1話
教会の応接室に通されたイライは、まずは教会公認の祓魔師から話を聞くことになったのだが、話が進むにつれ、頭を抱えたくなってきた。
「つまり、事件を辿ると、始まりは三ヶ月前どころではないと言う事でしょうか?」
「そうなります。犠牲者のご遺体が発見されるようになったのが三ヶ月前と言うだけで、詳しく調べると身寄りのない一人旅の女性が行方不明になっている例は数年前からあるのです。そしてそれはこの街での滞在中に起きています。今ほど頻繁ではないのと、ご遺体がないこと、宿泊施設から出た後なので、気付かれていない事が多いのです」
「その件は警察には」
「いいえ。伝えようにも物的な証拠が無いのです……霊視で見えたものが殆どですので」
「なるほど。霊能で分かり得た事実ならば、それは確かに証明が難しいですね」
「魂の残滓を追うと、最終日に彼女達が向かったのがここである事も分かっています。しかしこれも証明のしようが……」
祓魔師が地図上の建物を指差す。そこは街の外れに位置する美術館がある。聞けばオーナーの個人の趣味の美術品を集めているものらしく、建物はそれなりの大きさがあるのだが、有名な所蔵品はがあるわけではないので美術館としての知名度は無いに等しい。
ただ周囲の庭園や建物の美しさは密かに知られており、そこを散策しにくるものは案外多いのだそうだ。それを思えば、犠牲者と思わしき人々がそこに向かったのも、偶然と片付けられて仕舞えばそこまでの話になってしまう。
イライは眉間に皺を寄せつつ、その調査もルカに頼もうと考える。科学魔法道具が目に見える証拠を見つけてくれるといいのだが。
「どうやら、一筋縄ではいかない事件の様ですね」
「はい。行方不明者達と今回の事件の関連性を証明出来れば、無実の人間の容疑も晴らせる筈です。未来ある善良な少年を追い詰める行為を、黙って見てはいられません」
「なるほど。お話はよく分かりました」
祓魔師の話が終わると、彼と入れ替わりでドラクルの教会の司祭がやって来た。
司祭は、目隠し越しでも渋面を浮かべているのが分かるイライに、心底申し訳なさそうにしている。
「大丈夫だろうか、イライくん」
「……想像していた以上に大きな事件の様で、司祭見習い程度には荷が重いなあと思いまして」
「ただの司祭見習いだったら背負わなくていい荷物だと、私も思う。聖匙の使徒とは損な役回りだね」
「困ったら丸投げしとけばいいと思われてるんですよね……」
「それだけ期待されているという事だろう」
自分を慰めようとしてくれている司祭に、曖昧な表情でイライは微笑むことしかできない。
この善良の塊の様な司祭様は、きっと心からそう思っているのだろう。しかしイライは、聖都にいる重鎮の方々は「失敗しても経験。成功したら実績になる、丁度いい丁度いい」という適当な考えなんだろうなと思っている。
そうでなければ、まだ半分魔物であるルカの管理を、若いイライ一人に担わせたりしない筈だ。
肩を落として途方に暮れている青年に、司祭は苦笑する。
「君が適齢になったら即戦力の司祭になってもらおうと企んでいるんだろうねえ」
「司祭は満二十五歳からという、年齢の壁を作ってくれていた先人に感謝です……あと四年は見習い期間を保証されているので」
「君の先輩達を見る限り、皆忙しそうだもんなぁ」
しみじみと言う司祭は、どこか遠い目をしている。
聖匙の使徒と呼ばれるもの達の八面六臂の活躍は彼も聞いている。あれを一人でやっていたと言う聖賢者は確かに人間の域を超えていたのだろう。
「今はそんな先のことより、事件の事ですね」
「ふむ。ああ、そうだ。警部殿は少し約束の時間に遅れるそうだが、時間は大丈夫かな?お連れさんをお待たせしてしまうが」
「彼は自由時間を謳歌していると思うので気にしないでください。まだ吸血鬼の性があるので聖堂に入りたくないようです」
「それはそうだ」
ルカの正体を知っている司祭は声を上げて笑う。確かにそれなら図書館の方が居心地はいいだろう。
が、司祭はすぐに困ったような顔で顎を摩る。
「しかし、そうなると君らの宿はどうしようか。宿坊を準備していたのだが……吸血鬼くんは喜びそうにないし、君と別の宿と言う訳にも行かないだろう?」
「あ」
司祭の指摘にイライは声を上げた。そんな事は頭からすっかりと抜け落ちていた。当然の様に教会にある宿坊に寝泊まりするものだと思い込んでいたのだ。言われてみれば、ルカには厳しい環境だ。
「お恥ずかしながら、考えてませんでした……どうしたものか」
「まあそうなるか。今からホテルをとると言うのも、時期的に部屋が確保出来るかどうか…………ああ、そうだ」
司祭は何かを思いついた様で、テーブルに広げていた街の地図の一点を指した。シュテルンと書かれた建物は街の広場からは距離があるが、店が多く賑わいの中心と言える位置にあった。
