2話


昼間は曇っていた空だったが、夜は晴れ渡って綺麗な月が浮かんでいる。トレイシーは月を見上げて皮肉たっぷりに呟いた。
「なんともデートにお誂え向きな天気だこと」
「助手君は機嫌が悪いなぁ」
「ふざけた誘い方する、あんたのせいだよ」
「二人きりなのは事実だし、間違っていないと思うのだけれど」
飄々とした態度のルカにトレイシーは片眉を跳ね上げたが、それ以上は無駄と文句を口にすることは無かった。
時刻は人々の寝静まった深夜一時。ルカとトレイシーの二人は街と市外を隔てる壁の前に立っていた。
こんな時間に出歩いている姿を誰かに見られたらどうしようとトレイシーは不安で仕方がなかったが、ルカは全く気にしている様子はない。
それどころか、月光に照らされたルカの白いロングコートは夜中でも発光しているかのように見えた。
――昼でも夜でも目立つんだよなあ、この格好。
トレイシーは半目でルカを見つめ、隠れる気あるのかなこの人と眉を顰めた。
トレイシーなど、こんな時間に外に出ると言ったらレーゲルの屋敷の人々から全力で止められてしまうのが分かっていたので、こっそりと抜け出して来ているのに。
不穏な事件が続いている今、夜中に出歩いていれば怪しい動きと判断され、犯人の疑いをかけられてしまう危険性が高い。その危険は承知の上で、今回の「デート」を断るわけには行かない理由がトレイシーにはあった。
「それで、どうやって外に行く気?」
高い高い市壁に触れ、トレイシーがそう問うとルカは壁を見上げて余裕の笑みを浮かべた。
「この程度なら飛行する必要もないな。私の跳躍で越えられるよ」
「見つかったら問題になりそうな……まあでもそれしかないよね、分かってた」
眉間に皺を寄せて嫌そうにしているトレイシーをひょいと小脇に抱え、ルカは地を蹴り市壁の上へと一気に跳び上がる。「ぐえ」とトレイシーが呻いたが構わず、ルカは降りる地点を確認すると再び空中に身を躍らせる。
「ううう……」
街の外に降り立ち、抱えていたトレイシーをルカが地面に降ろしてやる。途端にトレイシーは口元を抑えてよろよろと屈み込んでしまった。先ほどまで元気にしていたトレイシーが急に具合が悪そうにし始めたので、ルカは不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたのかい?」
「どうもこうも最悪な気分だよ……!何かする前に覚悟決める時間寄越せって言ったでしょ!」
「うん?そういえばそうだったかな?」
「記憶に問題があるのは吸血鬼になった今も変わらないじゃん、あんた」
小脇に抱えられていたせいで、トレイシーは腹部に全体重がかかった状態だったのだ。それで勢いよく上下に揺さぶられる負荷を受けたトレイシーの内臓へのダメージは相当なものだった。青褪めた顔でぎろりとルカを睨むトレイシーの形相は凄まじく、ルカも両手を上げて謝ることしか出来なかった。
「すまない、次から気をつけるよ」
「本当にそうして。二度と小脇に抱えないで」
口を開いているのも辛いトレイシーは、それだけは切実に訴えた。
そうして屈んだまま数分。じっとしていたお陰か、体調が少しましになって来たトレイシーはゆっくりと立ち上がった。まだ臓腑の不快感が完全に消えたわけではなかったが、のんびりとしている余裕はあまり無い。
まだふらつくトレイシーの背を支え、心配気にルカはその顔をのぞきこんだ。
「大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃないけどそんなこと言ってる場合じゃない……」
