一年生編
第十二章 獅子寮に乾杯を
それから三日も経たないうちに、真相が明らかになった。ハリー・ポッターが「例のあの人」と対峙した。他ならぬ賢者の石を巡って。
十一年前、ハリーによって倒されたかに思われていた闇の帝王だが、かろうじて息を取り留めていた。クィレルの後頭部に寄生していたとは、誰が思いつくだろう。ユニコーンの血は彼の魂を繋ぎ止めるために必要なものだった。グリンゴッツの強盗未遂やトロールを学校に放ったのも、彼から指示を受けたクィレルの仕業だった。
その話を聞いた時、ハティは寒気を感じた。通りで火傷を負うはずだ。ペンデュラムが強く反応したのは、クィレル先生が後ろを振り返った時だったのだから。
ハロウィーンの夜、女子トイレの前の廊下に現れたノットと自分を見て、「彼」は何を考えていたのだろう。スネイプ先生の忠告は正しかった。ハティは無意識に危ない道を渡っていたのだ。両親が聞いたら卒倒するに違いない。
さらなるサプライズとして、グリフィンドールに寮対抗杯が奪われる事件も発生した。
学年度末パーティーで、エメラルドグリーンの横断幕が深紅に染まっていくのを、ハティは無表情で眺めていた。
哀れなクィリナス・クィレル。私室で母の話をしていた時の彼は、まるで内気な少年のようだった。状況から鑑みるに、どうも利用されていただけのような気がしてならない。真相はハリーにしか分からないけれど。
一人の人間の犠牲は、小さな英雄の活躍の下に忘れ去られていた。ついでにスリザリン寮生の努力と、ハティのちっぽけな功績も。
「かぼちゃジュースの瓶をくれ」
パーティのあと、厨房へ忍びこんだハティは、屋敷しもべ妖精たちに頼んだ。
「よければ、素敵なゴブレットも貸してくれないか。今夜は飲んだくれたい気分なんだ」
人気 のない廊下を、ハティはゴブレットを片手に歩いた。ジリジリとした日差しの名残が、大理石の床を暖めている。庭からは青々とした植物の香りが漂ってきていた。
もうすぐ夏だ。波乱万丈の一年の終わりが近付いている。
かぼちゃジュースをちびちびやりながら、窓の外を眺めていると、隣に背の高いとんがり帽子の影が立った。
「こんばんは、ハティ」
「こんばんは、ダンブルドア先生」
ダンブルドアは薄紫色のローブを身につけていた。いつもは楽しい印象を与える彼の姿だが、今日はなぜだか癪に障る。
ハティは黙ったまま、ゴブレッドをあおった。
「実にいい夜じゃの」
「ええ。グリフィンドール寮生にとってはね」
「城の脅威が消え去ったのじゃ」
「なら、ハリーのおかげです」
「それに、スネイプ先生の素早い判断と、君の好奇心のおかげじゃな」
こちらの関心を惹くのには、十分な一言だった。青い瞳が興味深そうに輝いた。
「魔法省についた途端に、ふくろう便が届いたのじゃ。スネイプ先生からの手紙で、君が状況を把握するのに一役買ってくれたと書いてあった。あの知らせがなければ、ハリーを助けることは叶わなかったかもしれぬ」
ハティは困惑と苛立ちとが混じった眼差しを、ダンブルドアに向けた。
「そう思うのなら、どうして得点を下さらなかったのです?スリザリンのみんなはがっかりしています。苦労して手に入れた寮対抗杯を、目の前で奪われたのですから」
「察しのいい君のことじゃ。なぜこのような結果が生まれたのかは理解しておろう」
ハティはゴブレットへ目を落とした。どろどろとした、黄色い液体が波打っている。
「先生はハリーを助けたかったんですね。ハグリッドを救ったせいで、彼は嫌われてしまったから。あの場でグリフィンドールが点を取り返せば、彼の評判は元通りになる」
