短編(CPなし)



この世界で、私ほど月永レオのことを憎んでる女っていないと思う。
テーブルに叩きつけるようスマートフォンを伏せると、音に驚いたらしい友人は目を見開いて肩を揺らした。ネイルの施された指先がプラカップを掴んでいる。照明のもとでラメの乗せられた瞼が煌めいていた。そのメイクもネイルもすべてこの日のためのもので、同じくらい気合を入れた姿の女子たちと、今日は幾度もすれ違った。
あー。何度目か分からない嘆きを吐き出して、私は背もたれに体重を預ける。友人は哀れむような目をして、そんな私を見ていた。

「出た。不毛」

真っ赤な色をしたくちびるが、カップのなかの液体を吸い上げる。ぐるぐると渦を巻くチョコレートの茶色。スカルプで伸ばした爪でかんかん、とテーブルを弾きながら、私はその色を睨んでいた。
こうやって机を忌々しく叩くために、今日このネイルを施してきたわけじゃないのに。爪先まで拘ったところで、遠い舞台上にいる泉くんの目に触れることはないと分かっているけれど。こういうのは気持ちの問題なのだと思う。全身泉くんの色に染まっていたいという、恋する女子なら誰もが抱いている願望を体現しただけに過ぎない。

「てか、あの振り考えたのほんと誰? ほんと何?」

ライブ閉演から一時間とすこし。このカフェまでの足取りをまるで覚えていないのに、あの恨めしい光景だけは、鮮明にこの目に焼き付いていて忘れられない。本当ならライブの余韻に浸っているはずだったのに。私をこうも醜くしたあの男を、絶対に許すことはできない。
口を開けば同じことしか言えない私に、友人は顔を苦くする。泉くんと同じユニットの嵐を推している彼女は、髪型も彼によく似ていた。ついでに言えばピアスの穴の場所もアクセも真似していて、特にシルバーリングは本人が着用しているものをわざわざ購入したらしい。メンズの、とにかく高いシルバーアクセのブランドのやつなんだって。よく知らないけど。
スマートフォンを弄りながら、友人は件の歌詞のところを鼻歌し始める。とん、と液晶を叩く指先の軽やかさに、私の内で憎しみがぐつぐつと煮えていくのが分かった。

「うーわ、うざあ。もうチケット協力しないから」
「今回は私のおかげなんですけど」

緑色のストローで、容器の中身をかき混ぜる。彼女の協力なくしてチケット争奪戦を勝ち抜ける気なんてしないから、これはつまらない冗談で、ただの八つ当たりだった。それを理解してくれる友人というのは有難いし、そもそも同担拒否なんて厄介なオタクに付き合ってくれる彼女も、相当な変わり者なのだと思う。
まあねえ、とその爪先が、容器に描かれた猫の絵をなぞる。およそ動物とは思えぬ顔で笑うそれはどこか腑抜けていて、しかし愛嬌があった。
まあ、気持ちは分からないでもないけどさ。彼女は短い黒髪を指で梳きながら言った。真面目な会社員であるせいで、嵐のように髪を金色に染めることはできないらしい。

