ウサギとオオカミ

競馬場、工場、病院。ゲームフィールドへ続く分岐の中央。そこで片脚を上げ、両手を広げ、バレリーナの様なポーズをしているカカシの前で、ルカは膝をついて肩を落とす。
一体、これで何体目だろう。カカシは緑の帽子を被り、見慣れたオレンジの作業着を羽織っている。
先程から匂いを辿るとトレイシーの衣服を身につけたカカシが待っている。ずっとこれだ。なんて用意周到な「囮」だろうか。
「……なんでこうなった」
運動が苦手なトレイシーならもっと簡単に捕まるだろうと高を括っていたルカは、地面を見つめたままそう呟いた。
失念していたが自分がウサギの性能を持つなら、向こうもオオカミの性能を持っているのだ。匂いを辿ろうとしても、高確率で先に気付かれてオオカミの脚力と持久力で逃げられてしまう。
ルカはトレイシーの服を着たカカシを見上げて、溜息をつく。
オオカミだからウサギのルカが食べたくなるのだとトレイシーは主張する。首にも腕にも噛まれた傷もあるので、実際そうなのだろう。
ルカは、しかしそのトレイシーの苦悩を他人事の様に受け止めている。我慢するのは大変だな、とは思う。思いはするが、獲物として見られていると言われても、全く脅威に感じないのだ。
だって、トレイシーだ。あんな華奢な少女に何が出来るのだろうと思ってしまう。襲い掛かられたとことろで、ルカでも抑え込める相手だ。一生懸命にトレイシーが自分の危うさを説明している間も、ぺったりと倒れてるオオカミの耳が可愛いなとルカは呑気に考えていたくらいだ。
それが、人形で足止めしてまで逃げられる事になるとは思っていなかった。ルカが思っていたよりもトレイシーには深刻な悩みだったようだ。カカシと自身の服を使ってまで自分を撒こうとするとは。
また、トレイシーの様子がおかしい様に、ルカも自身がどこかおかしいことは分かっていた。
目が覚めてからずっと、落ち着かない気分のままなのだ。心がさざめいて、それが苛立たしい。抑えようとすれば勝手に放電され火花を発したり、静電気を起こしてしまう。
トレイシーといればそれが収まる。安心する。だから一緒にいたいと思っているのに、トレイシーはルカから逃げて行ってしまうのだ。どうにか捕まえて、話をしようとしているのにトレイシーは痕跡があるのみで、ルカはその姿すら捕らえられないのだ。
「はああああ……」
「なんだこれ」
ルカが膝をついたまま溜息をついていると、頭上で声がする。視線を上げるとナワーブが顰めっ面でバレリーナもどきのカカシを眺めている。
「なんか変わったカカシがいんなと思ったら、トレイシーの服じゃねえか」
「サベダー」
「……なにを拝んでんのかと思えば」
地面に座り込んでいるルカは、後ろから見るとカカシに土下座でもしている様に見える。それを遠くから見つけたナワーブは今度は何を始めたのかと疑問に思い、近づいて来たのだ。
そうしたら、ルカの頭にウサギの耳が生えている。そしてウサギ男はとても顔色が悪い。「あ、厄介事の気配」とナワーブはカカシに近づいた事を後悔した。
ルカとトレイシーのセットにはあんまり関わりたくない。秘密を知ってしまった相手に対し、ルカの箍は緩みやすいらしく、ナワーブは幾度もトレイシーへの惚気耐久レースに強制参加させられている。
だがその耐久レースを終わらせるには、二人がくっつくのが一番手っ取り早い事も分かっている。
厄介事は、誰でも避けたい。だが今は「更新」の最中だ。厄介事はあちらこちらにゴロゴロと転がっているし、なんなら既にナワーブは厄介事に巻き込まれている。
「ここっ」
「まあ、今更か」
小脇に抱えた「厄介事」を見下ろし、ナワーブは肩を竦める。
この荘園にいる限り、トラブルはどう避けようとも向こうから飛び込んでくる。今ここから立ち去った所でそれに変わりはない。
ナワーブは半分諦めの境地でルカの側に歩み寄る。
「お前も異変組か、ルカ」
「ああ……ところでサベダー、何故ニワトリを抱えているんだ?新しいペットかい?」
ルカがナワーブの抱えている雄鶏を指差すと、雄鶏は短く鳴きながら空中に飛び上がった。そして羽ばたきながらルカの額を蹴り付ける。
「誰がペットだ‼︎」
「んお⁉︎」
