ウサギとオオカミ

厚みのあるベーコンにたっぷりと半熟の卵の黄身を絡ませて、ゆっくりと口に運ぶ。まったりとした脂の食感も久しぶりだ。
トマトのスープで口の中をさっぱりとさせてから、トレイシーはうきうきとソーセージにフォークを刺して齧り付く。皮がぱりっと割れて、パセリの混ざった肉の味がじんわりと口に広がる。
――お肉美味しい!
トレイシーは染み染みとまともな食事にありつける有り難さを噛み締める。
全部ルカのせいと結論付けたあの日、抱えていたものがするすると解けた気分になったら、途端に空腹を感じるようになったのだ。
恐る恐るではあったけれど、具の入ったスープから赤いミネストローネ、肉の入ったシチューと段階を踏んでいき、漸く普通の食事が取れる様になった。
もう今はオオカミだった頃の感覚も記憶も遠いものになった。なんであんな不健康そうな男を食べたがってたんだか、悪食オオカミだったのかな?とすら思っている。
普段なら絶対頼まない、ステーキサンドを手にどこから食べようかとトレイシーが考えていると、マイクとデミがやってくる。
二人はトレイシーが大量の肉料理を並べているのを見て目を丸くする。
「あらトレイシー、珍しい」
「トレイシーって肉食べるんだ……」
「菜食主義になったつもりはないけど」
「やー、だってスープとバターとパンだけで生きてそうなんだもん」
「肉も食えーって言われてる事が殆どじゃない」
「……そうだっけ?」
トレイシーとしてはスープに肉が入ってる事もあるし、食べる時は食べてるつもりだ。しかし毎日ではない事は確かだし、ウィリアムやマーサに肉を食えと怒られる頻度の方が多いような気もしないでもない。
トレイシーがサンドイッチを手に考え込んでいると、デミが笑いながら肩を叩く。
「ちゃんとご飯が食べれるようになって良かったじゃない。もういつ倒れるかって心配してたんだから」
「あはは……」
既に貧血起こして階段から落ちかけたとは言えない。トレイシーは笑って誤魔化すしかなかった。
マイクはそんなトレイシーに変な顔をしながら頭の後ろで手を組む。
「その感じだとすっかり調子は戻ったみたいだね」
「うん。デミの野菜ジュースのお陰でもあるよ」
「あら、余計なお節介にならなくて良かったわ」
「そんな訳ないよ、とっても助かったんだから」
すぐにまともに食事ができる様になった訳ではないので、デミの作ってくれたジュースはトレイシーには大事な栄養源だった。そのお礼も言いたいと思っていたところだ。
その感謝を本人に伝えれば、デミはにっこり笑う。
「味はどうだった?」
「美味しかったよー」
「うんうん。だったら今度パトリシアにもそれ言ってあげて」
「へ?」
「塩素ジュースって文句言いながら作るの手伝ってたんだって」
「ミネラルが多いシーソルトだって教えたんだけど、今一分かってなかったのよねー」
デミが苦笑しながら手を振る。トレイシーの食欲不振を心配していたのは自分だけではなかった。
パトリシアは素材の味が一番なのにとジュースに砂糖や塩を入れることに難色を示しながら、ハンドジューサーでせっせと果物を絞る手伝いをしてくれていたのだ。普段あまり話すことは無いが、意外に世話焼きなんだなあとデミは微笑ましく思ったものだ。
トレイシーはパチパチと目を瞬いてポカンと口を開けている。
「そうだったんだ……」
「またガリガリに逆戻りしちゃうんじゃないかって不安になるくらいだったからねぇ」
「ご心配おかけしました……もう今はお肉が美味しい」
「それは良かったよ。今回は平和な異変だと思ってたのに、怪我人出るわ後遺症あるわ、なかなかに局部的な被害が出てたもん」
