勝デク♀【最強の家事代行、推しを護ってヒーローに戻る】

2人のマンションで繰り広げられる「リベンジへの共同生活」の裏側で、この国の実権を握る最高指導者の志村転弧は国家を運営するという重圧と事務作業の中に溶け込み、今は漆黒のロングコートに身を包んで、部下のホークスと共に街の視察に降りていた。
「おいホークス。あの警備脳無、右足の関節の反応が0.2秒遅いぞ。アップデートさせろ」
「はいはい、了解。志村さんは相変わらず細かいっすねぇ」
​ホークスが翼を羽ばたかせながら欠伸を噛み殺した、その時だった。
​「――不審者発見! 許可なき個性の使用、および怪しい身なり、直ちに連行する!」
​無機質な機械音と共に路地裏から最新鋭の警備脳無が飛び出してきた。脳無は凄まじい速度で転弧の背後に回り込むと、その両腕を力技で捻り上げ「ガチャン!」と音を立てて手錠をかけた。
​「……は?」
​転弧の思考が停止した。目の前の脳無は彼自身が「法と秩序の象徴」として街中に配備させた文字通り自分の「手下」である。
​「おい……俺だ。この国の指導者だぞ! 指紋認証も顔認証も通ってるはずだろ!」
「対象者、抵抗を確認。刑務所への強制移送プロセスを開始します」
​「おい待て! 誰がこのプログラム組んだんだ!クソが、指一本触れれば粉々にしてやるところを……ッ!」
あまりにもマニュアルに忠実すぎる脳無に引きずられていく転弧。そのシュールな光景を、ホークスは助けるどころか、スマホを取り出して動画を撮り始めた。
​「あーあ、またですか〜? 志村さん。これで今月3回目ですよ。そのコート、AIが『不審な露出狂』として学習しちゃってるんじゃないですかね?」
​「見てないで助けろホークス!! 国の指導者が自分の作った兵器に連行されるなんて、前代未聞の不祥事だろうが!!」
​「いやぁ、俺が手を出すと『公務執行妨害』で一緒に捕まっちゃいますから。志村さんが作った『完璧な法執行』を尊重しないと」
​ホークスはケラケラと笑いながら、羽を1枚飛ばして脳無のセンサーを軽く叩いたが、脳無は「妨害工作を確認」と録音音声を流しながら、さらに強く転弧の腕を締め上げた。
​「離せ! 権限解除! 志村転弧、コード001だ!」
「……照合不能。対象者は偽名を名乗っています。罪状を『詐称』に追加します」
​「っ、このポンコツがぁぁ!!」
​国の支配者が路上で脳無に捕まり、刑務所へ連行されようとしている滑稽な風景。

「……ったく、どいつもこいつもマニュアル通りにしか動けねぇ。俺がこの国を『完璧』に作り替えてやってるってのに……」
​脳無の手錠からようやく解放され、不機嫌を絵に描いたような顔で歩く転弧。彼は次に、自身の肝煎りである「新都市計画」の工事現場へと足を踏み入れた。
​「おい、ここの進捗はどうなって――」
​その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「ドォォォォォン!!!」という轟音と共に、隣の解体現場の壁が爆発したかのように弾け飛び、巨大な解体用の鉄球が転弧の死角から凄まじい質量で襲いかかってきた。
​「ぶ……ッ!?」
​回避する間もなく転弧の細身の身体は鉄球の直撃を受け、そのまま後ろの仮囲いまで派手に吹き飛ばされた。
​「うわあああ! ごめんお兄さん! 大丈夫!?」
​砂埃の中から現れた重機の運転席。そこから身を乗り出して叫んだのはヘルメットを被った麗日お茶子だった。彼女は「個性」を活かして建設業界で重宝されていたが、今は少し操作を誤ったようだ。
​「……死ぬ……。今、一瞬、おばあちゃんが見えたぞ……」
​壁にめり込み、白目を剥いてズルズルと地面に崩れ落ちる転弧。国家の指導者しての威厳は鉄球の物理的圧力の前に完全に粉砕された。
​「あー、お姉さん気にしないで! この人、身体だけは丈夫なんで平気っすよ。いつもの事なんで!」
​ホークスは駆け寄るどころか、めり込んだ転弧の写真をパシャリと撮りながら、爽やかな笑顔でお茶子に手を振った。