雄鶏からの思わぬ攻撃に、ルカは目を丸くしてひっくり返った。
そんなルカの胸の上に着地したニワトリは、なんとも腹の立つ角度でルカの顔を見下ろしている。
「家畜扱いの次はペット扱いとは!目上の人間に対する礼儀を弁えろ、罪人風情が」
「す、すまない?」
額を摩りながらルカが謝罪をすれば、腹の虫が収まったのかニワトリはどっしりとルカの上に座り込んだ。
この人を見下した態度と高慢ちきさ、自分が上であることを誇示し、癇に障る物言いをする人物など一人しかいない。ルカは額を抑えたまま、雄鶏に問いかける。
「えっと……もしやライリー、か?」
「悪い。こいつ今、虫の居所が悪すぎてな」
ナワーブは偉そうにしている雄鶏を両手で掴み上げる。不満そうな鳴き声を上げはするが、雄鶏のフレディは暴れる気配はなかった。
「ぐううう……」
「お前、元気になった途端に八つ当たり始めるんじゃねえよ。全部、日頃の身から出た錆だろうが」
「俺が悪いかの様な言い様だな!」
「事実だろうが」
ナワーブはうんざりとした顔で、ため息を吐く。
ゲームで救助に率先して走る男は、現実では面倒臭がりで隙あらば食う、寝る、サボるを希望しているのだが、どうにも不運に見舞われる体質らしく、何かしらの面倒ごとに巻き込まれやすい。元来の人の良さ、面倒見の良さもあるのかもしれない。
ルカはコケコケと騒ぐフレディと疲れ果てているナワーブを体を起こして見上げた。なんとも珍しい組み合わせだと思う。この二人が一緒にいるところなどあまり見た覚えはない。
仲がいい、訳は絶対にないので何がどうなってナワーブがニワトリのフレディを連れ回しているのか、ルカは気になって仕方がない。
「先程家畜扱いがどうとか言っていたが」
「ああ。こいつ、どっからどう見ても丸々としたニワトリだろ。日頃の恨みも祟って、ナイフで捌こうとするクリーチャーに追い回されててな。流石にまずいんでカヴィンにクリーチャー捕縛して貰って、奴をふん縛って一旦落ち着いたんだ」
「一旦。と言うことはそこで一件落着、とはいかなかったと」
「その通り。今度はキツネ耳のエマがこいつ追いかけ始めてな。捕食者の本能は嫌がらせメインだったクリーチャーより厄介で」
「スイートガールのあの目は本気だった」
その時の事を思い出し、ぶるりとフレディが身を震わせる。包丁を片手ににこにこしたまま迫ってくるエマに、命の危機を覚えたのだ。
騒ぎを聞きつけた女性陣がエマを取り押さえてくれたが、いつもののんびりとした口調で「冗談なの〜」と言われても瞳孔が開き切っていたので信じられない。瞬きもせず雄鶏を見つめるエマに「あ、これ駄目なやつ」と誰もが思った筈だ。
なので一先ずの安全が確保されるまで、フレディはナワーブ預かりとなったのだ。
ナワーブは不満気にぐるぐると鳴いているニワトリを地面に放す。流石にずっと三キロの重りを抱えているのは腕が疲れる。
「ハムスターのビクターは保護されてるし、今のところ不安要素があるのはフレディだけだからな」
「不本意ながら、俺が捕食対象なのは認めるしかない。お前も全身がウサギだったら食われかけてただろうに。耳だけで済むとは悪運の強い奴だ」
「……それは、そうとも限らないというか」
フレディの吐き捨てるような嫌味に、ルカは歯切れ悪く答える。
首の後ろと二の腕にじくじくとした痛みがある。ルカには記憶はないが、トレイシーに噛みつかれた跡だ。
耳だけウサギの自分が、彼女には捕食対象に見えているという。しかし危機に瀕したフレディの話を聞いてもやはり他人事にしか思えない。ルカ自身は刃物や凶器で襲われたわけではないのだ。
――その裏にオオカミの本能を抑えようとするトレイシーの必死の努力があるのだが、今まで散々ルカの好意に甘え切っていた為、自分の為にトレイシーが耐えることなどあるわけがないというネガティブに振り切れたルカは気付かない。
胡座に肘をつき、さてどうしたものかとカカシを見上げているルカに、ナワーブは問いかける。
「で、お前の方は何があったんだよ」
「見ての通りの状況というか。囮をばら撒かれて困ってる」
「何故そうなったかの説明を省くな鳥頭が」
