろう?だから僕ら二人では、思う様に調査が出来るか不安で」
「………………それ、まさか私に協力しろって言ってる?」
「うん。そうなるね」
「嫌だよ、私は暇じゃないんだから。他を当たってよ」
「まあまあまあ。そう言わずに。君にとっても悪い話では無い筈だ」
「はあ?」
馴れ馴れしく肩に回されたルカの手を抓りながら、トレイシーは胡散臭げな目を隣に向ける。
「真犯人が野放しの今、金髪の人物が容疑者なことに変わりはないだろう?喪失の呪いがある限り、レディや教会側が何を言っても、君は常に疑われ続けるわけだ」
「…………」
ルカの言葉に、トレイシーは苦虫を噛み潰した様な顔になる。悔しいがルカの言う通りなのだ。結局は事件が解決しない限り、現状は何も変わらない。
疑われていると言っても正式なものではないから、トレイシーは街から出ることも出来る。
しかし、今出ていけば犯人だから逃げたと判断されるだろう。そうなれば、このお世話になった屋敷やシュテルンの人々にも迷惑がかかる筈だ。
それに、カリヨン時計の魔除けの効果が消えれば、街中にも被害が及んでしまう。人が少ない街の外でも、八人もの犠牲者が出ているのだ。もっと大事になる未来が見えてしまう。
黙り込んでしまったトレイシーに、ルカは畳み掛ける様に言葉を続ける。
「賢くて行動力のある君が協力してくれるなら、事件の早期解決につながる筈だ。私達と行動をしていれば君も調査団のメンバーだと判断されるから、今より動きやすくなるんじゃないか?君だって真相は知りたいだろう?」
「それは……」
「それに、パトロールと称して非力な君が夜の街を一人で彷徨くのは危険だ。私のせいとはいえ、今回のことでそのことは痛感した筈だ。相手が悪意ある人間だったら、魔除けも効かないだろう?それなら君はどうなっていたか。家の人も心配するだろう?」
「その通りです。本当にやめていただきたい」
「アルフレッドさん……」
後ろに控え、必要外の事には口を出さずにいた執事だったが、ルカの言葉には力強く同意する。
どれだけ屋敷の人間を心配させていたかは昨日今日の大騒ぎでトレイシーも実感させられた。やんわりと一人で行動するのはやめる様にと治療してくれたメイドも言っていた。
以前から、女主人にも誰か連れていったらどうかと言われていた。
涼しい顔をしている吸血鬼にトレイシーはぎり、と歯軋りをしてしまう。
図書館でもそうだったが、僅かな時間のやり取りしかしていないのに、何故こんなにも的確な急所を突いてくるのか、この男。
トレイシーは仏頂面で腕を組むと、ぶっきらぼうに「それで?」と正面のイライを見据える。
「私に何をしろっての?」
「協力してくれるのかい?」
「よく考えたらあんたらシュテルンに宿泊してんだから、ここで拒否したところで、どうせこいつが仕事中もしつこつ付き纏ってくる未来が見える」
び、とトレイシーが隣を指差すと、ルカはにこりと微笑んだ。まるで正解と言われている様で腹立たしい。
「私を理解してくれて嬉しいよ」
「危険なものは理解しないと避けられないじゃん。吸血鬼とか絶対関わりたくない魔物だよ」
「待ってくれ、私に吸血行動する気は全くないよ。それに言っただろう?元から男の血には興味はないんだ」
「本当にぃ?」
「トレイシー、安心して。彼が悪さしたら懲らしめる首枷がついているからね。何かされたら僕に言ってくれていいよ。いつでも締め上げるから」
「君、本当に神職向きだよイライ……その物言い、とても聖賢者に似てるよ……」
大天使のような見た目で容赦ない発言をするイライに対し、ルカは苦笑いを浮かべる。
イライの言う「首枷」らしきものはルカの首には見えないので、何らかの術の暗喩なのかもしれないとトレイシーは考える。昨夜、イライが乱入してきた後にルカが頭を抑えて痛がっていたので、あれがその術なのだろう。
「君の行動力と本職顔負けの捜査力を見込んでお願いしたい。僕らの調査に加わって欲しいんだ、トレイシー。霊能や神霊の力を借りても警察を納得させられる裏付けにはならない。明確に目に見える事実が無いと駄目なんだ。これ以上の犠牲者を出さないためにも、どうかな?」
「あのね、それ言われたら拒否出来ないよ。可哀想な女の人をこれ以上増やせないし」
「それじゃあ」
「いいよ、分かった。協力する」
トレイシーが溜息を吐きながらも了承すると、イライは安堵した顔で「ありがとう」と微笑む。
最初から司祭見習いの要請を断る気はトレイシーには無かったのだが、向こうも無理強いさせるつもりは無かったのだろう。教会の圧力で強制することもできるのに、こちらの意見を尊重してくれるようだ。
思えばイライは昨日もルカからトレイシーを庇おうとしてくれていたし、「行動が聖匙の使徒の証明になる」というのは事実らしい。彼ならいい司祭になる筈だ。
グラール教の未来も明るいなとトレイシーが感心していると、親しげに肩を叩かれる。
「では協力者としてこれからよろしく頼むよ」
「……使徒さん」
「イライでいいよ」
「イライ、この吸血鬼はいなきゃいけないの?」
据わった目でルカを指差し、トレイシーがそう問いかける。昨夜の件ですっかりと警戒対象にされてしまったようだ。
イライは困りきった顔で頬を掻いた。
「うーん、随分と嫌われちゃってるけど、ルカは科学魔法調査が得意だから、彼がいないと話にならないんだよね」
「人前で吸血鬼と呼ばれるのは困るな。私も名前で呼んでくれないか。ルカだよ」
「調査員さん」
「頑なだなぁ、少年」
意地でも名前で呼ばないトレイシーに、ルカは肩を竦める。トレイシーは肩に置かれた手を払い落とした。


続く……
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