「うん……平和に過ごせる筈だったんだよ。私はそうするつもりだった。ただ、あの男が暴走してくれたお陰で」
トレイシーは拳を握って歯軋りをする。
たった数時間、互いに自室で大人しく過ごす。それだけで日常が戻ってくる程度の異変だったのだ。
それが発情状態のウサギで情緒不安定、ちょっと病んでるっぽい行動と言動をするルカに翻弄され散々な目にあった。

『噛み跡くらいでそんな顔をする君なら、きっと噛みちぎってしまえば罪悪感で離れられなくなる』
『君は物理で縛るよりその方が応えそうだ』
『待っても待っても君は焦らしてばかりだ。その方が手っ取り早い』

挙句、危うく言質どころか加害者の既成事実まで作らされるところだった。
眉間に皺を寄せて苦々しい顔をするトレイシーに、マイクはすうと目を細めた。
「…………なーにしたの、あのケダモノは」
「幸いにもケダモノは記憶を喪失して犯行未遂の内容を忘れているので、奴が企んだ計画はこのまま私の胸の内だけにしまって闇に葬る予定」
「あー、それはその方がいいか、確かに」
「でしょ」
「?なんの話してんの?ケダモノ?」
不思議そうな顔をしているデミに、マイクはにっこり笑って「ペットの躾方法だよ」と答えている。ルカはトレイシーには犬に見えてるし、あながち間違ってはいない例えだ。躾できるような可愛いものではないが。
理性が働いていなかったあの状態でもルカは計算高いし、好きな相手ではあるがやっぱり心から信用する事がトレイシーには出来ないのだ。
最初は男な部分が怖いと思っていたけれど、ルカは人間としてもかなり危険な気がする。以前、アンドルーから受けた警告は的を射ていたのだ。
――歩み寄るって言ったけど、まだなんか隠してる事が多過ぎて怖いんだよなぁ。
今回のしでかしもあるし、まだまだルカには「恋人」は待ってもらおうか。そうトレイシーは勝手に決める。あわよくば諦めて欲しい。トレイシーとしては友達でいいのだ。
「私はウィックと話せたの面白かったし、今回の『異変』は悪くなかったんだけどなあ」
「それだけ聞くと楽しそうだったんだよね、羨ましい。まあ追い回されてたフレディとトレイシーは散々だったけど」
「怪我したナワーブもね」
「異変組じゃなかったのに、なんでそんな不運なんだか」
「あら?そういえば今日も『更新』あるんじゃなかったっけ?」
デミがふとそう呟く。
大きな「更新」は暫くはないが、「更新」が実行された後は調整が度々必要になるのだ。
トレイシーもその調整を兼ねた小さな「更新」が午後からあるという話を聞いた覚えがある。と言っても調和を取るためのものだし、こちらには大した影響は起きないので気にしたことはないのだが。
「あるにはあるみたいだけど、あんまり私達には関係ないんじゃない?」
「まあ、そうよね。そう何度も騒ぎが起きてたら大変だもの」
「あいつがウサギじゃ無くて、私がオオカミじゃ無ければそれでもういい。それか一層の事もう全身を動物に変えてほしい」
ルカが実際のウサギだったらケージに閉じ込めるのも簡単だったのだ。それなら可愛いし無害だし、いい事づくめだったのにとトレイシーは残念に思う。もふもふウサギに追いかけられるなら微笑ましいし、その状態のルカのお世話ならしても良かったのに。
そんなほっこりとした想像をしているトレイシーだったが、その横でマイクは難しい顔でうーんと唸る。
――トレイシーはそう言うけど、ルカがオオカミじゃなくて良かったと僕は思うけどなあ。
もしもトレイシーがウサギでルカがオオカミだったら、もっと大事になっていたんじゃ無いだろうか。
