3話




「大事な通信があるので暫く、部屋には誰も近付かないでください」
イライは調査のサポートを担当してくれている図書館の職員や助祭にそう告げると、調査部屋の扉に鍵を掛けた。そうして部屋の奥に設置されている、真実の鏡の前に立つ。
真実の鏡は楕円の金色の細かな彫刻が刻まれた額縁の内側は黒い板があるだけで「鏡」という名とは裏腹に何も写さない。その額縁の前に水盆があり、中身は銀色の水が満ちている。
イライが短い呪を唱えると水盆の水が輝きながら浮き上がり、額縁の内側で渦を巻く。それが収まると銀色の水が本物の鏡の様にイライの顔を映し出す。イライが続けていくつかの短い呪を唱えると、銀色の水面が白く光り、それが収まるとそこにはイライの顔ではなくどこか違う風景が写し出されていた。
がたがたと揺れる音と、薄汚れた白い布の天井。よく見ればそれは幌張りのテント、いや馬車の様だ。イライが首を傾げていると、鏡面にぬっと人の顔が現れた。
白髪混じりの髪を後ろへ撫で付け、顎髭と口髭を蓄えた男がじっとこちらを覗き込んでいる。互いに互いを見つめ合うこと数秒、鏡の向こうの男はにかっと破顔すると親しげにイライに語りかけてくる。
『これは驚いた。ホワイト、ホワイトじゃないか!』
「お久しぶりです、ミスター・モートン」
『やめてくれやめてくれ、水臭い。昔の様にモウロと呼んでくれ』
イライの幼名を呼ぶ相手に、畏って挨拶すると嫌そうに首を振られてしまった。イライは苦笑しながら砕けた口調で問いかける。
「モウロ、相変わらず元気そうだね。『相棒』もお元気かな?」
『ああ、とても元気で今も外で馬と競争しているよ。それにしてもホワイト、大きくなったな!』
「お陰様で。今はイライと呼んでほしい」
『ああ、分かったよ』
「ところで、モウロ。君とも是非とも話したい事は色々あるんだけど……その、鏡を繋いだのは」
『!そうかそうか、すまない。つい久々の旧友に嬉しくなってしまって……おおい!』
イライが皆まで言わずとも、目的を察してくれたモウロは鏡の前から離れると誰かを呼ばわる。
意外な人物の顔が見れたことはイライも嬉しかったのだが、今回は旧交を温める為に通信を繋いだ訳ではないのだ。
幌だけを写す鏡面をイライが黙って見つめていると、かたりと向こうの映像が動いた。そうして楕円の中に顔を出したのは赤毛の青年だった。ピーコックグリーンの上質のジャケットとシルクハットを被り、肩には可愛らしいウサギのマスコットを乗せ、彼は人懐っこい満面の笑みを浮かべている。
明るく友好的な好青年に見えるが、彼こそがトレイシーに少年の幻術を掛けていた、世界最高位の魔術師その人だ。
『おや、まあ!イライじゃないか!これは珍しい通信だ!』
「お久しぶりです、クインラン」
『あーやだやだ、堅苦しい。やめて欲しいね。マイクでいいよ』
――同じこと言うな、この義兄弟。
種族も育ちも違うのに、一緒に行動していると言動が似てくるんだろうか。イライはそう内心で思いながらも、首を振る。
「流石に生ける伝説をたかが司祭見習いが馴れ馴れしく愛称で呼んでたら枢機卿が卒倒しちゃうよ」
『ちぇ!相変わらず君はつまらないなぁ』
「つまらなくて結構」
拗ねた顔をする魔術師にイライは腕を組んでそう言い切る。クインランの不良振りは有名で、若い人員をすぐに悪の道に誘い込むのでいちいち反応をしていたら切りがないのだ。
『……んん?』
クインランはイライの背後を見やり、何かに気付いたのか目を眇めて鏡に顔を近づける。
『……イライ、君はラビエラにいるんじゃなかったかな?この通信違うところから繋がっているよね。それ、どこにいるんだい?』
「ご明察通り、ここはドラクルだよ」
『は?ドラクル?なんでそんなとこにお偉方の秘蔵っ子の君がいるんだい?』
「話せば長くなるんだよ」
訝しげな顔をしている大魔術師に、イライはこの街で起きている事件の内容と、自身とパートナーがここにいる理由を語って聞かせる。
話を聞いている間、クインランは興味深げに顎を摩って口角を持ち上げている。