トレイシーが顔を正面に向ける。そこには月明かりの差し込まない、闇色に染まる森が広がっていた。昼間も薄暗いが、今は完全に何も見えない。あの闇がぽっかりと大口を開けた魔物にも見えてくる。あそこに入るのかと思うと足が竦んでしまうが、怖気付いてはいられない。
すっかりと覚悟を決めている様子の少年に、ルカは問いかける。
「行けるかい?」
「当たり前!」
反発するような勢いでトレイシーが答えれば、「いい返事だ」とルカが笑った。



――数時間前
「は?次の犯行現場の予知?」
カリヨン時計の鐘を磨いていた手を止め、トレイシーは目を丸くして叫んだ。
「イライってそんなこと出来るの⁉︎」
「声が大きいよ……」
トレイシーのきんきんとした声にルカは口の前に人差し指を立てる。あまり大声で騒がれたい内容ではない。
「そんな事出来るなら教えてよ!」
「教会の秘蔵っ子の能力を、部外者に言いふらすわけにはいかないだろう?」
「それは、そうだけど……」
ルカの言い分は間違ってはいない。間違ってはいないが、こちらを強制的に巻き込んでおいて、そんな後出しの能力があると聞くのはトレイシーも面白くはない。
不満そうな顔の少年に、ルカは梯子を降り、トレイシーの隣で宥めるように話し始める。
「勝手に未来が見えてしまう時もあれば、今回の様に自分で占う事で先を知ることも出来る。ただしいつでも使える万能の能力という訳ではないんだそうだ」
「そうなの?」
「ああ。彼の能力の中でも一番強力なものだから制限がいろいろあるそうでね」
「ってことは、他にもやれる事があるんだね、イライは」
「そうらしい。しかし、能力を過信するわけにはいかないんだそうだ。現にイライは予知能力を使用したせいで今、心労で動けなくなっているよ」
「え!だ、大丈夫なの?」
「寝てれば平気だそうだ。代償はあれど、流石は聖匙の使徒と言ったところかな」
「……他の使徒もそうなのかな。能力とか」
「どうだろう。私はイライ以外の聖匙の使徒を知らないからね」
「ふうん。そう」
宥める事が目的だったのに、ルカが話す程にトレイシーの顔は曇っていく。もしやあまりこの話題が好きでは無いのだろうかとルカは首を捻る。理由は分からないが、聖匙の使徒の話になってからトレイシーの表情が塞ぎ込んでいる気がしたのだ。
しかし一度俯いたトレイシーが顔を上げると、先ほどまでの暗い表情は消え失せ、普段通りの生意気そうな顔に戻っていた。
「調査員さん、さっき夜に予定があるとか言ってたよね。まさかと思うけど」
「君は本当に察しがいいね。そう、次の事件が起きるのは今夜だ。市外の森の、美しいと有名な湖のほとりでね」
ルカは梯子の中途に腰掛けて、にんまりと微笑む。トレイシーは苦々しい顔でルカから視線を外した。
「なるほど、デートってそういう事……」
「罪無き女性が犠牲になるのを君も良しとはしない筈だろう?イライはまだ動けないし、君が共に予知の現場に来てくれるととても心強い」
「はいはいはい、分かった分かった!」
トレイシーは自棄っぱちに叫び、髪を掻き毟る。
「それ言われて断れる訳ないでしょう。行ってあげるよ、そのデート。相手があんたなの不満だけど我慢してあげる」
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
ルカが機嫌良く笑うと、トレイシーは深い深いため息をついた。


――話は戻り、現在。
トレイシーは眼前に広がる景色の見事さに、感嘆の声が漏れてしまう。
森の内部は暗闇に沈み、一筋の光も届いていないのに対し、湖の周辺にのみ青白い月光が差し込み、冴え冴えとした湖面は鏡のようだ。
よく見ると湖はうっすらと光を放ち、青に紫に翡翠色にとゆっくりとその色を変えている。これはこの湖でのみ光を放つ藻よる現象だ。
