1話

モップを動かす手を止めて、デミは店の外に視線を向ける。
「なんだか、表が騒がしいわね」
「ふーん……」
「団体の観光客でも来たのかしら?」
「へえ……」
「それとも有名人でも来たとか?有り得ない話ではないと思うのだけど」
「そうだねー……」
「ちょっと、トレイシー!適当な返事しないで!」
「んえ?」
トレイシーはデミの怒った声に、手に持っていたきのこから顔を上げた。カウンター越しに、酒場の床掃除をしているデミがこちらを睨んでいるのが見えた。
トレイシーは一度集中してしまうと周囲の音が聞こえなくなる。厨房の隅で、店で使うマッシュルームの土払いをしていたのだが、ついついその集中力を発揮してしまっていたらしい。
まだまだ山積みの土付きのきのこを作業用の刷毛で示して、トレイシーは告げる。
「まだこっちもかかるから、掃除なら手伝えないよ?」
「そんな事言ってないでしょ!どれだけ私の話に興味がないのさ!もう!」
唇を尖らせてバケツにモップを乱暴に突っ込むデミに、トレイシーは首を傾げる。さっきまで鼻唄を歌ってたのに、何故デミが怒ってるのかが分からない。
デミはトレイシーのバイト先の酒場の看板娘だ。栗色の波打つ髪の一部が白く、口元にある艶ぼくろが特徴的な美女で、肉感的な体つきをしているが、快活な性格な為に明るく健康的なイメージが強い。
あまりにも言動や性格が女将にそっくりなので実の娘に間違われるが、血の繋がりはないのだという。
ふと、外が騒がしくなっている事に気付き、トレイシーは外に繋がる扉に目を向ける。
「ねえデミ。なんか、外騒がしくない?」
「本当に聞いてないし……」
トレイシーの言葉にデミはボソリとぼやく。
けれどもそれもいつもの事なので、一々気にしても仕方ない。気を取り直して、モップの柄の上に顎を乗せた。
「だから団体様か、有名人でも来たんじゃないかと思ったんだけど」
「へえ。それなら夜はいつもよりお客が来るかもね。夕食時は忙しくなりそう」
刷毛をさかさかと動かし、トレイシーは作業の速度を早めた。そういう事なら開店前準備を急がなくては。
デミものんびりと動かしていたモップを掴み、床を擦りながら早歩きで店内の掃除の速度を上げる。
美人と名高い看板娘達、とびきり美味いと評判の料理、ここでしか飲む事が出来ない奇跡の酒。シュテルンと言えば、ドラクルの街で知らないものはいない大衆酒場だ。
ここの食事が目的と、わざわざ外国から客がやってくる事もある程だ。一階が酒場兼住居、上階が宿屋となっており、面倒見のいい女将と寡黙な料理人の夫婦が切り盛りしている。
トレイシーはここで路銀稼ぎの為に、店の一部を借りて修理屋をさせてもらっている。
しかし特に仕事の依頼がない、空いた時間は店番や料理の下拵えなどの手伝いに充てているので、酒場の夫婦からはうちの子と呼ばれているし、看板娘の二人からも弟の様な扱いを受けている。周囲からは末っ子従業員と見なされている。
「ただいま」
「あら、早かったわね。おかえりなさい」
買い出しに行っていたもう一人の看板娘、マルガレータが戻ってきた様だ。トレイシーも「おかえり」と声をかけると、厨房を覗き込んだマルガレータが不思議そうに目を瞬かせた。
「トレイシー、どうしてそんなところに?修理依頼、来てたはずでしょう?やらなくていいの?」
マルガレータの疑問に、トレイシーはきのこの土を払っていた刷毛をぴたりと止める。
普段のトレイシーは、作業用に宛てがわれた部屋に篭り、昼過ぎまでは受けた依頼をこなしている事が多い。その後、忙しくなる開店準備の手伝いに参加する。
昨日、マルガレータも見ていたが、近所の老人から置き時計の修理持ち込みがあった筈だ。急ぎとは言っていなかったが、仕事を後回しにするなどこの職人気質の少年らしくない。
トレイシーは大きな帽子で表情は見えづらかったが、感情の無い声で答えた。
