2話

ドラクルの司祭は、物置と化していた図書館の一室をイライ達の為に調査部屋として明け渡していた。
朝、イライが案内された時点で既に一通りの必要なものは運び込まれており、その手際の良さに驚かされた。
広い円形テーブルが部屋の中央に置かれ、そこには街の地図と市外の地図、それと事件のスクラップファイルが広げられている。窓際に両袖の執務机が一つ、調査ボードとは別に黒板も壁に設置してあり、簡易の喫茶スペースと休憩用のソファーセットも用意されていた。
「ふむ。いい部屋だ。ここに泊まれそうじゃないか?」
調査部屋をぐるりと見回して、ルカが笑って言えば、ペンを紙面に走らせながら、イライは首を振った。
「閉館時間になったら宿泊先に帰るように、司祭様に釘を刺されているよ。資料の持ち出しは禁止だから、ちゃんと夜は休むようにってね」
「その司祭様は素晴らしい考えの人の様だが、私とは合わないな」
「君は夜型だからそうだね。ちょっとこっちは散らかってるからそっちのソファーに移動しようか」
イライの使っている執務机の上は書類が積まれており、それらの内容を確認するだけでも数日は必要になりそうだ。
部屋の隅には本部へと繋がる真実の鏡も設置されているので、あの書類の山は事件の資料だけでなく、聖匙の使徒様、ひいては教会本部への嘆願なんかも含まれているのだろう。とことん利用されているなあとルカは感心してしまう。
陽差し関係なく、彼はどちらにしろ調査どころではなかったのではないだろうか。
「ちょっと、ねえ」
「うん?」
ソファーに向かおうとしていたルカの袖を、トレイシーが掴んだ。少年はそわそわと居心地が悪そうにしている。
「ここ、部外者が入っていい部屋じゃないんじゃないの」
「部外者とは?私の助手が部外者な訳ないだろう」
「いつからあんたの助手になったの、私。協力するとは言ったけど!」
「まあまあ、細かいことはいいじゃないか」
及び腰になっているトレイシーの肩を抱き、ルカは半ば強引にソファーに誘導する。
何故かこの部屋に通された頃から、トレイシーは落ち着かない様子でちらちらと出入り口を気にしている。今すぐにでも帰りたそうな態度だったが、ルカにソファーに座らされると諦めたのか、トレイシーは背凭れに身を沈めて目を閉じた。
少しすると、書き物が終わったイライが向かいのソファーへとやって来た。
「なんだか思っていたよりも戻ってくるのが早かったけれど、何かあったのかな?」
「今日は被害者の見つかった現場を確認に行くと言っただろう?そうしたら予定外のものを見つけてしまって」
ルカは犠牲者の死体発見現場の森の奥で、別の死体を見つけてしまった事、それがフリーデという行方不明の女性だった事をイライに伝える。そして彼女が何者かに襲われた痕跡があった事も話すと、イライは難しい顔になった。
凶器と思われる金の短剣について、ルカが実際に紙に描きながら説明している最中、トレイシーが「ちょっと待って」と声を上げる。
「これ、私知ってるかも。マルガレータを襲った犯人が、金色の変な形のナイフを持ってたって……」
「!それは本当かい?」
「間違いないよ。ただそいつは二本両手で刃物を持ってて、もう少し、こう、先が曲がってる形してて」
「!」
トレイシーの説明を聞きながら、ルカははっとする。
S字型の短剣、金の柄、二本のナイフ。
凶器を見た時から妙に引っかかっていたものの正体に、ルカは漸く思い至る。
そうだ、自分はこの短剣とよく似たものを知っている。この街に着いたその日に、この目で見ているのだ。
「美術館…………」
「どうしたの?」
「美術館に、月の満ち欠けを金の刀剣で表現したシリーズが展示されていたんだが、確か……その一本が欠けていたんだ。随分と立派な展示をされていたから記憶に残っていて」
「もしかして、そこにナイフもあった?」
