勝デク×マイクラ

冷たく湿った空気と絶え間なく滴り落ちる水の音で勝己は目を覚ました。
地底湖がクッションとなり奇跡的に大きな怪我はないものの全身ずぶ濡れで体温が奪われていく。
​見上げるとそこにはかつて誰かが掘り進めたであろう巨大で不気味な「廃坑」の跡が広がっていた。
​「……おい、デク。どこだ、返事しろ!!」
​勝己は声を上げますが返ってくるのは自分の声の虚しい反響だけだった。
暗闇に目が慣れてくると腐ったオークの木材や錆びついたレールがまるで巨大な蜘蛛の巣のように地底を覆っているのが見えた。
​「(クソが……あいつ、どこに落ちた……!)」
​勝己は廃坑に放置されたチェストを荒々しく開け武器になりそうな鉄のインゴットや食料を探し回る。しかし、彼の心にあるのは生存への執着よりも一緒に落ちたはずの「守るべき幼馴染」への焦燥感だけだった。
しばらく歩き廃坑の奥へと進んだその時。
腐敗臭と共にあの不快な呻き声が耳に届いた。
​「……ウゥゥ…………」
​曲がり角を抜けた勝己の目に飛び込んできたのは、オークのフェンスで区切られた狭い行き止まりに追い詰められている出久の姿だった。
​「かっ……かっちゃん……助けて……っ」
​出久の前では数体のゾンビがフェンスの隙間から手を伸ばし、ガリガリと木を削る音を立てて獲物を狙っている。出久は恐怖で動けず柵の隅でガタガタと震えていた。
​「……テメェらその汚ぇ手で……!!」
​勝己の瞳にかつて略奪者のリーダーとして軍団を率いていた時よりも遥かに激しい怒りが宿る。
​「あいつに触んじゃねぇって言ってんだろぉがぁ!!」
​勝己はチェストから見つけたばかりの鉄のツルハシを握り締め、背後からゾンビの群れに突っ込んだ。
「……デク! 怪我はねぇか!? どっか噛まれてねぇだろうな!!」
​勝己は出久の肩を掴み全身をくまなく調べる。出久は涙を流しながら勝己の濡れた胸元に顔を埋めた。
​「かっちゃん……よかったかっちゃんも無事で……本当に、怖かったんだ……」
​「……バカか。テメェは俺が助けるって言っただろ」
地上では『スパイ』としてお互いを利用しようとした2人。けれどこの暗闇の中でようやく2人は『ただの出久』と『ただのかっちゃん』に戻ることができたのだ。
​「テメェ……蜘蛛の巣まみれじゃねぇか。毒蜘蛛に噛まれなかったのかよ」
​勝己が乱暴にけれどどこか手つきは優しく出久の頭についた粘着質な糸を払う。出久はまだ震える声で自分がどうやって生き延びたかを語り始めた。
​「うん……飛び降りたあとちょうど大きな蜘蛛の巣がクッションになって……。不思議なんだけど毒蜘蛛たちは僕を襲わなかったんだ。怒るどころか僕を放っておいてくれて。でもそのあとゾンビが来て……必死にこの岩の隙間を見つけてフェンスで蓋をしたんだ」
​勝己は出久が避難していたその狭い岩の隙間に目を向けた。
地上では何不自由なく暮らしていた出久がたった1人でこの暗闇と腐敗臭に耐えゾンビの爪音を聞きながら自分を待っていた。その事実に勝己の胸は締め付けられる。
​「……よくやった。……怖かったろ出久」
​「……かっちゃんが、絶対に来てくれるって信じてたから。」
「……でも。ゾンビに襲われてる時は、ただ『怖い!』って思うだけで精一杯だった。麗日さんたちへの申し訳なさとかかっちゃんを騙さなきゃいけない苦しさとか……そんなの全部忘れてたんだ」
​出久は蜘蛛の巣を払いながら晴れやかな顔で笑った。その言葉を聞いた瞬間、勝己の表情から険しさが消え呆れたような、それでいて救われたような柔らかな笑みがこぼれた。廃坑の暗闇響く怪物の唸り声滴る冷たい水。地上から見れば地獄のような場所ですが今の出久にとっては自分を縛り付けていた『スパイ』という呪いから解放された、唯一の自由な聖域になっていたのだ。
「……そうだな。俺も今スッキリしてらぁ。村がどうとかノルマがどうとか……そんなクソみたいな話もうどうでもいい」
​勝己はツルハシを肩に担ぎ闇の奥を見据えた。
「ここじゃ俺らはただの『生きてる人間』だ。ゾンビやスケルトンにしてみりゃ俺らがどこの誰かなんて関係ねぇ。……最高の気分だな出久」
​二人は迷路のように続く廃坑の奥へと歩き出した。地上の喧騒も裏切りの痛みも届かないほど深い場所へ。
​しばらく歩くと廃坑の古い休憩所のような場所を見つけた。出久はそこでチェストの中に残されていた古びたランタンに火を灯す。
「このまま地下で暮らすか? ……テメェと二人なら暗闇も悪くねぇ」
「ちょっとまって」
