私に言わせればあれは悪魔

お祭りに行くなら、おしゃれをして行きたい。
一度部屋に戻り、トレイシーはクローゼットから昨日話題に出た時計屋の若店主、「目盛り調整」を手に取った。
服を着替えて祭り会場の中華街に向かえば、入り口に何人か集まっているのが見えた。まだ開場の時間には少し早かったようだ。
ピーコックグリーンの紳士に扮したマイクを見つけ走り寄ると、その隣にはホワイトゴールドのスーツにサングラスをしたホセの姿もあった。
「お待たせ!」
「大丈夫、まだ全然時間あったよ」
「みんなも集まってないしな」
息を切らせて走って来たトレイシーに、ホセは首を傾げ、辺りを見回す。大抵彼女と一緒にいる「相棒」の姿が無い。珍しいこともあるものだ。
「ルカはいないのか?」
「あー、後から来るよ。新しい衣装貰ってから」
息が整わないトレイシーに代わり、マイクがそう答える。ホセは「ああ!」と納得したように頷いた。
「そうか、今日だったか。いよいよ彼の遡及のお披露目か。はてさて賭けはどうなるやら」
「え、なにそれ。どんな賭け?」
にやにやと笑っているホセに、マイクが食いつく。賭けなんて聞いてない。そんな面白そうな事になんで誘ってくれなかったのか。
「そりゃ、お縄につく前のルカは何してたかっていう賭けさ。発明家だっていう事実以外、彼は過去をなにも語らないだろう。当人は忘れたと言っているがどうにも怪しいもんだ」
「要は新しい服の当てっこでしょ。まあね、気になるは気になるよ」
過去を忘れた割には豊富な知識はあるし、上流階級の作法も自然だ。ピアノの譜面は体が覚えていると言う事はあるかもしれない。が、互いに全くの無反応を貫くアルヴァ・ロレンツとは、確実に何か確執があるのが見て取れる。
絶対覚えてるじゃん、とマイクも思っている。
それでも、どう言う意図で着ているのかは不明だが、あの囚人服が問いたい気持ちを萎えさせる。他人の傷には触れないのがこの荘園での暗黙のルールだ。牢獄入りなど確実な傷だ。だから誰も聞くことが出来ていないのだ。
そんな中での「遡及」だ。過去のある時点まで遡る、その言葉通りにその衣服が来た者の過去と、あったかもしれないもしもの未来を型作る。
初手に選ばれたジャックの、苦虫を噛み潰したような顔は忘れられない。いつも微笑んで鼻唄を唄う彼が、暫くゲーム中も静かだった。
嫌なら着なければいいと思う。だがそれは捨て去るにはあまりにも鮮やかで、焦がれる想いを掻き立てる『悪夢』の様なものなのだとホセから聞いた。頑なに着たがらないイソップは例外のようだが。
「遡及」と呼ばれる服が来る時、自分には「いつの時間」が選ばれるのだろうとマイクもぼんやり考えたことがある。
その「遡及」が、過去が一切不明の男に来たのだ。周りが気にするのは当然だろう。本人が知らぬ存ぜぬと言っている過去を荘園の主が知っていると言うのはどうにもぞっとしない話だが、それも今更だ。
呼吸が落ち着いて来たトレイシーは、走って熱った顔をキャスケットを脱ぎ、煽ぐ。
「はあ……まあどんな服にしろ絶対囚人服よりはマシだろうね」
「それは違いない。君も人のことは言えないが」
ホセがトレイシーの服を指してそう言うと、マイクも確かにと大きく頷いた。トレイシーの「遡及」の時も賭けは起きたが、着古した作業着よりも酷くなることはないだろうとみんなが思った筈だ。
ただ、予想は逆の方向に裏切られた。女性らしい服が来るとばかり思っていた面々だったが、トレイシーの元に来た「遡及」は時計屋の若店主の服装だった。
予想とは違ったが、その衣装を見れば納得するしか無かった。少年らしい、良い仕立ての服は彼女によく似合っていたし、間違いなくトレイシーが好みそうな服だった。あったかもしれない『悪夢』は、皮肉なほどに鮮やかだ。
トレイシーはキャスケットを被り直し、唇を尖らせる。
「仕方ないでしょ。機械油の染みってなかなか落ちないんだから、汚れてもいい服っていったらあれしかないんだもん」