​「いつもの事……?ええ、でもあんなに綺麗に壁にハマってるけど……救急車呼ぶ!?」
「いいっていいって。ほら志村さん。早く起きないと次の視察に遅れますよ?」

鉄球の直撃を受けてボロボロになりもはや支配者としての形を保てなくなっている転弧。その横でホークスは相変わらず他人事のように翼を羽ばたかせている。
「いやあ、志村さん。鉄球に負けるのはやっぱりフィジカルが足りないからっすよ。筋トレしてみれば何か変わるんじゃないですかね?」
​ホークスが適当な指差しで示したのはレッドライオットという真っ赤なジムの看板だった。
​「……ふざけんな。俺の『個性』に筋肉なんて必要ねぇんだよ……」
「そう言わずに行ってみましょうよ。あ、ここ今なら初回無料だって」
​転弧はホークスに半ば引きずられるようにしてジムに入っていった。そこで2人を待ち構えていたのは、燃えるような赤い髪を逆立てた、暑苦しいほどの熱量を持つ男ーー切島鋭児郎。
​「いらっしゃい……って、お兄さん! なんだその細さは! ?」
​切島は転弧のガリガリな体躯を見るなり、ガシッとその肩を掴んだ。
​「……離せ、崩壊させるぞ」
「男ならそんな後ろ向きなこと言っちゃいけねぇ!俺が『男気指導』で叩き込んでやるぜ!さあ、まずはスクワット1000回だ!!」
​切島の指導は、志村の「指導者」という立場など微塵も考慮しないものだった。
​「腕が上がらねぇ……っ。おい、ホークス、助け……」
「いいっすね志村さん! 筋肉が喜んでますよ!」
「そうだお兄さん! 限界の先にあるのが男の勲章だ! あと500回!!」
​お昼過ぎに入店したはずが、転弧の意識が遠のき、再び戻ってくる頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
プロヒーローへの道を閉ざされた切島は、今はこのジムで「男気」を広めることに全力を注いでおり、その対象が国家の支配者であることなど露ほども気づいていない。
​「……はぁ、はぁ……。俺は、何でこんな……重いもん、上げ下げしてんだ……」
「いい顔になったなお兄さん! 明日も待ってるぜ!!」
切島の「男気指導」によって魂まで削り取られた転弧は、もはや指導者の威厳など微塵もなく夜の公園のベンチで幽霊のようにぐったりと横たわっている。
​そこに通りかかったのが、買い物帰りの出久と勝己の2人だった。
「……お、お兄さん? 大丈夫ですか? 顔色が真っ白……というか、土気色ですよ」
​出久は、ベンチで虫の息になっている男を見つけ、放っておけずに駆け寄った。相手が自分たちをこの境遇に追い込んだ「志村転弧」であることには、暗がりと彼のあまりの変貌ぶりのせいで気づいていない。
​「……あ……、……め……」
「えっ? 飴ですか? すみません、飴は持ってないんですけど、ちょうどさっき作った夜食あるんで。よかったら食べて元気出してください!」
​「おい、デク! 勝手に変なもん食わせんじゃ……」
​勝己の制止も間に合わず、出久はカバンから丁寧にラッピングされた「焼きおにぎり」を取り出し、拒否する力もない転弧の口に押し込んだ。
転弧は差し出されたものが何かを認識する余裕はなく。ただ空腹と疲労の極致にいた彼は反射的にそれを咀嚼して飲み込んだ。
​「…………ッ!!?」
​次の瞬間、転弧の目がカッと見開かれた。
口の中に広がったのは、香ばしい醤油の香り……ではなく、「生米の芯が残ったまま表面だけが炭化した、得体の知れない苦味と異臭」。しかも中にはなぜか隠し味として「チョコチップ」と「タバスコ」が練り込まれているという、出久流の独創的なアレンジが加えられていた。
​「……お、げ……ッ、げほっ、ぶはっ!!」
​転弧はベンチから転げ落ちると、猛烈な吐き気に襲われ、その場に四つん這いになって嘔吐してしまった。
​「わわっ! 大丈夫ですか!? 美味しすぎてびっくりしちゃったのかな!?」
​「んなわけあるかボケ!! お前、今こいつに何食わせた!!?」