勝己が半分本気でそう呟くと、出久は少し困ったように笑いポケットからクシャクシャになった紙を取り出した。それは飯田が完璧な技術で書き上げたこの地域の精密な地図だった。
​「……見てかっちゃん。いま僕たちがいるのはたぶんこの地図の左上の端……この白い丸のところだよ」
​出久が指差した先はサバンナの乾燥した大地とは対極にある、地図の右下の端。そこには深く濃い緑色で塗られた広大な「湿地帯」が描かれていた。
​「ここにはヒスイランが咲き誇る場所があるって飯田くんが言ってたんだ。青い花が水辺を埋め尽くして夜には蛍が飛ぶようなすごく静かな場所なんだって。……そこなら襲撃者の塔からもアカシアの村からも遠い。僕たちそこを目指さない?」
​勝己は地図を覗き込み鼻で笑った。
「湿地だぁ? じめじめしてスライム野郎が飛び跳ねてそうな場所じゃねぇか……。だがまぁ……」
​勝己は出久が夢を見るような瞳で語るその場所を想像した。
青い花に囲まれ誰の目も気にせずに2人で静かに暮らす日々。それは略奪の血に汚れた勝己にとって唯一許されるかもしれない救いのように感じられた。
​「……いいぜ、その『ヒスイラン』とかいう花、拝みに行ってやるよ」
廃坑の湿った空気を切り裂き2人は1歩ずつ確かな足取りで「地上」を目指すことにした。
「右だ、デク! 伏せろ!!」
​勝己の鋭い怒号と共に闇の中から放たれたスケルトンの矢が出久の頭上をかすめて岩壁に火花を散らす。勝己は即座に踏み込み手にした鉄のツルハシを骸骨の眉間に叩き込んだ。
​「かっちゃん後ろからゾンビが!」
「チッしつけぇんだよ!!」
​出久が松明を掲げて視界を確保し勝己がその光の中で嵐のように暴れ回る。襲撃者と村人という立場を捨てた2人の連携はどんな精鋭部隊よりも噛み合っていた。
出久を傷一つ負わせまいとする勝己の執念と、勝己を信じて背中を預ける出久。2人は襲い来る怪物の群れを文字通り『粉砕』しながらついに垂直に伸びる古い昇降路を見つけ出した。腐りかけた梯子を力を合わせて登りきり目が眩むような光の中に飛び出すとそこには懐かしくも残酷なサバンナの景色が広がっていた。
​「……ハァ、ハァ……。出たな」
「……うん。戻ってきたんだね地上に」
​2人は一瞬だけかつて自分たちがいた「村」と「塔」の方角を見つめた。しかし、もうそこに戻る道がないことは分かっていた。2人は迷うことなく地図が指し示す右下の深緑の湿地帯を目指して駆け出した。
しかし、2人が大地に記した足跡を決して逃さない鋭い目があった。
​「……いたわ。崖の下から這い上がってきたみたいね」
​数百メートル離れた岩山の頂。耳郎がイヤホンジャックを地面に刺し2人の鼓動と足音を正確に捉えていた。彼女の隣には唸り声をあげるラヴェジャーの切島と、クロスボウを番える上鳴、そして冷徹な殺意を宿した仲間たちが勢揃いしている。
​「爆豪あんたは『自由』を選んだつもりだろうけど……。組織を捨てた代償はその命で払ってもらうよ」
耳郎の合図と共に2人の背中を追いかけていく。

途中のジャングルの草むらに2人は心臓の鼓動を抑えながら息を潜めていた。
「……いたぞ、切島と上鳴だ」
勝己が低く囁き、出久の頭をぐいと下げさせる。
​すぐ数メートル先をかつての戦友である2人が歩いていました。
「あ!」
突如、上鳴が声を上げ勝己たちが隠れている草むらの方を指差した。2人の背中に冷たい汗が流れたその瞬間――。
​「あそこに……行商人がいる! 喉乾いたしなんか飲みもん持ってねぇかな!」
「おい待てよ上鳴! 任務中だぞ!」
​上鳴は勝己たちに気づくどころか遠くに見えたラマを連れた行商人に目を奪われ子供のように走り出した。
「しょうがねぇな!」
切島も苦笑いしながらその巨体を揺らして後を追う。
​しかし、不運は足元に転がっていた。
切島が走った際、その腰にぶら下げていた予備の重厚な馬の鞍が、遠心力で大きく振り回されたのだ。
​「……ッ!!」
逃げ遅れた出久の頭を硬い革と鉄の金具が直撃した。
​「いだっ……!!」
​思わず声を上げた出久。その声は静かな森の中に驚くほど響き渡った。
​「……あ? 今、声がしたような……」
立ち止まった切島がゆっくりと首をこちらへ巡らせる。
​「……チッ、走れデク!! バレたぞ!!」
勝己は隠れるのを諦め出久の腕を掴んで泥を跳ね飛ばしながら湿地の奥へと走り出した。
「いたぞ! 爆豪と村人だ!! こっちだ!!」
​切島の咆哮が森の空気を震わせた。彼の豪快な足音と叫び声は付近を捜索していた耳郎や芦戸たちにも瞬時に伝わった。