『ふーん……そんな事が起きているんだ?それで、僕に連絡してきたのは何か手を貸して欲しいって事かな?』
「まさか!下手にクインランの手を借りたら他の血族を刺激することになっちゃうじゃないか。そっちじゃなくて、聞きたいことがあるんだけども」
『聞きたい事?何かな。ドラクルにいた吸血鬼の王ってのの正体とか?』
わくわくとしているクインランに、イライは咳払いをするとちらりと視線を横に流す。目隠しでそれは相手には見えていないが、視線の先には十月姫のタペストリーが掛けられている。
「僕のパートナーで半封神のルカがいる事は伝えたけども、実はトレイシーって時計職人もここにいて」
『……………………それは、えっと、その職人って、もしかして?』
イライの発言に、クインランは慎重に言葉を選びながら尋ね返す。その探るような言動にイライは片眉を跳ね上げた。それが無駄な足掻きなのはクインラン当人も分かっているだろうに。
「そう、金髪の女性だね」
『くあー……やっぱり、バレてるかあ』
金髪の人間が珍しいのに、その上で女性の時計技師などもう自分も知ってるトレイシーしかあり得ない。
クインランは顔を覆って天を仰いだ。当然、イライが態々彼に通信した時点で、幻術の事もトレイシーとの繋がりも全て露見している事は分かるはずだ。
ちらとイライの方を一瞥して、苦々しげに赤毛の魔術師は呟く。
『おかしいな、結構しっかりした術式をあの鍵に組み込んでおいた筈なんだけど』
「大魔術師の術がどうにかなったわけじゃ無いんだよ。ちょっとしたアクシデントでトレイシーの正体を知る事になってしまっただけで」
『正体っていうと』
「十月の皇后代理は一時期、とっても注目の的になったから僕も覚えてるよ。主席顧問とダンスしてた映像はとても話題になったよね。あのアルヴァ・ロレンツがってお年寄りの面々が驚いてたよ」
『はあああああ……』
クインランは、それは深く深く溜息をつくと帽子を脱いで髪を掻き毟った。慰めるように、肩のウサギがよしよしとその頬を撫でる。
今、イライはわざと人名を出したのだが、その意味はクインランもよく分かっているのだろう。それはイライの連れている「パートナー」と深く関係のある人物でもある。
じろりと強い眼光でイライを見ているクインランは唸るような声音で囁く。
『……………………よりによって』
「そう、よりによってアルヴァに後見されているトレイシーと、アルヴァと因縁があるルカが遭遇して、今一緒に事件調査してる訳で」
『何故そんな事に』
「これも話せば長くなるんだけど、ルカがトレイシーを殺人犯と勘違いして、自分の正体剥き出しにして追い詰めて怪我させちゃった事が発端というか」
『何故そんな事に?彼ってば、早とちりがお家芸なの?』
「それは僕も否定出来ない……」
当時、トレイシーを助けに入ったイライは頬を掻きながらそう答える。
ルカの経歴はイライも目にしているので、彼が人間の時代に何をして死刑囚になったのかは当然知っている。生前は学者だったアルヴァとルカが師弟関係であったことも、その仲が決裂した要因も。
ルカは知能の高い学者肌の人物とされている。冷静で観察眼が鋭く、調査員として優秀なので今も評価されている。
しかし、どうにも頭に血が昇りやすい性質であり、また思い込むと視野狭窄になり、全てを投げ打って暴走してしまう重大な欠点もある。
その欠点が為に人を死なせる事故を引き起こし、またその向こう見ずな考えで吸血鬼に転化している。
百年の封印で大分丸くなってはいるが、まだまだ安心できないのでルカは半封神として試練を課されているのだ。
クインランは前髪を掻き上げて、口をへの字に結ぶ。
『それにしても世間って狭いって言うけども、なんで縁が繋がっちゃうかな。アルヴァも弟子の彼も多分相手が生きてると思ってないよね』
「その筈だし、教会は彼らを二度と出会わせる事はないよ」
イライは自身の唇を撫でながらそう呟く。
