まもひろ
大塚君という人間はとにかく真面目、誠実、親切、平等、おまけに頑固という言葉が似合う男だとつくづく感じる。彼を嫌う人間なんてこの世にはいないんじゃないか。もちろん僕だって大塚君のことを好意的に思っている。
しかしそんな彼に、最近、嫌われてるような気がするのだ。
「ナビ、僕なにかしちゃったかな」
「さあ? でも嫌われてたっていいんじゃない。世界を救うことに協力さえしてくれるならさ」
……お前に聞いた僕が馬鹿だったよ。購買で買ったそれなりの味のサンドイッチと一緒に文句を飲み込む。仲間と親睦を深める重要性を説くくせに、協力関係が解消されないという確信があれば、僕が嫌われていても構わないというこの態度。本当に人の心がわからないやつだ。
「そもそも嫌われてるってのもさ、ヒロキの勘違いなんじゃないの?」
「ナビにはわかんないだろうけどさ、意外とわかっちゃうもんなんだよ。この人に嫌われてるなって言うのはさ」
「フーン。そんなに気になるなら本人に直接聞けばいいのに」
「あのな、人間関係ってのはお前が思ってる以上に複雑なんだよ」
とは言いつつも。ナビの言う通り、僕の勘違いという線もまだなくはない。それに本当に嫌われていると確信できた場合は、本人に話を聞かなければならない可能性も出てくるだろう。ただ、嫌われているかもしれない相手と対話することは中々のストレスを伴う。そしてその相手が大塚君ともあれば。
冒頭でも述べた通り、大塚君という人間はなんともよくできた人間で、親切が服を着て歩いているといっても過言ではない。そんな彼に嫌われるという絶望感は、到底計り知れないはずだ。
僕は、大塚君に何をしてしまったのか。正直、皆目検討もつかない。
それでも、原因を探ることをやめるわけにはいかないのだ。僕はまた、大塚君と前みたいに親しくしたいのだから。
「大塚君のイデアに行ってからなんだよな……」
大塚君がナイトメアに食われそうになった日。正確に言うとその翌日から。
あからさまに避けられているわけではない。が、以前とは明らかに大塚君の態度が変わってしまった。
僕がなにかをしてしまったという前提で考えると、それは大塚君のイデア内でやらかしたと考えて間違いないだろう。
「自分のイデアに入られるの、嫌だったのかなぁ。でもそうしないと助けられなかったし」
「大塚君、そういうタイプには見えないけどね。すごく感謝してたし」
「うーん、そうなんだよな」
「次の日から変だったんでしょ? じゃあその日にヒロキがなにかしちゃったんじゃないの?」
「いや、それはない」
力強く断言する。
「だってもう、朝会ったときから大塚君、挙動不審だったんだ」
「そうだったっけ?」
「お前は本当に……まあいいや」
大塚君とはほぼ毎朝車内で会うため、一緒に通学するのが最近の流れだった。主に大塚君の実験や論文についての進捗を聞き、また放課後会おうと別れる。それがこの日は、挨拶をした瞬間から既に様子がおかしかった。以下そのときの会話である。
「大塚君、おはよう」
「あっ……お、おはよう。片山君。その、昨日はありがとう」
「ううん、大塚君が無事でよかったよ! 体調は大丈夫?」
「うん、全然問題ないよ」
「そっか」
「うん……」
「……」
「……」
「あの、大塚君、やっぱり無理してる?」
「えっ!? い、いや、本当に元気なんだ。心配しなくても大丈夫だよ」
「そう……?」
これだ。大塚君と二人でいて、こんなにも会話が盛り上がらなかったことは初めてであったし、なんなら目すら合わなかった。あの誰が相手でも人の目をしっかり見て話をする大塚君が、僕にだけ、目を会わせてくれなかったのだ。
まだ、本調子じゃないのかもしれない。そう思って次の日も、その次の日も。大塚君の様子を確認するために放課後に彼を訪ねてみたが、むしろ会いに行けば会いに行くほど、大塚君の態度は悪化していく一方だった。