「……ちょっとパーツが不足してて、明日届く予定なんだ」
「ああ、それで。お手伝いしてるのね。偉いわ」
マルガレータの子供扱いの様な褒め言葉に少しムッとしたが、言い返すだけ無駄なのは判っている。なのでトレイシーは黙って土を払う作業に戻った。
マルガレータはふんわりとした黒髪と潤んだ黒眼が魅力的な女性で、デミと対照的に艶っぽさを感じる美人だ。元は旅の一座にいたダンサーだったそうで、時折その腕前を披露している。
買い物袋をテーブルに置き、エプロンをつけているマルガレータにデミは興味津々に尋ねる。
「なんだか外が騒がしかったけど、何かあったの?団体のお客とか?それとも有名人が来たとか?」
「有名人、とは少し違うけど似たようなものかしら」
マルガレータはくすりと笑って、デミの手からモップを取り上げる。
「掃除、替わるわ。あなたはお酒の準備があるでしょう。先に済ませてしまって」
「いいの?ありがとう」
デミはにぱっと笑うといそいそとバーカウンターへと向かう。
彼女だけがレシピを知っているドーフリン酒は、この店の名物でもある。デミは元々、兄とバーをやっていた事があるとかで、酒の取り扱いに慣れていたため、この酒場でも酒の提供と管理担当を任されている。
問題はデミ自身が酒好きなので、偶に客と飲み比べを始めてしまう事だ。
酒瓶の手入れと液だれの確認をしながら、デミはマルガレータに話の続きを促す。
「それで、誰が来てたの?」
「ラビエラからのお客様よ。調査団が来るかもって話は司祭様がしていたでしょう?その人達が到着したのよ」
「なんだぁ。だったら関係ないじゃん」
デミはつまらなそうにそう呟いて、音を立てて酒瓶をカウンターに置いた。
聖都からの調査団という事は、神職者だ。それなら大衆酒場に来る事は無いだろう。
それにデミはグラール教の信徒ではあるものの、そういうものだと世間で決まっているからなっているだけで、特に敬虔な信者というわけでは無い。だから、いくら聖なる都からのお客とは言えどもありがたいお方が来た、と拝む気も起きない。
急激に興味を失ったデミとは反対に、それまで静かに作業をしていたトレイシーがひょこりと厨房のカウンターから顔を出す。
「ねえ、調査団ってどんな人が来たの?マルガレータ、見た?偉い人だった?」
「んー、それは私には分からないけど、そんなに偉い人ではないんじゃ無いかしら。二人とも若い男の人だったみたいだもの」
「二人だけ?」
「え、若いの?おじいちゃんとかじゃないの?」
人数に不服そうなトレイシーと、年齢に反応するデミの声が重なる。自分の話に食いつく二人に、マルガレータは楽しそうにモップを動かしている。
「若いって、流石に子供じゃないよね?」
「あら、あなたよりは上だったと思うわ、トレイシー」
「……だったら成人はしてる様で、安心したよ」
揶揄うようにそう言うマルガレータに、トレイシーは苦々しい顔でそう答える。
実際、彼女は成人しているのだが、周りには十五、六歳と思われているであろう事は分かっている。そしてその勘違いは、とても都合がいいので否定していない。否定はしないが、非常に面白くはない。
「そんな若いのが来たのかぁ。なんか如何にも偉い人ー、ってのが来てるからあんな騒いでるのかと思ってた」
デミは酒瓶を磨きながら、少し面白そうな声音になっている。消えていた興味が戻って来たようだ。
「あ!もしかして……とっても格好良かったとか?どう?」
「うふふ、半分当たりよ」
「あら、半分なの?」
不満そうなデミからゆっくりと視線を逸らし、マルガレータはトレイシーの顔をまじまじと見つめる。そうしてにっこり微笑んだ。その勿体ぶった行動に、トレイシーは目を細めた。
「……金髪だった?その人達」
「また、半分正解よ」
「もー!そうやって引き伸ばししないで早く答え言ってよ、マルガ!」
「あら。もうちょっと付き合ってくれてもいいじゃない」
