空も風も
“雑踏の中の一人”が鮮烈に俺の心に入ってきたのは、夏休みが明けてすぐのことだった。
朝、いつものように学校へ向かって歩いていると、十数メートル前方で嫌な音がした。
車が野良猫を轢いた音だった。
小学生からサラリーマンまで、いろんな人が行き交う時間帯。
“気持ち悪い”
“朝から嫌なものを見た”
みんなそう言って猫から目を背けて足早に通り過ぎる。
そこにたった一人…血まみれの猫に近づいた人がいた。
自分と同じ学校の制服を纏う女生徒。
金色の髪。
(あれは―――…同じクラスの、カガリ・ユラ・アスハ…さん…。)
その非日常的な光景に俺は思わず立ち止まり、遠くから彼女の所作すべてを見つめていた。
まず、次々と通り過ぎる車の合間に入って、猫を車道から助け出す。
安全な道路脇で猫を寝かせると、ハンカチで応急手当をし始めた。
冷静で、その手つきに淀みはなかった。
しかし…すでに事切れていたらしい。
彼女は哀しそうに目を伏せて死骸を抱き上げ、学校とは逆方向に消えていった・・・。
その後、彼女がどこへ行ったのか、俺は知らない。
ただ。
常に無表情の彼女が見せた、あの哀しそうな瞳が、目に焼き付いた。
その日は当然、彼女は学校に遅刻してきた。
「ラブホで寝過ごしちゃったんじゃないのー。オヤジと行ったラブホで」
「あはははっ、やだー!」
「ねぇ、ひょっとしてアノ最中も無表情なのかな?」
「ええー?金やってんのに無表情なんてオヤジも可哀想!」
教室の真ん中で、クラスの女子が大っぴらに笑う。
窓際で頬杖をついている本人にも聞こえる音量で。
“ちがう…!”
そう叫ぼうとして、俺は動けなかった―――
このような彼女に対する下世話な揶揄は…実は今まで何度もあったのだ。
それを俺は、いつも本を読んだりして聞き流していた。
自分には関係ないから。
…今さら、どんな顔して間に入れるというのか。
真実を知っていながら何も言えない自分が、腹立たしくてならなかった。