3話
「――とういう訳なんだ」
ルカは、向かいにい座る女性の顔を恐る恐る見やる。日中にトレイシーを事件現場に誘った事も、今夜あった出来事も、一部のトレイシーと黙っていると約束を交わした秘密以外は包み隠さずに話した。
トレイシーはドーフリンのお陰か、今の所は不調な様子はなく、ただ眠っている状態だと言うのは聞いている。しかしそれでも彼女の身を危険に晒した事実は変わらない。目を閉じてルカの話を聞いていたイルダが、どういう判決を下すのかと緊張してしまう。
手の中で湯気の消えてしまったカップに視線を落とし、ルカは温くなったお茶に口をつける。
イルダは深くため息をつくと、瞼を開く。その目は穏やかで怒りや咎めるような感情は浮かんではいなかった。
「全くもう……無茶をした事はどうかと思うけど、人の命を助ける為なんて言われたら、何も言えないわ」
「すみません」
「申し訳ない」
「いいわ。けど、パウラさん達への説明は頑張りなさいね」
「それもあった……」
ルカは苦々しい顔で額を覆った。トレイシーの滞在している屋敷の老婦人は非常に心配性なのだ。イルダは許してくれたが、果たしてあちらはどうだろうか。執事もきっと、あの凄みのある笑顔で責めて来るに違いない。
トレイシーの正体を知るまでは、なんて過保護過ぎる人々なのかとルカは思っていたが、今となればそれも当然の事だと感じている。
女性が被害に遭っている事件を、女性が一人で調査していたのだ。それを心配するなと言う方が無理だろう。
まだ見ぬレディ・パウラが、トレイシーへの無作法な捜査をした警察を出禁にしたのも当然と言えば当然だ。うら若い女性の服を男が脱がそうとしたのだ。それは杖で滅多打ちにされても文句は言えない。
「それにしても、一体どうしてトレイシーは湖に落ちてしまったんだろう?足を滑らせる様な場所は見えなかったと思うけれど」
「!そう、忘れる所だったわ。これを見て」
イライがふと浮かんだ疑問を口に出せば、イルダがポケットからハンカチを取り出した。白いハンカチの上には糸の様なものが数本乗っている。二人が身を乗り出して確認すると、それは人の髪の様に見えた。
「トレイシーの指にこれが絡まっていたのよ。最初は貴方の髪かと思ったのだけど、それにしてはおかしい気がして」
ハンカチに乗せられた髪は、金髪ではあるがルカよりも長く、色も淡いピンクがかかっている。当然トレイシーの髪色とも似ても似つかない。まだイライとルカは会っていないが、レディ・パウラも短髪だそうなので当てはまらない。
このドラクルの街で、金髪はルカとトレイシーとパウラの三人と、後はマルガレータを襲撃した犯人だけだ。
何が起こったのかは、トレイシーから話を聞くまでは分からない。しかし、彼女が湖に落ちた要因に、この金髪の持ち主が無関係な訳がない。
「イルダさん。この髪、こちらで預からせて頂いてもいいですか?」
「ええ、構わないわ。必要だと思ったから見せたのだもの」
イルダが差し出したハンカチを、イライは礼を言って受け取る。これは重要な手掛かりになる筈だ。上手くすればトレイシーにかけられている容疑も晴らせるかもしれない。
ハンカチを丁寧に畳んでポーチに仕舞い込むイライを横目で見やり、ルカは大振りな鍵の飾りを取り出した。
それはトレイシーがずっと胸に付けていたものだ。この鍵に何らかの仕掛けがしてあり、トレイシーの姿を少年に見せかけていたのだ。
明らかに秘密がある鍵を調べてみたい欲はルカにもあるが、それをすれば漸く態度に変化が見えた駒鳥の機嫌を損ねてしまう。
少なくともトレイシーが自身の事を明かしてくれるようになるまでは、こちらから暴くような真似はするべきではないとルカも分かっている。だから、テーブルの上に置いた鍵をイルダの方に差し出した。
「これを返しておいて欲しい。大事なものの様だし、私が持っていていいものではなさそうだ」
「……分かったわ」
イルダはルカが差し出した鍵の飾りを見つめ、ふっと微笑んだ。そして鍵を引き寄せると頷いて見せた。
そんな女将の態度に、イライは先程から引っかかっていた事を尋ねた。
「イルダさん。貴女はトレイシーが女性な事も、ルカの正体も気付いていたのでしょうか?」
「気付く、と言うのは違うわね。『見えてる』のよ。私は先天の神霊眼持ちなの。特に見抜く事に長けていて、幻惑の類いは効かないわ。だから貴方が人間じゃないのは最初から知っていたのよ」
「それは……」
あっけらかんとしている女将に、ルカは感心していいのか呆れればいいのかが分からない。
このシュテルンにはうら若い女性の従業員が二人、いや三人もいた訳だ。その状況下で男の吸血鬼など、通常ならいくら安全と言われても迎え入れられるものではない。
「貴女が肝が据わっている女性なのは承知しているが、よくそんな私を宿に受け入れてくれたな」