マルガレータの謎かけが焦ったくなったデミが、髪を掻き毟って叫ぶ。毎度毎度、このやりとりよく飽きないなあとトレイシーはカウンターに肘を付き、ため息を吐く。
マルガレータは散々二人の反応を楽しんで満足したのか、床を拭きながら話始める。
「聖都からのお客様っていうのがね、金髪に白いロングコートの美男子と、髪も肌も抜けるように白い天使みたいな神官様なのよ。目を惹く風貌で、纏う空気が普通と違うからちょっと騒ぎになっちゃってたのよね」
うっとりとした顔をしているマルガレータに、デミは酒瓶を磨いていた手を止めた。
「……若くて髪が白いって、それ聖匙の使徒じゃないの?」
「せいかいのしと」
デミの言葉をオウムの様な口調で、抑揚なく繰り返すトレイシーに、マルガレータも首を傾げた。
「なに?その『せいかいのしと』って」
「あれ、知らない?ここいらじゃ有名な話だけど」
デミがきょとんとした顔で尋ねるので、マルガレータは眦を釣り上げる。
「都会の人の常識が世間の常識と思わないで頂戴!私たちの故郷が遠いのは分かってるでしょう、ねえ?トレイシー」
「……え?あっ、う、うん。そうだよ」
同意を求めるマルガレータに、トレイシーは慌てて頷いた。そんな二人にデミは「ごめんて」と謝りつつ、聖匙の使徒についての説明をし始める。
「せいかいって言うのは聖なる匙、スプーンって意味よ。三十年前に、グラール教の教皇様より上、一番神様に近い地位にいた聖賢者様が、二百五十歳で大往生しちゃったのは知ってるでしょう?」
「それはね。流石にグラール教の信徒なら知っているわ」
マルガレータが相槌を打つのを見て、デミは次の酒瓶を手にとって磨きながら、先を続ける。
「聖賢者様って死ぬ間際まであちこち飛び回って色々奇跡起こしてた上にめちゃくちゃ強い人だったからね。流石にグラール、聖杯の神様でも聖賢者様の抜けた穴は塞げなかったのよ。だから聖賢者様の能力や役目、心残りをそれぞれが担う、聖杯の恩寵を直に掬い上げる事が出来る、聖なる匙の子供達が産まれるっていう神託が降りたそうよ」
「ふうん……それで、その聖匙の使徒って言うのがあの神官様って事?だからあんなに注目されていたのね」
マルガレータは染み染みとそう呟いた。何も知らない自分ですら、雰囲気が違うのが分かったのだから、それは敬虔な信徒ならば感動すら覚えるだろう。
「白い髪なんて天使かその少年使徒しかいないから、一時期ここらでも話題になってたのよねえ」
「……ねえ、その白い髪の人以外の、他の聖匙の使徒の事、デミは知ってる?」
それまで黙っていたトレイシーがそう尋ねる。きのこの作業は放り出して、カウンターから身を乗り出している少年に、デミは困った様な表情になる。
「それがねえ、複数人いるっていうのは知ってるんだけど、髪が白い人以外は情報が出回ってないのよねえ。全部で使徒が何人いるとか、どこにいるとか」
「あら?それだと偽物とか出て来てしまうんじゃない?」
マルガレータの心配の声に、デミは首を振る。
「使徒は名乗るものではなく世の為に存在するものだから、教会でも公式な立場としては扱ってないんだって。だから偽物も何もないのよ。彼らの行動が聖匙の使徒の証明になるわけ」
「証明、ねえ……」
トレイシーは低い声でそう呟いた。
――だったら、その有名な使徒さんがこの状況をどうにかしてくれると助かるんだけど。
そんな事を考えながら、トレイシーがきのこの土払いをしていると、どんどんと酒場の扉を叩く音がする。
その音に三人は顔を見合わせた。シュテルンの営業は夕方からだ。まだ昼になったばかりの時刻に客が来るわけがない。例え、営業時間を知らない新規客だったとしても、表の準備中の札が見えないわけがない。
「マルガ、表の札、営業中にしちゃった?」
「そんな訳ないじゃないの」
看板娘二人がそんな会話をひそひそとしている間も、扉を叩く音は止まない。