「流石にそこまで詳細に覚えていないよ。けれど、対の刀剣になっていたから、該当するものはあったかもしれない」
「それ、実物を見せたら分かるかな?」
「分かるだろうけど、美術館はいろいろ疑惑があり過ぎて、マルガレータは近づかせられないよ」
イライに厳しい顔で答えるトレイシーは、一端の守護者のつもりなのかも知れない。先ほどその守護対象のマルガレータに片手で引き摺られていた姿をルカは見ているのだが。
――姉を守る弟の図は微笑ましいけれど、ちょっと君にはまだ早いんじゃないかな。
背伸びしているところも威嚇する駒鳥の様で非常に可愛らしいがとルカはふくく、と忍び笑う。
「私が行って、その剣を書き写してくれば」
「まあ、待ってくれ」
ルカは前のめりになっているトレイシーの肩をやんわりと引き戻す。
まだ何か言いたそうにしているトレイシーを抑えて、イライに視線を向ける。
「事件との関連はまだ確証を得られていないが、美術館の関係者がもしも犯人ならあまり露骨な態度を取ってしまうと警戒されてしまうかもしれない。件の刀剣を仕舞われてしまっても困るだろう?」
「それは、その通りだね。そもそもルカが初日に美術館に行って念入りに探りを入れてたのも悪いんだけど」
「おっと……」
イライからの指摘に、ルカは視線を彷徨わせる。気になることはすぐに確認したくなるのだから仕方ない。
こほんと咳払いをしてルカは「その事は置いておいて」と言葉を続ける。
「図書館に街案内のコーナーが設置されていたが、そこにあの美術館の図録があったと思うんだ」
「……言われてみれば、あったね」
トレイシーが図書館に来るときは違う調べ物が目的なので、注視していなかったが、そんな紹介がされていた様な気がする。
美術館の図録とくれば、展示されている美術品情報が網羅されている。写真や図はもちろんの事、作者の名前や作品の解説、作成時の背景なども記載されている。そこには件の月の刀剣のシリーズも載っている筈だ。
トレイシーは唇を指でなぞりながら、なるほどと呟く。
「そうか、それ確認して貰えばいいか……」
「持ち出し許可を貰えるようにお願いしてみるよ」
「ところで君の方は何かなかったのか、イライ」
「今日は事件の情報を整理するので精一杯だったよ。ただ、気になった話はあった。まだ調べてみないとなんとも言えないんだけどね」
「それは、今は話せないと?」
「そうだね。もう少し待ってほしい」
ルカの探る様な視線に、イライは眉尻を下げて笑う。確証がない事は口にしない主義なのだろう。
この使徒が穏やかな見た目通りの性格ではない事は、ここ数日の付き合いでも理解は出来たのでルカは一旦引き下がる事にする。
「警察にもそのフリーデという被害女性の事を伝えないと。同一犯という証明がないから、事件捜査に進展があるかは分からないけれど、マルガレータさんの証言があればまた話は変わるかもしれない」
「私はこの手帳のページを増やしたくはないよ」
そう呟くトレイシーの手帳には、被害女性の情報と、ここ数年のうちに起きた神隠し、行方不明者の名前が書かれている。全員とは言わないが、フリーデの様な姿になっている者がまだいるかもしれない。
ルカはこめかみをもみほぐしながら、溜息をついた。被害人数がどれ程になるのか、考えただけで頭が痛くなりそうだ。
「犯人像が浮かんでこない、厄介な事件だ」
「このままだと、また次の被害者が出てしまうかもしれないのに」
トレイシーが口惜しげに呟く声に、澄んだ鐘の音が重なる。開いていた窓から、街の広場のカリヨン時計の鐘の音が流れ込む。
慌ててトレイシーが腕時計に目をやると、針は四の文字を指している。
思っていたよりも、時間が過ぎるのが早い。あと一時間もすればシュテルンの営業が始まってしまう。今頃、酒場は開店準備に大忙しになる時間だ。
