二年生編

第三章 衝撃の真実

次の日から、ミセス・ノリス事件は生徒たちの格好の話題となった。──やあ、いい天気だね。ところで、ミセス・ノリスが石にされた件だけど。こんな風に。
おかげで図書館はホグワーツが開校して以来の盛況ぶりを見せ、マダム・ピンスは常に渋い顔をしていた。皆のお目当てはもちろん、「ホグワーツの歴史」だ。

「あの本なら、大分前に読んだはずだけど」

ハティは「幻の動物とその生息地」の表紙を開いた。目次のアッシュワインダーの項目に、赤いインクでぐりぐりと丸をつける。

「そんなに詳しい説明はなかったような気がするな。『秘密の部屋』自体、伝説みたいなものだし」
「じゃあ、ミセス・ノリスが襲われたのは偶然か?」

ノットが投げやりに聞いた。いつもと変わりないように見えるが、眼差しに苛立ちが混じっている。彼は静寂を乱されるのが嫌いなのだ。
ちょうど通路の向こう側では、六年生のカップルがスリザリンを素敵な言葉で貶しているところだった。

「正直、石になったのは変だと思う。全身金縛り術でも意識があるのが普通だからね」

ハティはカップルのネクタイの色をチェックした。どちらも燃えるような真紅。グリフィンドールだ。

「継承者が本当にいるとして、君は誰が犯人だと思う?」

ノットの薄い唇に、小さく歪んだ笑みが浮かんだ。

「少なくとも、マグル生まれでないことは確かだな。君の見解は?」
「そうだな……」

ハティはにわかに机の上へ身を乗り出すと、向かい側の羊皮紙に赤いクエスチョンマークを描いた。
ノットの淡い色の瞳が、わずかに見開かれた。

「僕が?」
「まあ、候補の一人かな」
「まさか。穢れた血を狩ることに興味はない」

聞き慣れた侮蔑の言葉に、胸がチクリと痛む。ハティは軽く咳払いをした。

「ノット、『マグル生まれ』だろう」
「僕にとっては、同じ言葉のように思えるが」

ノットはわずかな手首の動きだけで杖を振った。

「マグルといえば穢れた血だし、穢れた血といえばマグルだ。それ以上の意味はない。そう考えるように、幼い頃から教わってきた」

羊皮紙のクエスチョンマークが、さらさらと崩れて消えていく。彼が自分の過去について言及するのは初めてだった。
ハティは好奇心を隠すために、わざと不快そうな顔をしてみせた。

「ほら見ろよ。君は徹底した純血主義者じゃないか。疑われたって仕方がないだろう」
「逆に聞くけど、マグルを数人消したところで何になるんだ?せいぜい学校が閉鎖されて、ダンブルドアが責められるだけだろう。僕なら別の方法をとる」

黒檀の杖の先が、教科書のページを叩く。端正な字で、"もっとよく考えろ"というメッセージが紙の上に浮かんだ。
ハティは鼻の頭にしわを寄せて呻いた。

「確かに、君ならあんな演出はしないだろうな。『秘密の部屋は開かれたり』か」

サラザール・スリザリンは血統にこだわっていた。その彼が手がけた部屋を開けるのだから、普通に考えれば直系の子孫が継承者にふさわしいだろう。しかし、スリザリンの血をひく生徒の噂など聞いたことがない。
ハティは机の上に、レポート用の羊皮紙を広げた。

「スリザリンの意志を継ぐのなら、やっぱりふるい家の子だと思うんだ。まずは君。それから、フリント──」
「やつが継承者なら、教授陣はそう苦労をせずにすむな」
「──ロングボトム、アーニー、アボット」
「気は確かか?」
「一応だよ。犯人がスリザリンの生徒だとは限らないだろ。あとは……。ほとんどが二年生か」

ノットは本を片手に話を聞いていたが、やがて表紙を閉じた。机の上に頬杖をつき、羊皮紙に名前が書きこまれていくのを怜悧な目で追っている。
ハティが書き終わると、すぐに口を挟んだ。

