逆位置の御呪い(ナワトレ)
「なあ、トレイシー見てないか?」
ナワーブは階段ホールの手摺りから身を乗り出し、エントランスの両階段下のテーブルで談笑していたメリーとウィラにそう尋ねた。二人はナワーブの問いに互いに顔を見合わせた。
「今日はまだ見ていないけれど……どうしたの?」
「ああ、ちょっとな。頼みたいことがあったんだが」
「サベダーさん。そのフクロウ、イライさんのですよね」
メリーはナワーブの肩にいるフクロウに目をやる。イライの相棒であるフクロウは大抵、定位置である彼の肩に乗っている。そんな鳥が何故、ナワーブといるのか。それも、どこか元気が無いように見える。
ナワーブはメリーの問いには答えずに、困ったように苦笑を返す。
「あら、それは何?」
階段を降りてきたナワーブが、変わった飾りを持っていることにウィラは気付いた。白と金の民芸品らしきそれは複雑な装飾がとても綺麗だが、円形の一部が崩れてしまっている。
「あら。これ……」
壊れてるじゃない、と続けようとしたウィラだったが、ナワーブが目配せをしていることに気付き、口を噤む。
先程から妙な動作をしているナワーブに、その肩で縮こまっているフクロウ。申し訳なさそうに見える、ではなく本当に落ち込んでいるようだ。これはもしや、と事態を察した二人はなるほどと頷いた。
イライのフクロウはとても賢く、ゲーム中は頼りになる存在だが、それ以外では悪戯好きなところがある。大方、ナワーブが手にしているこの飾りで遊んでいて、勢い余って壊してしまったのだろう。それでしょげてしまっているのか。
ウィラは反省中のフクロウを撫でながら、ふと飼い主であるイライがいない事が気になり、ナワーブに行方を尋ねる。
「ところでイライはどうしたの?」
「それが、これ見た途端に飛び出して行っちまってわからない」
ナワーブは腕を組み、眉頭を揉みながら首を振る。
先程までイライとウィリアムと、ナワーブの部屋でたらたらと雑談をしていたのだ。その最中に、ぱきっという音と共に何かが落下した。振り返ると床に落ちたドリームキャッチャーと、その脇で申し訳なさそうに鳴いているフクロウの姿があった。
自分の羽根が使われているドリームキャッチャーを気に入っているフクロウは、よく羽飾りの部分をつついてはナワーブに嗜められるということを繰り返していた。いつも通りの悪戯のつもりだったのだろうが、年数が経っていた飾りがタイミング悪く壊れてしまったのだ。
床に落ちた、形の変わってしまったドリームキャッチャー。それを見た途端、ウィリアムとイライが揃って「ああああああ!」と叫んで部屋を飛び出して行ったのだ。いつも騒がしいウィリアムはともかくとして、穏やかなイライまでもが慌てふためいていたのでナワーブも驚いてしまい、止める間もなかった。
「少し待ってみたんだが、戻ってくる様子もなくてな」
「それで、なぜトレイシーさんを探す事になったのでしょう?」
「この飾り作ったのあいつなんだよ。だから直すなら当人に頼むのが確実だろ」
ドリームキャッチャーの作り方なら、エマもカヴィンも分かっているだろうが、トレイシーの作った御守り飾りは殊更繊細で複雑な作りをしている。当人以外には直せないだろう。
因みにウィリアムは論外だとナワーブは思っている。お気に入りのドリームキャッチャーをクリスマスリースもどきにされては堪らない。
ナワーブは頬を掻きながら、困った様に眉を顰める。
「さっきから探し回ってるんだが、部屋にもいなかったしなあ。この時間のゲームにあいつの名前なかったし、どこにいるのか見当もつかなくてな」
「ふむ……それでしたら、ナイチンゲールさんのところではないかと。私もうっかりしていましたが、今日は二月の十四日ですから」
「!そういえば、今日はバレンタインだったわね」
メリーの言葉にピンと来たウィラが手を叩く。そわそわと浮き立つ様子のウィラに、ナワーブは首を傾げた。
今日がバレンタインなのはナワーブも気付いていなかったが、だからと言ってそれを知ったところで特に意味がある日だとは思えない。そしてそれがトレイシーとどう関係するのかもさっぱりだ。
肩に乗せたフクロウと揃って同じ角度で「はて」と首を傾げている男に、ウィラは冷たい目を向ける。
「……なんなのその反応は。何かあるのかくらい察しなさいよ。これだから本当に朴念仁は駄目なのよ。死んでるのは表情筋だけにしなさいよ、唐変木。ただでさえ見た目が無頼漢なのに頭まで筋肉なの、貴方」
「頭までって……ウィリアムじゃないぞ、俺は」
「愛嬌がある分、ウィリアムの方が多少むさ苦しくても貴方よりもマシだわ」
「あれ以下なのか、俺は。なんでそこまで言われなきゃいけないんだ、おい」
「サベダーさん、今日はトレイシーさんに新しい衣装が来る日なのですが、お忘れでは?」
「……………………」
メリーからの指摘に、文句を言おうと開けた口をナワーブは閉じるしかなかった。事実、忘れていたのだ。昨日も言われていた事なのに、すっかりと抜け落ちていた。