「概ねあっておる。勇敢さは、それなりの敬意を持って賞するべきじゃ。なぜ君に得点を与えなかったのかについては、君自身がよく知っているはずじゃがの。あの場で目立ってしまえば、ハティ。君は大切な友人を失ってしまったはずじゃ」
「スリザリンではもしかして、君はまことの友を得る」
ダンブルドアはにっこりと笑った。
「その通りじゃ。君は、自身の最も気高い美点を隠し通すことを選んだ。時には嘘をつき、時には好奇心のまま動く、蛇のような立ち振る舞いでの。実に見事じゃった」
いつの間にか彼の手には、蜂蜜酒の入った細いグラスが握られていた。ダンブルドアはグラスを、ハティに向けて掲げてみせた。
「スリザリンに」
ハティは驚き、同時に呆れかえった。奇才の考えることは分からない。彼の持つ言葉の魔力にすっかり飲みこまれてしまったようだ。ささくれだっていた心は、静かな落ち着きを取り戻していた。
かぼちゃジュースはほとんど無くなりかけている。パーティーのことを思い出していると、不意にグリフィンドール寮生の喜ぶ姿が蘇った。みんな、揉みくちゃになって歓声を上げている……。ディーンの驚いた表情、ロングボトムのピンク色の頬、ハーマイオニーのはにかんだえくぼ、ロンの得意げな笑み、ハリーの純粋な誇りに満ちた顔。
ハティはダンブルドアから目を逸らした。
「では、僕は彼らに乾杯します。……勇敢なグリフィンドールに」
試験結果は忘れた頃に返ってきた。端的にいえば、期待以上の成績だった。フォウリー家のご子息としても問題のない点数だろう。
自身の手柄にしたいところだが、友人からの影響が強いことは否めない。ノットはハーマイオニーに次いで、学年二位の成績を収めていた。
やがて、「余裕ある振る舞い」を美徳としているスリザリン寮に、混乱の嵐が吹き荒れた。
「ねえ、僕のソックスを知らない?片方だけ見つからないんだ」
「げぇっ、何これ?」
「茹でたナメクジだよ……。数ヶ月前の」
「誰か!シャワールームにヘアミストを忘れてるって!」
「どうせザビニのだろ。彼以外に誰がいるんだ?」
男子寮は混沌を極めていた。黄金虫の目玉や、口汚い文句が書かれた羊皮紙の切れ端、穴の空いた靴下など、およそ貴族ぶっている生徒たちからは出てこないであろうゴミが散乱している。ハティたちの部屋も例外ではなく、生徒たちはトランクを広げて右往左往していた。
「みんな、聞いてくれ」
とうとう、一人のルームメイトが声を上げた。
「僕たちは魔法使いだ。で、重要な発見なんだけど、僕らは魔法を使うことができる。何が言いたいかって、みんな揃って猿みたいに散らかさなくってもいいってことさ。ここにある箱が見えるかい?ゴミ箱っていうんだよ。画期的だろう」
返ってきたのは、それこそ人らしくない唸り声だった。ルームメイトは困ったものだと言わんばかりに笑いながら、ハティのところへやってきた。
「その枕カバー、預かろうか?だいぶくたびれてる」
彼が指差したのは、ソルティからのクリスマスプレゼントを包んでいた袋だった。
「いや、いいよ。大切な物だから。ね、ソルティ」
ソルティはニャウウ、とひと声鳴いて、小走りに近寄ってきた。途中、誰かが落とした茹でナメクジを踏んづけて──、これほど保存状態のいいナメクジにはなかなかお目にかかれないが──。ぺしゃんこになったそれを、ついでとばかりに飼い主の足下に置いた。
ルームメイトは叫び声を上げて退散した。猿によく似た悲鳴だった。
ハティは肩をすくめて、赤と緑のシーツ袋の口を広げた。この中には大事な物だけを入れておこう。両親から貰ったペンダント、試験の結果、家族みんなで撮った写真、いくつかのガリオン金貨に……。ノットがくれた月球儀。
「夏休みになったら、手紙を送ってくれよ」