「……逃がさないって言ったでしょ」
遠くから耳郎の鋭い口笛が響き、四方八方から襲撃者たちが集結し始める。
​「かっちゃん、ごめん……僕のせいで……!」
ジャングルの奥深く轟々と水しぶきを上げる急流が2人の行く手を阻む。そこには長い年月をかけて削り出された、糸のように細い自然の岩の橋が向こう岸へと続いていた。
​「あそこを渡るぞ、デク!」
​勝己が叫び、2人が岩の橋に足をかけたその時。上空からピンク色の怪しい液体が入った瓶が降り注いだ。
​「逃がさないよ爆豪! 組織を捨てるならそこがアンタたちの墓場だよ!」
​木々の間から飛び出した芦戸が次々と酸のポーションを投げつける。ジュウジュウと不気味な音を立てて命綱である岩の橋が溶け始め足元がみるみるうちに細くなっていく。
​「しまっ……! かっちゃん!」
​「……クソがっ! 行けぇ!!」
​勝己は迷うことなく出久の首根っこを掴むと出久を対岸へと力任せに放り投げた。
​「わあぁぁっ!」
​出久は対岸の縁に激突し崩れ落ちる岩に必死にしがみつく。
「かっちゃん!」
出久が叫んで振り返った瞬間、勝己もまた崩壊寸前の岩を蹴って宙を舞っていた。
2人が着地したのと同時に溶解した岩の橋は轟音と共に谷底の急流へと消えていった。勝己はすぐに出久の体を抱きかかえ崩落する崖の縁から安全な茂みへと転がり込む。
​「ハァ……ハァ……っ。……ざまぁねぇなお前ら!」
​勝己は肩で息をしながら谷の向こう岸を睨みつけ中指を立てた。
​谷の向こう岸では耳郎、切島、芦戸たちが激流に阻まれて立ち尽くしていた。
​「……あいつら、本当にやりやがった……」
切島が悔しそうに顔を歪めた。耳郎は無言で遠ざかっていく2人の背中を見つめていた。彼女の「音」の索敵も、この激しい川の音にかき消されもはや正確な位置を捉えることはできなかった。
​「追うよ。遠回りしてでも必ず仕留める」
耳郎の静かなけれど執念深い声が響いたが、今はもう2人に届くことはなかった。

勝己達はジャングルを抜け平原へ出ると周囲の安全を確認し出久を岩陰に座らせ「動くんじゃねぇぞ」とだけ言い残し闇に消えていった。しばらくして戻ってきた彼の腕にはまだ香ばしい匂いが微かに残る大量のパンが抱えられていた。
「……かっちゃん、そのパン……どこから取ってきたの? 村人さんは殺してないよね……? 奪ったりしてないよね……?」
​「あのなデク。俺たちは食べなきゃ死んじまうんだよ。お前だって腹減ってんだろ。綺麗事じゃ腹は膨れねぇんだよ」
​勝己は吐き捨てるように言い地面にパンを置いた。しかし出久はそのパンを見つめたまま頑なに手を伸ばそうとはしなかった。
​「……それでも嫌なのは嫌なんだよ。誰かを泣かせて手に入れたもので生き延びるのは僕がなりたかった僕じゃない………。」
​「……チッ。勝手にしろ」
​勝己は苛立ったように顔を背け焚き火も起こさぬ暗闇の中で、むさぼるようにパンを口に押し込んだ。それは「生きる」という行為の泥臭く残酷な証明だった。
勝己は数個のパンを平らげたが、最後の一個、一番形が良くて柔らかそうなパンだけは口に運ぶのを止めた。
​彼はそれを丁寧に自分が大切にしていた革の袋に仕舞う。

湿地帯という目的地を目前にして2人の前に立ちはだかったのは冷酷な自然の壁――白銀に染まる雪山だった。
​サバンナの熱気も廃坑の湿り気もすべてを凍りつかせる極寒の世界。2人は互いの体温を感じられるほどの距離で1歩1歩雪を踏みしめて登っていく。
「出久絶対離れるなよ。吹雪で見失ったら終わりだ」
「わかってる、かっちゃん……っ」
​出久は必死に食らいつくが、その足取りは目に見えて重くなっていた。もともとの疲労に加え意地を張ってパンを口にしなかったせいで蓄えられたエネルギーはもう底をつきかけていたのだ。
​山頂まであとわずかという場所でついに。出久の膝から力が抜けそのまま白銀の世界へ吸い込まれるように倒れた。
​「出久!!」
​勝己は即座に駆け寄り雪の中に埋もれかけた出久を抱き起こした。唇は紫色になり意識が朦朧としている。勝己は歯を食いしばり出久を背負い上げると近くに見えた小さな洞窟へと飛び込んだ。

勝己は持ち合わせていた火打石と打ち金で小さな火を焚き自分の上着を脱いで出久の体に巻き付けた。火の粉が爆ぜる音だけが響く中、出久がゆっくりと口を開ける。
​「……ごめんかっちゃん。僕また足引っ張って……」
​「……謝ってんじゃねぇ。こんなことになるならあの時ちゃんと食っとけよバカ野郎」