新衣装、それも最高品質のものがバレンタインに女の子に来るという事で、女性陣はとても色めき立っていた。しかし、ナワーブはそれをどうでもいいと聞き流していたのだ。自身の衣装の事も無頓着なナワーブだ。他人の衣装の事など当然覚える気はなかった。
ただし、その本音をうっかり女性の前で漏らしてしまえば総攻撃を受ける事も学習している。心底どうでも良さげな反応をした場合の末路は体験済みだ。これはサバイバー陣営だけでなくハンター側の女性陣からも同じ扱いを受ける。
黙って視線を逸らしたナワーブに、ウィラは尖り切った眼差しを向けたものの、それ以上責める言葉を口にはしなかった。
と、だかだかと荒い足音がこちらに近づいてくるのに気付いた三人は、視線を階段の上に向ける。そこからひょこりと顔を出したのはウィリアムだった。ウィリアムはナワーブと目が合うと「あ!」と叫び、背後にいる誰かに手を振る。
「居たわ!こっちだ、こっち!」
「どこにいてもうるせえんだな、お前」
「馬鹿野郎!お前がどっか行くからだろ!」
ナワーブが呆れたように呟くと、背後に呼びかけていたウィリアムが眦を吊り上げて手摺を叩いた。
なんで俺怒鳴られてんだ?と目を丸くしているナワーブを他所に、階段を駆け降りてきたウィリアムはナワーブの肩にいるフクロウを心配気に覗き込む。
「無事だったか、お前え……ナワーブいねえからもしかして食われたんじゃねえかと思ってたぜ!」
「食わねえよ、なんでだよ」
ウィリアムの言い様に、ナワーブは渋面になる。この荘園では食事はいつ何時でも存分に提供される。その状況で、何故わざわざ肉食で不味いフクロウを食わねばならないというのか。
大体こいつはイライの相棒だし、ゲームにおいては重要な役割を担っている。ハンターサイドならともかく、その恩恵に預かっている己がそんなことをする訳がない。
しかしウィリアムはそそくさとしょげたままのフクロウを抱えてナワーブから距離を取る。
「そりゃ、こいつがお前の宝物壊しちまったから、ブチ切れてそれくらいするんじゃねえかと」
「……待て、なんだ宝物って」
「お前が後生大事に持ってるその御守りに決まってんだろ」
「そんな大袈裟なもんじゃねえし。適当に扱ってこれ以上壊れたら直すのが大変だろ」
「よく言うぜ。時間があればじーっとそれ見つめてたじゃねえか。フクロウが突くと絶対走って止めに入ってただろうが。俺の御守りは床に落ちるまで放置してた上に気をつけろって注意程度で済んでたのに、扱いの差が酷いじゃねえか」
「それは、あれだ。お前が作ったんだから無駄に頑丈だろうし、気にすることはねえと思うだろ。現に落ちても全然壊れなかったろ。トレイシーのは飾りが細かいし、脆そうだろう。案の定、落としたら簡単に壊れてこの有様だ。慎重にもなるだろう」
「へっ。どうだか。明らかにそれだけ丁寧に扱ってた癖に。他のやつが触るのも嫌がってただろう、お前」
「ぐっ……そ、そんな事は……」
ふんと鼻を鳴らすウィリアムと、言い返す言葉を探しているナワーブを、ウィラは上がっていく口角を隠して交互に眺める。
――なんだか、とても面白いことが始まりそう。
先程まで暇で暇で仕方がなかったのだ。だから、ガーデン帰りのメリーを捕まえて適当に時間を潰していたのだが、まさかこんな展開になるとは。
ウィリアムの言い分に、ナワーブの焦り様。あの飾り作ったのってトレイシーだと先程ナワーブは言っていた筈。ってことは、もしかすると……ナワーブってば、そういう事?
愉快な事が起こりそうな予感にワクワクして来たウィラの耳に、パタパタと軽い足音が聞こえてくる。ふと音のする階段の上に目を向ければ、華やかな妖精がこちらを見下ろしている。
「!」
「まあ……」
驚いているウィラの隣で、メリーも思わず声が漏れる。
金の髪と、花輪に取り付けられた貴石がシャンデリアの光を受けてきらきらと煌めいている。華奢な体躯を包む服は白銀の葉とピンクのバラの意匠が凝らされている。剥き出しの肩越しに機械仕掛けの薄羽がはたはたと羽ばたきを繰り返す。着慣れない衣装に、頼りなげに身を縮こまらせている姿すら演出の様だ。儚気な姿がより現実感を薄らがせる。
淡い色の花の妖精。階段の上にいるその妖精がトレイシーだという事は、二人にも分かってはいた。分かってはいたが、驚かずにはいられない。恋人の日に贈られる衣装なのだから、それなりのものが来るだろうとは思っていたものの、まさかこんな可憐さに極振りされた衣装だったとは。
薔薇の花びらのスカートを揺らし、ぱたぱたと階段を駆け降りて来たトレイシーの頭の上からつま先までをじっくりと見やり、ウィラはほうと溜息をつく。そうして渋面で首を振る。
「トレイシー、貴女……分かっていたけれど、改めて言うわ。可愛いわね。本当に可愛い」
「え?あ、ありがとう?」
トレイシーはお礼を言いながら、首を捻る。言っている内容は褒めているのに、ウィラの顔は険しい。これ、本当に褒めている態度なんだろうか?
