ウサギとオオカミ
「ん?」
サバイバーの居住区分から逃げて来たノートンは、目に入ったものに首を傾げた。
リビングのピアノの椅子に誰かが腰掛けている。長い藍色のマントは見慣れたものだが、明らかに何かおかしい。
ノートンが大股で歩み寄れば、マントを着ているのは意外な人物だった。
「………………トレイシー?」
「うわっ!びっくりした!」
突然上から視界に入って来たフールズ・ゴールドの顔に、トレイシーは文字通りに飛び上がった。ぼーっとしていたので尚更だ。
トレイシーはどくどくと激しく鼓動する心臓を抑え、ノートンを睨みつける。
「もう!やっと出来た休憩時間なんだからやめてよ!」
「休憩?……こんなとこで?」
ノートンは訳が分からないと顔を顰める。
今、二人がいるのはハンターの居館側だ。ゲーム外とはいえ、とてもサバイバーが心安らげる空間ではない。そんな場所でトレイシーは一人何やら物思いに沈んでいたのだ。なんでこんなとこでとノートンが疑問に思うのも仕方がない。
慣れた相手とはいえハンター姿の男に凝視されるのはあまり居心地がよろしくない。トレイシーは椅子に胡座をかいて、ノートンに向き直る。
「トレイシー、耳が六個ついてるけど」
「分かってて言ってるでしょ、ノートン。だからナイチンゲールさんが戻るまで避難してるの!」
笑いを堪えながら揶揄うノートンに、トレイシーは苛立たしげに髪を掻き毟る。
「キャンディー少女」を身に纏ったトレイシーの頭には、猫の耳を模したカチューシャのすぐ後ろに、もっと大きな灰色の三角耳が生えている。人の耳と合わせると、六つの耳がある様に見える。
トレイシーはじろりとノートンを睨み上げると、人差し指を突きつける。
「そういうノートンも可愛いお耳がついてるみたいだけど」
「ああ。お陰で暇で暇で」
ノートンは首を撫でながら溜息をついた。その頭上には茶色の小さな三角耳がついている。
体に異変が起きたメンバーは身体能力も変わるので、ゲームへの参加を禁止されているのだ。トレイシーもノートンも異変組なので治るまでゲームには出れない。
荘園は数ヶ月に一度、とても大きな「更新」が起こる。新たなルールだったり、施設の追加だったり、その撤去であったりといつも大掛かりなもので、最低でも数時間、長い時は数日もかかる事がある。
その変更期間中は管理者であるナイチンゲールも多忙になる為、姿を現さない。だが主の目はあるのでルールが絶対なのは変わらない。ゲーム参加者達は常に見張られているのだ。
問題なのは、その変更期間に起こる異変だ。それは人だったり、場所だったりに影響を及ぼす。程度も笑えるものから深刻なものまで、様々な種類の異常事態が起きる。
他人と入れ替わってしまったり、体のサイズが変わったり、あちこちに別の場所に飛ばされる穴が開いたり、他の生き物になったり、条件を満たさないと出られない部屋に閉じ込められたり、扉の先が異空間だったりと枚挙に遑がない。
流石に命に関わる様なものはないが、それでもその期間中は大人しく部屋に篭るメンバーが多い。部屋にいたからといって回避出来るものでは無いが、それでも受ける被害は少なくて済む。
「と、思ってたんだけどねぇ」
「駄目だったんだよねぇ」
オオカミの耳が生えたトレイシーと猫の耳が生えたノートンは揃って溜息をつく。大人しく部屋にいたところで異変にはやっぱり巻き込まれるのだ。
これがただ見た目が変わるだけならいいが、困ったことにその生き物の性能まで備わってしまう。匂いでハンターを嗅ぎ分けて俊足で逃げる鈍足の解読サバイバーに、足音を忍ばせて縦横無尽に動き回り磁石で粘着する探鉱者など誰も戦いたくないだろう。
だから身体に異変の影響が出た者は、ナイチンゲールが戻るまでゲームに出れないのだ。そうなると「更新」中は入れない施設も多く、行動も制限される為に暇になるのだ。