「グリーングラス、彼女はありえないな。純血だけど、『血の呪い』の遺伝がある。継承者としては不十分だ」

彼は杖を羊皮紙に向けた。途端に「グリーングラス」の名前が消えていく。

「パーキンソンは?」
「穢れた血を嫌っているけど、自分の手を汚すほどじゃない。ブルストロードは事なかれ主義だ。殺すくらいなら最初から関わらない方を選ぶ」

立て続けに二人の名前が消えていった。残ったのは一つだけだ。
ハティはやかましいカップルの方をちらりと見やった。

「グリフィンドールの連中は、マルフォイが継承者だって騒ぎだすだろうね。あの晩、かなり目立っていたから」

それだけではない。血統の点からみても、ドラコは完璧なのだ。純血のあれこれに興味がないハティですら、彼の母親がブラック家の出身であることは知っている。
ノットの杖の先が、ハティの羽根ペンをつついた。

「まだだ。一人忘れてる」
「誰?」
「君だよ」

羊皮紙に「フォウリー」の名前が黒々と浮かぶ。ハティは戸惑ったように笑った。

「僕の家を何だと思ってるんだい?一族の九割がハッフルパフに組み分けされているんだよ」

ノットの知的な眼光が、ハティの顔を刺し貫いた。

「フォウリー家だけなら、穢れた血にとっても無害だろうね」

ハティはぺしゃんこになった気分で、分厚いステーキを噛み続けた。

ノットが言いたいのはきっと、ロジエール家のことだろう。聖28一支族でありながら、母が語りたがらない家系だ。さぞかし暗い歴史を抱えているに違いない。

考えだすとどうにもフォークが進まなくなって、早めに夕食を切り上げることにした。廊下には人っ子一人おらず、男子寮も静まり返っていた。

「生まれがどうであれ、僕は僕だ」

ベッドに寝転がりながら呟く。シーツの上で丸まっていたソルティが、寝ぼけた声で相槌を打った。ハート型の鼻をひくつかせながら、幸せそうに眠っている。

枕の上には、胡椒あめのゴミが散乱していた。

「ソルティ、また勝手に僕のお菓子を食べただろ。床の方にまで散らかってるじゃないか」

緑の掛け布をめくると、ドラゴン革のナップサックが出てきた。煙突飛行粉フルーパウダーと羊皮紙の屑で、うっすらと汚れている。

ハティは顎に手を当てて、考えこんだ。

「三階女子トイレ、ね」

今なら誰も見ていないはずだ。

そう確信した時に限って、面倒な人たちに出くわしてしまうのだから運が悪い。

二階の階段でのこと。威張りくさったグリフィンドールの監督生が、腰に手を当ててハティを見下ろした。

「君、こんな所で何をしてるんだい?みんなは夕食の席についているんだよ」

頂いた言葉をそっくりお返ししたい。が、とんでもなく機嫌が悪そうだ。首筋に血が上って、真っ赤になっている。
ハティは努めて謙虚に振るまった。

「もう食べたんだ。疑うのなら、ファーレイに聞いてみるといい」

パーシー・ウィーズリーの顔に、むき出しの野心が表れた。

「ということは、君はスリザリンの生徒だね?」
「その通り。ついでに言うと、秘密の部屋も開けちゃいない。だいたい、怪しまれているのは君の弟の方だろう」
「何だって?」

事実を述べたまでだが、どうも痛い所を突いてしまったらしい。赤色が首筋からどんどんと這い上がり、ついにパーシーの顔を燃やし始めた。

「どこの誰だか知らないが、口のきき方に気をつけたまえ。監督生には敬意を払うべきだ」

彼はそう言い捨てると、大股で階段を降りていった。

ハティはナップサックを背負い直した。試練はまだ終わっていない……。踊り場で高みの見物をしていた生徒たちがいる。

「やあ」

ハティは無言で突っ立っているハリー、ロン、ハーマイオニーに声をかけた。

「とても、あー。素敵な夜だね。そういえば、君たちに聞きたいことがあったんだ。空飛ぶ車のことだけど──」
「黙れ」

ハティは愛想笑いを引っこめた。これまでロナルド・ウィーズリーをバカにしたことはおろか、話しかけたことすらないというのに、彼はすでにハティのことを嫌っているみたいだった。

