色無き芙蓉(ナワトレ)



 
 ――数日前

「ねえ」
「はいっ!」
 オフィスの昼下がり、丁度眠気が襲いかかってくる時間。入り口の近くにデスクのある女性職員は、突然掛けられた声に飛び上がらんばかりに驚いて大きな声を出してしまう。居眠りが見つかったのかと冷や冷やしていたが、声の方を向くといかつい上司とは似ても似つかない、華奢な女性が立っていた。
 見慣れぬ女性に目を瞬かせたが、彼女が身につけているのは自分のような平職員より、遥か上の権限を持つ礼服の燕尾服。そして特殊職員の証のバッジが腰に輝いている。
 ――上位クラスの人じゃないか!そう思った女性職員は、慌てて居住まいを正した。
「失礼しました。何か御用でしょうか?」
「カヴィンがどこにいるか知らない?」
「団長、いえエージェント・アユソですか?少々お待ちください」
 女性職員はデスクトップに向き直り、慣れた手つきで幹部のスケジュールの一覧を表示させる。
「午後は、第四会議室にいるご予定ですね」
「第四会議室……」
 女性幹部は言葉を繰り返しつつ、ゆっくりと首を捻る。きょとんとした顔は酷くあどけない。その様は迷子の子供のようだ。女性職員は思わず口を開いていた。
「他の支部から来られた方ですか?よろしければご案内しますが」
「あー……ううん。大丈夫。ちょっとうろ覚えなだけだから。お仕事の邪魔しちゃ悪いし。ありがとう」
 ひらりと手を振って、女性幹部は去っていってしまった。その後ろ姿を女性職員がぼーっと見送っていると、カラカラとオフィスチェアを転がして、隣のデスクの男性職員が近付いてた。
「いやー、白雪姫の出動は珍しいな」
「はい?白雪姫?」
「そっくりだろー?」
 男性職員の言葉に、女性職員は去っていった幹部の姿を思い浮かべる。髪こそ漆黒ではなかったけれど、黒鳶の髪に白い肌、赤い唇。人形の様な綺麗な顔。確かに童話の通りの容姿だったかもしれない。
「なんだかとってもメルヘンな呼び名ですね……似合ってますけど」
「だろ?スマイリーとかジェーン・ドゥとか変な呼び名よか、よっぽどいいと思うし」
「……スマイリー?」
 女性が訝しげな顔で繰り返すのを、男性職員はなんでもない様に頷いて返す。
「スマイリーって、あの……?」
「そう、アサイラムの遺児の一人」
「じょ、女性だったんですね⁈」
「他二人が男だもんなー、そう思うよなー」
 裏返った声を出す女性職員に、男性職員はけたけたと笑い声をあげた。


――アサイラム。本来ならば弱いものたちを保護するための施設のことを指す。
 しかし、その「アサイラム」は、大量殺戮兵器や人体兵器など非人道的な開発、研究をする秘密組織だった。
 身寄りのない子供や浮浪者などを保護、仕事の斡旋と騙して誘い込み、施設内では言葉に出来ないほどの悪辣、残虐非道の限りを尽くす。生きた人間を兵器に変え、新たな職場や養子に出すという名目で爆弾や細菌兵器をばら撒くこともあった。
 表向きの保護施設の運営もしている為、全く尻尾を掴ませず、全容も分からない。厄介な組織は巧みに狡猾に、時代や国に合わせて暗躍を続けて来た。
 彼らは科学だけではなく非科学の研究にも積極的で、魔女狩りや人狼狩りの時代も容疑者達を救い、復讐に手を貸すことでその能力を取り込んできた。時と共に廃れた錬金術の分野にも明るく、それが為に恩義を感じた支持者も止まなかった。
 アサイラムはやがて、深淵の力をも取り込もうとし始める。研究の末、深淵の闇は子供や若い人間に対し、大きな影響を与えることを発見する。特に異能を持つ者は、深淵により更に強大な力を得ることが出来る。
 それを知った組織は、身寄りのない子供だけではなく、何かしらの異能がある存在を狙うようになった。事故を装い親を奪い、病を騙り、被験者を次々と収容していく。必ず全員が成功するわけではない。個人の深淵との相性もある。気が狂ってしまったり、死んでしまったり、外れも数多い。成功体を手に入れるために、材料はいくらあってもいい。

 そうして悪逆非道の限りを尽くしてきた秘密組織だったが、自ら作り出した兵器達の手によって終わりを迎えることになる。
 通称『精神病棟』と呼ばれる収容所。本部の奥深くで厳重に管理されていたはずのそこから、アビスとネストに向けて重要機密が流出したのだ。座標もセキュリティも人員も計画も、なにもかもの情報が曝け出される。
 救助信号を受けたカヴィン達、ネストのメンバーが駆けつけた時、既にアサイラムは蜂の巣をつついたような大混乱に包まれていた。
『精神病棟』は壊滅状態。被験者も研究員も人は死に絶え、生きていたのは四人のみ。
 マルガレータ・ツェレ、イライ・クラーク、イソップ・カール。――そして、名無しの少女。
 他の三人とは違い、アサイラムの内部で生み出され、戸籍も存在しない彼女は、不気味に笑い続ける事から「スマイリー」と研究員達から呼ばれていた。
 ネストが制圧したアサイラムには、彼女に対する研究資料は無数に記録されていたが、異能に対するものは一切残っていなかった。
 
