勝デク×マイクラ

夕暮れ時乾いた風が吹き抜けるサバンナそこにはまだ自分の力の制御も感情の出し方も知らない4歳の少年2人の残酷で純粋な出会いの始まりの場所。

サバンナの地平線にそびえ立つ不気味なダークオークの「襲撃者の塔」。その麓で幼い勝己は重たいクロスボウを抱えていた。
「なんで当たらねぇんだよ! クソッ!」
まだ小さな体には、弦を引き絞るのさえ一苦労だ。彼は逃げ惑うラマを標的に、練習用の矢を放ち続けていた。
​一方近くのアカシア村。羊飼いの見習いだった幼い出久は、迷い込んだ1頭の子ラマを追いかけて村の安全な柵の外へ出てしまった。
「待ってラマさん! そっちは危ないよ…!」
必死に走る出久。彼が小高い丘を越え勝己の射程圏内に入ったのはまさに勝己が指を離した瞬間だった。
シュッ――。
乾いた音と共に放たれた矢は狙いを外れて茂みから飛び出してきた出久の小さな肩を浅く射抜いた。
​「……いたっ、あ、え……?」
一瞬の空白の後、真っ白な服が赤く染まるのを見て出久の大きな瞳からボロボロと涙が溢れ出す。
「うわあああん!! 痛いよぉ、痛いよぉ!!」
​茂みをかき分けて駆け寄った勝己は獲物ではなく「村人の子供」が倒れているのを見て心臓が跳ね上がった。
「……っ! おい! なんでこんなとこに居やがんだよ!」
​勝己は震える手で出久の肩を見た。幸い子供の力で放った矢は深くは刺さっていなかった。
「泣くんじゃねぇ! ……ほら見せろ!」
「ううっ、痛い、痛いよぉ……」
「わかってんだよ! 動くんじゃねぇぞ余計痛ぇからな!」
​勝己は塔から持ち出してきた粗末な布を取り出し乱暴にけれどどこか必死な手つきで出久の傷口を押さえた。
洞穴の隅わずかに差し込む月光の下で勝己は毒消しの草や塔から盗み出してきた再生のポーションの欠片を不器用に出久の傷口に当てる。自分を傷つけた相手だというのに出久は勝己の腕にしがみつき痛みに耐えながら必死に声を殺していた。
​「……これでもう死なねぇよ」
​止血を終え勝己が荒い息をつきながら座り込むとそれまで泣き顔だった出久がふっと顔を上げた。
出久はまだ目に涙を溜めたままひきつった呼吸でそれでも自分を助けてくれた『襲撃者の少年』を見てはにかむように笑ったのだ。
​「……ありがと……えっと助けてくれて……」
「あ!? ……んだよ俺が撃ったんだよ。礼なんて言ってんじゃねぇよ」
「ありがとう……僕は緑谷出久。君は?」
「……勝己だ。爆豪勝己」
​「勝己くん……かっこいいね、そのクロスボウ」
​ボロボロの顔で純粋な尊敬の眼差しを向けてくる出久。その小さなけれど温かい笑顔を見た瞬間。
​勝己の心臓がサバンナの太鼓よりも激しくドクンと跳ねた。
「(なんだ……これ。熱い。ムカつく。なんだこれ……ッ!)」
​肩を射抜かれたのは出久のはずなのに勝己は自分の胸の奥を目に見えない何かに深く射抜かれたような感覚に陥っていた。
​それが『恋』という名前の感情であることを当時の彼はまだ知らなかった。ただ自分を見つめるその緑色の瞳を誰にも見せたくない汚されたくないという強烈で歪な執着が芽生えたことだけは確かだった。
やがて成長した勝己はその圧倒的な戦闘センスとカリスマ性で、若くして襲撃者の塔のリーダーへと登り詰めた。
​彼が束ねる「爆殺略奪団」は各地から集まったはぐれ者たちの精鋭部隊。勝己自らが地下牢や荒野からスカウトし実力で認めさせた信頼の厚いメンバーたちです。副リーダーの​耳郎、ラヴェジャーの切島、ピリジャーの上鳴、ウィッチの芦戸、ヴィンディゲーターの葉隠の6名で編成されている。
勝己の略奪は苛烈を極め近隣の村々は「爆殺略奪団」の名を聞くだけで震え上がった。しかし出久のいるアカシア村だけは一度も襲撃を受けたことがなかった。
あの運命の出会いから12年。
サバンナの境界にある洞穴は今では2人が持ち込んだアイテムで少しずつ整えられ、「2人の秘密基地」になっていた。
​勝己は血に汚れた斧や黒い旗を塔の近くに隠し襲撃者の装束を脱ぎ捨ててどこにでもいる「旅人」のような格好で洞穴に向かう。
​「よぉ出久。今日も生きてやがったか」
「かっちゃん!今日も来てくれたんだね。……それまた怪我してるじゃないか!」
​出久は勝己が「略奪」で負った傷を見てそれが他の村人との諍いだと思い込み心を痛めながら手当てをする。
出久は勝己のことを「別の村で苦労している不器用だけど優しい人」だと信じて疑わなかった。

塔の地下、松明の炎がゆらゆらと揺れる薄暗い作戦会議室。勝己が気配を消して聞き耳を立てるとそこには自分が信頼してスカウトしたはずのメンバーたちの裏切りとも取れる「企み」の声が響いていた。
​「……さ。リーダーには悪いけど、いつも『あそこはダメ、ここは後回し』って、最近の爆豪、ちょっと慎重すぎない?もっとスリルが欲しいんだよね」
