私に言わせればあれは悪魔

トレイシーはぜえぜえと呼吸しながら竜を模したフロート車の座席に寝転がる。
「つっかれた……」
「選りに選ってなんでマイクと龍舞参加しちゃうのよ」
マーサは呆れながらも手に持っていた椿の扇でトレイシーを扇いでやる。
龍の人形を三人で担ぐ舞は、ただでさえ体力を使う。それの頭役をスタミナお化けで元気印のマイクがやればどうなるかはわかりきったことだ。トレイシーは誘われるがまま参加してこの有様だ。荘園で一、二を争う体力の無さに定評がある彼女には荷が重すぎた。
目に見えてふらふらし出したトレイシーに、フィオナとマーサは「フロート車に乗りましょう」と誘い連れ出してやったのだ。
マイクはというとまだまだ遊び足りないらしく、元気に龍の人形を担いで高座で走り回っている。
「楽しそうに見えたんだよ……実際、大変だけど面白かったよ?」
「大分胴体が痙攣してたけどトレイシーの龍さん」
「うう……これでも頑張ったんだってえ……」
「うふふ」
龍の尻尾に座ったフィオナが楽しそう笑う。天女の姿をしているので非常にマッチした光景だ。
息が落ち着くまでとトレイシーは目を閉じる。マーサが送ってくれる風が気持ちいい。
ここのところ、ずっと不健康な生活をしていたので急に動いた体が悲鳴を上げているようだ。ゲームに参加したって、必ずハンターに追われるわけではないので運動不足になる時はなるのだ。
「マーサぁ!フィオナー!」
暫く無音のままフロート車に揺られていると、二人を呼ぶ声がする。マーサが車から顔を出すと、高座の上で両手を振っている亀の姿が見えた。
高座にはウサギのウィリアムとメリー、狼のナワーブ、リスのウィラ、亀のカートが揃っており、それを見たフィオナはくすくすと笑う。
「あら、可愛い集団が出来てるわね」
「なにかしら?呼ばれてるみたいだけど」
「そうね、行ってみる?」
龍の尻尾から降りたフィオナは、ぐったりしているトレイシーを覗き込む。
「トレイシーは起きれそう?」
「もうちょっと休んでく。ありがと、二人とも」
「無理はしないでね」
手を少し上げて返事をすると、トレイシーはまた目を閉じた。フロート車の揺れが心地よいのもあって、まだ動きたくはなかった。
二人が車から降りると一人きりだ。トレイシーは仰向けになってううと呻く。絶対これ、明日筋肉痛になっている筈だ。荘園はゲーム中の怪我は残らないけれど、これは治るだろうか。運動とまでは行かなくても、ちゃんと三日に一回は体は動かそうとトレイシーは心に決める。
目を閉じていると周りの気配に敏感になる。自走する龍のフロート車には他にも人がいた筈だが、今はトレイシーの他には誰も乗っていないようだ。外で何か騒いでいる声が聞こえるので、新しい催しでも始まったのかもしれない。それで他の者もそちらに向かって行ったのだろう。
トレイシーも何があるのか気にはなったのだが、無茶をした体は休息を欲している。
薄らと目を開けば、車は橋の下を潜り抜けるところだった。あと一周。フロート車が会場を一周したらみんなと合流しよう。トレイシーはそう決めて目を閉じた。
会場に流れる音楽は異国情緒に溢れているが、ここ数年同じ国の音楽を聴いているのでなんだか馴染んできてしまった。この時期に流れる曲はわくわくとした気分になるので、トレイシーは非常に好ましく思っている。
遠い喧騒と音楽を聴きながらフロート車に揺られていると、うっかりと眠ってしまいそうだ。駄目だ駄目だと思いつつ、トレイしーはついうとうととし始める。遠のく意識に逆らうことは出来ず、眠気にずるずると引き摺り込まれる。
そう思ったところで、車体が僅かに揺れるのを感じた。だれか乗り込んできたのだろう。少し意識は浮上したが、起きる程のものではなかった。そのまま、トレイシーの意識は沈んでいく。
しかし突然浮き上がった体に、トレイシーは驚いて目を開く。
「うぎゃ⁈」
「なんだ。起きてたのか」
体の不安定さに慌てて掴んだのは馴染みのない光沢のある布地だ。きょろきょろと辺りを見回し、トレイシーは今自分が誰かに抱き上げられているという事に気付いた。
最後に相手の顔を見上げ、首を傾げる。
「へ?え?……ル、ルカ?」
「そうだよ」
トレイシーは今、自分を抱き上げてる相手がルカだと認識するのに数秒かかった。
ルカには寝落ちたところをいつもベッドに運んで貰っているので、こんなことは慣れている。だからすぐに分かる筈なのに、今日は何かがいつもと違うのだ。そのせいで少し反応が遅れてしまった。
