繭の中でおやすみ



リビングの片隅に、見たことのない花瓶が増えている。
咥えた歯ブラシを機械的に動かしながら、おれはその初めて眼にする硝子の容器に近付いた。無色透明で縦長の、特別な模様もない単調なそれ。念のために思い返してみたけれど、みずから拾ってきたり、貰ってきたような記憶は存在しない。だからこれはセナが購入したか、誰かから貰い受けたものなのだろう。
花瓶の外観は、華美な装飾を好まないセナの趣向を正確に反映しているように思えてならない。うつくしく切り取られた一辺一辺に歪みなどはなく、ただ厚みのある表面に閉じ込められた気泡たちは、きっとセナの歌声のように淡く弾けた感触がするのだろうと思ったものだった。
花瓶から延びる数本の枝たち。各々の特徴がぶつかり合って、花瓶の内側はすこし騒がしい。不均等に波打っているもの。一直線のもの。枝の先に蕾のような膨らみがついているもの。表面がつるりとしていて、色の濃いもの。鹿の角みたく枝分かれしているもの。
いずれも先日のおれが外から持ち込んできたものたちだったけれど、普段は塵袋に入れられるはずのそれらが何故、突然丁重に扱われるようになったのかをおれは知らない。きっとこれも、セナの手によって行われたものなのだと思う。花瓶のとなりには、花瓶と同じく無色透明で単調な硝子の入れ物が置かれていた。なかにはおれが先日風呂場で磨いたきり放置していた石たちが、まるで意味のある置物のような顔でもって几帳面に収まっている。
ふたつが加わった壁際を眺めながら、おれは歯磨き粉をつけた歯ブラシで、満遍なく歯の表面を磨いていく。冬の中頃。熱の抜かれた足裏を、もう片脚の脹脛に擦り付けながら。空のポケットのなかで、左の指と指を擦り合わせながら。おれは十分ほど前に寝室へ消えていった、セナのうしろ姿を思い出していた。まだ灯りが漏れている閉じかけの扉。おやすみ、とおれにひと言を残したはずのセナは、まだ眠りに就いてはいないらしい。
だからおれはその扉へ忍び足で近付いて、隙間から顔を覗かせる。そうしたら、ちょうどベッドへ横たわろうとしていたセナと眼が合った。おれを見るなり怪訝な顔を浮かべたのは、口の端から垂れ落ちようとしている歯磨き粉の白色を認めたからに違いない。誤魔化すみたく笑んでみたけれど、セナの眉間が緩むことはなかった。セナはすぐにその表情をするから、いつか眉と眉のあいだに消えない皺が生まれてしまうのではないかと、おれは不要な心配をしてしまうのである。

「なに?」
「んー。うー」
「口濯いでから喋りなよねえ」

そう促されてしまえば、大人しく洗面所へ向かうより他はない。ぺたぺたと床を踏む調子に合わせて、壁際に集められた宝物たちが頭のなかで新しい音を生み始めるのが分かった。音は弾ける。あの花瓶に閉じ込められた気泡みたいに。小物入れの縁に落ちた光みたいに。一度降ってきたそれらは落下速度を緩めることなく、瞬く間に雨となっておれの霊感という土壌を潤してくれていた。
口に含んだ水は、今足をつけている床よりもずっと冷たい。吐き出した水の描く渦がまるでト音記号のそれのように見えて、ますます勢い付いていく霊感を止めることができなかった。脳の容量を食い尽くしたそいつが勝手に上書きを始めるものだから、おれは慌ててリビングへ戻り、机上に置き放しにしていた五線紙とシャープペンシルを掴んだ。
ふたたび忍び込んだ寝室にそれらを広げて、音を片っ端から記録していく単純な作業。音楽を作る上で、脳というのはいささか容量が少なすぎるように思う。音は上から下から次々に溢れてくるものだから、書き留める腕だって二本では到底足りやしない。
そんな音たちの産声や悲鳴は、セナのそばにいるといっそう鮮明に聞こえてくるのだから不思議だった。寝静まり、外からひとの気配が消えた夜は特に。今おれの耳に届いているのは、落下していく音たちの叫声と呆れを含んだセナの溜息だけだった。そのふたつだけで、この五本の線は月に届いてしまうくらいに長く長く伸びていく。あんたねえ。降ってくるセナの小言を耳に入れながらも、おれは炭素を紙に擦り付けていく作業をやめることはできなかった。