「わかるー。特にあのサバンナのアカシア村。あそこ、絶対お宝眠ってるって。警備もそんなに厳しくなさそうだしさ」
「……爆豪には何か考えがあるんじゃねぇのか? でも、確かにあそこだけ避けてる理由は俺も気になるぜ」
「いいじゃん、自分たちの力試し! 私が特製の負傷ポーション、山ほど投げ込んであげる!」
「決まりだね。明日の夜リーダーがいつもの『散歩』に出かけてる隙に一気に畳み掛けちゃおうよ!」
「ちょっと待って葉隠、偵察もしたいから1週間後にしよう皆はそれでいい?」
「男気魅せられるなら1週間後でも俺はいいぜ!」
切島の言葉に次々と賛成していくメンバー。
「じゃあ決まり、襲撃は1週間後、絶対にリーダーにバレないようにね」
​彼女たちに悪気はない。ただ勝己という強すぎるリーダーの下で自立した「襲撃者」としての本能が目覚めてしまった結果だった。
​壁の裏でそれを聞いていた勝己の拳は血が滲むほど強く握りしめられていた。
​「(……テメェら……よりによって、あそこを狙うっつーのかよ)」
​勝己の脳裏にあの秘密基地で「かっちゃんは優しいね」と笑う何も知らない出久の顔が浮かぶ。
冷たい夜の空気が、勝己の火照った顔に突き刺さった。
塔の裏手に逃げ込んだ彼は、激しく打つ心臓の音を抑えるように胸元を掴んだ。
​「(1週間……。あと7日しかねぇのか……ッ!)」
​耳郎たちの計画は勝己への「反逆」ではなく皮肉にも彼への「信頼とサプライズ」という形を取っていた。彼を驚かせ自分たちの成長を見せようという純粋な略奪者としての善意。それが今の勝己にはどんな呪いの言葉よりも恐ろしく感じられた。
​勝己は、今まで一度も感じたことのない「恐怖」を味わっていた。
​もし計画を無理に止めれば仲間の信頼を失うだけでなく、出久との関係が白日の下に晒される。
しかし、何もしなければ1週間後の夜、愛する出久は自分が育て上げた最強の部下たちの手によって家を焼かれ傷つき、涙を流すことになる。
​4歳のあの日、初めて出久の笑顔を見た時に感じたあの「守りたい」という熱い感情が今激しい焦燥感となって彼を突き動かす。
塔の最上階月明かりだけが照らす冷たい石床の上で勝己は膝を突き頭を抱えていた。
​サバンナの夜風が彼の焦燥を煽るように吹き抜ける。
​「……クソッ、何でだよ……!!」
​勝己の心臓は怒りと恐怖で壊れそうなほど脈打っていた。
仲間を裏切ることへの罪悪感など、今の彼には微塵もありません。切島や耳郎たちが「勝己のために」と良かれと思って計画したことさえ今の彼には出久を傷つける刃にしか見えなかった。彼が何よりも恐れているのは出久の瞳から「光」が消えることだった。もし自分が「略奪団のリーダー」だと知れば出久は怯え絶望しあのはにかんだ笑顔は二度と見られなくなる。自分を愛おしそうに呼ぶその声は拒絶の悲鳴に変わる。
翌日。勝己はいつものように重い足取りで秘密基地の洞穴へと向かった。
そこにはアカシアの木箱に詰められた出来立てのパンと新しい白い羊毛を持って待っている出久の姿があった。
​「あ、かっちゃん! 見てよ今日は梅雨ちゃんが釣った新鮮な魚も分けてもらったんだ。かっちゃんの村は不作が続いて食べ物に困ってるんでしょ? これ持っていって!」
​無邪気に笑い自分のことよりも実在しない勝己の村を心配する出久。その清らかな優しさが今の勝己には毒のように胸に刺さる。
勝己は拳をぎゅっと握り意を決して話すことにした。「1週間後、出久の村に襲撃者が来る」
「そんな訳ないよ、過去にも襲撃されたことないし今回も大丈夫だよ!」
出久は心配いらないと言わんばかりに笑うが勝己の真剣な表情を見て、出久は不安そうに眉を下げた。「本当なの?」
勝己はこくりと頷いた。
「ならなんでかっちゃんはその事を知ってるの?」
勝己が一番恐れていた言葉が出久の口から出てきた。
「それはお前の村に現れる襲撃者のリーダーが俺だからだ………出久、お前は村の連中を説得して村から避難しろ」
洞穴の中に重苦しい沈黙が流れた。
​滴り落ちる水の音だけが勝己の心臓の鼓動のように響いている。
ついに12年間守り続けてきた「嘘」が最悪の形で崩れ去った瞬間だった。
​「……え……?」
​出久の顔からみるみるうちに血の気が引いていくのを勝己は逃げることなく見つめ続けた。その瞳に今まさに自分という存在が『大切な人』から『恐ろしい略奪者』へと書き換えられていく絶望的な変化を感じながら。
「かっちゃんが……襲撃者の、リーダー……? うそ、だよね……? ああ、またかっちゃんの冗談だ……。だってかっちゃんは僕を助けてくれたあの時から……っ」
​「冗談じゃねぇ。俺は各地の村を焼き払って略奪を繰り返してきた襲撃者のリーダー爆豪勝己だ」
​勝己は、隠していた黒い皮の腕当てを剥き出しにし、腰に提げたリーダーの証であるクロスボウを、あえて出久の前に放り出した。
​「あいつら……俺の部下共が1週間後お前の村へ来る。……俺の命令じゃねぇ。だがもう止まらねぇ。だから出久……」
