二年生編

第一章 純血貴族デビュー

うだるように暑い、夏の午後。少しばかり背の高くなったハティ・フォウリーが、ビロードの張った椅子の上でかしこまっている。子どもらしい華奢な肩に、すらりと伸びた手足。情の薄そうな顔は珍しく、きりっと引きしまっている。

いつもなら無造作に分けてある栗色の髪は、入念に櫛で梳かしつけられていた。毛先が粗っぽいのは、ドラゴンの吐息で焼かれたせいだ。艶をとり戻すのに、「スリーク・イージーの直毛薬」を大量に使わなければならなかった。

「つまりは、こういうことなんです」

ハティは、前下がりの髪をさっと撫でた。

「スウェーデン・ショート・スナウト種の連中は、僕をハッセルバックポテトか何かかと勘違いしていた。だからみんな一緒になって、火を吹いたんじゃないかと。焦げ目のついていないジャガイモなんて、レモン入りの紅茶と同じくらい半端なものですから」

ハティは自身の目の色とお揃いの、濃いグレーのローブを身につけていた。光沢のある薄い絹の生地で、数日前に「マダム・マルキンの洋装店」から引き取ったばかりだ。くるぶしからはシトラスとミントの香りが立ち昇り、革靴はピッカピカに磨かれていた。

上から下まで「よそ行き仕様」なのには理由がある。ある高名な一族の家長から、お茶のお誘いを受けたのだ。ハティとフォウリー夫人は、風通しのよいテラスの席を案内された。館の広大な庭を見渡すことができる場所で、すぐそばでは白い大理石の噴水が涼しげな音を立てている。

向かいに座っていたルシウス・マルフォイが、口元をわずかにほころばせた。

「すると君は、ドラゴンから無事に逃げおおせたのだね?結膜炎の呪いを使って?」
「ええ、まあ。そんなところです」

事実はもちろん違う。父がドラゴンにありったけのクソ爆弾を投げつけ、その隙にドラゴン使いの人たちが失神呪文を放ったからこそ、ハティはこうしてお茶を飲むことができているのだ。しかし、本当のことを言うつもりはない。ドラコの父親に、フォウリー家のユーモアが通じるとは到底思えないからだ。
ルシウスは、今度はフォウリー夫人の方へ関心を向けた。

「息子さんはどうやら、あなたに似ているようだな。好奇心が強く、人一倍勇気がある」
「さあ、喜んだ方がいいのかしら」

フォウリー夫人は横目で、息子を捉えた。ホワイトムーンストーンのピアスが耳元で揺れている。

「私としてはもう少し、大人しくなって頂きたいのだけれど。邪悪な火で火傷を負った・・・・・・息子だなんて、見たくありませんもの。好奇心はニーズルをも殺すと言うでしょう」

ハティはルシウスと一緒になって、白々しい笑い声を上げた。母はまだ、スネイプ先生からもたらされた知らせに怒っているらしい。ヴォルデモートと直接対決したのはハティではなく、かの有名なハリー・ポッターだというのに、とんでもない命知らずだと言いたげな口調だ。

ツンとすました顔でティーカップを持ち上げるフォウリー夫人に、ルシウスが「まあまあ」と宥めるように声をかけた。

「子どもというものは、往々にして活発に動き回るものだ。そうではないかね?君だってこの子と同じ年の頃は、それなりに名の通ったじゃじゃ馬だったはずだが」
「昔のことは覚えていないわ。あまりにも遠すぎる」

フォウリー夫人はそう呟くと、改めてふんわりと微笑んだ。

「あなた──。確か、ドラコだったわね。学校生活はどう?あなたはスネイプ先生のお気に入りだとハティから聞いたけれど」

それまでぴっちりと口を閉ざし、フォウリー家の二人を戸惑った目で見つめていたドラコが、おずおずと頷いた。

「ええ。先生はずいぶんと目をかけてくださっています。父上ともかなり親しい間柄ですし……」
「ドラコ。その言い方では、私がセブルスにお前を贔屓するよう、根回ししたように聞こえてしまうぞ。気をつけなさい」

マルフォイ氏は愉快そうにいったが、薄い灰色の目は笑っていなかった。

「もっとも、特別に扱うよう頭を下げるべきなのかもしれない……。これ以上、お前の成績が上がらないのならば」

ドラコの血色の悪い頬が、さっと赤くなった。

「父上、何度も言っているでしょう!僕は悪くない。先生たちがポッターやグレンジャーばかりを褒めるから──」
「もしそれが本当なら、お前は反省するべきだ。魔法使いからちゃんとした教育を受けたわけでもない、とるに足らないマグル育ちなどに負けているのだから」