​勝己は慌てて出久の肩を掴み問い詰めた。
​「え?焼きおにぎりだよ?かっちゃんが作ってくれたお米を僕が愛情込めて焼き直したんだ。隠し味に元気が出るものをいっぱい入れて……」
​「……あ、愛情だと? 殺意の間違いだろ!!」
​勝己は出久の笑顔を見て、絶望したように顔を片手で覆った。あの日、自分が作った完璧な飯を食わせた後だというのに、彼女の「料理センスの欠如」という個性はもはや災害レベルに達していた。
「あー、そこのお二人さん! 気にしないでくださーい。この人、ちょっと食べ合わせが悪かっただけなんで!」
​ホークスは翼を器用に動かし、ぐったりとした転弧の身体を軽々と支えながら2人に爽やかな笑顔を向けた。その背後、公園の入り口には1台のセダンが停まっている。
​運転席の窓から顔を出したのは、かつての平和の象徴――オールマイト。今は政府公認ヒーローとして、志村の身辺警護お守役を務めている。
​「ホークス、急ごう! 指導者の顔色が良いとは言えんからね!」
「わかってますって。……じゃあね、お二人さん」
​バタン、とドアが閉まり、車は夜の街へと走り去っていく。
​残された出久と勝己は、遠ざかるテールランプを不思議そうに見つめたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
​「……ねぇ、かっちゃん。あの、車を運転してた人と、運ばれてたお兄さん……。なんだか、すごく、どっかで見たことある気がするんだ」
​出久が人差し指を頬に当て、記憶の糸を手繰り寄せようと首を傾げる。
​「……あぁ。俺もだ。あの不気味な細い指先といい、車を運転してたあのオッサンといい……」
​勝己も眉間にシワを寄せて記憶を探るが、あまりにも現在の2人の境遇が国の指導者の志村転弧とトップヒーローのオールマイトという強烈なイメージから乖離しすぎていて答えには辿り着けなかった。
​「……まぁ、いい。あんなおにぎり一口で吐くようなモヤシ野郎、俺たちの知ってる誰かであるはずがねぇわ」
​「それもそうだね。……あ、でもかっちゃん、さっきの焼きおにぎり、まだ1つ残ってるんだけど……」
​「いらねぇよ!! さっさと帰って、俺が作り直した本物の飯を食わせるぞ。あんなもん、二度と人前に出すんじゃねぇ!」
​「ええっ、そんなに酷かったかなぁ……」

車内には、重苦しい沈黙を破るようにオールマイトの穏やかで、どこか達観したような声が響いた。
​「……今日も散々な目にあったんだね、志村少年」
​かつての「平和の象徴」は、バックミラー越しに後部座席でグッタリと横たわる転弧を見つめていた。その瞳には危なっかしい親戚の子を見るような、深い慈愛の光が宿っている。
​「全くアンタの不幸体質は誰譲りなんすかねぇ〜。鉄球に潰されたかと思えば、次は道端で一般人に毒を盛られるなんて。国家指導者としては100点満点の面白さですよ」
​助手席のホークスは膝の上でタブレットを軽快に操作しながら今日一日の「志村転弧・受難ログ」をまとめ上げ、他人事のようにケラケラと笑っている。
​「……うるさい!黙れ……ッ!!」
​転弧は青白い顔のまま、シートに深く沈み込みながら叫んだ。胃のムカムカはまだ収まらず、口の中にはあの「チョコチップとタバスコが混ざった絶望の味」がこびりついている。
​「あの女……絶対にわざとだ。俺を殺すためにあんな致死量の兵器を『焼きおにぎり』と称して差し出したに違いない……」
​「志村さん、その人のこと詳しく調査します? 『国家指導者暗殺未遂事件』として」
​ホークスが面白がってタブレットを向けるが、転弧は窓の外を流れる夜景を睨みつけながら、吐き捨てるように言った。
​「……いい。あんな天然のバカを捕まえたところで俺のプライドがさらに削れるだけだ。それよりあのジムの『赤髪』だ。あいつの男気メニューを修正させろ……。明日、筋肉痛で動けなかったら内閣総辞職だぞ」
​「ははは! それは困るね!」
​オールマイトの豪快な笑い声が夜のハイウェイを走る車内に響いた。