百年以上前、ルカが起こした危険な実験事故が原因で幾人かが巻き込まれて亡くなっている。その犠牲者の中に師であるアルヴァも含まれていた。しかし彼は聖賢者の奇跡で不死者として蘇生しているが、当人の希望でその記録は限られた者しか知り得ない情報となっている。
ルカも吸血鬼に転化した後、血族とその派閥とハンターとの戦いで一度粛清された事になっている。それが意味するのは消滅であることが多い。ルカは人であった時の実績が考慮されて封印となっていたが、それは世に知られてはいなかった。
イライは両手を広げて肩を竦める。
「まさか、偶々調査に訪れた街で、あの不死者と縁がある子が現れるとは思わないじゃないか」
『というか、なんでトレイシーはドラクルにいるのさ。そこ、あの子が興味があるようなもの無いんじゃない?時計塔巡りとかしてると思ってたのに』
「不運が重なって偶々立ち寄った街で、連続殺人事件の容疑者になってて足止めされてたみたいで……」
『またぁ?あの子、なんで行く先々でトラブル起きるの?』
「あ、これ初めてじゃないんだ」
呆れ返った顔になるクインランのどこか慣れた様子に、イライはやっぱりそうなのかと納得するしかない。
事件の調査も、何かしらの進展がある時はトレイシーが関わっている時が殆どだ。本人はただそこにいるだけなのに、必ず何かに巻き込まれている。
ルカとの出来事も彼女自身はただそこにいただけなのだ。そして大抵、怪我をしたり酷い目にあったり、割を食うのもトレイシー自身だ。
イライの反応に、クインランはしょっぱいものを口にした様な表情になる。
『その様子だと、もしかして』
「白骨化死体見つけたり、子供庇って刺されかけたり、毒の湖で溺れかけたり……それで今は療養中で」
『死にかけてるじゃん!』
「今は命に別状は無いから大丈夫」
『本当かなあ。僕が知る限りでトレイシー関連で一番大騒ぎになったのは、魔力異常症のせいで大っきい聖水の泉枯らした程度だよ』
「それも充分に大事では……しかもそれ、もしかしてトレイシーが十月の皇后代理になった原因じゃ?」
大した事がなさそうな話ぶりのクインランに、イライは眉を寄せる。彼の言う「大っきい聖水の泉」に当てはまるものなど、オクトロの聖泉以外にはあり得ない。
オクトロの聖泉は、儀式で一度に三十人の信徒が浸かった記録があり、聖都の聖池に次いで二番目の広さ、そして国内一の美しさを持つ聖地で知られている。
――それを、枯らしただって?
聖力も魔力も同じ元素から出来てはいるが、トレイシーの魔力異常症の数値は余程高いらしい。
頭が痛くなってきたのは気のせいではなさそうだとイライはこめかみを抑えた。クインランはそんなイライとは対照的に楽しげに笑っている。
『そうそう!空っぽになった泉の中で座り込んで固まってるトレイシーとそれに目を丸くして驚いてるアルヴァがさあ!面白かったんだよねえ。それで、もうそれだけでもみんなざわついてたのに、そこに展示してあった儀式の王冠がぴっかぴかに光ってさ。呆然としてるトレイシーの頭にすぽんって勝手に嵌っちゃって。輪を掛けて大騒ぎになっちゃって収拾つかなくなったんだよねえ』
「それは、そうなるよ……」
思わぬところからトレイシーの十月の皇后就任の真実を聞く事になったイライは、衝撃を受けつつなんとか相槌を捻り出した。ある程度予想はしていたが、事実は神秘的な少女とか幻想的な噂話からは程遠い内容の様だ。
『トレイシーが皇后になった後も問題を持ち込んだ責任を取れーって僕の事もこき使うしさー、あの鉄仮面。一年も十月城に足止めされてたんだよ!教会だって僕の自由を保証してるのにあんまりじゃないか!』
「僕はあちらに同情するよ……」
膨れっ面で子供っぽいあざとい態度で不満を訴える大魔術師に、イライは首を振る。
隠匿希望のアルヴァが主席顧問を押し付けられている上に、とんでもないトラブルを持ち込まれたのだから、本当に気の毒でならない。
イライはそこで、ふとある事に気付く。
「ところで、何故トレイシーは聖泉に入ったんだい?一般客は許可なく聖泉には立ち入れない筈じゃ」