フレディは羽ばたいて跳び上がり、ルカの頭上にどっしりと座り込む。
いくら忘れっぽいからとは言え、ニワトリ自身に「鳥頭」と言われる日が来るとは、なんとも皮肉が効いている。
ルカはそこに落ち着いてしまった頭上の雄鶏を見上げる。
「ライリー、重いんだが」
「お前の軽いお頭には丁度いい。俺が聞いてやろうというんだ、一から説明しろ」
「暇なだけだろ、お前」
そう言いながらナワーブも分岐の案内看板に凭れてすっかりと話を聞く体勢だ。私の悩みは暇潰し扱いかとはルカも思ったものの、ずっと一人で悶々としていたので聞いてもらえるならばありがたい。
ルカはトレイシーに近づく事を禁止された事、それからずっと逃げられ続けている事、そして自身の不調と周囲への静電気被害についても二人に話して聞かせた。
一通りの話を聞いたナワーブは、顎を摩りながら唸った。
「んん、それじゃ、あちこちにこいつみたいな作業着引っ提げたカカシがいるのか。トレイシーの奴、よっぽどお前を寄せ付けたくないんだな」
「あちらこちらから彼女の匂いがしてお手上げなんだ……あとどれくらい囮がいるのかも把握出来ていない」
「もう、『更新』が終わるまでトレイシーの事は放っておいてやったらどうだ?」
「無理だ、私が耐えられない。どうやってでも捕まえたい、一緒にいたい、落ち着かない」
「目が怖えよ。分かった、分かったって。協力してやる」
ぐりん、とニワトリを頭に載せたまま血走った目を向けてくるルカに、ナワーブは眉間を抑えた。エマもそうだったが、異変組は本能を動物の性に支配されると止まらないようだ。
――草食動物がしていい目じゃねえんだよな。まるでこいつの方が捕食者の様だ。ウサギのくせに。
そりゃあ、こんな調子で追い回されたらトレイシーだって逃げたくもなるだろう。
ナワーブが一人で納得していると、ルカが突然バネ人形の様な動きで立ち上がる。凡そ人ではあり得ない動き方にナワーブは目を見開いた。
頭に乗っていたフレディもその勢いでぼとりと地面に落ちた。ぎりぎり体勢を立て直したニワトリは、不機嫌さを隠そうともせずがなりたてる。
「おい、危ないだろうが!」
「……………………」
「ルカ?どうしたんだ?」
「しっ」
人差し指を立て静かにと指示を出すと、ルカはウサギの耳をぴんと立て、警戒する様に辺りを見回す。
「聞こえないか」
「何がだ?」
「あの音だ、ほら。分からないか」
「だからなんだ、あの音って」
「機械人形のリモコンを弄ってるな、誰か」
ナワーブが会話にならないルカに苛立っていると、フレディが代わりに答える。羽ばたいてもう一度ルカの頭に着地しているので、案外その位置が気に入ったらしい。
ナワーブがいくら耳を澄ましてみてもそんな音は聞こえてこないので、異変組の探知能力が野生的過ぎるのだろう。
ハンターの接近に鈍過ぎるルカですらこれなのだから、もしも自分が異変組だったらどうなっていたのかとナワーブは顔を顰める。落ち落ち昼寝も出来ないのではないだろうか。
すん、と目を閉じて匂いを嗅いでいたルカが競馬場の方向を指す。
「向こうから匂いもする。彼女かもしれない」
「こんなとこに?いるかぁ?」
目を眇めて疑っているナワーブを他所に、ルカはウサギの瞬発力を生かして全力で走り出す。
「おい、ルカ!」とナワーブが呼びかけても全く聞いていない。ナワーブ預かりの雄鶏フレディもルカの頭に乗ったまま連れ去られてしまったので、放置するわけにはいかない。何かあったらナワーブの責任にされる。
仕方なく、ナワーブは異変組二匹を追いかけて走り出したのだった。

ナワーブが追いついた時、厩舎のロッカーの前でルカが四つん這いになっていた。何故そんな状態なのかは開いているロッカーの中身を見れば一目瞭然だった。
トレイシーの黒い作業着を腰に結んだフェアリーリング仕様の機械人形が、体育座りでリモコンを弄っている。ルカとフレディが聞いたのはこの音だったようだ。
無人のコースを蹄の音を響かせて走る馬には、ピンクの作業着を括り付けたフード付きの機械人形が跨っている。ロッカーの人形がこれを操作しているのだろう。
匂いを辿っていき、乗馬している人形に気付く。なんだ囮かと思わせてロッカーに本命が、と思わせやっぱり囮。
