私に言わせればあれは悪魔

「悪女か」
「悪女だな」
カウンターに突っ伏したルカのポニーテールを見やりながら、ホセとナワーブは同時に呟いた。
数日前と同じ場所での酒盛りだが、今回のメンバーはホセ、ルカ、ナワーブの三人だけだ。ルカはまだ反省中なので酒ではなくグレープフルーツジュースを飲んでいる。
男だけでできる話をしようとホセがルカを誘ったのだが、そのルカが近くにいたナワーブの腕を掴んだのだ。瞳孔が開いたマイクを思い出したナワーブは、嫌な予感を感じて逃走を図ったのだが、事情を知らないホセにまで飲みの席に誘われ、断りきれずに今に至る。
そうして祭り会場を去った後のルカとトレイシーのやりとりを聞き、二人の口から出たのが最初の言葉だった。
だれが悪女だと啖呵を切っていたトレイシーだったが、紛う事なくルカを手玉に取る悪い女だ。謝る必要なかったじゃねえかとオレンジを齧りながらナワーブは思う。
「いや、悪女というより、もうあれは悪魔だと思う……」
ルカは体を起こしながらそう呟く。
酒でやらかしてしまった事は反省しなくてはならないが、愚痴をこぼせる相手ができたのがルカには救いだ。マイクはトレイシー寄りなので、アドバイスはありがたいがルカが責められることが多い。
ホセはルカのグラスにジュースを継ぎ足してやる。
「話には聞いていたが、君らは変わった関係だな」
「好きでそうなったわけじゃないんだ。私だって世間一般の恋人関係を望んでいるとも」
ルカは額を抑えてグラスの中身を飲み干した。
トレイシーは無垢な態度で言動で、小動物のようなか弱さと強かさでこちらを散々振り回してきた。仕留めきれそうに見えるのに、絶対に巣穴には入れてくれない。今回だって譲歩しているように見せかけて、時間稼ぎをされただけだ。悪魔以外に何があるのか。
「だからとっととくっつけって言った筈なんだが」
「出来るなら私だってやっている!」
ルカは苛立たしげに音を立ててグラスを置いた。まあそうだよなあとナワーブは氷を噛み砕く。予想通りとても苦戦しているらしい。
「その、なんだ。多少強引に行くとか」
「一度あの怯え切った目で見られてみればいい、罪悪感で死にたくなる」
「やったことあんのかよ」
「あー、押してダメなら引いてみろってよく言わないか?」
「友達関係を望んでる相手にそれをやれと」
「喜ぶだけだな、多分」
「しかしサベダーのアドバイスのお陰で彼女の認識は改められた。それだけでも私には救いだ」
「そりゃ良かった」
「おいおい、いつの間にそんな相談してたんだ?」
ホセはジンを自身のグラスに注ぎならそう問いかける。なんだか急に仲良くなったなとは思っていたが。
ライムをナイフで切り分けているナワーブは「成り行きだ」とだけ答えた。思い返してみてもあの時は長すぎるルカの惚気を聞かされていた記憶しかない。下手を打ってルカの記憶を刺激し、あれを再放送されては堪らない。
だから今日は間違ってもそっちの方向には話を振らないように気を付けねばならない。
ホセは軽くなってきた酒瓶を持ち上げ、ふとルカのグラスが空になっていることに気づく。
「ルカ、君は同じのばかりで飽きないか?他のはどうだ?」
「もう飲み物はいいよ」
「そうか?」
「ライムあるぞ」
「それは欲しい」
並んだ酒瓶はどれも中身は少なくなっている。時間も時間なのでそろそろお開きにするべきかもしれないとホセは考える。と言っても、一度開けた酒は空にしたい主義なので、全て飲み終わるまで終わらせるつもりはないのだが。
そういえば、ルカに聞きたいことがあったのをホセは思い出す。丁度いいのでライムを噛んでいるルカに、ホセはその質問をぶつけてみることにする。
「なあ、ルカ」
「うん?」
「君達の関係が特殊なのは分かったんだが、そもそも君がトレイシーを意識し出したのはいつの話なんだ?」
「あ!馬鹿!」
質問した相手はルカだというのに、何故かナワーブが慌て出した。
「撤回しろ、撤回!その質問!今すぐ!」
「は?」
「そうだな、トレイシーを恋愛対象として意識しだしたのがいつからかと言われれば説明は難しいんだが、彼女を愛らしいと感じたのは一目見た時からなんだ。その時は顔を見たわけではなかったんだがその仕草に庇護欲を唆られてしまって。声も愛らしいなとは思ったんだが、正面から見た時にあれほど可愛らしいとは」
「駄目だ始まったー!」
「は?」
天を仰いで顔を覆うナワーブ、突然滔々と語り出したルカにホセは呆気に取られた顔になる。
横でナワーブが叫んでいるのにルカには聞こえていないのか、上機嫌でトレイシーへの賛辞を並べ立ている。それはホセが声をかけても止まることはない。蒸気した頬でつらつらと話し続けている。
「えーっと?もしやこれは私のせいか?」
「その通りだ……前回は場所が場所だったから短くて済んだけどこれは長くなるんじゃないか」
「おお……」
ホセは引き攣った顔になる。ちょっとした好奇心でした質問がこんなことになるとは。
ナワーブはといえば、カウンターの棚から新たな酒瓶を取り出すと封を開け始めた。開き直ってルカの惚気が終わるまで呑むことにしたらしい。
――これは付き合うしかないだろう。
そもそもの原因は自分の質問だ。ホセは椅子に座り直し、新しいグラスとアイスペールを引き寄せる。
「自覚がない頃にもついつい口から思っていることが溢れ出てしまって。その度に顔を真っ赤にして可愛いはダメと言われていたんだが、それすら子犬が威嚇しているようで可愛く可愛くて仕方がなかったんだ。否定されたところで当人が愛くるしい事実は変わらないと言うのに、本当にどうしてこんな生き物がこの世にいるのかが……――」
「なあ、あれどのくらい続くんだ」
「俺もまだ二回目だから分かんねえよ。マイクは慣れてそうだけど打開策はないらしい」
「彼も被害者なのか……」
「お前も仲間入りだ、ようこそ」
「嬉しくはない」
かちん、とナワーブにグラスを打ち付けられ、ホセはげんなりとした顔で酒を煽った。