――死んだ研究員の手記に残された、一節を除いて。
 



 

 トレイシーが会議室に入ると、既にトレイシー以外の全員がその場には揃っていた。
 イソップにイライ、名目上はトレイシー達の上司であるカヴィン、そしてカヴィンのオペレーターであるフィオナが丸テーブルを囲んで座っている。
 トレイシーは入り口に近い椅子を引き、そこに腰を落ち着けた。そうして、開口一番に文句を言い始める。
「もー、カヴィンのオフィスにいると思ってたから、慌てちゃったじゃん。会議室集合って、いくつあると思ってるのさ!」
「悪い悪い」
 頬を膨らませるトレイシーに、カヴィンが軽い調子で謝ると、フィオナは深く溜息をついた。
「仕方がないでしょう。あまり、人に聞かれる訳にはいかない内容と私が判断したのよ」
「そもそも僕ら、なんで呼ばれたんですか?」
「今から、説明するわ」
 イソップの疑問に対し、フィオナはテーブルの中央に設置された立体映像装置を起動させた。
「スマイリーから『いつもの』情報提供があったのだけれど――」
 フィオナは、資料の画像と現場の写真を表示させながら、ざっくりとトレイシーが持ち込んだ「死の谷」と賢者の石についての内容を説明する。何度か、イライとイソップから責めるような視線が突き刺さったが、トレイシーは素知らぬふりで手袋の縫い目を数えてやり過ごした。
「――だから、直接の調査は困難ということになったの。生き物は愚か、機器類も谷の霧の中では壊れてしまうのよ。ロボットもドローンも駄目。保って三十分ってとこかしら。通信機どころか簡単な照明機器ですら壊れてしまうそうよ」
「それじゃ、手は出せないだろう」
「そうね。ただ、深淵の力に反発するっていう話は本当みたい。これを見て欲しいのだけど」
 フィオナが立体装置に投影したのはアビスの連中が使役している魔物の姿だった。岩場に倒れているので、マルガレータが言っていた、動けなくなったペットの成れの果てなのだとトレイシーは気付く。
 フィオナが次の画像を映すと、魔物は人の死体に姿を変えた。先ほどの魔物と同じ場所、同じポーズをしているので間違いはない。カヴィンが驚いた様に映像に顔を近付ける。
 深淵の力は一度侵食されてしまえば、排除する事は不可能だ。進行度を限りなく遅らせる事は可能だが元に戻せることは決してない。侵食は進み、生物はいずれ魔物に姿を変える。それは変えようのない事実だ。
 ネストの深淵に対抗する武器も、全て深淵の力を利用している。深淵には深淵の力しか影響できないのだ。だからその武器を使う人間も深淵の侵食は免れない。使用者は魔物となる事を受け入れるか、その前に人として死ぬかを選ばなくてはならない。魔物に転化してしまった者が、元に戻る方法は無い。
 その筈なのに、信じられない光景が目の前にある。カヴィンは驚愕に目を見開いた。
「これは……⁉︎」
「最初の写真は二週間前、二枚目は三日前に撮ったもの。この被写体は毒霧が比較的薄い箇所にあったから、ドローンに映ってたのよね。回収は流石に不可能だったのだけれど……」
「人に戻ってる……こんなことが」
「でも、生きてたらここに滞在するのは無理って言ってたけど」
「それも調べたわ。霧の成分を確認してみたけれど、この深淵に対する浄化効果は、霧の影響ではなかったの。だから賢者の石なり、何か他のものの影響のようなの」
 フィオナの言葉に、イライが無意識に目元に触れるのをトレイシーは黙って見ていた。
――深淵の力を使えば自身が侵食されていく。それは深淵の武器を持つものだけの話ではないのだ。
 イライとイソップはアサイラムによる深淵の闇の人体実験で、元々所持していた異能を強化されている。その力は強大だが、代償がある。
 『視る』異能持ちのイライは、通常の視力が失われていく。『生命』を繰るイソップは、若さが失われていく。殺人兵器として長持ちするようにと、他人の命を奪うと少しだけ回復する機能がつけられているが、二人は望んでそんな事をしたいとは思わないだろう。
 カヴィンも長年、最前線で深淵の武器を振るっている。人よりも深淵の耐性は強いが、いつ影響が出てくるか分からない。トレイシーとしても共に『精神病棟』から逃れてきた仲間と、恩人で上司が深淵に侵食されていくのをただ見ている事はしたくない。
 マルガレータが言った「最高の報酬」に縋りたい気持ちは大きい。
「近隣の地域にいくつも似たような伝承があるのだけれど、それによると祭場、宮殿って言葉が出てくるのよ。調べると実際に共同墓地、いえ霊廟というべきかしら?谷に大きな建築をした記録があるの」