荷造りを終えて、暇を持て余している友人へ声をかける。
「鏡に文句を言われたとか、庭小人が反乱を起こしただとか、どんなくだらないことでもかまわないから。僕の方からも手紙を書くよ。今度、家族でスウェーデンのドラゴン保護区に行くんだ。上手くいけば、ドラゴンの写真を君にプレゼントできる」
彼の返事は簡潔だった。
「僕の家に庭小人はいない」
アーニーやディーンと一緒に乗ったホグワーツ特急に、今度はスリザリンの仲間たちと一緒に乗車することになった。仲のいい友だちがそうするように、ハティはノットと一緒にコンパートメントを占領した。
「ここ、空いてるかい?よければ座りたいんだけど」
二人きりの静かな空間に、ザビニの軽快な声が響き渡った。ハティの友人は軽く眉をひそめて彼を見ていたが、拒絶の言葉は発しなかった。
沈黙に徹するノットの隣で、ハティとザビニがゴブストーンでみみっちいやり合いをしていると、にわかにコンパートメントの扉が開いた。
「ああ、こんなところにいたのか」
マルフォイだ。背後にはもちろん、クラッブとゴイルもいる。
「フリントのところにいたんだけど、どうも狭くてね」
「ガールフレンドはどこに行ったんだい?」
ザビニが茶々を入れる。
「ガールフレンド?」
「おいおい、冗談だろ。パーキンソンだよ」
「パンジーなら、グリーングラスやブルストロードと一緒だ。挨拶は済ませてきた」
驚くべきことに、マルフォイはハティの隣に座った。ザビニやノットの顔しか見ていないし、ソルティが彼の百味ビーンズに手を出そうとした時は大声で制したが、出会った時ほど険悪な空気ではなかった。
ハティは窓に映る彼の青白い横顔を眺めた。もしかしたらこの一年で、ハッフルパフの劣等生ではなく、スリザリンの一員としてみなされたのかもしれない。喜んでいいのかどうか、判断はつきにくいが。
汽車が9と3/4番線ホームに到着し、みんなが通路にで始めた時、急にプラチナブロンドの頭が振り返った。
「なんだい?」
「……グリーングラスからの伝言だ。君によろしくと伝えてほしいと」
冷ややかな青灰色の目の端が、わずかに痙攣した。
「いったい、どんな手を使ったんだ」
「あのさ、もう少し分かりやすく話そうとは思わないの?」
「スリザリンでは、『平等主義者』は鼻つまみ者だ。どうやって周りを手懐けたんだい?」
ハティは下唇を突きだした。目の前の彼は表立って貶すことこそしなくなったが、まだ自分と親しくなる気はないらしい。
「あー、コツは空気を読むことかな。上手に立ち回ることも大事だね。自慢話はやめて、謙虚にフランクに……。あとは、ちゃんと歯を磨くことくらい?」
ザビニならやや見下した笑みを浮かべるところだが、マルフォイは少しも口角を上げることはなかった。
「君に忠告しておく。仮にも名門の生まれなら、それなりの振る舞いを身につけておいた方がいい。君の態度は不愉快だ。特に純血であることを誇りに思っている人間にとっては」
いつになく真剣な口調だ。普段の嫌味ったらしさがない分、妙に引っかかる。
ハティは立ち上がって、トランクを引きずり下ろした。
「それ、アーニーやロングボトムにも同じことを言うのかい?僕がどう立ち回ろうと、君には関係ないだろう」
「やつらは違う寮だ。君はロングボトムほど間抜けではないようだし、それに──」
「ドラコ」
マルフォイが口をつぐむ。通路からノットが顔を出していた。
「早く降りた方がいい。ご両親が君を探している」
「……今行くよ」
マルフォイは疲れたようなため息をついて、コンパートメントを出ていった。ハティは重たいトランクを引きずりながら、何とか通路へたどり着いた。