それでも嫌われているという確信に至らないのは、実験を見に行くと言えば嬉しそうにするし、一緒に帰ろうと誘えば二つ返事で承諾してくれるからだ。なんなら昨日も一緒に帰った。会話はなかったけど……。そう考えると、大塚君との関係はまだ修復できるんじゃないかと希望が湧いてくる。ただ、大塚君は非常に優しいため、命の恩人の誘いは断れないとか考えているのかもしれないが。そこまで考えるともはやきりがないため、一旦置いておく。
うんうんと唸っていれば、昼休みの終わりを予告するチャイムが鳴った。慌てて残りのサンドイッチを口に入れ、駆け足で普通科へ向かう。どれだけ考えても答えの出ない悩みを抱えながら、午後の授業を受ける準備を進めた。
□□□
全く集中できなかった午後の授業が終わり、いつものように物理学科へ行こうと立ち上がる。
普通科の校舎から出たところで、自分の歩みが遅いことに気づいた。
「……今日はやめようかな。約束、してないし」
朝、珍しく大塚君に会わなかった。寝坊していつもより一本遅いメトロライナーに乗ったためだ。
別に約束していなくても大塚君が実験の見学や訓練に快く付き合ってくれることは明白だったが、気まずさを感じないわけではない。むしろ毎日会いに行くのは大塚君の負担になっていたのでは? とか、一度距離を置いたほうが逆に良い関係を築けるのでは? とか、そういう都合の良い言い訳ばかり思い浮かんでしまう。そうやって一人考え込んでいると、ナビの声が頭に響く。
「ボクは大塚君に会いに行った方がいいと思うけど」
「心の機微がわかんないくせに、やたらと大塚君と会わせようとしてくるよな」
「だってうじうじ悩んでてもしょうがないだろ? ヒロキがそんな調子だとこっちも気が滅入っちゃうよ」
全くそんな様子を感じられないが、これでもナビは僕のことを心配してくれているのだろう。
「……とりあえず、明日大塚君に話を聞いてみるよ」
「今からじゃダメなの?」
「心の準備がいるんだよ……」
何故なら、真っ向から大塚君に嫌悪を向けられる可能性があるので。あくまでも嫌われている"かもしれない"という疑惑と、嫌われているという事実では受けるダメージが全く違う。相手が大塚君なら尚更だ。
「とりあえず今日は、他の人と過ごそうかな」
「うん、いいんじゃない? ナイトメアを倒すのも忘れずにね」
「わかってるって」
その後、深雪ちゃんや綾彦さんと過ごし、要のバイトを手伝い、影守さんの冷たすぎる言葉に耐えるなどをしていると、あっという間に下校時刻になってしまった。ナイトメアもそこそこ倒すことができたし、少なくとも寝る前恒例のナビのお小言は、今日に限ってないだろう。
帰路を歩む人の流れに逆らうことなく、校門を抜ける。今日は一人で帰ろうと、足を止めることなく進んでいく。
「片山君!」
雑踏のなかでも意外とよく通るこの声は、聞きなれたものだった。普段、実験のリーダーをしているからか、声を張るのが得意なのかもしれない。どうでもいいことを考えながら、僕を呼び止めた彼の名前を呼ぶ。
「大塚君。どうしたの?」
まさか走って追いかけてきたのか、少し息と前髪を乱した大塚君がそこにいた。
「帰るところだったのに、ごめん」
「別に構わないよ。なにか用事でもあった?」
そうなら申し訳ないな。大塚君の用がある日に限って会いに行かないなんて、そんな意図がなくてもなんとなく意地悪をしてしまった気持ちになる。
「そういうわけじゃないんだけど……その、なんて言えばいいのかな」
そんな思考とは裏腹に、用事はないという大塚君。その割りにはなにかを伝えたい様子で、視線をさ迷わせている。誰が相手でも言いたいことははっきり伝える普段の彼の姿は、そこにはなかった。
「大塚君、このあとって時間ある?」
「え?」
「よかったら、どこかでご飯食べていかない?」
「う、うん、片山君がいいなら是非……!」
誘いを受けてくれたことに安堵しながら、駅から一番近くのファミリーレストランを提案する。