メリーは頬に手を当て、考える様な仕草でトレイシーを見やる。
「ええ、とても可愛らしくて素敵ですね。それは蜜蜂の羽根かしら。彼らの美しさへの敬意を感じて、素晴らしいわ」
「メリーはやっぱりそこに着目するんだね……うにっ⁈」
ウィラはやおらトレイシーの頬を両手で摘むとぐいと左右に引っ張る。
「トレイシー。可愛いのに、そうしていたら本当に可愛いのに、どうしてその素材を日々あの野暮ったい作業着で無駄にしているのか私には理解が出来ないわ、全然分からないわ。宝の持ち腐れって言葉を知っているかしら。貴女のことよ」
「いひゃい、いひゃいよふぃらぁ……」
「ねえ、その可愛いさは今だけなのよ。その瑞々しさは今だけなのよ。若さは有限なのよ、分かっているの。失ったらもう戻ってこないのよ、ああ妬ましい」
「ナイエルさん、ナイエルさん抑えて。あなたもまだまだ若いでしょう、落ち着いて」
メリーはウィラの肩を掴んで暴挙を止めに掛かる。鬼気迫る表情が恐ろしい。何がそんなに彼女を駆り立てているのだろう。
ウィラの手から逃れようとトレイシーも首を振って抵抗してみるが、無駄に終わる。ウィラは頼りになるお姉さんだけれど、時々スイッチが入るとこうなるのが本当に困りものだ。
「作業着でも良いじゃ無いですか。一番好きな事をしている時が魅力的だと私は思いますよ。充分に可愛らしいでしょう。それに、エマさんもダイアーさんも似た様な格好をしているじゃあありませんか」
「貴女は今の姿しか知らないから!この子最初に会った時、本当にボサボサでパサパサでひょろひょろで酷かったんだから!あの身綺麗な二人と一緒にしたら失礼だわ。そうよね」
「ふぃーん……」
「まあまあ。そろそろ許してあげては?頬が赤くなってます」
「ふん!」
「うう……」
ウィラから解放されたトレイシーは赤くなった頬を抑えてメリーの背後に隠れた。急かされるがままウィリアムに着いて来ただけなのにこんな目に遭うとは。
トレイシーが新しい衣装を受け取りに行くと、その場にいた仲間達に「今、着て見せて」とせがまれたのだ。急遽、談話室は簡易のお披露目会場と化した。そこに慌てた様子のウィリアムがやって来て「今すぐ来て欲しい」と頼まれたのだ。
しかし、急いでいた割に、呼んだ当人のウィリアムはナワーブとなにやら言い合っているし、ウィラには意地悪されるしで散々だ。
メリーを盾に、トレイシーは唇を尖らせる。
「もう!よく分かんないけどフクロウちゃんが危ないって言うから、急いで来たのに!これなら着替えてくれば良かった……」
「ですが、急いでいたのは本当のようですよ。サベダーさんがフクロウさんを食べてしまうかもしれなかったそうですから」
「ええ?な、なんで⁉︎」
「うふふ」
ぎょっとして目を丸くしているトレイシーに、ウィラは先程までの不機嫌な様子とは打って変わって、愉快そうに笑いながら目を細める。
「ナワーブの宝物をあの子が壊してしまったそうよ。だから貴女に直して欲しいのですって」
「それはいいけど。なに?ナワーブの宝物って。私に頼むってことは時計?ラジオ?人のお手製の絡繰とかだと、少し勝手が違うのだけど」
「いいえ?貴女が作ったものだから大丈夫じゃないかしら」
「へ?私?」
「そうよ」
とてもとても上機嫌なウィラの言葉に、トレイシーは不思議そうに首を傾げた。機嫌が良いのはいい事だけれど。宝物に該当するものがさっぱりと思いつかなかったのだ。自分が作ったものなんていくらでもあるけれど、でもあのナワーブに宝物とまで言われるようなものがあっただろうか?