​勝己の言葉は相変わらず乱暴でしたがその手は出久の冷え切った指先を必死に温めていた。
​勝己は懐から大切に保管していた「最後のパン」を取り出した。それは勝己が自分の空腹を我慢して出久のために残しておいたものだ。
​「……食え。嫌だって言っても口に突っ込んでやる」
「……いただきます……」
​一口パンを齧ると冷え切った体に生命の熱が広がっていくのが分かった。疲労からか出久を強烈な睡魔が横になり眠る。勝己はそれを見てようやく小さく安堵の息を吐き壁に背を預けた。出久が深い眠りに落ちたのを確認し勝己は静かに洞窟を後にした。雪山の冷気が頬を刺すが、今の彼には空腹よりも出久をこれ以上衰弱させないための焦りがあった。
「……何か食えるもん……ねぇのかよ……」
​雪をかき分け食料を探してしばらく歩いた時勝己の動きが止まった。吹雪の向こうから複数の足音と金属が擦れる音が聞こえてきたのだ。
「いたわ。爆豪……やっぱりこの辺りに潜んでたのね」
​吹雪の中から現れたのは耳郎を筆頭とした襲撃者の精鋭部隊だった。彼女たちは極寒の雪山でも一切の妥協なく勝己の足跡を追っていたのだ。
​「あの村人は隠しても無駄よ。アタシの『音』で既に場所はバレてる」耳郎の冷徹な問いに勝己は鼻で笑い背中のクロスボウを抜き放った。
​「失せろ。……テメェらに行かせるつもりなんて微塵もねぇんだよ!!」
​勝己は言葉と同時に懐からTNTを取り出し足元の雪に叩きつけた。
​「死ねえええ!!」
​ドォォォォン!!
​爆発の衝撃で雪煙が舞い上がり襲撃者たちの視界を奪う。勝己はその隙を逃さずクロスボウで次々と矢を放った。
​「爆豪あんた……! 本気で私たちを殺す気!?」
切島が体を硬化させて爆風を防ぎながら叫ぶが、勝己の瞳に迷いはなかった。
​「当たり前だろ! あいつの眠りを邪魔する奴は、元仲間だろうが何だろうが全員ぶっ飛ばす!!」
​勝己は1人で、かつての仲間たち全員を相手に立ち回る。TNTによる地形破壊と正確無比なクロスボウの射撃。それは出久がいる洞窟へ一歩たりとも近づかせないための狂気的なまでの執念だった。
​「(……出久そのまま寝てろ。テメェが起きる頃には……全部片付けてやる)」
​しかし多勢に無勢。耳郎の指揮のもと上鳴が広範囲に電撃を放ち勝己の逃げ場を奪おうと画策する。
元部下との戦闘で勝己は耳郎達に追い詰められボロボロになり立っているのもやっとな状態になってしまうが、その目はまだ諦めていなかった。
「じゃあね元リーダー爆豪勝己」
耳郎は勝己にトドメを指す為クロスボウを打とうとしたその瞬間二ヒリと勝己が笑った。
「……ハッ、ハハハ……! 最後に笑うのは俺だっつったろ……」
​耳郎がクロスボウの引き金に指をかけた瞬間山の心臓部から聞いたこともないような重低音が響いた。勝己が戦いの最中にばら撒き起爆させ続けた大量のTNT。その狙いは目の前の敵を倒すことだけではなくこの雪山そのものを崩壊させることにあったのだ。
​「……雪崩!? 爆豪正気なの!? アンタも死ぬのよ!!」
​耳郎の叫びも雪崩の轟音にかき消された。空を覆い尽くさんばかりの白銀の壁がすべてを飲み込もうと迫り上がりはじめる。
​「……ああ上等だ。俺はここで終わるが……テメェらも道連れだ。あいつの行く先を邪魔する奴は1匹残らず雪の下に埋めてやるよ」
​勝己は驚愕に染まるかつての仲間たちの表情を満足げに見つめた。そして轟々と音を立てて迫る雪の壁を背に遠く離れた洞窟の方角へと静かに視線を向けた。
雪崩に飲み込まれる直前、勝己の脳裏に浮かんだのはヒスイランの咲く湿地帯を夢見て笑う出久の姿だった。
​「(……ごめんな出久。……ヒスイランを見に行くって言ったのに。約束守れそうにねぇわ……)」
​勝己の目から熱い涙がひとしずく溢れ冷たい雪風にさらわれていった。
​「……じゃあな出久。……生きろよ。お前ならあの山を……越えられる」
​直後巨大な白銀の波が勝己の体をそして耳郎たちをすべて等しく飲み込み山の斜面を猛スピードで下っていった。
激しい震動と地響きが止まった後雪山には耳が痛くなるほどの静寂が戻ってきた。
​洞窟の中で勝己が残した微かな火の温もりで目を覚ました出久。彼は、嫌な予感に胸を締め付けられながら、雪の壁をかき分けて外へ這い出した。
​目の前に広がっていたのはさっきまであったはずの木々も岩場もそして勝己の姿もすべて消え失せた、まっさらで残酷なほどに美しい銀世界だった。
​「……かっちゃん……?」