ハティは母親と顔を見合わせた。どうもよくない雰囲気だ。ドラコは機嫌を損ねているし、ルシウスの目はギラギラと冷たく光っている。

「そういえば、ハリー・ポッターもホグワーツに入学したのよね」

フォウリー夫人がマルフォイ親子の様子を伺いながら、慎重に切りだした。

「グリフィンドールに組み分けされたと聞いたけど、いったいどんな子なのかしら」
「どこにでもいるような子です。額にバカげた傷があるから有名なだけで」

ドラコが吐き捨てる。薄い唇の端が引きつっていて、嫉妬と羨望がないまぜになったような表情をしていた。ハティは彼を刺激しないよう、なるべく視線を別の方向に向けながら、ちびちびとクッキーをかじった。

「本当に普通の男の子だよ。ドラコの言う通り。ただ危険なことに首を突っこみたがるのと、規則を破る癖があるかな。あとは、箒に乗るのが上手だね」

ハティはちらっとドラコの方を見やると、ちょっとだけつけ加えた。

「まあ、ほんの少しだけど」

ドラコの白い眉間には、深いしわが寄っていた。

「ダンブルドアがニンバス2000を与えたから、あいつは勝てたんだ。最新型の箒があれば、スリザリンだって……」
「競技用の箒については、考えがある」

ルシウスが押さえつけるような目で、息子を見た。

「チャンスは公平に与えられるべきだ。幸いにして、私はそのチャンスをお前たちに恵んでやることができる。そうと分かれば、何百回と同じことで嘆く必要はないと思うのだが──」
「新しい箒を買ってくださるのですか?」

ドラコの顔がにわかに明るくなった。

「──機会を十分に与えられたならば、お前もそう簡単に文句は言えなくなるだろう」

ルシウスは威圧的な態度で言葉を締めくくると、ゆっくりとした仕草で紅茶を飲んだ。これ以上の追及は許さない──。たった一つの動作から、強い拒絶の意思が滲み出ている。

父の貴族的な振るまいに慣れきっているドラコは、空気を読んで黙ることを選択した。

一方で、彼と同じ旧家の出でありながら、庶民的な和やかさの中で育ってきたハティは、見事に圧倒されていた。気詰まりな様子でショートブレッドをせっせと口に運んでいる小さな客人に、マルフォイ氏が微笑みかけた。

「君も箒には乗るのだろう?チームの選抜に興味はないのかね」
「僕、クィディッチはあんまり……。だけど、試合ではスリザリンを一番に応援していますよ。もちろん」

マーカス・フリントが姑息な手を使わなければの話だが。ハティは漠然とした、居心地の悪さを感じていた。

ドラコとは特別仲がいいわけではない。それどころか、入学して三ヶ月の間は、顔を合わせるたびに嫌味を言い合っていたくらいだ。息子とそっくりなこの父親に、優しくされる理由は見当たらないのだが……。もしかしたら、敵を手厚くもてなすのがマルフォイ家の流儀なのかもしれない。

ハティの返しはかなり微妙なものだったが、ルシウスの笑みはますます深くなった。

「今はそんなところでいいだろう。心配せずとも、今学期はさらなるお楽しみが増えることになる。クィディッチ以外にも憂さ晴らしができるというわけだ」
「父上、『お楽しみ』って何があるのですか?」

ドラコが我慢しきれずに口を挟んだ。

「僕、ダンブルドアがいなくなるんだったらいいのにな」
「ドラコ。お客様がいらっしゃる時は口を慎めと何度言えば分かるのか──」

その時、ルシウスの説教を、何かが割れる凄まじい物音が遮った。四人は音の方向へ振り向いた。みすぼらしい格好をした屋敷しもべ妖精が一人、呆然と立ち尽くしている。見開かれた瞳はボールのようにまんまるで、その足下には真っ赤な染みが広がっていた。

「ドビー」

マルフォイ氏の声から、温かさが消え去った。

「私はお前に言ったはずだ。同時に多くの物を運ぼうとするなと。ティーポットには魔法をかけて、常に温かい状態にしておけと。さらにこうも言ったな──。お客様の前では粗相をしてくれるなと」
「も、申し訳ございません!ご主人様!」