「またこんなところで始めないでよねえ」
「うー。すぐ終わる! すぐ終わるから!」

そう言い終える前に部屋の照明が落とされて、代わりに灯された間接照明の光が、おれの手元を橙色に染め上げてくれる。セナは普段、眠るときに常夜灯を点けない。つまりたった今点けられた灯りは、おれに対する慈悲なのだった。向けられた背中が早く寝ろ、とおれに告げているのが十分に伝わってきたけれど。そんなセナのやさしさに触れてしまえば、音たちはたちまち騒ぎ出して、おれに息をつく暇さえも与えてはくれない。
セナはやさしい。そんなセナのやさしいところが好きだった。セナのやさしくないところも好きで、セナという人間が持つ価値観や思考、否、概念というそのもの自体に、おれは強く魅せられている。きっとこれから先の人生で、こうも心が揺さぶられる存在に出会うことはないと言い切ってしまえるくらいには。
もっと突き放してくれてもいいんだけどなあ。けれどセナに本当の意味で見放されてしまったら、きっとおれの霊感はすぐに枯渇してしまうだろうから。おれをこんな場所まで引き連れてきたその手を、いつまでも離さないでいてほしいというのも、本心であることに違いはなかった。
コマーシャルの提供用にでもしよう。そんな風に思っていたはずの小節はぐんぐん伸びて、あっという間に一枚目の両面を使い尽くそうとしている。なんだか今日は気分が良い。気分が良いから、とくべつ用もないというのに、鼻歌と鼻歌の合間でセナの名前を呼んでいた。なに、と呟くあいつのすこし機嫌の悪そうな声にどんな言葉を返そうか迷ったけれど。箪笥の上に置かれているディフューザーがなんだか枝みたいで、あ、とおれは部屋の隅に加わった花瓶たちのことを思い出したのだった。

「そうだ、あれ。花瓶」

あとなんか、硝子の入れ物。乾いた空気が喉に張り付いて、発した声がどうにも掠れる。夜空に浮かぶ星々を隠す、簡素なレースの模様。見えないからこそ、今宵の月の形を想像するのは楽しい。昨日は確か半月だったから、今日は満月か三日月にすこしだけ近付いた形をしているのだろう。月は日毎に形を変化させるから良い。特段変わり映えのない日常のなかでも、同じ毎日はないのだと、月が一番におれにそう教えてくれている。
セナはおれに背中を向けたまま、言葉を返すことをしなかった。もう眠ってしまいたいのかもしれない。いつも日付が変わった頃には眠りに就いてしまうやつだから、おれが呟くこの声が、せいぜい子守唄にでもなってくれればいいと思った。

「知らなかった。セナはああいう形の枝が好きなんだな」
「別に。枝の形に好きも嫌いもないし」

はっきりと言い切ってみせたその声に、すこしだけ伺える睡魔の影。そうかなあ、と返しながら、おれは砂利の欠片みたいな歪な丸をいくつも紙の上に並べていく。早く記せと急かす音が、おれの手の制御を奪って忙しい。力任せに手繰り寄せて、皺の生まれたまっさらな五線紙。刻んでしまったおうとつを均すみたく音節を走り書き、月までの道のりを整えていく。

