逆位置の御呪い(ナワトレ)

「……何始めたんだ、お前」
 ナワーブはウィリアムが勝手に自室の壁に釘を打ちつけ始めたのを見て、溜息をついた。こういう時にウィリアムを止めても無駄なことは、この短い付き合いでももう分かっている。それに何より、今は不毛なことで消耗する体力も惜しい。
 ただ、無遠慮な男が腰に何やら怪しい飾りをいくつもぶらさげているのは気になった。
ウィリアムは釘を咥えたまま、白い歯を見せてにかりと笑う。
「まあまあ、すぐ終わるって!」
「まず俺に許可取れよ」
ナワーブのぼやきなんぞどこ吹く風で、ウィリアムは釘を四本、壁に打ちつけてしまう。そして腰に下げていた、民芸品らしき飾りを吊り下げる。
ナワーブは見たことのない飾りだが、どれも紐が花か星の様な形に張り巡らされた輪と、その下に羽根がぶら下がっているのが共通している。
如何にもまじない関連の物品に、ナワーブは嫌そうに眉を顰める。
「なんだこれ?なんの儀式だよ」
「儀式じゃねぇよ、御守り!頑張ってお前の為に作ったんだぞー?カヴィンから作り方習ってよ」
「……お前が作ったのか?この飾りを?」
ナワーブは信じられないという顔で御守りとやらを見つめる。
真円に象られた乾いた枝の内側を、張り巡らされた紐が幾何学模様を描いている。その下にビーズや羽飾りが数本、吊り下げられている。
がさつと不器用が服を着て歩いているウィリアムに、この繊細な飾りが作れるとは到底思えない。
ウィリアムは鼻の下をこすりながら、自慢気に胸を張る。
「俺が作ったのはこっちだけどな!それはカヴィンのだ」
「あ、だよな」
ウィリアムが指したのは四つのお守りのうち、唯一真円から程遠い、涙型をした荒い作りの飾りだった。
悪い出来とまでは言わないが、器用なカヴィン作のお守りと比べてしまえばその完成度は雲泥の差だ。
ナワーブは後二つ、ぶら下がっている飾りに手を伸ばす。
「ってなるとこれも別の奴が作ったのか?」
「そうだぜ、エマとトレイシーだな」
「へえ……」
意外な名前が出たことに、ナワーブは軽く目を見開いた。
トレイシー。機械人形を扱う技師。
臆病で話すことの少ない彼女には、自分はきっと好かれていないとナワーブは思っていたのだ。


――ここのところ、調子が悪い。
それはナワーブにも自覚はあった。原因ははっきりとしている。全く眠れていないのだ。
荘園に来て暫くは何事もなかったのだが、ゲームに連日参加していたせいか、張り詰めた緊張感が戦場での日々の記憶を呼び起こしてしまった。
眠りに落ちると戦場の夢を見る。それが現実か夢か分からなくなるのだ。だから起きても今がどちらか分からない。それが怖くて眠れない。自分はまだあの硝煙が立ち込めるこの世の地獄にいるのではないか、と。
今日のゲームも小さなミスが重なり、大敗はしなかったものの引き分けという結果になってしまった。
それもこれも、寝不足から来る判断力の低下のせいだ。ナワーブはそう感じて歯軋りをする。
ゲートを潜ったのは自分ともう一人だけ。俯いている作業着の少女が、暗い面持ちでナワーブの後ろを歩いている。
ハンターの牽制をしてくれていたウィラは最初に脱落してしまい、イライも通電まで時間を稼いでくれたが、共に脱出することは叶わなかった。
自分が無駄な負傷を負わなければ。暗号解読にあと数秒早く取り掛かっていれば。あと数秒耐えて救助が出来ていれば。
「ちっ」
「っ……!」
苛立ちのままに頭を掻き毟り、舌打ちをする。そうすれば背後で息を飲む気配がするので、しまったとナワーブは思う。
そっと背後を窺えば、目に見えておどおどとしているトレイシー。それにナワーブはまたやってしまったと歯噛みする。