メニューも豊富で、なにより安い。もしも大塚君の胃の調子が良くなくても、なにかしら食べられるものがあるだろう。まあ今日は特別、体調は悪くなさそうだけど。
「初めてだね、大塚君とご飯食べるの」
「そうだね、僕はつい食べ忘れたりで、食事の時間も片山君とは合わないから」
「今日はちゃんと食べられた?」
「うん。健吾にまたお弁当を渡されてね……」
いつもとは違う場所だからか、久しぶりに会話が弾む。お互いメニューを見ながら喋っているから、変に気負わずにいられているのかもしれない。
ただ、メニューなんて注文してしまえばもう見ることもなく。
「……」
「……」
重い沈黙が僕らのテーブルを支配する。頼みのナビは、イデアから出てくる様子がない。薄情なナビを恨みつつ、この空気をなんとかするために必死で話題を探す。いっそのこと、最近の大塚君の態度について聞いてしまうか。いや、もしも嫌われていた場合、最悪の空気の中二人でご飯を食べるなど耐えられない。せめて注文した料理が届いてから切りだそうと考えたところで、意外にも大塚君から声がかかる。
「片山君の帰る邪魔をしてしまったよね、ごめん」
「僕は別に、帰ってもやることないし。気にしないでよ。むしろ大塚君の方こそ大丈夫? 忙しいんじゃ……」
「やらなきゃいけないことはあるけど、今日じゃなくてもいいものだから」
誘ってくれて嬉しいよと笑う大塚君が、嘘を吐いているようには見えなかった。
「今日は片山君に会えなかったから、つい声をかけてしまって。本当に用事とかはなかったんだけど」
「実は今日、寝坊しちゃって」
「そうだったんだ。遅刻はしなかったかい?」
「ギリギリね」
「よかった。……片山君、いつも放課後に顔を出してくれるから、今日も来てくれるのかと期待しちゃってたんだ」
目を伏せながら恥ずかしそうにする大塚君に、どぎまぎしてしまう。
あれ、大塚君。もしかしなくても、全然僕のことを嫌っていないんじゃないか? 嫌われてるというのは、僕の勘違いだったんじゃ?
そんな思考が頭をもたげる。確かに目は合わないし、会話は続かないし、どことなく大塚君に落ち着きがないのは気になるが。改めて大塚君の姿をよく見ると、そこに僕への嫌悪は滲んでいないように見える。だからつい油断してしまったんだと思う。
「僕、大塚君に嫌われたのかと思って……」
思わず、考えていたことが口から零れてしまった。小さな呟きはばっちり大塚君にも届いていたらしく、目を丸くしていた。
僕は冷や汗を流し、これから死刑宣告を受けるかのような気持ちで大塚君が口を開くのを待った。
「片山君にそんな誤解をさせてしまったのは、僕のせい、だね。本当にごめん……」
「お、大塚君! 僕気にしてないから! 勘違いならよかったよ」
「よくないよっ!」
らしくない大声に驚いていると、大塚君は慌てた様子でもう一度謝罪をし、なにかを言おうとしては口をつぐむ動作を繰り返す。
暫くして、大塚君が意を決したように顔を上げる。久しぶりに大塚君と視線があったせいか、心臓が変な音を立てた。
「お待たせしました、オムライスとホットサンドでございます」
大塚君が口を開く前に、コトッとテーブルに料理が置かれる。そういえば、ご飯を食べに来たんだった。
でも、いいのかな。そんな視線を大塚君に向けると、困ったような笑顔でひとつ頷いた。
「先に食べちゃおうか」
「……でも大塚君なにか大事な話をしようとしてたんじゃ」
「食べてからでいいんだ」
一応、話す意思はなくなってはいないらしい。ほっと胸を撫で下ろし、食べ始める。
結局退店するまで、僕と大塚君の間に会話はなかった。外はすっかり日が落ち──人工の空にこの表現が適切なのかはわからないが──駅のホームへと急ぐ。その間、大塚君は先程の話を一切蒸し返す様子がなかった。こちらから声をかけていいのかわからず、到着したメトロライナーにこれまた無言で乗り込んだ。
あっという間に、大塚君の最寄り駅まで着いてしまう。
「……大塚君、また明日」
明日は話してくれるといいな。そんな願いを込めて別れの挨拶を告げる。そう、告げたのに。