「まったく、いいご身分だよな。自分の荷物すら子分が運んでくれるんだから」
「ドラコの王様気取りは今に始まったことじゃない」
ノットはその細い腕で、軽々と大きなトランクを持ち上げていた。持ち物を厳選する彼にとって、荷物が重くなるということなど考えられないようだ。
「彼と何を話していたんだ?」
「普通のことだよ。ダフネから伝言を預かってたみたい。他のみんなは?」
「もう帰ったよ」
「ほんと、薄情だなあ」
二人はプラットホームに足を踏み入れた。久々に帰ってきた我が子を出迎える親たちで、9と3/4番線はかなり混み合っていた。
「これだけ人がいると、暑っ苦しいね。グリムがぶっ倒れてなければいいけど」
ノットは違う方向を向いていた。右手で額の上に庇 を作り、ある一点を懸命に見つめている。
「あそこにいらっしゃるのが、君のご家族か?」
示す先には、確かにフォウリー一家が待ち構えていた。フォウリー氏はグレーのスラックスに突き出た腹を乗せ、夫人はアイスブルーのワンピースを身につけていた。グリムは真っ黒なシャツに蝶ネクタイを締めている。
「そう。父さんと母さん、あの小さいのが弟のグリムだ。僕とあんまり似ていないだろ」
「うん」
「……じゃあ僕たち、ここでお別れだね」
ハティは幾分か躊躇ったあと、大人たちがそうするように右手を差し出した。ノットはさらっと対応した。こういったことには慣れっこなのだろう。
二人は堅苦しい握手を交わした。
「ねえ、ノット」
ハティは去り際に、彼を呼び止めた。
「僕たち、また会えるよね?」
感情の希薄な顔に、わずかな驚きの色が現れた。彼はプラットホームの列の方へ踏み出したばかりだった。柔らかな日差しが頬を照らしている……。透き通るように白い肌だ。
「もちろん。近いうちにまた会おう、ハティ」
きゅっとした口元が、ほんの少しだけ緩んだ。それは不器用な笑顔だった。ハティの笑顔よりも下手くそで、ずっとずっと自然な微笑みだった。
それから三日も経たないうちに、真相が明らかになった。ハリー・ポッターが「例のあの人」と対峙した。他ならぬ賢者の石を巡って。
十一年前、ハリーによって倒されたかに思われていた闇の帝王だが、かろうじて息を取り留めていた。クィレルの後頭部に寄生していたとは、誰が思いつくだろう。ユニコーンの血は彼の魂を繋ぎ止めるために必要なものだった。グリンゴッツの強盗未遂やトロールを学校に放ったのも、彼から指示を受けたクィレルの仕業だった。
その話を聞いた時、ハティは寒気を感じた。通りで火傷を負うはずだ。ペンデュラムが強く反応したのは、クィレル先生が後ろを振り返った時だったのだから。
ハロウィーンの夜、女子トイレの前の廊下に現れたノットと自分を見て、「彼」は何を考えていたのだろう。スネイプ先生の忠告は正しかった。ハティは無意識に危ない道を渡っていたのだ。両親が聞いたら卒倒するに違いない。
さらなるサプライズとして、グリフィンドールに寮対抗杯が奪われる事件も発生した。
学年度末パーティーで、エメラルドグリーンの横断幕が深紅に染まっていくのを、ハティは無表情で眺めていた。
哀れなクィリナス・クィレル。私室で母の話をしていた時の彼は、まるで内気な少年のようだった。状況から鑑みるに、どうも利用されていただけのような気がしてならない。真相はハリーにしか分からないけれど。
一人の人間の犠牲は、小さな英雄の活躍の下に忘れ去られていた。ついでにスリザリン寮生の努力と、ハティのちっぽけな功績も。
「かぼちゃジュースの瓶をくれ」
パーティのあと、厨房へ忍びこんだハティは、屋敷しもべ妖精たちに頼んだ。