『………………』
クインランはイライの顔を数秒の間無言で見つめ、やがてにやっと笑って見せた。
『イライ、君そういえば聞きたい事があるって言ってたじゃないか』
「ああ、そうだった」
話をあからさまに逸らされた事にイライも気付いてはいた。それでも聞きたい事があるのは事実なので、そのままクインランの誘いに乗ることにする。
「クインラン、君がトレイシーに施した幻術は僕の天眼を欺く程の強力なものだったじゃないか。それに彼女自身もなんだか自分の正体を伏せたがっているし。だからこそ確認が必要かなと」
『確認ね。なんのだい?』
クインランが胡座の上に頬杖をつき、猫の様な仕草で首を傾げた。その表情はとても面白いものを見つけた様に輝いている。
聖都の中で大事に大事に、グラール教に忠実であるようにと教育されていた司祭見習いが、教団的にはとても素行のよろしくない、封神の中でも不良のクインランに内密に連絡を取ってきたのだ。
イライは少し間をあけ、鏡面に顔を寄せると声を潜めて言葉を続ける。
「上に、彼女の存在は伏せるべきか否か」
『……………………』
イライと同じように、鏡に顔を寄せたクインランは目を細めて笑う。
『イライってさ。見た目で損してるよね』
「突然なんの話してるんだい」
『真っ白けだから清廉潔白みたいなイメージ持たれてるけど結構、破天荒な思考してるなって。こんな遠いところにお目付け役もつけずに放り出したらいけないと思うんだけど。現に今も、聖力に満ちた真実の鏡を教会に内緒で僕に繋ぐなんて悪さしてるし』
「失礼な。この方法教えたのは君じゃないか。悪い事なんて僕は聞かされてないのに」
態とらしく驚いているイライに、クインランはくつくつと肩を揺らして笑い出す。――確かに、これが悪いことだなんて教えてはいない。ただ教団の偉い人には内緒だよとは言ったけど。
クインランはまだ笑いながら、懐から時計を取り出して蓋を開く。
『この後、ラビエラのお偉いお坊さんに報告通信をする時間なのかな』
「三十分後に」
『なるほど?だからその前に確認しようと。そこで起きたことは本来なら全部、上に報告する義務があるから』
「その通り」
『なんで彼女に直接確認しないのかな?』
「まだ目が覚めてないんだよ。あと、なんだか僕、トレイシーに警戒されてるみたいで信用されてない、とは違うかな。何か腹を探られたくないって態度されててね。だから直接聞いたらいけないんじゃないかなと」
『おおー。流石の観察眼!事件現場に派遣されるだけあるねぇ。将来有望な司祭になれるよ、イライ』
「それ、ルカも言ってたけど嫌味では?」
ぱちぱちと手を叩くクインランに、イライは複雑な表情を浮かべる。教会の所属だが、どこか反抗的な彼らの言葉は素直な賞賛として受け取れない。
しかし浮かない顔のイライにクインランは片目を瞑って見せる。
『褒めてるんだよ、イライなら僕の様に柔軟性があって視野の広い、紳士的で立派な司祭になれるとも』
「それは自分を褒めてるだけじゃ……」
『まあまあまあ、そんな事実は一旦置いておいてさ。イライ、どんなに忙しくてもトレイシーともっと話した方がいいよ。君らは圧倒的に会話が足りてない』
「会話って……まさか、そんなアドバイスされると思ってなかったよ」
クインランの真意が分からず、イライは戸惑う顔を隠せない。
信徒の悩みや嘆きの声をよく聞き、その憂いを祓えるようになれとは言われてきたが、この自由人の封神がそんな説法をするわけがない。
『イライ、君は見た目で損してるってさっき言っただろ。多分、トレイシーに物凄く誤解されてると思うんだよ。僕からすると君らはとっても気が合う筈だ』
「誤解されてる?一体それはどういう……」
『だから、それまでは報告はお預けって事にしといて欲しいな』
にこにこと笑うクインランは、それ以上この話題を続けるつもりは無さそうだ。知りたければ自分で動けということなのだろう。イライはその意図を汲んで、静かに頷いた。
クインランは金色の目を細めて『それで』と言葉を続ける。