「具合が悪そうだと聞いたから、寝ているのかと。大丈夫か?」
「ちょっと運動不足が祟っただけだよ、大袈裟だな」
「そうか、すまない」
座席にトレイシーを降ろしてやる。もしも体調が悪いなら部屋に運んでやろうと思っていたのだが、ルカの早とちりだったようだ。トレイシーは顔色を見る限り、ピンピンしている。本人の言う通り、ただ休憩していただけだったらしい。
「んー……」
「!うっ?」
トレイシーは唸りながら、腰を屈めたルカのクロスタイを鷲掴んだ。そして首元に鼻を寄せ、先程感じた違和感の正体に気付いた。
「ト、トレイシー?」
「もしかして、香水してる?」
「ああ、衣装に付いていたからな。以前は日常的に使っていた……っ」
ルカはしまったと口を噤む。過去のことは二度と話す気はなかったのに、ついうっかりと口が滑った。トレイシーに何を聞かれても、忘れたと言って今まで誤魔化していたのに。
気まずい思いで顔を逸らしたルカだったが、トレイシーは「ふーん」と興味が無さそうな生返事だ。それよりも香水が気になって仕方がないのか、頻りに匂いを嗅いでいる。その顔はどこか不満そうだ。
「あー、変か?嫌いな香りだったとか」
「いい匂いだけど、匂いが違うから違う人みたいだし……うん、あんま好きじゃない。いつもの方がいいかも」
むうと唇を尖らせているトレイシーに、ルカは思わず顔がにやけそうになり口元を覆う。
――それは、私の匂いの方が好きと言う事じゃないか。
わざわざ指摘する程度には気になったのか。本当にトレイシーは無意識に可愛いことをしでかすから堪らない。
浮かれた声が出ないように気をつけながら、ルカは口を開く。
「次から、香水はつけないようにするよ」
「うん」
ルカの返答に満足したトレイシーは掴んでいたタイを離し、新衣装を身に纏ったルカの全身をゆっくりと見回す。
昔に見た、富裕層の客が着ていたような上等な服だ。生まれてこの方、触ったこともないような上質な手触りの生地。やはりルカの出身階級はかなり上だったのだろうとトレイシーは納得する。
しかしそんなことは噯にも出さず、トレイシーは違う感想を口に出す。
「ルカ、なんかとっても若く見えるねえ」
「…………そんな事を言われたのは初めてだな」
トレイシーの感想に、ルカは拍子抜けした様にそう溢した。
さっきから会う人間会う人間みんなに、まともな格好やら出身がいいやらやっぱり貴族かと言われ、質問を躱すのに苦労していたのだ。
他の人間はともかく、トレイシーにそれを問われたらどうすべきか。それを悩んでいたのだが取り越し苦労だったようだ。
目に見えて、肩から力を抜いたルカにトレイシーは笑って座席から立ち上がった。
「なに?みんなにその格好のせいで質問責めされた?で、私にもされると思った?」
「…………否定はしないな」
「今更そんなことするわけないじゃん。あんたといれば行儀がいいのもそれなりのとこで知識得たのも分かる。ルカ、変人だけど育ちの良さが全部出てるんだよ。変人だけど」
「二回言うか」
「いいとこ打ち消すくらいには頭おかしいし」
「まともに見えるとは言われていたが、面と向かってそれを言われるとは」
「みんな言わないだけで総意だと思ってて間違いないよ」
昨夜の事があるからか、今日のトレイシーはいつも以上にルカに対して容赦がない。口を一文字に結んで黙り込んだルカの顔を、トレイシーはにやにやしながら覗き込む。
「遡及」が来ると、大体こんな感じで盛り上がる周囲とは裏腹に、本人はぎこちない態度になったり、意気消沈したりするのだ。そして先に「遡及」が来たものは、同じ目に遭うものが増えると意味もなく嬉しくなる。
トレイシーは自分の後に「遡及」が来たメンバーが全く動じないバルクとマリーだったのでつまらなく思っていたのだ。やっと来た揶揄える相手がルカだったので、それはもう楽しくて仕方ない。
「ま、仕方がないと思うけどね。囚人服普段着にしてるあんたじゃなに着ても大体まともに見えるでしょ」
「言ってくれるじゃないか」
言われっぱなしで面白くなかったのか、ルカはむっとした表情になる。作業があろうがなかろうが、構わず常に作業着を身につけ生活しているトレイシーには言われたくない。
「君だって同じ様なものだろう。私の格好をとやかく言うが君だってその格好の方が」
「方が?」
「……………………」
同じ事を言ってやろうかとルカは考えていたのだが、なにやらわくわくとした目を向けているトレイシーに、言いかけた言葉を飲み込んだ。これは「まともだ」と返しても喜ばれるだけな気がする。