どうも自分はこの若い機械人形の技師に怖がられているらしい。最初にウィリアムと激しく喧嘩をしてしまったのがいけなかったのかもしれない。
別段威圧するつもりのない行動でも、トレイシーは今のように怯えるのだ。自身の行動を悔いているだけで彼女を責めているつもりはないのだが、まるで叱られたかの様な反応をする。
その場に取りなしてくれる相手がいればまだいいのだが、今はナワーブとトレイシーしかいない。非常に気まずい。
なんとも言えない居心地の悪さに耐えきれず、ナワーブは「あー」と声を出す。
「その、俺先に戻っていいか?」
「う、うん。大丈夫だよ。気にしないで」
「ああ、悪いな」
互いに視線は合わせない。ナワーブは足早にその場を後にする。
しかし背後でほう、と息を吐き出すトレイシーに、やっぱり緊張させてたかとナワーブは苦く思う。


ぼーっと壁にかかった御守りを見つめているナワーブに、ウィリアムは話しかける。
「お前があんまり元気が無いんで、寝れてないんじゃねぇかって話になってな。それなら悪夢を祓う御守りを知ってるってカヴィンが言い出して」
「待て、俺が寝れてねえって話はどこから出たんだ」
ナワーブはフードの下からウィリアムを睨み上げた。
体質的に、ナワーブは隈が出来にくい。それにここの連中は生白い肌の奴らが多いが、自分は少し色味が違う。だから寝不足には気付かれないと思っていた。
これでも一応、毎朝洗面台で顔色の確認はしていたのだ。なんたってここには不調にいち早く気づいてしまう女医がいる。ドクターストップなんぞかけられては堪らない。
そうやって上手く隠していたつもりなのに、何故不調が知られているのか。
鋭い眼光を向けるナワーブだが、ウィリアムは全く意に介さない態度でけらけらと笑う。
「そんなん俺が分かる訳ないだろ!舌打ち増えたなーとか、機嫌悪いなとしか思ってねぇ」
「じゃあなんで」
「トレイシーがそう言ったんだ」
「!」
またもや意外な名前が出た。同じゲームに参加する事は多いが、必要最低限しか言葉を交わさない相手。そんな彼女が自分の不調に気付いたと言うのか。
仏頂面がデフォルトのナワーブが目を丸くしてるのを見て、ウィリアムは面白くなる。ニヤニヤとしているウィリアムに、ナワーブは慌てて咳払いをして表情を取り繕う。
「……そんなに分かりやすかったのか?」
「さあ、どうかな」
ウィリアムはそう言って、大袈裟に肩を竦めて見せた。それに関しては、トレイシー当人に聞かねば分からない。


朝は気持ちがいい晴空だったのに、不穏に現れた黒い雲があっという間に空を灰色で埋め尽くし、昼にはすっかり雨模様になった。その為、天気が回復するまで全てのゲームが中止になってしまった。
突然消えた予定に、ゲーム参加者達は銘々で時間潰しを探し始めた。
ロビー待機中にその知らせを聞いたウィリアムは、高揚した気分が為に自室に戻る気になれず、談話室で雨が上がるのを待つことにした。
手持ち無沙汰なのでウィリアムがスクワットをしていると、そこに思い詰めた顔のトレイシーがやって来た。
トレイシーはうろうろと室内を歩き回り、やがてウィリアムから然程離れていない椅子に腰掛けると、物言いたげな目線をウィリアムに向ける。
野良猫の様な行動をするトレイシーに、ウィリアムは苦笑しながら、さも今気が付いたかのように声をかけてやる。
「おう、トレイシーどうした」
「……ちょっと聞きたいことがあって」
「なんだ?」
「あのさ、なんか……私の気のせいかも知れないんだけど、その、サベダーさん、変じゃない?最近」
「ん?変って?」