「私の人を見る目は確かよ?それに貴方達が思っているよりもずっと多くのものが見えているわ。貴方の首枷も、貴方の肩で羽繕いしてる真っ白なフクロウちゃんも私には見えているわ」
「!」
イルダの指摘に、ルカは目を見開いて、イライは咄嗟に左肩に手をやった。
ルカの首にある枷もイライの肩にいるフクロウも、どちらも常に存在しているが常人には見えない筈のものだ。
フクロウの現在の行動まで言い当てられては、疑う余地もない。
どうやらこの女性、一介の市民ではなかったらしい。その筋の人間ならばスカウトしたい程に優秀な眼を所持している。
声もなく驚いている二人に、イルダはくすくすとおかしそうに笑い出す。
「もう、トレイシーと同じ反応して!あの子も初めてここに来た時にそんな顔をしてたわ」
「トレイシーが?」
「そうよ。部屋の空きがないかって尋ねて来たのよね。あの時は天気が悪い日が続いて、船が出せなくて大勢の旅行客達が足止めされていて。ホテルも宿も埋まってたのよねぇ。当然うちも満杯で。でも、そうしたらあの子、雨風邪凌げるなら馬小屋でもいいって言い出すのよ。女の子にそんなことさせられないわって言ったら、その顔よ」
「見抜かれるとは思っていなかったようですね。それにしても馬小屋とは……」
「そう、それでパウラさんのお屋敷を紹介したのよ。機械の修理ならなんでも出来るってトレイシーが言うから、それならお屋敷の壊れた柱時計の修理をしてもらうのに丁度いいかと思って。それにパウラさんも神霊眼持ちだから、なんとなく訳ありのトレイシーの事情を分かってくれるんじゃないかって」
「その結果、あの過保護っぷりになった訳か」
ルカは頬杖をついて、そうぼやいた。
事情を知らなければ、トレイシーは屋敷の若君かお嬢様にしか見えない。ただの客人とは到底思えない扱いだった。イルダはルカの言い分に、ふっと小さく微笑んだ。
「パウラさんはね、どこか別の国から来た人なの。でも詳しい事情は誰も知らないわ。きっと高い身分の人だったんだろうなって事だけは分かるけれどね。過去の事は語らないあの人が、一度だけ話してくれたことがあったわ。トレイシーを初めて見た時、お兄さんが戻ってきてくれたんじゃないかって思ったって。すぐに人違いだって分かったのだけれど、それでも嬉しかったのですって。女の子だって分かってからは、今度は腕白だった妹を彷彿とさせるそうよ。きっと成長していたら、こんな子になっていたのかしらって」
「……………………」
イライは目隠し越しに目を閉じる。レディ・レーゲルの屋敷のエントランスに飾られた、金髪の一家の肖像画を思い浮かべた。
金髪の夫婦に、金髪の子供達。どの子も若く、成人前の姿だったと記憶している。母の腕に抱かれた幼児もいた筈。きっとあの中に女主人の若かりし姿もあるのだろう。
今の話を聞く限りでは、女主人以外の家族は生死が分かっていないか、もしくは既に誰も残っていないのかもしれない。
――詮索するつもりはない。事件に関係ない事に首を突っ込むつもりはない。
それでもなんとなく感じてしまう。あの屋敷の人々が、トレイシーに何を重ねているのか。過保護な屋敷の人々の対応を受け入れつつ、過度な支援を拒否するトレイシーの線引きは大事な区別なのだろう。
その奇妙な関係から、懺悔する人々とそれを受け入れ赦す聖職者の姿を連想してしまう。
イライとは真逆に、老婦人の事情に一切興味がなさそうなルカは先程から気になっていたことを尋ねた。
「トレイシーの正体を知っているのは、店主とお嬢さん方もなのかな」
「主人は知ってるわ。でもデミとマルガレータには内緒にしてるわ。あの二人がトレイシーが女の子な事を知ったら、構い倒すに決まってるもの」
「既に構い倒されている様な気がするのだけれど」
マルガレータにがっちりとホールドされていたトレイシーを思い出し、ルカは首を傾げた。姉達のおもちゃにされてる弟の図が完成していた様に思う。
不思議そうにしているルカに、「甘いわね」とイルダは真面目な顔で溜息を吐く。
「女っていうのはね。秘密とか内緒とか、そういうものは隠されれば隠されるほど大好きなのよ。正体を隠して少年の振りで旅をする、訳ありの女の子なんて年若いあの子達が食いつかないわけないでしょう。私でさえ物凄く、物凄く!事情を聞きたいのを必死で我慢しているのに!」
「なるほど。実感が篭っていて、とても説得力があるな」
拳を握って熱く語るイルダにルカは感心した様な、呆れた様な笑い声で応じる。
イルダと看板娘の二人が酒場の客から親子扱いされているのを、ルカも見た事がある。同い年なら三姉妹の様になっていたかもしれない。
少し熱くなってしまった事を誤魔化す為に、こほんと咳払いをした女将は「とにかく」と言葉を続ける。