「よければ、素敵なゴブレットも貸してくれないか。今夜は飲んだくれたい気分なんだ」
もうすぐ夏だ。波乱万丈の一年の終わりが近付いている。
かぼちゃジュースをちびちびやりながら、窓の外を眺めていると、隣に背の高いとんがり帽子の影が立った。
「こんばんは、ハティ」
「こんばんは、ダンブルドア先生」
ダンブルドアは薄紫色のローブを身につけていた。いつもは楽しい印象を与える彼の姿だが、今日はなぜだか癪に障る。
ハティは黙ったまま、ゴブレッドをあおった。
「実にいい夜じゃの」
「ええ。グリフィンドール寮生にとってはね」
「城の脅威が消え去ったのじゃ」
「なら、ハリーのおかげです」
「それに、スネイプ先生の素早い判断と、君の好奇心のおかげじゃな」
こちらの関心を惹くのには、十分な一言だった。青い瞳が興味深そうに輝いた。
「魔法省についた途端に、ふくろう便が届いたのじゃ。スネイプ先生からの手紙で、君が状況を把握するのに一役買ってくれたと書いてあった。あの知らせがなければ、ハリーを助けることは叶わなかったかもしれぬ」
ハティは困惑と苛立ちとが混じった眼差しを、ダンブルドアに向けた。
「そう思うのなら、どうして得点を下さらなかったのです?スリザリンのみんなはがっかりしています。苦労して手に入れた寮対抗杯を、目の前で奪われたのですから」
「察しのいい君のことじゃ。なぜこのような結果が生まれたのかは理解しておろう」
ハティはゴブレットへ目を落とした。どろどろとした、黄色い液体が波打っている。
「先生はハリーを助けたかったんですね。ハグリッドを救ったせいで、彼は嫌われてしまったから。あの場でグリフィンドールが点を取り返せば、彼の評判は元通りになる」
「概ねあっておる。勇敢さは、それなりの敬意を持って賞するべきじゃ。なぜ君に得点を与えなかったのかについては、君自身がよく知っているはずじゃがの。あの場で目立ってしまえば、ハティ。君は大切な友人を失ってしまったはずじゃ」
「スリザリンではもしかして、君はまことの友を得る」
ダンブルドアはにっこりと笑った。
「その通りじゃ。君は、自身の最も気高い美点を隠し通すことを選んだ。時には嘘をつき、時には好奇心のまま動く、蛇のような立ち振る舞いでの。実に見事じゃった」
いつの間にか彼の手には、蜂蜜酒の入った細いグラスが握られていた。ダンブルドアはグラスを、ハティに向けて掲げてみせた。
「スリザリンに」
ハティは驚き、同時に呆れかえった。奇才の考えることは分からない。彼の持つ言葉の魔力にすっかり飲みこまれてしまったようだ。ささくれだっていた心は、静かな落ち着きを取り戻していた。
かぼちゃジュースはほとんど無くなりかけている。パーティーのことを思い出していると、不意にグリフィンドール寮生の喜ぶ姿が蘇った。みんな、揉みくちゃになって歓声を上げている……。ディーンの驚いた表情、ロングボトムのピンク色の頬、ハーマイオニーのはにかんだえくぼ、ロンの得意げな笑み、ハリーの純粋な誇りに満ちた顔。
ハティはダンブルドアから目を逸らした。
「では、僕は彼らに乾杯します。……勇敢なグリフィンドールに」
試験結果は忘れた頃に返ってきた。端的にいえば、期待以上の成績だった。フォウリー家のご子息としても問題のない点数だろう。
自身の手柄にしたいところだが、友人からの影響が強いことは否めない。ノットはハーマイオニーに次いで、学年二位の成績を収めていた。
やがて、「余裕ある振る舞い」を美徳としているスリザリン寮に、混乱の嵐が吹き荒れた。
「ねえ、僕のソックスを知らない?片方だけ見つからないんだ」
「げぇっ、何これ?」
「茹でたナメクジだよ……。数ヶ月前の」