「祓魔師殿から、この酒場の話は聞いたかな?」
「確か、最初の事件より前に襲われた女性がいると。営業時間前に話を聞けたらと考えていたところですね」
「ああ、なら丁度いい。ここはね、宿屋もやっているんだよ。空きがあれば泊まらせてもらえるかもしれない。使いを出すから、約束ついでに空室も聞いてきてもらおう」
「それは、助かります」
イライがほっとした顔をすると、司祭は穏やかに微笑んだ。
直接の上司にあたる大司教より、この司祭の方がよほど人間ができているなあとイライは感心するのだった。
ドラクルの教会図書館は、教会の敷地内に存在している。だがそれは宗教の理解を深める役割というよりも、公共図書館の側面が強く、教会利用者でなくても出入りが可能になっている。
蔵書もそこそこの数がある。流石に貸出はドラクルの街に居住していなくてならないが、それでも閉館までは好きなだけ本を読むことは出来る。
トレイシーは書架の配置図を眺め、小さな溜息を吐いた。教会の図書館なので宗教以外の図書は全て寄贈頼りになる。そうなると民衆向けのものは充実しても、なかなか専門的なものまでは揃わないのだろう。
その為か、自然科学、化学、物理学の系統が一箇所に纏められてしまっている。これは目的のものを探すのは骨が折れそうだと、トレイシーは眉を顰める。
『生前の彼について知りたい?それなら君自身が「勉強」するといい』
あまりに表情の変わらない後見人に、トレイシーが「あの人、弱みとか無いの」とぼやくと、赤髪の青年はにやりと笑ってそう答えた。そして、ある学者の名前をトレイシーに教えてくれた。
青年は物知りだが謎めいた物言いが多く、直接の答えを教えてくれることはない。しかし、決して嘘はつかない。
その人物についてトレイシーが調べると、百年前の物理学者であることが分かった。
その人が後見人とどう関係があるのかは最初トレイシーには分からなかった。しかし調べていくうちに、物理学者の数多い門下生の中に覚えのある名があることに気付く。
その時に見つけたのはそこまでだったが、これは過去を頑なに口にしない後見人の秘密への、重要な手掛かりなのだろう。
赤髪の悪友がくれたこの手掛かりで、絶対あの鉄仮面の弱みを掴んでやる。そうトレイシーは密かに誓ったのだ。
一人旅に出た後も、トレイシーはその事については調べていたのだ。
ドラクルの街についてからは、なにかと忙しかったのですっかりと調査はご無沙汰だったが、今日は折角得た機会なので色々と探しておきたい。トレイシーはそう考えて、目当ての書架に辿り着いた。
ざっと見渡すが、この分類は全体的に見て本の総数が少ない。更にどの本も年季が入っているので、新たに書籍が追加されていることもなさそうだ。
著者の名前順に並んだ本の背表紙を見上げ、トレイシーは「A」で始まる著者達を一つ一つ確認していく。
エイベル、アドルフ、エメ、アグスティン、アレクシス、アロンソと来て…………次がアンスガー。「AL」から「AN」の綴りに名前が飛んでしまった。期待していたが、探している著者の名前は無かった。
その書架の「A」で始まる名前の著者を全て確認したが、やはりトレイシーが探していた後見人の名前は、見当たらなかった。
――そう簡単ではないか。
それならばせめてとヒントで貰った物理学者とその門下生達との関連の書籍を探したが、どれも見たことのあるものばかりだった。
大きな図書館なので、何か目新しい手がかりがあることを少し期待したのだが、残念ながら外れのようだ。
トレイシーは少しがっかりしながら、仕方なく読む本を選ぶことにする。どちらにしろ夕方まで図書館で過ごすとなれば、やることは読書しかない。
トレイシーは適当に選んだ本を抜き取る為、背表紙の頂点に指をかける。
「永久機関に興味があるのかな?」
「!」
トレイシーは背後から掛けられた声に、無言で飛び上がった。この区画に他に人がいるとは思っていなかったのだ。
取り落としそうになった本を両手で抱えて振り返ると、いつ来たのか長身の男がトレイシーの背後に立っていた。
「すまない、驚かせてしまったか」
「っ…………!」
男は申し訳なさそうな顔で謝っていたが、それよりもトレイシーは相手の姿に視線がいってしまう。――なんだこのイカれた格好は。
白いスーツベストに白いスラックスと白い靴、極め付けの白いロングコートと全身白尽くめ。その状態で頭上に金色のアンテナ、肩にはラッパのような妙な機械を乗せている。
普通の男がやっていれば奇人変人に違いないが、プラチナブロンドと優男に分類されるであろう顔のお陰で妙に様になっている。
そこでトレイシーははっとする。――金髪に白いロングコート!さっきマルガレータが言ってた聖都の調査員の一人ってこいつじゃん!