このまま優位ぶったトレイシーに遊ばれるのは非常に気に食わないので、それを崩してやろうとルカは思い立つ。
「変わらず可愛い」
「もう!なんでそうなるの!」
ルカの狙い通り、可愛いと言った途端にトレイシーは不機嫌になった。目を吊り上げルカのベストの襟元を掴み、ぐらぐらと揺さぶり始める。
「違うでしょ!格好いいでしょうが‼︎あんたの目は本当に腐ってんの⁈どう見ても格好いいでしょうが!」
「その感想は何処から出てくるんだ?どこをどう見ても可愛いなあとしか」
「可愛くないの!」
「ふふふ」
がくんがくんと首を揺らされながらも、ルカの口からは笑いが漏れる。きゃんきゃん吠え始めたトレイシーはすっかりと余裕な態度が崩れている。思惑通りな反応を返してくれるトレイシーに、「遡及」で下がっていた気分もましなものになる。
しかしそんなルカの機嫌とは裏腹に、トレイシーの機嫌は悪くなっていく。
「あんた、なに笑ってんのさ」
「おっと。落ち着いてくれ。今日の君は怒りんぼだな」
「誰のせいだと思ってんの!」
「怒らせる様なことは言ってないぞ。可愛いものを可愛いと言って何が、んぐ」
「喋るな、もう」
トレイシーは苛立たしげに、ルカの顎を思い切り押し上げた。今のは揶揄う気満々で口にした言葉だと分かるので、頬も赤くならない。
そんなやりとりをしていると、車体が左右に揺れる。トレイシーがそちらを向けば、お揃いのパンダの衣装を身につけたエミリーとエマが乗り込んで来た所だった。
「あらやだ、喧嘩?」
トレイシーに掌底打ちされているルカを見て、エミリーは眉を顰めた。お医者様の光臨に、二人は即座に互いから離れて居住いを正す。エミリーは喧嘩や悪戯でいらない怪我をした場合、それはそれは恐ろしい対応になるのだ。
トレイシーは怖い目をしているエミリーに、首と手を振って否定する。
「してないしてない」
「誤解だ、先生」
ルカも両手を上げて無罪を訴える。本気でお怒りになったエミリーの恐ろしさはもう二回経験している。三度目の体験はしたくないと心の底から思っている。
二人の必死な否定に、エミリーの眉間の皺が薄らぐ。
「喧嘩じゃないならいいのよ」
「そんなわけないの、エミリー。二人は仲良しだもの」
「ははは……」
エマの無邪気な言葉に、ルカは空笑いをしてしまう。友として公認の仲なのは嬉しいが、認めてほしいのはそっちの関係じゃないんだよな。
何とも言えない表情をしているルカに気づいているのかいないのか、エマはマイペースに手を叩く。
「ルカさん、それ新しい衣装でしょう?ぴしっとしてて学生さんの制服、とっても素敵なの!」
「ああ、ありがとう」
「本当に。黙って立ってたら変人だとは誰も思わないよね」
「君な」
エマからの純粋な賞賛に感謝をしていれば、これだ。本当に今日はトレイシーからの当たりが強い。じろりと目を向ければ、トレイシーはふんと鼻を鳴らす。そうして面白くないといった顔でそっぽを向いてしまう。
そんなトレイシーに対し、エミリーは「あら」といつものおっとりとした口調で微笑む。
「トレイシーも変人だから仲がいいんでしょう、あなた達」
「ちょっと、エミリー……」
ルカとは違い、エミリーに強くは出れないトレイシーは文句を言いあぐねるしかない。
「それに、ふふ」
「なに?エミリー」
口を隠して笑うエミリーに、エマが不思議そうな顔で首を傾げている。エミリーはくすくすと笑いながら、ルカとトレイシーを示す。
「ほら、エマ。二人を見て何か気づかない?」
「んー………………そう言えば、ルカさんもトレイシーちゃんもその格好、お揃いみたいなの」
「!」
エマの言葉に、トレイシーとルカは顔を見合わせた。そして互いの姿をまじまじと確認する。
「トレイシーちゃん、可愛い学生さんみたいにも見えるもの。ルカさんも生徒さんだし、ブローチもそっくり!雰囲気がぴったりなの」
「眼鏡のデザインも似ているしね。そんないいお洋服なのに、油染みがついてるところまでお揃いなんだから」
おかしそうに笑うエミリーに、エマも釣られてくすくすと笑い出す。
そんなに目立っていないつもりだった手袋の染みを指摘され、ルカはこっそりと手を背後に隠した。今更そんな事をしても無駄なのだが、若気の至りを見られた気分になり少し気恥ずかしい。
トレイシーはと言えば、体を捻ったりして自身の姿を矯めつ眇めつ眺めている。
「そんなに似てる、かな」
