まもひろ

「大塚君、先に逃げたはずじゃ……」

 驚愕の表情を貼り付けた片山君に、僕は苦笑することしかできない。
 脱出の際、救命ポッドが足りないことにはすぐ気づいた。そして、それを他のみんなには気づかれないように行動した。
 仲間のことを想ってという気持ちは、その時あまりなかったのかもしれない。先にみんなは脱出したこと、救命ポッドがもうないこと。
 眉を下げる片山君に簡潔に伝える。

「ごめん、片山君」

 この謝罪の意味が正確に伝わらないとはわかっているが、どうしても謝りたかった。
 片山君にとって、今ここにいてほしいのは僕ではない。わかっていた。彼が一番懇意にしていたその人を。そしてそれは決して一方通行のものではなかったことを。もしも、僕が彼に救命ポッドの数が足りていないことを伝えていたら。きっと僕を押し退けて、彼は片山君の隣にいようとしたのだろう。
 それでも、沈み行くブルージェネシスに片山君が取り残されるなら。最後だけでも、隣にいたい。隣にいることを許容されたかった。

 エゴを隠した僕を、片山君は力強い瞳で見つめ返す。

「大塚君、諦めないで。まだ脱出できるかもしれない」

 奥を探そうと手を引く彼に、息が詰まって上手く返事が出来なかった。
 片山君となら心中することになっても構わない。それでも、死にたいわけではない。もしもまだ助かるのであれば足掻きたいとさえ思う。
 でもここを脱出したら。もう二度と彼は僕の手を引くことはないだろう。──それならいっそ。



「あった! 大塚君! これで脱出できるはずなんだ」
「これは……動かせるのかい」

 恐らく水中での移動を目的とした船を前に、希望が見えたような気がした。
 希望と言ってもそれは、片山君にこれを動かすことはできないという、仄かな希望だった。
 そんな思いとは裏腹に

「やって見せるよ。大塚君をここで死なせるわけにはいかないから」
「片山君……」

 ──僕は、なんて馬鹿なのか。
 最後だけでも彼の隣にと願ったのは本心だ。今でもそれは変わらない。
 ただ、ここで終わりじゃないのなら。
 それなら今度こそ最期まで彼の隣に立てるように。
 彼に振り向いてもらうために。
 ひたすらに努力するべきではないか。一度諦めようとした僕に、諦めるなんてらしくないと目の前の彼だって言ってくれたのに。
 それに僕も、本当は片山君に生きていてほしいのだから。

「うん、脱出だね……!」

 片山君の操縦は見事と言う他なく、問題なく海中へと抜け出すことに成功した。
 僕たちの脱出と同時に崩壊するブルージェネシスをおいてけぼりにして、海面を目指しぐんぐんと上昇していく。
 僕は、生まれて初めて海の外と、作り物ではない空を見た。
 融合が阻止され、歪みが小さくなる空に昇る二つの光。
 この光景を僕は一生忘れないのであろう。そして隣で空を眺める片山君にとってもそうであってほしいと思う。

「上手くいってよかったよ。大塚君、本当にありがとう」
「お礼なんて。……僕が、言うべきなんだ」

 思わず目を伏せる僕の手に片山君がそっと触れる。彼は、人懐っこいものの自ら他社に触れるタイプではない。
 壮大な脱出劇を終えたあとにも関わらず、制御のできない恋心が彼に触れられて嬉しいと悲鳴をあげる。口を開けば心音が伝わってしまいそうで、僕はなにも喋らずに、ただ片山君の言葉を待った。

「嬉しかったんだ。大塚君が僕のことを待っていてくれたのが」
「……」
「だから、本当にありがとう」

 きゅっと目尻を下げた片山君の手を握り返す。
 遠くからはこちらの救助に向かっているのであろう船が見える。

「僕たち、助かったんだ」

 船に向かって空いている手を大きく振りながら、ようやく緊張が解けた様子の片山君にそっと体を寄せる。

「片山君。みんなの無事を確認できたら、君に伝えたいことがあるんだ」





□□□


「うん、確かに一番仲がいいって言われると綾彦さんなのは間違いないんだけど……」

 大塚君が思っているような気持ちを綾彦さんに向けているわけではない。
 非常に言いづらそうに呟く片山君を前に、ついに僕はその場に座り込んでしまった。

「……僕の勘違い、だったんだね……」

 穴があったら入りたいというのはまさにこういうことか。

「それにしても、大塚君が僕のことを好きだっていうのがまだ信じられないな……」
「それは、証明してもいいのならするけど」

 鈍さに定評のある片山君でも、流石に自分を好いている男の証明という言葉には身の危険を感じたらしく、素直に黙りこむ。
 僕と言えば、綾彦さんから片山君への好意の有無はともかく、片山君が誰かに好意を向けていたわけではないことを知り安堵の気持ちでいっぱいだった。
 勝手に勘違いをして暴走していたのは、恥ずかしいことこの上なく、未だに立ち上がる気力はないが。

「正直、大塚君のことをそういう目で見たことはないんだ」
「大丈夫、わかっているよ」

 お気に入りのスニーカーの爪先を見つめながら言葉を返す姿は、片山君にどう映っているのか。
 こればかりはすぐには立ち直れそうになく、また、最近はすっかり片山君に励ましを受けることに慣れてしまっていたため、そうはいかない今回の件は随分長く引きずってしまうかもな、とぼんやり考える。格好なんて今さらついてもいないのだから、今日くらいは情けない姿を晒したって構わないだろう。

「僕たちってまだ一ヶ月くらいしか一緒にいないんだよね」
「そう、だね。なんだかそういう感じはしないんだけど」
「あはは、僕もそう思う。でも本当に少ししか経ってないんだよね」
「うん……」
「だから僕が大塚君について知っていることなんて、ほんの少ししかないんだ」

 いまいち片山君が何を言いたいかわからず、スニーカーとにらめっこするのをやめ、片山君に目を向ける。
 何度も好ましいと感じた人好きする笑みの中に、微かに熱がこもっていた。

「大塚君のこと、もっと教えてよ」

 好きになりたいんだ、大塚君のこと。

 座り込んだままの僕に、手を差し伸べながら伝えてくれた言葉。
 震える手でその手を掴む僕は、世界で一番情けない顔をしていたはずだ。
4/5ページ