​出久の声は、冷たい風に虚しく吸い込まれていく。勝己を探して雪原をひたすら歩いていると勝己のクロスボウとツルハシが雪に埋もれて落ちていた。
​「かっちゃん……嘘……嘘だよね……? 一緒に湿地帯に行くって……ヒスイランを見ようって……言ったのに!!」
​出久の絶叫が誰もいない雪山に響き渡る。
朝焼けが雪原をオレンジ色に染め世界は残酷なほど美しく輝いていた。
​出久は震える手で雪の中から勝己のクロスボウとツルハシを拾い上げた。その隣には争いの跡を示すように耳郎達が持っていたであろう散らばったパンと鉄の斧。それら全てがここで起きたことの激しさを物語っていた。
​「かっちゃん……! かっちゃん、どこ!? 返事してよ!」
​何度も何度も叫ぶが、返ってくるのは冷たい風の音だけ。出久は勝己が自分を守るために戦いそしてこの雪の下に消えたことを本能的に悟りながらもそれを認めることができずに歩き続けた。
重い足取りで山頂の縁に立ったその時視界がパッと開けた。
​山の麓から地平線まで続く深い緑と輝く水の鏡。そこには何万何十万というヒスイランが朝日を浴びてエメラルドブルーの絨毯のように咲き誇っていた。夜明けの霧の中飯田が言っていた通りのこの世のものとは思えないほど美しい湿地帯が広がっていたのだ。
​「……あ。かっちゃん……見て! ヒスイランだよ! 本当にあったんだよ!」
​出久はまるで勝己がすぐ後ろにいるかのように満面の笑みで振り返った。
​「ねぇ早く来てよ、かっちゃん! 一緒に見ようって約束したじゃないか。あそこなら誰も僕たちを追いかけてこないし……」
​しかし振り返った先にいたのは勝己ではなく自分の足跡だけが続く静かな雪の道だった。
​「……かっちゃん……?」
​返事がないことに気づいた瞬間、出久の頬を熱い涙が伝い雪の上にこぼれ落ちた。手の中にあるクロスボウの冷たさが勝己がもう隣にいないという現実を容赦なく突きつける。
​「……そっか。かっちゃんは僕をここまで連れてきてくれたんだね」
​出久は泣きながらけれど力強く一歩を踏み出した。
勝己が命を懸けて守り自分に見せたかったこの景色。ここで生き抜くことこそが勝己の想いに応える唯一の方法だと、出久は理解していた。
出久は湿地帯へと続く斜面をゆっくりと降りていった。
片手には勝己のクロスボウ、もう片方の手には拾った鉄の斧。それはかつて「怖い」と言っていた武器をこれからは「生きるため」に使う決意の証だった。
​ヒスイランの香りが風に乗って届いてくる。
​「……僕ここで生きていくよかっちゃん。君が守ってくれたこの命で」
​出久が湿地の青い花の中に足を踏み入れたその時。ふと背後からバキッと枝の折れる音が聞こえた。
​「(……追っ手……? それとも……)」
​出久がハッとして振り返るとそこには……。

ヒスイランの青い光が水面を優しく照らし蛍が舞う穏やかな湿地帯。
かつての喧騒や裏切りそして凍てつく雪山の記憶を包み込むようにそこには静かな時間が流れていた。
​湿地の中心ひっそりと佇む一軒の小さな丸太小屋。周囲には整然と並んだ畑と数頭の羊がのんびりと草を食むミニ牧場。そこは出久が1人で築き上げた誰にも脅かされない「2人のためのはずだった」居場所だった。
「……おい緑谷。いるか」
​2匹の猫を連れた行商人相澤消太がやってきた。彼はかつてこの小屋の主であり今は各地を旅しながら出久の自給自足を支える唯一の窓口となっていた。
​「あ、相澤先生。お疲れ様です」
​出久が小屋から顔を出す。その手は農作業や羊毛の加工で逞しくなっていた。その手には編みかけの橙色のマフラーいつか勝己が雪山から降りてきた時に風邪ひかないようにと作っていたものだった。
​「ほらこれがお前の作った羊毛製品の売り上げだ。あちこちの村で大好評だったぞ。丈夫で温かいってな」
​相澤から手渡されたのは数枚のエメラルド。それはこの湿地で出久が真っ当に生きた証だった。
「相澤先生いつもありがとうございます。助かります」
​「……。なぁ緑谷。それだけの才能と技術があるならどこかの村に移り住んだ方が合理的だ。こんな湿地の奥で1人で暮らし続ける必要はないだろ」
​相澤の言葉は彼なりの不器用な優しさだった。しかし出久は穏やかにけれど決して揺るがない瞳でヒスイランの群生を見つめた。
​「ありがとうございます。でも……僕はここで暮らすと決めたんです。いつか……かっちゃんがここに来るかもしれないから」
​あの日からちょうど1年。