「着替えればいいだけだろう」
「やだよ、いちいち。ゲームする時も動きやすいし、効率的でしょ」
「君ならそう言うだろうな」
億劫そうに答えるトレイシーを頭の先から爪先まで眺め、ホセは目を瞑った。
決して可愛くないとは言わないが、やはりトレイシーは変わっている。この女性らしくない子供をルカは異性として見ているのか。人の好みにケチをつけるわけではないが、やはり変人だなとホセは思う。
今度トレイシーがいない時にもう一度ルカを捕まえて、そこらへんの話も聞いてみたいところだ。あの男が惚気る姿は想像出来ないが、相当面白いことになりそうだ。
「そういえばマイクも新しい服来るんじゃ無かったっけ?」
「んー、僕のは明後日の春節だからまだ。トレイシーこそこないだ新しいの来たのに着ないの?」
「ふふーん、ちょっと確認したいことがあってね」
一足先に、トレイシーにも春節の衣装が来ていたはずだ。しかしマイクの問いに、トレイシーは得意げに鼻の下を擦った。
昨日イライには失敗と言われた、ルカの気を削ぐ作戦をこの後に実行する予定なのだ。この男の子っぽい服なら、ルカだってあのおかしな雰囲気にはならない筈だ。それを証明してみせる。
今までは失敗していたけれど、これは大丈夫。トレイシーには自信があるのだ。
「トレイシー、その服本当に気に入ってるよねえ」
「当然!動きやすいし実用性があるし余計な飾りもついてないし、最高だもん」
「まー、最近は可愛いのばっかで、そういう格好いい系来てなかったもんね」
「そう!そこがいいの!」
「……………………」
にこにこと楽しげに会話している二人を見ながら、ホセはげんなりとした顔になる。
昨日会話して思ったが、トレイシーは自身の容姿の評価を、人の言葉そのままに決定づけてしまうようだ。
荘園から送られた衣装を見れば、誰もがその姿を褒め称えるものだ。素敵、格好いい、美しい、可愛いと声をかける。それを繰り返してるうちに、当人があまり好まない褒め言葉にも気付いていく。
トレイシーの場合、それが「可愛い」だ。他の褒詞には照れた様に笑うのに、可愛いと言う言葉はさらりと流す。多分、いや絶対信じていない。それに気付いた数人は、マイクの様に他の言葉でトレイシーを賞賛する様になった。
トレイシーの言う「可愛くない格好」と言うのは、可愛い以外の感想が最初に聞こえた服の事なのだろうとホセは予測している。だがそれは周りが空気を読んだ感想だ。本音とは違う。
それを彼女自身が素直に受け止めるのは勝手だが、ルカはどう思うのだろうか。話を聞いている限りでは、トレイシーを可愛がりたくて可愛がりたくて仕方がない様子だったが。
サングラスを外し、お喋りに夢中になっている「若店主」姿のトレイシーをとっくりと見やり、ホセは首を捻る。
ゆったりとした袖の白シャツとクォーターパンツ、シックなネクタイとニットベストという出で立ちは街にいる少年らを彷彿とさせる。サスペンダーとソックスガーターは独楽鼠のようにくるくる飛び回るこの子にはぴったりの装備だ。キャスケットに繊細なデザインのゴーグル、背伸びをしたい子供がこっそりと履いているヒールのついた革靴。
――この格好、小僧っぽさは確かに強いが、感想を一言で言うなら可愛いに尽きると思うんだが。
女性に対する愛らしさとは表現は違うが、ぐりぐりと撫で回したくなる感じと言えばいいのか。マイクの言う「格好いい」も、子供が一丁前に一張羅を着て得意げになっている姿に水を刺さないように言う、煽ての褒め言葉と同じ意味だろう。
彼女の作戦、根本から間違っているんだろうなとホセは遠くを見る。惚れらている相手には一切無効な気がする。そしてやはりルカが気の毒過ぎる。助言するべきか、否か。
「うーむ……」
「どうしたのさ、ホセ。難しい顔して」
「生来の勘は関わるなと言っているが、だがそのまま放置するのも哀れというか気が咎めるというか……」
「は?」
「こっちの話だ」