愕然とした思いでトレイシーは白尽くめの男を見上げる。教会が派遣したのが、こんな奇天烈な格好をした人間だとは思っていなかったのだ。
只者が来るわけはないのは分かっていたが、果たしてこの人間に任せて自分の容疑は解かれるのだろうかとトレイシーは不安を覚える。
「?どうかしたかい?」
自分の顔を見て固まっているトレイシーに、調査員の男は訝しげな表情を浮かべる。
随分と不躾な視線を相手に向けてしまった事に今更ながら気付いたトレイシーは、帽子の鍔を掴んで俯く。
「……な、なんでもない。そんな白っぽい金髪の人、珍しいなって」
「ああ、ここではそうらしいね」
調査員の男は自身の髪を摘み上げて微笑んでいる。その間も相手の目線はトレイシーが抱えた本へと向いている。どうにも、手遊びに取った本が相手の興味を惹いてしまったようだ。
トレイシーとしてはなんとなく本に手が伸びてしまっただけで、読むつもりは無かったのだ。表紙を見たらすぐに本棚に戻すつもりだったのだ。トレイシーは本を男に差し出しておずおずと尋ねる。
「読みたい本だった?それなら譲るけど」
「いや、もう内容は知っているよ。散々読んだからね」
「……でしょうね」
トレイシーはぼそりと囁いた。
トレイシーが手にした本はタイトルも内容も、あらゆるエネルギーの可能性について記されているものなのだ。それが途中から永久運動についての話になってしまう。
最初に読んだ時に、トレイシーはうんざりした思いを抱いたのを覚えている。前半が面白かったからこそ、後半の幻想の様な話がトレイシーには苦痛に思えてならなかった。
本を一目見ただけで「永久機関」なんて言葉が出る時点で、この目の前の相手はこの本の内容を知っている事は間違いないのだ。
こっそりと窺えば、調査員の男は興味深げにトレイシーに目線を向けている。正直こんな如何にも奇人変人ぽい姿の男に必要以上に関わりたくない。
そう思ったトレイシーは本をどうしようか迷ったが、相手の目の前で書棚に戻すのもなと考えて、結局手にしたままその場から立ち去ろうとする。しかし、そんなトレイシーを相手は呼び止める。
「その本でいいのか?」
「え?」
「一度読んだことがあるんじゃないのか?しかもあまり興味がなさそうだ」
「…………………………」
思っていた事を言い当てられたトレイシーは黙って調査員に視線をやる。男は本棚に凭れて、にぃと笑う。
「私に永久機関と言われて、その本の事だと君は認識していたじゃないか。中身を読んだことがあるんだろう?しかし懐かしむという顔でも無いし、タイトルに惹かれて読んだのに内容が思っていたものと違ったというところだろうか」
「…………まるで探偵みたいな事を言うんだね」
「ああ、似た様なものさ」
トレイシーは帽子の陰で嫌な表情になりつつも感心してしまう。厄介な探偵気取りの魔払い達から逃げて来たのに、その先で探偵役が待ち構えているとは。今は余計な詮索をされたくはないが、相手の観察眼は確かなようだ。そこは認めざるを得ない。
しかし男のこのだらけた雰囲気を見るに、事件の調査をしている訳ではなさそうだ。先ほど話題に出ていた使徒の姿もない。大方暇つぶしにでも来たと言うところか。
この広い図書館で、他にも人がいる中で事件の容疑者のトレイシーにちょっかいをかけてくるとは、探偵と自称するだけあってこの男は勘もいいようだ。
「私のお勧めを紹介しようか、少年」
「永久運動については結構だよ。私はエネルギー保存則に反する考えはやっぱり理解できない。エネルギーは使用すれば無秩序な状態へと変化してしまうものだから。実現すれば偉大な革新になるだろうけれどね」
「ふうん。君は自分の分野じゃないものにも研究熱心なんだな」
「物理学者のカイザーの考え方に興味があったから、その著作とか見てたら研究分野に永久運動について含まれてただけだし」
「おや、ならば色々読破している様だ」
「そんなには読んでないってば。精々フラッドとかサマセットとか。後は……ゼーマンの論文くらい?」
「……ほう」
最後の名前を聞いた途端に、ぴくりと笑顔の相手の眉が動いたのをトレイシーは見逃さなかった。何かが相手の気に障ったのを雰囲気で察してしまう。
