ナワトレ新作2本試し読み

逆位置の御呪い 試し読み

ゲームの待機ロビーに入ったナワーブは、そこにいた先客に足を止める。向こうも部屋に入ってきたナワーブに気付いたのか、緩慢な動作で顔を上げる。
「……おはよ」
「ああ」
眠たげに目をしょぼつかせたトレイシーが、か細い声で挨拶をする。
夜更かし常習犯のトレイシーがこんな早い時間のゲームに参加するのは珍しい。ナワーブもまさかトレイシーに会うとは思っていなかった。
迷ったのは数秒で、ナワーブはトレイシーのすぐ隣の椅子を引いた。そしてそこにどっかりと腰を下ろす。
彼女には聞きたい事もあるし、御守りの礼を言うべきだと思ったのだ。
「!」
トレイシーはナワーブのその行動に軽く目を見開いた。残っていた眠気も吹き飛んだ。
普段の彼であれば、この場合は不必要にトレイシーに近づいてこない。一番離れた所に座って、他の人間が来るまで目を閉じている事が多い。
話しかけてくるな。そう全身から滲み出ているようで、トレイシーもなるべくナワーブの気に障らない様にと静かに仲間達を待つ。
そのナワーブが、わざわざ自分の隣に座ったのだ。これは何かしら自分に用事があるに違いない。違いないのだが、正直にいえばトレイシーはナワーブがちょっと怖い。出来たら二人きりで話すのは遠慮したい。
本人はそのつもりはないのかも知れないが、こっちを見てると睨まれてる気分になるし、ゲーム終わりに舌打ちされるとトレイシーは自分が責められているようで居た堪れないのだ。
機敏に動き、仲間を率先して助けに走るナワーブにとって、鈍臭くてすぐにハンターに倒されてしまう自分などお荷物でしかないだろう。そう思われても仕方がないとトレイシーは思っている。
だから、ちょっとでも動けるようになれればと朝のゲームに参加しようと思ったのだ。
トレイシーはリモコンを弄る振りで手元を見つめながら、早く他の誰かが来てくれることを祈った。
「……なあ」
「!な、なに?」
話しかけられた事にうっかりと声が裏返ったが、慌てて取り繕う。トレイシーが内心ドキドキとしながらナワーブの次の言葉を待つ。
「珍しいな、お前が朝から予定外のゲームにいるの」
「あ……その、ちょっと練習とかしないとなって。最近、足引っ張っちゃってるし」
「は……?」
俯いてそう答えるトレイシーに、ナワーブは片眉を跳ね上げた。
トレイシーが足を引っ張る?二人分の活躍をするこいつが?
確かに少し、ハンターに追いかけられるのは苦手かも知れないが、それを補って余りある恩恵を仲間にもたらしている。
大体、人には得意分野というものがある。ナワーブは兎に角あのゾッとする音を出す機械に触れたくない。その暗号解読を進めてくれるトレイシーの存在は有難い。だから代わりにハンターの前に躍り出るくらい、安いものだと思っている。
どこかしょんぼりとして見えるトレイシーを、ナワーブはジロリと睨む。
「何故、そんな事を?」
「え?」
「お前が足手纏いって言った奴がいるのか」
「あ……えっと」
「誰だ?」
「ち、違う!違くて!」
徐々に眉間の皺が深くなっていくナワーブに、トレイシーはぶんぶんと横に首を振る。ナワーブ本当に顔怖い。目つきも怖い。
ナワーブは何か思い違いをしている様だが、誰かに何かを言われた訳ではない。トレイシーが勝手にそう感じているだけだ。ただ、「何故そう思ったのか」と聞かれれば、その原因は目の前にいるのだが。
ナワーブは眉間の皺こそ消えたものの、探るように目を細めている。
「違うなら、なんで急にそんな事を気にし出したんだ。お前、戦績も悪くはないだろうが」
「あ、や、その!サベダーさん、ちょっと前にとっても強くなったし、最近みんなを助けに行く事もぐんと増えたでしょ。だから、私走るの苦手だし、迷惑かけない様に頑張ろうかなーと」
モゴモゴと申し訳なさそうにしているトレイシーに、ナワーブは呆れて溜息をついた。倒されても拘束されても、機械人形で仕事をしてる奴がよく言う。
ナワーブは新しく荘園に来た者達が、動けない主にお構いなしで稼働し続ける機械人形に驚いている姿を見ている。何度も何度もだ。特に初見ハンターの反応が面白い。
そんな事が出来るのはトレイシーだけだ。それに、トレイシーはゲームにいるだけで仲間の解読力を上げるのだ。これだけ貢献しているのに、迷惑とは。