「あ、そうそう志村さん。文句ばっかり言ってるとこれ、あげませんよ?」
​ホークスがいたずらっぽく笑いながら、タブレットの画面を転弧の目の前に突き出した。そこには入手困難を極める超人気アイドル・ヒスイの次回のプレミアムライブチケットの当選画面が表示されていた。
​「……! それは……」
​「ええ。コネも権力も使わず、俺が執念でリロードし続けて勝ち取った『一般抽選枠』のチケットっすよ。楽しみにしてたんですよね?」
​「――でかした、ホークス!!」
​先ほどまで胃を抑えてボロ雑巾のように倒れ込んでいた男とは到底思えないほど、転弧は目にも止まらぬ速さで起き上がるとホークスの手からタブレットをひったくり画面を食い入るように見つめた。
​「……いい、この座席位置……! ステージの端までよく見える……。この角度なら、ヒスイがターンした時の衣装の揺れを完璧に観測できるぞ……!」
​「志村少年、急に元気になったね……」
運転席のオールマイトが、バックミラー越しに唖然とした声を漏らした。
​実はこの国の最高指導者・志村転弧には、国民には決して知られてはならない秘密があった。
彼の自室のクローゼットの奥には、大量の「ヒスイ」公式グッズが整然と並べられている。限定版のペンライト、全種類の生写真、そして初期の貴重なマフラータオル……。
​「……ふん、あの『緑髪の焼きおにぎり女』のせいで死にかけたが、これで全て帳消しだ。ライブまでにこの筋肉痛を治し、完璧なコンディションで『ヒスイ』を拝みに行くぞ」
​「あはは、さっきまで内閣総辞職とか言ってたのに」
​ホークスは呆れながらも転弧がヒスイのライブ中にだけは見せる、少年のように純粋な熱狂ぶりを思い出して苦笑いした。
一方で出久はマンションで勝己に「おにぎりの具材選び」について猛説教を受けていた。
​「いいかデク! チョコチップとタバスコは、この世のどの並行世界でも『おにぎりの具』にはならねぇんだよ!」
「えぇ〜、でも、甘辛くて美味しいかなって……」
​まさか自分たちが救護という名の毒を盛ったあのボロボロの男が自分たちの生活を支える「チケット代」を貢いでくれている最大顧客の1人であり、この国の指導者であるとは夢にも思っていなかった。

薄暗い廃工場。かつては華々しいコスチュームに身を包んでいたはずのヒーローが、充血した目で緑色に怪しく光るアンプルを見つめていた。
​「……志村。お前はヒーローから『力』を奪い、家畜のように飼い慣らした。だが、世界は思い知るべきだ。圧倒的な『悪』の前に、ヒーローがどれだけ必要だったかを……!」
​男が開発したのは脳無を強制的にオーバーロードさせ、本能的な破壊衝動を数十倍に増幅させる暴走薬「リバイバル」。
​彼は街の各所に配備されていた警備脳無を数体拉致しその首筋に次々と薬を打ち込んでいく。
​「行け……! ヒーローが必要とされていた、あの時代を取り戻してこい!」
​薬を打たれた脳無たちの目が濁った赤から発光するような紫へと変色した。
「ガ、ガガガ……ッ!!」
制御コードを自ら焼き切った脳無たちは、一斉に街へと飛び出していく。
​繁華街では指示を待たずに建物をなぎ倒し、逃げ惑う市民を無差別に襲撃。検問所では同型機であるはずの警備脳無を次々と解体し、街をパニックに陥れる。
転弧が築き上げた「完璧な秩序」を揺るがす未曾有の事態に、かつての最強たちが即座に呼応した。志村転弧の怒号がコントロールセンターに響き渡ると同時に3人のヒーローたちが街へと飛び出していく。
​「志村さん、ここは俺に任せてください!」
​ホークスが深紅の翼を広げ超スピードで市街地を駆け抜けいった。彼は暴走薬によって予測不能な動きをする脳無を鋭く回避しながら、羽を1枚1枚精密に操り逃げ遅れた市民を1人残らず安全な場所へと誘導していく。
​一方で炎の唸りを上げて脳無の群れに突っ込んだのはエンデヴァー。
​「狂わされた人形ごときが、この街を焼くなど万年早い!!」