なるほど、こうやってルカを翻弄してたのかとナワーブは舌を巻く。何度も同じ目にあっているのに何故引っかかるのかと少し呆れていたのだが、流石「悪魔」はやる事が違う。
落ち込んでいるルカの肩を、ナワーブは労わる気持ちで叩く。
「あー……その。こいつらがあのカカシ用意してたんだな」
「リモコンの操作音がするし、今度こそはと思っていたのに」
「勝利を確信して高らかに見つけたことを宣言しながら意気揚々とロッカー開けてたぞ」
「ぐ…………」
「やめろって。追い討ちかけてやるなって」
ルカの頭の上に座り込んだフレディの容赦の無さに、ナワーブは流石に憐れみを覚えた。ルカもつい、気分が高揚して頭の上に嫌みと毒を吐く弁護士がいる事を忘れていたのだろう。
ナワーブに促され、ふらつきながらも立ち上がったルカは馬を走らせている人形を見上げた。
「機械人形まで囮に使い出すとは……」
「流石に、カカシも人形もストックがそんないねえと思いたい」
「私だって十体目のカカシを見つけた時にそう思った!機械人形も二体、主電源を落としたのにまだいたとは」
「まー、俺が知ってるだけでも人形八体はあるもんなぁ、変な飾りついたやつが」
「ごほん」
ルカの頭上で、態とらしくフレディが咳払いをする。そうして地面に降り立つと、雄鶏は胸を反らした。
「単細胞と頭の中まで畜生に成り果てたお前は忘れている様だが、愚直にレズニックを追うのではなくもっと有意義な方法があるだろう」
「有意義……」
「クラークを頼ればいい話だろう」
「イライに?」
「奴ならレズニックに悟られずに居場所が突き止められる」
ルカはその手があったかと額を叩く。すっかりと仲間の能力の事など頭から消し飛んでいた。
フレディの言う通り、自分はウサギの本能に引きずられ、短絡的な思考に縛られていたらしい。そんな簡単なことも思いつかないとは。
ナワーブも「あー」と感心した様に頷いている。
「そういや、そうだな。けど、あいつ全然姿を見てねぇんだよな」
「そうなのか?」
イライといえば、いつの間にか人の輪にいて、無駄に爽やかに「おはよう」と挨拶をしてくるイメージがある。いつ寝ているんだろうかと思うくらい、朝には必ずいるものだとルカは思っていた。
――まあ、異変に巻き込まれないように部屋に引きこもっているだけなのかもしれないが。
ルカは余り深く考えずにそう結論づけた。
ナワーブは億劫そうに首の後ろを撫でながら、ルカを振り返る。
「イライに頼るのはいいが、あいつちょっとか弱いもの贔屓するから、トレイシーより俺らに協力するかは分かんねえぞ」
「そこはある程度の説明を省いて上手い事丸めこもう。お人好しのクラークならいける」
「まあ、そうだな。そうするか」
互いに顔を見合わせ、頷き合うルカとナワーブに雄鶏は首を傾げ呟いた。
「お前達も中々に非道だと思うんだが」
「居場所を突き止めた後、どうするべきかも問題なんだ。彼女は私が近づくと、匂いに勘付いて逃げてしまうんだ」
「そっちはどうしたらいい、フレディ」
「何故、俺に聞くんだ……匂いが原因なら、他人の服を借りるなり、違う匂いのものに変えろ」
「借りろ、と言われてもなぁ」
ルカはフレディの言葉に、ちらりと自身より目線の低いナワーブを見やり、即座に視線を逸らした。そのルカの反応に、ナワーブは苛立たし気にローキックを決める。
「痛い!」
「言いたいことがあるならはっきりと言え、おら」
「いやいや、他意はないよ。ただ、服を借りるのは難しいなと思っただけで」
「そうだな……今の提案は無かったことにするか」
「お前にまで気を遣われると流石に傷つくんだが」
真面目腐った態度でそう答えるフレディに、ナワーブは項垂れてしまう。そんなナワーブに構わず、ニワトリはルカの頭に飛び乗り、くるると唸る。
「借りるでなくとも、一先ずお前は見窄らしい悪趣味なその服は変えろ。匂いを極力抑えられるような比較的新しい服にしろ」
「ああ、分かった」
フレディの言うことも尤もだ。ルカはその忠告は素直に受け入れることにした。
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