今すぐにでもこの話題から、いやこの胡散臭い男から離れたいところなのだが、どうにも相手はトレイシーが立ち去る機会を与える気は無さそうだ。本よりも良い時間潰しと認識されてしまったのかもしれない。
男はトレイシーの目の前にまで歩み寄ると、覆い被さるように身を屈めてにこりと微笑んだまま告げる。
「ゼーマンね。よくもそんな無名の男の著作を見つけたな、君」
「え?」
「こちらの話だよ。君はその論文を読んで、どう思ったんだい?」
「どうって……なんか、書いてる事があんまり頭に入ってこないというか。感情の起伏が激しそうな文章書く人だなーって思ったかな。淡々としてると思ったら突然熱くなる感じがして、猪突猛進タイプなのかなって。まあ仲良くはなれなそう」
何か、男から不穏なものを感じたトレイシーは、これは下手な返答は避けるべきと判断した。なので論文の研究の中身には敢えて一切触れず、すっとぼけた振りで文章の評価をつらつらと並べ立てる。
この男は若そうだがトレイシーの事を「少年」と呼んだ。と言うことはトレイシーの姿を幼く見ている筈だ。それなら勘の悪い子供の振りでこの場は躱そうとトレイシーは目論む。
トレイシーの素っ頓狂な答えに男は目を丸くしていたが、やがて顔を伏せるとふるふると肩を震わせ始める。
「…………ふっ、……ふふ……っ」
調査員から押し殺したような笑いが漏れているのを見るに、本当は大笑いしたいのだろう。だが、場所が場所なので耐えているようだ。
一頻り笑った男は、笑いすぎて涙の滲んだ目元を拭うとトレイシーに向き直る。
「なるほど。仲良くなれないのか。忌憚のない感想をありがとう。斬新な意見だったよ」
「それは良かった」
男からしていた不穏な空気はすっかりと消えたので、その事にトレイシーはほっと胸を撫で下した。薄氷の上を歩かされている様な気分だったのだ。よくは分からないが、もうこの話題には一切触れたくない。
息が詰まりそうだからもう勘弁して欲しいなとトレイシーが思っていると、調査員が名残惜しそうに壁の時計を見上げた。
「ああ、そろそろ行かなくてはならないな。もっと君と話したかったんだが、残念だ」
「……それはどうも」
心底残念そうにしている男に対し、トレイシーは素っ気なくそう答えた。実際トレイシーは今すぐこの場から離れたくて仕方がないのだ。
この男、勘が良過ぎる上に、何やら厄介なものの気配がする。
「また、ここに来るかい?」
「……まあ気が向いたら」
去り際に尋ねる男に、トレイシーは適当にはぐらかして答えた。どうせ翌日に事情聴取で会うことになることを知っているのは、今はトレイシーだけだ。
白いコート姿の男がいなくなると、トレイシーはほう、と全身の息を吐き出した。
そうして手にしていた本を棚に戻すと、トレイシーはくるりと書架に背を向けた。
――デミお勧めの娯楽小説でも読もう。
今は何も考えずに頭を空っぽにしたい。そんな気分だったのだ。
「つまり、事件を辿ると、始まりは三ヶ月前どころではないと言う事でしょうか?」
「そうなります。犠牲者のご遺体が発見されるようになったのが三ヶ月前と言うだけで、詳しく調べると身寄りのない一人旅の女性が行方不明になっている例は数年前からあるのです。そしてそれはこの街での滞在中に起きています。今ほど頻繁ではないのと、ご遺体がないこと、宿泊施設から出た後なので、気付かれていない事が多いのです」
「その件は警察には」
「いいえ。伝えようにも物的な証拠が無いのです……霊視で見えたものが殆どですので」
「なるほど。霊能で分かり得た事実ならば、それは確かに証明が難しいですね」
「魂の残滓を追うと、最終日に彼女達が向かったのがここである事も分かっています。しかしこれも証明のしようが……」
祓魔師が地図上の建物を指差す。そこは街の外れに位置する美術館がある。聞けばオーナーの個人の趣味の美術品を集めているものらしく、建物はそれなりの大きさがあるのだが、有名な所蔵品はがあるわけではないので美術館としての知名度は無いに等しい。