「詮索する様な人間はこの仕事は出来ないの。だからあの子が女の子なのを知ってるのは私と主人、パウラさんのお屋敷の人達だけね。貴方達も増えたわけだけど」
「心配しないでくれ。私もだが、彼も秘密は守る。口が軽い人間に懺悔したい信徒はいないだろう?」
ルカの言葉に同意を示すように、司祭見習いの青年が微笑んでいるのを見て、イライなら大丈夫だろうとイルダも頷いた。
「それはそうね。信じるわ。それにしてもトレイシーはあんなにいくつも魔法が掛かった状態で、本当ならひっそりとしていたかったのでしょうけど……それが裏目に出て殺人事件の容疑者にされちゃうなんて、本当になんて運のない子なのかしら」
「言われてみればそうだな」
イルダの言う事は尤もだとルカも唸る。トレイシーはどう見てもか弱く、女性の姿だったなら容疑者どころか保護対象だっただろうし、喪失の呪いが無ければ今程に怪しまれる事も無かった筈だ。
呪いも幻術も女性の一人旅を心配して、というには少しばかり不親切な方法に思える。旅路の安全を願うなら、他にいくらでも有効な術はあったように思う。
「無期限に姿を変えられる高度な幻術なんて、使える存在は限られていると思うんだけど」
「余程の高位の魔術師か……人間ではない存在か」
二人の会話に、カップを片付けようとしていたイルダが「ああ」と思い出した様に顔を上げる。
「そういえばトレイシー、一緒に旅してた人が赤毛の面白い魔術師だったって言ってたわね。なんて言ったかしら。クイーン?いえもっと長かったかしら?なんだかそんな名前だった筈」
「……………………………………クイーン?」
「……………………………………赤毛?」
ルカとイライは口を引き結び、同時に動きを止めた。そしてそろりと互いの顔を見やる。おかしな様子の二人に気付いていないイルダはカップを手に厨房へと向かっていく。
「私はここを片付けたらトレイシーの様子を見て、少しだけ眠るわね。二人も少しでも寝た方がいいと思うわ。やる事があるのでしょう?」
「あ……はい。そうですね」
「?大丈夫?なんだか顔色が悪いけど疲れているんじゃない?ちゃんと休むのよ」
「ああ。分かったよ」
心配そうにしているイルダを笑顔で見送り、ルカは扉が閉じた途端に真顔になりイライに向き直った。
「君の天眼をも欺くレベルの幻術を作り出せる、赤毛で愉快な高位の魔術師に心当たりは」
「……一人しかいない。名前まで出されたら確定だよ。クインランだ。あの人しかいない。君の大先輩さ」
「ああ、大変に『お世話』になった事は覚えているよ」
苦々しい顔で吐き捨てるルカに、イライは小さく笑う。
クインランは魔術師の中でも飛び抜けて特異な存在だ。吸血鬼の始祖である血族と魔術師の混血であり、最初に封神になった魔族だ。強力な魔術師であるクインランは聖賢者と共に邪神教や魔族と戦った記録もある為、人には英雄、血族からは裏切者と呼ばれる生ける伝説でもある。
教会の所属であるが、普段は自由にあちらこちらを放浪している。赤毛の若々しい青年の姿をしており、近しい人々には「マイク」と名乗る。明るく人懐っこい性格なのだが、有事にはグラールの強力な戦力となる。
ルカが長年封印されるに至った要因もクインランにある。その為に、教会に帰属した今もルカはその名を聞くと渋面になる。苦々しい記憶とセットで出てくる顔なので、それも致し方ない事だろう。
「とんでもない大物が出てくるじゃないか。詮索しないと言ったばかりだが、どう言った経緯であの偉大な魔術師様とトレイシーが旅をすることになったのか非常に気になってしまうな」
「その旅、ただクインランが放浪しているついでの話ならいいけれど、重大な教会のお役目だったら僕らの行為は妨害行為になってしまう可能性があるから、一度確認が必要かも」
「ではそちらは君に頼んだ。私は日が昇ったらもう一度湖へ行く。置いて来てしまったトレイシーのアシスタントも回収しなくては」
「……分かったよ」
食い気味に役割を決めるルカに、余程クインランと関わりたくないらしいとイライは肩を竦めてしまう。ルカは飄々とした態度を取っているが、好き嫌いだけは本当に分かりやすい。
どちらにしろ、気力も魔力もまだ本調子ではないイライは、市外の活動をするのは得策ではない。ルカの言う通りにするのが一番良いのも事実だ。
「そうだ。ついトレイシーの事が衝撃的過ぎて聞きそびれてしまってたけど、詳細を報告してもらいたいな」
「見てたんじゃないのか?」
イライの問いに、ルカは首を傾げた。ルカが助けに入る前、トレイシーを凶刃から庇った白いフクロウはイライの相棒だ。そして彼の「目」でもある。あれ程タイミング良く助けに入ったのだから、ずっと様子を伺っていたのではないのか。
しかし、ルカの疑問にイライは首を振り、肩にいるフクロウに目をやる。