『まだ他に僕に聞きたいことがある?』
「実は、祓魔師殿から気になる話を聞いたんだけども」
『気になる話?』
「十五年くらい前、人の血を欲しがる息子を心配して、悪魔祓いを依頼した一家がいたんだとか。でも結局、その子は悪魔がついていたわけではなくて、鉄分の欠乏が原因の好血症だったんだ」
『あー、足りない栄養素を求めて、血が吸いたくなるっていう。まあそれなりによく聞く話ではあるよ』
「そこで終わりだったらね。でもそうじゃなかったんだ。教会本部はその後もその子の様子を報告するように命じたらしいんだ。かなり前の出来事だったけれど、不思議な指示だったから祓魔師殿も覚えていたそうだよ」
『ふうん?わざわざそんな事を』
「だろう?何か引っかかって調べてみたら、その家の祖先に気になる人がいてさ。クインラン知ってるかなと。リスティグレ・ラックプロフォンという女性なんだけど。五百年前くらいに教会を破門されているんだ」
『ん?なんだ、結局そこに話が戻ってくるんだ』
膝を叩いて苦笑を浮かべるクインランに、イライは困惑顔になる。戻るも何も、今初めて尋ねた事なのにと首を傾げた。
司祭見習いのぎこちない反応に、クインランは『ああ』と納得したように鏡に向き直る。
『さっき言ったじゃん。ドラクルにいた吸血鬼の王ってのの正体を聞きたいのかって。彼女の事さ、リスティグレ・ラックプロフォン。ドラクルの名が付く前の、その地を領地としていた伯爵家のお姫様の名前さ』
領地と聞いて、イライははっとする。ラックプロフォンは「深い湖」という意味の名だ。トレイシーが落ちた湖を思い出し、あの湖からついた名なのかと気づく。
「吸血鬼の王というから、男性の血族の事かと思ってた」
『彼女は血と恐怖でこの地を支配していたからね。生まれが高貴すぎて人を人とも思っていなかったリスティグレは、自身の美貌を保つ為だけに若い女性の鮮血を求めて領地民を虐殺していた。毎日の様に血を浴びて飲んで、悪逆の限りを尽くした。事件が暴かれた後は忽然と姿を消した訳だけど……あまりの悍ましい前代未聞の事件に永久の破門を言い渡された訳だ』
「消えたという事は、暗殺された……?それとも逃げ仰せた?」
イライが独り言の様に呟いていると、クインランは帽子を抑えて困った様に笑う。
『これがまた、とんでもない話なんだけどね。うら若い少女達はまだ神の眷属だろう?その尊い存在の血を百人分摂取したが為にリスティグレは人から魔物に落ちたのさ』
「つまり、本物の吸血鬼になった、と?」
『そういうこと。二度目があったら困るから内緒にされてるけど。それも百年前の戦いで討伐されたけれどね。君のパートナーと違って、彼女はグラールには害でしかない存在だ。生かしておく理由がない』
人差し指を自身の首の前で真横に振り抜くクインランに、リスティグレがどういう末路を辿ったのかは分かった。
イライは数秒、俯いて思考を巡らせると顔を上げる。
「人から血族になった女性の子孫だから、血を吸うという行為に警戒した。けれど理由が分かった後、しばらく様子を見ても吸血行動を取る様子もないから安全と判断したわけだ」
『だけど、名探偵はその子孫を容疑者の一人って睨んでると』
すっかりとこの事件の話を面白がっているクインランは、見世物を楽しんでいるかのような気分なのかもしれない。イライは笑いながら首を振る。
「まだそう言う訳じゃないんだ。ただちょっと気になっててね。先入観で人を見てはいけないから、個人で調べている最中さ」
『結果が分かったら教えて欲しいなあ』
「…………クインラン、推理小説とか好き?楽しんでるよね、やっぱり」
イライが呆れた顔で指摘すると、クインランはにやっと笑う。
この、人間達の行動を娯楽として面白がっている様子を見ると、やはり相手は魔物の頂点である血族の一人に他ならないのだと思い知らされる。
イライが必要以上にクインランと関わりたくないと感じるのは、こういう所があるからだ。常日頃からこの男と共に行動しているモウロは、よく平気だなと思う。