ノートンはふと、疑問に思う。
こんな時、トレイシーならば嬉々として部屋に篭って自分の好きな機械作業や研究に没頭する筈。誰にも邪魔されないのだから最高の環境なのではないだろうか。
それが、何故わざわざハンター側の居館で休憩などしているのか。
その疑問をノートンが投げかける前に、トレイシーが気怠そうにノートンを見上げる。
「そういえば、なんでノートンはわざわざそっちになってんの?ハンターになってもゲーム出れないよ?」
「分かってるよ。暇だし猫だとずっと眠いし、昼寝でもしていようと思ったんだけど、向こうだと音も気配もうるさすぎて」
ノートンはうんざりした顔で首を振る。
自室で寝ようとすれば廊下を爆走する全身ダチョウ化したウィリアムとそれを追いかけるマーサの怒鳴り声が止まず、それが収まっても今度は自身もイノシシ化したモウロが相棒と楽しげに鬼ごっこをし始める。
場所を変えても猫になったせいで動き回る人の気配ですぐ目が覚めてしまうし、猫の耳を面白がられて話しかけられる。
とても寝ていられる環境ではないので、ノートンはハンター側の居館に逃げて来たのだ。
ノートンは二人掛けのソファーに寝転がると、欠伸をする。
「こっちならみんな互いに無関心だしゆっくり出来るかなって。それより僕に言わせればトレイシーがここで寛いでる方がおかしいと思うんだけど」
「私もハンターの棲家でホッとする日が来るとは思わなかったよ。もう、こっちくらいしか休憩出来るとこないんだよ……と言っても多分時間の問題だとは思うけど」
「は?ここで騒ぐのは勘弁して欲しいんだけど。僕、寝に来たんだから」
顔を顰めているノートンに、トレイシーは苦笑して手をひらひらと振る。
「分かってるって。もうちょっとしたら移動する気だったし。これも返さないといけないしね」
「……さっきから気になってたんだけど、それどうしたの?」
トレイシーは自分が羽織っている長すぎるマントを広げて見せる。襟の部分が高くなっているので、後ろからだとノートンにはトレイシーの頭に生えてる四つの耳しか見えていなかったのだ。
「それって、アルヴァのだよね。なに、バルクからストーカー相手変えた?トレイシー枯れ専?」
「人聞きが悪いな!ストーカーって、いつ私がそんな事したのさ!違うよ、安全策で借りただけ。これあったら絶対安心だなーと思って」
「?よく分からないけど、借りたってのが怪しいんだけど。そんな気軽に貸してくれる訳なくない?」
ノートンは疑いの目をトレイシーに向ける。何せ、相手は隠者と言われる男だ。世捨て人が人と関わる事など好むとは思えない。
しかしトレイシーはあっけらかんとしている。
「お願いしたら貸してくれたよ」
「いいや、あれは脅迫と言う」
「あれ、いたんだ」
噂をすればなんとやら。いつの間に現れたのか、暖炉の前にアルヴァが立っていた。ノートンが体を起こすと、アルヴァは困ったように呟く。
「一時間付き纏われるのと一時間服を貸すか選べと。なぜ私がそんな事をしなくてはならないのか」
「あの杖から出すワープで逃げれば良かったんじゃないの?」
「………………………………」
「ノートン、今、私、オオカミ」
眉間を揉みながら沈黙するアルヴァと、得意げに自分の鼻を指すトレイシーに、大体何が起こったかをノートンは察した。
当然アルヴァも能力を駆使して逃げ回ったのだろう。だがオオカミの嗅覚とオオカミの速さのトレイシーからは逃げられなかった訳だ。一時間も不毛な鬼ごっこを続けるよりも、大人しく服を差し出す事を彼は選んだ訳だ。
「建築士に彼女の執拗さは聞いていた訳だが、ここまでだとは」
「やっぱストーカーじゃん」
「今はやってないよ!禁止されたし」
そう言って鼻を鳴らすトレイシーにノートンはいやいやと思う。禁止されなきゃまだやる気じゃないか。