ドビーは深々と頭を垂れながら、床に這いつくばった。枕カバーから突き出ている枯れ枝のような腕が、気の毒なほどに震えている。奇妙なほど長い、ふしくれだった指にはいくつかの絆創膏が貼ってあった。

この子は虐げられているのだ。ハティの表情をどう捉えたのか、ルシウスはさらに険しい声で命じた。

「もういい、下がれ。主人の顔に泥を塗るな」
「はい、ご主人様」

ドビーは四つん這いのまま、指をパチッと鳴らした。たちまち砕けたはずのティーポットや角砂糖、散らばったスコーン、そして哀れなドビー自身の姿が宙にかき消えていった。

あのショッキングな赤い紅茶の染みも、きれいさっぱりなくなっている。

ハティは胸を撫で下ろした。最初に屋敷しもべ妖精を見た時に、血まみれになっているのではないかと思ったのだ。どのような理由があろうとも、生き物が傷付いているのを見るのは苦手だ。息が苦しくなる。

ルシウスは咳払いをすると、客人たちに笑いかけた。

「見苦しいところをお目にかけましたな。我が館のハウスエルフときたら、とんでもない役立たずで。──マーナ。君のところの妖精は物分かりがいいのだろう。兄弟がいるのなら、分けてくれないか?あれではまるで使いものにならん」
「マギーは一人っ子よ。私の知る限りでは」

母は冷静な声で答えた。

「我が家では、屋敷しもべ妖精も一緒にディナーを頂くの。誰に仕えるかはあの子たちが決めることだわ。私たちに権限はない」
「それは……。実に革新的な試みだな。まことに、あー。フォウリー家らしい」

青白い顔に、含みのある影がさっと流れる。顔立ちから表情の使い方に至るまで、息子と瓜二つだ。ルシウスが「革新的な試み」に対して、否定的なのは疑いようがない。

「しかし、珍しいこともあるものだ。そのような家庭から、スリザリンに組分けされる者が出てくるとは」

冷たい灰色の視線が、ハティの顔の輪郭をなぞる。

「血は水よりも濃いと言う……。これもまた血のなせる業なのかもしれん」
「この子が私に似ているのなら、ルシウス。ハティはレイブンクローに組分けされるはずだわ」

フォウリー夫人がティーカップをテーブルに置く。底の部分がソーサーに触れる、カチャンといった音が響いた。

「でも、そうはならなかった。この子は夫によく似ているの──。紛れもなく、フォウリー家の跡取りよ」

ひりひりと痛むような沈黙が続いた。ハティとドラコは当惑しきった顔で互いの親を見つめ、大人たちは長いこと無言で探り合いをしていた。

やがて、ルシウスの顔にはっきりと嘲笑めいたものが浮かんだ。

「ええ。全てあなたの言う通りでしょうな。ミス・ロジエール」


帰り道、肩で風を切って歩く後ろ姿を、ハティは必死に追いかけた。

「母さん、待って」

優雅なクラウンブレードの頭がどんどん離れていく。水色のローブの背中は、怒り狂った氷の女王のようだ。立ち止まれば途端に汗が噴き出るような夏なのに、母の周りにだけ重苦しい冷気がまとわりついている。

ハティはとうとう口の横に手を添えて、大きな声で叫んだ。

「ミセス・ラブリー!きれいなお母様!頼むからもう少しゆっくり歩いてよ。僕の方がちょっぴり足が短いんだからさ!」

道ゆく人の何人かが振り返った。フォウリー夫人はやっと歩くのをやめ、息子が赤くなりながら追いつくのを待った。

「……我が子を置き去りにするところだったわ」

やはり様子がおかしい。優しい声を装ってはいるものの、どこかに硬さがある。

ハティは母の隣に並ぶと、息を整えた。

「べつにこれが初めてじゃないだろ。いつもそうなんだから……。それより、マルフォイのお父さんと知り合いだったんだね」
「同じホグワーツの卒業生だもの。顔くらい合わせるわ」
「でも、どうして急にお茶を飲もうなんて話になったの?」

ハティはハンカチで汗を拭った。こんな時、魔法を使えないのはもどかしい。

「クリスマスの時はものすごく嫌がっていただろう。マルフォイとかクラッブとか、『例のあの人』に近かった人たちの子がそばにいるのを……」
「『例のあの人』は消え去ったわ」