なぜこいつはこんなにネガティブな考え方をするのだろうかとナワーブは頬杖をつく。トレイシーは手の中のリモコンを弄りながら、身を小さくしている。
「お前の運動神経じゃ、頑張ってどうにかなるもんでもねぇだろ」
「そうなんだけど、でも、でもサベダーさん最近あんまり思ったようなゲーム出来てないんじゃないかなって。昨日も不機嫌そうだったし……」
ナワーブはトレイシーの言葉にフードを掴み、深く被り直す。図星を突かれたのだ。
顔を隠し、見た目の寝不足は誤魔化せても、ゲームの不調は誤魔化せていなかった。避けられた負傷、誤った一瞬の判断。後から後から、こうしていればという思いが湧き上がる。
「だから、ちょっとでも私も頑張って舌打ちされる回数減らせればなーって」
「あれは俺のせいだから意味ねぇぞ」
「え?」
ナワーブは卓上に組んだ手に、鼻の頭を押し付けた。――あれはお前にではなく、俺の不甲斐なさに出た舌打ちだったんだが。
こっそりとトレイシーを見れば、手元のリモコンを握り込んでじっと息を潜め、縮こまっている。まるで、巣穴に隠れた小動物だ。
そうか、こいつがこんなに俺に萎縮してんのは俺の普段の行動が原因か。まさか、トレイシーが自分が責められていると解釈していたとは。
ナワーブは今まで、自身より若く幼い存在と接する機会は少なくはなかった。弟妹もいたし、兵役時代もそうだった。しかしトレイシーの様な酷くか弱く臆病な存在は初めてだ。
今度から舌打ちに気をつけよう。こいつのいない所でするようにしよう。ナワーブはそう反省する。
ナワーブは出来る限り、なるべく穏やかに聞こえる様にトレイシーに話しかける。
「なあ」
「な、なに?」
「蜘蛛の巣の飾り、なんだったか……ドリーム何ちゃらっての、作ってくれただろ。お前ら」
「え、あ、うん。ドリームキャッチャーね」
「悪夢を捕まえるんだったか。すげえ手が込んでたから礼を言っとこうと思ってな」
「へ……」
トレイシーはぱちぱちと目を瞬かせる。ぽかんと口を開いてこちらを見る顔はどこか幼く見える。
まさか礼を言われるとは思っていなかったのだろう。だからってそんなに驚くことは無いんじゃなかろうか。
トレイシーはナワーブの気まずげな雰囲気を察してへらりと笑い、手を振る。
「あはは、喜んでもらえて嬉しい。作り出したらみんなついつい気合入っちゃって。私も自分の趣味に走っちゃったんだけど」
「そうか。でもお陰で、よく寝れたぜ」
「……………………え。ええ⁈本当にあれ効いたの⁈」
がたりと椅子を蹴倒してトレイシーは立ち上がった。「神頼み」とういのだから、当然作ったトレイシーだって御守りは気休め程度にしか考えていなかったのだ。
非科学的な、とかそんな事を言うつもりはないが、まさか本当に悪夢に効くなんて思って作ってはいない。
ナワーブはトレイシーのその反応にふく、と笑ってしまった。お前も信じてなかったのかよ。
「効いたかどうかは分からねえな。お前らの面白い『神頼み』に気が抜けただけかも知れねぇし」
肩を震わせているナワーブに、トレイシーは取り繕うように咳払いをした。椅子を立ててそこに座り直すとむっすりとした顔で肘をつく。
「別に、本当にお守りが効いたと思ったわけじゃないし!病は気からって言うし、カヴィンだってそう言ってたからね。サベダーさんが寝れたならいいけど、ちゃんとエミリーに診てもらった方がいいよ」
「……ああ」
トレイシーがカヴィンの名を呼んだので、ナワーブは片眉を跳ね上げた。
――おかしい。昨日まであいつも「アユソさん」呼びだったのに。
いつの間にかカヴィンはファーストネーム呼びな上に、呼び捨てになっている。それになんだか、トレイシーの話振りから察するに、とても親しげに感じる。
ナワーブはそれが面白くなかったが、表立った態度には出さなかった。
「そうだな。お前に不眠が見抜かれてたなら、先生にも俺の不調は筒抜けだったろうし」
「うーん、そうかも?ウィリアムは気付いてなかったけど、エミリーなら気付いててもおかしくないよね」
「俺としては上手く隠せてると思ったんだがな……」
「サベダーさん、最近欠伸多いし、反応ちょっと変だったし。あと、目元隠しても無駄っていうか……ほら、イライも目隠ししてるけど、顔色は見えてるでしょう?」
トレイシーの口から「イライ」と出たことで、ナワーブは眉間にぐっと皺を寄せた。
ついこないだまでイライも「クラークさん」と呼んでいた筈なのに。いつの間にかこちらもファーストネーム呼びになっている。