自身の作った大事な「密室」を探ろうとする若い技師に、バルクもほとほと手を焼き、ナイチンゲールに頼み込んでできた禁止令だ。これの他に、ボンボンを分解しようとする事もトレイシーは禁止されている。
無言で手を差し出すアルヴァに、トレイシーはマントを大人しく返す。約束を守る気はあるようだ。アルヴァはマントを着ると、ふうと息を吐き出す。
「こう言う事はこれきりにして貰いたいものだ」
「ええ?一番確実だったんだけどなぁ。仕方ないか」
苦虫を噛み潰したような顔のアルヴァに、トレイシーは渋々と言った態度で了承を示す。
特に仲がいいわけでもない相手に、コミュニケーション力が高くはないトレイシーが進んで絡みに行くのは珍しい事だ。ノートンは不思議そうに首を傾げる。
「さっきトレイシー、安全策がどうのって言ってたけど」
「そう、匂い消ししても効かないからさ。一層の事、嫌いな匂いなら近づいてこないかなって…………来た!」
「は?」
「…………」
突然立ち上がったトレイシーに、ノートンが訝し気な目を向けていると、アルヴァが無言で杖を掲げる。そして電磁ボールを打ち上げると一瞬で姿を消してしまった。
「え?なに?来たって」
「追手!またね、ノートン!」
「はあ?」
一人意味がわからず首を傾げるノートンを残し、トレイシーはオオカミの脚力で走り去る。まるでウィリアムのボールダッシュのようだ。
あれでは確かにゲームにならないなとノートンが思っていると、リビングの扉が勢いよく開いた。そうして囚人服の男が飛び込んでくる。
「トレイシー!」
「…………なら、逃げた後だけど」
ノートンはソファーに寝転び、ルカが入ってきたのと逆の扉を示す。追手って、こいつの事か。
ルカはノートンへのお礼もそこそこに、またトレイシーの名を呼びながら走っていく。その頭に揺れるのはウサギの耳だ。
騒がしい連中が通り過ぎた後、くわりと欠伸をしてノートンは呟いた。
「なんでオオカミがウサギに追われてるんだか……」
サバイバーの居住区分から逃げて来たノートンは、目に入ったものに首を傾げた。
リビングのピアノの椅子に誰かが腰掛けている。長い藍色のマントは見慣れたものだが、明らかに何かおかしい。
ノートンが大股で歩み寄れば、マントを着ているのは意外な人物だった。
「………………トレイシー?」
「うわっ!びっくりした!」
突然上から視界に入って来たフールズ・ゴールドの顔に、トレイシーは文字通りに飛び上がった。ぼーっとしていたので尚更だ。
トレイシーはどくどくと激しく鼓動する心臓を抑え、ノートンを睨みつける。
「もう!やっと出来た休憩時間なんだからやめてよ!」
「休憩?……こんなとこで?」
ノートンは訳が分からないと顔を顰める。
今、二人がいるのはハンターの居館側だ。ゲーム外とはいえ、とてもサバイバーが心安らげる空間ではない。そんな場所でトレイシーは一人何やら物思いに沈んでいたのだ。なんでこんなとこでとノートンが疑問に思うのも仕方がない。
慣れた相手とはいえハンター姿の男に凝視されるのはあまり居心地がよろしくない。トレイシーは椅子に胡座をかいて、ノートンに向き直る。
「トレイシー、耳が六個ついてるけど」
「分かってて言ってるでしょ、ノートン。だからナイチンゲールさんが戻るまで避難してるの!」
笑いを堪えながら揶揄うノートンに、トレイシーは苛立たしげに髪を掻き毟る。
「キャンディー少女」を身に纏ったトレイシーの頭には、猫の耳を模したカチューシャのすぐ後ろに、もっと大きな灰色の三角耳が生えている。人の耳と合わせると、六つの耳がある様に見える。
トレイシーはじろりとノートンを睨み上げると、人差し指を突きつける。
「そういうノートンも可愛いお耳がついてるみたいだけど」
「ああ。お陰で暇で暇で」
ノートンは首を撫でながら溜息をついた。その頭上には茶色の小さな三角耳がついている。