こめかみに指を押し当てて渋面を浮かべているイライに、クインランは柔らかい眼差しを向ける。
『それにしても、すっかりイライも大人の男に育っちゃって。こないだまでもうちょっと子供らしさがあったのになあ。初々しさもどこに落としてきたんだか、すっかりと神職らしい胡散臭さまで身につけちゃって』
「やっぱり褒めてないじゃないか……言っておくけれどこの神官の格好は僕の趣味ではないからね。僕はシンプルなフードローブで来る気だったんだよ」
『イライ、僕も言っておくけどフードローブに目隠しって、本当にただの胡散臭い占い師にしか見えないからね。止められて正解だよ』
クインランは真面目な顔でそう告げる。教会本部の判断は正しかったと彼も認めているようだ。
不服そうにイライは口をへの字に引き結ぶ。神職の見習いとして清貧を体現した姿でいようとしているだけなのに、どうしてこうも反対意見が多いのだろう。
「そんなに変かなぁ?でも、君らだけならともかく、その格好はやめた方がいいって今日も止められたし……」
『まともなセンスの人がそっちにもいるようで安心したよ。誰だい、その英断を下したのは』
「お世話になってる宿の女将さんさ。トレイシーとルカの正体を見抜く神霊眼もある人で、僕もルカもとても頭が上がらなくてね……」
イライの説明に、クインランの瞳がきらりと輝いた。自分の幻術を見破った人物という話も聞いて、興味が湧いてしまったようだ。わくわくとした顔を隠そうともせず、クインランは身を乗り出した。
『すごい実力者じゃないか!教会から勧誘されなかったのかな?』
「されたけどつまんなそうだから嫌だって突っぱねたとか。トレイシーのお姉さん方からそう聞いてるよ」
『?トレイシーって兄弟はいないはずだけど?』
「ああ、ごめん。違うんだ」
きょとんとした顔で不思議そうにしている大魔術師に、イライは笑いながら訂正をする。
三兄弟の様なやりとりをしている事が多いマルガレータ、デミ、トレイシーは「姉」「弟」と近隣の人々にも扱われているので、ついついイライも釣られてしまったのだ。
「お姉さんっていうのは酒場の女性店員達の事だよ。トレイシー、店の一角を借りて修理屋をやっているんだけど、時間がある時には酒場の手伝いもしてるんだ。路銀稼ぎって言っていたけれど随分と仕事熱心だなって」
『ふうん?トレイシーが、わざわざ路銀稼ぎねえ……』
独り言の様に呟くと、クインランは思案顔で自身の顎を摩る。何か、その声に含みがあるようにイライには感じとれた。少し、クインランの表情が暗くなった様にも思う。
――今の自分の話に、何かおかしなところがあっただろうか?
イライが困惑していると、クインランはぱっと明るい笑顔を浮かべて手を叩く。
『そうだ!丁度良かった!イライ、あの子に渡して欲しいものがあって。預かってくれるかい?』
「え?あ、うん。構わないけど……」
突然切り替わったクインランの態度に、イライは戸惑いながらも頷いて見せる。
ぱちりと大魔術師が指を鳴らすと、真実の鏡の水盆から白い封筒が浮かび上がってくる。
イライが手に取り確認すると、封筒の表にトレイシーの名前だけが書いてある。彼女宛ての手紙の様だが、差出人の名前はない。
「これは?」
『送り先が分からないから困っててさー、どこかで会うかもしれないからって僕が預かってたんだよね。偶には連絡しなって言っといたんだけどな!イライからも言っておいてくれる?』
「それは構わないんだけど……これ誰からの」
『あと、トレイシーに貧血には気をつけるんだよって言っておいて。……心配する人がいる事を忘れないで欲しい』
「え?」
静かな声音で、そうクインランが告げる。いつになく真剣な響きを含んだ言葉。
イライが問い返そうと顔をあげると同時に、輝いていた鏡面から光が消え失せてしまう。真実の鏡の通信が切れてしまったのだ。
手元に残された封筒を見下ろして、イライは溜息を吐いた。
「ルカの言う通り、知れば知るほど霧が広がっていくな、あの子……」



5/7ページ
スキ