​勝己は一歩出久に近づこうとしたが、出久が無意識に後ずさったのを見てその足を止めた。その反応が、勝己の胸をどんな剣よりも深く切り裂く。
​「……逃げろ。お前だけでもいい村の奴らを説得しろ。……俺は、お前が死ぬのを見たくねぇんだよ」
​出久の大きな瞳からぽろぽろと涙が溢れ出した。
それは4歳のあの日サバンナで射抜かれた時に流した涙よりもずっと悲しく重い涙だった。
​「……なんで。なんで、今まで……っ」
​「……っ、言えるわけねぇだろ……! てめぇに嫌われるのが……怖くて言えるわけねぇだろ……!!」
​勝己の叫びが洞穴に響き渡る。
常に傲慢で最強を自負してきた男が初めて見せた「弱さ」。
出久を愛しているからこそ自分が「敵」であることを隠し続けその「敵」の手で愛する者の居場所が壊されようとしている。
「ごっ、ごめん……もう、帰るね」
​出久の声は震え途切れ途切れだった。
いつもなら別れ際に必ず振り返り笑顔で「また明日ね、かっちゃん!」と言ってくれるはずの出久が1度もこちらを見ることなく逃げるように洞穴を飛び出していった。
​その背中を見送る勝己の視界が急激に歪む。
​「(終わった……。全部、ぶち壊した……)」
​脳裏には4歳のあの日不器用な手当てに笑ってくれた幼い出久の顔。
成長して得意げに焼きたてのパンを見せてくれた優しい笑顔。
「かっちゃんは僕のヒーローみたいだね」なんて正体も知らずに言ってくれたあどけない言葉。
​それら全ての輝かしい思い出が鏡が砕けるような音を立てて鋭い破片となり勝己の心に突き刺さっていく。もう二度とあの温かい場所には戻れない。出久の瞳に映る自分は、もう「大好きなかっちゃん」ではなく村を脅かす「人殺しの略奪者」でしかないのだから。
​「……ッ、……ああああああ!!」
​誰もいなくなった洞穴で勝己は声を押し殺して叫んだ。
頬を伝う熱い雫が乾いた砂の上に落ちては吸い込まれていく。
​「……出久、ごめん……っ。……クソ……ごめんなぁ……ッ!!」
​何度も何度も届くはずのない謝罪が暗い岩肌に反響した。

木の影に潜み荒い息を殺す出久の目の前を不気味な黒い装束を纏った集団が通り過ぎていく。
​先頭を歩く耳郎が腰に下げた角笛を弄びながら不敵に笑うのが見えた。その後ろには大きな斧を担いだ切島や怪しげな色の瓶をジャラジャラと鳴らす芦戸の姿もある。
​彼らから放たれる圧倒的な「悪意」のプレッシャーに出久の指先が小刻みに震えた。
​「(あんなに怖そうな人たちがかっちゃんの部下……?)」
​出久の頭の中に先ほど洞穴で見た勝己の顔がフラッシュバックする。
自分の正体を明かした時の今にも泣き出しそうに歪んだ寂しそうな顔。
村の広場に夕暮れのアカシアのオレンジ色の光が差し込んでいる。この村は羊飼いの緑谷出久、農民の麗日お茶子、製図家の飯田天哉、武器鍛治の轟焦凍、防具鍛治の八百万百、釣師の蛙吹梅雨、司書の峰田実の計7名で暮らしている。
出久の呼びかけに仕事を終えた仲間たちが1人また1人と集まってきた。
​「デクくんおかえり! 遠くの村の人と友達になったん?」
お茶子がクワを置き不思議そうに首を傾げた。
​「緑谷くん、他の村の者との交流は素晴らしいが近隣では物騒な噂も絶えない。不用意な接触は慎むべきではないか?」
天哉がメガネを光らせながら生真面目に忠告してくる。
​出久は心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していたが、勝己のあの寂しそうな顔を思い出し精一杯の演技で声を張り上げた。
​「う、うん! 大丈夫だよ飯田くん。その人はすごく力持ちで色んな村を旅してるんだ。それでねその人が言うには……『1週間後この村の自慢の特産品を全部見せてほしい。それ次第で大きな取引をしたい』って!」
​「取引……? 景気のええ話やんか!」
峰田が目を輝かせるが、武器鍛治の焦凍だけは出久のわずかな震えを見逃さなかった。
​「緑谷、その話……本当か? 随分と急だな」
​出久は焦凍の視線を真っ向から受け止め頷いた。
お茶子たちは「山の上でピクニックみたいやね!」「製図家として新しいルートを開拓するチャンスだ!」と純粋な期待に胸を膨らませて盛り上がり始める。
​その無邪気な笑顔を見れば見るほど出久の胸は締め付けられるような罪悪感でいっぱいになった。
​「(ごめん……みんな、ごめん……っ。本当はお客さんなんて来ないんだ。来るのはここを壊そうとする人たちなんだ……)」
​今まで一度も嘘をついたことがない出久にとって信頼する仲間を騙すことは自分の心をナイフで削るような苦しみだった。
でも、もし「襲撃者が来る」と本当のことを言えば正義感の強い焦凍や天哉は間違いなく武器を取って戦おうとするだろう。そうなれば勝己や彼の仲間たちとの間で血が流れてしまう。
