3話
「――面白い話だったよ」
赤い髪のその人は、パチパチと拍手をして楽しげにしている。
トレイシーは少しむっとした顔で相手を睨む。面白がられるような話をした覚えはないのだ。
少女が不機嫌になった事を察した男は、くすくすと笑う。
「興味深いって意味だよ。僕は彼と組んだことはあったけどね、そんな力は持ってなかった筈だ」
「一回限りって言ってたから、あんたが見たことあったらおかしいんだよ」
つっけんどんなトレイシーの言葉に、ずっと猫のように笑っていた男が首を傾げる。
「どういう事かな」
「もう使えない。二度と。私きっと用済みなの。だから洗礼も受けられない」
窓から外を見て、トレイシーは無感動にそう答えた。
何も期待していない。そう言っているようだ。まだあどけなさの残る、十代半ばの子供がして良い顔ではない。
男はトレイシーの方へ身を乗り出し、微笑んだ。その顔は先程までの笑みとは違い、温かみのあるものだった。
「残念、はずれだよ。君はまだまだ人気者さ」
「!」
驚いた顔で目を瞬かせるトレイシーは、そうしていると年齢よりも幼く見えた。
男は椅子に悠然と凭れると、口を開いた。
「聖匙の使徒は世の為に存在し、行動が自らの証明になる。能力の有無は問われてないんだ。だから、君の額にはまだ印が残っているじゃないか」
「でも、何をすればいいか分かんない」
「まあまあ。慌てない慌てない」
途方に暮れた子供の膝に、男の肩に乗っていたウサギがぴょんと飛び移る。
「僕らはさ。進む方向に運命がうねっていくんだ。だから何かしようなんて今は考えなくていいんだ。その時に選べばいい」
「選ぶ」
「そう」
膝の上でぴょこぴょこと跳ねているウサギを見ながら、トレイシーはぽつりと呟く。
「よく分からない」
「今はね。君は厄介な因果が絡みついてるから、きっと僕が言った通りになるよ」
「それ、他の人が不幸になる?」
不安そうに顔を曇らせるトレイシーに、男はニヤッと笑う。
「他の人の不幸は君がどうにかしたんだろう?だったら同じさ。君は賢いんだから分かるんじゃない?」
そういう男に、トレイシーは少し考えてからこくりと頷いた。
「………………………………懐かしすぎるでしょ」
視界には見慣れた天井。レーゲル屋敷の、自分に宛てがわれた部屋のものだ。
トレイシーは異様に固く感じる体を起こし、くらくらと回る視界に一度目を閉じた。
――なんとも懐かしい夢だ。数年前、出会った当初の悪友との会話を思い出すなんて。
「?」
トレイシーは目眩が治まるのを待って、腕を持ち上げる。どうしてこんなに体が気怠くて動かし辛いんだろう。そして太陽の位置が普段よりも高いような。
なんだかとてもぼんやりとしていて、さっぱりとした目覚めとはならない。酒を飲んだ後の様な、そんな感覚だ。
ベッドから上半身だけを起こし、トレイシーがぼーっとしているとノックと共に扉が開かれる。返事を待つ気のないノックなんて礼儀正しいこの屋敷の人らしくないなあと思っていると、洗面器を持ったメイドが入ってくる。そして、彼女と目が合うとメイドは慌てたように駆け寄ってくる。
「お嬢様!ああ、良かった!お目覚めになられて!この三日間気が気じゃなかったんですよ⁈毒の影響だったらどうしようかと」
「え?三日?」
「はい。覚えていませんか?森の人喰い湖に落ちて……」
「……………………………………ああ‼︎」
回転が鈍っていた脳に血が巡り始めた様だ。トレイシーは気を失う前にあった出来事を思い出す。
そうだ、自分は森で幼い姉妹を救って、襲撃犯に毒藻の湖に突き落とされて、そして。
沈んでいく景色、歪んだ水面の向こうの月。痺れる体、消えていく意識。
トレイシーは自分の体を見下ろして、寝巻きの体を抱き締めて呆然と呟く。
「どうやって助かったの、私。沈んで……そうだ、あの子達、ソフィー達は無事なの?ルカはどうなって」
「失礼します」
開け放った扉をノックし、入ってきた執事にトレイシーは顔を向ける。
「アルフレッドさん」
「皆さんはご無事ですのでご安心を」
「あ……」
執事が指し示す先には、森に残してきてしまっていた壊れた機械人形の姿があった。確認するとパーツもできる限り集めてくれていたらしい。
一体、誰が回収してくれたのだろう。ほっと安堵した表情になるトレイシーに執事は穏やかに語りかける。
「どうでしょう、トレイシーさん。気になることはあるでしょうが、まずは沐浴なされては。さっぱりとされてからお話しをしませんか」
「あ、はい」
執事の提案にトレイシーは同意を返す。何日も寝ていた事もあり、悪くない提案だった。湯に入って少し思考を整理したい気持ちもある。
「それでは、少々お時間をいただきます」
「ありがとうございます。あ、これ!この人形は誰が回収してくれたんですか」
一礼してメイドと共に去ろうとしている執事の背にトレイシーがそう尋ねる。彼は振り返ると「ああ」と微笑んだ。
「それはルカさんです。貴女を助けたのも彼なのだとか。そちらに活けてあるお花も彼からだそうで」
「え?花?」
機械人形に注目していたので気付かなかった。書物机に花瓶があり、そこにオレンジ色の牡丹が飾られている。
部屋に活けられた丸い大輪の花々にトレイシーは丸くなった目を瞬かせた。
こんな繊細な気遣いを自分にするだろうか?あの失礼な男が。瑞々しい牡丹にトレイシーは戸惑いの表情を浮かべる。
「なんで花?どういう風の吹き回し?」
「毎朝新鮮なお花が送られて来ていますよ。女性へのお見舞いは、可愛らしい花が良いと判断されたのかと」
「………………」
執事の言葉に、トレイシーは一瞬険しい顔になる。しかしすぐに溜息を吐いて、丸い花に触れる。
「ああ、バレちゃったと」
「救護活動中に、トレイシーさんの性別に気付かれた様です」
「それじゃ文句の言いようがないよ、助けてもらった訳だしね。死ぬ事と比べたら瑣末なことだし」
「お着替えはイルダさんがしてくださったそうですので、ご安心を」
「そうですか」
執事の言葉にトレイシーは胸をなで下ろした。いくら発育の悪い体と言えど、異性に見られるのは抵抗がある。
「お湯の準備が整うまで、軽食をご用意いたしましょうか?」
「あ、お願いします。実はお腹ぺこぺこで……」
「承知しました。すぐにお持ちしますね」
今度こそ部屋を去っていく執事を見送り、トレイシーは活けられた花に向き直った。大きく華やかでありながらオレンジの色が可愛らしい牡丹。
一体どんな顔であの男がこの花を選んだんだか。しかも毎日送って来ていたのだとか。
「意外にまめなんだなあ……」
くすくすと笑いながら、トレイシーは牡丹の花に顔を埋める。牡丹はバラにも似ているのに、その香りは控えめで奥ゆかしい。そんなところも気に入った。
花を捧げられることなんて、十月の皇后代理を務めていた頃は当たり前の事だった。しかし、トレイシーの為の花は初めてかもしれない。
「ふふ」
トレイシーは牡丹の花を優しく撫でて、微笑んだ。
