1話

「お嬢様、本日はこちらを」
「これは?」
メイドがトレイシーの目の前に差し出した帽子は、大きめのキャスケットだった。
既に帽子は被っているのに。不思議そうにメイドの持つ帽子を見つめている彼女に、テールコートの初老の男性が進み出て口を開く。
「念の為ご用意させていただきました」
「念の為?」
「本日、教会本部からの調査員の方々が到着されるそうです。なので礼儀のなっていない『お客様方』が躍起になってトレイシーさんを探し回るのではないかと」
「ああ、なるほど」
執事の言葉に先日、屋敷で起こった事を思い出し、トレイシーは納得して頷いた。
――余計な面倒事を起こさない為の対策ということか。
トレイシーは馴染み深い、いつもの革製のキャップを脱いだ。
側に控えていたもう一人のメイドがトレイシーの髪を革紐とピンで軽く纏める。そして布製のキャスケットを被せると、金髪が完全に隠れる様に調整していく。その最中、トレイシーは残念そうにぼやく。
「今日はこそこそしてなきゃ。集中する作業は出来ないかな。折角、新規のお客さんから修理依頼を受けていたのになぁ」
「『探偵』の方々もとても殺気立ってますからね。依頼者の皆さんも、分かってくださいますよ」
「危なくなったら、どこかに避難するべきですかね」
「それなら、図書館が良いでしょう。騒がしい方々はまず足が向くとは思えませんし、そのまま読書を楽しまれては?」
「いいですね。そうします」
トレイシーがメイドの持つ鏡を覗けば、帽子の鍔が深いおかげで金色の眉毛も影で隠れる。
角度を変えて、どこからも自身の髪が見えていない事を確認すると、トレイシーは執事に尋ねる。
「変じゃないですか?」
「いいえ、お似合いです。……そうしているとご主人様の変装を思い出して懐かしいですね」
執事の言葉にトレイシーが目を丸くして驚くと、執事はふっと口角を緩めた。
「『私のお嬢様』はお転婆なところもありましたので」
「お転婆……」
執事の言葉を繰り返しながら、トレイシーは首を傾げる。穏やかなこの屋敷の女主人の姿からは、お転婆な姿など到底想像もつかなかった。冗談かとも思ったが、執事はにっこりと微笑むだけだ。
トレイシーは執事の老獪な笑顔から真実を探る事を諦める。メイドが差し出したケースから、金色の大きな鍵を取り出し、サスペンダーに取り付けるとトレイシーの姿に変化が起きた。
まろい頬は少しすっきりとしたラインになり、細かった喉に僅かな凹凸が生まれる。可愛らしく膨らんでいた胸はなだらかになり、細くくびれていた腰と形の良いヒップラインも目立たなくなってしまう。
シャツにニットベスト、ハーフパンツを纏った少女の姿が、完全に少年へと変化する。驚くような光景だが毎朝見ている幻術なので、その場にいる執事もメイドもすっかりと慣れた様子だ。
トレイシーはメイドから愛用の作業鞄を受け取ると、振り返って元気に告げる。
「それじゃあ、行ってきます!」





突然、想定外の明るい陽の光の下に放り出されたルカは、眩暈を覚えて膝をついた。
「うう……」
「あー、しまった。失敗失敗」
あははと笑っている今回のパートナーたる存在は、ちゃっかりと自分だけフード付きのマントを被って木陰の下にいる。
予想外の直射日光を浴びて、体力を削られるのを感じながら何を笑っているのかと文句が喉まで出かけたが、ルカは違う事を尋ねた。
「……ここはどこだ」
「どこだろう?街中の教会に飛ぶ予定だったんだけど」
「どう見ても屋外な上に街の外だが」
ルカの視点の先には、街を覆う市壁が聳えている。本来ならあの内側にテレポートする筈だったのだ。
フードの司祭見習いは、目隠し越しでも分かるような困り顔で空を見上げている。
「うーん、ドラクルは常に曇ってて、あんまり晴れることはない街だって聞いてたんだけど、とっても快晴だね。困ったな……」
「人間の君より、私の方が深刻なんだが。既に魔力がごっそり持っていかれたんだが」
木陰に移動しながら、ルカは額の汗を拭う。気温は汗ばむような温度ではない。これはルカの身体が生命の危機を感じて流れた汗だ。
吸血鬼は陽の光で灰に変わってしまう。今はルカも体質が多少は変化しているが、まだ完全に吸血鬼の弱点を克服できているわけではない。
予定外の日光を浴びたせいで出発前に供給された魔力を半分、奪われてしまった。魔力の残量的に人間の様に振る舞うだけなら日没まで保つが、まだ任務が始まってすらいないのにこれでは、先行きに不安が過ぎる。
ルカはじっとりとした眼差しを、傍らの髪も衣服も白い青年に向ける。――彼がパートナーで本当に大丈夫だろうか?