「ご挨拶だな、ウィーズリー。僕なら杖はしまっておくけどね。またナメクジを吐きたくはないだろう」
「ロンの杖がダメでも、こっちは三人だ」

ハリーが不敵に言い放った。

「ここに何をしにきたんだい?牙の生えた怪物に会いに行くのか?」

ハーマイオニーが肘でハリーを小突いた。「言いすぎよ」と隣で囁いている。
ハティは踊り場の先を確認した。間違いない、三階へと動く階段だ。

「あいにくだけど、マグル生まれを追い出すことに興味はなくてね。これから、ケトルバーン先生の部屋に行こうと思ってるんだ」
「何をしに?」
「アッシュワインダーの生態について、いくつか聞きたいことがあるのさ」

ハリーとロンはぽかんとした顔になったが、ハーマイオニーは頷いた。ハティの名前を確かめるように、何度も繰り返し呟いている。

「フォウリー、フォウリー……。ずっと聞いたことがある名前だと思っていたけど、あなた、魔法生物学者のフォウリー夫妻のお子さんなのね」
「ああ」

ハーマイオニーの茶色い瞳の中に、いくつかの星が舞った。

「私、あの本が大好きなの。『ドラゴンの心臓を使った、三つの消臭法と五つの悲惨な演じ方』!軽い読み物だけど、『魔法薬学』の知識がいっぱい詰まってるわ。あなたもそう思うでしょう?」
「うん」
「それから、魔法会誌に載っていたお父様の論文。マートラップの触手液が傷に効くのは知っていたけど、モグラのヒゲを入れるだなんて、すごく画期的だわ……」

早口でまくしたてるハーマイオニーを見て、ハティは思わず微笑んだ。物議を醸しがちな両親の研究、それもやや退屈な研究の成果を、たった十二歳にして理解しているとは。さすがハーマイオニー・グレンジャー。学年一位の成績を収めるだけはある。

際限なく続くお喋りを、とうとうロンが断ち切った。

「マートラップがとんでもなくすごいことは分かったさ。そんなことより、忘れちゃならないことがある。こいつはスリザリンだ」

視線が背中の方へ向いたのを感じて、ハティはナップサックの口を開けてみせた。

「気になるなら確かめてみるといい。この中には必要な物しか入っていないから」
「『検知不可能拡大呪文』ね」

ナップサックの中に腕をつっこみながら、ハーマイオニーがいった。

「これは瓶かしら。アッシュワインダーを生み出すためには魔法火が必要だけど、何を使うの?」
煙突飛行粉フルーパウダーだよ」
「ハーマイオニー、もういいだろ。……ほら、ぼーっとしてないで、とっとと行けよ」

ロンがイライラした様子でいう。ハティは去り際に爆弾を落とした。

「僕のことを疑うのはいいけど、まずは自分たちの心配をしなよ。特にポッター、君は何をしたって目立つんだから」
「僕は継承者じゃない!」

ハリーが大声で否定した。エメラルド色の美しいアーモンドアイに、激しい怒りが現れている。
ハティはゆっくりと首を振った。

「それを決めるのは僕じゃない。他の人たちだ」

彼らの姿が完全に見えなくなったあと、ハティは素早く階段を駆け上がった。

三階はがらんとしていて、より一層不気味さが増していた。例の壁の文字がてらてらと光り、生々しい印象を放っている。

ハリーたちはここで、何をしていたのだろう。

ハティは躊躇ったのちに、ナップサックを女子トイレの近くに置いた。少しだけ、本当に少しだけ、フィルチが戻ってくる前に調べるだけだ……。

しゃがんでみると、見えなかった痕跡が浮かんできた。大理石の床、窓枠、松明の腕木の下。それぞれ散らばった場所に小さな焦げ跡がある。
ハティは黒い焦げに鼻を近づけた。目立ったにおいはしない。

「蠍の尻尾は使ってないか。『生ける屍の水薬』はこんな風に焦げたりしないし……」

思案にくれる足下を、クモの行列が通りすぎていく。魔法薬を十五回は煎じれそうな数だ。採集用の袋を持ってくるべきだった。

他に手がかりはないだろうか。物欲しそうな目で見られているとはつゆ知らず、クモたちは必死に逃げていく。ガラス窓の上ではちょっとした騒動が起こっていた。外の世界へと逃れるために、仲間を蹴落としながらの大冒険だ。

