1話

デミがテラスのテーブルと椅子のセッティングをしていると、背後から控えめに「すみません」と声を掛けられた。
まだ、酒場の営業開始時刻には早い時間だが、こんな事はよくあることなのでデミは明るく「はーい」と答える。シュテルンは人気の店なので,席の確保を頼まれたり、初めての旅行者に営業開始時刻を尋ねられたりするのだ。
いつも通りの対応をする為にとびきりの看板娘スマイルで振り返ったデミは、そこに立っていた人物に思わず固まってしまう。
夕陽に透ける白い髪、抜ける程に白い肌、覆われた目元の覆いすら神秘的に見える。まるでお伽話か神話に出てくる様な衣服の人物。少年と青年の間の存在。
デミはぽかんと口を開けて相手に見入ってしまう。話には聞いていたが、噂の白い神官を目の前にすると現実感がまるで無い。
――成程、これは天使と言われる訳だわ。
そう、妙に納得してしまう。
「ええと……お忙しいところすみません」
固まってしまったデミに、神官――イライは頬を掻きながら苦笑いをする。その反応にはっとしたデミは慌て表情を取り繕う。
開店前に訪問者が来る事は、女将のイルダから知らされていた。そうしたら、直ぐに中に通すようにとも言われている。
――でもイルダさん、その相手が誰かくらい言っておいて欲しかったんだけど!そうしたらこっちも心構えが出来たのに!
心の中でそう文句を言いながら、デミはにこりと微笑み「こちらへどうぞー」と店内にイライを案内する。
「ちょっとこちらで待っててくださいなー……………………イルダさん!イルダさああああん!」
イライにはにこやかにそう告げながら、バーカウンターの横の扉に入った途端に大慌てでデミは女将の名を叫んでいる。
その慌てっぷりにイライはうーんと唸る。この髪だけでも隠すべきだったのかもしれない。この街に来てから、会う人会う人にこの反応をされる。
イライは当初ドラクルに派遣される前、目立たないように質素な黒いフードマントとローブで行動をする予定だったのだが、上司曰く「見た目は最大限に活かせ」との事で、そのままの格好で行けと命令されたのだ。
いくらなんでもこの格好が聖都の外では悪目立ちする事は、あまり外部に出ないイライでも分かっていた。しかし上司に文句を言うともっと派手な格好をさせようとして来たので、仕方なくそのままの出立ちを選んだのだ。
店内に一人放置されたイライは手持ち無沙汰になり、女性店員の入って行ったバーカウンターの側に歩み寄る。そうして時間潰しに店内をじっくりと見回す。大衆酒場に入ること自体がイライは初めてなので、少し楽しい気分になる。
「ただいま戻りましたーって、あれ」
イライが色とりどりの酒瓶を興味深く眺めていると、厨房側の扉が開いた。イライが振り返ると、そこにいたのは小柄な人物だった。
一瞬、イライには相手が少女に見えたのだが、一度瞬いて改めて見ればその人は帽子を被った少年だった。華奢な姿なので見間違えたのかもしれない。
イライはその人物に何か違和感の様なものを感じたし、奇妙な既視感も覚えたが、どれも瞬きの間に消えてしまうような微かな感覚だった。大きな目を丸くしている相手に、イライは他所行きの顔で微笑む。
「開店前に、お邪魔しています」
「…………片割れ、こっちにいたんだ……」
「うん?」
「いや、なんでもない」
低い声で相手が何かを呟いたが、イライにはなんと言ったのかまでは分からなかった。
ふい、と横を向いた相手のその顔に、消えたはずの既視感がまた戻ってくる。どこかで見たような、違うような。イライははっきりしないその感覚にむず痒さを覚え、口を開く。
「あの……」
「はいはいはい、お待たせしてごめんなさいねー!」
ばん、と音を立てて扉が開き、中から中年の女性が勢いよく出てくる。人を惹きつける、暖かな雰囲気の持ち主に、司祭の言っていた酒場の名物女将その人で間違いないとイライは判断する。
女性もイライの姿に一瞬だけ目を見開いたが、すぐに安心させる様な笑顔に変わる。
「いらっしゃい。シュテルンへようこそ司祭見習いさん。私はイルダよ。本日は宿の予約はいただいているわ。でももう少しお時間もらえるかしら。まだ部屋の準備が済んでいないのよ」
「イライと申します。突然の無茶を言ってこちらこそ申し訳ないです。連れがまだ来ないので、先に例のお話しを伺うことは出来るでしょうか」
「ああ、そうだったわね。マルガレータ!マルガ!降りていらっしゃい!」