​政府公認ヒーローとしての制約を一時的に脱ぎ捨て、彼はかつてのように容赦のない火力で脳無を焼き尽くしていった。薬で強化された脳無の再生能力を上回る圧倒的な熱量。それは、街を守る「壁」としての意地だった。
​そして最も重い一撃を叩き込みながら戦場を駆けるのはオールマイト。
​「私が来たからには、これ以上の破壊は許さん!」
​彼は脳無の頭部を一撃で地面に叩き伏せその行動パターンと薬の影響を瞬時に分析。脳無たちが「どこから来たのか」を、その移動経路から逆算して割り出そうとしていた。
​「ホークス、エンデヴァー! こいつらの動きには明確な起点がある。私はその元凶を叩きに行く!」

『緑谷くんそっちは無事か! マンション付近にも暴走した脳無が向かっているという情報がある、すぐに応援を……!』
​電話の向こうで天哉の声が爆発音と風を切る音にかき消されそうになりながら響く。彼は彼で事務所のスタッフや避難する人々を守るために奔走していた。
​「うん、こっちはかっちゃんがいてくれたから平気。……でも飯田くん。避難所にいる人たちも街の人たちもみんなすごく怯えてる……」
​出久は窓から見える紫の光を放ち暴れ回る脳無と泣き叫ぶ人々の姿を真っ直ぐに見つめた。恐怖が伝染し街全体が絶望に飲み込まれようとしている。
​「だから……安心してもらうためにも、ヒスイのゲリラライブをやろう!」
​『なっ……なんだって!? この状況でか!?危険すぎる!それに会場も音響設備も……』
​「設備は飯田くんなら何とかできるって信じてる……それに今、みんなが一番必要としてるのは、誰かが『大丈夫だ』って笑ってくれることなんだ。」
​出久の力強い宣言に、電話越しの天哉が一瞬絶句した。しかし、すぐに彼はメガネを押し上げ革命を支えるマネージャーの顔で答えた。
​『……承知した! すぐにステージの手配と準備をする、気をつけて来るんだ!』
「分かった!」
「おい、正気かよデク!?」
​勝己は迷いなく衣装を詰め込み始めた出久の背中に思わず声を荒らげた。
​「今からっつーのは、この混乱の中って意味だろ!?ステージの設営も警備もクソもねぇ、リハーサルだってろくにしてねぇのにヒスイに何かあったらどうすんだよ!」
​勝己の焦りを含んだ怒鳴り声。しかし出久はキャリーケースのジッパーを勢いよく閉めると、真っ直ぐに勝己を見つめ返した。その瞳にはかつて「無個性」と嘲笑われてもなおノートを抱きしめていた頃と同じ、あるいはそれ以上の強い光が宿っていた。
​「大丈夫だよかっちゃん。だって僕が『ヒスイ』だから!」
​その言葉に勝己は息を呑んだ。
かつて「デク」と呼んで見下していた少女が人々の希望であるヒスイだった。そして彼女は今、自分にはできなかったやり方で世界を守ろうとしている。
​「……だったら俺はヒスイには指一本触れさせねぇ。ステージまでの道も、歌ってる最中の背中も、全部俺が爆破して守ってやる!」
​「うん! ありがとう、かっちゃん!」
​出久は天哉から送られてきた座標を確認した。
「飯田くん場所は確認したよ。駅前の広場だね……あそこなら、街のどこからでも大型ビジョンが見える!」
​『そうだ緑谷くん! すでに警備脳無のコントロールを一時的に奪い、広場の安全を確保した。急いで来てくれ!』
​天哉の力強い返答に頷き、2人はマンションを飛び出していく。
「おい、デク! しっかり掴まってろよ!!」
​勝己は出久を背負い掌から放つ連続爆破の推進力で、崩れたビル群の間を弾丸のように突き進んでいく。地上で暴走する脳無たちの手をすり抜け、彼らは最短距離で駅前広場へと降り立った。
「――っし、着いたぞ!!」
​「ありがとう、かっちゃん!」
​着地の衝撃もそのままに、出久は駆け寄ってきたスタッフたちに力強く声を上げた。
​「遅くなってすみません! 今、到着しました!!」
​「ヒスイさん! お待ちしておりました!」
「飯田さんから指示は受けています。こちらです、急ぎましょう!」
​出久はキャリーケースを抱えスタッフに導かれるまま、急設された更衣室へと駆け込んでいった。
