犬って被るものだっけ?

ルカはトレイシーにとって、本当に先が読めない男だった。
あんなに強引に人を友達にしておいて、翌日には真面目腐った顔で「友人同士とはなにをするべきか」と問われ、トレイシーは呆れてしまった。
「昨日の勢いはなんだったの」
「すまない、研究にばかり明け暮れていたからな。そういうものには疎いんだ」
「そんなの、私も同じだよ。私も外で遊ぶより時計弄る方が楽しかったから」
「そうか……そうすると、どうしよう」
ううむと唸りながら頭を掻きむしるルカに、トレイシーは作業台から顔を上げて、今一番気になっている事を聞いてみる。
「ところでルカ、なんで私の部屋知ってるの?」
ルカとトレイシーは今、トレイシーの部屋の中にいる。
早朝に訪ねて来られたのは驚いたが、徹夜で作業していたからそれは構わない。それはいいのだが、何故表札も何もないこの部屋数の多い階で、ルカは自分の部屋にやって来れたのだろう。流石に初日に案内すると言っても、各自の部屋までは説明しない筈だ。
トレイシーの問いに、ルカは一瞬だけしまったと顔を顰めた。しかしすぐに「ああ」と話し出したので、その表情にトレイシーが気付くことはなかった。
「機械類の故障は、ここに頼めば直るとモートンから教わったんだ。だから君の部屋だろうと思ったわけだ」
「すっかり便利屋扱いされてるなぁ。いいけどさ」
くすくすと笑うトレイシーは、文句を言いながらも楽しげだ。ここじゃ顔を見て落胆されることもないし、煩わしい人間が訪ねてくる事もない。それどころか頼りにされる事も多い。それが嬉しい。
それに、友達になろうなんて言われたのも初めてのことだ。言ってきた相手がちょっと変わってるけど、ここじゃそんな人ばかりだから気にならない。
トレイシーは昔読んだ本を思い返しながら、「友達」の定義を探してみる。
「うーん、一緒に冒険したり秘密基地作ったりするとか?」
「とても夢があるが、少し私達には可愛らしすぎる内容じゃないか?」
「そもそも冒険する気が起きないよねえ、基地は気になるけど」
「基地については私も興味はある。しかしそれはまた今度にしよう」
「ルカはなんかないの」
「さっきから考えているのだが、いた環境のせいで碌な事が思いつかなくてだな……」
「言ってみてよ」
「共に犯罪に手を染めると仲間意識が芽生えるとかなんとか」
「却下」
「だろうな」
「本当に碌でも無かった……他にはないの?」
「うーん、仕事終わりに共に飲み明かすというのはよく聞くが」
「ルカ。お酒は?」
「それなりには。付き合い程度であまり好んではいないな。コーヒーの方が好みだ」
「私もだよ」
「ううん、考えさせてほしい。レズニック、そちらはなにかないのか」
「寝不足で考える事じゃ無いと思うんだけど……まあまず言えるのは、なんで私に名前で呼べって言っといて、ルカはレズニックって呼んでるんだろうとは思ってる」
「ああ、そうか!忘れてた。名前で呼ぶ許可をくれ」
「いいけど」
パッと顔を輝かせる男に、近所に昔いた犬の面影が重なった。あの犬もデカかったなあ……とトレイシーはぼんやり思い出しながらコーヒーを啜る。あの犬も白と黒の模様だったなあ、縞々じゃなかったけど。
「もしかして、そっちが本題だったの……?」
「ああ、起きてすぐに思いついたんだが、後回しにしたら忘れてしまいそうな気がして」
「で、着くまでに忘れたと。厄介な後遺症だね」
ルカは事故が原因で特殊な能力を得た代わりに、脳に障害を負ったという話は聞いていた。
メモを取れば良かったんじゃないかとトレイシーは思う。けれどその些細な用事の為だけに、自分に会いに来てくれたという事実は擽ったく感じる。