イルダが扉の奥――そこが客室へと繋がっているのだろう――の階段に向かって叫ぶと、遠くで女性が同じ名前を呼んでいるのが聞こえてくる。先ほど店の前にいた女性だろうか?しかし声の届く範囲にマルガレータと呼ばれる女性がいなかったのか、なかなか反応が帰ってこない。
イルダはイライに「少し待ってね」と言いおくと、また階段を上がっていく。そうすると、先ほどの少年とイライは二人きりでその場に残されてしまう。
「……………………」
「……………………」
「…………お茶でも出すよ、そこ座ってて」
「ああ、うん。ありがとう」
気まずい空気に耐えきれなかったのか、少年はそう言ってバーカウンターに入っていく。イライは近くの椅子に腰掛け、戸棚を探っている少年を観察する。
いくらイライが記憶を辿っても、会った覚えのある顔ではない。少年は何故かぼんやりと霞む様な印象があるが、顔は可愛らしいしそれなりに整っているので、見ていたらきっと忘れない筈だ。
もう一つ、イライが気になったのは少年の服だった。シャツにニットベスト、短いパンツと革靴という出立ちは、少し上品な組み合わせとはいえ珍しくはないものだ。しかし、見るものが見れば、首を傾げざるを得ないところがある。
シャツの素材は貴重な綿だし、ネクタイやクォーターパンツは上流階級の人々が好むダマスク織、ソックスガーターは今や実用品ではなくただの装飾の意味が強く、カフスボタンと同じくその素材も贅沢なものに見えた。
酒場が盛えているとしても、女将や店員の女性はありふれた庶民の衣服を身につけていた。この少年だけ、あまりに服装が高価で不釣り合いなのだ。
――どう見ても、庶民の服装じゃないんだよな。でも、この子自身は貴族という感じでは無いし……
少年自体は至って普通なのだ。酒場にも馴染んで見える。しかしその服装だけが浮いている。
「どうぞ」
「どうもありがとう」
氷の入った冷茶のグラスをイライは受け取る。喉が渇いていたので、冷えた飲み物なのはとてもありがたい。今は翳って来たとはいえ、日中は快晴だったのもあり、外は少し気温が高かったのだ。
早速イライがグラスに口をつけると、ぱたぱたと階段を駆け下りてくる軽い足音がする。そちらにイライが首を向ければ黒髪の女性が顔を覗かせる。潤んだ瞳が特徴的な美女だ。彼女が先ほどから名前が出ていたマルガレータなのだろうとイライは判断する。
マルガレータは三角巾を脱ぐとイライに微笑んだ。
「お待たせしてごめんなさい。奥の部屋へどうぞ。そこで話すわ」


厨房の奥、従業員用の休憩室に場所を移ると、マルガレータは少し沈んだ表情で口を開いた。
「私、あの時はまだ住み込みで働いてなくて。ここから距離のあるアパートを借りていたの。デミにもご夫婦にも、夜遅くに女の一人歩きは危ないから、空いてる部屋に越しておいでって言われていたのだけれど。私はここは気のいい人ばかりだし、そんな心配必要ないって高を括っていたのよ。そうしたら、これよ」
マルガレータが服の袖を捲り上げると、前腕に大きな傷跡がついている。もう治りかけているが、それでもインパクトは充分だ。
イライはその傷跡に痛ましげに顔を歪めながら、気になっていた事を尋ねる。
「帰宅中の君を狙った犯行だった?」
「そうだと思うわ。アパートへの道中は夜でも人通りが少ない場所ではなかったの。なんなら、心配した常連さんが近くまで送ってくれる事もよくあったわ。決まっていたのは帰宅時間だけだったと思う。張られていたんじゃないかって言われたわ。あの日は偶々誰もいなかったのよね。そうしたら突然、あのおかしなマントの奴に襲われたの」
その時の事を思い出したのか、マルガレータは眉を顰めるとぐっと目を閉じた。しかしそれは数秒の事で、すぐに目を開くと先を話し始める。
「私、旅の一座にいたからとても身軽なの。だから相手に斬り付けられた時に咄嗟に避けられたのよね。そうしていなかったら切り裂かれていたのは腕じゃなくて首だったと思うわ。その時に、これが落ちて」
マルガレータがテーブルに乗せたのは、通常の三倍の厚みがある懐中時計のような物だった。イライはそれを手に取ってみる。
「これは?」
「目覚まし時計を改造した、タイマーっていうものよ。私、夢中になってしまうと時間が過ぎるのを忘れちゃうから、作ってもらえて助かっているのよね」
「タイマー?」
「貸してちょうだい」
マルガレータにタイマーを渡すと、彼女は目盛りのついた面を片手で掴み、少し捻る。手を離すと目盛りの面がキリキリと音をさせて逆回転し始め、元の位置に戻ると同時にジリリとけたたましい音が鳴り響く。
「‼︎」