きょとんとした表情のトレイシーに、ウィラは益々笑みを深くする。――あらあら。これはこれは。
トレイシーの態度から察するに、今はまだナワーブの片思いでしかない様だ。けれど、完全に脈なしではない筈。ウィラの目から見ても、トレイシーはナワーブに憧憬の念を抱いている事は間違いない。距離はあるが、認めてもらいたいと思っていることも知っている。
――それに、お面の様に顔の変わらない、あのつまらないと思っていた男が片恋だなんて!とても素敵な事になりそう。
この荘園は娯楽もあれば、時節のイベント事もトラブルもある。目紛しく、退屈で死にそうという事は無いけれど、やはりそれでも女性には人の恋愛沙汰は別腹なのだ。
含み笑いで、この状況を楽しんでいるウィラとうんうんと唸りながら悩んでいるトレイシー。その向こうではウィリアムとナワーブが言い合いを続けている。
メリーはそんな全員を見渡し、ふっと小さく溜息をついた。このままでは埒が明かないと判断したのだ。
トレイシーの肩をそっと掴み、メリーはウィリアムとナワーブの方向に彼女を押し出した。
「エリスさん、お衣装のお披露目中に来てくださったトレイシーさんを放置して、サベダーさんとのお話に夢中になるのはどうでしょう」
「あー、そうだった!悪い悪い、つい」
「は?トレイシー?」
ナワーブはウィリアムの宝物発言を否定する事に夢中になっていて、背後にトレイシー当人がいる事に気付いていなかった。
まさか、今の会話聞かれてないよなと内心慌てながら、自然な動作を装ってナワーブは後ろを振り返る。
「急げって言っておきながら、もう!」
「急いでたのは本当だったんだって!でもほら、フクロウも無事だったし。な?」
「それはいいけど、それで私に直して欲しいものってなんなの?」
「ああ、それはこの」
ウィリアムが話しながら、ナワーブの手からドリームキャッチャーを取ろうとする。しかし、ナワーブがしっかりと掴んでいた為に動きが止まる。
別に奪いやしねぇよ、とウィリアムが揶揄うつもりでナワーブに視線を向けると、ナワーブはどこかぼんやりとした表情でじっと一点を見つめている。
「ナワーブ?」
「…………………………」
「おーい」
「…………………………」
「おいって」
ウィリアムが呼びかけても、目の前で手を振ってみても、ナワーブは動かない。ただただ一点――トレイシーを無言で見つめている。
ウィリアムは無反応なナワーブに眉を顰めた。
「固まっちまったよ、こいつ」
「具合でも悪いのでしょうか?」
トレイシーは様子のおかしいナワーブも気になったが、それ以上にウィラの言う「ナワーブの宝物」が気になって仕方がなかった。
なので、微動だにしないナワーブの手元を伸び上がって覗き込んだ。
「あ!」
ナワーブが両手でしっかりと持っていたのは、不眠の彼の為にと大分昔にトレイシーが作ったドリームキャッチャーだった。
――これ、まだあったんだ?って、まさか宝物ってこれの事?
トレイシーはじわりと湧いてきた感情に、思わず口を両手で覆う。これは、予想していなかった。本当に嬉しい。
ドリームキャッチャーを作ったこと自体は、記憶の彼方ではあったけれど、あの時にトレイシーとナワーブの距離感が変わった事は忘れてない。その時の品を、不要になった後もこうやって大事に保管してくれてたのか。トレイシーには大切な変化だったけど、ナワーブもそう思っててくれたのか。これが喜ばずにいられるか。
ナワーブは仲間を大事にする人だと思う。その中に自分も入っているのだと改めて感じられて、擽ったいような思いだ。
けれど、ウィリアムの言う通りにドリームキャッチャーは輪の部分の留め具が外れ、形が崩れてしまっている。羽飾りもところどころ欠けてしまっている。
これは修理、いや補強が必要かも。放っておけばどんどんと崩れていってしまうはずだ。トレイシーはドリームキャッチャーを握り込んでいるナワーブの手に触れる。
「ナワーブ、これ直せばいいんだね?」
「……………………」
「ナワーブ?ねえ?」
無反応なナワーブを見上げると、どこかぼんやりとした目をしている。まさかまた、寝不足じゃないだろうなと疑ったトレイシーは、ナワーブの顔に手を伸ばす。
「っ!は……」
トレイシーの手が届く前に、目を見開いたナワーブが勢い良く身をのけ反らせ、よたよたと数歩後退った。突然バネ人形のような動きをする傭兵に、ウィリアムもトレイシーも目を丸くする。
ナワーブはぐっとフードを深く被り、一度顔を伏せた。そうして顔を上げるといつも通りの分かりづらい表情に戻っていた。じっとこちらを見てる面々を見渡し、眉頭を寄せる。
「……なんだ」
「なんだはこっちの台詞だぜ。お前、さっきから変だぞ」
「ええ。具合でも悪いのかと」
「いや、なにもない」
「ねえナワーブ、御守り飾り直すから手離して」
「っ……わ、かった」