中々開かない扉に痺れを切らしたのか、訪問者達が声を張り上げる。
「あー、失礼!誰かいないか!話を聞かせてもらいたい!」
「金髪の男について知っていることがあったら教えて欲しい!」
「あーあ……」
面倒臭い奴らに嗅ぎつけられたなとトレイシーがうんざりした顔をしていると、厨房の奥の扉が開く。
そこからぬっと姿を表したのは強面の屈強そうな男性だった。仕入れに出ていた酒場の主人が、タイミングよく戻って来た様だ。彼は不機嫌そうな顔で騒がしい方向を睨むと、トレイシーに「奥に行け」と目配せをする。トレイシーはそれに静かに頷いた。
「誰かいないのか!」
「うるせえよ!てめえらは字が読めねえのか!こちとら準備中だ!」
そう怒鳴りながら表の扉に向かって行く主人と入れ替わるように、トレイシーは奥の扉に滑り込んだ。
「はー、本当にしつこいな……」
「トレイシー、大丈夫かい?」
「イルダさん」
トレイシーが口の中で毒付いていると、酒場の女将が階段を駆け降りてくる。
栗色の髪を束ね、少し年配だがまだ充分に魅力的な女性が、心配気な顔をしている。それに対してトレイシーは大きな帽子の鍔を少し引き上げて、肩を竦めて見せた。
「執事さんのお陰で、今日はこの帽子があるから」
「それはいいんだけど……全く魔払いとしては無能な癖に、嗅ぎつける鼻だけは効くんだから」
「ねー。本当に魔払いやめて探偵業やった方がいいよね」
呆れた顔をするイルダに、トレイシーも同意を示す。

街の外で起きている連続殺人は、この街の住人ならば知らないものはいない、大事件だ。あまりに大胆でいて人間には不可能な犯行なので、人外の仕業ではという噂が立った。
そんな中、犯人が遺留品を残した。その一つが金髪らしきものだったという。
これが不味い事態を引き起こした。金髪は特定の地域の出身者か、魔力の強い人間のみが持つ色で、非常に珍しい。その珍しい髪色の人間に、トレイシーは当てはまってしまったのだ。
そうなってしまえば、人毛ではない、色が違うという話は有耶無耶になる。証拠は警察が持っているが、噂は一人歩きをしていってしまう。
そして重ねて間が悪いことに、トレイシーは正体を隠す為に常に幻術を纏っている。これが実力不足の魔払い達が、トレイシー自身が人外だと誤認してしまう原因になった。

イルダはきらきらと輝く紺色の瞳でトレイシーを見つめる。
「本当に、節穴よねえ。こんな可愛い女の子をどうしたら男と思うのかしら」
「特級の神霊眼持ちのイルダさんと他の人を同じにしたら可哀想だよ」
苦笑してトレイシーはそう返す。
魔物や妖精といった特殊なものを見ることが出来る眼を神霊眼と言い、修行の果てに修得することが出来るのだが、稀に生まれつきその力を持っているものもいる。
イルダは生来の神霊眼持ちであり、更に人を見る眼を鍛えた結果、より多くのものを見破れる様になったのだという。
この街にトレイシーが初めて来た時に、少年の姿に見える幻術を使っていたのに正体をあっさりと見抜いたイルダは「女の子の一人旅は危ないわよ」と言ってのけ、トレイシーは本当に驚かされたのだ。
「一層の事、女の子な事を公表してしまったらどう?」
「そう言う問題じゃないよ、人外じゃないって証明をしないとあの人達は納得しない。それに、マルガレータが言ってたけど聖都から調査団が来たんだって。だからあいつらが大きな顔出来るのは今日までだと思う」
「あら、じゃあもう安心かしら」
「明日お屋敷でその人達に会うから、そこで判断しようと思ってる。今日はもう、あんな感じで仕事にならないと思うし、外にいる人達が諦める気配もないし、お店始まるまで図書館に隠れてようかと」
「それがいいわ。そうしなさい」
女将に許可をもらったトレイシーは、酒場の裏手からこっそりと外に出ると、教会に併設された図書館に向かって歩き出したのだった。
2/7ページ
スキ