五条悟
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真夜中、違和感を覚えて起きると、隣で悟がうなされていた。
「ゔっ……すぐ、る……っ」
ベッドサイドに置いてあるタオルを持ってきて、ギリギリと歯を噛み締めて脂汗をかいている彼の額を優しく拭った。これでもう7日目だ。
「大丈夫、こわくないよ……」
横に座り、頭を撫でながら彼の手を握り返す。少しして眉間に寄っていた皺が消え、おだやかな寝息を立て始める。汗で湿った白い髪を撫でながら、一晩の間にそんな流れを繰り返す。
百鬼夜行で、悟が自らの手で親友の命を奪ったあの日から、夜はずっとこんな感じだ。
就寝後は1、2時間おきくらいに悟がうなされる。ひどい時には眠れなくて起きていることもある。
家入さんにも相談したけど、有効な手立てがないようだ。
日に日に目の下のくまが濃くなっていく彼に、何か私にもできることはないのかとやきもきする。当の本人に聞いても、
「夢子が一緒に住んで、一緒に寝てくれてるだけでも充分気が楽」
と言われる始末。
悟いわく、「ただいま」って帰ってきて、「おかえり」って言ってくれる恋人がいるだけでストレス度合いが違うらしい。一緒にご飯食べて、寝る前に話をして、隣で眠るだけでも安心するから、と。
「あーもうーそうじゃないんだよー」
今日も家入さんに愚痴がてらに相談した帰り、一人で廊下の隅で頭を抱えた。
その時、後ろから名前を呼ばれた。振り返ると、悟の生徒さんの乙骨くんが気まずそうに立っていた。
「あの……ずっと独り言が聞こえていたので、夢野さん大丈夫かなって思って」
「ごめんなさい、気づかなかった」
乙骨くんから私に声をかけるのは珍しい。しかも、目が泳いでいる。聞きたいことがあります、って顔に書いてあるあたり、乙骨くんらしい。
何回か話したことがあるが、この子は優しい性格だ。自分を二の次にしても他人を尊ぶところがある。そんな子が、わざわざ私に聞きに来る内容は大体察しがつく。
「もしかして、悟のこと?」
「なんで夢野さん分かるんですか」
「いやだって、乙骨くん分かりやすいから」
「えっ」
私の指摘に衝撃受けてるあたり天然だよね、この子。憎めないところがある。呪術師やってて、心折れないかな。
「悟、いつもと様子違うでしょ?」
私が問うと、彼は黙って頷いた。
最近は眠れてないようであると伝えると、悲しそうに乙骨くんの眉がハの字になる。
「やっぱり……」
あの日、悟が親友を殺めたことを、乙骨くんは知っている。
夏油さんが乙骨くんと里香ちゃんを狙って高専を襲撃したと、乙骨くん自身は思っていたが、悟はそれを否定した。
何かしら理由をつけて来て高専を制圧しただろうって。それだけ夏油さんにとって、ここは重要な場所なのだと。
彼の基礎を作った場を手中に収めて破壊するプロセスが大事なんだろう。なんとなく分かる。そうしないといつまでも過去に囚われて、古い自分と決別できない気がする感じ。
「いつもと五条先生の様子が違うんです。冗談も全然言わないで真面目だし、いつもより情報が正確だし……」
「んん?乙骨くん?」
彼はナチュラル煽リストか。
でも確かにね、と私も思ってしまう節がある。何をするにしても余裕がないのだ。
朝起きるときは出勤ギリギリだし、話しかけても上の空だし、お風呂入る時間も遅くなったし、私のこと抱きまくらと同じ位に腕でガッツリホールドして寝るから苦しいし、悟への色々な不満が思い返されて少し胸がもやっとした。
そこで、視界の端に捉えた異変に失笑が漏れる。
「みんなが心配してるって伝えておくよ」
私がそう言うと、乙骨くんが首を傾げた。
黙ってチョイチョイと指で彼の後ろを指差すと、
「パンダがでかいから気づかれただろ」
「いやいや、俺のせいか?」
「おかかー」
いつもの生徒3人組が少し遠くからこちらを覗いていた。私と乙骨くんの話を盗み聞きしてたのか。押し合い圧し合いでダマになってる3人を見ながら、
「いやいや、悟は愛されてるねー」
と、私が苦笑すると、
「はい。なんだかんだで、みんな五条先生のこと尊敬してますよ」
彼の濁りない瞳で告げられると恋人のことながら誇らしくなる。悟の生徒は立派に育ってくれてるよ。貴男の苦労を分かってくれてると思うんだけどな。
「乙骨くんも夜はちゃんと寝るんだよ」
去り際にそう伝えると、
「もう僕は大丈夫です」
彼は晴れやかな笑みを見せて手を振ってくれた。
若人と話が出来て、悩んで鬱屈とした気分が少し晴れたような気がする。さて、今日の晩ごはんは何を作ったら悟は喜ぶかな。そんなことを考えながら私も帰宅準備のために歩き始めた。
――――真夜中、ふと目が覚めた。
部屋は闇に覆われている真夜中の3時頃。
手を握ったまま、隣で悟が寝息を立てていた。頬に優しく口づけすると、彼が身じろぎした拍子に重なっていた手が離れた。
眠気もあって体が少し怠いが、ベッドから降りて、眠る悟の横に椅子を持ってきて座った。
「隠し事しないでね、って前に言われてたけど……今回初めて約束破るね」
これから行うのは、禁断とも言える術式の応用だから、家入さんと夜蛾学長にも『上層部には絶対知られるな』と念を押された。
私の術式は脳の活動を抑制して催眠・鎮静の状態を強制させるもの。主に睡眠薬代わりだったり、興奮している人を落ち着かせたり、攻撃型ではない。