勝己が雪崩に飲み込まれ消息を絶ってから季節は一巡した。
「かっちゃん……いつか『ヒスイランを見に行こう』って約束したでしょ? その時に僕がいなかったら困っちゃうんです。だから掃除して畑を耕していつ来てもいいようにお腹いっぱい食べられるように……ここで待っていたいんです」
​相澤はふぅとため息をつき、「勝手にしろお前は昔から頑固だ」と呟くと猫たちを連れて霧の向こうへ消えていった。
夜が訪れ、出久は勝己が愛用していたクロスボウを壁に立てかけ相澤から受け取ったエメラルドをチェストに仕舞った。1人で食べる夕食のテーブルにはいつも2つ分の椅子が用意されている。出久はマフラーの端をそっと撫で窓の外に広がる青い花の海を見つめた。
​「ねぇかっちゃん。今日のヒスイランもすごく綺麗だよ」
​風が吹き抜け青い花びらが舞い上がる。
どこかで誰かが雪をかき分けて歩いてくる足音が聞こえたような気がして、出久は少しだけ目を細め静かに微笑んだ。

そんなある日いつものように相澤から売り上げ金を貰っていた時「最近この辺りを1匹狼の旗持ちの襲撃者が出没してるから気をつけろ」と忠告された。
その言葉を聞いた時出久は衝撃で固まり、それを見た相澤は恐怖で震えてるのかと思い「近づかなければ大丈夫だろ戸締りはしっかりしろ」と言って近隣の村に歩いていく。
「(……旗持ちの、襲撃者……?)」
​その言葉が出久の脳内で何度も反響する。
襲撃者の軍団において旗を掲げるのはリーダーの証あるいは偵察部隊の要だ。あの日勝己が自爆同然の雪崩を引き起こし耳郎たち精鋭部隊は全滅したはずだ。
​それなのになぜ今この湿地帯の近くに彼らが現れたのか。
​「……もしかして……」
​出久の指先が無意識に橙色のマフラーに触れる。
もしあの雪崩を生き延びた者がいたとしたら。
もし勝己がどこかで生きていて自分を探しているのだとしたら。
​あるいは――。
自分を処刑するために新しいリーダーに率いられた追っ手がすぐそこまで来ているのかもしれない。
出久は震える手で勝己の形見であるクロスボウを握りしめた。そして大切に育てていたヒスイランの花を一輪だけ摘み右ポケットに仕舞う。
​「……もし違ったら……その時は全力で逃げればいい。でも、もし本当にかっちゃんなら……」
​一縷の希望を捨てきれないまま、出久は一歩また一歩と湿地の霧の中へ踏み出した。
ヒスイランの青い光が届かない湿地の境界付近。そこには、相澤の言った通りボロボロになった「襲撃者の旗」を掲げた人影が佇んでいた。
​出久はマントを深く被り草むらに身を潜めながら慎重に距離を詰める。
「(落ち着け……心臓の音がうるさい……)」
クロスボウに矢を番えながら指先に力を込める。
​相手の姿が霧の薄れ目から徐々に露わになっていった。
出久の目に映ったのは、あの日から一瞬も忘れることのなかった、あの勇ましくも傲慢な「かっちゃん」の姿だった。
​傷一つないあの頃のままの姿。出久は喜びのあまり罠かもしれないという警戒も相澤の忠告もすべて投げ出し泥を跳ね飛ばしながら彼のもとへ駆け寄った。
​「かっちゃん! かっちゃん!! 生きてたんだね!!」
​勝己がゆっくりと振り返る。その顔には出久を温かく迎え入れるような見たこともないほど穏やかで嬉しそうな笑みが浮かんでいた。――それが出久が見た最後の光景だった。

「……っ、……あ……」
​後頭部を殴られたような鈍い痛みと共に出久は意識を取り戻した。
視界が揺れ冷たい夜風が肌を刺した。出久の体はオークの幹に太い麻縄で幾重にも縛り付けられていた。
​「かっ……ちゃん……?」
​かすむ視界の先、数メートル離れた切り株に誰かが座っている。
月明かりに照らされたその影は楽しげに足でリズムを刻みながら、聞いたこともない不気味なメロディの鼻歌を歌っていた勝己の姿があった。
​「……あ? やっと起きたか。随分といい夢見てた面してたなぁ」座っていた勝己が立ち上がりゆっくりとこちらへ歩いてくる。しかしその瞳にはかつての戦友としての熱はなくただ獲物を追い詰めた快楽に染まった「襲撃者のリーダー」としての冷徹な光が宿っていた。
​「かっちゃん……どうして……? 僕は、君を……ずっと待ってて……、ひっ……!」
​顔のすぐ横を空気を切り裂く音が通り過ぎた。直後ドシュッという鈍い音と共に木に深く突き刺さったクロスボウの矢。震える出久の頬から一筋の血が伝い落ちる。
​「……かっちゃんだよね、なんでなんでこんなことするの……?」
