犬って被るものだっけ?

新しい人間が来れば、多少は興味が湧く。
この荘園は一度入れば出られない。別に気にはしないけど、やっぱり毎日同じことの繰り返しというのは少し退屈なのだ。だから新しい刺激になりそうなものには期待してしまう。
来た人物が同性でも異性でも、どんな人かとちょっと楽しみに思ってしまうことは否定しない。
――否定しないけど。

トレイシーは人形の操縦を止めて、仰け反りながら顔を上げた。
「……えーと、バルサー?」
「なにかな」
「私が聞きたいんだけど。なにか、用?」
動作テスト中の人形の視点で、スタスタと庭を歩いて来ている新人の姿は見えていた。
初めてトレイシーの機械人形を見る人間は、この人さながらに動く機械に目を丸くする。だから無言で作業を眺められるのも、興味津々に質問されるのにも慣れていた。
ところがルカは、歩いてきたかと思うと人形そっちのけでトレイシーの正面に回り込み、リモコンを操作する手元を覗き込んでいた。
人形の視点で作業しているので、直接の邪魔ではない。邪魔ではないが、流石にカメラ越しでも自分の目の前に人間が立っているのは気になる。
顔を上げれば思っていたよりも至近距離に相手の顔があり、トレイシーはそろりと後退る。そんな彼女に構わず、ルカは顎に手を当ててリモコンを凝視している。
「君が、あの人形を操作しているんだよな?」
「そうだけど」
「ずっと下を見ているから、どうやって視界を確保しているのかと気になってな」
トレイシーは、人形の操作中は一度たりとも人形に目を向けていない。機器の動作を確認せずに制御することなど不可能だ。だから、何かしらリモコンに細工があるのかとルカは思ったのだ。
ところがルカが見る限り、リモコンにはメーターと操作レバーとボタンしか無い。ならば、どうやってトレイシーは人形を制御しているのか?
ルカが不思議そうにしていると、トレイシーはにっと勝気な笑みを浮かべて装着していたゴーグルを外す。そしてそれをルカに差し出した。
ルカは手渡されたゴーグルとトレイシーを見比べて、それを目に当てた。ガラス越しに見える機械技師が、リモコンを操作する。
途端、左目の視界が切り替わり、別の風景が映し出される。背中を向けている自分自身だ。咄嗟に振り返れば、銀色の人形の大きな目と右の視線が合う。左の視界はポカンと口を開けている自分がいる。
――なんだ、これは⁈
ゴーグルを外してトレイシーを振り返れば、小柄な技師が得意気な顔をして笑っている。ルカは興奮気味に尋ねる。
「これも、君が造ったのか」
「うん。遠隔で操作するなら必要かなって。でも人形の事はよく聞かれたけど、この事に気付いたのは君が初めてだよ」
「無理もない。あの人形も素晴らしいと思うよ」
「……ありがと」
ルカはおや、と思う。トレイシーはゴーグルを褒めた時は嬉しそうだったのに、人形を褒めると一瞬の間があった。嫌がっている、というわけではなさそうだが、少し複雑そうだ。
「なにか、不満がありそうだ」
「うーん……動きはね、大分良くなってきたんだ。人に近い動きになってると思う。でもそのせいで、よりエネルギーを食うようになってしまったから、今度は駆動時間が短くなっちゃって。性能を増やすにも動力を増やすにも、これ以上は容積を大きくする必要があるかと思うんだけど、そうするとこのフォルムを保てないから……新しい動力源を作る、いやそれよりやっぱり素材の軽量化を考えたほうがいいのかも」
ルカに説明していたはずが、途中からトレイシーは自分の考えをぶつぶつと呟き始めている。自分の思考の海にどっぷりと使っているトレイシーから離れて、ルカは機械の人形に近づいてみる。
あの日ルカとマイクが見た人形とは違い、形は人に似ているものの、服も髪もないので人間と見間違う事はない。カメラを内蔵している黒い目がじっと前方を見つめている。鼻と口、耳もきちんと作られているが実用性はなさそうだ。
人形の強度が分からないので、ルカは触れないように関節部分に目をやる。よく見る自動人形達と同じように球体の関節を使用しているが、走ったり飛んだりしていたこの人形があれらと同じ仕組みとは思えない。
分野が違うとはいえ、素晴らしい作品を前にすればむくむくと好奇心が湧いてくる。
「レズニック!」
「ん?え、なに?」
名前を呼ばれたトレイシーが、ようやく思考の海から帰ってくる。顔を上げると、またもや至近距離にルカが立っており、トレイシーは思わず二歩後退る。
ところが今度はルカも同じ分だけ足を進める。そしてリモコンを持つ手を両手で掴まれてしまえば、それ以上後ろへは下がれない。
「え、ちょっ、バルサー?なにっ」
「ルカと呼んでくれ」
「へ?」
「君とは気が合いそうだ。是非、友になって欲しい」
「……ええ⁉︎」
背の高いルカがぐいぐいと来るので、トレイシーはつい仰け反ってしまう。
別に嫌というわけではない。自分の造ったものに興味を持ってもらえるのはとても嬉しい。人形のカメラに気付いてくれたのもルカが初めてだ。
ただ、勢いが、強い。ここまでグイグイ来られるとちょっと怖い。こうやってみると、初対面で遠慮がなかったウィリアムも、最低限の距離感を守ってくれていたということを、トレイシーは今更思い知った。
思い立ったらすぐ行動、というのは自分もよくやっているけれど、側から見たらこう見えているんだな、反省しよう。トレイシーはしみじみとそう思う。
「……ダメだろうか?」
「えっと……」
どう返事したものかとあうあう喘いでいると、ルカがへにょりと眉根と肩を落とす。そんな急にしゅんと落ち込まれると否とも言いづらい。見えない耳と尻尾も下がっていそうだ。
「んと、嫌、とかじゃないんだけど、驚いちゃって」
「いいということか?!」
「あう?!」
「そうかありがとう!」
ルカの勢いに押されて出た声だったのだが、勝手に返事をしたことにされてしまった。そんな輝いている目で喜ばれては今更「違います」とは言えない。
トレイシーはからくり人形のように、かくんと頷く。