この藻は昼間も湖底を輝かせ、湖を覗き込む者にそれは美しい光景を見せてくれる。それが夜になると光が強まり、より現実離れした景色を作り出す。
話には聞いていたが、これ程のものだとはトレイシーも思っていなかった。
「これは……素晴らしいな」
暫し目的を忘れてトレイシーが湖に魅入っていると、身を屈めたルカがぽそりとそう呟いた。
「危険と言われるにも関わらず、夜の森に入りたがる人間が後を絶たない筈だ。こんな美しい光景なら惹かれてしまうのも仕方ない」
「私も初めて知ったよ。夜はこんなに綺麗なんだって。
毒藻の効果って知らなきゃ、泳ぎたくなっちゃう気持ちも分からないでもないかな」
トレイシーは言葉とは裏腹に、憎々しげに湖を睨む。
この湖でのみ、光を放つ藻はこの湖でのみ、毒を発生させるようにもなってしまっている。
美しい光景に惹かれて湖に入ってしまえば、毒に侵食され全身が痺れてしまうし、湖の水を口にすればあっという間に意識を失う。そのまま溺れてしまう者や湖のほとりで息絶える者もいるので、柵を立て、その内部に近づくことを禁止されている。
トレイシーはその柵の側の茂みに身を潜め、背後のルカに問う。
「それで、どこで事件が起きるの?」
「詳しい場所までは分からないんだ。湖畔が見えた程度で」
「……この湖の周辺って」
トレイシーは大きな湖を見渡し、引き攣った顔になる。
「結構範囲広くない?」
「そうなんだ。だから君にも来てもらったんだよ。二人でそれぞれ対岸を見張れば、襲撃が起きても即座に対応出来る筈だろう?」
「それはどうかな……」
簡単に言ってのけるルカに、トレイシーは頬を掻きながらなんとも言えない表情になる。
彼の言うことも分かるのだ。監視の目は一人より二人の方がカバーできる範囲は確実に広がる。
けれど、能力を封じられてるとは言え、身体能力の高い吸血鬼のルカとは違い、トレイシーはただの人間で女性だ。更に、ここ数年縛られていた「役目」のせいで、筋力も大分落ちている。
――何かあっても私、一人だと全く役に立たない気がする。
ぎゅっと眉間に皺を寄せて、トレイシーは無言で難色を示す。ルカはそんなトレイシーの背を手のひらて叩いた。
「そんな弱気でどうする!」
「痛いっ!」
「私と君なら大丈夫さ」
「なんでそんな事が言えるのか分からない……」
自信満々のルカに、トレイシーはうんざりとした思いで、背中を摩りながらそう溢した。
とは言え、出来うる限りの手を尽くしたいのはトレイシーも同じだ。
「一応、これ渡しとく」
「なんだい?」
トレイシーの差し出したものを覗き込んでみれば、それは以前に不快な音でルカを苦しめた、あの丸い小型の装置だった。
トレイシー曰く、正式な用途は設定した分の時間を知らせるタイマーだと言うが、その対魔物の効果をルカは身を以て体験している。
ルカはそのタイマーを嫌そうな顔で見やり、トレイシーに問いかける。
「これは私への嫌がらせの一環か?」
「そんな訳ないでしょうが。調査員さんには効果半減だったけど、普通の魔物には絶大な影響があるのはマルガレータのお墨付きなんだから。あんたは別にいいけど、いざとなったら女の人の身は守れると思うし」
「そういうことなら、貰っておこう」
「カリヨンは平気そうだったのに、なんでそんな顔するかな」
タイマーを渋々と受け取るルカに、トレイシーは不思議そうに首を傾げた。
ルカはカリヨン時計の整備中、聖なる鐘の音が鳴り響いても平然としていたのだ。なのに、それよりも対魔能力の低いタイマーを嫌がっている。それが不思議でならない。
「ああ」とルカは呟き、左耳をトレイシーに見せるために髪を掻き上げた。そこには大振りのイヤーカフスがぶら下がっている。