「君は僕を過大評価し過ぎだよ。そんな事が出来るなら心労で動けなくなんかならないよ。この子の視界を共有出来る時間は然程長くはないんだよ。トレイシーを助けられたのは虫の知らせの様なものさ。君がいるのも見えていたから、一撃さえ防げれば間に合うのも分かっていたんだ」
「そうだったのか。まあ君が千里眼ならわざわざ現場に派遣される訳がないか。それなら状況説明もしなくてはな」
ルカは森での出来事をイライに話して聞かせる。トレイシーと二手に分かれて湖を見張っていたこと、ルカ側に最初の襲撃者が現れたこと、一時的に襲撃者を退け少女を救ったが、嫌な予感を覚えてトレイシーの元に向かったこと。無事に幼い姉妹を救い、彼女達を送り届けていた間にトレイシーが湖に沈んでいて慌てて救出したこと。
襲撃者を感電させた事は有耶無耶に誤魔化すことは忘れない。奥の手はまだ持っていたいルカは、その能力はイライにもまだ知られたくない。
話を聞き終えたイライは、顎を摩りながら顔を顰めた。
「やっぱり、トレイシーは襲撃者に湖に突き落とされた可能性が高そうだ。そんな危険な目に遭わせてしまうなら、やっぱり僕が行くべきだったかな」
「まさか、這って行く気だったのかい?勘弁してくれ。君を介助しながらじゃ助けられるものも助けられないよ。足手纏いでしかない。それより、そうまでしてもう一人の手が必要だった事を君は知っていた訳だろう。そろそろ教えてくれ。どんな未来を見てしまったのか」
「……そういえば、言ってなかったね」
イライは憂鬱そうな口振りでそう呟いた。聞かれなかったら言わずにおきたかった、そんな態度にルカには見えた。思い出さずにそのままイライの中でだけで留めておきたかったのかもしれない。
「僕が見たのは森の湖と月、湖のほとりで青白い顔で息絶えている少女、呆然とそれを見ている幼い女の子と、その背後にいる人影、そして血濡れた刃。映像は断片だったから、それからどうなったかは分からない。その人物が犯人かどうかも分からなかった。だけど、あの森にはか弱い女の子が二人いて、連続殺人鬼がいる。僕は『次の被害者』を食い止める術を知りたくて予知をした。そして見えたのがあの光景なら、どちらも保護しなくてはならないと判断したんだ」
「ふむ、なるほど。そういう事か」
「でも、それでトレイシーが死んでたら結局犠牲者が出てしまうところだった。君がいてくれて良かったよ。人間じゃあの湖から彼女を救うことは出来なかった筈だ。今更だけど、本当にありがとう」
「…………」
そう言って頭を下げるイライに、ルカは面食らった顔で目を瞬かせる。イライに礼を言われるとは思っていなかったのだ。
どうにも居心地悪げに頬を掻きながらルカは「まあ、その」と言葉を紡ぐ。
「頭を上げてくれ。彼女を連れていったのは私だ。私が責任を取るのは当然の事じゃないか」
「トレイシーを連れて行くことになったのは僕が頼んだせいだろう」
「それはそうだけど。ああもう、この件に関しては我々が悪かったということで彼女に頭を下げる事にしよう。それでいいだろう?どちらにしろトレイシーのお陰で襲撃者を一度退けることが出来たんだ。そうでなければ私はあの幼い姉妹をどちらも救うことは出来なかったかもしれない」
「どういう事かな?」
ルカの発言にイライは首を捻る。トレイシーが襲撃者を退けたというが、彼女にそんな力があるようにはとても見えない。
訝しげなイライに、ルカはひび割れてしまった魔除けのタイマーを取り出して見せた。
「これさ。トレイシーからもしもの為にと渡されていたんだ。本当に襲撃者には魔除けの効果覿面だったよ。音を聞いただけで退けられるとは思っていなかった。私には効果が半減しているというのは、やはり封神の影響か」
「ルカ、それはいいんだけどどうしてこのタイマー、こんなにガラス面が粉々になっているんだい?」
「ん?それは私が犯人に向けて投げつけたからで……」
「何にぶつけたら真鍮がこんなにひしゃげてしまうのかが分からないんだけど。岩にでもぶつけたのかな」
「それは……………………」
イライからの指摘にルカは開きかけていた口を閉じる。そして改めて思い出してみる。
そういえば、あの時は刺されそうな少女を救うのに必死で気にしていなかったが、この金属の塊が襲撃犯の体に当たった音がおかしかった様な気がする。人の体ではなく、なにか他の――硬質なものにぶつかった、いや割ったような音がしていた。
もしかすると、襲撃者が退散したのは魔除けの音の為だけではなかったのかもしれない。
「やはりもう一度、あの襲撃現場に行かなくては」
「なにか閃いたのかな」
「ああ、トレイシーの機械人形も確かめる必要がある」
「では、そちらは頼めるかい?」
「任せてくれ」