――俺だけずっと、ラストネーム呼びで他人行儀なのはなんでだ。
ウィリアムは自分と違って陽気だし、コミュニケーション能力も高いし、面倒見もいい。最初からトレイシーもウィリアムには懐いていたから、彼らが親しげなのは仕方がないと思っていた。
ナワーブは、自身がお世辞にも親しみやすいとは言えないタイプなのは自覚している。トレイシーが自分に対してはどこか緊張していてぎこちないことも知っている。
だが、後から来た連中とは次々と打ち解けるのに、いつまでも自身へのその態度が変わらないことは不満に思っている。
上流階級らしさの滲み出る、とっつきにくい雰囲気のフレディやセルヴェに対しては分かるが、もう少し自分には馴染んでくれてもいいのではないのか。
舌打ちが多いせいか。睨んでいるつもりはないのだが、目つきが悪いのか。それとも口数が少ないのが怖いのだろうか。黙っていると怖いとはよく言われるが。
何が悪いのかと考え込んでいるナワーブの眉間に皺が寄る。俯けばフードの端から鋭い眼光しか見えなくなる。こうなると、もうトレイシーには話しかけられる雰囲気ではなくなる。
今の今まで和やかに話していた筈なのに、ナワーブは黙り込んでしまうと、こうだ。何を考えているか分からないから、怒らせてしまったのかと不安になる。
――やっぱり怖いんだよなあ、サベダーさん……
テーブルクロスの皺を見つめて、トレイシーは誰か来て欲しいと切実に願う。そろそろこの空気の中に二人きりなのも限界だ。
もうこうなったらハンターでもいい。訪問して欲しい。今ならどんな恐ろしい姿のハンターでも、拍手で出迎えられる自信がトレイシーにはあった。
「トレイシー」
「ふひゃ!」
ハンターの椅子と、出入り口ばかりを気にしていたトレイシーは名前を呼ばれた事に驚いて、妙な悲鳴をあげてしまう。
「ふひゃ?」と訝しげな顔で繰り返すナワーブに慌てて背筋を伸ばす。変な声が出た事は忘れて欲しい。
「な、なに?」
「……これを当人に聞くのはどうかと思うんだが、何が悪いのか教えて欲しい」
「悪いって……な、何が?」
「俺が怖いんだろう、お前」
「っ!」
ナワーブがちらりと視線を向ければ、トレイシーは青褪めた顔でうろうろと視線を彷徨わせる。まるで猟犬に追い詰められたリスの様だ。
如何にも小動物っぽいもんなあこいつ。ナワーブはそう考えながら、テーブルに片肘をつく。
「うん?」
「あの……えっ、と……」
「責めてるわけじゃねえよ。ただ、どこが悪いのか聞いてんだ。俺には何が原因か、さっぱり分からねえから。お前とは同じゲームになる回数も多いのに、一向に馴染まないのは大方俺のせいだって事だけは、感じてる……」
そう自身で言いながら徐々に項垂れ、語尾が小さくなっていくナワーブにトレイシーは目を瞬かせた。この元軍人は他人に興味ない冷たいタイプと思っていたのだが、どうやらトレイシーの態度に落ち込んでいるらしい。
トレイシーは慌てて首を横に振る。
「ち、違うよ。サベダーさんが悪いとかそういう訳じゃ……」
「じゃあ、怖くねえのか?今すぐこの場から逃げたそうに見えるんだが」
「うっ……」
中々に痛い所を突いてくる。逃げるまでは行かないけれど、二人きりは辛いと感じていたのは事実だ。トレイシーは、つい小さく呻いてしまったのを咳払いで誤魔化した。
挙動不審な少女に、ナワーブは困ったように眉尻を下げる。
「お前、わかりやすいな」
「だ、だって!なんで急にそんなこと言い出すの、サベダーさん……」
「それだ、それ」
「え?」
「なんで俺だけずっとラストネーム呼びなんだよ。ずっと俺にだけ壁がある気がするんだが」
「あ、えっと。その、馴れ馴れしくされるの嫌なのかなって。最初、そう言ってたから」
「……………………そうだったか?」
ナワーブは記憶を辿るが、そんな事をトレイシーに言った覚えは無かった。しかし、自分が覚えていないだけで何かそう思わせるような発言があったのだろうか。
首を傾げているナワーブに、トレイシーはぼそぼそと小さく言葉を続ける。
「ウィリアムに言ってた……馴れ馴れしくするなって。お前らと不必要に馴れ合う気はないって。お仲間ごっこなら勝手にやってろって」
「………………………………」
ナワーブは黙って組んだ手の上に額を押し付けた。
――言った。それは確実に言った。
