まもひろ

 兄弟なんていいものではない。少なくとも僕の妹なんてそれはもう酷いのである。
 そんな話をしてから、既に一週間ほど経過していた。

 今日も実験の見学に来てくれた片山君は、もはや慣れた手つきで後片付けをこなしていく。
 流石、掃除を趣味としているだけある。実験のメンバーでないにも関わらず、毎回手伝いを申し出てくれる片山君の厚意に甘えながら、竜門君もこの真面目さを見習ってくれないものかと考える。
 既に他のメンバーは出払っているため、二人黙々と作業を進めのはいつものことだった。

「大塚君、こっちは終わったよ」
「ああ、ありがとう。いつも助かるよ」

 これくらいいつでも手伝うよと笑う片山君に、思わず口が滑る。

「片山君みたいな弟ならほしかったなあ」
「えっ」

 目を丸くさせた片山君に、失言だったなと謝罪しようとしたところで

「僕が弟なの?」

 些か懐疑的な表情で片山君が呟く。どちらかと言えば、僕が兄で片山君が弟だと思うのだが、認識の相違があったらしい。

「ふふ、まあどっちでもいいんだけど。片山君みたいな弟がいたら素直に可愛がることができそうだなって思っただけなんだ」
「……うん、褒め言葉だと思って受け取っておくよ」
「そうしてくれると嬉しいよ」

□□□

 失敗したな、と。今日も今日とて後片付けに勤しむ片山君を盗み見ながら、ばれないようにため息をつく。
 片山君が助けてくれたあの日から。僕はすっかり彼に恋心を抱いてしまったらしい。
 落ち着くだけだった二人だけの空間も、今ではどうしても浮わついてしまって仕方がない。片山君に意識をしてもらうために、日々特別扱いすること数日。

「大塚君って、優しいお兄ちゃんって感じだよね」
「うん。まあ、兄ではあるからね」

 これである。明らかに先日の会話が尾を引いているのだ。
 いくら鈍い片山君といえども、姿が見える度に声をかけ、気にかけ、ことさら優しくすれば、好意に気づいてくれるのではないかと期待をしていた。いや、気づいてはいるのかもしれない。ただ僕の好意を、まるで兄弟に向けているものだと認識しているのだ。
 片山君みたいな弟がいたら、なんて話をした僕が悪いのだろうか。そもそも、妹に対してはこんなに優しくしていないと声を大にして言いたい。
 第一、片山君も「僕の方が兄なのでは?」とでも言いたそうな顔をしていたのに、何故あっさりと弟扱い(断じて弟扱いをしているわけではないが)を受け入れているのだろうか。それに、兄弟はいないと言っていたのに、やけに可愛がられるということに慣れている節がある。まさか僕以外にも、いるのだろうか。片山君を甘やかすことに尽力している人物が。

「片山君は、弟って感じじゃないけど」

 そんなことを考えながら、僅かな抵抗をする。

「大塚君、前と言ってることが違うよ」

 前とは君に向けている気持ちが違うからね、という言葉を飲み込み、曖昧に笑う。どうにか優しいお兄ちゃんというポジションを早急に抜け出さなければ──

「でも僕、兄がいるんだ」
「……えっ!?」

 この間は、確かにいないと言っていたのに! それは、つまるところ本当の兄弟ではなく、兄のように信頼の置ける人物という意味なのであろうか。
 片山君にとって僕が兄のように思われているというのは、驕りだったのだろうか。
 
 先程まではあんなにも抜け出したいと思っていた関係がいざ勘違いだとわかると、途端に片山君の「兄」を羨む気持ちが湧いてくる。

「誰なのか、聞いてもいいのかな」
「ちょっとまだ話しにくくてさ。今度また聞いてくれる?」

 弱々しく頷く僕に気にした素振りもなく、それじゃあまた明日と校門の方へと歩みを進める片山君を見送る。このまま帰るのか、はたまた別の誰かに会いに行くのか。そしてその相手が片山君にとっての兄なのだろうか。
 考えても仕方がないとかぶりを振る。が、どうにも片山君の言葉が頭を離れない。

「話しにくい関係ってどういうことなんだろう……」

 叶うならば。片山君の親友も、恋人も、一度はいらないと思った兄の座も、すべて僕でありたいと思う。自分がこんなにも欲深く我が儘だったとは。自分の初めて知る一面に、なんともどうしようもない男だと呆れる。
 そうであるなら悩んでいる暇など余計にない。片山君の隣を誰かに奪われてしまう前に、これまで以上に言葉と行動で好意を伝えなければ。

 ──数週間後。片山君の言う兄とは間違いなく血の繋がった兄弟であるし、片山君の隣どころか共生していることを知り狼狽する未来が迫っていることなど、決意を新たにする僕には知る由がない。
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