​「(かっちゃんも村のみんなも誰も傷ついてほしくない。僕が嘘つきになればみんなの命が助かるなら……!)」
​出久は震える拳を隠すように背中に回し必死で笑顔を作った。
​「だから……当日、来週のその日は朝早くからみんなで移動しよう。美味しいご飯を持ってさ!」
​「了解や! うちとびきりのパン焼いていくわ!」とお茶子が元気に答え仲間たちは『当日』に向けて準備を始めた。
村人たちが避難場所として指定された『山の中腹』へ向かえば村は空っぽになります。襲撃者が来ても奪うものはあっても奪われる『命』はない。
​出久の計画は勝己が言った『避難しろ』という言葉を最も平和的な形で実行するものだった。
​勝己は襲撃が起きる日まで一度もあの洞穴に立ち寄らなかった。
『自分の正体を知った出久が人殺しのリーダーである自分になんて会いに来るはずがない』
『今さらどの面下げて会えばいいんだ』
その臆病なまでの自責の念が彼から唯一の救いである「再会」の機会を奪っていた。
​「(……ごめんな出久。全部終わったら、俺は二度とお前の前には現れねぇよ)」
​一方あの洞穴。
​傍らには丁寧に包まれたパンと新しく編み上げた白い羊毛のブランケット。
​「かっちゃん……待ってるよ。……来てよ……」
​出久は勝己が自分を助けるために正体を明かしてくれたのだと理解していた。だからこそもう一度会って「ありがとう」と「大好きだよ」と言いたかった。襲撃者であっても、人殺しと言われていても自分を助けてくれたあの時の手の温もりは本物だと伝えたかった。
​しかし太陽が天高く昇っても洞穴の入り口にあの尖った金髪の影が現れることはなかった。
​「(やっぱり僕は拒絶されたと思われてるのかな……。僕が怖がったからかっちゃんはもう僕を……)」

運命の日はあまりにも無情な快晴だった。
​サバンナの地平線から太陽が昇る頃、勝己が作り上げた最強の襲撃隊が静かにしかし確実にアカシア村を目指して進軍を開始する。
​勝己は木の上から部下たちが砂塵を上げて進む様子を死人のような目で見つめていた。
​「(行け。……そして空っぽの村を見て絶望して帰ってこい)」
そして耳郎達が着いた村は静まり返り風に揺れるアカシアの葉の音だけが虚しく響いている。
チェストは空っぽ。動物1匹いない。略奪者にとってこれほど屈辱的で不気味な「敗北」はなかった。
​「……引き上げるよ。ここはもうただの箱だよ」
​耳郎の苦々しい決断で一行は収穫ゼロのまま帰路についた。しかしその足取りは重く空気は鋭利な刃物のように冷え切っていた。
​サバンナの赤い土を踏みしめる音だけが響く中、上鳴がふと、溜まっていた疑念を口にした。
​「……なぁ。そもそもこの村だけ避けてたの爆豪だよな。幼馴染がいるとかそんな話も聞いたことあるぜ」
​その一言が火薬庫に火をつけた。
​「確かに今日の爆豪の様子も変だった……。まるで私たちが誰も見つけられないのを確信してたみたいに」
耳郎が冷たい声で続ける。
​「俺たちのクロスボウの弦、妙に緩んでたのも……偶然じゃねぇのか?」
上鳴がいつもと違う真剣な表情で勝己の背中を睨む。
​仲間のためにと密かに動いていた勝己の「偽装」は完璧に村を守り抜いた代償として自分自身の首を絞める致命的な証拠へと変わってしまったのだ。

​「緑谷君、荷物の確認は済んだよ。しかしエメラルドや食料はともかく……峰田くんそれは何だ?」
​飯田が厳格な表情で指差した先には峰田が大事そうに抱えた一冊の不適切な内容の本があった。
​「これは俺の命より大事な知識の宝庫なんだよぉ!」と叫ぶ峰田でしたが梅雨ちゃんの舌が電光石火の速さで峰田をしばき上げる。
「ダメよ、そんな不純なもの。……百ちゃんお願い」
「お任せください。村の品位を汚すものは私が責任を持って処分いたしますわ!」
​八百万が優雅に火打ち石と打ち金を打ち鳴らすと峰田の絶叫と共に本は一瞬で灰へと変わった。その光景を出久とお茶子は頬を引き攣らせながら乾いた笑いで見守るしかなかった。
​「……ところで緑谷くん。例の『ご友人』はまだ来ないのか? 約束の時間はとうに過ぎているようだが。製図家としてこの後のスケジュール管理に影響が出るのは困るな」
​天哉の真っ直ぐな問いに出久は心臓が跳ね上がった。
友人が来るはずなんてない。その『友人』はこれから自分たちの村を襲うはず襲撃者のリーダーそして自分を守るために全てを捨てようとしている勝己なのだから。
​「え、あ、う、うん……! その人は、ちょっと道に迷いやすいっていうか、えーっと……」
​出久は天哉と目を合わせることができず不自然にサバンナのあさっての方向を見つめて誤魔化す。その視線の先には自分たちが逃げてきたばかりの静まり返ったアカシア村があった。
そこには自分たちがついさっきまで笑い合っていた平穏な景色を蹂躙しようと角笛の音と共に村に侵入する耳郎達。しかしその中に「あの金髪の少年」の姿がないことを確認した瞬間、出久は膝の力が抜けそうになるほどの安堵を覚えた。