「そうなの!そうやって並んでるとお揃いの仲良しみたいなの。ね、エミリー」
「ふふ、そうね」
そういってエミリーに抱きつくエマと、そんなエマの頭を撫でるエミリーはまるで姉妹の様だ。お揃い姿の仲良し同士にそんな事を言われるとは思ってなかったので、ルカは少しこそばゆい気持ちになる。
積極的にトレイシーに関係変更を迫ってはいるが、ルカにとっては今の関係も居心地はいいのだ。トレイシーと一番仲がいいと言われるのはそれはそれで気分がいい。お揃いに見えると言われ、先ほどまで憂鬱に感じていたこの姿も悪くないのではと思えてきた。
――この服をクローゼットの奥にしまい込むのは保留にしよう。
ルカが一人でそんな事を考えていると、袖を引かれる。視線を下ろすと、トレイシーがきらきらと物言いたげに緑の瞳を輝かせている。可愛い、という言葉は二人がいるので飲み込み、ルカはトレイシーに尋ねる。
「どうしたんだ?」
「お揃いみたいって。ルカと私の服、似てる?本当かな?」
確認させるようにトレイシーは頭上のゴーグルを装着して見せる。そわそわとしているトレイシーに、自然とルカの口元にも笑みが浮かぶ。
ルカは「どれどれ」と自身の単眼鏡を外し、トレイシーのゴーグルの隣に並べて見比べる。よくよく見てみれば、装飾の一部が確かにそっくりだ。
「うーん……似てると言われれば、似てるな」
「本当?」
「ああ」
「私、学生に見える?」
「そうだな。私もそんな制服を着ていたことがあったような気もする。……………………子供時代に」
「?なんか言った?」
「いいや」
それと似たような制服をルカがもっと幼い頃に着ていた事実は、トレイシーには知らせない方がいいだろう。単眼鏡位置を調整しているふりで、ルカは独り言を誤魔化した。
トレイシーはうくくと両手を口に添えて笑う。とても機嫌が良いようだ。
「お揃いに見えるんだ。そっかそっか」
「ご機嫌だな?」
「うん。ねえ、みんなのとこ行こう!」
ルカの腕を抱え込んで、トレイシーはフロート車から降りようと促す。うきうきとした足取りでぐいぐいとルカの手を引く。
「服見せに行こう。まだみんなに見せてないでしょう?」
「ああ……」
「早く早く!」
景色を楽しんでいたエマとエミリーと別れ、トレイシーはルカを引き摺るようにフロート車から降りた。
先程までの不機嫌な顔もどこへやら、トレイシーはスキップしそうな足取りでルカを引っ張り、人が集まる茶楼エリアへと向かっていく。
「ルカ早く!」
「そんなに急かさないでくれ。私は逃げないよ」
「ルカが逃げなくても、みんながいなくなっちゃうかもしれないでしょ」
以前にもトレイシーとルカに同じテーマの服や主役二人としての服が来たことはあった。だが、その時もトレイシーはここまで浮き足立ってはいなかったように思う。
最近のトレイシーはルカから一定の距離を取って、無邪気に戯れるような事もしなくなっていたのだ。意識してくれているのは嬉しいがルカはそれが寂しくもあった。しかし今のトレイシーはルカから離れまいと腕をしっかりと抱え込んでいる。これが喜ばずにいられるか。
ルカは自身も祭りの雰囲気に浮かれている事を自覚しながら、揶揄うように尋ねる。
「そんなに私とお揃いが嬉しいのか?君は」
「………………………………うん」
少し返答までに間があったが、トレイシーはこくりと頷いた。いつも素っ気ない塩対応を受けることが多いので、トレイシーの素直な反応にルカは目を丸くする。
ルカを見上げるトレイシーの頬は紅潮し、薔薇色に染まっている。きらきらとした目を細め、ふにゃりと照れたように笑う顔は堪らなく可愛らしい。
「ルカとお揃い、嬉しい」
「っ………」
虚を衝かれた上に追撃を食らったルカは、口を覆う。そうでもしなければ、この公共の場で叫んでしまったかもしれない。両の手が空いていたら、人目を気にせずに彼女を抱き締めていたかもしれない。
そうなった原因でもあるが、トレイシーが片腕にしがみついていたお陰で動作を阻害され、思いとどまった。一瞬、約束も何もかもどうでもいいと思いかけたので危なかった。
「ルカ?」
黙ったまま動かなくなったルカの顔を、トレイシーは心配気に覗き込む。ルカはなんの前触れもなしに倒れる事があるので不安になる。頭痛の発作だろうか。
「なに、どうしたの?頭痛いとか?」
「………………不意打ちが過ぎる」
「は?」
こちらは心配をしているだけなのに、何故だか恨めし気な顔を向けられトレイシーは目を瞬かせる。そんな反応を返される様なことをしただろうか?