「誰か!シャワールームにヘアミストを忘れてるって!」
「どうせザビニのだろ。彼以外に誰がいるんだ?」
男子寮は混沌を極めていた。黄金虫の目玉や、口汚い文句が書かれた羊皮紙の切れ端、穴の空いた靴下など、およそ貴族ぶっている生徒たちからは出てこないであろうゴミが散乱している。ハティたちの部屋も例外ではなく、生徒たちはトランクを広げて右往左往していた。
「みんな、聞いてくれ」
とうとう、一人のルームメイトが声を上げた。
「僕たちは魔法使いだ。で、重要な発見なんだけど、僕らは魔法を使うことができる。何が言いたいかって、みんな揃って猿みたいに散らかさなくってもいいってことさ。ここにある箱が見えるかい?ゴミ箱っていうんだよ。画期的だろう」
返ってきたのは、それこそ人らしくない唸り声だった。ルームメイトは困ったものだと言わんばかりに笑いながら、ハティのところへやってきた。
「その枕カバー、預かろうか?だいぶくたびれてる」
彼が指差したのは、ソルティからのクリスマスプレゼントを包んでいた袋だった。
「いや、いいよ。大切な物だから。ね、ソルティ」
ソルティはニャウウ、とひと声鳴いて、小走りに近寄ってきた。途中、誰かが落とした茹でナメクジを踏んづけて──、これほど保存状態のいいナメクジにはなかなかお目にかかれないが──。ぺしゃんこになったそれを、ついでとばかりに飼い主の足下に置いた。
ルームメイトは叫び声を上げて退散した。猿によく似た悲鳴だった。
ハティは肩をすくめて、赤と緑のシーツ袋の口を広げた。この中には大事な物だけを入れておこう。両親から貰ったペンダント、試験の結果、家族みんなで撮った写真、いくつかのガリオン金貨に……。ノットがくれた月球儀。
「夏休みになったら、手紙を送ってくれよ」
荷造りを終えて、暇を持て余している友人へ声をかける。
「鏡に文句を言われたとか、庭小人が反乱を起こしただとか、どんなくだらないことでもかまわないから。僕の方からも手紙を書くよ。今度、家族でスウェーデンのドラゴン保護区に行くんだ。上手くいけば、ドラゴンの写真を君にプレゼントできる」
彼の返事は簡潔だった。
「僕の家に庭小人はいない」
アーニーやディーンと一緒に乗ったホグワーツ特急に、今度はスリザリンの仲間たちと一緒に乗車することになった。仲のいい友だちがそうするように、ハティはノットと一緒にコンパートメントを占領した。
「ここ、空いてるかい?よければ座りたいんだけど」
二人きりの静かな空間に、ザビニの軽快な声が響き渡った。ハティの友人は軽く眉をひそめて彼を見ていたが、拒絶の言葉は発しなかった。
沈黙に徹するノットの隣で、ハティとザビニがゴブストーンでみみっちいやり合いをしていると、にわかにコンパートメントの扉が開いた。
「ああ、こんなところにいたのか」
マルフォイだ。背後にはもちろん、クラッブとゴイルもいる。
「フリントのところにいたんだけど、どうも狭くてね」
「ガールフレンドはどこに行ったんだい?」
ザビニが茶々を入れる。
「ガールフレンド?」
「おいおい、冗談だろ。パーキンソンだよ」
「パンジーなら、グリーングラスやブルストロードと一緒だ。挨拶は済ませてきた」
驚くべきことに、マルフォイはハティの隣に座った。ザビニやノットの顔しか見ていないし、ソルティが彼の百味ビーンズに手を出そうとした時は大声で制したが、出会った時ほど険悪な空気ではなかった。
ハティは窓に映る彼の青白い横顔を眺めた。もしかしたらこの一年で、ハッフルパフの劣等生ではなく、スリザリンの一員としてみなされたのかもしれない。喜んでいいのかどうか、判断はつきにくいが。