​「やっぱり……かっちゃんが言ってたことは、本当だったんだ……」
​思わず漏れたその独り言を隣にいたお茶子が聞き逃さなかった。
「デクくん……どういうこと? 『やっぱり』って、何?」
​お茶子の瞳には、恐怖と困惑が混じり合っている。
出久は冷や汗を拭いながら必死に言葉を紡いだ。
​「ごめん、みんな! 実は……例の『友達』っていうのは本当にかっちゃんのことなんだ。彼は旅をしていて襲撃者がこの近隣の村を次々に狙ってるのを目撃したんだよ。それで今日この村が狙われるかもしれないって僕にだけこっそり教えてくれて……」
​「……緑谷くん」
​天哉がいつになく低い声で出久の言葉を遮った。
眼鏡の奥の瞳は鋭く出久を射抜いている。
​「近隣の村が襲われているという情報だけでこれほど正確な『日付』まで分かるものなのか? 襲撃者たちの動きを完全に把握していなければ不可能だ」
​さらに八百万も険しい表情で一歩踏み出した。
​「緑谷さん、あなたは今日襲撃が来ることを確信を持って知っていましたわね? 皆が突然の遠出に戸惑い不安がる中であなただけが不自然なほど冷静に『避難』を誘導していた……。まるで襲撃者と直接交渉でもしていたかのように」
​出久の心臓は警鐘のように激しく脈打つ。
仲間たちの疑念は当然のものだった。彼らは賢い出久の「優しい嘘」の綻びを瞬時に見抜いてしまったのだ。
​「そ、れは……」
​「緑谷隠さず話せ。その『かっちゃん』という男……何者だ」
焦凍が背負った剣の柄に手をかけた。
​「彼は……」
出久の脳裏に洞穴で涙を流しながら「お前が死ぬのを見たくねぇんだよ」と言った勝己の顔が浮かぶ。
本当のことを言えば勝己は「襲撃者のリーダー」としてこの村の敵になってしまう。
でも嘘をつき続ければ今ここで仲間たちの信頼を失い誰も救えなくなる。
山の中腹に痛ましい沈黙が広がった。
​「……緑谷の友人マジで英雄じゃん! 事前に教えてくれるなんてよぉ!」と空気を読まずに叫ぶ峰田を梅雨がその長い舌で鋭く制した。
​「峰田ちゃん今は黙っててちょうだい……。実はね私も緑谷ちゃんが言っていたことが本当だって心のどこかで分かっていたのよ」
​梅雨ははるか遠くサバンナの地平線に不気味な影を落とす「襲撃者の塔」を細い指で指した。
「海辺で漁をしていた時よ。……塔の近くにあの黒い装束の人たちが集まってこのアカシア村を襲う計画を……リーダーはすごく楽しそうに話しているのを聞いてしまったの」
​梅雨の声はいつも冷静な彼女からは想像もつかないほど震えていた。
​「……怖くて、怖くてたまらなかった。見つかったら殺されると思って彼らが去るまで私は水辺の影で息を潜めて待つことしかできなかったわ」
​梅雨の大きな瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。彼女の告白により出久が言っていた「襲撃」が単なる噂ではなくすぐそこに迫っていた現実だったことが全員に突きつけられた。
​「梅雨ちゃん……。1人で怖かったねごめんね」
お茶子が震える梅雨を優しく強く抱きしめる。
​梅雨の言葉を聞いた天哉と八百万は顔を見合わせ深く反省したように俯いた。出久の不自然な行動は梅雨と同じように恐ろしい現実を知りそれでも誰も傷つけたくないという一心でついた「必死の嘘」だったのだと思ったからだ。
「嘘だ……! かっちゃんが……そんな事言うわけない!」
梅雨の言葉を否定するように出久は叫んだ。
梅雨は抱きしめていたお茶子の腕を静かに解き先ほどまでの震えが嘘だったかのように冷徹で真っ直ぐな瞳で出久を射抜いた。
「え……? 梅雨ちゃん……?」
​「緑谷ちゃん……このサバンナのどこに『海』があるの? 私が漁をして塔の連中の話を聞ける場所なんて最初からどこにもないわ」
​出久の顔から一気に血の気が引いていくのが分かった。
梅雨は出久の「嘘」を確信するためにわざとありもしない状況を話し出久がそれを肯定するかどうかを試したのだ。
​「かっちゃんが……そんな事言うわけない」
​出久が放ったその「否定」こそが、何よりも確実な証拠でした。出久は襲撃者のリーダーが何を言い何を言わないかを知っている。つまり彼らと「通じている」という何よりの証言になってしまったのだ。
「デクくん……。本当に襲撃者と仲良くしてたん……?」
お茶子の声が震えている。それは恐怖ではなく信頼していた友への深い悲しみと裏切りへの動揺だった。
​「緑谷くん。君はこの村を我々を、……彼らに売り渡そうとしていたのか?」
天哉の眼鏡の奥の瞳から光が消え代わりに自警団としての冷徹な「規律」が宿る。
​「緑谷……説明しろ。お前が庇っているのはあの村々を焼き払っている略奪者の頭なんだな?」
焦凍が左手に熱を帯びさせ、出久を「村を守るための敵」として見定めた。