「嫌なら嫌って言えば」

音は生きている。だから逃げるし、死にもする。おれはそのことを、脳内で流れる音を取りこぼしそうになるたび実感する。そしてそれは音だけでなく、記憶にもきっと同じことが言えるのだと思う。思い返さなければ褪せていき、時間が経つほどに細部も思い出せなくなっていく記憶にも。あまり過去を振り返ったりしないおれは、だからセナが告げた言葉の根拠を、過去のどの部分にも見つけることができなかった。だっておれは、セナにされて嫌なことなんてひとつもない。そもそもそうと感じた記憶さえないものだから、おれは先の言葉の意味をセナに直接尋ねてみるしかないのだった。
セナは眠る時の姿勢もうつくしい。首にかかる襟足が、昨日見た月みたくくるりと円を描いているのが眼に留まる。

「嫌?」
「あんたの宝物。散々俺に捨てられて嫌だったでしょ」

言われて思い出したのは、これまでに拾い集めてきたはずの宝物たちのすがただった。黄色と緑色が綺麗に混ざり合った落ち葉。空の色を写した硝子の破片。おそらく鳥が運んできたであろう、ベランダに置かれた何かの種。そういえば、日本では見ない色をした鳥の羽も数枚あったはずなのだが。知らぬ間に部屋から消えていたそれらのすがたを思い描くたびに、また違うところから霊感が湧き出して、いよいよ書き出す手のひらに汗が滲み始める。
物事に対して、常に純粋な好意を抱きやすいおれだけれど。だから集めてきたものにずっと囲まれていたいと思いつつ、それを赦してくれない世の理が今日もすこしだけ憎いのだった。だって葉は枯れるし、硝子は割れる。種はやがて花になるものの、ふたたび得た種が花をつけてくれる保証はどこにもないのだ。物体には永遠など存在せず、あの枝たちも石たちも、きっといつか朽ちてこの世界から消え去っていく。そもそも大事なものをすべて抱えていられるほど身体だっておおきくないから、理論的にも物理的にも、願望が現実になる日は永遠に訪れないと知っていた。
そんな当然の事実に対して、いちいち絶望するような年齢でもない。つまり、ただ別れが早くなっただけだ。何も手放すことができないおれの代わりに。大切なものを抱えすぎるあまり、すぐに身動きが取れなくなってしまうおれの代わりに。生きる上で絶対的に必要なものと不要なものを、セナがおれの代わりに吟味して、処分してくれているというだけの話だ。おれにとってはそれ以上でもそれ以下でもないのだが、セナにそう指摘されると、手を動かしながらもつい頭を傾けて考え始めてしまう。
実際にうーん、と声に出しながら、おれはシャープペンシルの尻で顎をぐりぐりと押した。プラスチックの蓋は硬い。硬くて、顎下のやわらかな肉の内側に、どこまでも食い込んでいくようだった。

「まあ、ちょっとは寂しいけど」

置ける場所もないし、しょうがないかなって。シャープペンシルの先から繰り出た数ミリの芯。真っ黒なそれを紙の上に擦り付けて、音に命を与えていく。音符に質量はないけれど、たった今削った炭素の重さが、音に宿る魂の重さになっていく。
そもそも、この家はふたりで暮らすには広さがやや足りていないのだ。故に不要なものを置いておく余裕だってない。そのことを理解しているから、やはり今更考えてみたところで、これといった不満が浮かんでくるはずもないのである。
それを素直に伝えただけだというのに、あいつはふん、と鼻を鳴らしたきり、会話を続けることをやめてしまった。本当はもっと、セナと言葉を交わしていたかったけれど。セナの就眠を妨げる言い訳が浮かんでこなくて、おれは目前の五線紙とただ剥き合うことを選ぶほかないのだった。
聞いたばかりのセナの声たちが、おれの頭のなかでいくつもの音符を跳ねさせる。あちらこちらへ飛んでいこうとするそれらを掴んでは嵌めて、掴んでは嵌めて。雫となったセナの声が、頭のなかにずらりと並ぶ白鍵と黒鍵の上に、ぽつりぽつりと落ちていくさまを想像する。
しょうがないなんて、物わかりの良い言葉を返したけれど。もしかするとおれは今、嬉しいと感じているのかもしれなかった。次々に跳ね上がっていく音たちの軌跡。それらがいつだって、おのれの内側に湧いていた見えない感情についてを教えてくれる。さっきはあれこれと理由を連ねてみたけれど、本当のところ、好きなものたちが捨てられてしまうのは悲しいから。知らぬ間に塵袋に投げ入れられ、処分されたそれらのすがたを。部屋から消えたことを知るたびに想像する、それらの最期についてを。これ以上考えなくて済むという事実に、おれは今、すこしだけ安堵しているのかもしれなかった。
おやすみ、とセナの背中にかけた声は、やはりわずかに掠れていた。書き連ねた音はこんなにも遠く伸びて、まるで夜空に浮かぶ飛行機雲のように、長く長く続いていく。適当に掴んできた五線紙だけでは足りないくらい。空調が切れる時間までに、きっと書き切ることができないくらい。
セナはもう、眠りに就いてしまっただろうか。無言を貫くその背中が、しかしおやすみと返す声を、おれは確かに聞いたような気がした。