その下の床がわずかに湿っているのに気づいて、ハティは「故障中」の掲示を見上げた。

事件が起こったあの日、廊下は水浸しになっていた。出どころを探れば、何か見つかるかもしれない。

「ルーモス、光よ」

黒クルミの杖に、やんわりとした明かりが灯る。女子トイレの中はひどく陰気な空気がこもっていた。鏡はひび割れ、洗面台の縁はボロボロ、個室の扉には感情的な引っ掻き痕が残っている。

なるほど、いかにも「出そう」な雰囲気だ。洗面台を調べていると、不意に耳元で不機嫌な声が聞こえた。

「ここは女子トイレよ。男の子が何の用?」

ブルッと杖が震える。気がついた時には何もかもが遅かった──。赤い閃光が真珠色の女の子の頬を掠め、鏡を直撃した。呪文は粉々になって跳ね返り、蛇口から蛇口へ、またべつの蛇口へと飛んで広がっていく。

肌寒い夜、滝のような大雨が女子トイレに降り注いだ。

「レパロ!レパロってば。直れ!」

全ての蛇口の首がひっついたあと、ハティはどす黒い水をペッと吐き出した。

「まったく、悲劇的だな」
「喜劇的よ」

女子生徒のゴーストが、嬉しそうにハティの周りを漂った。ずんぐりとした背格好で、柔らかい猫っ毛が顔に貼りついている。大きなメガネは牛乳の瓶の底のようだ。

彼女はびしょ濡れになったハティを見て、大笑いした。

「信じられないなら、鏡で自分の顔を見てみなさいよ。ひっどいから!きっと、みんなに笑われるに違いないわ」
「もしかして、君が『嘆きのマートル』?」

ケラケラ笑いが急にとまった。女の子は顎にできた銀色のニキビを潰し始めた。

「だったら何?」
「よかった。君に聞きたいことがあったんだ。ちょっとだけ個室を貸してくれない?」

ハティは、蝶番の外れかかった扉を指差した。

「誰にも邪魔をされずに、一人になりたいんだ。君なら分かってくれるだろう?」
「でも、あんたは女の子じゃないわ。今日はそんなことばっかり。みんなして私をいじめるのよ」
「インセンディオ。……みんな?」

ハティはクリスタルの瓶から顔を上げた。ブルストロードたちの話によると、このトイレに人は寄りつかないはずだが。

「他にも誰かが来たの?」
「三人来たわ。一人は出っ歯の女で、あとの二人は男」

マートルは沈んだ声でいった。

「それで、メガネの方が聞いてきたの。ハロウィーンの夜に誰か見かけなかったかって。だから私、答えてやったわ。そんなこと、気にもしていなかったって。ピーブズがあまりにも酷いから、自殺しようとしたんだけど、実は私──、私って──」
「もう生きていなかった」

マートルはヒステリックに泣き叫んだ。くるりと向きを変え、便器がある小部屋の方へと飛んでいく。

誰もいなくなった洗面台の近くで、ハティは黙々と炎を瓶に詰めていった。女の子とはつくづく大変な生き物だ。髪型だけではなく、機嫌までコロコロ変わるらしい。

しかし、ハリーたちまでここに来ているのは予想外だった。どうも良くない前兆だ。彼らが動き始めると、ろくなことにならないのは目に見えている。

ナップサックを目立たない個室の影に隠して、ハティは慎重に女子トイレの扉の取手を回した。
もうすぐ消灯の時間だ。先生方が見回りを始める前に、寮へ滑りこまねばならない。

ところが、怯えて行動する必要はなくなった。何と、セブルス・スネイプが「故障中」の掲示の隣に立っていたのだ。

「楽しい夜をお過ごしのようで」

ハティは二、三度瞬きをすると、まつ毛についていた水滴を指で拭った。

「先生、ここは女子トイレですよ」
「奇遇ですな。我輩も同じことを君に言おうと思っていたところだ」

土気色の顔に、不吉な笑みが浮かんだ。

「スリザリン、十点減点。罰則だ。──さあ、そこから出てきたまえ」

聞き分けのない犬のように引っ張られながら、ハティは大理石の廊下を歩いた。水を吸って重たくなったローブからポタポタと雫が垂れ、カタツムリよろしくその足取りを残している。