​「違うんだ! かっちゃんはみんなを逃がすために……! 彼は僕を守ろうとして……!」
​「襲撃者が村人を守る? そんな話を信じろと言うのか!」
天哉の怒号が響き、​出久はようやく気づいた。
自分がいくら勝己の優しさを訴えても実際に家族や家を奪われてきた他の村の話を聞いている仲間たちにとって勝己は「悪魔」でしかないということに。
そして今、その悪魔と内通していた出久もまた「裏切り者」という烙印を押されてしまったのだ。
​「……緑谷ちゃん。残念だわ」

出久が閉じ込められた羊小屋の中には重苦しい沈黙とパチパチとはぜる松明の音だけが響いていた。
​かつては仲間たちと笑い合い羊の毛を刈っていた平和な場所が今は出久を閉じ込める「檻」となっていた。出久はお茶子から手渡された温かいパンに目もくれずただひたすらに、指先を動かして羊毛を編み続けている。
​「デクくん、お腹空いてるやろ……? 私が焼いてくれたパンやで」
お茶子の声には怒りよりも困惑と悲しみが混じっていた。
​「緑谷くん! 規則正しい生活をしないと体調を崩してしまうぞ! 食べることも製図家の計算と同じくらい大事なことなんだ!」
天哉も彼なりの不器用な優しさで声をかけますが出久は頑なに顔を上げようとしない。
「デクくん、無視続けるならこっちにも奥の手あるんやからね!」
お茶子は出久の腰に手を当て、くすぐり始める堪らず出久は手を止め笑い始める。
「あははっ! もう、麗日さん……やめて……っ、くすぐったい……!」
​小屋の中に久しぶりに明るい声が響いた。出久は編み棒を落とし体を丸めて必死に逃れようとする。その目には涙が浮かんでいたが、それは先ほどまでの悲しい涙ではなく幼い頃からの友人であるお茶子の「強行突破」によるものだった。
​お茶子は「やっと笑った!」と満足げに手を止め少しだけ寂しそうなけれど優しい笑顔を浮かべた。
​「やっと口開いてくれたな。デクくんずっと怖い顔して編み物しとるんやもん」
​お茶子はそう言って、冷めかけていたパンを再び差し出した。
「うむ! 笑い声が聞こえるのは健康に良いことだ!」天哉も少し安心したように眼鏡をクイと上げた。
​出久は乱れた息を整えながら、2人を見つめた。一度口を開いてしまうと堰を切ったように感情が溢れそうになる。
​「……ごめん2人とも。黙ってて……本当にごめん」
​「デクくん。私たち怒っとるわけやないんよ。ただ悲しかっただけ。……その『かっちゃん』っていう人がデクくんにとってどれだけ大事な人か分かっとるつもりやったから」
お茶子の言葉に出久は胸が締め付けられる思いだった。
お茶子は出久の事を疑ったことを謝った。
「昼間はごめんね。襲撃者って聞いて飯田くんも皆も警戒しちゃっただけなんよ。私たちデク君は情報を渡してないって分かってるから。」
天哉は本当は大切な友達だからこそ守りたい気持ちを伝えた。
「緑谷くん俺たちは君が心配なんだ。襲撃者が今は何もしなくても、いつか君に危害を加えるかもしれないと……。」
お茶子たちの自分を心配する言葉に胸が苦しくなる
お茶子と天哉の言葉は、今の出久にとって何よりも温かく、そして何よりも鋭く胸に突き刺さった。
​「……麗日さん、飯田くん……」
​出久はポロポロと大きな涙をこぼした。
​「ううん、謝らないで……。僕こそ2人に本当のことを言わずにずっと騙しているような形になっちゃって……。みんなが僕を心配してくれてるのに僕は自分のことばっかりで……っ」
​出久の声は震え言葉がうまく出てこなかった。
お茶子たちは出久が襲撃者に寝返ったなんて微塵も思っていなかったのだ。ただ彼を愛する友人として出久が「凶悪な略奪者」という猛獣の牙にかけられるのではないか騙されているのではないかとそれだけを本気で案じていた。
​「緑谷くん、君は優しい。だがその優しさが仇となって君が傷つくことだけは避けたかったんだ」
天哉は出久の肩に大きな手を置き静かにけれど力強く言った。
「君の言う『かっちゃん』という男が、本当に君を助けようとしたのなら我々もいつか彼を理解しようと努力する。君が信じている人を端から否定するような真似はしたくないんだ」
​「デクくん私たちは味方や。何があってもデクくんを守るから、それだけは忘れないで」
お茶子の真っ直ぐな瞳が出久の心を救い上げる。

そして同じ頃襲撃者の塔の最上階。吹き抜ける夜風が凍りついた空気の中でさらに鋭さを増していた。
​数時間前村から手ぶらで帰還したばかりの幹部たちが勝己を円状に取り囲んでいる。その中心で勝己は玉座のような椅子に深く腰掛け傲慢なまでに不敵な笑みを浮かべていた。
「嘘でしょ爆豪……。あんたが本当に……」
耳郎の手から角笛が滑り落ちそうになります。彼女は誰よりも勝己の「最強のリーダー」としての背中を信じていた。
​「あぁ? 嘘じゃねぇよ。俺があの村の連中に『一週間後に襲撃が来るから逃げろ』と情報を渡した。……文句あんのか?」