トレイシーと一緒に行動していたイライ曰く、オオカミ化したトレイシーはとんでもない脚力で動き回っていたらしいし、速さも嗅覚も聴覚も凄まじかったのだという。風の噂では電磁ボールと再臨で逃げ回るアルヴァを追っかけていた事も聞いている。そりゃゲームも出禁になる筈だ。
体力が無くて運動も苦手なトレイシーがそれなら、人並みの体力がある成人男性のルカだったら、どうなっていた事か。
本来は無害な草食動物でですら、あれだけ暴走した男だ。それが索敵能力、持久力、速度も揃った肉食獣になんてなっていたら。
大体、トレイシーが逃げ切れていたのはルカがウサギでスタミナがなかったお陰でもある。ただでさえ体力のないトレイシーがウサギだったらすぐにへばって倒れてしまう筈。
マイクはぐっと眉間に皺を寄せて、腕を組む。
――しかもルカの場合「どの欲」で動くか分かんないし。
食欲か性欲か、どちらが行動原理になったとしても、か弱いトレイシーじゃ一溜まりもないだろう。
うっかりと血溜まりに立っているルカを思い浮かべ、マイクは身震いしてその想像を追い払った。怖い怖い怖い。想像するだけで怖い。想像出来るのが嫌だ。
「どうかしたマイク?」
「なんかすっごい顔色悪いけど」
ぶんぶんと突然首を振り始めたマイクを、デミとトレイシーは不思議そうに眺める。
訝しむ二人に、マイクは青褪めた顔のまま顳顬を抑える。
「……ちょっと、ある可能性を想像しちゃったもんで」
「ええ?一体何を想像したのよ」
「口に出して現実になっても困るから言いたくない……」
「そんな事言われると益々気になるんだけど?」
「駄目駄目、こういうのは考える事自体良くないから。僕ももう忘れる」
「ええー?」
隠されると聞きたくなってしまうのだが、不満そうなトレイシーにマイクは皿を指差す。
「そんな事より、ステーキサンド食べないと冷めちゃうよ。温かいうちが美味しいってウィリアムも言ってたじゃん」
「そうだけど」
「食事のお邪魔しちゃ悪いわ。じゃあね、トレイシー」
「うん」
そう言って去っていく二人をトレイシーは見送る。なんだかはぐらかされてしまった気がしないでもないが、確かに食事は温かいうちに食べるのが一番だ。
トレイシーは今度こそステーキ肉の挟まったサンドイッチを手に取ると大口で齧り付いたのだった。

――ちょっと食べ過ぎたかも。
満腹に膨れたお腹が重い。トレイシーは肉が食べれることに、つい浮かれてすこしばかり欲張ってしまった。
今日は夜のゲームしかない日なので、それまで図書室に行くか、談話室で誰かとお喋りでもしようかと思っていたのだ。
でもその前に少し自室で休もう。腹がこなれるまでちょっと横になりたい気もする。
「あれ……」
自分の部屋について、鍵をとポケットに手をやると、何もない。そういえばと思い返せば鍵を閉めていかなかったような気がする。
元々留守中の施錠は気にしていなかったトレイシーだが、女の子なんだからと習慣化するようにウィラやフィオナに言い含められているのだ。
とは言え、急にはなかなか身につかないよなあ。大体、留守の部屋に入るのなんて泥棒くらいだろうけど、私の部屋に盗む価値のあるものなんてないし。
そんな事を思いながらトレイシーがドアノブに手を掛ける。しかし力を込める前に勝手に握り玉が回る。自動で開いた扉に驚いていると、伸びてきた腕がトレイシーを掴み部屋の中へと引き摺り込む。
「わぶっ!」
声を上げる前に抱き込まれ、視界も口も相手の胸に塞がれてしまう。人の部屋に勝手に入り込んで、無遠慮にぎゅうぎゅうに抱き締めてくる相手、こんな事をする人間はトレイシーの知る限り一人しかいない。
「ちょ、ルカっ……?」
ルカの背中を叩き抗議をしようとすると、トレイシーの腕に何かふわりとしたものが触れる。何度も何度も、ふわふわとしたものが通り過ぎる。
――なにこれ?