大塚君は、ホームに降りなかった。
「え、どうしたの大塚君」
「片山君の最寄りって、北端駅だよね」
「そうだけど……」
「送るよ」
「でも、帰るの遅くなっちゃうよ」
大塚君がじっと僕を見つめる。さっきよりも心臓がうるさいのは、きっと気のせいではない。
「僕がもう少し、片山君と一緒にいたいんだ」
ゆっくりと、帰路を辿る。それでも五分もたたずに、僕の家に到着してしまうだろう。
それを察してか、大塚君が僕の手を引き歩みを止める。それに抵抗せずに、僕も足を止めた。
「僕、片山君のこと、嫌いじゃないよ」
「……うん、今はちゃんとわかってるよ」
迷子になった子供のような顔をした大塚君がポツリポツリと話し出す。
「気づいてたと思うけど、最近、片山君と上手く話せなくてごめん」
「うん」
「片山君がなにかしたわけじゃなくて、僕の問題なんだ」
「うん」
「僕のことを助けてくれたのが、本当に嬉しくて、かっこよくて」
「……うん」
そんな風に思ってくれていたのか。顔がじんわり熱くなっていく。
「好きだって気づいたら、上手く話せなくなってしまって」
「うん……うん?」
「あのときはあんなにかっこよかったのに、普段はかわいくて……優しいのはいつもだけど」
「ちょ、ちょっとまって」
「片山君と一緒にいるとドキドキして、目も合わせられなかったんだ。感じが悪かったよね。謝りたいとはずっと思ってたんだ」
正直もう、それどころではない。嫌われていなかったことに安堵する間もなく、大塚君から伝えられる好意に、頭が上手く働かない。
「こんなこと言われて困るのはわかってるんだけど」
流石の僕でも、その言葉の続きくらいは想像できてしまった。
「片山君、僕と付き合ってほしい。返事は今すぐじゃなくていいから」
そこまで言うと、大塚君は僕の手をするりと離した。手、引かれたままだったんだ。急に手先が冷えていくようだった。
穏やかな表情の大塚君は、「おやすみ、片山君」とだけ言い残し、駅へと引き返していく。
その姿を呆然と見送り、姿が見えなくなってようやく僕は、よろよろと帰宅した。
おやすみなんて言われても、眠れるわけがないだろう。
□□□
どれだけ嫌だと思っても、朝は必ず来るもので。
「はあ……登校したくないな」
「なに言ってるのさヒロキ! 休んでる暇なんてないよ」
「わかってるけど……」
どういう顔して大塚君と会えばいいのか。
でも、時間をずらす気にはなれず、いつもと同じ時間、いつもと同じ車両のメトロライナーに乗り込む。
車内には、想像通りきれいな金髪が見えた。
「おはよう、片山君」
昨日までとは打って変わり、大塚君はすっかり調子を取り戻している。
それに比べて僕は。
「う、うん。……おはよう、大塚君」
まるで、昨日までの大塚君のような態度を取ってしまう。当然目も合わせられていない。
そんな僕を見て大塚君は、非常に満足そうな笑顔を浮かべているのだからたちが悪い。眉を寄せながら視線を下へ向けると、視界の片隅に緑色のふわふわしたものが映った。ナビだ。
「ヒロキ、大塚君にそんな態度は失礼だよ」
「お、大塚君にはそんなこと言わなかったくせに……!」
「だって、それって嫌いな人に対して取る態度なんだろう? ヒロキが教えてくれるまでは知らなかったし」
「ナビ君、僕は気にしてないよ」
「そうなの? 優しいね。ヒロキはどうしてこんなに優しい大塚君のことが嫌いなのかな」
「違う!大塚君のことは好きだよ!」
メトロライナーに静寂が広がる。ナビと大塚君とは、小声で話をしていたし、そもそもナビの声は他の乗客には聞こえていない。
つまり、好き勝手言うナビにムカついて声を荒げた僕の声だけが響いて──。
車内中から、好奇の視線が突き刺さる。
「片山君……」
「ごめん、あの、こんな目立つつもりじゃ」
「僕、嬉しいよ」
視線を向けると、頬をピンク色に染めた大塚君の姿が目に入る。
きっと僕も同じような顔をしていることだろう。