ただ周囲の庭園や建物の美しさは密かに知られており、そこを散策しにくるものは案外多いのだそうだ。それを思えば、犠牲者と思わしき人々がそこに向かったのも、偶然と片付けられて仕舞えばそこまでの話になってしまう。
イライは眉間に皺を寄せつつ、その調査もルカに頼もうと考える。科学魔法道具が目に見える証拠を見つけてくれるといいのだが。
「どうやら、一筋縄ではいかない事件の様ですね」
「はい。行方不明者達と今回の事件の関連性を証明出来れば、無実の人間の容疑も晴らせる筈です。未来ある善良な少年を追い詰める行為を、黙って見てはいられません」
「なるほど。お話はよく分かりました」
祓魔師の話が終わると、彼と入れ替わりでドラクルの教会の司祭がやって来た。
司祭は、目隠し越しでも渋面を浮かべているのが分かるイライに、心底申し訳なさそうにしている。
「大丈夫だろうか、イライくん」
「……想像していた以上に大きな事件の様で、司祭見習い程度には荷が重いなあと思いまして」
「ただの司祭見習いだったら背負わなくていい荷物だと、私も思う。聖匙の使徒とは損な役回りだね」
「困ったら丸投げしとけばいいと思われてるんですよね……」
「それだけ期待されているという事だろう」
自分を慰めようとしてくれている司祭に、曖昧な表情でイライは微笑むことしかできない。
この善良の塊の様な司祭様は、きっと心からそう思っているのだろう。しかしイライは、聖都にいる重鎮の方々は「失敗しても経験。成功したら実績になる、丁度いい丁度いい」という適当な考えなんだろうなと思っている。
そうでなければ、まだ半分魔物であるルカの管理を、若いイライ一人に担わせたりしない筈だ。
肩を落として途方に暮れている青年に、司祭は苦笑する。
「君が適齢になったら即戦力の司祭になってもらおうと企んでいるんだろうねえ」
「司祭は満二十五歳からという、年齢の壁を作ってくれていた先人に感謝です……あと四年は見習い期間を保証されているので」
「君の先輩達を見る限り、皆忙しそうだもんなぁ」
しみじみと言う司祭は、どこか遠い目をしている。
聖匙の使徒と呼ばれるもの達の八面六臂の活躍は彼も聞いている。あれを一人でやっていたと言う聖賢者は確かに人間の域を超えていたのだろう。
「今はそんな先のことより、事件の事ですね」
「ふむ。ああ、そうだ。警部殿は少し約束の時間に遅れるそうだが、時間は大丈夫かな?お連れさんをお待たせしてしまうが」
「彼は自由時間を謳歌していると思うので気にしないでください。まだ吸血鬼の性があるので聖堂に入りたくないようです」
「それはそうだ」
ルカの正体を知っている司祭は声を上げて笑う。確かにそれなら図書館の方が居心地はいいだろう。
が、司祭はすぐに困ったような顔で顎を摩る。
「しかし、そうなると君らの宿はどうしようか。宿坊を準備していたのだが……吸血鬼くんは喜びそうにないし、君と別の宿と言う訳にも行かないだろう?」
「あ」
司祭の指摘にイライは声を上げた。そんな事は頭からすっかりと抜け落ちていた。当然の様に教会にある宿坊に寝泊まりするものだと思い込んでいたのだ。言われてみれば、ルカには厳しい環境だ。
「お恥ずかしながら、考えてませんでした……どうしたものか」
「まあそうなるか。今からホテルをとると言うのも、時期的に部屋が確保出来るかどうか…………ああ、そうだ」
司祭は何かを思いついた様で、テーブルに広げていた街の地図の一点を指した。シュテルンと書かれた建物は街の広場からは距離があるが、店が多く賑わいの中心と言える位置にあった。
「祓魔師殿から、この酒場の話は聞いたかな?」
「確か、最初の事件より前に襲われた女性がいると。営業時間前に話を聞けたらと考えていたところですね」
「ああ、なら丁度いい。ここはね、宿屋もやっているんだよ。空きがあれば泊まらせてもらえるかもしれない。使いを出すから、約束ついでに空室も聞いてきてもらおう」
「それは、助かります」
イライがほっとした顔をすると、司祭は穏やかに微笑んだ。
直接の上司にあたる大司教より、この司祭の方がよほど人間ができているなあとイライは感心するのだった。