汽車が9と3/4番線ホームに到着し、みんなが通路にで始めた時、急にプラチナブロンドの頭が振り返った。
「なんだい?」
「……グリーングラスからの伝言だ。君によろしくと伝えてほしいと」
冷ややかな青灰色の目の端が、わずかに痙攣した。
「いったい、どんな手を使ったんだ」
「あのさ、もう少し分かりやすく話そうとは思わないの?」
「スリザリンでは、『平等主義者』は鼻つまみ者だ。どうやって周りを手懐けたんだい?」
ハティは下唇を突きだした。目の前の彼は表立って貶すことこそしなくなったが、まだ自分と親しくなる気はないらしい。
「あー、コツは空気を読むことかな。上手に立ち回ることも大事だね。自慢話はやめて、謙虚にフランクに……。あとは、ちゃんと歯を磨くことくらい?」
ザビニならやや見下した笑みを浮かべるところだが、マルフォイは少しも口角を上げることはなかった。
「君に忠告しておく。仮にも名門の生まれなら、それなりの振る舞いを身につけておいた方がいい。君の態度は不愉快だ。特に純血であることを誇りに思っている人間にとっては」
いつになく真剣な口調だ。普段の嫌味ったらしさがない分、妙に引っかかる。
ハティは立ち上がって、トランクを引きずり下ろした。
「それ、アーニーやロングボトムにも同じことを言うのかい?僕がどう立ち回ろうと、君には関係ないだろう」
「やつらは違う寮だ。君はロングボトムほど間抜けではないようだし、それに──」
「ドラコ」
マルフォイが口をつぐむ。通路からノットが顔を出していた。
「早く降りた方がいい。ご両親が君を探している」
「……今行くよ」
マルフォイは疲れたようなため息をついて、コンパートメントを出ていった。ハティは重たいトランクを引きずりながら、何とか通路へたどり着いた。
「まったく、いいご身分だよな。自分の荷物すら子分が運んでくれるんだから」
「ドラコの王様気取りは今に始まったことじゃない」
ノットはその細い腕で、軽々と大きなトランクを持ち上げていた。持ち物を厳選する彼にとって、荷物が重くなるということなど考えられないようだ。
「彼と何を話していたんだ?」
「普通のことだよ。ダフネから伝言を預かってたみたい。他のみんなは?」
「もう帰ったよ」
「ほんと、薄情だなあ」
二人はプラットホームに足を踏み入れた。久々に帰ってきた我が子を出迎える親たちで、9と3/4番線はかなり混み合っていた。
「これだけ人がいると、暑っ苦しいね。グリムがぶっ倒れてなければいいけど」
ノットは違う方向を向いていた。右手で額の上に
「あそこにいらっしゃるのが、君のご家族か?」
示す先には、確かにフォウリー一家が待ち構えていた。フォウリー氏はグレーのスラックスに突き出た腹を乗せ、夫人はアイスブルーのワンピースを身につけていた。グリムは真っ黒なシャツに蝶ネクタイを締めている。
「そう。父さんと母さん、あの小さいのが弟のグリムだ。僕とあんまり似ていないだろ」
「うん」
「……じゃあ僕たち、ここでお別れだね」
ハティは幾分か躊躇ったあと、大人たちがそうするように右手を差し出した。ノットはさらっと対応した。こういったことには慣れっこなのだろう。
二人は堅苦しい握手を交わした。
「ねえ、ノット」
ハティは去り際に、彼を呼び止めた。
「僕たち、また会えるよね?」
感情の希薄な顔に、わずかな驚きの色が現れた。彼はプラットホームの列の方へ踏み出したばかりだった。柔らかな日差しが頬を照らしている……。透き通るように白い肌だ。
「もちろん。近いうちにまた会おう、ハティ」
きゅっとした口元が、ほんの少しだけ緩んだ。それは不器用な笑顔だった。ハティの笑顔よりも下手くそで、ずっとずっと自然な微笑みだった。