「普通はこんな時間に人の部屋を訪ねてこないでしょ。寝ててもおかしくないよ?」
「うん……そこは考えていなかった」
「ルカって、変」
「それはよく言われるな」
困った顔で頭を掻いているルカを見て、トレイシーはくすくすと笑う。変な人間だけど、面白いとも思う。初めての友達は中々癖がありそうだ。
ルカが頑張っているんだから、自分からも歩み寄ってみるべきかもしれない。トレイシーはよしと思い、ルカの顔を下から覗き込む。
「ねえ、ルカの部屋はどこなの?」
「この上の階だよ。まだ入れ替えがあるかもしれないとかで、仮なんだが……どうして聞くんだ?」
「決まってるじゃん。今度は私は遊びに行くから」
「!」
トレイシーの言葉にルカは目を見開いた。驚いた顔の男に、トレイシーはふふんと得意げな顔で告げる。
「そもそも、なんでこんな非常識な時間に来た君を部屋に入れてあげたと思ってるのさ。友達だから特別だよ」
「っ、そ、そうなのか……?」
「そうだよ。それに、友達ってお互いの家に遊びに行ったりするものなんでしょう。だったら私が行ってもいいはずじゃん」
「ああ……それはそうだな」
「ウィリアムも一緒にご飯食べたら仲間だっていっつも言ってるし。無理になにかしなくても、友達なら一緒にいればいいんじゃない?」
「それは、その通りだな」
ふむとルカも顎に手を当てて、納得したように頷く。難しく考える必要はないということに、彼も気付いたようだ。
どうにも互いに友情に不器用なのが揃ってしまったが、それもそれで楽しいのかもしれない。
トレイシーが部屋の時計を見上げると、時刻は六時を指そうとしている。今から寝るのもなあと思っていると、ルカがゆるくトレイシーの手首を掴んだ。
「?なに?」
「少し早いが、一緒に朝食に行かないか?」
手首を掴むと言っても、本当にすぐに振り解けそうな力だ。じっと伺うような目をしているルカに、トレイシーの顔から笑みが溢れる。
さっき自分が言ったことを、早速実践しようとしているのか。
――これは、断れないよなあ。
くいとコーヒーを飲み干して、トレイシーは椅子から立ち上がった。





対面で座っている機械仕掛けの犬に、居心地悪そうに「ううう」と唸るウィック。しかし唸るだけで吠えはしない。
自分にそっくりの機械犬が、右に首を傾げる。そして「わん」と鳴くのを見て、ウィックはペタリと談話室の絨毯に伏せる。興味がなさそうな顔で寝る体制になっているが、チラチラと機械犬を気にしている。
そわそわしている相棒を、ビクターはうくくと笑いながら胡座をかいた膝に抱き上げる。そうして安心させるように撫でてやった。
「大丈夫だよ、ウィック。ビクターの相棒は君だけだから!」
「くうん?」
トレイシーがいつもより小さなリモコンで機械仕掛けのウィックを逆立ちさせると、本物のウィックが首を傾げる。その仕草がさっきの機械犬にそっくりで、ビクターはぷふ、と噴き出した。
『ウィックにそっくりだけど、本物は逆立ちできないな』
「じゃあ見分けるのも簡単だ」
ビクターが笑いながら書いたメモに、トレイシーも笑いながら返す。
自身の研究に行き詰まっていたトレイシーに、新しい提案をしたのはルカだ。人間の動きを模すだけでなく、他の生き物を模してはどうかと言われ、なるほどとトレイシーも思ったのだ。
気晴らしも兼ねたつもりだったけれど、新しい発見もあったので悪くない結果になった。まだまだ課題は山積みだけど、それでも少し視界が開けたように思う。
今度はルキノの人形でも作ろうかな。でも本人はともかくみんなが飛来物増やすなって嫌がりそう。
「モデルありがとうね、ウィック」
「バウっ」
トレイシーが背中を撫でると、ウィックが小さく吠えた。それがまるで、何かを訴えるような声音だったのでビクターを見ると、彼はさらさらとペンを走らせる。