フォウリー夫人はピアスを外しながらいった。

「あなたはスリザリンに組分けされたのだし、親交を深めておくのは悪くないと思ったの。どのみち、彼らとは嫌でも関わらなきゃいけなくなるわ」
「……僕、今日のお茶会でお腹いっぱいなんだけど」

深いブルーの瞳が、ひたと息子の顔を見据えた。

「あなたは聖28一族の息子で、フォウリー家の名はまだ地に堕ちていない。これからは、他のお家にお呼ばれすることも多くなるでしょう」

フォウリー夫人は珍しく厳格な態度で言い渡した。こうしてみると、本当にどこかの貴族の奥様のようだ。ハティはげんなりした顔で、母のあとに続いた。

「その理屈が正しいならさ、アーニーやロングボトムだってお茶会に参加するわけだけど。どうせお招き頂くなら、ロングボトム家かアボット家がいいな。彼ら、すごく優しそうだし」
「オーガスタ・ロングボトムは手強いわよ。楽な気持ちで挑めるような方じゃないわ」

フォウリー夫人は誰もいない、暗い路地に入ると、息子に向かって腕を差し出した。

「さあ坊や、しっかり掴んでちょうだいね。あと一つだけ、片付けなければいけない仕事が残っているわ。あなたの新しい教科書を買わなくちゃ」

行き先はダイアゴン横丁だった。姿現しによって文字通りその場に現れたハティは、とっさにみぞおち辺りを手で押さえた。お腹の中がモヤモヤとして、ものすごく気分が悪い。

「これ、どうにかならないの?胃の中を引っかき回された気分なんだけど」

息子の切実な訴えを、フォウリー夫人は聞いていなかった。黄色みがかった羊皮紙を広げて、首をかしげている。

「ロックハートの本が七冊ですって?本当にあんなものが役に立つのかしら……」
「誰?」
「ギルデロイ・ロックハートよ。あなたの先輩にあたる方ね。彼、何というか……。人の目を惹かずにはいられない性分なの」

母はかなり言葉を選んでいるようだった。

「その人、まさかスリザリン出身じゃないよね?」
「レイブンクローよ。自分宛にバレンタインカードを800通送って、朝食をふくろうの糞まみれにするような人だけど」

フォウリー夫人は肩をすくめて、羊皮紙を封筒の中へ戻した。

ダイアゴン横丁はいつもの通り、多くの魔女と魔法使いたちでごった返していた。目に鮮やかな、ギャンボル・アンド・ジェイプス悪戯専門店の前で、ハティは長いこと悩んでいた。

「『ドクター・フィリバスターの長々花火』だって。母さん、これグリムに買ってあげてもいい?きっと喜ぶよ」

弟のグリムはサラマンダー集めに凝っており、ありとあらゆる炎を食べさせては、その結果を羊皮紙に書きこんでいた。ハティはこれに便乗し、何とかアッシュワインダーを誕生させようと躍起になっていた。小さな蛇が産む卵は、貴重な魔法薬の原料になる。……その前に、フォウリー邸が焼け落ちるのを防がねばならないのが難点だが。

フォウリー夫人は「長々花火」を興味深そうに検分した。

「かまわないわ。でも、その前にグリンゴッツへ寄らないとね」

太陽のように眩しい笑顔が、母の顔に戻りつつあった。ハティはつられて、不器用な笑みを返した。マーナ・フォウリーはこうでなくちゃいけない。お高いローブに身を包み、ジュエリーで飾りたてた姿など、まったく母らしくない──。

フォウリー夫人が財布を満たすまでの間、ハティは気ままに通りを歩いて回った。異臭立ちこめる薬問屋に、自分そっくりのふくろうがいるイーロップふくろう百貨店。高級クィディッチ用具店の前には、いつものように子どもたちが張りついている。

ガラクタ屋の前を通りかかった時、ハティはふと足を止めた。なじみのある顔を見かけたような気がしたのだ。

「ノット?」

ブルネットの頭が後ろを振り向いた。やはりそうだ。ハティはうれしくなって、折れた杖やらシミのついたマントやらの間を小走りに駆けていった。

「ノット!久しぶり」
「ハティ」

セオドール・ノットは無地の黒いローブを身につけていた。こぶし一つ分ほどハティより背が高く、およそ子どもらしくない雰囲気を漂わせている。

「いい夏休みを過ごせているかい?」
「……ああ」

ノットはまるで、もの珍しいインコを見るような目つきでハティを見た。

「君ほどじゃないけど」
「え?ああ、違うんだ。これはマルフォイの家にお呼ばれしていたからで……」

ハティは滑らかなローブの袖をぎゅっと握ると、思い切って勇気を出した。

「ねえ。もしよかったら、少し歩かないか?」

また断られるかもしれない。ノットは寡黙な男の子で、連れ立って行動することを好まなかった。そもそも、一人でいる方が性に合っているのだろう。教科書に落書きをするような友人がいなくても、彼はちっとも淋しくないらしい。