 ×××


縦に細長く切り取られた朝陽が、あいつの頭の上に落ちている。
ベッドの縁に頭を預けるあいつは、この寒さのなか規則的に肩を膨らませて眠っていた。おのれの長髪を頬の下に敷きながら。シーツの上で頬を歪ませながら。床に散らばる幾枚もの五線紙が、昨晩眠る前に見たこいつのすがたを急速に思い出させてくれるのだった。
こいつを起こしてしまわぬよう、俺は目一杯腕を伸ばして、それらのうちの一枚を拾い上げる。表面も、裏面も。こいつにしか理解できない感情で埋め尽くされた紙が、手の内で乾いた音を立てて撓る。現れた五線紙の向こう側。すっかり冷えているであろうあいつの頬を見ながら、まただ、と俺はひとりでにため息を吐いていた。
朝一番にこの光景を眼にするのは、別に初めてのことではなかった。おおかた昨日曲を書き終えたあと、リビングのソファへ向かう前に力尽きたのだろう。度々見かけるその寝姿は、しかし冬が深まれば深まるほど、起き抜けのおのれの心臓に無駄な緊張感を与えてくれる。
フィレンツェの冬の朝は、日本とさほど変わらないくらいには寒い。風邪を引く前に、せめて毛布にでも包まってほしいけれど。本能を優先して生きているこいつに、俺の言葉が届くことはないのだろう。
カーテンの隙間から射し込む、か細い朝の光。今れおくんの身体をあたためるものは、雪さえ溶かすこともできないような、頼りない太陽の残滓だけしかなかった。布団から出した右腕は、あっという間にぬくもりを失くして冷えた空気と同化していく。冬の終わりはすぐそこに見えているようでいて、まだ深いところに潜ったまま春の気配を伺わせてはくれない。故におのれの体温に染まった寝具が、身体によく馴染んでいて心地良かった。
こいつが窮屈そうに身体を曲げて眠るすがたを見るたびに。ベッドの上に歪んだ、穏やかなまるい頬を見つけるたびに。飼い主の足元で丸くなって眠る、猫のすがたを思い出す。確かにこいつは、猫のように自由に振る舞ってみせるけれど。しかし猫ほど尊大な態度で、俺の心理的な縄張りを侵すような真似はしなかった。
冷えきっているであろう、あいつの部屋着に手を伸ばす。触れてみればほのかに暖かかったけれど、血の色はしろい頬の下に埋もれていて、弾く光の色がただ目映くなるばかりだった。照らされた産毛が、頬の上できらきらと踊る。まるでこいつの纏う煌めきを可視化したような光の粒。それらを数秒見下ろして、俺はあいつの肩をそっと揺すった。

「れおくん」 

あいつの頬に滑り落ちたひと束の髪。それが鼻から漏れたあいつの呼気によって、はたはたとかすかに揺れるのを見た。れおくん。ふたたび呼びかけたあいつのくちびるがすこしだけ開いて、何を告げるでもなく静かに閉じる。震えた瞼の隙間から覗く薄色の瞳。白いシーツの上に落とされた視線が、そこに刻まれた皺をゆうっくりと辿るように泳いでいく。