「期待してもいいかい、片山君」
その日、僕らのいた車両で起こった拍手喝采。これだけで僕がなんて答えたかは明らかだろう。
しかしそんな彼に、最近、嫌われてるような気がするのだ。
「ナビ、僕なにかしちゃったかな」
「さあ? でも嫌われてたっていいんじゃない。世界を救うことに協力さえしてくれるならさ」
……お前に聞いた僕が馬鹿だったよ。購買で買ったそれなりの味のサンドイッチと一緒に文句を飲み込む。仲間と親睦を深める重要性を説くくせに、協力関係が解消されないという確信があれば、僕が嫌われていても構わないというこの態度。本当に人の心がわからないやつだ。
「そもそも嫌われてるってのもさ、ヒロキの勘違いなんじゃないの?」
「ナビにはわかんないだろうけどさ、意外とわかっちゃうもんなんだよ。この人に嫌われてるなって言うのはさ」
「フーン。そんなに気になるなら本人に直接聞けばいいのに」
「あのな、人間関係ってのはお前が思ってる以上に複雑なんだよ」
とは言いつつも。ナビの言う通り、僕の勘違いという線もまだなくはない。それに本当に嫌われていると確信できた場合は、本人に話を聞かなければならない可能性も出てくるだろう。ただ、嫌われているかもしれない相手と対話することは中々のストレスを伴う。そしてその相手が大塚君ともあれば。
冒頭でも述べた通り、大塚君という人間はなんともよくできた人間で、親切が服を着て歩いているといっても過言ではない。そんな彼に嫌われるという絶望感は、到底計り知れないはずだ。
僕は、大塚君に何をしてしまったのか。正直、皆目検討もつかない。
それでも、原因を探ることをやめるわけにはいかないのだ。僕はまた、大塚君と前みたいに親しくしたいのだから。
「大塚君のイデアに行ってからなんだよな……」
大塚君がナイトメアに食われそうになった日。正確に言うとその翌日から。
あからさまに避けられているわけではない。が、以前とは明らかに大塚君の態度が変わってしまった。
僕がなにかをしてしまったという前提で考えると、それは大塚君のイデア内でやらかしたと考えて間違いないだろう。
「自分のイデアに入られるの、嫌だったのかなぁ。でもそうしないと助けられなかったし」
「大塚君、そういうタイプには見えないけどね。すごく感謝してたし」
「うーん、そうなんだよな」
「次の日から変だったんでしょ? じゃあその日にヒロキがなにかしちゃったんじゃないの?」
「いや、それはない」
力強く断言する。
「だってもう、朝会ったときから大塚君、挙動不審だったんだ」
「そうだったっけ?」
「お前は本当に……まあいいや」
大塚君とはほぼ毎朝車内で会うため、一緒に通学するのが最近の流れだった。主に大塚君の実験や論文についての進捗を聞き、また放課後会おうと別れる。それがこの日は、挨拶をした瞬間から既に様子がおかしかった。以下そのときの会話である。
「大塚君、おはよう」
「あっ……お、おはよう。片山君。その、昨日はありがとう」
「ううん、大塚君が無事でよかったよ! 体調は大丈夫?」
「うん、全然問題ないよ」
「そっか」
「うん……」
「……」
「……」
「あの、大塚君、やっぱり無理してる?」
「えっ!? い、いや、本当に元気なんだ。心配しなくても大丈夫だよ」
「そう……?」
これだ。大塚君と二人でいて、こんなにも会話が盛り上がらなかったことは初めてであったし、なんなら目すら合わなかった。あの誰が相手でも人の目をしっかり見て話をする大塚君が、僕にだけ、目を会わせてくれなかったのだ。
まだ、本調子じゃないのかもしれない。そう思って次の日も、その次の日も。大塚君の様子を確認するために放課後に彼を訪ねてみたが、むしろ会いに行けば会いに行くほど、大塚君の態度は悪化していく一方だった。
