犬って被るものだっけ?

「君が新人さん?」
「うん、よろしく!」
マイクが荘園に来た時に、内部を案内をしてくれたのがトレイシーだった。普段はイライや、エマ、ウィリアムなど、コミュニケーション能力が高い面々が担当しているのだけど、この時は都合がつかなかったらしい。
手が空いていて、初対面の相手でも問題がない人選が彼女だけだったのだと後に本人から聞かされた。「イソップ、ライリーさん、ナワーブ、私の四択でそれ以外の選択肢ある?」と言われ、確かにと苦く笑ったものだ。イソップは未だにまともに会話が出来たことはないし、フレディは芸人を見下げている。ナワーブは悪い奴では無いが、初対面だとただただ無口で無愛想な人間にしか見えない。
それに外見から言っても背の高さや言動、態度から威圧的に見えるあの三人に比べたら、小柄で朗らかなトレイシーの方が絶対に印象がいい。他のメンバーだったら回れ右して帰りたくなるかもしれない。
「――で、大浴場もあるけど、部屋にも浴室はあるよ」
「贅沢だね。そんでひっろい」
「最初は迷子になる人多いよ。森でも本館でも。このまま2階案内するけど平気?」
「いいけど、本館って事は他にも建物あるんだ」
「あるよ。多分私達が知らないとこもまだあるっぽい」
「うへぇ……」
マイクが顔を顰めると、トレイシーがふふと笑う。その笑い方に、マイクは何か違和感を感じて首を傾げる。不思議そうな顔で自分を凝視しているマイクに、トレイシーも真似をするように首を傾げた。
「どうかした?」
「うん。あのさ。ものっすごい失礼な事聞くかもなんだけど……君って、もしかして、女の子?」
「うん」
「おわー……ごめん。男の子だとばかり……」
マイクが額を抑えて謝る。今の今までトレイシーを少年だと思い込んでた。しかし手に口を当てて笑う姿は少女の仕草だ。道理でなにか違和感があったわけだ。職業柄、顔をメイクで隠す連中に囲まれていたから、人を見抜くことに関しては自信があったのに。 
しかし申し訳なさそうにしているマイクに、トレイシーはへらっとした顔で首を振る。
「気にする事ないよ。みんなそうだから。モートンさん」
「マイクでいーよ。僕もトレイシーって呼んでいい?」
「いいよー。まあ、とにかくあんまり気にしないで。私もマイク可愛い顔だなーって思ったし」
「それは事実だから」
マイクがにやりと笑って堂々と答えると「自信満々でムカつく」とトレイシーに小突かれた。
「まあまあ。可愛い同士仲良くしようよ」
「やだやだ、口も上手いよこの人」
「トレイシーは……サイズ込みだけど」
「どうせチビだよ!」
今度は拳を振り上げるトレイシーに、マイクは頭を覆って笑いながら逃げ出す。

トレイシーも人見知りをするタイプではあったけど、マイク本人がコミュニケーション能力が高かったお陰で、すぐに打ち解けることができた。マイクが見た目よりも若く見えたのも大きかったかもしれない。
荘園にいる者達はみな何かしらの秘密と目的を抱えていて、癖がある連中ばかりだ。マイクだって抱えているものがある。誰にも言わないけれど。
数々のゲームに参加して、新しいメンバーが増えて。衝突があり、交流があり、そうしてこの荘園にマイクも馴染んでいく。