家入さんから言われたのは、脳の神経系を抑制する術式ならば、加減次第では暗示がかかりやすい催眠の状態まで持っていけるのではないか、ということ。
後は私が言葉で罪悪感を減らすための暗示をいくつかかける。それで悟の症状を軽減できるかもしれない。催眠療法の真似事になってしまうが、やる価値はあるだろうと提案された。
繊細な呪力操作と言葉選びが必要になる。
専門書を読み漁った付け焼き刃の実力ではまだまだ洗脳とまではいかなくとも、無意識下で自分と向き合ってもらうこと、肯定してあげることによって、ストレスで異常に脳神経が興奮して悪夢を見るような状態は緩和できるはず。
「あの時、私に笑ってて欲しいって言ってたでしょう。私も貴男には幸せでいて欲しいし、笑ってて欲しいんだ……」
だから、私にしか出来ないことをする。
悟が次に目を覚ます時には、哀しみと共存できる、幸せに満ちた世界でありますように。
心からそう願いながら、寝ている彼に手を伸ばした。
――――夢子
名前を呼ばれてバッと体を起こす。思わずベッドの横で眠りこけてしまった。カーテンの隙間から朝日が差し込み、外では鳥がさえずっている。
「夢子、なんでそこに寝てんの」
顔を上げると、心配そうに覗き込む青い瞳。
「もしかして一晩中術式発動させてた?呪力がすっからかんになってない?」
「……悟、眠れた?」
結果が気になりすぎて、食い気味に質問に質問で返してしまった。
私の質問に、一瞬キョトンとした後、彼は少し考えているようだった。静かな空間に長い沈黙。永遠とも思える時間の後で、一つ一つ思い出すように悟が口を開いた。
「まぁ、眠れたかな、それで……」
「うん?」
「夢の中で傑に『ありがとう』ってさ、言われて……」
「うん」
「『もっと話せばよかった』って……」
「うん」
「それで……『心配かけたね』っ、て……」
そこで彼から嗚咽が漏れた。
ボタボタ、と大量の涙の染みがシーツに広がる。ごめん、ごめん、ごめんと繰り返しながら彼は頭を抱えて震えていた。
恨まれてるんじゃないかと、自分の選択が本当に正しかったのかと、心の奥で毎晩葛藤していたのだろうか。
普段は決して泣かない男性(ひと)だ。聞いたこちらも胸が締め付けられるほど、彼の慟哭は苦しみを伴っていた。
周りが「あれは正しかった」と言っても、自分の魂が納得しなければ心の傷になってしまう。
夏油さんの死後、私の知る限りでは、悟は一度も泣いていない。
涙を流すことは、悲しいという自分の感情を受け入れること。どこを探しても親しい友人にもう二度と会えない現実。これから、悟はそれに向かい合って心の整理をつけられるはずだ。
「夏油さんも、悟のことが大切だったんだね」
ベッドに座り直して、彼の背中をさする。むせび泣く彼の姿に、心の痛みの深さを垣間見て、思わず私の視界も滲んでくる。
まだ日は昇ったばかりで朝は早い。時間が許す限り思いきり泣いていて欲しい。自然に溢れゆく感情を制御することなんてしないで、今は素直に心の声に従って欲しい。
じゃないと貴男の心が壊れてしまうのではないかと私も心配になってしまう。
今日もみんなの前で彼は「最強」でいなければならないのだから。
彼が見たのは、私がかけた暗示には関係無い内容の夢だった。もしかしたら本当に悟が心配で夏油さんも出てきたのではないだろうか。実際、あれから悟はうなされることはなくなった。
落ち着いたらお墓参りを提案してみよう。夏油さんの好きだった花や色はあるのか、聞いてみよう。悟が自分を開放できるきっかけをくれてありがとうって伝えたい。
こっそりと学長と家入さんに成功を報告し、この一件は幕引きとなった。
「催眠状態への暗示か……やはり、術式の解釈を広げて応用したら、対呪詛師では精神破壊型の攻撃タイプになるぞ。呪霊にも効くか試さんとな。訓練と昇級受けてみるか?」
と、夜蛾学長から提案を受けたが、私は首を横に振った。呪霊以外を攻撃するのは私の望むところではない。今のところ脆弱な術式と思われているので、上層部に目をつけられることもない。
何より、悟が望まない。百鬼夜行の時も前線に出るのを直前まで反対された。
「やはりネックは悟か……囲うだけが愛情ではないはずだが」
ご指摘はごもっともである。
でも悟は私が本当に嫌がることはしないし、私もそうでありたい。
泣いたのは誰にも言わないでくれ、と悟から懇願されたので、それは誰にも言わずに墓場まで持っていこうかなとは思っている。
「彼の弱みは握りましたので、彼が暴走するときは行使させて頂きます」
「ならば、悟の手綱は夢子に任せるか」
「はい、お任せ下さい」
号泣する姿を晒してしまった恥ずかしさから、枕に顔を埋めながら、耳まで真っ赤にして悶絶していた悟の可愛さを思い出して、思わず笑みが出てしまう。
「あーあ……夢子の前では泣かないって決めてたんだけど」
「そうなの?大切な人のために泣ける方が人間らしくて好きだよ」
かつて無いくらいに落ち込む彼に笑いながら返答すると、悟に無言で抱きしめられて、暫く開放してもらえなくて少し焦った。
出勤する直前まで、「包帯じゃなくて目隠しにしようかな、黒いやつ」と呟き、真っ赤に腫れた瞼を冷やしながら唸ってたのも貴重な姿だった。
そんな姿を独り占めできる贅沢。
今日一日は思い出してニヤニヤしてしまいそうだな、と思いながら、挨拶もそこそこに私は学長の部屋から退室した。
END.