「でもメンバーの仲が悪いより、良い方が断然安心じゃない?」
「他ならいいけどレオはダメ。ダメなものはダメ」

月永レオは、泉くんのことが好きだ。私はそれが気に入らない。気に入らなくて気に入らなくてたまらない。私の同担拒否の精神は骨の髄まで染みていて、だから月永レオが泉担と言うのなら、たとえそれが推しと同じユニットのメンバーであろうが関係ないのだ。月永レオを嫌悪することに、躊躇いなんて一切無かった。
簡単に言えば、私はあの男に嫉妬しているのだと思う。泉くんに対するレオの「好き」には、恋愛的な意味は含まれていないと理解している。けれどラジオやバラエティでしつこく泉くんに絡みにいく姿も、パフォーマンス中に泉くんにおくる目配せも、触れに行くような仕草も。一挙手一投足、こちらにマウントを取るためのものに思えて、とにかく癪に障るのである。
あんな何万人の前で、腕伸ばしあっちゃってさあ。あれができるのは世界何十億人のうち、月永レオただひとりなのだと思うと、スマートフォンを叩き割りたい衝動に駆られる。私が何度生まれ変わっても立つことのできない泉くんのとなりに、月永レオは今生で立っていることが気に入らない。
たまたま同じ年代に生まれて、たまたま似たような地域に生まれて、たまたま同じ学院に入って、たまたま同じユニットに所属しているだけなのに。そんな偶然、私にだって何度も起きているはずなのに。この友人に出会った確率だって同じ何十億分の一だったはずなのに。それなのに私のとなりにいるのは、泉くんじゃなくてこの友人なのだ。何それ、意味わかんない。神って多分いないんだと思う。もしいるのだとすれば、平等に確率を与えるのではなく、平等に泉くんを与えるべきだ。
あのふたりをペアで推しているオタクもいるから、リツイートで回ってくるその話題にうんざりして、もうツイッターを立ち上げる気にもならない。あーあ。フォロワーはちゃんと厳選してたはずだったんだけど。

「あ、嵐がインスタ更新してる」

うんうん、と唸る私をよそに、彼女の声色は明るい。ああ憎い。今日も泉くんかっこよかったって、私だって呟きたいのに。気合いれて頼んだフラスタの写真だって上げたいのに。地に落ちた気分のまま、ずごずご、と甘いキャラメルマキアートを啜る。氷がすこし溶けて、味が薄まってしまっていた。

「えー。コメントどうしよっかなー」

先に大きな飾りのついた人さし指が、顎に触れる。生活のあらゆる場面で邪魔そうだな、と思ったけれど、私も同じようなものなので何も言わない。オタク活動おいて、横槍はすべて野暮なのだ。

「嵐ってコメントちゃんと読んでくれてんの?」
「読んでるらしいよ。ツイッターもインスタも、たまにいいねつくし」

あのユニットのメンバーのなかで、SNSの更新頻度が最も高いのが嵐だ。泉くんはその半分以下の頻度でしか生活を見せてくれない。少々の物足りなさを感じている私にとって、それは非常に羨ましい話だった。
私ももっと泉くんの食べているご飯について知りたいし、あわよくば同じカフェに通って、同じ席に座りたい。メンズだろうがなんだろうが着ている服のブランドとかももっと詳しく知りたいし、どこで髪切ってるとかも全部知りたい。嵐はそういうのちゃんとタグ付けして教えてくれるから、超神だなと思う。なんだ、神いるんじゃん。でもそんな神だって泉くんの近くにいられる何十億分の一の人間なのだから、私は世界の残酷さに打ちひしがれるだけだった。

「私も『レオほんと何?』って呟いて、本人に見てもらおうかな」
「レオSNSやってないじゃん」
「ほんとそれ。ほんとずるい。なんなの」

アイドルとファンという繋がりは、細くて脆い。だから私はこの鬱憤を、いつまでも晴らすことができない。悪意というものが随分目につきやすい時代になった一方で、私の悪意は、どうしたってレオには届かない。

「でも最後のアナウンス、泉で良かったじゃん」
「それ! 何故かレオもいたけどね」

今日の泉くんの恰好良かったところが、すべてレオへの恨み辛みに上書きされていくのが悲しいけれど。こちらへ感謝を述べる泉くんの優しげな声に、私の魂が昇天してしまったことだけは揺るがない事実だった。ありがとう、と耳をくすぐるあの数秒間を、何度も何度も繰り返す。短いそんなひと言が、また泉くんに会うまでの私を、これ以上なく幸福に生かしてくれるのだ。

「こわ。何にやけてんの」
「へへ。泉くん、今日もかっこよかったよねえ」

彼に王子という異名をつけた誰かを、今讃えたい。そう、泉くんは王子さまなのだ。私自身、もう姫なんて呼び名が似合うような年齢ではなくたって。それでも泉くんは、今までもこれからも、ずっと私の王子さまだ。

「あ、待って。うっそ。嵐がいいね付けてくれたんだけど」

そうして齧りつくようにスマートフォンを覗いた彼女は、一瞬ののちに表情を恍惚としたものに変える。そのさまに、ファンというのはオタクというのは、実に扱いやすい生き物なのだということを自覚した。



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