ルカはそう言って胸を叩いた。
ルカは、向かいにい座る女性の顔を恐る恐る見やる。日中にトレイシーを事件現場に誘った事も、今夜あった出来事も、一部のトレイシーと黙っていると約束を交わした秘密以外は包み隠さずに話した。
トレイシーはドーフリンのお陰か、今の所は不調な様子はなく、ただ眠っている状態だと言うのは聞いている。しかしそれでも彼女の身を危険に晒した事実は変わらない。目を閉じてルカの話を聞いていたイルダが、どういう判決を下すのかと緊張してしまう。
手の中で湯気の消えてしまったカップに視線を落とし、ルカは温くなったお茶に口をつける。
イルダは深くため息をつくと、瞼を開く。その目は穏やかで怒りや咎めるような感情は浮かんではいなかった。
「全くもう……無茶をした事はどうかと思うけど、人の命を助ける為なんて言われたら、何も言えないわ」
「すみません」
「申し訳ない」
「いいわ。けど、パウラさん達への説明は頑張りなさいね」
「それもあった……」
ルカは苦々しい顔で額を覆った。トレイシーの滞在している屋敷の老婦人は非常に心配性なのだ。イルダは許してくれたが、果たしてあちらはどうだろうか。執事もきっと、あの凄みのある笑顔で責めて来るに違いない。
トレイシーの正体を知るまでは、なんて過保護過ぎる人々なのかとルカは思っていたが、今となればそれも当然の事だと感じている。
女性が被害に遭っている事件を、女性が一人で調査していたのだ。それを心配するなと言う方が無理だろう。
まだ見ぬレディ・パウラが、トレイシーへの無作法な捜査をした警察を出禁にしたのも当然と言えば当然だ。うら若い女性の服を男が脱がそうとしたのだ。それは杖で滅多打ちにされても文句は言えない。
「それにしても、一体どうしてトレイシーは湖に落ちてしまったんだろう?足を滑らせる様な場所は見えなかったと思うけれど」
「!そう、忘れる所だったわ。これを見て」
イライがふと浮かんだ疑問を口に出せば、イルダがポケットからハンカチを取り出した。白いハンカチの上には糸の様なものが数本乗っている。二人が身を乗り出して確認すると、それは人の髪の様に見えた。
「トレイシーの指にこれが絡まっていたのよ。最初は貴方の髪かと思ったのだけど、それにしてはおかしい気がして」
ハンカチに乗せられた髪は、金髪ではあるがルカよりも長く、色も淡いピンクがかかっている。当然トレイシーの髪色とも似ても似つかない。まだイライとルカは会っていないが、レディ・パウラも短髪だそうなので当てはまらない。
このドラクルの街で、金髪はルカとトレイシーとパウラの三人と、後はマルガレータを襲撃した犯人だけだ。
何が起こったのかは、トレイシーから話を聞くまでは分からない。しかし、彼女が湖に落ちた要因に、この金髪の持ち主が無関係な訳がない。
「イルダさん。この髪、こちらで預からせて頂いてもいいですか?」
「ええ、構わないわ。必要だと思ったから見せたのだもの」
イルダが差し出したハンカチを、イライは礼を言って受け取る。これは重要な手掛かりになる筈だ。上手くすればトレイシーにかけられている容疑も晴らせるかもしれない。
ハンカチを丁寧に畳んでポーチに仕舞い込むイライを横目で見やり、ルカは大振りな鍵の飾りを取り出した。
それはトレイシーがずっと胸に付けていたものだ。この鍵に何らかの仕掛けがしてあり、トレイシーの姿を少年に見せかけていたのだ。
明らかに秘密がある鍵を調べてみたい欲はルカにもあるが、それをすれば漸く態度に変化が見えた駒鳥の機嫌を損ねてしまう。
少なくともトレイシーが自身の事を明かしてくれるようになるまでは、こちらから暴くような真似はするべきではないとルカも分かっている。だから、テーブルの上に置いた鍵をイルダの方に差し出した。
「これを返しておいて欲しい。大事なものの様だし、私が持っていていいものではなさそうだ」
「……分かったわ」
イルダはルカが差し出した鍵の飾りを見つめ、ふっと微笑んだ。そして鍵を引き寄せると頷いて見せた。
そんな女将の態度に、イライは先程から引っかかっていた事を尋ねた。
「イルダさん。貴女はトレイシーが女性な事も、ルカの正体も気付いていたのでしょうか?」
「気付く、と言うのは違うわね。『見えてる』のよ。私は先天の神霊眼持ちなの。特に見抜く事に長けていて、幻惑の類いは効かないわ。だから貴方が人間じゃないのは最初から知っていたのよ」
「それは……」
あっけらかんとしている女将に、ルカは感心していいのか呆れればいいのかが分からない。
このシュテルンにはうら若い女性の従業員が二人、いや三人もいた訳だ。その状況下で男の吸血鬼など、通常ならいくら安全と言われても迎え入れられるものではない。
「貴女が肝が据わっている女性なのは承知しているが、よくそんな私を宿に受け入れてくれたな」