それでも嫌われているという確信に至らないのは、実験を見に行くと言えば嬉しそうにするし、一緒に帰ろうと誘えば二つ返事で承諾してくれるからだ。なんなら昨日も一緒に帰った。会話はなかったけど……。そう考えると、大塚君との関係はまだ修復できるんじゃないかと希望が湧いてくる。ただ、大塚君は非常に優しいため、命の恩人の誘いは断れないとか考えているのかもしれないが。そこまで考えるともはやきりがないため、一旦置いておく。
うんうんと唸っていれば、昼休みの終わりを予告するチャイムが鳴った。慌てて残りのサンドイッチを口に入れ、駆け足で普通科へ向かう。どれだけ考えても答えの出ない悩みを抱えながら、午後の授業を受ける準備を進めた。
□□□
全く集中できなかった午後の授業が終わり、いつものように物理学科へ行こうと立ち上がる。
普通科の校舎から出たところで、自分の歩みが遅いことに気づいた。
「……今日はやめようかな。約束、してないし」
朝、珍しく大塚君に会わなかった。寝坊していつもより一本遅いメトロライナーに乗ったためだ。
別に約束していなくても大塚君が実験の見学や訓練に快く付き合ってくれることは明白だったが、気まずさを感じないわけではない。むしろ毎日会いに行くのは大塚君の負担になっていたのでは? とか、一度距離を置いたほうが逆に良い関係を築けるのでは? とか、そういう都合の良い言い訳ばかり思い浮かんでしまう。そうやって一人考え込んでいると、ナビの声が頭に響く。
「ボクは大塚君に会いに行った方がいいと思うけど」
「心の機微がわかんないくせに、やたらと大塚君と会わせようとしてくるよな」
「だってうじうじ悩んでてもしょうがないだろ? ヒロキがそんな調子だとこっちも気が滅入っちゃうよ」
全くそんな様子を感じられないが、これでもナビは僕のことを心配してくれているのだろう。
「……とりあえず、明日大塚君に話を聞いてみるよ」
「今からじゃダメなの?」
「心の準備がいるんだよ……」
何故なら、真っ向から大塚君に嫌悪を向けられる可能性があるので。あくまでも嫌われている"かもしれない"という疑惑と、嫌われているという事実では受けるダメージが全く違う。相手が大塚君なら尚更だ。
「とりあえず今日は、他の人と過ごそうかな」
「うん、いいんじゃない? ナイトメアを倒すのも忘れずにね」
「わかってるって」
その後、深雪ちゃんや綾彦さんと過ごし、要のバイトを手伝い、影守さんの冷たすぎる言葉に耐えるなどをしていると、あっという間に下校時刻になってしまった。ナイトメアもそこそこ倒すことができたし、少なくとも寝る前恒例のナビのお小言は、今日に限ってないだろう。
帰路を歩む人の流れに逆らうことなく、校門を抜ける。今日は一人で帰ろうと、足を止めることなく進んでいく。
「片山君!」
雑踏のなかでも意外とよく通るこの声は、聞きなれたものだった。普段、実験のリーダーをしているからか、声を張るのが得意なのかもしれない。どうでもいいことを考えながら、僕を呼び止めた彼の名前を呼ぶ。
「大塚君。どうしたの?」
まさか走って追いかけてきたのか、少し息と前髪を乱した大塚君がそこにいた。
「帰るところだったのに、ごめん」
「別に構わないよ。なにか用事でもあった?」
そうなら申し訳ないな。大塚君の用がある日に限って会いに行かないなんて、そんな意図がなくてもなんとなく意地悪をしてしまった気持ちになる。
「そういうわけじゃないんだけど……その、なんて言えばいいのかな」
そんな思考とは裏腹に、用事はないという大塚君。その割りにはなにかを伝えたい様子で、視線をさ迷わせている。誰が相手でも言いたいことははっきり伝える普段の彼の姿は、そこにはなかった。
「大塚君、このあとって時間ある?」
「え?」
「よかったら、どこかでご飯食べていかない?」
「う、うん、片山君がいいなら是非……!」
誘いを受けてくれたことに安堵しながら、駅から一番近くのファミリーレストランを提案する。
メニューも豊富で、なにより安い。もしも大塚君の胃の調子が良くなくても、なにかしら食べられるものがあるだろう。まあ今日は特別、体調は悪くなさそうだけど。
「初めてだね、大塚君とご飯食べるの」
