青い春を売る君に。
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中間テスト終わり。オレは苗字の部屋に初めて足を踏み入れた。段ボールがまだいくつも積み上がっていて、引っ越してからの日が浅いことを物語っている。ベッド脇の本棚には沢山の書籍が並んでおり、少しずつ彼女という存在が馴染んでいるようだった。
「汚くてごめんね」
「いや、全然」
どんな豪邸に住むのかと思えば、意外にも普通のマンションだった。それでも一人暮らしとしては充分で、革のソファや大きなテレビからも、苗字の生活レベルが垣間見える。オレはその雰囲気に居心地の良さと、少しの緊張を同時に抱えていた。
「どれから片付けんの?」
「この大きい段ボール」
苗字が指差したのは、部屋の隅に積まれた、ひときわ大きな箱だった。マジックで『資料』と書かれているそれは、いかにも後回しにされてきた感がある。オレは袖をまくり、しゃがみ込んだ。
「資料って、小説の?」
「うん。アイデアノート、インタビュー記事、新聞の切り抜き……その他もろもろ」
「地雷とかねーよな?」
「爆発するかもね」
苗字はそう言って段ボールに貼られたガムテープをはがす。箱の蓋がぱかりと開いた瞬間、古紙特有の懐かしい香りが漂った。その中には分厚いノートと雑誌の切り抜き、手書きのメモにコピー用紙。整頓されているようで整っていない混沌は苗字そのものだった。
「雑誌とノートは適当に本棚に詰めてって」
「おー」
黙々と本棚にノートを並べながら思う。なんでオレこんなことやってんだろうと。苗字の親でもなんでもないのに、こんなふうに生活の一部に手をかけてる。だけど不思議と、嫌じゃなかった。重なっていく紙の重さも、彼女の積み重ねてきた時間みたいで、自然と棚に収める手が丁寧になる。
しばらくその作業を続けていると、箱から見覚えのあるものが現れた。中学の頃のアルバムだ。そういえばオレと苗字は同じ中学だったな、と思い出してパラリとページをめくる。
すると信じられない光景が目に飛びこんできた。たくさんの付箋が貼られていた。女子、男子、先生。どういう理屈で選ばれているのか分からないが、それぞれの人物に小さなメモ書きが添えられていた。
『先回りするタイプ』『内面に闇が見える』『自分を強く見せている』付箋の言葉は苗字特有の観察と解釈が混じっている。まるで人間図鑑みたいだった。オレは心の中でドン引きしながらページをめくる。
そこに貼られているひとつの付箋が目に留まる。オレの顔写真の上に、書かれた丸い文字。『主人公適性あり』それを見つめたまま、オレはしばらく硬直する。文字はたしかに、苗字の字だった。柔らかくて丸みがあって、だけどどこか分析的な線。
「どうしたの?」
背後から苗字の声が飛んできた。オレは慌ててアルバムを閉じようとしたが遅かった。苗字はすぐ隣までやってきて、アルバムのページを覗き込む。それから「あっ!」と大きな声を上げ、頬をぱんっと両手で挟んだ。
「なにこれ。主人公適性って」
「だから、その……。人間として一目惚れしたんだよ」
その言葉に思い出した。前にこいつが『人間として一目惚れした』と言っていたこと。あのときは冗談半分かと思っていたけれど、今ここに残されたその文字と、苗字の仕草がすべてを肯定していた。
「なんでオレが主人公?」
「欠点が多いからだよ。人間味があって面白い」
オレは「それ褒めてんのか?」と眉をしかめたけど、苗字は「もちろん」と当たり前のように頷く。その言葉に含まれていたのは、単なる冗談じゃなく敬意だった。そんな彼女を見たオレは頭を抱えるようにして俯く。
「なんで話しかけてこなかったんだよ」
「あくまでも観察対象だったからね」
「お前なあ」