「なんか、なんだろう。えっと……そう、調子が悪そうって思って」
「んんー?あいつ、ゲームの勝率いいだろ?絶好調じゃないのか?お前いりゃ解読機に触らなくていいって喜んでるくらいだし」
「それは初耳だけど、そういう話じゃなくて。ゲームはいいかもしんないけど、サベダーさんの体調が良くないんじゃないかなって」
「うーん……?そうなんか?」
思い返してみても、ナワーブは普段通りの仏頂面で無口で、何を考えているのか分からないままだ。ただ、機嫌が悪そうだなと思う事は結構あったかも知れない。
ウィリアムの鈍い反応に、トレイシーは憮然とした顔になる。
「もう!気付かない⁈欠伸してる事多いし、うっすら目の下黒くなってるし!寝れてないんじゃ無いかなって思ったの!」
「あいつの目の下まじまじ見れんの小せえお前くらいなんだよな……俺らじゃフードの陰で見えねえって」
そもそも、ナワーブは目つきが悪すぎてそっちが気になる。隈なんぞに意識が向くわけがない。
いくら考えても、ナワーブの不調の兆しに思い至らなかったウィリアムは、トレイシーに視線を向ける。
「お前、あいつの事よく見てんなぁ」
「ち、違うし!偶然だよ。同じゲームになる事多いし、助けてもらう事もとっても多いし。でもゲーム終わった後、負けてないのに不満そうでさ。朝のゲームでも舌打ちしてたから……だからなんかあの人が思ってるような結果じゃないのかなって」
「やっぱよく見てるんじゃねえか」
人差し指同士をくっつけて、そう言い訳をするトレイシーにウィリアムは呆れた顔になる。何も違わないだろうが。
トレイシーは唇を尖らせ、椅子の上で膝を抱える。
「だって、舌打ちされると怖いんだよ、あの人……悪い人じゃないの分かってるし、責められてる訳じゃないのも知ってるけど、なんか自分のせいって追い込んでる気もするし。やっぱり機嫌が悪いのより、良い方が嬉しいし」
「まあ、それは皆そうだなぁ」
トレイシーの言うことも一理ある。それはウィリアムだって同じだ。
ただ、ナワーブが本当に寝不足だと言うのなら、原因は十中八九、戦争トラウマだろう。部屋が隣なので、幾度か深夜にナワーブが叫び声を上げているのをウィリアムは聞いている。最近はあまり聞かないと思っていたが、そもそも寝ていないのかも知れない。
あんまり彼の内情に踏み込むと、ナワーブは壁を作り、踏み込ませなくなる。それが原因で衝突した事があるので、ウィリアムはそれ以来、最低限踏み込んでいいラインについてとても気をつけている。
当たり前だが「お前、戦争トラウマの影響で寝れてないんだろ」などと馬鹿正直に聞けるわけがない。ナワーブが自身のトラウマについて口にしたのも、ゲームの根源に関わる暗号機の解読が、どうにもならなかったので仕方なく白状しただけだ。それがなければそんな事、絶対に他人に教えなかった筈だ。
「気のせいかなって思ったんだけど、でも日に日になんかこう、目が虚になってる事増えたし、顔色もよくないような気がしてくるし。なんか顔が隠れる衣装とかで誤魔化してる気がするし」
「言われてみれば、最近あいつ貰った衣装着てる事多いな。なんか洒落てる気分なのかと思ってた」
ナワーブの高品質の服は大半が目元が覆われている。ウィリアムは眉間に皺を寄せて、空気椅子のポーズで唸る。
あれは小洒落ているんじゃなくて顔を隠してたのか。益々トレイシーの言う事に信憑性が出てきた。
「寝不足かー。それならゲームだけじゃなくて健康にも悪いよなあ。倒れたりしたら心配だしよ」
「でしょ?でも、私サベダーさんに眠れてないんじゃないかーなんてとても聞けなくて」
「ん?なんでだ?言えばいいじゃねえか」