ウィリアムとメリーには至って普通の受け答えをしていたのに、トレイシーが相手になると途端にぎこちない返答になるナワーブに、一人離れた位置にいたウィラは口角をこっそりと吊り上げた。
――分かりやすい男だこと。
表情は保っているが、妖精姿のトレイシーを視界に入れないように妙な動きになっているのがとんちきだ。先程まであれだけトレイシーを凝視していた癖に、それで誤魔化せたつもりなのだろうか。
トレイシーはそんなナワーブの異変に気づく事はなく、すっかりと目の前の修繕対象に意識が向いてしまっている。ドリームキャッチャーを手の中でひっくり返し、じっくりと観察を始める。
「どうだ?大分崩れてるけど、直せるか?」
「んー、留め具がなくなってるけど、直すだけならそんなには。でも、ちょっと手を加えたいかなあ。羽根もボロボロだし」
「それはこいつのせいだな」
ウィリアムが肩に乗っているフクロウに顔を向けると、僅かに首を引っ込めるような動作をしている。身を小さくしているつもりなのかもしれない。
そんなフクロウの頭をトレイシーは指先で撫でる。フクロウも反省しているようなので、それ以上責める気にはなれなかった。
「修理、これ新しい具材必要になるね。あとペンチとハサミとか。私、一度取りに」
「その必要はないよ」
トレイシーの言葉を遮ったのはイライだった。両手に籠を抱えており、それを持ってにっこりと微笑む。テーブルに置かれた籠の中身を見れば手芸道具や工具、ビーズとトレイシーが欲していたものが入っている。
「お待たせ。修理に必要かと思って色々集めてたら少し時間がかかってしまったよ」
「おー、流石!気が効く!」
「急がないとこの子食べられちゃうんじゃないかとちょっとだけ思ったけどね……」
「フクロウは食わねえって言ってるだろうが」
眉間に皺を寄せ、ナワーブはそうぼやいた。そもそも俺は怒っていないというのに、なぜこいつらはいらない心配をしているのか。
ウィリアムから相棒の肩に落ち着いたフクロウは、ようやく定位置に戻れた事に安心したのか「ホッホッ」と鳴いている。イライもそんなフクロウの嘴を掻いてやる。
「あと、これもいるかなって」
ごそごそとイライが服の下から取り出したのは羽根の入った瓶だった。自然に抜け落ちたフクロウの羽根をイライが集めたものだ。何に使うわけでも無いが、形が綺麗なので取っておいているのだ。
トレイシーは瓶を掲げて顔を輝かせる。
「わー、ありがとうイライ!」
「この子があんまり啄むから、羽根飾りが寂しくなってたしねぇ。ところでトレイシー、その新しい衣装素敵だね。とっても可愛い妖精さんで、バレンタインにぴったりだと思うよ」
「そう?ありがとう。『枯れない花』って言うんだって」
「だから機械仕掛けなんだね。そこもトレイシーらしいよ」
気の利く男イライは、トレイシーの新衣装を褒める事も忘れない。はにかみながらもお礼を言うトレイシーに、ウィリアムはナワーブの方にこっそりと視線を向けた。
イライに引き換え、こいつと来たら女性の服に対してうんともすんとも言わない。――そういうところが駄目なんだぞ、お前。
近くで見てればナワーブの態度がトレイシーに対してだけ温度が違う事くらい、ウィリアムでも気付いている。それが恋愛なのか親愛なのかまでは分からなかったが、この様子だと恋愛の方で間違いないだろう。だったら、イライの十分の一でいいから女性に対する接し方を学んだ方がいいんじゃないだろうか。
トレイシーはバラの花びらを彷彿とさせるスカートを摘み、頬を掻く。
「ピンクなんて普段着ない色だし、私なんかに合うかなって思ったんだけど」
「何を言っているの、貴女は。この白い肌に薔薇色の頬に金髪!似合わない色があるはずがないでしょう」
「それは言い過ぎだってば。私にバラだよ?ド派手な美人のマリーとかウィラなら分かるけど」
「ド派手は、余計よ」
「うにっ」
失言により、またもやウィラに頬を摘まれたトレイシーはじたばたと両手を振り回してメリーの後ろに隠れる。たおやかな雰囲気であまり目立たないが、メリーはとても体格が良いのでこう言う時に盾にするのにうってつけだ。
トレイシーはメリーの背後からひょこりと顔を出す。
「うう……ともかく、私には不相応って言うか」
「そうかぁ?可愛いんじゃね?なあナワーブ」
「は?なんだよ」
ウィリアムが声をかけるも、ナワーブは話を聞いていなかったのか、自分に振られると思っていなかったのか、面食らった様な態度だ。
こいつは本当によお、と呆れながらもウィリアムはこれは俺がどうにかしてやらないと駄目だという謎の使命感に駆られ、トレイシーを顎でしゃくって示す。
「あれ似合わねえかって。お前どう思うよ」
「…………悪くはねえんじゃねえか」
トレイシーを一瞥して、ふいと視線を逸らす。素っ気ない態度のナワーブに、この野郎とウィリアムは脛を蹴り飛ばしてやりたい気持ちになる。――もう少し、素直に興味を示せっての!