ここに来たばかりの頃に、お節介なウィリアムと激突した時に出てしまった言葉だ。言われた当人は全く聞く気もなければ本当に忘れている筈だ。
あの頃は、こんな荘園にいる連中なんて信じられるかと全員が余所余所しい態度を取っていた時期だ。コミュニケーション能力が突き抜けていたウィリアムとエマがその状況を改善してくれたが、その中でもナワーブは特に頑なだった。
一時期はこいつ殺そうかと考える程に、ウィリアムを鬱陶しく思っていたのだ。当時はそれは酷い態度だった。
それでもめげなかったウィリアムに、ナワーブの方が折れた。こいつなら仕方ないと思うようになって、今に至る。
何があっても「ま、気にすんなよ!」とにっかり笑う男なので、ナワーブもそういうもんかと思うことにしたのだ。
――まさか、過去の自分の言動を真剣に受け止めてしまった人間がいるとは。
ナワーブは過去の自分を恨みながら、どう言い訳をしたものかと思考を巡らせる。
「あー、あのな……あれは、勢いで出た言葉であって、気にしなくていいと言うか。そもそも言われたウィリアムがあれなんだぞ。お前にそんな事言わねぇよ」
「そ、そうなの?でもサベダーさん、私なんかに名前呼ばれて嫌じゃない?」
「なんでそんな事思うんだ」
暗い表情でそう言うトレイシーに、ナワーブは顔を顰めた。
「私なんか」と自分を卑下するトレイシーが、ナワーブには面白くない。いくら自分の人相が悪いからって、そこまで萎縮しなくてもいい筈だ。
「俺は仲間に壁作られる方が悲しい」
「え……」
ナワーブの言葉に、トレイシーは呆気に取られた顔になる。ナワーブはトレイシーのその反応に、フードを引っ張り目元を隠した。
今更ながら、気恥ずかしい事を言ってしまったと思ったが、どうせなら全て言ってしまおうと覚悟を決める。
「俺に言わせりゃ、あまりにも他の奴と俺への態度が違うから、お前に嫌われてんのかと思ってたんだが」
「そ、そんな訳ないじゃん。いっつも助けてもらってるもん。感謝こそすれ嫌う訳ない」
「でも怖がってるだろ」
「それはそうだけど!」
「勢いよく肯定したな……」
「だ、だって、サベダーさんいっつも怖い顔してるし、目が怖いし、舌打ち怖いし、何考えてるか分かんないし、黙ってて怖いし、いるだけで怖いし!」
「遠慮無しで言うな、お前……」
ナワーブはトレイシーからの「怖い」の連呼に、少しだけ気分が落ち込んだ。
怖がられてるのは分かっていたが、いるだけで怖いと思われてたのか。
しょんぼりとしているナワーブだったが、普段動かさないせいで表情筋が死んでいるのでトレイシーはその変化には気づかなかった。
「足手纏いならいない方がましだって言ってた……」
「セルヴェに対してな。高飛車な態度に腹が立ったもんで」
「俺のやる事に口出しするなら役に立ってからにしろって言ってた」
「言い争いになった時にマーサに言ったやつ。なんでそんな事まで覚えてんだ」
「俺に構うなってよく言ってた……」
「お医者先生にな。今は絶対言わねえよ」
怪我を心配するエミリーに反抗した結果、笑顔で消毒液をぶっかけられたものだ。あの先生の恐ろしさは、今はナワーブも身に染みているので絶対に逆う気はない。
ナワーブが刺々しかったのは最初だけで、ゲームを通して仲間意識ができてしまった後は、態度も軟化していった。
始めはゲーム中も独断で動いていたナワーブがマーサやウィリアムの様に仲間を助けに動く様になり、後から来たメンバーは口数の少ない無愛想だが仲間思いの男とナワーブを認識する様になった。
だが、ナワーブの最初の態度の悪さを見てしまったせいで、トレイシーにはすっかりと「ナワーブは怖いもの」と刷り込まれてしまっていたらしい。
身から出た錆とはいえ、当初の自分の行動に首を絞められることになるとは。ナワーブはどうしたものかと途方に暮れる。
「こ、怖いのは怖いけど、サベダーさんが悪い人じゃないのは分かってる。分かってるけど……それに今更過ぎて呼び方変えるのも変かなあって。なんでサベダーさんも突然そんな事言い出したの。何も興味なさそうな鉄仮面みたいな顔してるからそんな事どうでもいいと思ってるもんだと」
「勢いでずけずけ言うな、お前。今更とは言うが仕方ないだろう、気になったんだ。嫌われてるなら仕方ないと思ってたんだが、そうでもないようだから思いきって聞いてみたんだ」
普段からは考えられないほどに饒舌なナワーブに、トレイシーはただただ目を丸くする。ナワーブとこんなに会話をした事もないが、見ている限りでもナワーブは短くしか言葉を発さない印象があった。