トレイシーは廊下の向こうから歩いてくる三人に、目を瞬かせた。二人はふらふらだが、最後尾を歩く男の足取りは軽い。
「ちょっと、二人とも大丈夫?」
「……ああ、トレイシー」
「お前か……」
なんだか疲れ切った顔のナワーブとホセに、トレイシーは心配げな顔になる。
「なんか顔色悪いけど、お酒?飲み過ぎには気を付けてよ」
「はは。酒より悪酔いする原因が別にあってな」
「なに?へんな薬とかやめてよ?」
「やあこんばんは。トレイシー」
「ってあんたはめちゃくちゃご機嫌だし」
ホセの後ろからにこにこと笑っているルカが顔を出す。二人が土気色の頬をしているのに対し、こちらは異様に肌の色艶がよく見える。
――そりゃあれだけ気分良く一時間半も惚気ればそうなるわな。
ナワーブはフードを深く被りながら舌打ちをする。次は絶対巻き込まれない様にしよう。
トレイシーは肩を聳やかし、ルカを睨み上げる。
「あんたまさかお酒飲んだんじゃないでしょうね」
「君の許可なく禁止令を破ることはしないよ。それは二人も証明してくれる」
「ならいいけど。でも明日は朝からゲームなんじゃないの?夜更かしなんかして大丈夫なわけ?」
「ああ、そういえばそうだった。もう休むよ」
ルカはひらりと手を振ると、そのまま自分の部屋へと帰って行く。
その背を見送り、ホセは盛大なため息をついた。
――なんだか最後にとても疲れてしまった気がする。
ルカはトレイシーを悪魔だというが、ホセにしてみれば人に長時間の惚気を聞かせておいて自分だけつやつやになっているルカの方が余程質が悪い。
ナワーブはトレイシーの肩を叩き、ボソリと呟く。
「トレイシー、もう悪魔でも悪女でもいい。頼むからなるだけ早くあいつに首輪つけてくれ……」
「放し飼いにされるとこちらに被害が出るので私からも頼む」
「へ?え?あ、うん」
ホセとナワーブからの妙なお願いに、トレイシーは戸惑いつつ、頷くしかなかった。





後日、二人は瞳孔が開き切ったマイクに「一時間程度の惚気で何言ってんの」と笑顔で凄まれる事になる。





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