更衣室の中では天哉からの指示を受けたヘアメイクや着付けのスタッフたちが戦場のような速さで準備を始めていく。
​「ヘアスタイルのセット、急いで!」
「マイクチェック、ビジョン同期まであと60秒です!」
​鏡の中に映る自分を見つめながら出久は深く呼吸を整えた。外からはまだ爆発音や人々の悲鳴が聞こえてくる。けれど、彼女の心は静かに燃えていた。
そし街中の街頭ビジョン、人々のスマートフォンの画面にカウントダウンが映し出される。
​「……始まる。僕が、みんなの『ヒーロー』になる時間だ」
​更衣室のカーテンを勢いよく開け、現れたのは――翡翠のような輝きを放つ衣装を纏いピンク色の髪を完璧になびかせた希望の象徴。
​ライブ開始まであと5秒。

静まり返った街中のモニターに、眩い光と共にヒスイの姿が映し出された。
​「皆さん、怖かったよね。でも、もう大丈夫。私がここにいるから!」
​彼女がマイクを握り力強く最初の一節を歌い出した瞬間、空気は一変した。避難所で身を寄せ合い震えていた子供たちが顔を上げる。不安に押し潰されそうだった大人たちの目にも希望の光が戻った。
​それは管理された平和でも暴力による抑圧でもない。1人の少女の魂が放つ純粋な「安心感」という名の救済。
​「――ライブ中に、余計なノイズ立てんじゃねぇ!!」
​ステージの裏側、広場へ侵入しようとする暴走脳無たちを、勝己は凄まじい火力の爆発で迎撃していた。スタッフたちが恐怖で足をすくませる中、勝己の背中だけは微塵も揺るがない。
​「いいか、ヒスイは安心させるためにライブをしてんだ。その邪魔をするゴミは、俺が1人残らずぶっ殺してやる!」
​ライブのスタッフたちはその圧倒的な強さとヒスイを守る騎士のような気迫に目を奪われた。

混乱の元凶である廃工場ではオールマイトが薬物「リバイバル」を握りしめていた元ヒーローの前に立ちはだかった。
​「君の怒りは理解できなくもない。だが恐怖で勝ち取った支持に正義など宿りもしないのだよ!」
​「……オール、マイト……ッ!」
​男が崩れ落ち確保されたと同時に脳無たちの暴走は次第に沈静化していった。
その頃、政府のコントロールセンター。
志村転弧はモニターに映し出されたヒスイのゲリラライブを呼吸を忘れるほど食い入るように見つめていて、その映像の端に脳無を爆破して排除する「スタッフの男」の姿が映り込んだ瞬間、転弧の目は鋭く見開かれた。

ライブが終わり街に平穏が戻り始めた頃。
更衣室に戻った出久を待っていたのは煤まみれの顔で不敵に笑う勝己だった。
​「……リハーサルなしにしては、上出来じゃねぇか」
​「かっちゃん! ……守ってくれて、ありがとう」
​出久は衣装のまま勝己に飛びついた。勝己は一瞬、不機嫌そうに顔を歪めたが、その細い肩をそっと叩いた。
​「帰るぞ、デク。……明日の朝飯は、テメェの好きなもん作ってやる」

あの日、街を救った歌声と爆炎。
ニュース番組は連日、ヒスイの奇跡的なゲリラライブと彼女を影で支えた「謎のスタッフ」の話題で持ちきりだった。
ネット上では脳無を圧倒的な火力でなぎ倒した勝己の映像が拡散され、「名もなきヒーロー」「ヒスイの守護騎士」という呼び名で神格化され始めていた。
​「……チッ、どいつもこいつも勝手なこと言いやがって」
​勝己はマンションのソファで、不機嫌そうにスマホを放り投げた。出久が「かっちゃん、有名人だね!」と茶化すと、さらに顔をしかめる。彼にとってはヒーローとして認められることよりも、出久の安全と今日作る「肉じゃが」の火加減の方が重要だったからだ。
​しかしそんな平穏な日常に、1通の封筒が届いた。
​郵便受けに入っていたのは差出人の名前がなく重厚な漆黒の紙に金色のシーリングワックスで封印されたあまりにも異様な手紙。
​「……かっちゃん、それ、すごく高そうな手紙だね」
勝己はその封筒を見た瞬間「あぁ、やっぱり無断で個性を使った落とし前をつけろってことか」と最悪の事態を覚悟していた。指名手配かあるいは重い罰金か。苦虫を噛み潰したような顔で震える手で封を切る。