このナワーブの失礼な態度、相手が他の女性だったらあからさまに不機嫌な対応になる筈だ。そこにいるウィラなんて、足を踏むくらいの事はされるに違いない。
今だっていの一番に文句を言ってきそうなものなのに、何故かウィラは静かなままだ。疑問には思ったが、下手に突いて藪蛇になっても困るのでウィリアムは黙っている事にする。
「ふふっ」
苛立つウィリアムとは裏腹に、トレイシーはにこにこと嬉しそうにしている。自身の服に触れて、くすくすと笑う。
「ナワーブが言うなら、そうなのかな。ナワーブはお世辞とか言わないもん。ね?」
「……ああ、いいんじゃねえか。色も花も。おかしくねえし」
「そっかあ、良かった!」
「っ、おう」
頑なにトレイシーの方を見ないようにしていたナワーブだったが、直接当人に話しかけられて無視は出来ない。仕方なく向けた視線の先で、トレイシーがにぱっと笑う。ナワーブは不自然な勢いでぐりんと首を横に向けた。
トレイシーはそんな挙動不審なナワーブには全く気付いていない様子で、テーブルの上にドリームキャッチャーを広げて椅子に腰掛けた。
「じゃあ、これちゃちゃっと直しちゃうから待ってねー。ちょっと補強するついでに格好良くしちゃおう」
「トレイシーさん、先程御守り飾りと言ってましたがこれはどういうものなのでしょう?」
「これはねー、ドリームキャッチャーって言って、蜘蛛の巣をイメージしてて」
「蜘蛛の巣。それは興味深いですね」
ドリームキャッチャーの修理を始めたトレイシーは、メリーと会話しながらも手元に集中している。
そうなった途端に、先程とは打って変わって妖精服のトレイシーを食い入るように見つめているナワーブに、ウィリアムはつかつかと歩み寄ると真横から肘で一撃を加えた。
「ぐっ、何しやがる」
「こっちのセリフだわ。お前なあ!捻くれてるのもいい加減にしろよ。こっそりそんな熱視線向けるくらいなら素直な感想言うくらいしろっての!ムッツリめ!」
「……は?熱視線?何言ってんだ?」
「今、一心不乱にトレイシーの事見つめてたじゃねえか。さっきも間抜け面でトレイシーの事見て固まってただろうが」
「いや、ただ気付いたら見てただけで…………………………ってなんで俺あいつ見てたんだ?」
「何言ってんだ、お前こそ」
不思議そうに尋ねてくるナワーブに、ウィリアムはいよいよこいつ大丈夫かと心配になる。
呆れ顔のウィリアムは視線の理由を分かって当然という態度なのだが、それにナワーブは益々混乱してしまう。勝手に目線がトレイシーに吸い寄せられていただけで、見ようと思っていたわけではないのだ。
いつもと毛色が違う服だとは思った。目立ってしまうからゲームで益々ハンターに狙われやすいんじゃないかとも心配はした。チビだし、ころころしてるし子犬っぽい奴だとは思っていたけれど、ああしていると華奢な少女なのだと思い知らされる。
トレイシーは不安がっていたが、バラの花もピンク色も彼女によく似合う。他の女を引き合いに出していたが、ウィラの言う通りにあの服はトレイシーの為のものだとナワーブは思う。
大体妖精だなんて、ふわふわと周りを浮遊する癖に、近づこうとすると離れていく性質があいつにそっくりだ。儚い見た目に反して、厄介な性根を隠している所もゲーム中のトレイシーそのままじゃないか。弱々しい見た目と裏腹に、ハンターを翻弄し、諦め悪く粘り、ナワーブですら驚くような泥臭い根性で盤面をひっくり返す。
「あの子、顔しか可愛くない」と苛立っていたのはガラテアだったか。「んな訳ねえだろ」と言い返して、自身が縛られたロケットチェアを殴られた事もついでに思い出したが。
ぐぐ、と眉間の皺を深くしながら考え込んでいるナワーブに、ウィリアムは怪訝な目を向ける。そんな悩む必要がどこにあるのか。答えは簡単な事なのに。
――トレイシーが見たことがないくらいに好みど真ん中の可愛い格好してたから、見惚れてただけの話なんじゃないのか?
ずっと睨む様な目でトレイシーを見つめているナワーブに、心配になったイライがウィリアムにこそりと問いかける。
「ウィル、なんだかナワーブが凶悪な顔になってるけどどうしたんだい」
「今トレイシーから目が離せない理由を考えてるらしい」
「うん?」
「さっきまで興味ないふりしてた癖に、こそこそトレイシー熱く見てっからいい加減にしろって言ったら、なんで俺あいつ見てたんだ?って言い出してさ」
「んん?それって、まさか?」
「あら。この男、自分の気持ちを自覚してなかったの?」
こそこそと囁きあっていた二人の後ろでウィラが声を上げる。如何にも馬鹿にしたような声音だったが、イライが振り返って見たウィラの顔は、実に楽しげだった。
「本物の唐変木じゃないの、本当に駄目ね」
「それに関しては否定する言葉は見当たらないよ」
「右に同じく」
「ふーん?」
ウィラは、すっかりと思考の海に沈んでいるナワーブの頭の先からつま先までをじっくりと観察する。
「まあ、顔は見れる方だとは思うけれど、いつもいつも仏頂面なのはマイナスよね。女性の変化に気付かない、褒める言葉も浮かばない、気は効かないと来ていて面白みの欠片もない。言動も荒いし目つきも極悪、品もいいとは言えない。とても恋人向きではないわ」