体に異変が起きたメンバーは身体能力も変わるので、ゲームへの参加を禁止されているのだ。トレイシーもノートンも異変組なので治るまでゲームには出れない。
荘園は数ヶ月に一度、とても大きな「更新」が起こる。新たなルールだったり、施設の追加だったり、その撤去であったりといつも大掛かりなもので、最低でも数時間、長い時は数日もかかる事がある。
その変更期間中は管理者であるナイチンゲールも多忙になる為、姿を現さない。だが主の目はあるのでルールが絶対なのは変わらない。ゲーム参加者達は常に見張られているのだ。
問題なのは、その変更期間に起こる異変だ。それは人だったり、場所だったりに影響を及ぼす。程度も笑えるものから深刻なものまで、様々な種類の異常事態が起きる。
他人と入れ替わってしまったり、体のサイズが変わったり、あちこちに別の場所に飛ばされる穴が開いたり、他の生き物になったり、条件を満たさないと出られない部屋に閉じ込められたり、扉の先が異空間だったりと枚挙に遑がない。
流石に命に関わる様なものはないが、それでもその期間中は大人しく部屋に篭るメンバーが多い。部屋にいたからといって回避出来るものでは無いが、それでも受ける被害は少なくて済む。
「と、思ってたんだけどねぇ」
「駄目だったんだよねぇ」
オオカミの耳が生えたトレイシーと猫の耳が生えたノートンは揃って溜息をつく。大人しく部屋にいたところで異変にはやっぱり巻き込まれるのだ。
これがただ見た目が変わるだけならいいが、困ったことにその生き物の性能まで備わってしまう。匂いでハンターを嗅ぎ分けて俊足で逃げる鈍足の解読サバイバーに、足音を忍ばせて縦横無尽に動き回り磁石で粘着する探鉱者など誰も戦いたくないだろう。
だから身体に異変の影響が出た者は、ナイチンゲールが戻るまでゲームに出れないのだ。そうなると「更新」中は入れない施設も多く、行動も制限される為に暇になるのだ。
ノートンはふと、疑問に思う。
こんな時、トレイシーならば嬉々として部屋に篭って自分の好きな機械作業や研究に没頭する筈。誰にも邪魔されないのだから最高の環境なのではないだろうか。
それが、何故わざわざハンター側の居館で休憩などしているのか。
その疑問をノートンが投げかける前に、トレイシーが気怠そうにノートンを見上げる。
「そういえば、なんでノートンはわざわざそっちになってんの?ハンターになってもゲーム出れないよ?」
「分かってるよ。暇だし猫だとずっと眠いし、昼寝でもしていようと思ったんだけど、向こうだと音も気配もうるさすぎて」
ノートンはうんざりした顔で首を振る。
自室で寝ようとすれば廊下を爆走する全身ダチョウ化したウィリアムとそれを追いかけるマーサの怒鳴り声が止まず、それが収まっても今度は自身もイノシシ化したモウロが相棒と楽しげに鬼ごっこをし始める。
場所を変えても猫になったせいで動き回る人の気配ですぐ目が覚めてしまうし、猫の耳を面白がられて話しかけられる。
とても寝ていられる環境ではないので、ノートンはハンター側の居館に逃げて来たのだ。
ノートンは二人掛けのソファーに寝転がると、欠伸をする。
「こっちならみんな互いに無関心だしゆっくり出来るかなって。それより僕に言わせればトレイシーがここで寛いでる方がおかしいと思うんだけど」
「私もハンターの棲家でホッとする日が来るとは思わなかったよ。もう、こっちくらいしか休憩出来るとこないんだよ……と言っても多分時間の問題だとは思うけど」
「は?ここで騒ぐのは勘弁して欲しいんだけど。僕、寝に来たんだから」
顔を顰めているノートンに、トレイシーは苦笑して手をひらひらと振る。
「分かってるって。もうちょっとしたら移動する気だったし。これも返さないといけないしね」
「……さっきから気になってたんだけど、それどうしたの?」