「そうだね、僕はつい食べ忘れたりで、食事の時間も片山君とは合わないから」
「今日はちゃんと食べられた?」
「うん。健吾にまたお弁当を渡されてね……」
いつもとは違う場所だからか、久しぶりに会話が弾む。お互いメニューを見ながら喋っているから、変に気負わずにいられているのかもしれない。
ただ、メニューなんて注文してしまえばもう見ることもなく。
「……」
「……」
重い沈黙が僕らのテーブルを支配する。頼みのナビは、イデアから出てくる様子がない。薄情なナビを恨みつつ、この空気をなんとかするために必死で話題を探す。いっそのこと、最近の大塚君の態度について聞いてしまうか。いや、もしも嫌われていた場合、最悪の空気の中二人でご飯を食べるなど耐えられない。せめて注文した料理が届いてから切りだそうと考えたところで、意外にも大塚君から声がかかる。
「片山君の帰る邪魔をしてしまったよね、ごめん」
「僕は別に、帰ってもやることないし。気にしないでよ。むしろ大塚君の方こそ大丈夫? 忙しいんじゃ……」
「やらなきゃいけないことはあるけど、今日じゃなくてもいいものだから」
誘ってくれて嬉しいよと笑う大塚君が、嘘を吐いているようには見えなかった。
「今日は片山君に会えなかったから、つい声をかけてしまって。本当に用事とかはなかったんだけど」
「実は今日、寝坊しちゃって」
「そうだったんだ。遅刻はしなかったかい?」
「ギリギリね」
「よかった。……片山君、いつも放課後に顔を出してくれるから、今日も来てくれるのかと期待しちゃってたんだ」
目を伏せながら恥ずかしそうにする大塚君に、どぎまぎしてしまう。
あれ、大塚君。もしかしなくても、全然僕のことを嫌っていないんじゃないか? 嫌われてるというのは、僕の勘違いだったんじゃ?
そんな思考が頭をもたげる。確かに目は合わないし、会話は続かないし、どことなく大塚君に落ち着きがないのは気になるが。改めて大塚君の姿をよく見ると、そこに僕への嫌悪は滲んでいないように見える。だからつい油断してしまったんだと思う。
「僕、大塚君に嫌われたのかと思って……」
思わず、考えていたことが口から零れてしまった。小さな呟きはばっちり大塚君にも届いていたらしく、目を丸くしていた。
僕は冷や汗を流し、これから死刑宣告を受けるかのような気持ちで大塚君が口を開くのを待った。
「片山君にそんな誤解をさせてしまったのは、僕のせい、だね。本当にごめん……」
「お、大塚君! 僕気にしてないから! 勘違いならよかったよ」
「よくないよっ!」
らしくない大声に驚いていると、大塚君は慌てた様子でもう一度謝罪をし、なにかを言おうとしては口をつぐむ動作を繰り返す。
暫くして、大塚君が意を決したように顔を上げる。久しぶりに大塚君と視線があったせいか、心臓が変な音を立てた。
「お待たせしました、オムライスとホットサンドでございます」
大塚君が口を開く前に、コトッとテーブルに料理が置かれる。そういえば、ご飯を食べに来たんだった。
でも、いいのかな。そんな視線を大塚君に向けると、困ったような笑顔でひとつ頷いた。
「先に食べちゃおうか」
「……でも大塚君なにか大事な話をしようとしてたんじゃ」
「食べてからでいいんだ」
一応、話す意思はなくなってはいないらしい。ほっと胸を撫で下ろし、食べ始める。
結局退店するまで、僕と大塚君の間に会話はなかった。外はすっかり日が落ち──人工の空にこの表現が適切なのかはわからないが──駅のホームへと急ぐ。その間、大塚君は先程の話を一切蒸し返す様子がなかった。こちらから声をかけていいのかわからず、到着したメトロライナーにこれまた無言で乗り込んだ。
あっという間に、大塚君の最寄り駅まで着いてしまう。
「……大塚君、また明日」
明日は話してくれるといいな。そんな願いを込めて別れの挨拶を告げる。そう、告げたのに。
大塚君は、ホームに降りなかった。
「え、どうしたの大塚君」
「片山君の最寄りって、北端駅だよね」