そして、「彼」が荘園にやって来た。
今回の荘園の案内はマイクの役目だった。すっかり「コミュ力お化け」扱いされているので案内するのは構わないけれど、今回の新人が特殊だったのでマイクはほんの少し緊張していた。
元死刑囚の発明家の青年。いろいろな職業の人間がここにはいるけれど、それでも中々にインパクトのある肩書きだ。
まあ色眼鏡で見るのは良くないよな、とマイクは思っていたのに、やってきた新人の姿にあんぐりと口を開けてしまう。
「やあ、こんにちは。先輩とお呼びするべきかな?私はルカ・バルサーと言う。よろしく」
「っ、マイク・モートンだよ、よろしく。……なんというか、一応聞くけどそれ君の趣味、じゃないよね」
マイクは恐る恐る問いかける。やってきたルカという青年は、囚人服で首枷がついたままの状態だった。流石に枷の錠は外れているけれど、それにしてもその格好で来るか?と驚いてしまう。
けれどマイクの問いに、ルカはあっけらかんとした顔で答える。
「ああ、直接来たものでそこまで気が回らなかったんだ」
「…………」
直接。なるほど。マイクは納得した。どこからとかそういう野暮なことは聞かない。どこに招待状送ってんだよ、とは思ったけれど。
なんとも言えない顔をしているマイクに、ルカは頬を掻きながらちらと手荷物に目をやる。
「入獄した時の服はあるのだが、こちらの方が動きやすくて」
「動きやすさより第一印象とか考えない?その枷とかなんの必要性があるのさ」
「一応これは接地になるというか……」
「せっち??」
「こっちの話だ。まあとにかく便利でつけているんだ」
首枷が便利って何?この新人よく分からない。自分の手に負えるだろうかとマイクは不安になってきた。案内はいいけど指導係にだけはなりたくない。厄介な匂いがする。
マイクはこっそりとルカを観察する。言動と格好はともかく、立ち振る舞いに粗野なところは見られない。顔は悪くはない部類なのに、目が片方腫れ上がっているのが勿体無いと思う。会話する際に視線は合うから、こないだ来たアンドルーよりはコミュケーションは取れそうではある。話を聞いてくれるかは分からないけど。
「……着替えるべきかな?どう思うモートン先輩」
「先輩呼びしなくていいよ。ここで裸になられるのもちょっと。というかどうせ動きやすいって明日からもその格好する気ならそれでいいよ……」
「確かにそれもそうだ」
いや、確かにって本当に囚人服で生活する気か。
ここで色んな奴を見たし増えたけど、慣れたと思っても変な人間の種類って際限ないんだな、とマイクは感動すら覚えている。
しかし、案内しながら会話をしてみると、ルカは中々面白い話し相手だった。博識で、何にでも興味を示すのでつい調子に乗って自分の作る爆弾の話までしてしまった。疑問に思ったことは突き詰めたいタイプらしく、そこがマイクとも合ったのかもしれない。
「流石に危険物の扱いは自室だと禁止されてるから、そういう時は屋外でやるんだけどね。自分の部屋を工房やお店みたいにしてる人もいるんだ」
「へえ。それは是非見せてもらいたいな」
「女の人が多いけどね。ま、見たかったら仲良くなればいいだけだよ」
「簡単に言ってくれるじゃないか」
ううむ、と困り顔になるルカに、マイクは笑う。そこらへんは彼女達との交流次第だから、当人に頑張ってもらうしかない。
荘園は広いので、初日に案内するのは本館だけだ。あとはざっくりとだけ紹介して、生活しながらその都度詳細を説明していく。新人は覚えることがとにかく多いのだ。迷子になりやすいことも伝えなくてはならない。
マイクが二階までの案内を済ませた頃には、窓の外は藍色が陽を追いやり、暗くなりかけている。今日はここまでで、夕食にするのが丁度いいだろうか。それとも切りよく全て本館を案内してしまうか。どちらにするかをルカに提案しようとして、マイクはぴたりと動きを止めた。
本館の廊下は赤い絨毯が敷かれているのだが、そこに何かを引きずった跡が残っている。そしてそれは開きっぱなしの扉に続いていた。マイクは無意識にその跡を追って、部屋の入り口に足を向けた。途中で「モートン?」と呼ばれた気がしたのだが、振り返る気になれなかった。
何かを引きずった痕跡はトレイシーの私室に続いていた。開け放たれた扉の中へと。
トレイシーの部屋は作業場を兼ねている。だから人の出入りが少なくはない。鍵がかかってるのは当人が寝てる時か着替えてる時くらいかもしれない。常に開いている部屋に、不用心だなとはマイクは思っていた。
そのトレイシーの部屋に何かがいる。本人がやったことなら構わないけれど、少し気になる。気になることは突き止めたいのがマイクの性分だ。
なにか、異常がないか。それを確認するだけだ。好奇心に負けたわけではない。マイクはそう言い訳をしながら部屋の中を覗き込む。
――覗き込んで、後悔した。