『お礼はソーセージでお願いしたいって言ってる』
「そうなの?わかったよ、ウィック」
トレイシーがそう返すと、パタリと子犬の尾が揺れた。
そのままウィックの散歩に向かうビクターを見送り、片付けを始めたトレイシーにマイクは針仕事の手を止めて話しかける。
「いやー、すっかり仲良くなったね」
「ん?ウィックと?」
「違う、そっち!」
マイクが針で指したのは、トレイシーの後ろ、片膝を立てて本を読んでいるルカだった。ビクターとトレイシーの会話にも参加せず、ずっと床に座り込んだトレイシーの背もたれを勤めていたのだ。
かれこれ1時間は経っているが、その体勢のまま全く動かない。本に集中しているのか、マイクの指摘にも無反応だ。
ずっとここで作業してたマイクは知っているが、最初にトレイシーが機械の犬の調整をしていたのだ。そこにビクターがやってきて、トレイシーと二人できゃっきゃっと犬に夢中になってる間に、ルカが本を抱えてやってきた。そして当然とばかりにトレイシーの後ろに座り込み、本を開いたルカにこちらも当然とばかりにトレイシーが寄りかかった。
この間、二人は互いの顔は一切見ていないし、会話もなかった。会って数週間しか経ってないのに、連携力が高すぎる。
「圧が強いとか言ってたのは誰だよ」
「なんか慣れちゃって。ほっといても気付いたらいるし」
トレイシーは頬杖をついて、そう零す。彼女の言う通り、ルカはふと気付くとトレイシーの背後にいることが多い。「友達は一緒にいるもの」といわれたことを忠実に守っているらしい。なんとも律儀な男だ。
縫い針でちくちくと見慣れた布を縫っているマイクに、トレイシーは不可解そうな表情になる。
「マイクはさっきから何してんの?」
「朝のゲームで引っ掛けちゃって」
マイクが手にしているのはアマツバメのマントだ。裾の部分が、裂けてしまっている。それをマイクは地道に修繕しているのだ。
けれど、荘園の衣服はどんな状態でも翌日には新品同様の姿に戻っている。わざわざ自身で直す必要が無いのは、マイクもよく知っているはず。だからトレイシーも疑問に思っていたのだ。
「明日まで待てばいいのに」
「待てないの!夜のゲームに間に合わないじゃん!」
「……他の着ればいいのに」
「やだ。今日はこれの気分なの!」
むすりとした顔でマイクは糸を切る。こういうものは気分も大事だとマイクは思ってる。だからって衣装が破けたままの無様な姿でステージには立てない。
このくらいの修繕なんて旅芸人の時は当然のようにやっていたから、手慣れている。ちょっと裂け目が大きかったから苦戦したけど、大したことはない。
マイクが直った羽根型のマントを広げると、トレイシーが歓声を上げる。
「おおー。すごい!どこが破けてたのか全然分かんない!」
「ふふーん。器用さならトレイシーにも負けないからね!」
「私はそういうのは全然ダメだよ」
「む、不戦勝じゃん」
「……私は得意だぞ」
トレイシーがマントの縫い目を確認していると、ルカがぼそりと呟いた。聞いていたのかとトレイシーは驚く。ずっと紙を捲る音がしてたので、すっかり本に集中しているものだとばかり思っていた。
トレイシーは体を捻ってルカの顔を覗き込んだ。眉間に皺がよっているせいで不機嫌に見える。ただの読書中の癖だと思うのだが。
「ルカって縫い物すんの?」
「ああ。刑務作業で鞄やぬいぐるみを作らされたこともある」
「そんなこともするんだ……」
「出来たら一生知らずにいたい情報」
「私も自分が針仕事をすることになるとは思ってなかったよ。君の服に鉤裂きが出来たら私が直そう」
「いや、その時は素直に着替えるよ、マイクじゃないんだから」