「む、無理だよ!そんな仲良くないし!それに私なんかに言われたら怒るかも知れないし……」
「そーかなあ。お前なら平気そうだけどなあ」
「……あー、お二人さん。ちょっといいか」
それまで、ロッキングチェアに凭れていたカヴィンが体を起こす。
鍔の広いテンガロンハットを顔に乗せていたので、すっかりとカヴィンは寝入っているものと思っていたが、休む体勢になっていただけの様だ。
カヴィンはばつが悪そうな顔でハットを被り直した。
「話が、聞こえてきたもので」
「う、うん。全然いいよ。内緒話してたつもりもないし、気にしないで」
「そうか、ありがとう」
「そんで、どうしたんだ?」
「ああ、ナワーブなんだが、直接不調を問いただせないなら『神頼み』をしてはどうかと思ってな」
「神頼み?」
ウィリアムとトレイシーが不思議そうに問い返すと、カヴィンは白い歯を見せて笑う。
「私の友人の故郷には悪夢を祓う魔除けの御守りがあるんだが、それを彼に作って渡してやるというのはどうだろう」
「御守りだから、神頼みか?」
「そう言う事だ」
「で、でも、それサベダーさんなんだこれって怒らないかな?人に弱いとこ見せたくなさそうだし」
トレイシーが不安気にそう言うと、カヴィンは首を振る。
「いいや、君ら二人ならまずそれは無い」
「なんで?」
トレイシーとウィリアムが二人揃って異口同音で首を傾げる様に、カヴィンは思わず笑ってしまう。
ナワーブの様に警戒心の塊の男は悪意や打算には敏感だ。しかしただの善意や厚意、心配は無碍には出来ない。
無関心を装い突っぱねる事はあるし、行きすぎたお節介には怒るだろう。
それでも悪意ゼロで善意しかないウィリアムの事は鬱陶しそうにしながらも受け入れている。
そしてナワーブは、幼いものにも弱い。中身の強さはともかくとして、か弱く見えるエマやトレイシーには少し態度が柔らかい。無口で目つきが悪いので分かりにくいが、側から見ていれば彼なりに気を遣っている事が分かる。
今の様に「ナワーブがとっても心配」と顔に書いてある二人を無碍には出来ないとカヴィンは思っている。
「プライドの高い男だから、直接不調を問われれば反発もするだろう。だが、ああ見えて付き合いはいいだろう?手作りしたものを拒否はしないと思うぞ。それに、恐らく不調を知られていると分かれば、諦める筈だ」
「諦めるって?」
「ナワーブが顔を隠しているのは十中八九、お医者様から逃げているからだろう。しかし君らにも寝不足を見抜かれていると分かれば、観念してエミリー女史に出頭するんじゃないか?」
「なーるほど。それはいいな!」
ウィリアムは膝を叩いてカヴィンの案に賛同する。トレイシーもそれならば、と乗り気になる。
「その御守りって、どうやって作るの?材料とかは?」
「それほど難しいものでもないさ。ここで手に入るもので作れる筈だ」
「よしよし、だったら暇だし丁度良いな!今からやろうぜ」
ウィリアムはそう言って二人の背を叩いた。


「――とまあ、そんで御守りの材料に枝とか蔓とか使うっていうからよ。庭仕事してたエマに貰いに行ったら何使うんだーって聞かれて、教えてやったら私も作りたいってなってな」
「過程は分かったんだが、馬鹿正直に全部話すんだな、お前……」
カヴィンの目論見も全てそのままぺらぺらと話しているウィリアムに、ナワーブは呆れた眼差しを送る。
しかし腹が立つことに、己の行動を全て読まれている。トレイシーが寝不足に気付いているなら、当然エミリーも気付いているだろう。恐らくナワーブが自分から言い出すか、ドクターストップの手前になるまで様子を見ているだけだろう。これは早めに自首すべきかもしれない。