「ひっく……う……」


機械人形に縋りついて、トレイシーが泣いている。
いつも彼女が使っている無機質な人形ではない。明らかに「誰か」を模した人形。精巧に作ろう、人に寄せようと造られたそれは、服も髪も揃っているのに歪に機械らしさが際立つ。きらきらと金属の色に輝く、人ではないもの。
ーーこれは、見てはいけないものだ。触れてはいけない。彼女の「秘密」だ。
この時ほどマイクは自身の好奇心を呪ったことはなかった。そろそろと後退りしようとして、どんと何かにぶつかる。ルカもマイクの後ろから室内を覗き込んでいたのだ。
自分が抱いた好奇心は、当然ルカも抱いたはずだ。マイクは舌打ちをしたい気分になる。したらトレイシーに気付かれてしまうのでやらないけれど。
「な」
「しっ!」
ルカを押しやり、文句が出る前に人差し指を口の前に立てる。そうしてトレイシーに気付かれないように、扉を慎重に閉める。ラッチボルトを極小の音で戻し、マイクはほうと息を吐き出す。多分、気付かれてないはず。
何かを聞きたそうなルカの腕を引き、マイクはトレイシーの部屋から足早に離れる。まずい、非常にまずい。案内役を放り出して好奇心を優先した挙句、新人に見てはならないものを見せてしまった。というか自分も見てしまった。
ポーカーフェイスは苦手ではないから、トレイシーと面と向かっても知らないふりは出来る。けれど、やはり非常に心苦しいところはある。
「……もう聞いてもいいだろうか」
十分にトレイシーの部屋から離れたところで、腕を離されたルカが口を開く。ちゃんと空気を読んで口を噤んでくれていたらしい。
だが、できたら何も聞かないでいてほしいとマイクは思っている。そんなことできるわけないのは、自分の性分も同じなのでわかっているけど。
「内容による。なに聞きたい?」
「あの子は人形使いなのか?部屋に何体か同じようなものが並んでいたが」
「本人は時計職人って名乗ってるけど、機械系得意だし、その認識で間違いないかな」
「ではあれは機械仕掛けの人形なのか。興味深いな」
「…………」
あれ?気になったのそこ??マイクは何を質問されるかと身構えていたのに、拍子抜けしてしまう。
そういえばルカは発明家だと聞いている。人間よりもそういうものに興味があるのかもしれない。サーカスの話の他にもいろいろしたけれど、一番声が弾んだのは爆弾の成分の話をしていた時だった気がする。
それならそれでいい、下手に人の秘密に踏み込みたくはない。マイクはこのまま自分もさっき見たことは忘れようと心に決める。
ところが。
「機械の人形で、あの子は『誰』を造りたいのだろう」
ぽつりとルカがつぶやいた言葉に、マイクは弾かれたように顔を上げる。そしてルカの首枷の鎖を掴み、強い口調で言う。
「絶対に!絶対にそのことは僕以外の前で言うな!あれを見たこともだ!」
「!」
「……見たのは僕のせいであって、ルカは悪くないけど。でも、それだけは触れたらダメだ。……分かるだろ」
――この、荘園に呼ばれた人間なら。
マイクの強い口調と視線に、ルカは気圧されたように頷く。その言葉の意味は、ここにいるなら分からないはずも無い。
「すまない。不躾だった」
「僕も巻き込んどいてごめん」
マイクは勢いで掴んでしまった鎖を離す。こんな荒っぽい手を取るなんて、自分も大分動揺していたらしい。

ここでは暗黙の了解で、互いに過去の詮索はしない。それでも話をしていれば家族や職場、過去の体験などの話は出てくるものだ。マイクもサーカスでの楽しい思い出や、「家族」の話をすることはある。
誰もが薄暗いところは伏せ、キラキラと輝く記憶だけを語る。わざわざ隠した傷跡を、晒す必要はないからだ。
トレイシーは機械や研究の話が好きだが、その合間合間に父親の話が出てくることがあった。
トレイシーが語る、唯一の家族。
深い愛情を感じる話にマイクはなんとなく、その人がもういないんだろうなということは感じていた。いたら、トレイシーはきっと「ここ」にはいない。
親しくしていても、「目的」は語らない者はいる。マイクもトレイシーもそうだ。知られたくはないし、知ろうとは思わない。それでいい。そう思っていた。
しかし、その答えに来たばかりの新人の一言で気づいてしまった。
――「誰」を造りたいのか。
誰を。
職人服を着た、金色の人形。
彼女が語る、唯一の家族。
唯一の理解者――
「……」
マイクはそこまで考えて、ブンブンと首を振る。
いけないいけない、今触れてはいけないってルカに言ったのに、自分が考えてどうする。むくむくと湧いてくる好奇心を押さえつけ、マイクは一つ咳払いをする。
「三階の案内がまだ残ってるんだけど、時間が時間だから、どうする?休憩して夕食の時間にするか、明日にするか」
「モートンが構わないならこのまま案内してもらいたい」
「うん。いいよー」
何事もなかったように、マイクは案内を再開する。切り替えの早さもマイクは自分の長所だと思っている。
マイクの後に続きながら、ルカは一度だけ後ろを振り返った。
名前も顔も知らない機械人形の技師に、彼が興味を持ったのはこの時だった。
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