「それは残念だ」
ルカは本を閉じると、徐に立ち上がった。少しよろめいたのはずっと同じポーズでいたからだろう。完璧に背もたれに徹してたもんなとマイクは思う。
突然立ち上がった背もたれに、トレイシーはぱたりと仰向けに倒れ込む。
「これからゲーム?」
「ああ」
「人形見て欲しかったのに……」
両手で機械犬を抱えて、トレイシーはいじけたように呟く。完成したからわざわざ持ってきたのだ。
そんな彼女にルカはくくと笑ってみせる。
「それなら後で君の部屋に行こう。夕食のあとで」
「……美味しいコーヒー持ってきたら入れてあげる」
「仰せのままに」
ひらりと手を振りながら去っていく男の姿に、気障な奴だなとトレイシーは寝返りを打つ。
マイクはルカが去ったことで緩んだ空気に額の汗をぬぐい、ふうとため息をついた。
「機嫌が直ったようで何より。夜のゲーム、ルカと一緒だからどうしようかと」
「?なんかあった?」
「めっちゃ機嫌悪かったじゃん!こーんなだった!」
ぐぐと両方の人差し指で眉間に皺を作るマイクに、トレイシーは首を捻る。
読書中、何かで行き詰まった時、困っている時、ルカが眉間に皺を寄せてるのはよく見る。機嫌が関係あるとは思えない。
しかしマイクは芝居掛かった仕草で首を振ってみせる。
「分かってないなぁ……トレイシーのせいなのに」
「私?」
「なんでウィックの嫉妬には気付いて友達の嫉妬には疎いんだよ」
「え?嫉妬?ルカが?どうして?」
「……本当に気付いてないんだ。そりゃ、大人しく相手してくれるの待ってたのに、ルカそっちのけで僕と話し始めたからに決まってるじゃん」
「そうなの?」
トレイシーはきょとんとした顔をしている。全然ピンと来ていないらしい。
――友達、初めてだって言ってたもんなぁ。
酷い奴だなと思いつつ、マイクはどう説明したものかと考えを巡らす。今のままだとルカが気の毒だ。なにかいい例はないかと考えて、リビングにあるピアノのことを思い出した。
「例えば、トレイシーがルカと話したいと思っててさ。でもその時のルカが楽しそうにピアノ弾いてたとして、トレイシーはそれ邪魔する?」
「?弾き終わるまで待つ、かな」
ルカがピアノが好きなのは、見ていれば分かる。記憶がないと言いながら、体に染み込んだものは忘れないらしい。譜面も見ずに曲を演奏している姿を何回か見た事がある。
マイクが突然なんの話を始めたのか、トレイシーには分からなかった。けれど真剣な顔をしているので、とりあえずそう答えてみる。
「だよね。でも弾き終わったと思ったら、そこでピアノ聴いてたマリー様とルカが音楽について話し始めちゃうんだ。トレイシーがいるのに。そしたらどう思う?」
「………………」
マイクの問いに唇を尖らせて、トレイシーが黙り込む。
実際はルカがトレイシーを無視するなん考えられないけどとマイクは思う。まあ、あくまで例え話だからそこは許してほしい。
我ながらわかりやすい説明だったんじゃないかとマイクは得意になる。これならトレイシーも友達の嫉妬心を理解できた筈。
ところがマイクの予想とは違い、トレイシーはふんわりと笑ってゆらゆらと曲げた足を揺らし始める。
「それは、可愛いねぇ」
「…………ん?」
「ルカ、わんこみたいで可愛いなって」
「うーん、なんでそうなったのかな?」
トレイシーの無邪気な反応に、思わずマイクも小さい子供を相手にするような口調になってしまった。あんなヒョロデカい男相手に何故そう思ったのか。犬っぽいかどうかで言えば確かにそうかもしれないけれど。
マイクは自分以外の男に可愛いと言う形容詞が当てはまることはないと思っている。