きょとんとした顔のトレイシーが無自覚にこちらを翻弄するのはいつものことだ。ルカは短く息を吐き出すと気分を切り替えた。
腕にくっついたままのトレイシーを連れて茶楼に近づけば、表の円卓で寛いでいた面々がこちらに気付き声を掛けてくる。それに適当に返事をしていれば、マイクが申し訳なさそうにトレイシーに走り寄る。
「トレイシー!ごめんー!体大丈夫そう?」
「平気平気。ちょっと運動不足が過ぎたせいだし」
龍舞で振り回してしまった事をマイクが詫びると、トレイシーは笑って首を振る。ちょっと疲労しただけなのでそんな大袈裟に謝らないで欲しい。
そう思っているトレイシーの横で、ルカがぽつりと呟く。
「確かに君、最近ちょっともちっとしてるな」
「あんた『あれ』の禁止期間延ばされたいの?」
「感触はいいんだが」
「うるさい」
絶対膝抱っこ禁止期間延ばしてやる。そして今日から走ろう。絶対走ろう。
そう心の中で誓っているであろうトレイシーのつむじを見ながら、ルカは絶対邪魔してやろうと決める。もうちょっともちもちしてくれた方がトレイシーには丁度いい。折角良い感じの体型になって来たのに痩せ細られては勿体無い。
二人がそうやって真逆のことを考えていると、茶楼に人が増えてきた。
「あらー、新しい衣装決まってるじゃないの、ルカ!」
「学生さんかしら?凛々しいわね」
「ありがとう、少し気恥ずかしい気もするんだが」
その場に居た女性達に口々に褒められたルカが苦笑しながらそう返す。実際、「遡及」に慣れて来たとはいえ、手放しで晴々しい気分とはならない。やはり複雑な思いが胸にある。
「そうやってると紳士に見えなくもないわね」
「褒められているのか、それは」
「ふふ、どうかしら」
「………………」
他の女性に褒められているルカに、トレイシーはほんの少しだけ面白くない気持ちが湧く。服を見せに行こうと言い出したのは自分なのに、だ。そしてそれが何故なのかは自分でも分からない。
じりじりとした不快感をトレイシーが一人、持て余しているとシマリスの尾が目の前で揺れる。顔を上げると尾の持ち主のウィラが、じっとトレイシーを見下ろしている。そしてルカにも目線をやり、くすりと笑う。
「貴方達その眼鏡とゴーグル、お揃いみたいね」
「あーなんか見覚えあると思ったら、そうか」
ウィラの言葉に反応して、マイクも掌に拳を打ちつける。ルカの眼鏡に既視感があると持っていたのだ。そういえばトレイシーにも同じ形のレンズが付いている。
「仲がいいと衣装まで似るのかしら?まさかね」
「でも学生っぽいよ、二人とも」
「そうねえ。ちょっとトレイシーのは若めだけど」
「二人とも同じ学校にいたら、寝食忘れて研究に没頭しそうよね」
「今と変わらないじゃないか、それ」
「…………?」
トレイシーは無言で胸を摩る。話題がルカの衣装からずれると、先程まで感じていた苛立ちのような感情は消えた。なにか胸がむかむかとしていたのに、今は無い。どうしてだろう?
トレイシーが首を捻りながらネクタイを弄っていると、茶楼から狼、ではなくナワーブが顔を出した。その手には湯気の立つ饅頭がある。
「おい、点心追加来たぞ。早い者順だ」
「そう言いながら自分の確保してるの狡くない?」
「何来たの」
「あー、チャーシューまんと、なんか緑の餃子と……」
円卓にいた大半のメンバーが建物の中に入っていく。各々が好みの点心を我先にと取りに向かったのだ。これも春節の楽しみの一つだ。
トレイシーも出来たての点心に心は惹かれたのだが、先程のルカのもちっと発言があるのでどうにも尻込みしてしまう。ルカはといえば、点心には興味がなさそうな顔をしている。
「お前は行かないのか?なくなるぞ?」
ナワーブは手近な椅子に腰掛けて饅頭に齧り付いている。いつもは嬉々として点心競争に参加しているトレイイシーが大人しいので不思議に思っていると、あーだのうーだのとなにやら悩んでいる。
「どうした」
「えっと、その。ちょっと、ダイエットとかした方がいいのかなって……」
「駄目よ」
「駄目だろ!」
「!」
トレイシーの言葉が終わらないうちに、両腕をマーサとウィリアムに掴まれる。二人はトレイシーの袖を捲り上げると眉間に皺を寄せた。
「こんな骨と皮にちょこっと肉ついてるだけの体型で何を言ってるの。運動するならともかく食べ控えなんてトレイシーには以ての外よ!」
「その通り。まず落とすもんがねえだろ!そもそも!その前に筋肉をつけろ。一丁前に女みたいなこと言う前に脂肪と肉をつけろ!なんだこの枝みたいな腕は。マッチの方がまだ芯があるぞ。肉を食え、肉を」
「ああ〜……」
ぷりぷりと怒っている二人に引きずられていくトレイシーに、さっきも見た光景だなとルカとマイクはその姿を見送る。
「ルカが余計なこと言うから……」
「言ったか?」
「もちっとしてきたとか言ってたじゃん。女の子に禁句だよ、その手の話は。友達だとしても異性なら大分デリカシー無いし、恋人ならお姉様方に死刑にされても文句は言えない」
しゅっと首の前で親指を横に走らせるマイクに、ルカはそこまでなのかと目を見開く。しかしマイクは死んだ魚のような目でこちらを見つめているので本気なのだろう。
決して太ったという意味で言ったのではないが、彼女はそう捉えてしまったのか。言葉が足りないとは散々言われてきたが、このままでは命がいくつあっても足りないかもしれない。
「き、気を付ける」