「んう、んん、うん」
「れおくん。起きなよ」

寒いでしょ。れおくんはちいさな呻き声を零しながら、おのれの瞼を緩慢に擦って身を起こす。一度放たれたおおきな欠伸。そののちにふたたび睡魔と連れ立とうとするものだから、俺はあいつの腕を掴んでその就眠を遮った。その折に手からシャープペンシルが落ちて、フローリングとぶつかる音が鈍く立つ。あいつの手の側面は、今日も書き付けた黒鉛と擦れていっそう黒い。

「俺もうちょっとで起きるから。ベッド使えば」
「うー。さむ。ねむ」
「だから寒いでしょって」

そのまま強引に引き上げてやれば、冷えた身体は簡単にベッドの上に収まり、背中がやはり猫のように丸くなる。あったかい、と被せた布団に顔まで埋めたあいつは、あっという間に深い寝息を立てて眠りに就いてしまったのだった。
こいつが窮屈そうに身体を曲げて眠るすがたを見るたびに。その手足を伸ばして眠ることのできる、広い家の内側について考えることがよくあった。たとえば各々の部屋があって、ふたりで立っていてもぶつかることのない台所がある家のことを。突然動物を飼い始めても怒らないオーナーがいて、あいつが突然楽器を弾き始めても、周囲に迷惑がかからないような厚い壁で囲まれた家についてを考える。
もしくは物をたくさん仕舞うことのできる、空間に余裕のある家ならば。こいつが愛でるために持ち帰ってきた数多の物を飾っておくことも、その場所で永く愛してやることだって難しくはない。宝物が破棄されたと知ったときのあいつの瞳。それを見なければ、あいつの悲しみを理解することができない俺の手から、あいつは永遠に、あいつの宝物たちを守っていくことができるのだろう。
花瓶を用意してしまったのは、そんなすこしの罪悪感から逃れるためだったのだと、俺は胸の内で白状する。実際に引越しの提案をする勇気も持ち合わせてはいないくせに。となりに生まれた掛け布団の山を見つめながら、だから俺は想像したいくつもの住処に今日もばつを付けていくのだった。
そもそも来月も来年も、こいつがこの国に留まっている保証なんて何処にもない。あいつが残していった宝物に囲まれて暮らすおのれのすがた。そのようすは容易に想像することができるのに、来年もこの家に帰って来るあいつのすがたは、どうにも描き難くて息を吐く。
あいつをあたためていた光の線が、今度は布山の頂上を照らしていた。山の形に歪んだそこは、触れたところでたいした熱を感じることもない。背後の壁にぺたりと背中を合わせつつ、俺は数束の長髪が描く曲線を、そこに絡む光の渦を、引き寄せられるみたいにただただぼんやりと見つめていた。
いつか本当に、あいつと俺が違う道を歩む日が訪れるとしても。なんとなく、その日はずっと未来の出来事であってほしい。そんな望みを抱いてしまったのは、冬が纏うもの寂しさが俺にそう唆してくるせいに違いなかった。
あんたの人生は俺のものだと、いつか大見得を切ってしまったこともあるけれど。こいつにはこいつの人生があって、俺には俺の人生がある。今は交わっているふたつが、いつか分かれてしまうそのときまで。俺はこいつの笑う顔を一度でも多く見ていたいと、そう願うことだけが本心であると、今はそうおのれに言い聞かせていたかった。
枕の下に潜り込んでいたスマートフォンを手に取る。起床すべき時刻よりもまだ幾分か早い朝であることを確認して、俺は狭くなったベッドの上でそのまま静かに眼を閉じた。
すぐにやってきた浅い眠りのなかで、俺はひとつの夢を見る。先ほど想像したものとすこし似た広い台所。そこに立つ俺があいつに朝食を作っている、普段と変わり映えのない短い夢だった。



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