全てお見通しと白い歯を見せて笑うカヴィンを想像し、面白くない思いだったが、ナワーブは気を紛らわせるために悪夢に効く御守りとやらに目をやる。
カヴィンが作ったという御守りは柳の枝で出来ており、吊り下げられた鷲の羽飾りと木製のビーズの組み合わせがなんとも雄々しい。柳の輪に張り巡らされた紐とその中央にあるターコイズの飾りにナワーブはあるものを連想する。
「蜘蛛の巣、みてえだなこれ」
「お!よく分かったな!蜘蛛の巣にかかった虫みたいに、悪い夢がその網んとこに引っかかるんだとさ。だからドリームキャッチャーって言うそうだ」
「へえ、そのまんまだな」
なかなか面白い考え方だ。最初は胡散臭いまじないかと思っていたが、悪くない。ナワーブは他の飾りにも目を向ける。
ウィリアムが作ったドリームキャッチャーは太めの葡萄の枝で出来ており、力任せに頑張ったが、円に出来なかったのだろう。飾りに松ぼっくりと緑と赤のリボンを使ったせいで、どうにもクリスマスリース感が勝つ。
もう一つ、葡萄の枝で出来ているものがあったが、こちらはちゃんと真円になっている。若草色のリボンを巻き、蜘蛛の巣はレース編みの様な模様になっている。輪に吊り下げられた飾りは空色の房飾りと鴨の羽根だ。全体的に可愛らしい印象を受ける。
「これはどう見てもエマが作ったやつだな……」
「正解。ま、すぐ分かるよなぁ」
「だったら、こいつはトレイシーのか」
ナワーブは一番近くに掛けられていたドリームキャッチャーに手を伸ばす。
棘の少ない、つるバラで出来た大小の輪が二つ、縦に連なっている。輪は白い紐が均一に巻きつけられ、丁寧に束ねられている。上の大きな輪には複雑な幾何学模様に糸が張り巡らされ、ところどころにガラスのビーズが取り付けられている。下の小さな輪の中央には、小型の鏡が糸で下げられ、風で回るようになっている。輪の下には3色の編み紐と金のビーズ、そして見慣れた羽根が吊り下がっている。
ナワーブはその羽根を手に取り、ウィリアムに視線を向ける。
「やけに見覚えがある羽根なんだが」
「イライの梟の羽根だからな。なんかいい効果ありそうって貰いに行ってた」
「あの新人の?あいつら仲良いのか?」
ナワーブの目つきが少しきつくなった。ナワーブが不機嫌になる要素など今までのやり取りでは思い至らないので、気のせいだろうかとウィリアムは不思議に思いながら、腕を組む。
「うーん?まあ、あいつら鈍臭い同士通じるものがあんじゃね?あと同い年らしいし」
「…………誰と誰がだ」
「イライとトレイシー」
「は……?あいつ、そんなガキなのかよ。あの見た目で!」
ナワーブが目を見開いて驚愕していると、ウィリアムも目を閉じて頷く。その反応はウィリアム自身もしたので分かる。
イライは落ち着いているし、謎めいた雰囲気を醸し出しているし、達観した物言いをするのですっかりこちらと似た様な年齢だと思っていたのだ。
それがひょんな会話から二十一歳だと分かり、その場にいた全員が驚かされた。怪しい衣服に誤魔化されていたが、目隠しを取れば確かに少年と言っていい風貌だった。
「驚くよなぁ。しかもあいつ、婚約者もいるらしいし」
「…………相手がいるのか」
「おー。デレデレだったぜ」
ウィリアムが惚気るイライを思い返しながら告げると、ナワーブの吊り上がっていた目元が明らかに緩んだ。
急速にイライの話題に興味をなくしたナワーブは、再びドリームキャッチャーに目を向ける。
トレイシーが作ったドリームキャッチャーは白と茶色、金がメインで色味は一番乏しかったが、飾りは丁寧で繊細だ。素朴な色合いなのも、きらきらと輝くビーズが蜘蛛の巣についた朝露の様にも見えるのも、ナワーブには好ましく見えた。