​「何してんだよお前!!」
切島が声を荒らげ足を踏みならした。
「俺たちは、お前の力を信じてついてきたんだぜ! なのに仲間の努力を全部ドブに捨てるような真似して……!!」
​「理由を聞かせろよ爆豪。どうしてあんなシケた村一つにここまで肩入れするんだ?」
上鳴の問いに勝己はゆっくりと立ち上がりサバンナの向こう側――出久のいる村の方角を真っ直ぐに見据えた。
​「……あそこには、俺の『大事な奴』がいる。……世界中を敵に回しても俺が死んでも指一本触れさせたくねぇ奴だ」
その言葉は略奪者としての勝己の死刑宣告も同然だった。
私情で組織を裏切り仲間に恥をかかせた。そんなリーダーを略奪者の掟が許すはずもなかった。
​「……大事な奴ね」
耳郎が低い声で呟きクロスボウをゆっくりと持ち上げた。塔の最上階に、冷え切った殺意が渦巻く。
​耳郎はクロスボウの弦をギリリと引き絞り勝己を射抜かんばかりの視線で言い放った。
​「村人の1人や2人どうなってもいいでしょ? 今まであんたの命令で私たちはいくつもの村を焼き払って金品を強奪してきた。それなのに……『大切な人がいるからこの村は襲撃しません』なんてそんな理屈みんな納得しないよ。もちろん私もだけど」
​その言葉は勝己が今まで築き上げてきた「恐怖による統治」の崩壊を意味していた。
​「そうだぜ爆豪! 俺たちは強ェあんたを信じて、略奪者の道を歩んできたんだ。なのに、たった1人の村人のために俺たちを裏切るなんてよ……!」
切島が巨体を揺らしながら悲痛な叫びを上げる。
​「納得できるわけねーだろ。俺たちの取り分はどうなるんだよ? その『大事な奴』ってのを差し出せば、あんたの裏切りを許してやってもいいぜ」
上鳴の皮肉な笑みに芦戸や姿の見えない葉隠も沈黙で肯定を示す。
​彼らにとって勝己は「絶対的な強者」であらねばならなかった。弱点を持ちそのために組織の利益を捨てた勝己はもはや敬うべきリーダーではなく排除すべき「欠陥品」に成り下がったのだ。
塔の最上階に満ちていた殺気は、葉隠の放った一言で奇妙な、そしてさらに不気味な「熱」を帯び始めた。
​「あれ? 待って逆にチャンスじゃない? リーダーが仲良くしてる村人から情報を引き出して村が潤った時に襲撃して物資を奪うの!」
​「ああ!? そんな事させるわけねぇだろ!」
​勝己が激昂して立ち上がるが、葉隠の声は楽しげに残酷に続いた。
​「いい? 私たちも生活がかかってるの。リーダーの言う『大切な子』の村を襲うけどその子だけは絶対に傷つけないようにする。その代わり爆豪くんはその子から村の警備や備蓄の場所を聞き出してよ」
​「頼むぞリーダー! 俺たちの生活のためにもさ!」
先ほどまで勝己を責めていた上鳴が手のひらを返したように肩を叩き始める。
切島も苦渋の決断を下したリーダーを支えるような顔で「……それが一番丸く収まるな。大事な奴を守りつつ仕事もこなせる」と頷いた。
​それは勝己にとって死刑宣告よりも残酷な「取引」だった。

翌朝サバンナの澄んだ空気が広場を包むなか、出久は緊張した面持ちで仲間たちの前に立っていた。
​天哉が厳かに口を開き昨晩全員で出した結論を伝える。
​「緑谷くん。我々は君をこの村から追放したりはしない。君がその『かっちゃん』という男をどれほど大切に思っているかそして彼が君を救おうとしてくれた事実を尊重することにしたんだ」
​その言葉に出久の目にはパッと希望の光が宿った。しかし、お茶子が少し険しい表情で言葉を続けた。
​「でもねデクくん。何もしないままいつ来るか分からん襲撃に怯えて暮らすわけにはいかんのよ。だから……デクくんに『役目』をお願いしたいんや」
​仲間たちが提示した作戦は出久にとってあまりにも過酷なものでした。
​「彼が君を想って情報をくれたように、今度は君が彼から情報を得るんだ。それがこの村と彼自身の命を救う唯一の道だと我々は判断した」
天哉の言葉は論理的でしたが出久の胸には冷たい氷が差し込まれたような感覚があった。
「(……そんな……。かっちゃんは僕に情報を流してくれたせいで自分の仲間から疑われているかもしれないのに。今度は僕がかっちゃんを騙して情報を盗むの……?)」
​2人はお互いを「守りたい」という純粋な気持ちを持ちながらそれぞれのコミュニティから「相手を裏切って情報を持ち帰るスパイ」としての役割を押し付けられてしまったのだ。

夕暮れのサバンナ黄金色に染まる岩山の影。
かつて2人が立場を忘れて笑い合えた唯一の聖域である「洞穴」の前で出久と勝己は対峙していた。
​乾いた風が吹き抜け、2人の間に漂う重い沈黙を煽ります。
​「久しぶり……かっちゃん」
出久は消え入りそうな声で微笑んだ。その瞳には再会の喜び以上に隠しきれない悲痛な色が混じっていた。
​「……おう。久しぶりだな、デク」