トレイシーが謎の物体に気を取られていると、ルカが満足したのか漸くトレイシーを解放する。
「どこに行ってたんだ、やっと帰ってきた」
「やっとって、大袈裟…………」
文句を言おうとルカを見上げたトレイシーは、異変に気付き、そこで固まってしまう。
ルカの頭上に、三角の大きな耳が生えている。ひょこりと動くそれは飾りではない。先程トレイシーの腕に当たっていたのはルカの腰から生えているふさふさとした尻尾だった。
トレイシーは慌てて壁にずらりと並んだ時計達に目を向けた。長針も短針も、文字盤の一を指している。「更新」の始まりだ。
今回は大した内容ではなかった筈なのに、ルカに異変が起きてしまったのだ。
「トレイシー?どうかしたのか?」
目を見開いて硬直しているトレイシーに、ルカは不思議そうに首を傾げる。頭の上には灰色の耳、腰には灰色の尻尾が生えているので本当に近所にいたあの犬にそっくりだ。
トレイシーは、引きつった顔でルカから一歩距離を取る。
「ルカ、その……なんかおかしい事とかない……?」
「おかしいのは君の方じゃないか?どうしたんだ?」
そう言ってトレイシーの顔を覗き込むルカはいつもと全く変わらない態度だ。どうやらルカは自身の異変には気付いてはいないらしい。
――あれは犬だろうか、オオカミだろうか。
残念ながらトレイシーは動物にそれほど詳しくはない。耳と尻尾だけでなんの動物かまでは分からない。
犬ならいいが、もしオオカミだったら。トレイシーは自身が体験したオオカミの食の欲求を思い出して、冷や汗が出てしまう。
「うん?」
トレイシーの視点が自分の上に向いている事に気付いたルカは、手を伸ばして頭上に触れる。そうしてそこに耳が生えていることに気付く。
「なるほど、今回はこうなった訳か。全く次から次へと飽きることが無いな。そう思わないか?」
苦笑しながらそういうルカに、トレイシーは眩暈を覚える。記憶がない癖に、なんで同じことを言うんだ。
「トレイシー?」
「ひうっ」
ルカは返事がないのを疑問に思って肩に触れただけなのに、トレイシーは腕を翳して身を守る様な行動に出る。
何故だか自身に怯えているトレイシーに、ルカは目を瞬かせていたが、やがてその理由に思い至る。
びくびくと身を縮こまらせているトレイシーの両肩に手を置いて、ルカは優しく言い聞かせる。
「噛まないよ、トレイシー。オオカミは人間を食べないよ」
「へ?」
「あれはお話の中だけだよ。現実のオオカミは人を無闇に襲わない。野犬と混ざって出来た誤解だ」
「そ、そうなの?でも、私はオオカミの時、ルカが食べたかったよ?」
「君が食べたかったのはウサギだよ」
「あ、そうか」
私には異変は起きていないのか。トレイシーは自身の頭に触れて、ほっと息を吐く。
オオカミの身体能力の高さは体験したトレイシー自身が一番わかっている。だからこそ、立場が逆転した場合を想像してしまっていたのだ。
ルカはそんなトレイシーの頬を包むように両手を添える。
「ああ、人を食べるオオカミの童話を信じるなんて、君は本当に可愛いな」
「うるさいな!馬鹿にしてんの⁈」
ルカからの眼差しは甘ったるいが、その理由にトレイシーは苦虫を噛み潰したような気分になる。
だって、仕方ないじゃないか!トレイシーが生まれ育った場所は森や獣がない街中だったのだ。オオカミなんて童話でしか見聞きしたことはない。
まるで幼子を見るかの様なルカに、トレイシーは眦を釣り上げたがそれすらもルカには愛らしい。
「っていうか、なんで勝手に部屋にいるの!」
「鍵が空いてたからいると思ったんだ」
「居ないって分かったんなら出て行きなさいよ」
「……待ってたかったんだ」
ルカの頭上の耳が、ぺたりと垂れる。今までトレイシーの想像でしかなかった犬の耳が、すまなそうにふるふると震えている。
「すぐに帰ってくるかと思ってしまって。駄目だった?」
「うう……」
しょんぼりとしたルカと、しょげてしまった犬の耳。それを見てしまえば怒りの感情はみるみるうちに消えてしまう。
だって、トレイシーがこっそりと想像していたままの犬のルカだ。しょんぼりしてる姿がとっても可愛い。そんな姿で「駄目?」と首を傾げられては否定出来ない。
トレイシーはなんとか表情を保ったまま、視線を他所に向ける。
「ま、まあ私が鍵をかけてなかったのも悪かったし、今回は許してあげるけど」
「本当かい?」
ぱっとルカの表情が明るくなると、三角の耳もピンと立つ。そしてぱたぱたとルカの後ろで大きく動く尻尾。トレイシーは堪らず「んん!」と口を抑えて呻く。
――もう!めちゃくちゃ可愛い!犬のルカ可愛すぎる!