ナワーブは動きの鈍い自分の事は眼中にないか、足手纏いと思ってるとトレイシーは考えていたのだ。まさか壁があると落ち込まれたりするとは思っていなかった。
怖い怖いとは言ってしまったが、最初から単独で動き、強いナワーブはトレイシーの目にはとても格好良い人間に見えた。
逆立ちしてもナワーブの様にはなれないのは仕方ないが、だからこっそりと憧憬を覚えてトレイシーはよくナワーブを見ていたのだ。その為に彼の不調にも誰よりも早く、気付くことが出来た。
そのナワーブに、「仲間」と言われた事が少し嬉しい。トレイシーはむずむずとした思いが抑えきれず、テーブルの下で膝を擦り合わせる。
「それで、お前の誤解は解けたって事でいいよな?」
「え?ああ……うん」
「だったら、分かるよな」
テーブルに片肘をつき、トレイシーに体を向けたナワーブはすっかりと「待ち」の体勢だ。表情は変わっていないのに、どこか楽しげな空気を感じる。
トレイシーはぐうと口の中で唸り声を押し殺す。ナワーブが何を期待しているかは分かる。分かってはいるが、「さあ呼べ」と言わんばかりの態度をされると非常にやりにくいものがある。
「えっと……ナワーブ、さん?」
「ダメだ、やり直せ」
「えええ……」
「やり、直せ」
頑張ってトレイシーがファーストネームで呼んだのに、ナワーブはまだ気に入らないと言う。むすりとした顔でやり直しを要求される。敬称がついているのが嫌なのか。一応トレイシーなりに尊敬の念を込めたのに。
トレイシーが俯いていると、頬に痛いほどの視線を感じる。呼ぶまでナワーブに引く気はないのは分かった。分かったけどちょっと勇気を溜める時間がトレイシーには欲しい。
トレイシーは息を吸い込み、か細く息を吐き出すと、きゅっと口を引き結んだ。
「ナワーブ」
「………………」
名を呼ぶだけで、何故そんなに緊張するんだか。意を決した面持ちのトレイシーに、ナワーブは苦笑いを浮かべる。
それでも他人行儀な呼び方から変わったことにホッとする。ちりちりと感じていた疎外感が薄れた思いだ。
「うん、その方がいいな」
「サベ、ナワーブがいいならいいけどさあ……」
「早く慣れろ」
また元の呼び方に戻りかけるトレイシーに、ナワーブはふく、と笑う。
まだ少しぎこちないが、それでも壁は取り払われたと思える。



〜中略〜



トレイシーの肩をそっと掴み、メリーはウィリアムとナワーブの方向に彼女を押し出した。
「エリスさん、お衣装のお披露目中に来てくださったトレイシーさんを放置して、サベダーさんとのお話に夢中になるのはどうでしょう」
「あー、そうだった!悪い悪い、つい」
「は?トレイシー?」
ナワーブはウィリアムの宝物発言を否定する事に夢中になっていて、背後にトレイシー当人がいる事に気付いていなかった。
まさか、今の会話聞かれてないよなと内心慌てながら、自然な動作を装ってナワーブは後ろを振り返る。
「急げって言っておきながら、もう!」
「急いでたのは本当だったんだって!でもほら、フクロウも無事だったし。な?」
「それはいいけど、それで私に直して欲しいものってなんなの?」
「ああ、それはこの」
ウィリアムが話しながら、ナワーブの手からドリームキャッチャーを取ろうとする。しかし、ナワーブがしっかりと掴んでいた為に動きが止まる。
別に奪いやしねぇよ、とウィリアムが揶揄うつもりでナワーブに視線を向けると、ナワーブはどこかぼんやりとした表情でじっと一点を見つめている。
「ナワーブ?」
「…………………………」
「おーい」
「…………………………」
「おいって」
ウィリアムが呼びかけても、目の前で手を振ってみても、ナワーブは動かない。ただただ一点――トレイシーを無言で見つめている。
ウィリアムは無反応なナワーブに眉を顰めた。
「固まっちまったよ、こいつ」
「具合でも悪いのでしょうか?」
トレイシーは様子のおかしいナワーブも気になったが、それ以上にウィラの言う「ナワーブの宝物」が気になって仕方がなかった。
なので、微動だにしないナワーブの手元を伸び上がって覗き込んだ。
「あ!」
ナワーブが両手でしっかりと持っていたのは、不眠の彼の為にと大分昔にトレイシーが作ったドリームキャッチャーだった。
――これ、まだあったんだ?って、まさか宝物ってこれの事?
