まもひろ

 寒風が肌を刺す。気候が管理されていたブルージェネシスとは違い、半年程前に越してきたこの街の冬はなんとも厳しいものだ。これからもっと冷えることを予感させる空の下、それでも弘樹の足取りは非常に軽かった。

「そろそろ着くかな」

 弘樹の目的地、駅前に着く。冬休みとは思えないほどに閑散としていた。
 それもそうか、と弘樹はひとりごちる。早朝も早朝、浮かれた学生どころか、憂鬱そうに出勤するサラリーマンさえ活動していないだろう時間だ。普段なら弘樹もこの時間はまだ夢の中にいる。こんな時間に活動してる知り合いなんて、五十嵐か影守か、あとはそう──

「久しぶり、片山君」
「久しぶり。大塚君、元気だった?」

 いま目の前に立っている親友くらいだろうと、弘樹は少し笑ってしまった。

□□□

 あの日以来、弘樹と守は頻繁に連絡を取り合っていた。勿論、一緒に世界を救った仲間たちとも。影守は夜勤がなくなったにも関わらず、眠気覚ましにと電話をかけてくることが多い。深雪は電話だけでなく手紙でも、新しい学校で楽しく過ごしていることを教えてくれる。「弘樹さんに会えなくて寂しい」と書かれていることも、少なくはないが。
 また、五十嵐は弘樹だけでなく茂とも変わらず連絡を取り合っているし、速水は弘樹に体調を確認したあと、自身の修行についての報告を欠かさない。
 その中でも守と弘樹は、彼らよりも少しだけ長く、そして多くやり取りを交わしている。二人でブルージェネシスを脱出したあの日。結晶をあげると約束したあの日。あるいはそれ以前から。一月も一緒に過ごしていないのに、弘樹と守はお互いを特別だと、言葉にせずとも感じていた。

「大塚君、遠いところから来てくれてありがとう」
「いいんだ、お礼なんて。僕が……」

 僕が会いたかっただけなんだと、口に出すのはなんだか憚られ。たまには息抜きがしたかったんだと、守は思ってもいない言葉を口に出した。守がいかに実験中心の生活をしているかは、短いながらもアカデミア学院に通っていた頃から十分に理解している。弘樹は、怪訝な顔をしたもののそういうこともあるかと一先ず納得した。
 弘樹の家まで20分程度。とりとめのない話をしながら歩みを進める。そのうち、弘樹はじっと守の手を見つめた。

「……大塚君、手袋忘れちゃった?」

 かじかんで少し赤くなっている手を擦りながら守の返した言葉は、弘樹には信じられないものだった。

「持ってないんだ、手袋」

 こんなに厚いコートだって、先月に生まれて初めて買った、とも。

「ええ!? 大塚君が今住んでるところって、そんなに暖かいの?」
「いや、そんなことはないんだ」

 聞くと、ブルージェネシスでは快適な温度が保たれているから、買う必要がなかったとのことだった。それにしてもコートと一緒に手袋も買えばよかったのに……と弘樹は少し呆れた。四季に慣れていないと、防寒具を買うという発想はなかなか出ないのだろうか。今度速水にも聞いてみようかとまで考えて、あの人は寒さ知らずそうだなと思い、やめることにする。
 それにしても、そのままにしておくのはなんだか忍びない。

「僕の手袋貸すよ」

 自身の黒いシンプルな手袋をするりと外し、守の冷えた手に有無を言わさず着けてやる。

「暖かい……。ふふ、片山君、ありがとう」

 なんとなく、学院にいた頃だったら遠慮して断られていたかもしれないなと、弘樹は思った。
 そしてそれは、守も同じだった。以前の弘樹ならきっと、自分が手袋をしてないことにも気づかなかったであろうし、おそらくこうやってむりやり手袋を貸してくれることなんてなかったんじゃないかと考える。
 二人の間に漂う満足感と、早朝と言うこともあり、歩く弘樹と守の間に言葉は少なかった。

□□□

「ああっもう! 大塚君、本当にごめん……!」
「あはは、うん……。想像はついていたよ」

 片山君は悪くないだろうと笑う守に、弘樹はここにはいない叔父へ怒りの念を飛ばす。それが届く日は残念ながら来ないのだが。
 昨日の夜掃除した家が、めちゃくちゃに荒らされていようとも、この怒りは飲み込むしかないのである。

「僕の部屋は片付いてるから、とりあえずそっちに避難してもらっていい? 僕は飲み物を取ってくるよ」

 そう言いながら足の踏み場もないように見える廊下をずんずん進み、時には足元の物をどかして歩く弘樹の姿に、守は「慣れてるなぁ……」と、弘樹の日々の苦労を思い浮かべながら苦笑した。