「そうして」
「………………なんだ、もしかしてマイクも告白、知ってるのか?」
点心を食べ終えたナワーブは、今は食後のお茶を啜っている。二人のすぐ近くの椅子に居たのでやりとりが全て聞こえていたのだ。
マイクはナワーブの隣に腰を下ろすと、ルカもそれに倣ってマイクと反対側の椅子を引く。あまり大きな声で話すわけにはいかない内容だ。三人は不自然にならない程度に卓に身を乗り出して頭を寄せ合う。
「二人の事は知ってる。というか一目惚れ現場にも告白現場にもいたし。ついでに酒の席のやらかしも聞いてる」
「へえ。そうだったのか。そんな素振り全然気付かなかったぜ。マイクは意外と口固いんだな」
「意外とは失礼な。少なくとも飲酒しただけでやらかすルカよりはしっかりしてる」
「その件はすまなかったと思ってる……」
散々朝から詰められていたので、ルカは円卓に突っ伏して蚊の鳴くような声を出す。もう二度と酒など飲むものか。
ナワーブは指先で茶托を弄びながら、反省中のルカを見下ろす。
ガリガリの坊主時代を知っているナワーブやウィリアムはトレイシーは手のかかる子供という認識が拭えないし、その後に来た連中も大方はトレイシーが女と分かっても中性的なイメージのせいか、女性として扱っている男の方が少ない。
ナワーブは昨日までその筆頭がルカだと思っていたのだ。来て早々に友人関係になり、異性な事を感じさせない距離感の友情を築いている。この二人は特段仲が良い相手なのだろう。そう認識していた訳だ。
ところが蓋を開ければ表の印象と裏腹に、ルカはトレイシーを女として見ている上に、恋愛対象として既に告白済みだと来た。それも一度は友達でと断られているのに、全く折れずに上手いことお試し期間へと突入させている。
トレイシーから聞いた話ではそのまま友人の関係を崩さずに数年稼がれてはいるものの、現状に甘んじる事なく常に攻めの姿勢でいるらしい。それが功を奏してか、最近はトレイシーが劣勢なのだという。
――ここまで積極的な男、他にいるだろうか。恋愛に臆病なトレイシーにこんなに根気よく付き合える男が、他に現れるはずがない。
ナワーブはうん、と一人頷く。
「こいつら、上手く行きそうに見えるんだけどな。あいつもこいつのこと好きだろう」
「それは僕も感じてるんだけど、そう簡単じゃないんだよナワーブ。トレイシーはハリネズミだし、ルカは言葉が足りない癖に行動派だし何考えてんだか分かんないしで噛み合わないんだよねえ」
「ハリネズミ?」
「恋愛耐性がないから、それ察知すると逃げ出すか強固な防御態勢になるんだって」
「ああ……」
そういや昨日も丸くなって威嚇してたな。言われてみればハリネズミの様だ。
あの様子だと相当手を焼いているのではないだろうか。それでも諦めずに関係を崩そうとしているのだからルカの本気度が知れるというものだ。
「最初に、友人関係になったのが悪かったんだ」
円卓から体を起こし、ルカは組んだ手に視線を落とす。
今となっては恋愛感情に気付かなかった、鈍感な自分を恨むしかない。あの時は、兎に角彼女の視界に入りたかったのだ。もっと冷静になれていれば。
「確かにトレイシーは私に好意は持ってくれているんだが、私は彼女にとって初めての友達という非常に大事な立ち位置にいるらしくてな。恋人になるとその存在が消えてしまうと思っているようだ。あとは、恐らく無意識に彼女の大事な存在の代替え扱いもされていると思う。だから私が『男』になる事に怯えているのかと」
「そんな冷静に分析までしてんのかよ……」
『あのハリネズミは一回丸くなるとなかなか針をしまってくれないんだ。慎重にもなる」
マイクの言う、ハリネズミという表現はなかなか的を得ている。
気が逸ってしでかしてしまい、トレイシーを怒らせたり怯えさせたりした事はある。その度にルカは警戒心の塊になってしまったトレイシーを宥めるのに苦戦してきた。
どんよりとした目で虚空を見つめているルカに、ナワーブは憐れみすら覚えてしまう。
「お前、よくそれで今まで諦めないで来れたな」
「その辛抱強さだけは僕も認める」
「全くの損ばかりだったと言うわけでもないからな。真っ赤になって怒っているトレイシーも可愛いし、拗ねた態度でいながらもすぐ側で私の様子を伺っている姿も非常に愛らしいんだ」
「………………おう」
顔を赤らめて、突然惚気始めたルカにナワーブは混乱しながらも一先ず頷いておく。どうするのが正解なのかとマイクに視線を流せば両手を広げて肩を竦めている。打つ手はないらしい。
「さっきは私とお揃いなのが嬉しいと喜んでいたんだが、その笑顔がまた抱きしめたいほどに可愛らしくて。その場は耐えはしたが二人きりだったら無理だったなあ。普段はつれないのに……ああ、私が背を向けている時に自分から甘えてくる事も極々稀にあるんだが、気付かれないと思っている所も堪らなく可愛らしい。正面から相手をすると恥ずかしがって逃げてしまうので好きにさせているんだが、気紛れな猫の子のようでなんともその様が――……」
滔々とトレイシーの愛らしさについて語っているルカに、ナワーブは開いた口が塞がらない。ベタ惚れじゃねぇか。
「お、おい。これ……」
「ああ、うん。そのまま語らせてあげて。普段抑えてる分、偶に放出させてあげないとまた電気溜め込むから」
「慣れてないか、お前」
「他人事じゃないよぉ。事情知っちゃったからにはナワーブも今後同じ目にあうんだよ」