ドラクルの教会図書館は、教会の敷地内に存在している。だがそれは宗教の理解を深める役割というよりも、公共図書館の側面が強く、教会利用者でなくても出入りが可能になっている。
蔵書もそこそこの数がある。流石に貸出はドラクルの街に居住していなくてならないが、それでも閉館までは好きなだけ本を読むことは出来る。
トレイシーは書架の配置図を眺め、小さな溜息を吐いた。教会の図書館なので宗教以外の図書は全て寄贈頼りになる。そうなると民衆向けのものは充実しても、なかなか専門的なものまでは揃わないのだろう。
その為か、自然科学、化学、物理学の系統が一箇所に纏められてしまっている。これは目的のものを探すのは骨が折れそうだと、トレイシーは眉を顰める。
『生前の彼について知りたい?それなら君自身が「勉強」するといい』
あまりに表情の変わらない後見人に、トレイシーが「あの人、弱みとか無いの」とぼやくと、赤髪の青年はにやりと笑ってそう答えた。そして、ある学者の名前をトレイシーに教えてくれた。
青年は物知りだが謎めいた物言いが多く、直接の答えを教えてくれることはない。しかし、決して嘘はつかない。
その人物についてトレイシーが調べると、百年前の物理学者であることが分かった。
その人が後見人とどう関係があるのかは最初トレイシーには分からなかった。しかし調べていくうちに、物理学者の数多い門下生の中に覚えのある名があることに気付く。
その時に見つけたのはそこまでだったが、これは過去を頑なに口にしない後見人の秘密への、重要な手掛かりなのだろう。
赤髪の悪友がくれたこの手掛かりで、絶対あの鉄仮面の弱みを掴んでやる。そうトレイシーは密かに誓ったのだ。
一人旅に出た後も、トレイシーはその事については調べていたのだ。
ドラクルの街についてからは、なにかと忙しかったのですっかりと調査はご無沙汰だったが、今日は折角得た機会なので色々と探しておきたい。トレイシーはそう考えて、目当ての書架に辿り着いた。
ざっと見渡すが、この分類は全体的に見て本の総数が少ない。更にどの本も年季が入っているので、新たに書籍が追加されていることもなさそうだ。
著者の名前順に並んだ本の背表紙を見上げ、トレイシーは「A」で始まる著者達を一つ一つ確認していく。
エイベル、アドルフ、エメ、アグスティン、アレクシス、アロンソと来て…………次がアンスガー。「AL」から「AN」の綴りに名前が飛んでしまった。期待していたが、探している著者の名前は無かった。
その書架の「A」で始まる名前の著者を全て確認したが、やはりトレイシーが探していた後見人の名前は、見当たらなかった。
――そう簡単ではないか。
それならばせめてとヒントで貰った物理学者とその門下生達との関連の書籍を探したが、どれも見たことのあるものばかりだった。
大きな図書館なので、何か目新しい手がかりがあることを少し期待したのだが、残念ながら外れのようだ。
トレイシーは少しがっかりしながら、仕方なく読む本を選ぶことにする。どちらにしろ夕方まで図書館で過ごすとなれば、やることは読書しかない。
トレイシーは適当に選んだ本を抜き取る為、背表紙の頂点に指をかける。
「永久機関に興味があるのかな?」
「!」
トレイシーは背後から掛けられた声に、無言で飛び上がった。この区画に他に人がいるとは思っていなかったのだ。
取り落としそうになった本を両手で抱えて振り返ると、いつ来たのか長身の男がトレイシーの背後に立っていた。
「すまない、驚かせてしまったか」
「っ…………!」
男は申し訳なさそうな顔で謝っていたが、それよりもトレイシーは相手の姿に視線がいってしまう。――なんだこのイカれた格好は。
白いスーツベストに白いスラックスと白い靴、極め付けの白いロングコートと全身白尽くめ。その状態で頭上に金色のアンテナ、肩にはラッパのような妙な機械を乗せている。
普通の男がやっていれば奇人変人に違いないが、プラチナブロンドと優男に分類されるであろう顔のお陰で妙に様になっている。
そこでトレイシーははっとする。――金髪に白いロングコート!さっきマルガレータが言ってた聖都の調査員の一人ってこいつじゃん!