「いやあ、座標を間違えてしまった様だね」
「悪びれないな。とても神職向きだよ、イライ。彼らはみんないい性格をしているけれど、君もその片鱗を感じる」
「そんな。これでも悪いと思っているんだけどな」
皮肉を言うルカに、白尽くめの青年――イライはそうぼやいた。
ここは三方を海と森と大きな谷に囲まれ、空をも雲に覆われた街、ドラクル。
街にある港は漁業には向かないながらも商船で賑わっており、谷にかかった大きな橋の向こうは王都へと続く街道なので、要衝として発展している大きな街だ。
昼も夜も常に曇っており、晴れる事の方が珍しい。天候が荒れている回数の方が多いために、昔から「吸血鬼の王が機嫌を損ねている」という伝承すらある。そんな伝承があるのは天気だけが原因だけでなく、周囲の治安の悪さのせいでもある。
ドラクルの側には深い森があり、そこにある広大な湖は美しいと評判で、更に珍しい野草も多い。しかし危険区域が多く、慣れない者が入ればそのまま戻らないという事もざらだ。
人が住んでいるのは街とその周辺だけで、馬車で数日かけなくては最寄りの村にも辿り着けない。
そんな環境のせいか、街の外では殺傷事件や神隠し、強盗などが起きやすい。事件の犯人が不明な事が殆どなので、「吸血鬼の仕業」と噂される様になって今に至る。
日が落ちたら決して街から出てはならない、深夜は一人で出歩いてはならないというルールは、この街に滞在する人間は必ず聞かされるものだ。
イライとルカが街の内部に入ろうと市壁に沿って街の門に近付くと、入市手続きの長い行列が目に入った。商業、交通の要とされる街なので当然の事なのだが、これらの人々を全て捌くのは日暮れまでかかってしまいそうだ。
――まさかこれに並ぶんじゃないだろうな?
ルカはうんざりとした思いで、遠い最後尾に視線を向けた。今日中に街に入れるだろうか?
しかしそんな心配を他所に、二人に気付いた門兵が一人、声を上げながら慌てて走り寄って来る。 何事かとルカが目線を向ければ、彼はイライの姿を見てきらきらと期待に満ちた眼差しになる。
「あの、もしや聖都ラビエラの教会からいらした、事件の調査員の方でしょうか?」
「はい。そうです」
イライがそう答えると、門兵は感極まった表情で両手を胸の前で組み、その場に跪いた。
「やはり!そうですよね……!そのお姿は間違いないと思っていました!グラールの使徒様、お待ちしてました!ようこそおいでくださいました!」
「あー……間違ってはないんですけど。まだ、ただの司祭見習いなんで、立ってもらえると」
敬虔な信徒であるらしき門兵は、イライを拝んで動かない。大きな声で門兵が騒いだのと、遠くからでも目立つ全身真っ白なイライの格好が原因で、列に並んでいる人々も何事かとこちらに注目している。
「うーん。これどうしようか」
「だから、せめて着替えろって言ったじゃないか」
ルカは渋面を浮かべ、困り顔のイライにそう答えた。
世界と神々を創造したとされる聖杯、それを崇めるグラール教。イライとルカはその教団の総本山、聖都ラビエラより派遣されている。このドラクルの街で発生した怪奇事件を早期解決する為の調査員である。
この二人が選ばれたのはそれぞれの能力が事件解決に役立つからという理由もあるが、他にもルカの「昇格」の試験と、イライの実績積みも目的とされている。
特殊な役目があるイライは、あまり聖都から離れることがない。今回のルカの試験の監査官兼パートナー、そして事件の解決までこなせば一度に複数の実績が付くので、白髪の秘蔵っ子を必要以上に外に出したくないお偉方としても願ったり叶ったりなのだ。
門兵を宥め、許可を得て漸く入る事が出来た街中だが、ここでもイライの容姿は人の注目を集めている。
彼は神話の使徒か神官の様な古風な衣服を纏い、特殊な模様の入った目隠しをつけているのだ。神秘的な風貌が目立たないはずがなかった。
更には魔力が強い人間は髪の色が薄くなる。聖都には白に近い金髪や銀髪の信徒が多いため、白髪のイライも然程目立つことはなかった。が、聖都の外では白髪は宗教画の天使か、老人くらいしか見る事はない。現在も陽の光を反射して、フードから溢れた彼の頭髪は輝いて見える。
ルカからすればイライは胡散臭い笑顔の似非司祭にしか見えないのだが、あの門兵や街の人には格好も相俟って、穏やかに微笑む天の御使いに見えているようだ。陽の光を遮る為のマントすら、神々しく見えているのかもしれない。宗教怖い。