トレイシーはソファーから立ち上がると、「そろそろ戻る時間だから」と言い置き、そそくさと部屋の出口へと向かって行く。
「ああ、こんな時間まで引き留めてしまって申し訳ない。とても助かったよ」
部屋から出ようとしているトレイシーに、イライがお礼を言う。それにトレイシーは、片眉を跳ね上げて胡乱げな顔つきになった。
「助かったって、私は調査員さんが棒持ってうろうろしてるの、ただ見てただけだけど」
「そんな謙遜する必要はないだろう。フリーデは君の情報のお陰で辿り着いた様なものだよ。私だけなら犯人の手掛かりと判断していたかもしれない」
「そうかな?」
トレイシーは少し照れたように帽子を抑えた。ほんのりと頬が色づいている。おちょくってばかりのルカが真剣な顔をして褒めたので、嬉しいようだ。
それを、にやあとルカが笑って見ている事に気付くと、すんとトレイシーは無表情に戻ってしまう。まだまだこの少年が心を開いてくれるには時間がかかりそうだ。
「明日もよろしく頼むよ、助手くん」
「それは無理。明日はあの広場の時計のメンテナンスするから、日中は調査には付き合えないから」
「そうか、残念だ」
「トレイシー、ご夫妻に今日は少し宿に戻るのが遅くなるって伝えてもらえるかな?」
「分かった。それじゃ」
イライの伝言を受け、トレイシーは一つ頷くと扉をさっさと閉めてしまう。必要以上に馴れ合う気はないという意思表示が、明確に態度に現れている。
少年が出ていってしまった扉を見やり、ルカは困り顔で溜息をついた。そうして執務机に戻ったイライに話しかける。
「なあ、今日一日行動を共にしたのだから、もう少し打ち解けてくれてもいいと思わないかい」
「君がトレイシーを揶揄って遊んだりしてないと誓えるなら共感してあげるけど」
「うーん?遊んだつもりはないんだけどなあ」
「揶揄いはしたんだね」
イライは呆れた顔で、目隠し越しにルカを軽く睨む。
そんなことをして、プライドの高い少年と仲良くなれる訳がない。トレイシーも必要以上にルカを警戒しているが、それを面白がっている節がルカにあるのが問題だ。
机に肘を付き、手を組んだイライは苦々しい表情になる。
「君は今、昇格試験中なんだ。逐一、君の動向を上に報告なんて面倒な事を僕はしないけれど、あまり度が過ぎるとそうも言っていられない。僕が動けない以上、彼が君のパートナーなんだから、溝が深くなるような行動は控えてほしい」
「それはすまない。分かってはいるんだが、どうにもぴよぴよと鳴かれると面白くなってしまって……駒鳥の威嚇を見ているようでつい」
「駒鳥」
イライの脳内に、尾羽を上下に振って高い声で鳴きながら縄張りを一生懸命に主張する、胸の赤い小鳥の姿が浮かんだ。その姿がトレイシーとどう繋がるのかは分からないが、威嚇されるような事をしているのが問題なのではないだろうか。
そしてイライには不思議で仕方がないことがある。ルカは吸血鬼の性分か本人の能力かは不明だが、もっと上手に初対面の人間とやりとりをしている印象があった。
それがどうしてかトレイシーに対しては面白がって揶揄ってやろうという態度がありありと表に出ているのだ。
「ルカ。君はトレイシーにちょっかいをかけている様だけど、もしかしてトレイシーの事をかなり気に入っている?」
「うん?どうかなぁ。幼いのにあれだけ賢いのは素晴らしいよ。私が人間だったら、是非とも友人になってもらいたいし、あんな女性がいたら口説いてしまうかもしれないけれど」
「未成年に手を出したら即刻封印する」
「そんな。イライ、君は私をなんだと思ってるんだ。少年におかしな気を起こすとでも?」
両手を広げて無実を訴えるルカだが、イライは疑惑の眼差しを向ける。何もしていないなら何故、より一層警戒されているのか。
トレイシーは何かをまだこちらに隠しているので、完全には信用出来ない。それでもか弱い市民である事は変わりない。イライには保護対象なのだ。