トレイシーはじわりと湧いてきた感情に、思わず口を両手で覆う。これは、予想していなかった。本当に嬉しい。
ドリームキャッチャーを作ったこと自体は、記憶の彼方ではあったけれど、あの時にトレイシーとナワーブの距離感が変わった事は忘れてない。その時の品を、不要になった後もこうやって大事に保管してくれてたのか。トレイシーには大切な変化だったけど、ナワーブもそう思っててくれたのか。これが喜ばずにいられるか。
ナワーブは仲間を大事にする人だと思う。その中に自分も入っているのだと改めて感じられて、擽ったいような思いだ。
けれど、ウィリアムの言う通りにドリームキャッチャーは輪の部分の留め具が外れ、形が崩れてしまっている。羽飾りもところどころ欠けてしまっている。
これは修理、いや補強が必要かも。放っておけばどんどんと崩れていってしまうはずだ。トレイシーはドリームキャッチャーを握り込んでいるナワーブの手に触れる。
「ナワーブ、これ直せばいいんだね?」
「……………………」
「ナワーブ?ねえ?」
無反応なナワーブを見上げると、どこかぼんやりとした目をしている。まさかまた、寝不足じゃないだろうなと疑ったトレイシーは、ナワーブの顔に手を伸ばす。
「っ!は……」
トレイシーの手が届く前に、目を見開いたナワーブが勢い良く身をのけ反らせ、よたよたと数歩後退った。突然バネ人形のような動きをする傭兵に、ウィリアムもトレイシーも目を丸くする。
ナワーブはぐっとフードを深く被り、一度顔を伏せた。そうして顔を上げるといつも通りの分かりづらい表情に戻っていた。じっとこちらを見てる面々を見渡し、眉頭を寄せる。
「……なんだ」
「なんだはこっちの台詞だぜ。お前、さっきから変だぞ」
「ええ。具合でも悪いのかと」
「いや、なにもない」
「ねえナワーブ、御守り飾り直すから手離して」
「っ……わ、かった」
ウィリアムとメリーには至って普通の受け答えをしていたのに、トレイシーが相手になると途端にぎこちない返答になるナワーブに、一人離れた位置にいたウィラは口角をこっそりと吊り上げた。
――分かりやすい男だこと。
表情は保っているが、妖精姿のトレイシーを視界に入れないように妙な動きになっているのがとんちきだ。先程まであれだけトレイシーを凝視していた癖に、それで誤魔化せたつもりなのだろうか。
トレイシーはそんなナワーブの異変に気づく事はなく、すっかりと目の前の修繕対象に意識が向いてしまっている。ドリームキャッチャーを手の中でひっくり返し、じっくりと観察を始める。
「どうだ?大分崩れてるけど、直せるか?」
「んー、留め具がなくなってるけど、直すだけならそんなには。でも、ちょっと手を加えたいかなあ。羽根もボロボロだし」
「それはこいつのせいだな」
ウィリアムが肩に乗っているフクロウに顔を向けると、僅かに首を引っ込めるような動作をしている。身を小さくしているつもりなのかもしれない。
そんなフクロウの頭をトレイシーは指先で撫でる。フクロウも反省しているようなので、それ以上責める気にはなれなかった。
「修理、これ新しい具材必要になるね。あとペンチとハサミとか。私、一度取りに」
「その必要はないよ」
トレイシーの言葉を遮ったのはイライだった。両手に籠を抱えており、それを持ってにっこりと微笑む。テーブルに置かれた籠の中身を見れば手芸道具や工具、ビーズとトレイシーが欲していたものが入っている。
「お待たせ。修理に必要かと思って色々集めてたら少し時間がかかってしまったよ」
「おー、流石!気が効く!」
「急がないとこの子食べられちゃうんじゃないかとちょっとだけ思ったけどね……」
「フクロウは食わねえって言ってるだろうが」
眉間に皺を寄せ、ナワーブはそうぼやいた。そもそも俺は怒っていないというのに、なぜこいつらはいらない心配をしているのか。
ウィリアムから相棒の肩に落ち着いたフクロウは、ようやく定位置に戻れた事に安心したのか「ホッホッ」と鳴いている。イライもそんなフクロウの嘴を掻いてやる。
「あと、これもいるかなって」
ごそごそとイライが服の下から取り出したのは羽根の入った瓶だった。自然に抜け落ちたフクロウの羽根をイライが集めたものだ。何に使うわけでも無いが、形が綺麗なので取っておいているのだ。
トレイシーは瓶を掲げて顔を輝かせる。
「わー、ありがとうイライ!」
「この子があんまり啄むから、羽根飾りが寂しくなってたしねぇ。ところでトレイシー、その新しい衣装素敵だね。とっても可愛い妖精さんで、バレンタインにぴったりだと思うよ」