「だって、構って欲しかったからいじけてたんでしょ?昔、近所にいた犬もね、おじさんが私と遊んでくれてる時にくんくん鳴いてたよ。おじさんの服の裾噛んで引っ張ったりしてて、私より大きい犬なのに可愛かったんだ!」
「おう……」
マイクはなんとも言えない呻き声を漏らす。同意も否定も出来なかったのでそうするしかなかった。合ってるけど、そうじゃない。
わんこか、そうか。トレイシーにはそう見えてるのか。だから可愛いのか。全然理解できない。
「そっかあ。ちゃんと相手してあげないとだめなんだね。分かった!教えてくれてありがとう、マイク!」
「……わかってくれたんなら良かった」





マイクの話が終わると、パトリシアは片手で痛む頭を抑えた。
いい友人関係を築いているのは喜ばしい事だ。だが夜中に男を部屋に招き入れるなと、トレイシーには一度注意する必要がある。
話題の中心のルカはと言うと、食卓に肘をつき眉間に皺を寄せて唸っている。御誕生日席にいるナワーブはそんな二人とは裏腹に、肩を震わせて笑っている。
夜のゲームの参加者はこの四人だった。ハンターがまだ決まっていないらしく、待機を命じられ退屈になったマイクが、昼の出来事をルカに話したのだ。
トレイシーはどうにも人の感情に疎いというか、考えが幼いというか。とにかく説明したところで人の機微を理解できるとは思えなかったので、マイクはルカにそのことを伝えることにしたのだ。
ナワーブは一頻り笑った後、顔を上げて出てしまった涙を拭いた。
「わんことは、ひでえなあいつ!」
「酷いと言いながら楽しそうだな、サベダー」
「でも実際、あんたの行動完全にそうなんだよな」
ルカは特大の溜息をついた。ナワーブの言うことを否定出来ないと思ったのかもしれない。
それか、可愛いと思われるのが複雑なのだろう。男ならあまり抱かれたくない感想だ。
ナワーブがそう思っていると、ルカはぼそりと呟いた。
「確かに、いい気分ではないな。トレイシーには悪いことをした」
「……なんの話だ?」
何故、ルカがトレイシーに謝っているのだろう。
ナワーブはマイクに視線を向けてみるが、マイクはぶんぶんと首を横に振る。なんの話かはマイクにもさっぱり分からない。
今の話にそんな要素があったとも思えない。二人が首を傾げていると、ルカが椅子の背もたれに頭を乗せて、顔を覆う。
「小さいのが一生懸命動いているのを見ると、つい可愛いなと思ってしまって……何度か口に出してしまったことがあるんだが、その度にトレイシーに怒られていてな……」
「え、なんで?」
「友達に可愛いは失礼だ、と。顔を真っ赤にして怒られていたんだが、可愛いと感じたことを叱られるのが私にはよく分からなくて……しかし、確かに嬉しくはないなと」
「へぇ、そんなもんかなぁ?」
可愛いも賛辞として受け止められるマイクには、その気持ちはよく分からない。
それに男のルカはともかく、何故トレイシーまで可愛いと言われるのが嫌なのか。マイクも何回かトレイシーに対して可愛いと言ったことがあるけど、照れることもなく普通にしていたと思う。
大体女性は可愛いとか綺麗とか言われるのは嬉しいことだと認識していたのに、やっぱりトレイシーは変わっている。
「…………」
「…………」
マイクとルカは気付いていなかったが、ナワーブとパトリシアは黙ったまま視線を合わせる。年長の二人はなんとなく、事態を理解した。
トレイシーは顔を真っ赤にして怒っていたのではなく、恥ずかしくて真っ赤になってしまったのを、怒って誤魔化したんじゃないか、それ。「友達」かどうかも関係ない話だ。
マイクですら疑問に思っているのに、ルカは全くおかしいとは思わないらしい。寧ろ今回のことでトレイシーの発言に納得してしまっている。
――もしかして、ルカは、まだトレイシーが女性だって気付いてないのか?