「私の人を見る目は確かよ?それに貴方達が思っているよりもずっと多くのものが見えているわ。貴方の首枷も、貴方の肩で羽繕いしてる真っ白なフクロウちゃんも私には見えているわ」
「!」
イルダの指摘に、ルカは目を見開いて、イライは咄嗟に左肩に手をやった。
ルカの首にある枷もイライの肩にいるフクロウも、どちらも常に存在しているが常人には見えない筈のものだ。
フクロウの現在の行動まで言い当てられては、疑う余地もない。
どうやらこの女性、一介の市民ではなかったらしい。その筋の人間ならばスカウトしたい程に優秀な眼を所持している。
声もなく驚いている二人に、イルダはくすくすとおかしそうに笑い出す。
「もう、トレイシーと同じ反応して!あの子も初めてここに来た時にそんな顔をしてたわ」
「トレイシーが?」
「そうよ。部屋の空きがないかって尋ねて来たのよね。あの時は天気が悪い日が続いて、船が出せなくて大勢の旅行客達が足止めされていて。ホテルも宿も埋まってたのよねぇ。当然うちも満杯で。でも、そうしたらあの子、雨風邪凌げるなら馬小屋でもいいって言い出すのよ。女の子にそんなことさせられないわって言ったら、その顔よ」
「見抜かれるとは思っていなかったようですね。それにしても馬小屋とは……」
「そう、それでパウラさんのお屋敷を紹介したのよ。機械の修理ならなんでも出来るってトレイシーが言うから、それならお屋敷の壊れた柱時計の修理をしてもらうのに丁度いいかと思って。それにパウラさんも神霊眼持ちだから、なんとなく訳ありのトレイシーの事情を分かってくれるんじゃないかって」
「その結果、あの過保護っぷりになった訳か」
ルカは頬杖をついて、そうぼやいた。
事情を知らなければ、トレイシーは屋敷の若君かお嬢様にしか見えない。ただの客人とは到底思えない扱いだった。イルダはルカの言い分に、ふっと小さく微笑んだ。
「パウラさんはね、どこか別の国から来た人なの。でも詳しい事情は誰も知らないわ。きっと高い身分の人だったんだろうなって事だけは分かるけれどね。過去の事は語らないあの人が、一度だけ話してくれたことがあったわ。トレイシーを初めて見た時、お兄さんが戻ってきてくれたんじゃないかって思ったって。すぐに人違いだって分かったのだけれど、それでも嬉しかったのですって。女の子だって分かってからは、今度は腕白だった妹を彷彿とさせるそうよ。きっと成長していたら、こんな子になっていたのかしらって」
「……………………」
イライは目隠し越しに目を閉じる。レディ・レーゲルの屋敷のエントランスに飾られた、金髪の一家の肖像画を思い浮かべた。
金髪の夫婦に、金髪の子供達。どの子も若く、成人前の姿だったと記憶している。母の腕に抱かれた幼児もいた筈。きっとあの中に女主人の若かりし姿もあるのだろう。
今の話を聞く限りでは、女主人以外の家族は生死が分かっていないか、もしくは既に誰も残っていないのかもしれない。
――詮索するつもりはない。事件に関係ない事に首を突っ込むつもりはない。
それでもなんとなく感じてしまう。あの屋敷の人々が、トレイシーに何を重ねているのか。過保護な屋敷の人々の対応を受け入れつつ、過度な支援を拒否するトレイシーの線引きは大事な区別なのだろう。
その奇妙な関係から、懺悔する人々とそれを受け入れ赦す聖職者の姿を連想してしまう。
イライとは真逆に、老婦人の事情に一切興味がなさそうなルカは先程から気になっていたことを尋ねた。
「トレイシーの正体を知っているのは、店主とお嬢さん方もなのかな」
「主人は知ってるわ。でもデミとマルガレータには内緒にしてるわ。あの二人がトレイシーが女の子な事を知ったら、構い倒すに決まってるもの」
「既に構い倒されている様な気がするのだけれど」
マルガレータにがっちりとホールドされていたトレイシーを思い出し、ルカは首を傾げた。姉達のおもちゃにされてる弟の図が完成していた様に思う。
不思議そうにしているルカに、「甘いわね」とイルダは真面目な顔で溜息を吐く。
「女っていうのはね。秘密とか内緒とか、そういうものは隠されれば隠されるほど大好きなのよ。正体を隠して少年の振りで旅をする、訳ありの女の子なんて年若いあの子達が食いつかないわけないでしょう。私でさえ物凄く、物凄く!事情を聞きたいのを必死で我慢しているのに!」
「なるほど。実感が篭っていて、とても説得力があるな」
拳を握って熱く語るイルダにルカは感心した様な、呆れた様な笑い声で応じる。
イルダと看板娘の二人が酒場の客から親子扱いされているのを、ルカも見た事がある。同い年なら三姉妹の様になっていたかもしれない。
少し熱くなってしまった事を誤魔化す為に、こほんと咳払いをした女将は「とにかく」と言葉を続ける。
