色無き芙蓉(ナワトレ)


 

 夜闇に沈んだビルの屋上を、白衣の男達が駆けていく。彼らは皆、大袈裟なデザインの防毒マスクを被り、個人を特定出来ない様になっている。
 顔は見えないが、それでも何かに追われているのか酷く怯えているのが分かる。彼らは頻りに周囲を見回しながら、ビルからビルへと飛び移り、走り続ける。
 息は切れ、どこをどう走っているのか自分達にも分からない。回収予定の地点はもう押さえられている。通信機の電波は途絶え、ただの箱と化している。上からの指示は仰げない。異変に気付いた回収部隊が動いてくれる事を祈ることしか彼らには出来ない。それまで、なんとしても逃げ切らなくてはならない。
 白衣の面々はアタッシュケースを抱えている人物を囲み、守りの陣形を保ちながら進んでいく。例え自身が命を落とそうとも、このケースだけは奪われるわけには行かないのだ。
 遠くへ。追手を振り切ったと安心できるところまで。奴らの探知範囲外まで出てしまえば。
 そう祈るような気持ちで走り続けていた彼らの目の前に、ばさりと黒い影が降り立った。
「!」
「よっこいしょっと」
 足を止めた白衣の面々が息を呑む。各々が手にしていた銃を一斉に黒衣の影に向ける。しかし肝心の影の主は緊迫した空気をまるで感じていないのか、呑気に膝の埃を払っている。黒のロングコートに特殊な単眼スコープを装着した男は、ゆったりとした態度だがどこか隙がない。肩には金色の機械仕掛けの鳥が止まっている。
 白衣の男達の視線が一身に自分に集まっていることに気づくと、彼はにこりと笑う。
「こんばんは。そんなに慌てて、どちらに行くご予定で?」
「………………」
 隣人の様な気さくさで話しかける黒服の男に対し、白衣達は何も答えない。答えぬまま、男を一定の距離で取り囲み、銃を突きつける。
 それを見たスコープの男は困ったように首を傾げる。
「うーん、お話をする気分では無さそうだ」
 黒服に向けられた銃口達が光を放つ。連続した銃撃音が夜空を切り裂き、銃弾は全て男へと命中する。
「!」
 立ち込めていた硝煙が消えると、黒衣の男の代わりに、開かれた黒の傘が白衣達の視界に現れる。盾の様にこちらに向けられた傘地から、パラパラと弾丸が落ちる。
「はあ……」
 黒い傘を差し向け、その中棒を肩に凭せた人物は先ほどの男ではなく、小柄な女に変わっている。黒いハットに黒い燕尾服を身に纏った女は、面倒くさそうに溜息を吐きつつ、片手にある妙な機械を操作する。
 白衣達は再び銃を女に向かって構えようとしたが、鋭い音を立てて飛んできた矢に腕や肩を切り裂かれ、銃を弾かれてしまう。
「っ!」
「ぅっ……」
 矢の飛んできた方向に男達が視線を向ける。月明かりを受け、銀色の機械人形達が弓を構えている。引き絞られた弦を見るに、一撃目は牽制の為に態と急所を外されていたが、次は当てるという意志を感じる。到底、動くことは出来なくなった。
 それでもじりじりと逃走を諦めずに後退りをしている白衣達に、女は傘を閉じると背後を振り返る。
「イライ」
「はいはい」
 最初の黒服の男が女の後方から進み出る。歩きながら被っていたフードと単眼のスコープを取り外すと、その下から金色の瞳が現れた。
 逆光なのにも関わらず、暗がりに浮かぶ二つの眼に足元から這い上がる恐怖を感じ、白衣達は目を逸らそうとした。が、視線を逸らせない。では遮ればと思ったが、腕も動かない。恐れ、ではない。本当に動かないのだ。どんなに力を込めても足も動かせない。
――あの眼のせいだ。あの金色の魔物の眼のせいだ。
 どうにかしてあの眼から逃れなくてはと思うのに、叶わない。じわじわと体の感覚が消えていくのを感じ、白衣達は必死に踠く。いや、踠こうとした。
「ぐ……!」
「……ぁ……!」
 必死に叫ぼうとするが、それも叶わない。体が石になってしまう、そんな恐怖を感じながら、やがて思考する力も奪われてしまう。
 数分もすれば、立ったまま固まる白衣達はうんともすんとも言わなくなった。その姿はまるで生々しい彫像の様だ。
 スコープを装着しながら、金眼――イライは首を振る。
「宝物だけで満足してくれれば、ここまでしなかったのに」
「あり得ないでしょ。そんな感傷に浸ってないで、仕事して仕事」
「分かったよ、トレイシー」
 黒スーツの女――トレイシーはごそごそと白衣の男のポケットを探っていく。通信機を見つけては全てを背後に放り投げる。それを機械人形達が回収し、四方に持ち去って行く。
 こちらの痕跡を残すわけには行かないので、消失ポイントを悟られないようにバラバラの地点で通信機を破壊する必要があるのだ。
 イライも白衣のリーダー格からアタッシュケースを回収し、中身を開いて確認する。そうして背後を振り返ると口元に手を当てて叫ぶ。
「イソップー!宝物、これで合ってる?ダミーとかだったりしない?」