トレイシーは自分が羽織っている長すぎるマントを広げて見せる。襟の部分が高くなっているので、後ろからだとノートンにはトレイシーの頭に生えてる四つの耳しか見えていなかったのだ。
「それって、アルヴァのだよね。なに、バルクからストーカー相手変えた?トレイシー枯れ専?」
「人聞きが悪いな!ストーカーって、いつ私がそんな事したのさ!違うよ、安全策で借りただけ。これあったら絶対安心だなーと思って」
「?よく分からないけど、借りたってのが怪しいんだけど。そんな気軽に貸してくれる訳なくない?」
ノートンは疑いの目をトレイシーに向ける。何せ、相手は隠者と言われる男だ。世捨て人が人と関わる事など好むとは思えない。
しかしトレイシーはあっけらかんとしている。
「お願いしたら貸してくれたよ」
「いいや、あれは脅迫と言う」
「あれ、いたんだ」
噂をすればなんとやら。いつの間に現れたのか、暖炉の前にアルヴァが立っていた。ノートンが体を起こすと、アルヴァは困ったように呟く。
「一時間付き纏われるのと一時間服を貸すか選べと。なぜ私がそんな事をしなくてはならないのか」
「あの杖から出すワープで逃げれば良かったんじゃないの?」
「………………………………」
「ノートン、今、私、オオカミ」
眉間を揉みながら沈黙するアルヴァと、得意げに自分の鼻を指すトレイシーに、大体何が起こったかをノートンは察した。
当然アルヴァも能力を駆使して逃げ回ったのだろう。だがオオカミの嗅覚とオオカミの速さのトレイシーからは逃げられなかった訳だ。一時間も不毛な鬼ごっこを続けるよりも、大人しく服を差し出す事を彼は選んだ訳だ。
「建築士に彼女の執拗さは聞いていた訳だが、ここまでだとは」
「やっぱストーカーじゃん」
「今はやってないよ!禁止されたし」
そう言って鼻を鳴らすトレイシーにノートンはいやいやと思う。禁止されなきゃまだやる気じゃないか。
自身の作った大事な「密室」を探ろうとする若い技師に、バルクもほとほと手を焼き、ナイチンゲールに頼み込んでできた禁止令だ。これの他に、ボンボンを分解しようとする事もトレイシーは禁止されている。
無言で手を差し出すアルヴァに、トレイシーはマントを大人しく返す。約束を守る気はあるようだ。アルヴァはマントを着ると、ふうと息を吐き出す。
「こう言う事はこれきりにして貰いたいものだ」
「ええ?一番確実だったんだけどなぁ。仕方ないか」
苦虫を噛み潰したような顔のアルヴァに、トレイシーは渋々と言った態度で了承を示す。
特に仲がいいわけでもない相手に、コミュニケーション力が高くはないトレイシーが進んで絡みに行くのは珍しい事だ。ノートンは不思議そうに首を傾げる。
「さっきトレイシー、安全策がどうのって言ってたけど」
「そう、匂い消ししても効かないからさ。一層の事、嫌いな匂いなら近づいてこないかなって…………来た!」
「は?」
「…………」
突然立ち上がったトレイシーに、ノートンが訝し気な目を向けていると、アルヴァが無言で杖を掲げる。そして電磁ボールを打ち上げると一瞬で姿を消してしまった。
「え?なに?来たって」
「追手!またね、ノートン!」
「はあ?」
一人意味がわからず首を傾げるノートンを残し、トレイシーはオオカミの脚力で走り去る。まるでウィリアムのボールダッシュのようだ。
あれでは確かにゲームにならないなとノートンが思っていると、リビングの扉が勢いよく開いた。そうして囚人服の男が飛び込んでくる。
「トレイシー!」
「…………なら、逃げた後だけど」
ノートンはソファーに寝転び、ルカが入ってきたのと逆の扉を示す。追手って、こいつの事か。
ルカはノートンへのお礼もそこそこに、またトレイシーの名を呼びながら走っていく。その頭に揺れるのはウサギの耳だ。
騒がしい連中が通り過ぎた後、くわりと欠伸をしてノートンは呟いた。
「なんでオオカミがウサギに追われてるんだか……」