ノットは年季の入ったチェス盤を片手に考えこんでいたが、こくりと頷いた。

「少しだけなら」

急に、空の青さがはっきりと見えるようになった気がした。ハティはフローリシュ・アンド・ブロッツ書店までの道のりを、弾む足取りで進んだ。

「それで、ミスター・マルフォイがおっしゃったんだ。『今学期はさらなるお楽しみが増えることになる』って」

ハティはホワイトチョコとラズベリー入りの、特大のストロベリーアイスを食べながらいった。

「何だかよくない雰囲気だったな。ハウスエルフの子……。ドビーだっけ?ドジを踏んで叱られてたよ。ドラコは、ダンブルドアがいなくなればいいのにって言ってたけど、そう簡単に引きずり下ろすことなんてできないだろう?」
「可能性はある」

ノットはさらっといった。

「ドラコの父上はホグワーツの理事だ。本気になれば追い出せなくもない」
「じゃあ、そうなのかな……。ダンブルドア追放なんて、楽しいイベントだとは思えないけど。ノット、君はドラコと幼なじみなんだろう。館には招かれたのかい?」
「ああ、誕生祝いをくださった」
「そう。何か聞かなかった?って──。誕生祝い?」

ハティは急に立ち止まった。溶けかけのアイスが石畳の地面に墜落した。

「誕生祝いって、君の?」
「他に誰がいるんだ」
「そんな。だって、一言も手紙に書いてなかったじゃないか。それで、いつだったんだい?」
「十一月」

ハティは絶句した。通りがかりの魔法使いが、二人の間にできたピンク色の水たまりを消していった。

「十一月!?クリスマスよりも前じゃないか!どうして教えてくれなかったの?」
「聞かれなかったから」
「そうか、僕が聞かなかったからか……」

たった今思いついたような答えだが、妙に納得してしまう。ショックを受けたハティの様子を見て、ノットが静かに口を開いた。

「どうしてそんなことを気にするんだ?君には友人がたくさんいるだろう」
「友人と顔見知りは違う。君なら分かってくれると思うけど」

ハティは、柔らかくなったシュガーコーンを睨みつけた。

「入学したての頃、僕は浮いていただろ?マルフォイとはしょっちゅう言い合ってたし、スリザリンでの振るまい方なんて分からなかったし」
「……」
「そんな時に、君が隣の席に座ってくれた。ハロウィーンの夜に罰則から逃れるようにしてくれた。『助けるつもりはなかった』とか言わないでくれよ。思い出はきれいなままの方がいいんだから」

ストロベリーアイスの水気を吸ったコーンは、ふにゃふにゃしていた。ハティはふた口でそれを飲みこんだ。

「で、重要なことなんだけど。バースデーカードはどんな物がいい?ニフラーのかわいいやつにしようか。それとも──」
「必要ない」

いつも通りのそっけない口調だ。ハティは、ほっとひと息をついた。ずっと顔を見ずに喋るのには限界がある。

「そういえば、君が勧めてくれた本を読んでみたよ。『ドラゴンの飼い方──卵から焦熱地獄まで』っていうやつ。第二章に書いてあった、『ドラゴンとの適切な距離を知る』を実践してみたんだけど──」

ハティが話している間、ノットは一度たりとも口を挟まなかった。彼は出しゃばろうとはしないし、励ますように微笑んだりもしない。ただ確認するかのように、時おり視線をよこしてくるだけだ。

「──そうしたら、スウェーデン・ショート・スナウト種のやつ、僕に向かって火を吐いてきたんだ」

ハティは、きっちりと流してあった前髪をほぐした。

「おかげで散々な目にあったよ。フェリックス叔父さんときたら、ドラゴンに負けないくらいカンカンでね」

ノットの眉がわずかに動いた。

「フェリックス・ロジエールがスウェーデンに?」
「ドラゴン使いだからね。スウェーデン保護区に行けたのだって、叔父さんの招待があったからで……」

ハティは、ふと言葉を途切らせた。

「君、僕の叔父さんを知ってるの?」
「ロジエール家は聖28一族の名家だ。知らない方がどうかしてる」
「へえ。僕なんて、会うのすら初めてだったのにな。母さんは実家の話をしたがらないんだ」