じっとドリームキャッチャーに見入っているナワーブに、ウィリアムは胸を張る。
「どうよ、気に入ったか?」
「まあ、悪くはないんじゃねぇか。お前のは御守りと言うよりクリスマスの飾りだが」
「年中使えて便利じゃねえか!」
「物は言いようだな。折角だから有り難く貰っとくぜ」
わざわざ外す気も起きないし、そのままでいいだろう。ナワーブがそう適当に返すと、ウィリアムは満足げに鼻を蠢かした。
「お前の部屋、殺風景だしインテリアにも丁度いいだろ。それに、四つも御守りがありゃ、どれか一つは効くかも知れねぇし」
「へぇへぇ、そうだといいな……」
億劫そうな態度を隠さず、投げやり気味にナワーブはそう返す。ありもので作った気休めに効果があるなど、到底思えなかったのだ。
ナワーブのぞんざいな態度を気にも止めず、ウィリアムはご機嫌に夜のゲームに向かっていった。
雨は夕方には上がっていたので、それ以降のゲームは予定通りに再開されている。ナワーブはこの日、夕方までのゲーム予定しか入っていなかったので、もうやる事は特に無かった。
「…………寝るか」
無駄に陽気なウィリアムを相手にしたせいで、なんだかどっと疲れた。ナワーブは部屋から出る気も失せてしまった。
悪夢で起きるだけで、通常の眠気はあるのだ。もう、うたた寝でもいい。数秒でもいいから寝たい。夕飯時と言っていい時刻ではあったが、どうせ起きるならその後食事にすればいい。
格好もそのまま、布団を捲る事もしない。ナワーブがベッドに倒れ込むと、すぐに瞼が重くなる。
――ああ、今なら眠れそうな気がする。
毎晩、同じ事を思うが結局起きてしまうのだが。それでも気休めの御守りに目を向けて、白いドリームキャッチャーを視界に入れたのを最後に、ナワーブの意識は途絶えた。





次にナワーブが目を開いた時、窓の外は真っ暗闇のままだった。
やはり、あまり眠れなかったか。ナワーブは体を起こしながらそう思った訳だが、それにしては何かがおかしかった。
土煙の舞う、いつもの悪夢を見たわけではない。自然に目が覚めたように思う。そして何故だか体が軽い。連日のしかかっていた気怠さや頭痛もない。
「……?」
なにか、妙だ。ナワーブはベッドから抜け出し、窓の外を見る。空は夜の色に染まっていたが、月の位置がおかしい。
振り返って時計を見れば、時刻は三時を指している。寝る前の短針は七の字を指していた筈。つまり八時間は寝ていた事になる。
ナワーブは信じられない思いで、壁にかけられたドリームキャッチャー達を見やる。
「……嘘だろ」
気休めだと思っていたのに、そんなものが効くわけがないと思っていたのに、ナワーブは夢も見ずにぐっすりと寝入ってしまったのだ。
もしかすると不眠を人に知られたから、それならと気張っていたものが緩んだ所為なのかも知れない。それで眠れたのだろうか。
カヴィンの言うところの「神頼み」が信じられなくて、ナワーブはあれこれと理由を考える。考えてはみるが、やはり切っ掛けはこの目の前に並ぶ御守り達にある事実は変わらない。
ナワーブは手近にあった白と金のドリームキャッチャーを手に取る。小さな輪の中できらりと小さな鏡が光る。そこに写る自分の顔は、久々に血の気が戻っている様に見えた。目元も険が取れた気がする。
――神頼みってのも、してみるもんだな。
自身の顔を摩りながら、ナワーブはポツリと呟く。
「夕飯、食いそびれたな」




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