「マジかよ。それなら知らないままのが良かったわ」
「あはははは、逃さないよ。道連れが出来て僕は嬉しい」
「お前な」
マイクはニコニコしているが瞳孔が開いている。これ巻き込む気満々だ、こいつ。ルカもだが、マイクもマイクでルカの惚気が相当ストレスだったらしい。
――これ、とっととトレイシーとルカくっつけた方が全員の精神衛生の面でもいいんじゃないか。
それにしても本当に、一切こういう素振りを見せていなかったルカの徹底ぶりにナワーブは感心するしかない。当人がやらかすまで、あの場にいた全員がルカとトレイシーの関係には気付いていなかったのだ。
こうやってルカが惚気ている姿を見ても、どこかで自分は実は騙されているんじゃなかろうかという疑念が消えない。そのくらい二人は普段、恋愛のれの字も感じさせないのだ。
ルカは破天荒な思考回路をしているとナワーブは思っていたが、トレイシーとの約束はきっちり守ろうとしている。トレイシーは待てができないと言っていたが、充分相手としていい男なんじゃないだろうか。
ナワーブとマイクがお茶を啜りながら、ぼんやりと語り続けるルカを眺めて数分か数十分か。満足したのかルカの口から流れ出る言葉が止む。二人が密かにほっとしていると、今度はルカの口から全身の空気を吐き出すような大きな溜息が漏れた。
「はあああああ……」
「なんだ、今度は」
「恋する男の悩み、尽きな過ぎなんだけど」
「彼女に好かれている自信はある。あるが、全く不安にならないわけではないんだ。それにやっぱりトレイシーが何を考えているのかもさっぱり分からない」
「あんな冷静に分析してたじゃん」
「いいや。モートン、さっき君には話しただろう。トレイシーの奇行について。結局彼女は私に何をさせたいのか……」
「何の話だ?」
「ああ、あのさ――」
説明を求めるナワーブに、マイクは先程ルカから聞いた「わざわざめかし込んでルカの元に来ては逃げていくトレイシー」の話をする。時折ルカが補足を入れながら説明を聞かせていると、ナワーブは腕を組んで何か思い悩むように眉間に皺を寄せる。
そして二人の話が終わると、ナワーブはふくく、と小さく笑った。今の話に笑える要素があっただろうかとルカとマイクが首を傾げていると、ナワーブは顔を上げて円卓に両肘を乗せる。
「悪い。今のはお前を馬鹿にした訳じゃねえから。やっぱり俺らの思った通り、トレイシーの思惑は全く当人に伝わってなかったんだなと思ったら笑えちまってな」
「思惑、とは?」
「お前には朗報だと思うぞ。あいつ、結構陥落寸前だそうだからな」
いつまでも恋愛に二の足を踏んでいるトレイシーよりも、地道に奮闘しているルカの方を応援してやろう。
ナワーブはにやりと笑う。そうして昨夜トレイシーが話していた内容を、そのまま全てルカに話して聞かせた。
トレイシーがルカと二人きりの空気に危機感を覚えていた事、このままでは押し負けると立てた作戦の事、可愛くない格好をしても、ルカの反応が期待していたものと違うと溢していた事。
ルカとマイクは漸くトレイシーの奇行の意味が分かり、その内容に一人は頭を抱え、一人は口角を上げている。
トレイシーにミスがあるとすれば、ナワーブ達に昨夜の事は他言するなとだけ言ったことだろう。ルカにも話すなと言うべきだったのだ。
今まで事情を知っていたパトリシアはトレイシーの味方側だし、マイクも中立の少しトレイシー寄りだったので、まさかルカ側に立つ人間が現れるとはトレイシーも思っていなかったのだろう。
マイクは痛む頭を抑えて、乾いた笑いを漏らす。
「トレイシー……頭いいのになんでそんなお馬鹿さんなの」
「まあ、当然その作戦通じてねぇだろうなとは思ってたんだが、めかし込んでるってなあ」
くくくと笑っているナワーブは、めかし込むという言い回しが相当ツボに入ったようだ。トレイシーは可愛いさとは無縁のつもりでいたのに、ルカには正反対の感想を抱かれているのだからその間抜け加減に笑いが止まらない。
ルカもついつい上がってしまう口角を隠しきれない。どうしてそう、次々可愛い事をしでかすんだあの子は。
「そうか、最近避けられている様に感じていたのはそれでか」
「……あんな四六時中一緒にいてか?」
「二人きりになるのを避けられていてな。それが先週あたりからよく部屋に来る様になったから、何故だろうとは思っていたんだ。それも作業着ではなくわざわざ着替えてやってくるから」
「どんな意図があるのかってなるわな。聞いてた俺達ですら上手くいってない作戦だって分かったんだが、あいつ一人自信満々でな。まだ分からないって意気込んでた」
「え、まだその作戦続ける気なの?」
マイクは顔を顰めた。もう作戦が当人に筒抜けになったこの状況は、あまりにトレイシーが哀れなのではないだろうか。流石に失敗を告げてやった方が親切だろう。
しかし、ナワーブはマイクとは違う意見らしい。立ち上がろうとするマイクを「まあまあ」と引き止める。
「あいつん中じゃもう作戦実行中だから無駄だと思う」
「……まさか、あの格好も可愛くないと思ってんの、トレイシー」
「おう」
こくりと頷く狼にマイクは額を抑え、椅子に倒れ込んだ。どうしようもないくらい自身への容姿評価が低いという話は本当だったのか。
あの若店主服は可愛らしいと女性陣に好評だし、坊主っぽいのが撫で回したい感じで可愛いと男性陣も認めていたのに!