ウィラはじろじろと無遠慮にナワーブを見やりながら、辛口の品評をし始める。ウィリアムは何が始まったのかと横目でイライに視線を送るが、イライは肩を竦めるだけだった。
「でも……そうね。トレイシーみたいな子には、このくらいのお堅い男の方が良いかもしれないわ。口下手なのは減点だけれど、このタイプは惚れたら一途でしょうし。まあ合格って事にしてあげてもいいかしら」
「なんの試験だよ、それ。不合格ならどうなんだ」
「そのまま自覚させずに終わらせるだけね」
「恋愛の自由もないんか。俺らには」
高慢な態度で言い切るウィラに、ウィリアムは思わずそう呟いた。――そもそもここの女性陣、漏れなく怖くて俺はそういう対象にできねえけど。
少し引き気味のウィリアムの態度にウィラは鼻白む。鈍感男の為に、一肌脱いでやろうといういう人の親切心をなんだと思っているのか。まあ多少は面白そうという気持ちはあるけれども。それでも応援してやりたいという思いの方が比重はあるのだ。
ウィラはナワーブの正面に立つと、目の前でぱん、と手を打ち鳴らした。
「!」
音に驚いて目を見開いているナワーブに、ウィラは指を突きつける。
「呆けてる場合じゃないのよ、貴方」
「は……?」
「その中身の無い頭をいくら捻っても意味はないわ。貴方、鈍感過ぎるんだから自力で答えに辿りつくのに何年かかってしまうことやら。自己解決なんて到底出来る器用さは無いのに、何を無駄な事をしているのかしら。馬鹿なの?」
「俺、お前になにかしたか……?さっきからやたら当たりきつくねえか」
ウィラは言動に棘のある女性ではある。気難しい性分で、気に入らない相手、特に気の利かない男には殊更厳しいのはナワーブも知っている。それにしたって今日のウィラは虫の居所が悪いのか、いつも以上にナワーブへの対応が荒いように思う。
ウィラはそんなナワーブの問いを鼻であしらい、ぴっとトレイシーの方向を指差す。
「可愛いでしょう。正直に言いなさい」
「は?何を突然」
「黙りなさい。答え以外は聞いていないわ。質問を重ねずに、さっさと答えなさい」
そう詰め寄ってくるウィラに、ナワーブは身を退け反らせ、助けを求めて男二人に顔を向ける。しかしウィリアムは目線を外して知らない振りをしているし、イライは頑張れと無音の声援を送ってくる始末だ。助けに入る気はさらさらない様だ。
仕方なく、ナワーブは「可愛いんじゃねえか」と呟いた。その声は小さかったが、確かに答えを聞いたウィラはにんまりと笑い顔になる。
あんまり、ナワーブとしてはいい予感がしない。ウィラの表情は、飼い猫が玩具を前にした時に見せる顔にあまりにもそっくりだ。よくは分からないが、何か面白がられている事は分かる。
「そうよね、可愛いわよね。きっと誰に聞いてもそう答えるわ」
大仰に頷きながら、ウィラはくるりとイライとウィリアムに向き直る。他人事のつもりでいたウィリアムは、こちらに向けられたウィラの眼光に背筋を伸ばした。
「さ、褒めなさい、貴方達」
「ん?」
「今のトレイシーをどう思うのかって聞いてるの。言葉を尽くして説明してみせて」
「俺らが?そいつじゃなくて?」
「何度も言わせないで、早くなさい」
「ほら、ウィル早く早く」
「えっ、あ、おう」
ぎろりとウィラに睨まれ、イライに脇を小突かれ、ウィリアムは戸惑いながらもなんとか返事をする。流れる様にイライに厄介な役割を押し付けられていたが、それにすら気づく余裕はなかった。
「あー……そうだな。トレイシーが痩せぎすだった頃を思えば、すっかりふくふくつやつやになったもんだなあと。ちょっと前のトレイシーだったらあんな服着てもガリガリで似合わなかったと思うぜ。すっかり肉付きも良くなって、小僧がすっかりと女の子になったなって感慨深いもんがあるわ。トレイシーが花の精なんて、ひまわりとかチューリップになりそうなのにピンクのバラだろ?あの生意気小僧がめちゃくちゃ可愛くなったもんだ。言い寄ってくる男も一人や二人、あれなら余裕で出てきそうだよな」
「ピンクの薔薇の花言葉は温かい心、感謝、幸福、愛の誓いだそうだからね。恋人たちの日にはぴったりの花だよ。可愛らしさという花言葉もあるそうだから、可愛いらしいトレイシーにもぴったりだね」
気取った風もなく、さらりとそんな事を言うイライに、ウィリアムはきゅっと唇を引き結ぶ。――なんで自然体でそんな言葉がぽんぽん出てくるんだ?お兄さん、この子怖い。
「お前、婚約者持ちだからって許される事と許されねえ事があんぞ?イライお前、そんな思わせぶりな態度で痴情のもつれとかで女に刺されるなよ」
「え、僕なんかおかしな事言った?」
異常者を見る様な目をしているウィリアムに、イライは自身の言動を振り返るも、さっぱりと心当たりが思い浮かばない。いつも通りの事しか言っていない筈だ。
イライとウィリアムのやり取りを横目に、ウィラはすっかりと黙り込んでしまった男の顔を覗き込んだ。ナワーブは眉間に皺、とまではいかないものの中々に険しい表情をしている。