「詮索する様な人間はこの仕事は出来ないの。だからあの子が女の子なのを知ってるのは私と主人、パウラさんのお屋敷の人達だけね。貴方達も増えたわけだけど」
「心配しないでくれ。私もだが、彼も秘密は守る。口が軽い人間に懺悔したい信徒はいないだろう?」
ルカの言葉に同意を示すように、司祭見習いの青年が微笑んでいるのを見て、イライなら大丈夫だろうとイルダも頷いた。
「それはそうね。信じるわ。それにしてもトレイシーはあんなにいくつも魔法が掛かった状態で、本当ならひっそりとしていたかったのでしょうけど……それが裏目に出て殺人事件の容疑者にされちゃうなんて、本当になんて運のない子なのかしら」
「言われてみればそうだな」
イルダの言う事は尤もだとルカも唸る。トレイシーはどう見てもか弱く、女性の姿だったなら容疑者どころか保護対象だっただろうし、喪失の呪いが無ければ今程に怪しまれる事も無かった筈だ。
呪いも幻術も女性の一人旅を心配して、というには少しばかり不親切な方法に思える。旅路の安全を願うなら、他にいくらでも有効な術はあったように思う。
「無期限に姿を変えられる高度な幻術なんて、使える存在は限られていると思うんだけど」
「余程の高位の魔術師か……人間ではない存在か」
二人の会話に、カップを片付けようとしていたイルダが「ああ」と思い出した様に顔を上げる。
「そういえばトレイシー、一緒に旅してた人が赤毛の面白い魔術師だったって言ってたわね。なんて言ったかしら。クイーン?いえもっと長かったかしら?なんだかそんな名前だった筈」
「……………………………………クイーン?」
「……………………………………赤毛?」
ルカとイライは口を引き結び、同時に動きを止めた。そしてそろりと互いの顔を見やる。おかしな様子の二人に気付いていないイルダはカップを手に厨房へと向かっていく。
「私はここを片付けたらトレイシーの様子を見て、少しだけ眠るわね。二人も少しでも寝た方がいいと思うわ。やる事があるのでしょう?」
「あ……はい。そうですね」
「?大丈夫?なんだか顔色が悪いけど疲れているんじゃない?ちゃんと休むのよ」
「ああ。分かったよ」
心配そうにしているイルダを笑顔で見送り、ルカは扉が閉じた途端に真顔になりイライに向き直った。
「君の天眼をも欺くレベルの幻術を作り出せる、赤毛で愉快な高位の魔術師に心当たりは」
「……一人しかいない。名前まで出されたら確定だよ。クインランだ。あの人しかいない。君の大先輩さ」
「ああ、大変に『お世話』になった事は覚えているよ」
苦々しい顔で吐き捨てるルカに、イライは小さく笑う。
クインランは魔術師の中でも飛び抜けて特異な存在だ。吸血鬼の始祖である血族と魔術師の混血であり、最初に封神になった魔族だ。強力な魔術師であるクインランは聖賢者と共に邪神教や魔族と戦った記録もある為、人には英雄、血族からは裏切者と呼ばれる生ける伝説でもある。
教会の所属であるが、普段は自由にあちらこちらを放浪している。赤毛の若々しい青年の姿をしており、近しい人々には「マイク」と名乗る。明るく人懐っこい性格なのだが、有事にはグラールの強力な戦力となる。
ルカが長年封印されるに至った要因もクインランにある。その為に、教会に帰属した今もルカはその名を聞くと渋面になる。苦々しい記憶とセットで出てくる顔なので、それも致し方ない事だろう。
「とんでもない大物が出てくるじゃないか。詮索しないと言ったばかりだが、どう言った経緯であの偉大な魔術師様とトレイシーが旅をすることになったのか非常に気になってしまうな」
「その旅、ただクインランが放浪しているついでの話ならいいけれど、重大な教会のお役目だったら僕らの行為は妨害行為になってしまう可能性があるから、一度確認が必要かも」
「ではそちらは君に頼んだ。私は日が昇ったらもう一度湖へ行く。置いて来てしまったトレイシーのアシスタントも回収しなくては」
「……分かったよ」
食い気味に役割を決めるルカに、余程クインランと関わりたくないらしいとイライは肩を竦めてしまう。ルカは飄々とした態度を取っているが、好き嫌いだけは本当に分かりやすい。
どちらにしろ、気力も魔力もまだ本調子ではないイライは、市外の活動をするのは得策ではない。ルカの言う通りにするのが一番良いのも事実だ。
「そうだ。ついトレイシーの事が衝撃的過ぎて聞きそびれてしまってたけど、詳細を報告してもらいたいな」
「見てたんじゃないのか?」
イライの問いに、ルカは首を傾げた。ルカが助けに入る前、トレイシーを凶刃から庇った白いフクロウはイライの相棒だ。そして彼の「目」でもある。あれ程タイミング良く助けに入ったのだから、ずっと様子を伺っていたのではないのか。
しかし、ルカの疑問にイライは首を振り、肩にいるフクロウに目をやる。