しかしそこに記されていたのは予想だにしない「救い」の言葉だった。
手紙にはまず、先日の脳無暴走事件において、迅速かつ的確な判断で市民とスタッフを守り抜いた勝己の行動を高く評価する、という硬い文言が並んでいた。
​そして、その最後の一文。
​『――以上の功績に鑑み、特例として爆豪勝己に「国家公認ヒーロー」の資格を付与し、その活動を公式に認可する。』
​「……は?」
​勝己は、自分の目が信じられず、何度もその1文を読み返した。かつて自分から「ヒーロー」という夢を奪い去った今の制度そのものが、自分に再び「ヒーロー」を名乗れと言っている。
​勝己が呆然と立ち尽くす横で一緒に内容を覗き込んでいた出久が文字通り飛び上がった。
​「かっちゃん! かっちゃあああん!! 見た!? 今、見たよね!?」
​出久は勝己の腕を掴んでブンブンと振り回し、目に涙を溜めながら叫ぶ。
​「すごいよ! ヒーローだよ! 本物のヒーローになれるんだよ! ずっと、ずっとかっちゃんが一番ヒーローに向いてるって、僕は知ってたよ!!」
​「お、おい……デク、揺らすんじゃねぇ……っ」
​出久の喜びようは自分のヒスイとしての成功の時よりもずっと激しく純粋なものだった。勝己はあまりの熱量にたじろぎながらも自分を信じ続け家事代行として雇うことで「居場所」をくれた少女の笑顔を見て、喉の奥が熱くなるのを感じていた。
「……チッ、志村転弧、余計な真似しやがって」
​勝己はわざとらしく顔を背けたが、その耳の端は真っ赤になっていた。
​「……まぁ、公式に暴れられるっつーなら、悪くねぇ。これからは『ヒスイのスタッフ』じゃなく、正真正銘の『ヒスイの護衛ヒーロー』として、隣に立ってやるよ」
​「うん! よろしくね、かっちゃん!」
​出久は満開の笑顔で勝己の胸に顔を埋めた。
かつて奪われた「ヒーロー」という称号。それは今、一人のアイドルの献身と一人の少年の覚悟によって最高の形で返還された。

「完璧な秩序」への信頼を完全に失った転弧は潔かった。
彼は自ら配備した全ての脳無に「廃棄」の命令を下し。彼の手足だった脳無は、今やリサイクル工場の鉄屑に変わっていた。
「脳無の反応、残ってねぇだろうな……。1つでもバグが残ってたら俺の『完璧』に泥がつく」
​転弧は執務室に籠るのをやめ、ホークスを伴って路地裏から公園の裏まで隈なくチェックして回っていた。
​「志村さん、真面目っすね〜。でも、そんなに低い姿勢で茂みを覗き込まなくても……」
​ホークスが呆れた声を上げた、その瞬間。
「シャーッ!!!」という鋭い威嚇音と共に暗がりから一閃。
​「ぶ……ッ!?」
​自分の縄張りを荒らされたと勘違いした1匹の三毛猫が電光石火の速さで転弧の顔面に飛びかかった。最強の個性を誇る「指導者」の顔面は猫の鋭い爪によって無残にも引っ掻かれ転弧はそのまま尻餅をつく。
「……おい。お前、自分が誰を引っ掻いたか分かってんのか……?」
​顔を血まみれにして震える転弧。そこに「保護猫団体」の2人の男が通りかかった。
​「……おい。そこで猫を脅している不審者、何をしている」
​死んだ魚のような目をした相澤消太とその後ろで猫の捕獲網を構えた心操人使だ。
​「大丈夫か? アンタ。猫はデリケートなんだ。慣れない奴が不用意に近づくからそうなる」
「……お兄さん大丈夫か? その……顔、結構いってますよ」
心操が同情の混じった、けれど冷徹な視線を転弧に送る。国家指導者の顔に「猫の引っ掻き傷」という、あまりにも情けない戦慄が走っている光景。
「あ、ご心配なく! いつもの事なんで! この人、生き物全般に嫌われる才能があるんですよ。お仕事の邪魔してすみませ〜ん!」
​「……は、離せ。俺は……この国の……ッ」
​ホークスは流れるような動作で転弧の襟首を掴むと、まるでゴミ袋でも回収するかのように相澤たちの前から連れ去っていった。
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