わっしゃわしゃに撫でくりまわしてやりたいところだけど、それをするときっとルカは調子に乗るのでトレイシーはつんとした顔を保つ。
「ありがとうトレイシー。次はちゃんと部屋の前で待つよ」
「そんな事しなくても後から出直してくれるか、メモ置いといてくれればこっちから行くのに。なんか、ルカはオオカミっていうより犬っぽいね」
「うーん?言われてみればそうかもしれない。君は美味しそうだけど噛むより舐めたい気がする」
「だからその美味しそうってなんなの」
匂いを嗅ぐような動作で顔を寄せたルカが、ちろりと舌を出したのを見て、トレイシーはその顔面をべしりと叩く。油断も隙もあったものではない。
ルカはそれでもご機嫌で、トレイシーを抱き竦めると金の頭に頬擦りをする。もうその程度なら慣れたものなので、トレイシーも特に抵抗する気はない。
「あんた結局オオカミなの、犬なの」
「さあ?どちらにしても君を齧るなんて勿体無いことはしないから安心してくれ。折角もちもちになってきたのに減ってしまうじゃないか」
「……よく分かんないけど非常食扱いよりぬいぐるみ扱いの方がまだいいや」
少し身構えたけど、このくらいの異変なら別にいいか。
トレイシーはいつもよりも鬱陶しいルカのスキンシップに辟易としながら、気が済んだら離れるだろうとされるがままだ。特に危険もなさそうなので気が抜けてしまった。
後で犬の耳に触らせてもらおうかなとトレイシーがぼんやりと考えていると、ルカが「ああ」と声を漏らす。
「でも今思い切り噛んだら責任取れって言われるかな……」
ぽそりとルカがそう呟くのを聞いたトレイシーは、ぎくりと肩を震わせた。じんわりと手の中に汗が滲み出る。
まだ、ルカから告白を受ける前、ルカがトレイシーに間違えて強電流を放ってしまった際の事。
女の子に攻撃するなんて、怪我が残ったらどうする気か、次はないと怒りに震えたエミリーとパトリシアを宥めるのに、数日寝込む羽目にあったトレイシーが「そうなったらルカに責任取ってもらうよー」と軽い気持ちで答えてしまったことがあった。あの時はまさかルカに恋愛対象にされてるとも、性愛の対象としても見られてるとも思っていなかったのでそんな事は起きないと高を括っていたのだ。それにあんな前の事なんてもう既に誰も覚えていないと思っていたのに。
そろりとトレイシーがルカに視線を向けると、犬かオオカミか不明の男は目を細めて楽しげに笑っている。
「待っても待っても君は焦らしてばかりだ。その方が手っ取り早い気がするんだけど、どうかな?」
――だから、なんで覚えてないくせに同じ事言うんだ。
記憶が消えようがルカはルカなのだ。綺麗に隠してるだけで中身は同じ、やっぱこいつ危ない奴だ。
トレイシーはルカを突き飛ばすと浴室に逃げ込んだ。そうして内鍵を急いでかける。
「トレイシー、冗談だよ。出ておいでー」
「いや!もおおお!なんでこうなるの!」
どんどんと扉を叩くルカに、トレイシーは頭を抱えて屈みこんだ。お姉様方の言う事は正しかった。これは確かに厄介だ。今度から絶対に部屋から出る時は鍵をかけよう。
ウサギでもオオカミでもルカはルカだ。犬なんて可愛いものじゃない。
「前言撤回!やっぱあんたオオカミでしょ!そうとしか思えない!」
「うん?そうかな?だとしたら君限定だけど」
「嬉しくない」
「出ておいでー」
「嫌だっつの」
全く諦めないルカに、次から「更新」の時はルカには近づかないことをトレイシーは決めた。
――夜のゲームまでに、ナイチンゲールさん戻ってきてくれるよね?
トレイシーは盛大な溜息をついて膝を抱え込んだのだった。





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