「ちょっ、ちょっと、待ってくれない……?こっち、全力で走って来たんだけど……⁉︎」
 ぜいぜいと荒い呼吸をして、イライに呼ばれたもう一人の黒服――イソップはずり落ちた黒ジャケットを肩に羽織り直した。青いシャツの袖で額の汗を拭いながら、ふらふらと歩み寄ってくる。
 そんな疲労困憊のイソップをまじまじと見つめて、イライは不思議そうに首を捻った。
「どうしてそんなにイソップは疲れているのかな?」
「あんたのせいでしょうか!」
 白衣の男の服を探りながら、トレイシーがじろりとイライを睨んだ。イソップも恨めしげな目を向ける。
 トレイシーが割り出した白衣の男達の逃走経路、それが自身に近いと気付いたイライが、「足どめをする」と先行してしまったのだ。比較的近くにいたトレイシーが急いで現場に駆けつけたのだが、正に今イライが蜂の巣になる寸前というところだったので慌てて割り込んだ。
 しかし僅かにトレイシーの介入が間に合わず、イライは数発銃弾に撃たれてしまった。
 重傷を負ったイライを、イソップが自身の異能で蘇生させたのだが、イソップのいた場所は現場からかなりの距離があったので、彼は全力でビルの上を駆け抜けなければならなかった。
 蘇生した人間はイソップの元に来てしまうのだ。だが、敵対組織の連中を生捕りで制圧するには、イライの異能が必要不可欠だ。なにせ奴らは捕まるとわかれば自害をしてしまう。その前に拘束しなくてはならない。だから少しでも現場に近い場所へと走る羽目にあったイソップは、こんな状態になっている訳だ。
 呼吸が漸く落ち着いてきたイソップは、乱れた髪を掻き上げ、呟くように言う。
「絶対足止め役、トレイシーさんがやった方が良かったよね」
「まあまあ。トレイシー来る前に逃げられちゃったかも知れないじゃないか。それに二人が間に合うのは『視えて』たし。……ちょっと撃たれちゃったのは痛かったけど」
「未来視えてるなら尚更改善しようとか思わないわけ?痛覚が鈍いからって死なないわけじゃないんだからね」
 一瞬とはいえ瀕死になった癖に、へらりと笑って平然としているイライに、トレイシーは厳しい口調で注意した。
 イソップはアタッシュケースの前にいたイライを押し除け、中身を確かめる。ケースの中は段になっており、いくつかの装飾品の一番下に女性用のサークレットが収まっていた。銀製のサークレットは硫化で変色して黒くなってしまっていたが、中央に嵌っている紫の石はイソップが手を翳すと不穏な輝きを放ち始める。ただの骨董品ではない事を証明していた。
 手で触れれば、ぞわりと嫌な気配が腕を伝う。馴染みがあり、嫌悪の対象である深淵の力を感じ取る。
「間違いないよ、これが本物だ」
「こっちも見つけた」
 イソップがサークレットを慎重に取り出している横で、トレイシーは端末を放り投げた。白衣の男の一人から抜き取ったものなのだろう。放物線を描き、自身の手に収まった白い端末をイライが操作すると、中からは見慣れた人物達について書かれたレポートが出てきた。
「わあ。機密情報がたっぷりじゃないか」
「イライとイソップのもあるよ」
「最悪だ……」
 ぎゅっと眉間に皺を寄せるイソップの背中をトレイシーが叩く。
「人気者の宿命だねー。まあ、漏洩は防げたんだしさ」
「はあ……誰、この端末持ってたの」
「この人」
「ちょっとこれ持ってて」
 サークレットをトレイシーの手に置き、イソップは白い手袋を外す。端末を所持していた白衣の男の首に、素手で触れる。
 するとそれまで彫像の様に固まっていた男の体がびくり揺れ、見る間に肌の色が黒く変わっていく。数度全身が痙攣したかと思うと、黒い塊は靄へと変わり、空気中に霧散していってしまった。そこに人一人の人間がいた痕跡は影も形もない。
 このレポートをまとめた人間なら、自分達の素性を知っている可能性がある。うっかり生かして、現状を「あちら側」に伝えられては堪ったものではないのでこの世から消えてもらうしかない。
 何事もなかったように手袋を嵌め直すイソップの顔は、心なしか若返って見えたが、イライもトレイシーも全くその事は意に介さない。トレイシーは指に引っ掛けたサークレットをくるくると回しながら首を傾げる。
「残党まだまだ出てくるねえ。頭を潰しただけじゃ駄目だったかな」
「当然じゃないの?彼らの強欲さとしぶとさは僕らが一番分かってる」
「違いないね。いつまで経ってもしつこい人達だ」
 イライは顔では笑って答えながら、手にしていた端末を真っ二つにへし折った。トレイシーはそれを横目に、冷たい目でぽそりと呟く。

「本当にご苦労様な事で。…………もうあの『精神病棟』は残っていないのに、ね」





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