「僕、先生に会うたびに引きずられているような気がするんですけど」
「ほう、お気付きでしたか」

スネイプが皮肉めいた口調で返した。

「我輩とてかかずらいたくはないが、ご両親から君を見張るように頼まれている。愚息が少しでもおかしな真似をしたならば、ただちに指導するようにと」
「……それは、お疲れ様です」
「つきましては、男子生徒の君がなぜあのような場所にいたのか、ご説明願いたいところだが」

ハティは授業中ハーマイオニーがそうするように、天高く手を上げた。

「その前に、僕の質問に答えてください。先生はなぜ三階にいたのですか?」
「ハロウィーンの日の夜に、監督生から報告を受けていた。君が怪しげな実験をするために、三階の女子トイレへ行く可能性があると」

ファーレイだ。ハティとパンジーたちの壮絶な舌戦を聞いていたに違いない。

「あのお節介め」
「何か文句でも?」
「いいえ」
「我輩も暇ではない。問題にならない限りは目を瞑ろうとしていたのだが、先ほど六年生たちが駆けこんできたのだ。夕食の席以降、君を見ていないと」

虚ろな目がハティの方を振り返った。

「聞くところによると、かなり塞ぎこんでいたようですな」

スネイプ特有の、心の底を探るような目遣いを受けて、ハティは視線を逸らした。六年生たちとはまた、どこから降って湧いたのだろう。上級生の中に親しくしている者はいない。

「気のせいでしょう。食欲がなかっただけです」
「君がかね?」
「僕だって、常に食い意地を張っているわけではありません。女子トイレに行ったのは、ゴーストの生態調査をしたかったからです。図書館で興味深い本を見つけたので」

じとっとした嫌な視線が、ハティの顔を舐め回した。

「他のゴーストを差し置いてか?我輩の記憶するところによれば、『嘆きのマートル』はそう協力的だとはいえない人物のはずだが」
「『血みどろ男爵』よりはマシですよ」

ハティは寮監と目を合わせないように、石造りの柱やら、古い樫の木の扉やらに注意を向けた。

「あの人ときたら、『灰色のレディ』ばかりを見つめてる。あっちにその気はないのに、死んでからもずっと想い続けてるんだ」
「君の学習意欲には大いに頭が下がる」

スネイプは急にハティの襟首を手放した。ハティはよろめいて、近くの石像に抱きつく格好になった。

「どうやら、我輩は誤解していたようですな。てっきり『秘密の部屋』の謎を解くために三階へ向かったのかと思っていたが。君にはどうも、妙な正義心があるようなのでね」
「まさか」
「そして、目的のためなら平然と嘘をつく。実にスリザリンらしい気質をお持ちだ」

黒い両眼には、何の感情も浮かんでいない。ハティはスネイプの突き出た鉤鼻の方に意識を集中させた。

「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてはおらん」
「先生、お話し中すみません」

地下室への入り口の手前、二人に声をかけてきたのは、疲れきった様子のマルフォイだった。クィディッチ選手用のローブを身にまとい、右手に羊皮紙を持っている。

彼はずぶ濡れのハティを見てぎょっとしていたが、すぐに笑顔を取り戻した。

「フリントに頼まれました。明日の分のサインをお願いします」
「練習の方は順調かね?」
「ええ」

マルフォイの顔が誇らしげに輝いた。

「新型の箒の速さときたら、僕が今まで見た中でも最高です!ニンバス2000なんて、蝶々みたいなものだ」

嬉々として報告する様子を、ハティは驚きをもって眺めていた。クィディッチの話をしている時の彼は、とても魅力的だった。自慢の髪は乱れ、ローブは砂埃に汚れているものの、普段の百倍は素敵に見える。

いつもこういう顔をしていれば、グリフィンドールの連中にとやかくいわれることもないのに、とハティは残念に思った。

「大いによろしい」

スネイプが満足そうに頷いた。

「これもお父上のご協力のおかげだな。今後ともぜひ練習に励みたまえ。それからドラコ、ついでだが、フォウリーを談話室へ送り届けてやってほしい」
「え?」

ハティとマルフォイが同時に聞き返した。青白い顔から純粋な笑顔が消えていく。

「それは、その……。いえ、僕はいいのですが」
「先生、僕は一人で帰れます!」
「貴様は野放しにしておくと、何をしでかすか分からん」

ハティの抗議を、スネイプがピシャリと却下した。

「それでは諸君、他の先生方が難癖をつける前に寮に戻りたまえ」

覇気のない眼差しがマルフォイ、それからハティの姿を捉えた。

「フォウリー、ご両親から頂いたペンダントがあったはずだが?」
「え?ああ、寮に置いてきました」
「身につけておけ。そうすれば、お母上の心配も少しは減らせるだろう」