「君がドラクルの街のあちこちに聖なる音を出す罠を仕込んでいるから、イライが護符を作ってくれてね。これがあれば音の魔除けは私には影響しない」
「罠仕掛けたつもりはないんだけど……ただ色々修理してたら聖属性になっちゃっただけで」
ラジオや蓄音機、ドアチャイムなどの修理を請け負った記憶はトレイシーにもある。
しかし、自分で意識して聖属性を付与したのはカリヨン時計とタイマーだけなのだ。他のものはトレイシーの意思とは関係なく、勝手に聖属性に変わってしまったものなので、そんな責めるような目で見られても困ってしまう。
「でも、そんな御守りあるなら尚更タイマーなんて平気でしょう?」
「……単純に、音が好きじゃない。煩わしいんだ」
「あー」
顔を顰めるルカに、なるほどとトレイシーは納得する。
このタイマーは元々、熱中癖のあるマルガレータに時間を知らせるために作ったものだ。だから集中力を断つために、一際耳障りな音を鳴らすように設計してある。
それがルカには堪らなく嫌な音になってしまった訳か。もしかすると、トレイシーがタイマーを投げつけた時に苦しんでいたのも、魔除けではなくその音のせいだったのかもしれない。
タイマーの音を思い出してか、少ししょんぼりとしてしまったルカに、トレイシーは取り繕う様に明るい声を出す。
「ま、まあ、御守り程度に思って持っててよ。使わないならそのままイライに渡していいからさ。魔除けのタイマーに興味あるみたいだったから」
「ああ、そうするよ」
トレイシーの言葉に苦笑しながら、ルカはタイマーを仕舞い込んだ。出来たら使わずに済む事を祈って。
「さあ、それではここで別れようか」
「だったら、夜目が効かない私がここに残るから、調査員さんが向こう側に回って」
「分かった。何かあったら危ない目に遭う前に私を呼んでくれ、すぐに駆けつけるから」
「あんなところまで、どんな大声だしたら聞こえるのさ」
対岸までの距離を指差して、肩を竦めるトレイシーにルカはくすりと笑う。
「聞こえるよ、君の声なら必ずね」




――この辺りでいいか。
ルカは周辺を見渡し、対岸を見やる。姿は見えないが、あの辺りの茂みにトレイシーが潜んでいる筈だ。
犯人に警戒されては困るので、森の中ではランプや懐中電灯といった光源を使う事は出来ない。ルカは魔物なので暗闇も関係無かったが、トレイシーは月明かりの届かない森の中では何も見えず、ルカの上着の端を握って湖までやって来た。その時のトレイシーのとても不満そうな顔が、不機嫌に羽を膨らませてまん丸になっている小鳥の姿と重なり、ルカは小さく思い出し笑いをしてしまう。
ルカは一際太い木の幹に凭れ、気配を消して闇の中に溶け込む。こうしてしまえば服の色も関係ない。どんなに警戒心の強い獣であっても、目の前のルカに気づく事はないのだ。
湖に反射した月の高さから、そろそろイライが見た予知の時刻となる筈だ。ルカは湖から森の中へと目線を戻すと、全神経を使って周囲の気配を探る。しかしこれが中々上手くいかない。
本来ならば吸血鬼は自身の縄張り意識がとても強く、空間の気配を探る事もお手のものとされているのだが、ルカは致命的にこれが苦手だ。百年前もそれが原因で相手に遅れを取り、封印される羽目に合ったと言っても過言ではない。
人間の頃のルカはとある事故で脳に負荷を負い、記憶力だけでなく、元来持っていた集中力も失ってしまった。吸血鬼に転化した際に穴だらけだった記憶力と慢性的な頭痛からは解放されたのだが、移り気な吸血鬼の性が災いし、集中力は損なわれたままだった。
「…………ちっ」