苗字は唇の端を上げたまま、照れたように肩をすくめた。オレはなんともいえない感情を転がしながら、アルバムをパタンと閉じる。指先に残る紙の感触が妙に熱い。彼女に心臓の内側を撫でられる気分だった。
「汚くてごめんね」
「いや、全然」
どんな豪邸に住むのかと思えば、意外にも普通のマンションだった。それでも一人暮らしとしては充分で、革のソファや大きなテレビからも、苗字の生活レベルが垣間見える。オレはその雰囲気に居心地の良さと、少しの緊張を同時に抱えていた。
「どれから片付けんの?」
「この大きい段ボール」
苗字が指差したのは、部屋の隅に積まれた、ひときわ大きな箱だった。マジックで『資料』と書かれているそれは、いかにも後回しにされてきた感がある。オレは袖をまくり、しゃがみ込んだ。
「資料って、小説の?」
「うん。アイデアノート、インタビュー記事、新聞の切り抜き……その他もろもろ」
「地雷とかねーよな?」
「爆発するかもね」
苗字はそう言って段ボールに貼られたガムテープをはがす。箱の蓋がぱかりと開いた瞬間、古紙特有の懐かしい香りが漂った。その中には分厚いノートと雑誌の切り抜き、手書きのメモにコピー用紙。整頓されているようで整っていない混沌は苗字そのものだった。
「雑誌とノートは適当に本棚に詰めてって」
「おー」
黙々と本棚にノートを並べながら思う。なんでオレこんなことやってんだろうと。苗字の親でもなんでもないのに、こんなふうに生活の一部に手をかけてる。だけど不思議と、嫌じゃなかった。重なっていく紙の重さも、彼女の積み重ねてきた時間みたいで、自然と棚に収める手が丁寧になる。
しばらくその作業を続けていると、箱から見覚えのあるものが現れた。中学の頃のアルバムだ。そういえばオレと苗字は同じ中学だったな、と思い出してパラリとページをめくる。
すると信じられない光景が目に飛びこんできた。たくさんの付箋が貼られていた。女子、男子、先生。どういう理屈で選ばれているのか分からないが、それぞれの人物に小さなメモ書きが添えられていた。
『先回りするタイプ』『内面に闇が見える』『自分を強く見せている』付箋の言葉は苗字特有の観察と解釈が混じっている。まるで人間図鑑みたいだった。オレは心の中でドン引きしながらページをめくる。
そこに貼られているひとつの付箋が目に留まる。オレの顔写真の上に、書かれた丸い文字。『主人公適性あり』それを見つめたまま、オレはしばらく硬直する。文字はたしかに、苗字の字だった。柔らかくて丸みがあって、だけどどこか分析的な線。
「どうしたの?」
背後から苗字の声が飛んできた。オレは慌ててアルバムを閉じようとしたが遅かった。苗字はすぐ隣までやってきて、アルバムのページを覗き込む。それから「あっ!」と大きな声を上げ、頬をぱんっと両手で挟んだ。
「なにこれ。主人公適性って」
「だから、その……。人間として一目惚れしたんだよ」
その言葉に思い出した。前にこいつが『人間として一目惚れした』と言っていたこと。あのときは冗談半分かと思っていたけれど、今ここに残されたその文字と、苗字の仕草がすべてを肯定していた。
「なんでオレが主人公?」
「欠点が多いからだよ。人間味があって面白い」
オレは「それ褒めてんのか?」と眉をしかめたけど、苗字は「もちろん」と当たり前のように頷く。その言葉に含まれていたのは、単なる冗談じゃなく敬意だった。そんな彼女を見たオレは頭を抱えるようにして俯く。
「なんで話しかけてこなかったんだよ」
「あくまでも観察対象だったからね」
「お前なあ」
苗字は唇の端を上げたまま、照れたように肩をすくめた。オレはなんともいえない感情を転がしながら、アルバムをパタンと閉じる。指先に残る紙の感触が妙に熱い。彼女に心臓の内側を撫でられる気分だった。