スネイプは一向に目を合わせようとしないハティの顔を見据えると、ローブを翻して去っていった。

「ペンダント?」

先に口を開いたのはマルフォイの方だった。怪訝そうな顔でハティをじろじろと見ている。いつも通りの尊大な、スリザリン寮生のドラコ・マルフォイだ。

「ロケットにママの写真でも入れているのかい」
「君がポッターに振られた理由を教えてあげるよ。その嫌味な言い方だ」

ハティは濡れた前髪をどうにかしようと奮闘していた。

「でなきゃ、不遜なウィーズリーの方を選ぶはずがない。出会い頭に『黙れ』だなんて、あの双子の弟とは思えないよ」
「失礼、僕の聞き間違いですかね。誰が誰に振られたって?」
「ポッターだよ。君、彼のファンだろう」

マルフォイは嘲るように短く笑った。

「僕が?ポッターのファン?悪いけど、額に傷の入った人間なんて、僕は応援したいとも思わないね。あいつのファンなんて、せいぜいクズのおべんちゃらのクリービーぐらいなものだろう」
「コリン・クリービーはクズじゃないよ。ただ、熱意がありすぎるだけだ」
「『これ』が?」

マルフォイは両手で、架空のカメラを作ってみせた。

「相変わらず変なやつだな。グリフィンドールのマグルなんかを庇って何になる?どうせ、やつらは継承者に追放されるんだ。君も下手なことは言わない方がいい」

ハティはわずかに身を固くした。まさか、疑わしい相手の方から秘密の部屋の話を振ってくるとは。

「随分と自信があるようだけど、誰が継承者か見当はついているのかい?」

マルフォイの目がすっと細くなった。

「知っていたところで簡単に教えると思うか?それも、君のようなマグル贔屓に」

なるほど、彼も愚かではないらしい。少しばかり揺さぶりをかける必要がある。

「なんだ、知らないのか」

ハティは水の入った革靴をガポガポいわせて、マルフォイの先を歩いた。

「僕は君が継承者だと思っていたんだけど。やっぱり家柄だけではどうにもならないんだな」
「どういう意味だ?」

マルフォイの声が険しくなる。ハティは後ろを振り返った。

「そのまんまだよ。マルフォイ家のご子息ですら何にも知らないんだろう?純血の名家ってだけでは、スリザリンのお眼鏡には敵わないってわけだ」

常に皮肉まじりの会話をしているスリザリン寮生でも、沸点が低くなってしまう話題がある。それは、血統と家柄についてだ。

家格によって序列が決まるスリザリンでは、これらが全てだといっても過言ではない。当然、長く続く家系であればあるほどプライドは高くなるし、貶されれば自ずと喧嘩腰になる。

その誇りを餌にした策に、マルフォイはまんまと引っかかった。

「だから何だ?フォウリー家なんて、厨房の扉の開け方くらいしか知らないだろう。もちろん、父上は全てをご存知だ……。しかし、僕には関わり合いになるなとおっしゃっている。目立たないようにして、継承者には好きにやらせておけと」

──心配せずとも、今学期はさらなるお楽しみが増えることになる。

お茶会の時のルシウス・マルフォイの言葉が脳裏に蘇る。ハティはこれほど、自分の仏頂面に感謝したことはなかった。そうでなければ今ごろ、好奇心を露わに涎を垂らしていたことだろう。

「ということは、君の家が秘密の部屋の鍵を受け継いでいるわけではないんだね?」
「違う。だいたい、以前『部屋』が開かれた時は継承者が追放されたんだ。僕のご先祖様にアズカバン送りになった者はいない」
「以前?」