ルカがいくら気配を探ろうとしても、風に揺れる葉の擦れる音や、遠くのヨタカやトラツグミの鳴き声が気になって集中が途切れてしまう。自身への苛立ちから、思わずルカは舌打ちが出てしまう。こうなったら目と耳で探すしか無いと判断し、ルカは凭れていた木の上へと音もなく跳躍する。
枝の上で膝をつき、ルカは人より優れた聴覚と視力で周囲をじっくりと確認する。こちらも集中力はある程度必要だが、気配を探るよりは大分ましだ。僅かな変化でも見逃さないようにとルカが慎重に目を凝らしていると、木々の隙間から仄かな光源がちらついたのが見えた気がした。
そちらの方面をじっとルカが見つめていると、またもや光が木々を照らす。木々が折り重なっているせいで時折見えなくなるが、光源を持った者が森を歩いているのは間違いない。その光は徐々に湖の方へと進んでいく。
「やれやれ……当たりはこちらだったか」
犯人か、被害者か。どちらかは分からないが、あの光の向かう方向に直ぐに行かなくてはならない。ルカは木から飛び降りると、湖の外周に沿って走り出す。
これはトレイシーの方ははずれということになるのだろうか。わざわざ屋敷を抜け出して来てもらったので、無駄足じゃないかとぷりぷり怒る少年の姿を想像し、ルカは苦笑いを浮かべてしまう。でもこうなった原因は自分のせいではないので、責めるならイライにして欲しいとも思う。
イライは予知による心労で息も絶え絶えの状態にも関わらず、司祭に止められても絶対に今夜の襲撃予測の現場に自分も行くと言って聞かなかった。
そこで「だったら助手くんを呼ぶよ」とルカが冗談めかして答えたところ、イライは「彼なら、いい」と納得したように気を失ってしまったのだ。
ルカとしては、幼いトレイシーを引き合いに出してイライを諦めさせようと考えての発言だった。しかし、イライはルカの予想とは真逆の反応をしたのだ。
――トレイシーがいるなら安心だ。そう言わんばかりに彼は眠り続けている。
イライが目覚めない今、その理由を問うこともできず、こうなるとルカも自身が言ったことを実行しないわけにはいかなかった。それ故に今日の調査予定を全て放り出して、大時計のメンテナンス中のトレイシーを口説きに向かったのだ。
「きゃあああああああああ!」
「っ!」
風と鳥の声だけが響く夜の森を、甲高い女の悲鳴が切り裂いた。ルカははっとして足を止める。悲鳴は湖とは違う方向から聞こえてきた。先回りする筈が未来が変わってしまったのだろうか。急いで悲鳴のした方向へとルカは走り出した。
やがて人より優れた吸血鬼の目に、黒いマントの後ろ姿と地面に転がったカンテラが見えた。カンテラの内部で蝋燭は明々とした炎がまだ灯っており、辺りをぼんやりと照らしている。ゆらゆらと揺れる炎のせいでマントの人物の影は不気味に大きく見えた。その腕がゆっくりと振り上げられる。
炎に照らされ、黒マントが振り翳した短剣が見えた。その刃に怯えた人の顔が反射する。黒マントの影に隠れて少女がその場に座り込んでいるようだ。
逸る気持ちとは裏腹に、まだまだルカから彼らとの距離は遠かった。黒マントが振り翳した刃を振り下ろす。ここからでは、その凶刃を止める術がない。
駄目だ、間に合わない。そう愕然と思ったルカの脳裏に、二つの声が過ぎる。

――彼なら、いい。
――いざとなったら女の人の身は守れると思うし。

考えるより先に、体が動いた。ルカはトレイシーに渡されたタイマーを掴み、渾身の力を込めてマントの背に向けて投げつけた。
「ぎゃっ!」
豪速で飛んだ金属の塊は、正確に黒マントに直撃する。硬質なものにぶつかった音と共に、黒マントは一瞬よろめいた。しかしマントの襲撃者は諦めずに刃をもう一度振り上げようとする。
「うぎゃああああああああああ!」