「ミス・ロジエール」と呼びかけられた時の母の表情を思い出す。とてもじゃないが、うれしそうな顔だとはいえなかった。歳の離れた弟に会った際も、話しかけるのはいつも向こうからだったような気がする。フェリックス叔父はいたって気楽に構えていたが。

「ドラゴンに対しての愛情は狂ってるけど、それ以外は普通の人だったな。母さんの弟にしては、けっこうまともな方で──」
「あら、誰がまともじゃないって?」

ハティは上唇と下唇をぴたっとくっつけた。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の入り口の前で、フォウリー夫人が腕を組んで立っている。両脇には山のような荷物が浮かんでいた。

「探したわよ、坊や。まさか夜の闇ノクターン横丁にまで足を伸ばしていたんじゃないでしょうね?」
「違うよ!」

ハティは思わず右足の踵を下げた。真新しい革靴のつま先に、アイスクリームの飛び散った跡がついていた。

「ちょっと友だちと話していたんだ。会うのは久しぶりだったから」
「友だち──?」

サファイア色の視線が逸れる。三歩ほど後ろにさがっていたノットが、礼儀正しく会釈をした。

「セオドール・ノットです。マダム・フォウリー」
「そう。あなたがハティの……」

フォウリー夫人は口を噤むと、ノットの顔をじっと見つめた。まるで彼の顔の中に、かつて忘れ去った大事な物が隠されているかのように。

「息子がよく、あなたのことを話しているわ。とても博識なんですってね」
「恐縮です」

ノットは大人びた調子を崩さずに続けた。

「父が懐かしんでいました。ミス・ロジエールは探究心のある女性だったと。ホグワーツで首席だったそうですね」

やりとりを聞いていたハティは、すっと目を細めた。

「ノットのお父さんとも知り合いなの?」

今日だけで二度目の「ミス・ロジエール」だ。本人が語りたがらない過去を知る人が、こんなにもいるだなんて。

母は穏やかに笑った。

「昔、研究のことでお世話になったのよ。ミスター・ノットは珍しい蔵書をお持ちだったから」
「夜に咲くオキシペタラムや、ムーンフラワーを使った魔法薬は魅力的だったと言っていました。ですが、月桂樹の特性を利用した実験は……」
「あれは重要なポイントだったのよ。でも、そうね。あなたのお父様は賛成してくれなかったわ」

フォウリー夫人が小さく杖を振る。荷物のてっぺんにあった、「トロールとのとろい旅」の表紙がわずかに開いた。

「それでも、ブルースターの成長薬は認めてくださった。……もう何年も前の話よ」
「マダム・フォウリーが才能を遺憾なく発揮されていると知れば、父もきっと喜ぶでしょう」

ノットはビジネス魔ンのような言葉で会話を締めくくると、丁寧に会釈をした。

「それでは、僕はここで失礼させていただきます。新しい教科書を買わなくてはいけないので」

ノットはハティに向かって、軽く頷いた。

「じゃあ、ホグワーツ特急で」
「うん、またね」

黒いローブの後ろ姿を見送ったあと、ハティは賞賛の光をたたえた眼差しで、母の方へ向き直った。

「驚いたな。ノットがあんなに話せるなんて。しっかりしてるのは知ってたけど、本当に大人みたいだ」
「ノット家のたった一人の息子ですもの。きっと、小さい頃から躾けられてきたのね」

フォウリー夫人は、大量に買いこんだ荷物をグラグラさせながら歩き始めた。

「さあ、私たちも行かないと。残りはギャンボル・アンド・ジェイプス悪戯専門店ね」
「それと、ジャンク屋。中古のクリスタルの瓶がほしいから」

ハティは今にもバラけてしまいそうな、荷物のひと山を抱えながらいった。

「ねえ。確かノット家も、例のあの人に近かったんだろう。どうして母さんは繋がりがあるの?」

フォウリー夫人は動揺しなかった。

「ハティ、言ったでしょう。マルフォイ家やノット家とは共通点があるの。『間違いなく純血である』という大きな共通点がね」
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