ハティは迅速に食いついた。

「前にも秘密の部屋が開かれたのかい?」
「ああ。五十年前……。父上よりも前の時代だ」

そこまでいったあと、マルフォイは唇を噛みしめた。明らかに喋りすぎたと思ったらしい。

「とにかく、連中が狩られるのは時間の問題だ。前に部屋が開かれた時は、穢れた血の一人が死んだ。今度もきっと、やつらのうちの誰かが殺されるだろう」

それはどうかな、とハティは心の中で返した。ダンブルドアがそのような凶行を許すはずがない。ほんのついでだが、ハティ自身も許すつもりはなかった。

そろそろ話題を変えた方が良さそうだ。ハティは穏やかに笑いかけた。

「それにしても、君が継承者じゃないのは意外だな。だって、君の血筋は完璧だろう?マダム・マルフォイはブラック家の出身だって聞いたよ」

やはり、スリザリン寮生はこの手の話に弱い。マルフォイの顔にいつもの自慢げな色が戻った。

「ブラック家は魔法界の王家だ。でも、それだけじゃない。僕の体にはヴィンダ・ロジエールの血も流れているんだ。ほら、君も知っているだろう?グリンデルバルドの右腕だった方で──」

しん、とした沈黙が落ちる。談話室へと続く石の壁の前で、二人は無言で向き合った。

「ロジエール?」
「ああ、そうだ」

ドラコがやけに冷静な声でいった。

「知らなかったのかい?僕の母上と君の母上はいとこ同士でね。何度か顔を合わせたことがあるらしい」
「ということは、僕たちって……。はとこ同士?」

ハティは濃いグレーの瞳を見開いた。

「そんなこと、母さんからは聞いたことがなかったよ。どうして黙っていたんだろう。教えてくれていたら、僕だって……」

もう少し彼と仲良くするために、努力をしていただろうか?いや、ありえない。むしろ中途半端な血の繋がりのせいで、色々と拗らせてしまった可能性がある。

ドラコは動揺しているハティを尻目に、合言葉を唱えた。

「プロテゴ・ディアボリカ。──べつにそう驚くことじゃないだろう。純血である以上、親戚同士なんてよくある話だ」

ハティはどういった顔で、相槌を打てばいいのか分からなかった。ドラコとの関わりはそう深いものではない。「自分とは正反対の価値観を持つ、ちょっとそりの合わない坊や」程度の認識だった。だからこそ、今まで遠慮なく嫌味を言い返すことができていたのだ。

滑らかなプラチナブロンドの頭が遠ざかっていく。ドラコはいつ、この真実に気がついたのだろう。

入り口で立ち往生しているハティに、ザビニが声をかけた。

「遅かったな。今までどこに行ってたんだ?」
「ちょっと、女の子と水浴びをしにね」
「へーえ?」

やや下品な冷やかしの言葉が飛んでくる。ハティは相手に向かって、濁った水滴を飛ばした。ザビニはひらりと華麗によけ、ハティに向かって思いっきり舌を突き出したあと、三年生の女の子にちょっかいをかけにいった。

「ドラコは継承者じゃなかったよ」

ハティは彫刻の入った、固い椅子に腰を下ろした。

「だけど、その代わりに分かったことがある。彼、僕のはとこだったんだ」
「そうか」

ノットは普段と変わり映えのない返事をした。長い脚を組み、テーブルの上でソルティが暴れているのを、珍しく愉快そうな目で見つめている。

「大して驚きはしないな。君たちはよく似ているから」
「どこがだよ。僕はフォウリーだし、彼はマルフォイだ。正反対の人間さ」

ハティは暖炉の方へ背を向けた。ちょうど六年生の何人かが、濡れてみすぼらしくなった姿をちらちらと盗み見ているところだった。

「ソルティはいったい、何をくわえてるんだい?」
「チェスの駒だよ。ザビニが持ってきたんだ。プレイヤーそっちのけで、勝手に不正をして勝とうとするものだから、君の猫が怒ってね」
「チェスか」

ハティは、ぶすっとした顔の駒を指でつまんだ。気分転換にはもってこいだ。

「ねえ、僕ともう一戦やってみないか?明日のベーコンを賭けてもいい」
「どうせ負けるくせに」
「やってみなきゃ分からないだろ」

ノットはかすかに微笑んだが、テーブルに黒い水たまりができているのを見ると、眉をしかめた。

「その前に、シャワーを浴びてきた方がいいな。君、フィルチの上着と同じにおいがするよ」
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