愕然としているマイクを他所に、ナワーブはルカに向き直る。
「真面目に約束守ってるお前にゃ悪いが、これこのままだとずっとお前ら平行線だと思うぞ。告白したものの、進展なしなんだろ。あいつ弱そうに見えて踏みとどまる力はゲーム中もめちゃめちゃ強いし」
「それは実感しいてるよ」
ルカは額を撫で、力なく笑う。
最初にトレイシーとの攻防は長期戦になると覚悟はしたものの、ここまで長引くとはルカも思っていなかったのだ。押しに弱くて恋愛面に初心な少女は、その弱点を補って余りあるほど危険察知と防衛、回避能力が高かった。ルカが雰囲気で押し切ろうとしてものらりくらりと逃げていくし、キスがしたいと思っても純真無垢な表情で見つめられると良心が疼いてそれ以上何もできない。怯えた顔を向けられれば、安心させる為に甘やかしてしまう。
絶対にトレイシーを手に入れてやるという気持ちに変わりはないが、ルカにとっては惚れた弱みが言葉通りの弱点にもなっている。
ルカは重いため息をついて、組んだ手の上に顔を伏せる。
「これ以上どうしろと言うんだ。それでもなめくじの歩みだとは思うが前進はしていると思っているんだが……」
「亀ですらねえのかよ」
「そう言う君ならどうする」
どんよりとした目をルカに向けられたナワーブは、呆気に取られた顔になる。
「……嘘だろ、俺だぞ。それ聞くのか?恋愛なんざ分かるわけねぇだろ、お前切羽詰まり過ぎでは」
「第三者目線でのアドバイスでもなんでもいいから欲しい……」
「こいつ大丈夫か?」
見えている片目が血走っているルカに、ナワーブは身を退け反らせる。そんなに追い詰められているのか。いや、我慢が限界なのか。
引いているナワーブの肩を叩き、マイクは「そう、やばいんだよ」と告げる。
「僕もちょっとそっち方面はわかんなくてさ。アドバイスはしてるんだけど、新鮮な意見も必要だと思うんだ。だから何でもいいからナワーブ、気づいた事言ってあげてよ。打開策になるかも」
「そう言われてもな。うん……」
戸惑いつつも、考えてくれるつもりはあるらしい。ナワーブは腕を組んで目を伏せる。唸りながらもアドバイスを考えてくれているナワーブを、ルカとマイクは静かに見守る。
「…………あー、そうだな。まず、あいつの勘違いをどうにかするってのはどうだ」
「勘違い?」
「ああ。トレイシーは服変えればお前の気が削げると思ってる訳だが。ルカ、お前あの坊主服どう思ってる」
「脚の美しさに目が奪われて仕方ない。なるべく上の方を見るようにしているんだが、そうすると帽子の鍔のせいでいつもより懸命に上を向こうとする仕草が可愛ら、むぐ」
「ストップ、ナワーブ続きどうぞ」
「おう」
また滔々と語り出しそうなルカの口に、マイクは月餅を押し込んだ。ルカに語らせると話が進まない。そして脚が好きなのか、そうか。
「要はお前、ラッピングほとんど気にしてねえだろ。トレイシー自身しか見てねえし。だからそれをしっかりまず認識させるべきなんじゃねえの?服装云々でどうにかなる男じゃねえってとこを一回しっかり教えた方がいいと思う」
「すごい、想像よりちゃんとしたアドバイス来た」
マイクが心底感心して、ナワーブに尊敬の眼差しを向ける。ゲームでも頼りになる年長者だが、相談事にも対応してくれるとは。
口に突っ込まれた月餅を、どうにかお茶で流し込んだルカが息をつく。
「聞いてた?ルカ」
「ああ。耳は空いていたからな。ありがとう、サベダー。参考にさせてもらう。さっきのモートンのアドバイスと一緒に」
幾分か晴れやかな表情になったルカの肩に、ナワーブは拳を軽くぶつける。
「おう、早いとこ上手くいってくれ。惚気はイライだけで充分だからな」
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