「そう?ありがとう。『枯れない花』って言うんだって」
「だから機械仕掛けなんだね。そこもトレイシーらしいよ」
気の利く男イライは、トレイシーの新衣装を褒める事も忘れない。はにかみながらもお礼を言うトレイシーに、ウィリアムはナワーブの方にこっそりと視線を向けた。
イライに引き換え、こいつと来たら女性の服に対してうんともすんとも言わない。――そういうところが駄目なんだぞ、お前。
近くで見てればナワーブの態度がトレイシーに対してだけ温度が違う事くらい、ウィリアムでも気付いている。それが恋愛なのか親愛なのかまでは分からなかったが、この様子だと恋愛の方で間違いないだろう。だったら、イライの十分の一でいいから女性に対する接し方を学んだ方がいいんじゃないだろうか。
トレイシーはバラの花びらを彷彿とさせるスカートを摘み、頬を掻く。
「ピンクなんて普段着ない色だし、私なんかに合うかなって思ったんだけど」
「何を言っているの、貴女は。この白い肌に薔薇色の頬に金髪!似合わない色があるはずがないでしょう」
「それは言い過ぎだってば。私にバラだよ?ド派手な美人のマリーとかウィラなら分かるけど」
「ド派手は、余計よ」
「うにっ」
失言により、またもやウィラに頬を摘まれたトレイシーはじたばたと両手を振り回してメリーの後ろに隠れる。たおやかな雰囲気であまり目立たないが、メリーはとても体格が良いのでこう言う時に盾にするのにうってつけだ。
トレイシーはメリーの背後からひょこりと顔を出す。
「うう……ともかく、私には不相応って言うか」
「そうかぁ?可愛いんじゃね?なあナワーブ」
「は?なんだよ」
ウィリアムが声をかけるも、ナワーブは話を聞いていなかったのか、自分に振られると思っていなかったのか、面食らった様な態度だ。
こいつは本当によお、と呆れながらもウィリアムはこれは俺がどうにかしてやらないと駄目だという謎の使命感に駆られ、トレイシーを顎でしゃくって示す。
「あれ似合わねえかって。お前どう思うよ」
「…………悪くはねえんじゃねえか」
トレイシーを一瞥して、ふいと視線を逸らす。素っ気ない態度のナワーブに、この野郎とウィリアムは脛を蹴り飛ばしてやりたい気持ちになる。――もう少し、素直に興味を示せっての!
このナワーブの失礼な態度、相手が他の女性だったらあからさまに不機嫌な対応になる筈だ。そこにいるウィラなんて、足を踏むくらいの事はされるに違いない。
今だっていの一番に文句を言ってきそうなものなのに、何故かウィラは静かなままだ。疑問には思ったが、下手に突いて藪蛇になっても困るのでウィリアムは黙っている事にする。
「ふふっ」
苛立つウィリアムとは裏腹に、トレイシーはにこにこと嬉しそうにしている。自身の服に触れて、くすくすと笑う。
「ナワーブが言うなら、そうなのかな。ナワーブはお世辞とか言わないもん。ね?」
「……ああ、いいんじゃねえか。色も花も。おかしくねえし」
「そっかあ、良かった!」
「っ、おう」
頑なにトレイシーの方を見ないようにしていたナワーブだったが、直接当人に話しかけられて無視は出来ない。仕方なく向けた視線の先で、トレイシーがにぱっと笑う。ナワーブは不自然な勢いでぐりんと首を横に向けた。
トレイシーはそんな挙動不審なナワーブには全く気付いていない様子で、テーブルの上にドリームキャッチャーを広げて椅子に腰掛けた。
「じゃあ、これちゃちゃっと直しちゃうから待ってねー。ちょっと補強するついでに格好良くしちゃおう」
「トレイシーさん、先程御守り飾りと言ってましたがこれはどういうものなのでしょう?」
「これはねー、ドリームキャッチャーって言って、蜘蛛の巣をイメージしてて」
「蜘蛛の巣。それは興味深いですね」
ドリームキャッチャーの修理を始めたトレイシーは、メリーと会話しながらも手元に集中している。
そうなった途端に、先程とは打って変わって妖精服のトレイシーを食い入るように見つめているナワーブに、ウィリアムはつかつかと歩み寄ると真横から肘で一撃を加えた。
「ぐっ、何しやがる」
「こっちのセリフだわ。お前なあ!捻くれてるのもいい加減にしろよ。こっそりそんな熱視線向けるくらいなら素直な感想言うくらいしろっての!ムッツリめ!」
「……は?熱視線?何言ってんだ?」
「今、一心不乱にトレイシーの事見つめてたじゃねえか。さっきも間抜け面でトレイシーの事見て固まってただろうが」
「いや、ただ気付いたら見てただけで…………………………ってなんで俺あいつ見てたんだ?」