「──それで、健吾が」
「あはは、速水さんは相変わらずだね」

 新しい街。住居。学校。友達。
 一通り話せば、やはり仲間たちの話に回帰する。

「そう言えば、深雪ちゃんがね……」

 弘樹がどこか嬉しげに話す姿を眺めているうちに、ずっと疑問に思っていたことが胸のうちからふつふつ湧き上がり、ついに守は口に出してしまった。

「好きなのかい?」
「えっ……ぼ、僕が、深雪ちゃんのことを?」

 弘樹の話を遮ってしまったことに申し訳なさを覚えつつ、守は黙って頷いた。ずっと気になっていたことを知れるのに、なんだか聞きたくないような気もして、到底喋る気分ではなかったのである。

「そんなんじゃないよ! その、深雪ちゃんは従姉妹だし、僕は……」
「従姉妹だって結婚は出来るじゃないか」

 結婚!? もはや弘樹の頭はパニックだった。
 正直、守とこんな話をするなんて、全く想像していなかったのである。兎にも角にも実験中心! そのためなら睡眠食事は後回し。恋愛なんて以ての外。そんな人間からまさか、恋話を振られるなど。まさかナイトメアに……? 一瞬だけそんな不謹慎な考えが頭を過るが、こうやって言葉をかわす中、大塚守は終始大塚守という人間であった。

「そ、そんなことより! 僕、大塚君がまさか来てくれるとは思わなくて、正直驚いたよ」

 話題を変えよう、と焦るあまり弘樹の口が滑る。
 対する守はキョトン、とした顔で静止している。

「あの、なんていうか……大塚君の生活って実験を中心に回ってるから。まさか、手を止めてまでこんなに遠いところまで来てくれるとは思ってなかったんだ」
「それは……そもそも、僕が遊びに来たいって言ったのに」

 そう。実は今回の提案は、弘樹ではなく守からだった。先月、いつものごとく通話をしていると、突然守が「冬休みに泊まりに来てもいいか」と聞いてきた。
 弘樹は瞬きをひとつ。その後にすぐ、是非来てほしいと返したのだった。
 飛行機に乗って、電車に乗って、バスに乗って、また電車に乗って。どこかで一泊するのかと思ったら、家からここまで常になにかしらに乗り、最短の時間で着くというのだから、やはり守の体力は侮れないな…と感心した。流石にバスの中では寝ていたようだが。

「それに、実験のことだけを考えているわけじゃないよ」

 守が少し眉を下げる。弘樹は、あんまり信じてないぞという顔をした。

「……最近は片山君のこと、つい考えちゃうんだ」
「……僕?」
「君に結晶をプレゼントすると約束したからかな。でも、それより前から、ふとしたときに君の顔が頭に浮かぶんだ」

 弘樹は、目の前の親友が自分を好意的に思っていることを、別に疑っていたわけではない。しかし、それでも。

「大塚君って、僕のことがそんなに好きでいてくれたんだね。ちょっと照れるけど……嬉しいよ」

 わざわざ友達に対して「僕のこと好き?」などと聞くことはあまりないだろう。つまり、ここまではっきりと口にされるのは初めてのことだった。
 そして守のように、態度だけではなく言葉で表したくなった。
 弘樹にとって、守は間違いなく一番の親友だと。

「僕も大塚君のこと、好きだよ」
「あ、ありがとう……」

 守の顔は、先程手袋で隠した指先より赤くなっていた。思わず、マフラーでも巻いてあげたほうがいいかなと感じるほどに。
 「大塚君って可愛いところあるよなぁ」と、呑気に考えるあまり、自分の言葉が間違って伝わっていることに全く気がついていなかった。

「そっか……僕は……」

 守は、弘樹のことをとにかく大切にしようと思っていた。彼には恩がある。でも、そうではなく、純粋に親友として。幼馴染と似ているようで少し違う、友情を感じていた。

 ──しかし今。自分が弘樹に感じていたことは、友情ではなかったと、言い訳できないほどに理解してしまった。
 好きだと言われた瞬間、あの結晶が出来たときとも違う興奮を覚えた。体が震えるほどの衝撃だった。僕は目の前の男を、好きなんだ。衝撃の抜けない体の真ん中に、すとんと恋心が落ちる音がした。
 まさか、鈍いと思っていた弘樹に自分の気持ちがバレているとは。そして、弘樹も自分のことを好きでいてくれていたとは。
 両想いに浮つく心を抑えながら、守は決意を新たにする。

「……片山君、僕は絶対、君に結晶をプレゼントするよ」
「うん! 大塚君、がんばってね」

 結晶で彩られた指輪を渡され、お互いの誤解に気づくそう遠くはない未来を、本人たちはまだ知らない。
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