愕然とした思いでトレイシーは白尽くめの男を見上げる。教会が派遣したのが、こんな奇天烈な格好をした人間だとは思っていなかったのだ。
只者が来るわけはないのは分かっていたが、果たしてこの人間に任せて自分の容疑は解かれるのだろうかとトレイシーは不安を覚える。
「?どうかしたかい?」
自分の顔を見て固まっているトレイシーに、調査員の男は訝しげな表情を浮かべる。
随分と不躾な視線を相手に向けてしまった事に今更ながら気付いたトレイシーは、帽子の鍔を掴んで俯く。
「……な、なんでもない。そんな白っぽい金髪の人、珍しいなって」
「ああ、ここではそうらしいね」
調査員の男は自身の髪を摘み上げて微笑んでいる。その間も相手の目線はトレイシーが抱えた本へと向いている。どうにも、手遊びに取った本が相手の興味を惹いてしまったようだ。
トレイシーとしてはなんとなく本に手が伸びてしまっただけで、読むつもりは無かったのだ。表紙を見たらすぐに本棚に戻すつもりだったのだ。トレイシーは本を男に差し出しておずおずと尋ねる。
「読みたい本だった?それなら譲るけど」
「いや、もう内容は知っているよ。散々読んだからね」
「……でしょうね」
トレイシーはぼそりと囁いた。
トレイシーが手にした本はタイトルも内容も、あらゆるエネルギーの可能性について記されているものなのだ。それが途中から永久運動についての話になってしまう。
最初に読んだ時に、トレイシーはうんざりした思いを抱いたのを覚えている。前半が面白かったからこそ、後半の幻想の様な話がトレイシーには苦痛に思えてならなかった。
本を一目見ただけで「永久機関」なんて言葉が出る時点で、この目の前の相手はこの本の内容を知っている事は間違いないのだ。
こっそりと窺えば、調査員の男は興味深げにトレイシーに目線を向けている。正直こんな如何にも奇人変人ぽい姿の男に必要以上に関わりたくない。
そう思ったトレイシーは本をどうしようか迷ったが、相手の目の前で書棚に戻すのもなと考えて、結局手にしたままその場から立ち去ろうとする。しかし、そんなトレイシーを相手は呼び止める。
「その本でいいのか?」
「え?」
「一度読んだことがあるんじゃないのか?しかもあまり興味がなさそうだ」
「…………………………」
思っていた事を言い当てられたトレイシーは黙って調査員に視線をやる。男は本棚に凭れて、にぃと笑う。
「私に永久機関と言われて、その本の事だと君は認識していたじゃないか。中身を読んだことがあるんだろう?しかし懐かしむという顔でも無いし、タイトルに惹かれて読んだのに内容が思っていたものと違ったというところだろうか」
「…………まるで探偵みたいな事を言うんだね」
「ああ、似た様なものさ」
トレイシーは帽子の陰で嫌な表情になりつつも感心してしまう。厄介な探偵気取りの魔払い達から逃げて来たのに、その先で探偵役が待ち構えているとは。今は余計な詮索をされたくはないが、相手の観察眼は確かなようだ。そこは認めざるを得ない。
しかし男のこのだらけた雰囲気を見るに、事件の調査をしている訳ではなさそうだ。先ほど話題に出ていた使徒の姿もない。大方暇つぶしにでも来たと言うところか。
この広い図書館で、他にも人がいる中で事件の容疑者のトレイシーにちょっかいをかけてくるとは、探偵と自称するだけあってこの男は勘もいいようだ。
「私のお勧めを紹介しようか、少年」
「永久運動については結構だよ。私はエネルギー保存則に反する考えはやっぱり理解できない。エネルギーは使用すれば無秩序な状態へと変化してしまうものだから。実現すれば偉大な革新になるだろうけれどね」