「歓迎されてる様で、一安心だね」
「よく言う。こうなることを狙ってたんだろう」
「僕が狙ったわけじゃなくて、この格好で行けって言われたんだよ……君こそ人の事言えないよね」
「なんの話だ」
先程からルカは他人事の様な態度だが、人々の注目を浴びる原因は何もイライだけではないのだ。
白い光沢のあるベストとスーツパンツ、白衣の様なロングコート。背中と肩に奇妙な機械を背負い、適当に結ったプラチナブロンドに刺さった金色のアンテナ。
神秘的な姿のイライの傍らにいるので印象が緩和されているが、背の高い白尽くめの妙ちきりんな男が一人でそこにいたら明らかにおかしい。目を惹くこと間違いなしだ。
イライもさあ出発するぞと思っていたら、この格好のルカが来たので少し手元が狂った。イライがテレポート座標を間違えたのは、実はルカのせいである。
調査に赴くのに囚人服はどうかと思っていたが、流石に着替えると言うのでもう少し社会に馴染む格好をしてくれると思っていたのだ。そうしたら、これだ。ルカは元人間の筈だが、常識を何処かに落としてきたに違いない。
互いに互いの事をおかしいと思っている二人が歩いていると、街の広場に出た。
そこには明るい茶色のタイルが敷き詰められ、大きな噴水はきらきらと水のアーチを噴き上げ、涼やかな風景を作り出している。広間を見下ろすように複数の鐘が吊り下がったカリヨン時計が設置されており、周囲に時刻を知らせる役割を担っている様だ。
広場には花や果物、菓子やアクセサリーなどの露店が出ており、人で賑わっている。この光景だけを見れば穏やかな日常風景でしかない。
「……こんなところで凄惨な殺人事件が起きたのか、信じられないな」
「ああ、現場は全て街の外だからね。流石に街中で事件が起きてたらこんなゆったりとした空気にはならないよ」
「そうなのか?」
ルカは拍子抜けした顔になる。道理で緊張感に包まれた門兵らとは違い、内部の人々はのんびりとした雰囲気を纏っているわけだ。
しかし、それにしても温度差がありすぎる。すぐ近くで事件が起きているのだから、もっとぴりついた空気があってもおかしくないのに。
腕を組んで考え込んでいるルカに、今度はイライが訝しげな表情になる。
「ええと、ルカは事件のあらましは知ってるよね?」
「ドラクルの街で女性を狙った連続惨殺事件が起きていて、犯人が人外である可能性がある、という事は」
「それだけ?本当に大まかなとこしか聞かされてないんだ」
「準備に時間を取られてしまって。詳細を教えてくれ」
「分かった。最初の事件が起きたのは三ヶ月前で――」

その日、街の外の森で、首を掻き切られた女性の死体が見つかった。死因の傷は刃物によるもので、明らかな殺人だった。当初は強盗殺人を疑われたが、身元を示すものも荷物も死体からそう離れていない位置で発見された。そして死体に血が残されていなかったことで吸血鬼の仕業ではないかという噂が広まっていく。
当然警察はそんな不確かな噂を信じるわけはなく、犯人を見つけるために事件の調査を進めていた。
しかしそれを嘲笑うように、二日連続で女性の死体が発見される。どちらの女性も刃物により絶命しており、二人目の犠牲者は谷の途中の岩棚、三人目は市壁に寄りかかるように絶命していた。全身の血が抜かれており、傷口から凶器は最初の事件と同じ刃物である可能性が高い。
そこから三ヶ月の間に八人もの女性が犠牲になっている。どんなに見張りを強化して、夜の独り歩きを禁じてもいつの間にか死体が転がっているのだ。
死体発見の二時間前に生前の目撃情報がある女性もおり、そんな僅かな時間に全身の血を抜く事ができるのかという疑問も浮上している。
吸血鬼が犯人という説も、ただの噂とするにはおかしな事が多すぎる。事件の共通点は凶器の刃物と、全身の血が抜かれていること。そして。

「美しい女性ばかりが狙われているそうだよ」
「……なるほど。それで美女しか狙わない吸血鬼が犯人という説がより強くなってしまったと。どうりで魔払いがやたらと多かった訳だ」
入市手続きの列に、その手の役職の人間がちらほらいたのはその為かとルカは納得する。
ドラクルは要衝の街だ。人の出入りも激しく、情報が回るのも早い。長期間、警察を悩ませていた事件を解決したとなれば、世間に一気に自身の名を知らしめるチャンスになる。我こそはという意欲のある魔物払い達が張り切る訳だ。