「何言ってんだ、お前こそ」
不思議そうに尋ねてくるナワーブに、ウィリアムはいよいよこいつ大丈夫かと心配になる。


〜中略〜



※アンソロと同時系列

丸めた手の甲で扉を二度ノックする。
「……………………」
室内からの反応はない。しかし人が動いている気配はするので眠っているわけではなさそうだ。ナワーブは少し間を開けて、もう一度ノックをする。
が、やはり返事はない。返事はないが、起きているならこちらに気付いてはいる筈。こんな時間に下手な居留守をするはずもない。
「トレイシー」
「!」
「寝てるのか?」
「お、起きてるよ!」
ナワーブが呼びかけるとがたがたと騒がしい音の後に、扉が開け放たれる。
飛び出して来たトレイシーは髪は乱れ、顔にはくっきりと布の皺の様な跡が残っている。トレイシーの体越しに散らかりっぱなしの作業机、シーツがくしゃくしゃになった寝台と、おかしな窪みが見える。
もう一度確認したトレイシーの顔は青白く、目の下の隈もより濃くなっている。
これは、と思ったナワーブはトレイシーの胸に炭酸水の瓶を押し付けると、半ば強引に室内に入り作業台にまで足を進める。
作業台をざっと見渡せば、不自然に壊れたパーツの山が出来上がっている。ゲーム中に壊れたものではなく、組み立てている最中にトレイシーの不注意で破損させたもの達だ。普段の彼女ならあり得ない。
椅子の座面に触れれば冷え切っている。トレイシーの体温は高いので、長いこと座っていればこうはならない筈だ。
大方、作業中に耐えきれずに寝台に倒れ、うたた寝をしていたという所だろう。
トレイシーは常日頃、床でも机でも待機所のロビーでも、どこでも構わず眠ってしまう。場所も時間も問わず、眠れる時に眠って睡眠不足を補おうとするのだ。
そのトレイシーが、こんな酷い不眠状態になっているのはナワーブも見たことがない。
横にならずに眠れる少女が、作業中にも関わらず全てを放り出して寝台に倒れ込む。これはナワーブにも覚えがある。過去の悪夢に苛まれ、不眠になった時に同じことをしていた。
眠れないのに体が休息を求める。耐え難い疲労に体だけでも休まりたくて、眠れないと分かっているのについついしてしまう行動だ。
――やっぱり、こいつも俺と同じ様に眠れてねえのか。
部屋を訪ねたのは正解だったかもしれない。このままではトレイシーが倒れるのも時間の問題だ。
ナワーブはおどおどしているトレイシーの顔を見つめ、どう話を切り出したものかと思考を巡らせる。
何故不調を言わないのかと臆病な少女を責め立てても仕方ない。そんなことでどうにかなるものではないことは、ナワーブが一番よく理解している。
だから一つ一つ、なるべく穏やかに聞こえるように。ナワーブが気付いた事実を伝えていくことにする。ずっと様子がおかしかったこと、トレイシーらしくない行動をしていること。
ナワーブのその指摘を、トレイシーは最初認めようとしなかった。「うっかりしてただけ」「うたた寝なんていつもの事」とへらりと笑って誤魔化そうとする。その、如何にも無理をしている姿が痛々しい。
何故そんなに頑ななのかと不思議に思いつつ、ナワーブは話を続ける。そうしているうちに見えて来たのは、どうにもトレイシーは「ナワーブに」意地を張っている様なのだ。
――なんだろう、この感じ。物凄く覚えがあるんだよな……
なんだったっけかと記憶を探り、一人でなんでも出来ると息巻いて、大人の手出しを意地を張って断っていた幼い弟妹の姿を思い出す。
そこでナワーブはピンと来た。
――もしやこいつ、俺に子供扱いされてると思ってるのか。
今の今までナワーブからすれば、トレイシーを子供扱いしているつもりは毛頭無かったのだ。ただただ、トレイシーの体調不良を心配していただけだ。
口調が穏やかになるようにとナワーブが心掛けていたのが、幼子に対するものと同じと受け取ってしまったのかもしれない。
ナワーブはその誤解を解くために、少し切り込んだ質問を投げる。
「トレイシー、なにか寝たくねぇ原因があんのか?」
「……………………………………」
「トレイシー」
だんまりを決め込むトレイシーに、ナワーブは身を乗り出した。
「もしかして、夢見が悪いのか?」
「!」
「当たりか」
当てずっぽうに、自分の不眠の原因をナワーブが口にすればトレイシーがびくりと体を揺らした。



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