「あはは、すごいでしょう?これのおかげで休憩時間も守れるし、便利なのよ」
身を仰け反らせているイライに、マルガレータは笑ってタイマーを止めてやる。
しかしイライが驚いたのはタイマーの音の大きさではなく、音が鳴り出した途端に小さなタイマーが金色のオーラを帯びた事だった。
「これが地面に落ちた時に、偶然タイマーが起動してしまって、この音が鳴り響いたのよ。そうしたらその襲ってきたマントが地面に倒れて、凄まじい叫び声を上げてのたうちまわったの。そして私が呆気に取られているうちに建物の壁をよじ登って逃げていってしまったのよ」
「それは……つまり、音を嫌ったと?」
「分からないけど、私にはそう見えたわ。そしてあれは人間じゃなかったと思う」
「その話は警察には……」
「私、あの時はもう外に出るのも怖くて、暫くは裏での作業だけさせてもらっていたくらいなの。だから警察へはイルダさんが話してくれたのだけれど、行きずりの強盗事件という扱いだったわ。その後にあの怖い事件が起きてしまって、そこから有耶無耶になってしまって」
「未解決のままと」
「そうね」
軽くそう答えるマルガレータは、さっぱりとした態度で何も気にしている様子がない。犯人がまだ捕まっていないのに、その不可思議な態度にイライは訝しげな顔になる。
「祓魔師殿から、君の事件と今の事件は関連があると聞いたのだけれど」
「多分、そうだと思うわ。マントの襲撃者も金色の髪をしていたから。長い髪だったのよね、犯人。壁をよじ登る時にマントから見えたのだけれど、かなりの長さだったから、見間違えたりしないわ。それもちょっと変わった色だったから、見たらすぐ分かる。私記憶力には自信があるの」
「それは、今容疑をかけられている人物ではないと?」
「ええ、違うわ」
イライの問いに、マルガレータは自信たっぷりにそう答えた。
「街の広場に時計があるのは見たでしょう?あの音が届く範囲には悪いものは近づいてこれないのですって。イルダさんが言っているから間違いないわ。だからこの街の中で生活できている人達はみんな安全なの。それと同時に犯人であるわけもないわ」
「なるほど」
もう安全だと保証されているから、さっぱりとした態度だったのかとイライも納得する。
「他に何か気付いた事はないかな?」
「うーん……そうね。これは私の感じたことだから他の人に言ったことはないんだけど……あれは、男じゃなかったような気がしたの」
「女性の可能性があると」
「断定しないでね。説明が難しいわ。なんとなくそう感じたの。私、踊りでは売れっ子だったのよ。だから同じダンサー仲間から妬まれることも多くて。その感覚に近いものを感じたの」
マルガレータの言葉に、イライは顎を摩る。女性。その可能性は無意識に除外していた。女性ばかりが被害にあっているので、つい男性が犯人だと思い込んでいた。先入観で可能性を狭めるとは自分もまだまだだなとイライは反省をする。
「私が話せるのはこのくらいかしら」
「ああ、とても参考になったよ。ありがとう」
「どういたしまして。そろそろ部屋の準備も出来たと思うから、このまま案内するわね」
「お願いするよ」
先導するマルガレータの後にイライは続く。
ふと、イライは先ほど見せてもらったタイマーの事を思い出す。街の時計と同じ、聖属性のオーラが発生していた機械。
本来は聖属性の定着は難しい技術の筈だが、ここでは当然のように取り扱われているものなのだろうか。
「先程のタイマーは作ってもらったって言っていたけれど、どこで手に入るのかな?」
「あら、イライも欲しいの?」
「とても便利そうだなと」
「うふふ、それならきっと作ってくれると思うわ。あなた珍しくあの子に気に入られたみたいだし。ちょっとお値段は高いけれどね」
「あの子……?」
イライが訝しげに呟くと、マルガレータはくすくすと笑う。
「さっきお茶出してたでしょう?あの子が作ったのよ。機械に強い子なの」
「ああ、彼が」
イライはそうマルガレータに相槌を打ちながら、先ほど会った少年の姿を思い出そうとする。
しかし、その姿が分からない。会った覚えはあるのだが、姿だけがぼんやりとしていて像を成さない。顔も思い出せない。
「?」
思い出そうと躍起になるほどに、その姿は朧げになる。
――何故だろう?会話した内容は覚えているのに。
イライの中には最初に抱いた微かな違和感だけが残される。その不可思議な感覚にただただイライは首を傾げた。
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