「君は僕を過大評価し過ぎだよ。そんな事が出来るなら心労で動けなくなんかならないよ。この子の視界を共有出来る時間は然程長くはないんだよ。トレイシーを助けられたのは虫の知らせの様なものさ。君がいるのも見えていたから、一撃さえ防げれば間に合うのも分かっていたんだ」
「そうだったのか。まあ君が千里眼ならわざわざ現場に派遣される訳がないか。それなら状況説明もしなくてはな」
ルカは森での出来事をイライに話して聞かせる。トレイシーと二手に分かれて湖を見張っていたこと、ルカ側に最初の襲撃者が現れたこと、一時的に襲撃者を退け少女を救ったが、嫌な予感を覚えてトレイシーの元に向かったこと。無事に幼い姉妹を救い、彼女達を送り届けていた間にトレイシーが湖に沈んでいて慌てて救出したこと。
襲撃者を感電させた事は有耶無耶に誤魔化すことは忘れない。奥の手はまだ持っていたいルカは、その能力はイライにもまだ知られたくない。
話を聞き終えたイライは、顎を摩りながら顔を顰めた。
「やっぱり、トレイシーは襲撃者に湖に突き落とされた可能性が高そうだ。そんな危険な目に遭わせてしまうなら、やっぱり僕が行くべきだったかな」
「まさか、這って行く気だったのかい?勘弁してくれ。君を介助しながらじゃ助けられるものも助けられないよ。足手纏いでしかない。それより、そうまでしてもう一人の手が必要だった事を君は知っていた訳だろう。そろそろ教えてくれ。どんな未来を見てしまったのか」
「……そういえば、言ってなかったね」
イライは憂鬱そうな口振りでそう呟いた。聞かれなかったら言わずにおきたかった、そんな態度にルカには見えた。思い出さずにそのままイライの中でだけで留めておきたかったのかもしれない。
「僕が見たのは森の湖と月、湖のほとりで青白い顔で息絶えている少女、呆然とそれを見ている幼い女の子と、その背後にいる人影、そして血濡れた刃。映像は断片だったから、それからどうなったかは分からない。その人物が犯人かどうかも分からなかった。だけど、あの森にはか弱い女の子が二人いて、連続殺人鬼がいる。僕は『次の被害者』を食い止める術を知りたくて予知をした。そして見えたのがあの光景なら、どちらも保護しなくてはならないと判断したんだ」
「ふむ、なるほど。そういう事か」
「でも、それでトレイシーが死んでたら結局犠牲者が出てしまうところだった。君がいてくれて良かったよ。人間じゃあの湖から彼女を救うことは出来なかった筈だ。今更だけど、本当にありがとう」
「…………」
そう言って頭を下げるイライに、ルカは面食らった顔で目を瞬かせる。イライに礼を言われるとは思っていなかったのだ。
どうにも居心地悪げに頬を掻きながらルカは「まあ、その」と言葉を紡ぐ。
「頭を上げてくれ。彼女を連れていったのは私だ。私が責任を取るのは当然の事じゃないか」
「トレイシーを連れて行くことになったのは僕が頼んだせいだろう」
「それはそうだけど。ああもう、この件に関しては我々が悪かったということで彼女に頭を下げる事にしよう。それでいいだろう?どちらにしろトレイシーのお陰で襲撃者を一度退けることが出来たんだ。そうでなければ私はあの幼い姉妹をどちらも救うことは出来なかったかもしれない」
「どういう事かな?」
ルカの発言にイライは首を捻る。トレイシーが襲撃者を退けたというが、彼女にそんな力があるようにはとても見えない。
訝しげなイライに、ルカはひび割れてしまった魔除けのタイマーを取り出して見せた。
「これさ。トレイシーからもしもの為にと渡されていたんだ。本当に襲撃者には魔除けの効果覿面だったよ。音を聞いただけで退けられるとは思っていなかった。私には効果が半減しているというのは、やはり封神の影響か」
「ルカ、それはいいんだけどどうしてこのタイマー、こんなにガラス面が粉々になっているんだい?」
「ん?それは私が犯人に向けて投げつけたからで……」
「何にぶつけたら真鍮がこんなにひしゃげてしまうのかが分からないんだけど。岩にでもぶつけたのかな」
「それは……………………」
イライからの指摘にルカは開きかけていた口を閉じる。そして改めて思い出してみる。
そういえば、あの時は刺されそうな少女を救うのに必死で気にしていなかったが、この金属の塊が襲撃犯の体に当たった音がおかしかった様な気がする。人の体ではなく、なにか他の――硬質なものにぶつかった、いや割ったような音がしていた。
もしかすると、襲撃者が退散したのは魔除けの音の為だけではなかったのかもしれない。
「やはりもう一度、あの襲撃現場に行かなくては」
「なにか閃いたのかな」
「ああ、トレイシーの機械人形も確かめる必要がある」
「では、そちらは頼めるかい?」
「任せてくれ」
ルカはそう言って胸を叩いた。