 映像が切り替わると、岩肌に開いた洞窟の写真になる。
「これが見つかったのは運が良かったと思う。何せ、ドローンもカメラも使えるのに時間制限があるの」
「まさか、この洞穴が霊廟の入り口なんですか?不用心過ぎない?」
「盗賊も誰も入ってこれないからって、堂々としているわ。元々あった洞窟を利用してたから、わかりづらかったのもあったけど。ちょっと進むと綺麗な部屋になっていて、それが続いていたのだけれど……その先は、ね」
「時間切れか?」
 カヴィンの言葉にフィオナは頷く。ドローンが操作出来たのはそこまでだったのだろう。それでも場所が分かっただけ御の字だ。
「今分かっているのはここまでね。霊廟の場所はわかったから、次は最短で奥まで進めば」
「いいよ、まどろっこしい」
 フィオナの言葉をトレイシーが遮った。
「時間制限のあるドローンを、何回も使うよりも簡単な方法あるじゃん。どうせ、上の人もその為に私呼べって言ったんでしょう?途中経過の報告だけなら私が来る必要ないし。フィオナ、気を遣ってくれてるんだろうけど、そういうのはいいよ」
「トレイシー!」
 イライが咎めるように叫ぶ。イライが何を言おうとしているのかは分かるけれど、トレイシーに聞く気はない。自分だって我が身の危険は振り返らないくせに。
「私が直接行けばいいだけでしょう。毒霧も死神も私の不死身の異能には関係ないもん」
「……スマイリー、それは最終手段でいいと思うのだけれど」
「待ってらんないでしょ、上の人が」
 カヴィンだけじゃなく、イソップもイライもわざわざ呼び出すところが用意周到なんだよねえ、とトレイシーは感心する。仲間意識を刺激しなくたって、この話を持ってきたのはトレイシーなのだから、喜んで動くのに。
 ネスト内部でも深淵の侵食は深刻な問題なのだ。魔物に転化する前に、撃ち殺して欲しいと仲間に懇願されることもあると聞く。
 その侵食を無効化できる可能性を目の前でちらつかせられたのだから、気が急いても仕方がないだろう。そのくらいトレイシーにだって理解できる。
「だって、まだ賢者の石が眉唾物な事には変わりないじゃない?あるかどうか分からないものの為に時間をかけて、もしも何も無かったら?全部が無駄になるじゃない?それなら一番コストもかからない方法がいいんじゃない?」
「それは……」
「まず、トレイシーの機械人形で調査するって方法もあると思うんだけど」
 言葉に詰まるフィオナに変わり、イライがそう言い返す。それに対し、トレイシーが顰めっ面になる。
「私の大事なアシスタントにそんな事させられる訳ないでしょ。あんなとこで動かなくなったらどうするの、可哀想でしょ」
「出た、トレイシーさんの人形ファースト」
「梟とロボットの方が自分より大事だもんな、あいつら」
「トレイシーに何かあっても大事だと思うけど」
「私になにかあるなら他の人絶対無理だし、どうせ最後には行くことになるんだから一緒一緒」
「もうちょっと内部の事が分かってからでも、遅くはないんじゃないかな?」
「それも全部ひっくるめて、私が行けば解決じゃない」
「……内部で、崩落とか起こったらどうする気だい⁈」
「その時はその時に考えればいいじゃん」
 イライが何を言ってもどこ吹く風なトレイシーは、本当に「死の谷」に行く事をなんとも思っていないのだ。まだまだ言い足りなそうなイライの肩を、カヴィンが叩く。
「落ち着けって。お前らは本当に自分のことは無頓着な癖に、仲間の事となるとこうだ」
「絶対、団長の影響だと思うわ……」
 フィオナが小さな声で呟いたが、カヴィンは聞こえない振りを貫いた。そうして大仰に困ったそぶりでため息を吐く。
「トレイシーは言い出したら聞かねえだろ?せっかちなお偉方だけならどうにでも出来るが、せっかちな部下にも挟まれちまえば、これはもう仕方ないよなあ」
「それじゃあ」
「ああ、行ってきてくれ。無茶だけはしてくれるな」
「分かった!」
 うきうきでそう答えるトレイシーだったが、フィオナは浮かない顔で手元の書類を捲る。
「問題は、死の谷は通信機器が使えないから、オペレーターのサポートが出来ないのよ」
「あー……そういえばその問題があったか」
 しまったという風に頭を抑えるカヴィンに対し、イソップとイライ、トレイシーは顔を見合わせた。
「それなら――」







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