自分の顔を眺めながらにやにやとしているウィラに、ナワーブは舌打ちをしたい気分だ。
「なんだよ」
「貴方、そうしてると実はとても分かりやすいのね。知らなかったわ。ねえ、何故そんなに苛立たしい気持ちになっているのか、分かっているのかしら。他の男性にあの子が褒められているのを聞いて、面白くはなかったんじゃない?」
「そんなことは」
「隠そうとしても無駄よ。そんな剥れた顔をしておいて。つまりはやきもちって事よ。なんとも思ってない相手には起きない感情よね」
「…………」
「あとは、どうして目が奪われてしまうのか、だったかしら。それは簡単なことでしょう?ずっと見ていたいと思っているからよ。好きなものはそうなるでしょう。ねえ?貴方トレイシーを見ている間、ずっと顔が赤いことに気付いているかしら?」
「!!」
ウィラの言葉に、ナワーブはフードを引っ張り顔を隠す。やってしまってからとっくに手遅れな事に気付いたが、とてもじゃないが顔を出す気にはなれなかった。
カタツムリのようになってしまった男に、ウィラはうくくと忍び笑う。今までで一番、ナワーブの表情が動いているのではないだろうか。少なくともあのつまらない仏頂面よりは好ましい。
顔を伏せて動かなくなったナワーブの肩を、ウィリアムが叩く。
「で、どうだ?熱視線の理由、分かったか?」
「……お前、知ってたのか」
フードの影から鋭い目をナワーブが向けるも、ウィリアムは肩を竦めるだけで動じない。
「そりゃあなあ。お前気が抜けてる時、本音が顔に出過ぎなんだよ。あのドリームキャッチャー見てる時、お前がどんな顔してたか分かるか?すんげえ優しい顔してんだよ。おんなじ顔でトレイシー見てんだから、気付くなって方が無理だろ。なあ?」
「この子が御守りに悪戯すると、ナワーブ何してても止めに行くじゃないか。毎度毎度、僕らが気がつく前に駆けつけるから本当に大切にしてるんだなって。トレイシーに何かあった時の反応が本当にそのまんまなんだよね」
「………………」
フクロウの頭を撫でながら、そう告げるイライにナワーブは沈黙を返す。言い返す言葉は見当たらなかった。そんなあからさまな行動をとっていたのか。
そこまで皆に詰められて、漸くナワーブは自分の心を理解した。
「俺って、トレイシーが好きなのか……」
「そうなんだよ。つうかお前、今まで全部無自覚でやってたんだな。そこに俺は驚いてる」
「唐変木の称号は甘んじて受け入れるしかないよね」
「ぐっ……」
「あと、自覚したばかりの貴方には残酷な事実として、トレイシーは貴方の恋情に全く気付いていないし、貴方のことをそういう対象として思ってないわね」
「お前、本当に俺に何か恨みでもあんのか?」
「あら、ただ事実を言っただけよ。可能性が無いとは一言も言ってないわ」
「だな」
ウィラは唇に指をあて、くすりと笑う。それはそれは楽しそうだ。
ナワーブとしてはしたり顔のこの女から話を聞くのは腹立たしい。なので、黙ってウィリアムに目を向けた。同じ話を聞かされるならこいつの方が気分的に幾分かましだ。
ウィリアムはナワーブのきつい視線を浴びて、「へえへえ」とさも仕方がなさそうに首を振る。
「あのな、誰も気付かなかったお前の不眠にトレイシーはいの一番に気付いたんだぜ? よく見てる証拠じゃねえか。しかも怖くて苦手なお前の為に、どうにかしようとしてたんだぜ。なーんも興味がなかったらそんな事するわけねえだろ。少なくとも悪くは思われてねえ証拠だ」
「それは、そうだが」
「多分、かっけー兄ちゃんくらいには思われてるだろ。ま、それは俺もだけどよ」
そう言ってウィリアムは得意げに鼻の下を擦る。ちょっと苛立たしい行動だが、ウィリアムの活躍を思えばその評価自体は間違っていないだろう。それはナワーブも認めるしかない。
ナワーブもトレイシーに悪く思われてはいない自信はある。だが、それがどう「可能性」に繋がると言うのだろうか。
首を捻り、眉を顰めるナワーブにウィラはふっと溜息を吐く。
「貴方に尊敬の念を抱いていて、興味もある。それに貴方、態度も一時から比べて大分軟化したもの。それもポイントは高いわ。プラスになっている筈。マイナスの感情をプラスにするのは難しいものよ。トレイシーみたいな子は強引な押しの強いタイプか、包容力がある年上に弱いと思うのね。貴方、唐変木だけど後者なら装えるんじゃないかしら」
「うーん、まあ条件は一応クリアしてるし、頑張ればいける、かも」
「……そういうもんなのか?」
ウィラの「装う」と言う言い方は引っかかったが、しかし可能性がゼロではないと言う事は理解出来た。なら、努力してみるべきか。自覚したからには何もしないではいられない。
ナワーブは表には出さなかったが、一人静かにそう覚悟を決めたのだった。
「まあ、まずその頑張る第一歩として、ナワーブはちゃんと女の子褒められる様になる必要あるけど」
「お前、『いいんじゃねぇか』は褒めてねえからな」
「その硬い表情筋もどうにかしなさいな」
「うっ……」
次々と三人から投げられる駄目出しに、ナワーブはたじろぎ、俯いて拝聴することしか出来なかった。