その時、ルカが起動していたタイマーが、魔除けの音を鳴らし出す。じりりりりという音が辺りに響くと黒マントは叫び声を上げ、悶え苦しみ出した。それはマルガレータから聞いていた話と全く同じ反応だった。――これは同一の犯人なのではないか。
「あっ、待て!」
相手を確保しようとルカは手を伸ばしたが、ギリギリの所で襲撃犯は身を翻すと人ならざる動きで木をよじ登り、枝から枝へと飛び移り逃げて行ってしまう。
すぐにでもその後を追おうとしたルカだったが、視界の端にへたり込んでいる少女の姿が写る。そちらに目を向ければ彼女は大きな目をいっぱいに開き、恐怖で引き攣った顔をしている。片手で抑えている二の腕からは流血もしていた。
その姿にルカは少女の保護を優先することにする。襲撃犯が一人とは限らないし、この状況で被害者をこんなところに放置するわけにはいかない。
ルカはまだ、けたたましい音を立てていたタイマーを拾い上げると、その音を止めた。そうしてそのひび割れてしまった表面を撫でる。
――まさか本当にこれを使うことになるとは思っていなかった。そして想像していたよりも大活躍をしてくれた。
ルカはタイマーとその作者の少年に感謝をしつつ、震えている少女の脇に膝をつき、「大丈夫かい?」となるべく穏やかに聞こえる様に声をかける。
「危ないところだったね」
「はっ……はっ……」
「もう、怖いのはいなくなったから安心して欲しい」
口をはくはくと動かす少女をルカは宥めてやる。殺されかけたのだ、直ぐに平常心に戻れという方が無茶だろう。
少女の年は十三、四くらいだろうか。将来はさぞや美しくなることだろうが、まだ本当に子どもの域を出れていない程、幼い顔をしている。そんな年端もいかぬ子どもが、何故こんな夜中に森を彷徨っていたのか。どうやって街を抜けてこんなところまでやって来たのだろう。
疑問に思っている事は噯にも出さず、大丈夫と繰り返すルカに漸く緊張が解けたのか。少女は突然、痛いほどの力でルカの腕を掴むと、必死で口を開いた。
「あっ…………あのっ……あのっ……!あ、あれ……い、いきなり……その……!その!」
「ゆっくりでいいよ、聞いている」
まだ気が動転しているだろうに、少女は必死で状況をルカに伝えようとする。
混乱している時に、自身に起こった事を人に伝えることで平静を取り戻すタイプの人間もいる。この子もそうなのかもしれないと考え、ルカは話を聞いてやることにする。
「あ、歩いてたら、う、上から、あの人が落ちてきて……びっくりして、転んで、それで……それで、気付いたら、腕、痛くて……!」
「怖かっただろう。君が無事で良かったよ」
「で、でも……でも!ランプ、ランプが、無くて!」
「君のカンテラならここにあるよ。ほら」
ルカは倒れてはいるがまだ蝋燭に火の残っているカンテラを拾い上げ、少女の手に持たせようとする。ところが彼女はぶんぶんと首を横に振り、「違う!」と叫んだ。
「ち、ちが……違うの!どこにも、どこにも!いなくて……!」
「うん?何がだい?」
「ランプ……!ランプは、低くて……あの子に届く所にあって、それが、なくて!だからっ、私、私!森に、探しに来たの!」
「あの子、というのは」
ルカは問い返しながら、じわじわと嫌な予感に苛まれる。
イライがしつこくついて来ようとしたのは、何故だろう。トレイシーが来ることに彼が安堵したのは、魔除けのタイマーが必要だったからだけではないのか。もしや「もう一人」、仲間がこの場にいなくてはならない理由があったのだとしたら。
違って欲しいと密かに願うルカに、少女は涙目で叫んだ。
「ソフィーが!私の妹がいないの!外に出て行っちゃったのに!見つからないの!」



6/8ページ
スキ