じっとこちらを見ている司祭見習いに、ルカはうんざりとした様に天井を仰ぐ。
「考えても見てほしい。あの子に何かしたら、次は私が処罰されてしまうのは確定だろう?そんな危ない橋を渡るわけがないじゃないか。それに君の予知の通りに事が進んだのに、その態度はないんじゃないか」
「それはそうなんだけど」
イライは机の引き出しから大きな水晶玉を取り出した。白い蛇の装飾が巻き付いた水晶は、執務机の上で仄かな光を放つ。これはイライの能力を制御する為のものだ。
聖匙の使徒は、それぞれが特異な能力を持っている。イライはあらゆるものを見通す天眼の一部、少し先の未来を見る力を使う。
昨夜、この水晶を通してイライが見たのは、鬱蒼とした森の中で何かを拾い上げ、背を向けているルカを呼び寄せているトレイシーの姿だった。
トレイシーが何を拾い上げたのかは分からない。しかし、水晶の中でトレイシーの手の中のものは青い光を放っていた。
イライの予知で、青は重要な転機を表すものとなる。それはこの霧深い事件の転機となるアイテムに違いなかった。
ルカはこめかみを摩りながら、眉を顰める。
「トレイシー少年がペンダントを見つけたところまでは、君の予言の通りだったけれども。まさかその後、死体まで出てくるとは思わないだろう」
「僕だって驚いたよ。証明する術がないけれど、予知で見えたのだから、遺体の彼女は間違いなく連続殺人事件に繋がっている筈だ。ただ、少し気になるのが」
「未処理の死体」
イライの言葉を継いで、ルカは調査ボードを手の甲で叩く。そこには八名の被害女性の写真が貼られている。
「今までの被害者は綺麗に血が抜かれている。それも短時間でのことだから、人間の手によるものではない」
「行方不明の女性達も祓魔師殿が魂の残滓を見ているから既に亡くなっているんだと思う。ご遺体も、処理されてしまっているんだろうね」
死体の見つかっている八人も、行方不明のまま魂の残滓だけ見つかっている女性達も、殺された状況は違えど死体は血を抜かれている。
ところがフリーデは血もそのままで野晒しになっていた。彼女の身に何が起きたのか、それが分かれば犯人に辿り着ける兆しになるかもしれない。
警察の調べでどこまで分かるかは分からないが、ルカもイライも外部の人間だ。現場を部外者が土足で踏み荒らすのは話が違うだろうし、一応の筋は通しておいた方が良い。それに第三者を挟むことで事件の解決の糸口が見つかるかも知れない。
「兆しは見つけたから、進展があるとは思うけれど……即座に犯人に辿り着く、とはいかないよね」
「そうだなあ……事件が起きてからしか動けないのが歯痒いよ。被害者を増やしたくないというのは私も同意だが」
ルカは街の地図と市外の地図に、それぞれ新しいピンを刺す。マルガレータが住んでいたアパートと、フリーデを見つけた地点だ。
まだ事件は続いている。犯行の明確な日付が分かるわけでもなく、市外となれば広大過ぎて見張ることも見回ることも不可能だ。
「事件が起きる前にその現場に先回りが出来れば……」
「勿論」
ルカの呟きに、イライが微笑んだ。イライが左腕を上げると、室内にばさりと鳥の羽ばたく音と鳴き声が響く。
「その為に僕がいるんだ。これ以上の被害を断つ。その為に数いる聖匙の使徒の中で、僕がこの場に派遣されたんだからね」
いつの間にか、イライの左肩には真っ白なフクロウが乗っている。
「過去は見れないけれど、先を知るなら僕の分野だ。任せて欲しい」
「それは、頼もしいな」
ルカの言葉に反応する様に、フクロウの首に取り付けられた碧の石が輝く。
水晶球も輝きが強まっていく。イライは光の強くなる水晶に右手を翳した。


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