​出久の声は震え涙が溢れ出す。あの日、自分の命に代えても、自分を逃がそうとしてくれたあの優しくて誇り高い勝己の影を探そうと必死だった。
​しかし切り株から立ち上がった勝己は冷え切った笑みを浮かべクロスボウに次の矢を番えながらゆっくりと歩み寄ってくる。
​「かっちゃかっちゃうるせえんだよ。テメェのその薄気味悪い呼び方反吐が出る」
​勝己は出久の目の前でしゃがみ込み刺さった矢を乱暴に引き抜いた。その瞳には1年前の雪山で見せたあの献身の欠片も残っていなかった。
​「何でこんな事するかだぁ? んなもん決まってんだろ。俺は『襲撃者』だ。弱ぇ村人から金品を強奪して嫌がる面を拝む。それが俺たちの仕事で俺の生き甲斐だ。何が悪い?」
「ねぇ……かっちゃん僕の事は覚えてるよね………僕の名前は分かるよね?」
出久の頭の中に最悪の可能性がよぎり、そうじゃないようにと祈っていたが、勝己の答えは冷たいものだった。
「あぁ? お前なんか知らねぇよ。初対面の癖して馴れ馴れしい村人だな」
​勝己は出久の必死の問いかけを嘲笑うように吐き捨てた。その瞳には出久に対する執着すらなくただ目の前の獲物をどう料理してやろうかという純粋で残酷な欲望だけが渦巻いている。
​「……だけどこれだけは覚えてるぜ。俺は襲撃者のリーダーだ。奪う側なんだよ。お前の家には貯め込んだエメラルドとか美味そうな食料がいっぱいあるんだろうな?……全部、今から俺のもんだ。泣いて感謝しろよ死ぬ前に俺の役に立てるんだからよぉ」
​「……こんなことになるなら……」
​出久の目から大粒の涙が溢れ出し泥濘へと落ちていった。
「まずはその温い小屋をめちゃくちゃにしてから、次はお前の番だ。楽しみにしてろよ村人……!」
次の瞬間、勝己が小屋へと踏み出そうとした足が凍りついたように止まった。
​「……僕があの時、あの洞窟で、ヒスイランが咲き誇る湿地帯に行こうなんて、言うんじゃなかった……!」
​絞り出すような出久の叫びが夜の静寂を切り裂いた。その瞬間、勝己の背中がびくりと跳ね足が止まりました。
「お前……今、なんて言った?」
​勝己がゆっくりと振り返る。その顔からは先ほどまでの下卑た笑みが消え、代わりに見たこともないような動揺と、激しい拒絶反応が混ざり合った表情が浮かんでいた。
​「今の言葉をもう一度言え。」
​「……湿地帯に行こうなんて……」
​「その前だ! そのもっと前だ!!」
​勝己が怒鳴りながら出久に詰め寄る。出久は涙で視界が霞む中、震えながら繰り返した。
​「……だからヒスイランの湿地帯に行こうなんて…!」
「……ヒス……イランの……湿地帯?」
​勝己の声から鋭さが消えひび割れた器から水が漏れ出すような危うい響きが混じる。
​脳裏にフラッシュバックするのは暗い洞窟の中でボロボロの地図を広げて夢中になって指を動かしていた少年の横顔。
『ここにはヒスイランが咲き誇る場所がある、青い花が水辺を埋め尽くして夜には蛍が飛ぶようなすごく静かな場所なんだって』
「その花……今、持ってるか?」
​勝己の問いに出久は怯えながらも「右ポケットに……一輪だけ……」と答えた。勝己は乱暴にけれどどこか縋るような手つきで出久のポケットを弄り中から一輪の青い花を取り出した。
​勝己は出久に背を向け月明かりの下でその花を凝視する。
​「これがヒスイラン………」
​透き通るような青。暗闇の中で自ら光を放っているかのような、神秘的な色。その青さが勝己の脳内に張り付いていた「略奪者」としての黒い霧を少しずつ確実に溶かしていく。
​「(……この花を……俺は、あいつと一緒に……見るはずだった……)」
​勝己は長い時間をかけてゆっくりと本当にゆっくりと瞬きをした。
次に目を開けた時その瞳には先ほどまでの狂気はなく深い深い混沌と遠い記憶をたどるような静かな色が宿っていた。
​彼がゆっくりとこちらを振り返った時、出久はその変化に気づきながらもあまりの恐ろしさと混乱に震える声でこう言った。
​「……それ、返して……?」
​出久にとってその1輪の花は勝己がいない1年間自分を支えてくれた唯一の「約束」の象徴でした。それを自分を忘れてしまった「今の勝己」に汚されたくないという悲痛な防衛本能だったのだ。
勝己はまるで壊れ物を扱うかのような手つきで出久に歩み寄った。その瞳にはもう先ほどの冷酷さはなくただ自分自身の過ちに対する深い絶望と後悔が滲んでいた。
​「俺……出久になんてことしてんだよ……」
​掠れた声で呟きながら勝己はナイフで出久を縛っていた縄を一本ずつ丁寧に切り裂いた。自由になった出久の体は、力が抜けてその場に崩れ落ちそうになったが、勝己はその体をしっかりと抱きとめた。