パトリシアとナワーブは、じとりと互いの顔を見て眉をひそめる。
――先輩だろ、教えてやれ。
――嫌だ、あんたが言え。
二人は無言で、面倒な役割を押し付け合う。
パトリシアは放っておいてもあれだけ一緒にいるのだから、流石にルカもそこは分かるだろうと思っていたのだ。それが、まだトレイシーを同性同士と思っているなら、自分が下手なことを伝えて二人をぎくしゃくさせてしまうのは嫌だ。
しかし、放っておいて何かがあってもなぁとも思う。
ナワーブは単純に、自身の勘が「関わるな」と言っているので、関わりたくない。勘に頼らずとも既に厄介な気配は感じている。
あとは、自分も長い間トレイシーの性別に気付かずに過ごしていたので、人に教えてやるのがなんか悔しい。
「だからぁ、ルカはもっと普段から会話をすべきだと思うんだよ。黙ってても伝わらないって。思ってることは言わないと」
「言ったら怒られたんだが」
「トレイシーの嫌な事は分かったじゃん。そう言う事を知るのが人間付き合いには大事なんだ」
「なるほど……」
年長組のやり取りにも気付かずに、マイクはルカに真剣に「友達」のアドバイスをしてやる。ルカも前のめりにマイクの話を聞いている。紙があったらメモを取っていたかもしれない。
「もっと話した方がいいのか」
「研究のこととか設計図作ってる時とかめちゃくちゃ喋るけど、ルカ、あれは会話じゃないからね。ちゃんと相手とやり取りするのが会話だから」
「分かった。モートンは流石だな。化け物扱いされるのも当然」
「誰が化け物だ、お化けだよ!コミュ力お化け!」
「……違うのか?」
「全然違う!」
化け物とお化けでは、言葉の可愛さから違うとマイクは思っている。しかし頭を傾げているルカは何が違うのかさっぱり分からないといった顔だ。
トレイシーもトレイシーなら、ルカもルカなのかもしれない。なんでこんな常識飛んでるのが友達になるのか……似たもの同士だからか。
なんとも放って置けない二人だ。友達初心者共は、次から次へと突拍子もない事をしでかすから目が離せない。
これからも拗れないように、コミュ力お化けと言われる自分が一肌脱いでやろう。マイクがそんな事を考えていると、ルカがくくと笑う。
「ああ、それにしても安心した。私がおかしいのかとずっと思っていたんだ」
「なんで?」
「友達をそんなに可愛いと思うのは変だから、よく考えろと言われたんだが……トレイシーもそう思うなら、問題ないんだな」
「うん……僕も思った事ないから分かんないけど、おかしくはないんじゃない?」
自信はないが、にこにこと尋ねてくるルカにマイクは曖昧にそう答える。二人がお互いにそう思ってるならそうなのかもしれない。やっぱり自分にはよく分からないけれど。
「バルサー、誰に言われたんだ、それ」
「ええと、ジルマン、だったかな?」
「……なるほど」
パトリシアの問いかけに、ルカが顳顬を抑えてそう答える。
記憶力が良くないルカだが、そんな事を言うのはフィオナ辺りで間違いはない。パトリシアは卓を指先で叩き、ううむと唸る。
フィオナはどこか掴みどころのない、浮世離れした女性である。が、美容や恋話といった女性らしい事柄には興味を示す。
そんな彼女が、わざわざ関わりの少ない新人に忠告をしたのだ。きっとにやにやと笑っていたに違いない。その様が目に浮かび、パトリシアは頭を振る。
フィオナは恐らく、この二人の関係を面白がっているに違いない。ルカもトレイシーも距離感が近すぎるので、彼女が期待するような関係に見えないこともないかもしれない。
まさかまだルカがトレイシーの性別に気付いてないなんてことは、想像もしていないだろう。
勘違いしたままのフィオナがトレイシーに余計なことを吹き込む前に、早急に状況を説明する必要がある。
トレイシーは幼すぎるが、フィオナは逆に成熟し過ぎている。「可愛い」の言葉だけで赤くなってしまう少女に、妙な事を教え込もうとするかもしれない。刺激が強すぎる。放置すればルカとトレイシーの関係が拗れる。
これからゲームなのに、考えることが多い。パトリシアは痛む額に掌を押し当てた。
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