勝己は視線を逸らし乱暴に頭を掻いた。いつもなら傲慢なまでに不遜な態度をとる彼が今は出久の顔をまともに見ることすらできなかった。
​2人の距離はたったの数メートル。
けれどその背後にある「世界」が2人を絶望的なまでに遠ざけていました。
その時風に乗って耳郎の合図――鋭い口笛の音が微かに聞こえた。
​「(爆豪早くして。時間が無い)」
​同時に反対側からは飯田が合図を送るための光を鏡で反射させました。
​「(緑谷くん、早く核心を突くんだ!)」

2人の足音が乾いた大地に虚しく響く。
たどり着いたのはサバンナの地を鋭く切り裂いたような底も見えない深い峡谷の縁だった。
​一歩踏み外せば二度と戻れないその断崖絶壁は今の2人の危うい関係そのものだった。
勝己は峡谷の底を見つめたまま感情を押し殺した掠れた声で切り出した。
​「……俺は襲撃を辞めるつもりはねぇ。俺だけじゃねぇあいつら部下の生活もかかってんだよ。……だから言え。お前の村が一番潤う時期はいつだ」
​それは今まで出久を守ろうとしてきた勝己からは想像もできない冷酷な略奪者としての言葉だった。けれどその拳は白くなるほど強く握りしめられ微かに震えている。
​対する出久も勝己の目を見ることなく足元の小石を蹴り落としながら答えた。
​「僕たちだってもう襲撃に怯えて暮らすのは嫌なんだ。平和にみんなで笑って過ごしたい。……だからかっちゃん。教えてよ。襲撃者の塔が手薄になるのはいつ?」
​お互いに背後にいる「仲間」の期待を背負い相手を売るための言葉を口にした。それはかつて夢を語り合った2人にとって何よりも残酷な裏切りでした。
勝己は握りしめていた拳の力をふっと抜き自嘲気味な笑いを漏らした。
​「……ハッ、ハハ……。笑えねぇな。俺ら結局お互いに同じことしようとしてたってわけかよ。……テメェも俺も大したスパイじゃねぇな出久」
​その苦笑いには隠し事から解放された一瞬の安堵と自分たちの置かれたどうしようもない状況への絶望が混じっていた。
​出久は勝己を責めることもなくただ静かに一歩、また一歩と峡谷の縁へ近づく。足元で崩れた砂が深い闇の底へと吸い込まれていくのを眺めながらぽつりと呟いた。
​「ねぇ、かっちゃん。僕たちは襲撃者だけじゃなくて、夜になればゾンビにも怯えて震えて暮らしているんだ。……人間とゾンビってどっちが怖いんだろうね?」
​その問いは答えを求めているというよりはこの狂った世界へのやり場のない嘆きのようだった。
​「ゾンビに決まってるだろ、あいつらは本能のまま襲いかかって来るんだぞ」
​「うんそうだね、ゾンビはただ襲ってくるだけだ。言葉も通じないし心もない。だから怖くても諦めがつく……。でも、人間は違うよ。……かっちゃんみたいに僕を守ろうとしてくれる人が誰かを傷つける側に回らなきゃいけなかったり……。信じてた仲間が一晩で敵になったりする」
ゾンビは本能のまま村人を襲いそこには誰かを騙したり、友達を騙すという感情は一切ない、だが人間は違う生き残るために他の誰かを利用して嘘をついて生活しなければならない。
「僕は人間の方が……ずっと怖いよ。だってこんなに大好きなのにお互いに騙し合わなきゃいけないんだから」
​その言葉を聞いた瞬間、勝己の胸に今まで感じたことのない激しい痛みが走った。自分が略奪者として奪ってきた金品や命よりも目の前の幼馴染に「人間は怖い」と言わせている自分自身の存在が何よりも醜く思えたのだ。
2人が峡谷の縁で静かに語り合う姿は遠くで見守る監視者たちには極めて異様に映っていた。
勝己は「俺も地下に興味があった弓矢の名手スケルトンと戦ってみてぇ」と見つめあい、次の瞬間「行ってみる?」「行ってみるか」​見つめ合った2人の瞳にもはや迷いはなかった。スパイとしての嘘、村や組織からの期待もすべてを峡谷の風に投げ捨てて。出久と勝己は一歩、また一歩と助走をつけ吸い込まれるような闇の底へと身を投げた。
「デクくううううううん!!!!」
​峡谷の縁にお茶子の絶叫が木霊する。彼女はなりふり構わず崖へと飛び出そうとしましたが天哉と焦凍が全力でその体を押さえつけた。
「放して! デクくんが……デクくんが落ちたぁ!!」
「落ち着け麗日くん! あの深さだ、今行っても二次災害になる!」
天哉の声も震えていた。親友が自ら敵のリーダーと共に死を選んだかのように見えたその光景は村人たちの心に深い傷を残した。
​一方対岸の茂み。
耳郎は構えていたクロスボウをゆっくりと下ろしその瞳から一切の慈悲を消し去った。
​「……そう。それがアンタの答えなのね爆豪」
​背後に控える切島や上鳴たちの顔からもかつての仲間への情誼が消え失せる。
「裏切り者は地の果てまで追い詰めて始末する。それが略奪者の鉄の掟。追いかけるよみんな、あの村人諸共元リーダー爆豪勝己を始末する」
耳郎の冷徹な号令が響いた。
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