​「かっちゃんだ……! 本当にかっちゃんだよね!?」
​出久は勝己の胸に顔を埋め子供のように声を上げて泣きじゃくった。伝わってくる体温、火薬の混じった懐かしい匂い。それは出久が1年間ずっと孤独の中で求め続けてきたものだった。
​「当たり前だろ、出久! ……悪ぃ。……本当に、悪ぃ……!」
​勝己もまた出久を壊さんばかりの力で抱きしめ返した。
落ち着きを取り戻した2人は静かに語り合った。
​勝己の話によればあの日、耳郎たちと共に巨大な雪崩に飲み込まれた時、彼の意識は一度完全に途絶えたという。そして、そのまま雪の下で消滅したはずだった。
​「……だが数日前だ。この近くで気づいたら地面に立ってた。何が起きたのかは分からねぇ。ただテメェとの記憶だけが真っ白に抜け落ちてやがったんだ」
​何らかの力が働いたのかあるいはこの湿地帯の不思議な命の輝きが彼を呼び戻したのか。勝己は「襲撃者のリーダー」としての本能だけを持って蘇り自分の拠点を求めてこの湿地を彷徨っていたのだった。
​「……出久を見ても思い出せなかった。なのにその花の名前を聞いた瞬間……胸のあたりが焼け付くように痛くなってよ」
​勝己は出久から奪った一輪のヒスイランを今度は大切そうに出久の手の平に返した。
「おかえりかっちゃん」
​出久は涙を拭い最高の笑顔を向けた。
勝己は照れ臭そうに視線を逸らしながらも出久の手をぎゅっと握りしめた。
​「……ああ。……腹減った。あの小屋に、なんか食いもんはあんのかよ」
​「うん、たくさんあるよ! かっちゃんのためにずっと用意してたんだ」
​2人は肩を寄せ合いヒスイランが青く光る湿地の道を自分たちの「家」に向かって歩き出した。
1年という長い空白、そして一度は失われた命。けれど2人の絆はこの幻想的な青い花が咲き続ける限り決して枯れることはない。こうして2人の逃亡劇は終わりこの静かな湿地帯での「新しい生活」が今度こそ本当に始まったのだった。
2人が辿り着いた沼小屋はヒスイランの青い光を窓から取り込み暖炉の火が優しく爆ぜる温かな「家」だった。
​1年前互いを守るために必死で駆け抜けた二人は全く異なる立場から新しい一歩を踏み出そうとしていた。
​勝己は出久が丁寧に整えたチェストや羊たちが眠る牧場を静かに見渡し呟くように言った。
​「……俺は今まで奪うことしかしてこなかった。だがこれからは……逆に『与える』ってことがしたい。どうやって作物を育ててどうやって誰かと分かち合うのか……教えてくれるか出久」
​その言葉は襲撃者として生きてきた彼が初めて見せた「弱さ」であり「優しさ」でした。出久は目を輝かせ勝己の手を包み込むように握る。
​「もちろん。……その代わり僕もお願いがあるんだ。僕は村人として生きてきたから、ゾンビが怖くて夜はいつも震えて隠れてた。……大切な場所を守るための戦い方教えてくれるかなかっちゃん?」
​略奪しか知らなかった男が土を耕し村人と対等に「取引」をする喜びを知る。
戦いを知らなかった少年が愛する場所を守るために「武器」を取り襲撃者のような鋭さで夜の魔物を退ける。
​それは世界の理から外れたけれど何よりも尊い「共生」の形だった。
​勝己は出久から受け取ったクワで畑を耕し収穫した作物を相澤に届けるようになった。村人たちは最初彼の鋭い眼光に怯えたが、彼が差し出す見事なジャガイモや羊毛に次第に信頼を寄せるようになった。
​一方で出久は勝己の指導のもとクロスボウの弦を引く指を固めた。夜の湿地に現れるゾンビの群れを勝己と背中を合わせて一掃する姿はかつての襲撃者と村人だった時代よりもずっと逞しく輝いていた。
​月が昇りヒスイランが最も深く輝く時間。
2人は小屋の縁側に座り穏やかな夜風に吹かれていた。
​「……いい場所だなここは」
勝己が手入れされた自分のクロスボウを眺めながら言った。
​「うん。……あの日、かっちゃんが命を掛けて僕を逃がしてくれたからここに辿り着けたんだよ。ありがとうかっちゃん」
​出久が微笑むと勝己は少し照れ臭そうに鼻を鳴らし、出久の肩に頭を預けた。
​奪う側でも奪われる側でもない。
ただお互いを尊重し足りないものを埋め合いながら自分たちの手で作り上げた聖域。
​ヒスイランが咲き誇るこの湿地帯で2人の「本当の人生」はどこまでも青く温かく続いていくのだった。
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