「そうだけど……」
「送るよ」
「でも、帰るの遅くなっちゃうよ」
大塚君がじっと僕を見つめる。さっきよりも心臓がうるさいのは、きっと気のせいではない。
「僕がもう少し、片山君と一緒にいたいんだ」
ゆっくりと、帰路を辿る。それでも五分もたたずに、僕の家に到着してしまうだろう。
それを察してか、大塚君が僕の手を引き歩みを止める。それに抵抗せずに、僕も足を止めた。
「僕、片山君のこと、嫌いじゃないよ」
「……うん、今はちゃんとわかってるよ」
迷子になった子供のような顔をした大塚君がポツリポツリと話し出す。
「気づいてたと思うけど、最近、片山君と上手く話せなくてごめん」
「うん」
「片山君がなにかしたわけじゃなくて、僕の問題なんだ」
「うん」
「僕のことを助けてくれたのが、本当に嬉しくて、かっこよくて」
「……うん」
そんな風に思ってくれていたのか。顔がじんわり熱くなっていく。
「好きだって気づいたら、上手く話せなくなってしまって」
「うん……うん?」
「あのときはあんなにかっこよかったのに、普段はかわいくて……優しいのはいつもだけど」
「ちょ、ちょっとまって」
「片山君と一緒にいるとドキドキして、目も合わせられなかったんだ。感じが悪かったよね。謝りたいとはずっと思ってたんだ」
正直もう、それどころではない。嫌われていなかったことに安堵する間もなく、大塚君から伝えられる好意に、頭が上手く働かない。
「こんなこと言われて困るのはわかってるんだけど」
流石の僕でも、その言葉の続きくらいは想像できてしまった。
「片山君、僕と付き合ってほしい。返事は今すぐじゃなくていいから」
そこまで言うと、大塚君は僕の手をするりと離した。手、引かれたままだったんだ。急に手先が冷えていくようだった。
穏やかな表情の大塚君は、「おやすみ、片山君」とだけ言い残し、駅へと引き返していく。
その姿を呆然と見送り、姿が見えなくなってようやく僕は、よろよろと帰宅した。
おやすみなんて言われても、眠れるわけがないだろう。
□□□
どれだけ嫌だと思っても、朝は必ず来るもので。
「はあ……登校したくないな」
「なに言ってるのさヒロキ! 休んでる暇なんてないよ」
「わかってるけど……」
どういう顔して大塚君と会えばいいのか。
でも、時間をずらす気にはなれず、いつもと同じ時間、いつもと同じ車両のメトロライナーに乗り込む。
車内には、想像通りきれいな金髪が見えた。
「おはよう、片山君」
昨日までとは打って変わり、大塚君はすっかり調子を取り戻している。
それに比べて僕は。
「う、うん。……おはよう、大塚君」
まるで、昨日までの大塚君のような態度を取ってしまう。当然目も合わせられていない。
そんな僕を見て大塚君は、非常に満足そうな笑顔を浮かべているのだからたちが悪い。眉を寄せながら視線を下へ向けると、視界の片隅に緑色のふわふわしたものが映った。ナビだ。
「ヒロキ、大塚君にそんな態度は失礼だよ」
「お、大塚君にはそんなこと言わなかったくせに……!」
「だって、それって嫌いな人に対して取る態度なんだろう? ヒロキが教えてくれるまでは知らなかったし」
「ナビ君、僕は気にしてないよ」
「そうなの? 優しいね。ヒロキはどうしてこんなに優しい大塚君のことが嫌いなのかな」
「違う!大塚君のことは好きだよ!」
メトロライナーに静寂が広がる。ナビと大塚君とは、小声で話をしていたし、そもそもナビの声は他の乗客には聞こえていない。
つまり、好き勝手言うナビにムカついて声を荒げた僕の声だけが響いて──。
車内中から、好奇の視線が突き刺さる。
「片山君……」
「ごめん、あの、こんな目立つつもりじゃ」
「僕、嬉しいよ」
視線を向けると、頬をピンク色に染めた大塚君の姿が目に入る。
きっと僕も同じような顔をしていることだろう。
「期待してもいいかい、片山君」
その日、僕らのいた車両で起こった拍手喝采。これだけで僕がなんて答えたかは明らかだろう。