頷くしかなかった。





「いやーナンパされてんのかと思ったよ」
マイクは階段の手摺りに腰掛けて、そうぼやく。トレイシーは苦笑しながら、床に広げたケースから精密ドライバーを取り上げた。
確かに声が聞こえていない人間からしたら、ルカとの昼間のやりとりはそう見えたかもしれない。
「そんなタイプの男なのか?」
「んー多分違うと思う。そういう軽い感じじゃない」
パトリシアの怪訝そうな問いに、マイクは首を振る。
一日荘園の案内をしたが、やっぱり最初の印象通りに育ちの良い、どこか品のいい「お坊ちゃん」な感じがあった。
マイクは女にだらしない連中なんて散々見てきたけど、そういうのとはルカは全く当てはまらない。むしろ女性経験があるかどうかが怪しいと思う。
トレイシーは壁に凭れるパトリシアを見上げる。
「私にそんなことする人いる訳ないじゃん」
「何故そう言い切れるんだ」
「いつも通りだよ。また男の子に間違われてるんだと思う」
「そんなこと」
「賭けてもいい。こないだ来たアンドルーはまだ私のこと男と思ってるよ。そう思わない?」
キッパリと言い切るトレイシーに、パトリシアは唸ることしかできない。彼女自身、ここに来た当初はトレイシーを少年と間違えていたからだ。
パトリシアやマイクが来る前から居た男共は、数名を除きトレイシーを小僧扱いしている。そのせいでトレイシーは「それ」が当然の事だと思っている。
床に胡座を掻いて、時計のメンテナンスに勤しむトレイシーは少年に見えるかもしれない。だが、見えるだけでトレイシーが女性なことには変わりはない。
パトリシアが来た頃のトレイシーはまだ肉付きが悪く、シルエットも女性には見えなかった。だが今はすっかりと女性の体つきになったと思う。他の女性陣に影響されてか、表情も仕草も少女らしい華やかさが垣間見える。
パトリシアはじっとトレイシーを見つめながら、このうら若き技師にその事実をどう伝えたものかと、眉間に皺を寄せる。乙女の恥じらいを説いたところで「まっさかー」とけらけら笑って終わる予感しかしない。
何かあってからでは遅いのだ。そろそろ自覚をして欲しい。
眉間の皺をより深くするパトリシアを他所に、マイクは手摺りからトレイシーの脇に飛び降りる。
「それで、なんて返事したのさ」
「返事する前に承諾したことになってた。それはいいんだけど、大分圧が強いよ、あの人……」
「へえ、意外」
女性と仲良くなることを「難しい」と言っていた男とは思えない。マイクはそう考えて、ルカがトレイシーを同性と勘違いしてる事を思い出す。
これ、トレイシーが女の子だって気付いたらどういう反応になるんだろう、ちょっと気になる。でもこのまま黙ってるのも面白そうなんだよなあ。
むくむくと湧きあがる悪戯心を噯にも出さず、マイクは澄ました顔で頭の後ろで腕を組む。
「なんか、格好といい行動力といい、すんごいマイペースな人が来たもんだね」
「お前にマイペースと言われるとは……気の毒に」
普段の自身の行動を棚上げするマイクに、パトリシアは肩を竦めてそう答える。人を自分のペースに巻き込むのは、マイクの得意分野だ。
ところがパトリシアの指摘にトレイシーが首を振る。
「マイクの言うとおりなんだよ。なんかルカって独特のテンポというか話し方というか……とにかく、何考えてるのか分からない奴だと思う」
「そんな男と友達になったのか……」
「なったというか、なっちゃったの!断れる雰囲気じゃなかったし!……それに嫌ってわけでもなかったし」
ちょっと照れながらえへへと笑うトレイシーは、満更でもなさそうだ。聞けば相手もトレイシーと似たような分野が得意だという。それは話も合うだろう。
余計な老婆心を出す必要もなさそうかとパトリシアは判断する。
「それならいいんだ」
「ねー、トレイシー。でも向こうは男と思ってるわけじゃん?どうすんの」
「どうもしない。いつか気付くし、それでいいんじゃない?いっつもそうだし」
トレイシーはマイクの問いに、興味なさそうな顔でそう答えた。時計から外した歯車を並べながら、ちらとマイクを見上げる。
「ま、気付いたところで何も変わらないと思うしね」

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