訝しげにしているマイクに、ホセは適当に返す。昨夜のことは他言するなとトレイシーに釘を刺されていたことを思い出したのだ。うっかりしていた。
肝心のトレイシーはといえば、向こうにいる女性達の元へと走っていってしまっている。マーサの背中に飛びつき怒られてる姿はどちらが年上だか分からない。ああしていると本当に悪戯小僧にしか見えない。昨夜の頬を赤く染めていた姿が嘘のようだ。
なんとなしにそちらをホセが見ていると、背中を叩かれた。振り返ると青ウサギのウィリアムが白い歯を見せて笑っている。
「よ!早いな、二人とも!」
「そりゃあね!待ちきれなくてさ。僕まだ祭りに遊びに行けてないし」
「私もだ」
「あー、そうか。お前らゲーム続きだったもんな」
ウィリアムは同情するような顔になる。
祭り会場は先週から始まっていたが、ゲームが毎日のように入っていたホセとマイクはまだそこには行けていなかったのだ。今日はようやく時間ができたので、まだ行っていないメンバーで遊びに行こうという話になった。
だからここ数日、昼夜逆転の生活をしていたトレイシーにもマイクは声をかけに行ったのだ。恐らく会場ができていることにも気付いていないだろうと予想して。
「あー、ウィルおはよう!」
「おー?なんか久しぶりに顔見るやつがいんなぁ」
トレイシーがウィリアムに気付き、駆け寄ってくる。久々に見る「弟」分にウィリアムはにやりと笑う。昼夜逆転生活をすると、規則正しい生活をしている彼とは全く顔を合わせる機会がなくなるのだ。
ウィリアムはトレイシーの頭を軽く叩きながら、何かを探すようにあたりを見回す。
「ん?ルカはどこにいんだ?」
「いないよ。なんでみんないると思うの?」
「そりゃお前がいるならルカもセットでいると思うだろ。別行動なのか、珍しいな」
「あれだ、『遡及』の服を受け取りに行っているそうだ」
「おー。そうかそうか、今日か」
したり顔をしているところを見るに、ウィリアムも例の賭けに乗っているのだろう。
マイクは困った兄さん達だと思っていると、ウィリアムが不思議そうな顔で自分を見ていることに気づく。
「マイクは服、取りに行かなくていいのか?」
「ああ。僕のが来るのは明後日だよ。だからこっちので来たんじゃん」
マイクがそう言って自慢げに襟元を正す。「アマツバメ」も華やかでお気に入りだが、「ティーパーティー」も単色で纏められているのがシックで気に入っている。
マイクが澄ましていると、ウィリアムは愉快そうに笑い出す。
「そうかそうか、男前に決めてんな!」
「ふふん、当然。僕はいつでも格好いいし可愛いんだよ」
「はっはっは!お前のそういうとこ、俺嫌いじゃないわー」
「そこまで開けっぴろげだと私も羨ましさすら覚えるよ……」
豪快に笑い飛ばすウィリアムの隣で、乾いた笑い顔になっているトレイシーにホセは肩を竦めて同意を示す。彼の自己評価の高さは確かに君は見習った方がいい。
ウィリアムは隣にいたトレイシーの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「いや、お前だってマイクに負けず劣らず決まってるぞ?男前にな!」
「そんなこと言われて喜ぶわけないでしょ!」
ふんと腕を組んでそっぽを向くトレイシーだったが、口角が上がっている。誰がどう見ても喜んでいる。
可愛いは無反応なのに男前は喜ぶのか。
マイクと同様、ウィリアムもなかなかに空気が読める男だ。だから人が好む褒詞にも聡い。トレイシーが好む言い回しも分かっている。
ホセはなるほどと思う。褒め上手な連中が言葉を選んでいるが為に、彼女は勘違いを起こしている訳か。
「うーん、根深い……」
「ホセ、さっきからどうしたのさ」
「いや、君らのコミュニケーション能力の高さに感心しているだけだ」
「感心してる顔に見えないんだけど」
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