「ふうん。君は自分の分野じゃないものにも研究熱心なんだな」
「物理学者のカイザーの考え方に興味があったから、その著作とか見てたら研究分野に永久運動について含まれてただけだし」
「おや、ならば色々読破している様だ」
「そんなには読んでないってば。精々フラッドとかサマセットとか。後は……ゼーマンの論文くらい?」
「……ほう」
最後の名前を聞いた途端に、ぴくりと笑顔の相手の眉が動いたのをトレイシーは見逃さなかった。何かが相手の気に障ったのを雰囲気で察してしまう。
今すぐにでもこの話題から、いやこの胡散臭い男から離れたいところなのだが、どうにも相手はトレイシーが立ち去る機会を与える気は無さそうだ。本よりも良い時間潰しと認識されてしまったのかもしれない。
男はトレイシーの目の前にまで歩み寄ると、覆い被さるように身を屈めてにこりと微笑んだまま告げる。
「ゼーマンね。よくもそんな無名の男の著作を見つけたな、君」
「え?」
「こちらの話だよ。君はその論文を読んで、どう思ったんだい?」
「どうって……なんか、書いてる事があんまり頭に入ってこないというか。感情の起伏が激しそうな文章書く人だなーって思ったかな。淡々としてると思ったら突然熱くなる感じがして、猪突猛進タイプなのかなって。まあ仲良くはなれなそう」
何か、男から不穏なものを感じたトレイシーは、これは下手な返答は避けるべきと判断した。なので論文の研究の中身には敢えて一切触れず、すっとぼけた振りで文章の評価をつらつらと並べ立てる。
この男は若そうだがトレイシーの事を「少年」と呼んだ。と言うことはトレイシーの姿を幼く見ている筈だ。それなら勘の悪い子供の振りでこの場は躱そうとトレイシーは目論む。
トレイシーの素っ頓狂な答えに男は目を丸くしていたが、やがて顔を伏せるとふるふると肩を震わせ始める。
「…………ふっ、……ふふ……っ」
調査員から押し殺したような笑いが漏れているのを見るに、本当は大笑いしたいのだろう。だが、場所が場所なので耐えているようだ。
一頻り笑った男は、笑いすぎて涙の滲んだ目元を拭うとトレイシーに向き直る。
「なるほど。仲良くなれないのか。忌憚のない感想をありがとう。斬新な意見だったよ」
「それは良かった」
男からしていた不穏な空気はすっかりと消えたので、その事にトレイシーはほっと胸を撫で下した。薄氷の上を歩かされている様な気分だったのだ。よくは分からないが、もうこの話題には一切触れたくない。
息が詰まりそうだからもう勘弁して欲しいなとトレイシーが思っていると、調査員が名残惜しそうに壁の時計を見上げた。
「ああ、そろそろ行かなくてはならないな。もっと君と話したかったんだが、残念だ」
「……それはどうも」
心底残念そうにしている男に対し、トレイシーは素っ気なくそう答えた。実際トレイシーは今すぐこの場から離れたくて仕方がないのだ。
この男、勘が良過ぎる上に、何やら厄介なものの気配がする。
「また、ここに来るかい?」
「……まあ気が向いたら」
去り際に尋ねる男に、トレイシーは適当にはぐらかして答えた。どうせ翌日に事情聴取で会うことになることを知っているのは、今はトレイシーだけだ。
白いコート姿の男がいなくなると、トレイシーはほう、と全身の息を吐き出した。
そうして手にしていた本を棚に戻すと、トレイシーはくるりと書架に背を向けた。
――デミお勧めの娯楽小説でも読もう。
今は何も考えずに頭を空っぽにしたい。そんな気分だったのだ。