イライは苦笑いをしながら首を振る。
「殺し方からすると確実に吸血鬼ではないと思うけど、でも事件に人外が関わっている可能性は高い」
「ふむ。それはそうだろうな。人外の犯行でその規模の被害とくれば教団が口を挟むのは分かる。しかしわざわざ私達が派遣される程の事なのか?」
「事件よりも、その調査の方が問題なんだ。短期間に十一人もの被害者を出してしまった事で、どうあっても事件を解決させたい一部の警察と、手柄を上げたい『探偵』達が暴走してしまっているんだとか。それで無実の人間が被害にあっているとここの司祭様から嘆願が届いたと」
「それはまさか……冤罪か?」
「そう。でも、その人物が犯人な筈はないって司祭様も言ってるんだけど……視野が狭くなってる人達は聞かないんだって」
「なんだって、そんな人物が容疑者に?」
「六人目の被害者が出た時に、犯人の毛髪らしきものが落ちていたんだ。それが金色の髪だったそうで。今この街に、金髪の該当者は二人しかいないんだって」
「はっ。私を入れたら三人だな」
ルカは肩を竦めて、皮肉気に呟いた。侮蔑を隠そうともしないルカに、イライはにこりと笑みを浮かべる。
「そこで僕らの出番なわけだ。僕はグラール教の代表で調査に来ましたーって自称『探偵』のみなさんに教会本部代表として『ご挨拶』をするから、君はその間に得意の科学魔法道具での調査に尽力して、みんなを出し抜いて欲しい。無実の信徒の冤罪を晴らすことが第一だけど、犯人を見つけてしまっても構わないよ」
「ふうん?なるほどね」
イライの言い回しが気に入ったルカは、にやりと笑う。立場や種ではなく、ルカ自身の能力を発揮する機会を与えられたのも悪くない。
「それで、まずはどこに、うっ……」
これからの予定をルカが確認しようとすると、澄んだ鐘の音が辺りに鳴り響く。広場に設置されていた時計が十二時を指したので、時計と連動した組鐘がその時刻を知らせるメロディーを奏でているのだろう。
からん、からんと鐘の音が鳴る度に、締め付ける様な頭痛がルカを襲う。耐えられないほどではないが、ジリジリとした不快感に顔を顰める。
「ルカ?」
頭を抑えて動かなくなったパートナーに、イライはきょとんとした表情になる。
カリヨンが鳴り止むまで、ルカは滲み出る冷や汗が止まらなかった。漸く、鐘が沈黙したのでルカはほう、と全身の息を吐き出した。そして恨めしげに時計を睨みあげる。
「イライ、街中で事件が起きない理由を見つけたよ。あの時計だ」
「時計?」
「あのカリヨン時計、魔除けの音がする……」
「!」
青い顔でそういう吸血鬼に、イライは時計に顔を向け目を凝らす。そうすれば時計の周りを薄らと金色のオーラが覆っているのが見えた。微弱だが、聖の属性を帯びているのだ。
物体に聖力を籠めるのはとても難易度が高いとされている。膨大な聖力と時間を掛けねばならないので、人員と金額が掛かるのだ。そしてそれは物体の大きさに比例する。
あんな大きさの時計に聖属性を付与させるとは、流石は要衝とされる街だけあるなとイライは感心してしまう。
「今日は踏んだり蹴ったりだな」
ルカは陽の光で削られた魔力が、今の魔除けの鐘の音で更に残量が減ったのを感じた。日没まで人のふりを続けるのがぎりぎりかもしれない。イライは驚きと感心の入り混じった顔で時計を見上げる。
「こんな強力なものがあるとは……」
「ここに滞在するなら、耳栓が必要かもしれない」
「そこまでしなくても、聖属性の耐性のある御守りを用意するよ。でも今日は耐えてもらうしかないかな」
「はあ……仕方ない。それで、目的は決まっているのかな」
「ああ。でもまずは教会に行って、司祭様と祓魔師殿、事件担当の警部殿にご挨拶をする必要があるんだよね」
「…………それ、私もいなきゃ駄目なやつかい?」
うんざりとした顔を隠そうともしないルカに、イライは苦笑いを浮かべる。まだ半分は魔物のままの吸血鬼には、教会は居心地が悪いのだろう。出来る事なら近付きたくないと顔に書いてあるようだ。
「そんな君に朗報だ。ドラクルの教会は、敷地内に大きな図書館があることで有名なんだ。暇つぶしには丁度いいんじゃないかな」
「ふうん。それなら君の用事が済むまでお邪魔させてもらおうか」
「ああ、そうしてくれ。終わったら僕も向かうよ」
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