宿儺
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両面宿儺が人を襲わなかった空白の数年間がある。それは公に記録されて残っているわけではなく、呪術界の御三家のみが知る裏の歴史の記録である。
人の口には戸が立てられないもので、宿儺が病にかかったのだの、ついに術師どもに封印されたのだの、当時は様々な噂が平安の世を賑わせた。
そして、同じ時代、代々受け継がれる相伝の旋律に呪力を込めて歌い、呪霊の祓除、戦闘による止血や身体能力の強化など、御三家の呪術師たちの手助け役として裏で活躍した一族が平安の世に存在した。
歴史には残らぬ歌祓いの術式を持つ一族。族長の巫女を筆頭とし、凶悪な呪いを退けるために暗躍した影の一族である。
ある時、その歌祓いの里が一夜にして両面宿儺に滅ぼされた。
力の差を感じ取り、ほうほうの体で生き延びた里の者たちが御三家へ駆け込み、保護を求めた。ある者は御三家と養子縁組し、ある者は嫁入りした。そうして歌祓いの一族は舞台から完全に消えた。
その生き残りの中に、両面宿儺に攫われ、彼と生活を共にした娘がいた。
平安の民から『鬼』『災い』と恐れられた彼は、娘の歌を聴いている時のみ、心の安寧を手に入れることができた。
周りに蔓延る呪いを体に吸収し、浄化しゆく。その身に負のエネルギーを背負いながら魂を癒す旋律の術式の巫女。
相手との痛み分けや自分の力を対象へ分け与えたりと、主に自身を犠牲にするため、歌祓いの血筋は短命である。
宿儺が人々に与えた恐怖は計り知れない。
彼の屋敷には、呪いの王に向けられる畏怖、憎しみ、殺意、絶望。それらが渦巻いていた。人を食すにも抵抗がない。殺された者たちの怨念がそこかしこに存在していた魑魅魍魎の巣。
その大きな呪いを巫女の儚き身が吸い続けた結果、体が弱りゆく速さは通常の比ではなかった。
数年後、呪いと病に倒れる寸前まで、彼女は人の情について彼に説き続けた。
「きっと地獄に行くのでしょうね」
歌祓いの里を滅ぼしたのはあなただと知っていたのに、あなたを憎めずに情を交わし、安穏と生きてしまった。
力なく笑い、病に伏せた夢子は目を伏せた。何度か喀血しているため、呼吸は弱く、胸が緩慢に上下していた。その顔は雪のように白い。
「あなたの顔をもっと見ておけば良かった」
目の前が暗いのです、と宙を彷徨った夢子の手を握り、宿儺が自分の顔へ引き寄せる。反転術式では如何にもならぬほど、呪いに蝕まれた彼女の肢体は見るも耐えぬものであった。おそらく絶命が近い。こうしている間も、じわじわと蝕まれた箇所の肌が変色していく。
「俺はしばらく地獄には行かん」
「そうですね、宿儺様は夢子の分も長生きしてくださいませ」
「愚かしい、お前は物分かりが良すぎる」
「……亡骸は庭の桜の木のあたりにでも埋めて下さい。春になればあなたとお花見できます」
もっと俺を求めないのか、生きたくはないのか、この世へ執着しろ、と宿儺が呟くと夢子は薄く笑う。
大切なものを失おうとしているこの瞬間にも、宿儺は悲しみを感じなかった。その感情を生まれた時より得たことはない。ただ虚しいという感覚は分かる。求める何かを渇望する時の焦燥、手に入れたと思った時には手の間をすり抜けていく、満たされぬ感覚は幾度となく味わってきた。
「お前の体も魂も俺のものだ」
地獄になどやすやすといかせるものか。
最期に仕掛けるのは呪いの契り。意識が混濁する彼女の手の甲に、宿儺の尖った爪先で刻む鮮血の印(いん)。
「次に巡り合う時はお前に恙無(つつがな)い人生を与えてやろう」
現(うつ)し世しか興味がなかった宿儺が来世について話をするとは、と夢子は少し驚いたが、
「今度は平穏な世で、あなた様と契りとうございます」
そう告げ、夢子は瞳を閉じ、大きく一息。そこで息が止まった。外はまだしんしんと雪が降る、ある真冬の夜のことであった。
どれほど経っただろうか。彼女の手から徐々に失われていく体温を宿儺は頬で感じながら独り、ケヒッ、とほくそ笑む。生きているうちに夢子が応えたことによって縛りが確定した。蝋のように白い手の甲に映える赤い印は魂に刻む縛りの証。彼女が生まれ変わっても、その印が自分のもとへ夢子を引き寄せる。
暫くして、また平安の世に呪いの王が降り立ち、人々を恐怖のどん底に落とし入れた。
まことしやかに当時の人々の間ではこう口伝されている。鬼の魂を鎮め、生贄になった巫女がいたからしばらくの間平穏だったのだと。生き残った歌祓いの里の民は、人柱ともなった娘を偲び、手厚く供養した。
死に際の言葉通り、桜の木の下で夢子は静かに眠りについた。
平安の世で出逢い、共に過ごした二人の呪いの契りの物語。そして舞台は現代へ――
「夢子ってさ、手の甲に変なアザあるよね?生まれつき?」
「そうそう、生まれた時からあったって親から聞いてるー」
話している少女二人と、黒い制服を着た二人組がすれ違う。
「ん?」
「どうした、虎杖」
「いや、なんか……」
なんだか懐かしい気配がした。でもあの少女二人と会った覚えはない。自分でもなんだか分からないといった顔をする虎杖に、伏黒が溜め息を吐いた。
「はやく行くぞ」
さっさと歩き出す伏黒に、虎杖が慌てて続く。
夢子が高専に入り、虎杖と宿儺に出会うのはもう少し先の話である。
END.